イラスト/晏嬰亮

とあるプロローグ


~1~

「こら、飛田! 飛田有生(ありお)!」
「てっ」
 ごつん、と小突かれて、おれは目覚めた。
「あ――」
 担任の不機嫌な顔が、おれを見下ろしていた。
「す、すみません」
「堂々と寝過ぎだろ」
「いや、そういうわけじゃ……」
 くすくすと、押し殺した笑い声。おれは授業中に爆睡しちまっていたらしい。昨日は遅くまで起きてたからなァ……。
「しゃっきりしろよ。……ええとどこまでやった? 34ページだな。この場合の関係詞は……」
「え!?」
 おれが頓狂な声をあげたので、教卓へ戻ろうとしていた担任は足を止め、おれを振り返った。その頭上に……ぼんやりと浮かんでいる『数字』を、おれは唖然として見つめる。
「なんだ?」
「あの……、その頭の上の」
「はァ?」
 担任はおれが指す頭上の空間を見上げた。
「あ、いや……。なんでも――ないです」
「なんだ、夢でも見たのか。授業中にねぼけるのはよしてくれ」
 今度ははっきりと、教室のあちこちから笑い声があがった。
(――!)
 おれは驚く。
 担任だけじゃない。教室にいる誰の頭の上にも、その『数字』が浮かんでいる!
 なんだこれ。いったい何のどっきりだよ。おれが居眠りしている間に、みんなでおれを驚かすネタを仕込んだっていうのか?
 おれはごしごしと眼をこすった。
 次に目を開けた時……、もうそれは誰の頭上からも消えていた。
(なんだったんだ……)
 担任が言うように寝ぼけたのだろうか。
 でもたしかに見たのだ。
 ぼんやりと光る『数字』が――、いや待てよ、あれはアラビア数字じゃない、見たこともない、ヘンな記号みたいなものだった。でもおれは、確かに『数字』だって……『1』と書いてあるのがわかった!
 おれはすっかり混乱してしまった。しかし、それはほんのささいな始まりに過ぎなかったのだ。

 その日の晩も、祖父母が寝静まると、おれは物干し台へ出る。
 天体望遠鏡と、ペットボトルの飲み物と、携帯音楽プレーヤーを持って。
 おれが今暮らしているのは本当にド田舎だ。
 どうにかインターネットで、本やCDやゲームを買えるから耐えられるが、楽しいこととは無縁の世界だ。たぶん親父たちもそうだったんだろう。東京で住んでいた頃は、年に1回、この「じいちゃん家」に来るのもたまの旅行で楽しかったけれど……ここにずっと住むなんてぞっとする。
 あたりは田んぼしかなくて、この時間はカエルの大合唱。
 そして真っ暗なんだ。
 そのかわり……、星はよく見える。これだけが、ここで住むことになってよかった唯一のことだ。
 半年前に、事故で両親が亡くなった。
 おれも高校生だから、バイトでもなんでもして独り暮らしはできるし、なんなら高校はヤメたって構わない、と言ったのだが、そう世の中は簡単なものでもないようだ。いろいろあっておれはこのド田舎で暮らすことになった。こうなると希望は、どうにか東京の大学に受かって今度こそ独り暮らしを始められることなのだが……、それなら勉強すればいいものを、こうして夜な夜な星ばかりみているのだから、われながら困ったものだ。
 星を見るのが、おれは好きだ。
 この望遠鏡は――いつかの誕生日に両親が買ってくれたもの。天文学者にでもなるか、って親父は笑ってたけど……残念ながら学校の勉強はからっきしなおれは、その実、星のことだってそう詳しいわけじゃないんだ。ただ好きだっていうだけで。
 あれは何という星だっけ。
 ずいぶん明るい……一等星かな。この季節なら、ええと……。
 そのときだった。
 望遠鏡の視界の中を、その光の奔流が横切ったのは。
「えっ!?」
 ごう――、と。
 夜空を、それが翔ける。
 満天の星空を背景に、夜を切り裂く銀色の……あれは線路だ。その上を、一台の列車が、猛スピードで走るのを、おれは見た。
 車輪と線路が接するところに火花のような、光の粒が弾け、それが後ろへ吹き流されて、不思議な光の軌跡を描いている。
 それはあっというまに、走り去ってしまい、そして過ぎてしまえば、いつのまにか線路も消えている。
 今度は、夢なんかじゃない。断じて、ない。
 一分後。
 おれは自転車に飛び乗って、夜の中へ走り出していた。
 もちろん、今見た列車が行ったほうへ、あれを追い掛けるためだ。


~2~

 走る、走る。
 おれの自転車が夜の畦道を走った。
 さっき見た、夜空を走る列車。あれは山のほうに向かったはずだ。
 このあたりはみんな夜が早いから、あれを見たのはきっと望遠鏡をのぞいていたおれだけだっただろう。
 あれは何だったのか……、おれが夢かまぼろしを見たのでなければ、空を飛ぶ列車だなんて。おれの知っている電車ではなかった。もっと古い――でも蒸気機関車ってほどじゃない、うまく表現できないけど、クラシカルな感じで。
 なぜだか、あれを追いかけないといけない。
 おれはむしょうに、そんな感じがしたのだ。まるで、そう――、あれがおれの乗る列車だ、とでもいうみたいに……!

 おれは出がけにひっつかんできた懐中電灯をつけて、山への入口に立つ。
 あたりは真っ暗で、電灯の輪の中には、ただ鬱蒼と生い茂る木や草が浮かび上がるばかりだ。列車がどこかに停まったのなら、なにか気配があると思ったのだが……。
 ――と、そのときだった。
「きゃーっ」
 突然の悲鳴に、おれは飛びあがる。
 そして、がさがさ、と木の葉が揺れ、木の枝が折れる音。
「いったーー」
「誰かいるのか!?」
 おれは声と音のしたほうへ走り、光を向けた。
「……あ」
 そこに、ひとりの女の子が、いた。
 年齢はおれと同じか、すこし年上くらいだ。
「……きみ、このへんの人? そうよね?」
 彼女は立ち上がると(それまで尻もちをついていたのだ)、土を払い、おれに向かって訊ねた。髪も瞳も黒――いや、深い茶色なのか?――だけど、顔立ちは日本人じゃなかった。でも、話す言葉は何の違和感もない日本語だ。
「最近、このあたりでおかしなことがなかった?」
「……」
 このへんの人、とおれに聞いたからには、彼女はよそから来たんだろう。こんな夜中に、この辺鄙な田舎にどうやって来るのか。答はひとつだ。
「空を飛ぶ列車を見たよ」
 おれがそう言うと、彼女はぽかんと口を開け、それから笑いだした。
「たしかにおかしなことだけど――それは、私たちが乗ってきたんだもの」
 やっぱり。
「でも驚いた。あなた、ロストレイルを見たの?」
「おおい、アリッサ! 大丈夫か!」
 別の方向から、声がかかった。
「怪我はなかったのか……って、誰だコイツ!?」
 茂みをかきわけ、あらわれた人物に、今度はおれが口をあんぐりと開ける番だった。
 すらりと背の高い身体に、時代がかった……これまた知識のないおれには正しい呼び名がわからないが、ゲームか映画に出てくるファンタジーな国の貴族っていうか、そんな感じの服装の人物だった。それはまあいいとして……、そのひとの首から上は、「ウサギ」だったんだ。着ぐるみ? いや、仮面か?
「なんだ、停車場のこんな近くに現地人!?」
「ロストレイルを見たんですって」
「はァ?」
 ウサギ男(声は男の声だった)は、女の子の袖をぐい、とひっぱると、コソコソとなにかを囁いた。女の子がそれに答を返し、ふたりでなにか相談をしているようだ。切れ切れに、真理……とか、ディラックの……とか、司書……とかいう言葉が聞こえた。
「うん、まあ、とにかく。驚かせてしまったようだが、それも明日になったら忘れるだろう。きみは、家に帰って眠りたまえ。じゃあな、少年!」
 それから、ウサギ男はそう一方的に宣言すると、女の子と連れだって行ってしまう。
「ま、待って! あんたたち、あの列車に乗ってきたって……あれは一体」
「それが運命ならいつか乗れるわ」
 女の子が、振り返って言った。
「そうでないなら、すぐに忘れる。そういうルールだから。……私はアリッサ。もしこの名前をきみが覚えていられたら、『着いた駅で、アリッサをたずねて』。じゃあね!」
 そして、ふたりは行ってしまった。

 そんなことがあったのが、もう一週間ほどまえのこと。
 すぐに忘れるだの、覚えていられたらだの、そんなことを言われたが、あんな出来事、忘れられるわけがないじゃないか。
 そりゃあ、たしかに、次の日起きたら、昨晩のアレは夢だったのかな?と思ったのは本当だ。でも、そうじゃない証拠があって……。
 そしてそれは、夏休みがはじまる前の日のことだった。
 最後のホームルームが終わって、放課後のチャイムが鳴る。
 机の中に置きっぱなしにしていたテキストなんかも、今日は持って帰らないといけないと思って、おれは机の中のものをひっぱりだして――、そこにそれを見つけた。
「なんだ…………これ?」
 おれの持ち物ではなかった。
 いったいいつからここにあったのか。
 それは……てのひらに収まるサイズの、パスケースだったのだ。


~3~

 結局、おれはそれを家に持って帰ってきてしまった。
 最初は誰かの忘れものかと思ったが、そんなものがおれの机に入っているのもおかしい。パスケースの中身はからっぽだったが……これは普通、定期券なんかを入れておくもので、定期といえば……、そう、列車だ。

「それが運命ならいつか乗れるわ」

 あの夜、会った女の子――アリッサの声を思い出す。
「……」
 自室の机のひきだしをそっと開ける。
 ここにも何か見慣れぬものが入っていたりして、と一瞬、構えたが、特に異変はない。変わらずそこには……、「あの夜の証拠」があった。
「でもケースだけじゃなあ。定期かチケットがないと列車には乗れねーんだし」
 おれは呟く。
 そうなのだ。おれがあの列車に乗る資格があるというなら、なんでチケットそのものが送られてこないのだろう。

 その夜のことだった。
 寝苦しい夜を、おれはそっと抜け出す。自転車を漕いで、あの山のほうへ。
 何の根拠もない。ただの思いつきというのも、バカバカしいようなもので……、でもなぜか、おれは奇妙な確信をもって、自転車を走らせる。
 念のために、デイバッグの中に非常食のチョコレートやスナック菓子を詰め、ポケットには例のパスケースを入れて。
 腕時計を見れば、ちょうど、あの日アリッサたちに出会ったのと同じくらいの時刻だ。
 おれは山へと続く野原へ、駆け出す。
 手にはパスケースを握りしめた。
 いつか――、もっと小さい頃に読んだ物語のことを、おれは思い出していた。

(するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって――)

「おーーーーーい」
 おれは夜空へ呼ばわった。
「乗せてくれよお! おれが乗ってもいいんならさ!」
 それは、奇跡か、それとも魔法だったのだろうか。
 あっけないほど簡単に、それはやってきた。
 星空の彼方から、硝子の楽器のような音を立ててきらめく線路が中空に弧を描く。
 あっと思う間もなく、おれは自分の目の前の野原の地面から、みるみるうちに石や木や金属が立ち現われて、こじんまりした田舎の駅にあるみたいなプラットフォームをかたちづくっていくのを見た。
 そして、音を立てて、その列車が今できたばかりの<停車場>に滑り込む。
 夢でも見ているみたいだ。
 呆然とするおれの目の前で、扉がすっと開いた。

「……」
 車両の中には、4人が向かい合って座れるボックス席が両側に並んでいる。
 誰も乗っていなかったが、そのうちのひとつに、おれは座った。
 日本の電車ではないようなつくりだ。昔風で、たぶん、ヨーロッパかどこかを走っているような感じだ。映画かなにかで見たことがあったかも。
『切符を拝見』
「!? ……うわあっ」
 おれが声をあげてしまったのは、いつのまにか、そいつがおれを覗き込んでいたからだ。
 ひどく背の高い、大柄な――服装からすると、この列車の車掌さんだと思われる人……なのかな。顔は、なにか仮面のようなものでよくわからなかった。仮面といっても、人間の顔ではなくて、ヘンなくちばしみたいなのがあって……、とにかく妙だ。
『キップ、キップ』
 車掌さん?の帽子のうえに、これまたおかしな、鳥型のロボットみたいなものがいて、おれを急かすような声を出す。
「あ――。すみません、持ってないんです。お金払ったらいいですか?」
『……』
 車掌さんは何もいわずに、じっとおれを見る。なんだか不思議な迫力がある。
『パスホルダー、パスホルダー』
 鳥がわめいた。
「え? あ、これ……?」
 おれは手に持ったままだったパスケースを見せる。ケースだけで、定期もなにも入っていないけど。
 でも車掌さんは、それを見ると、何もいわずに、歩いて行ってしまった。
「あ、ちょっと」
 がくん、と列車が揺れる。そして、身体が浮遊するような感覚。
「え、え……」
 動き出したのだ。
 窓にはりつくと……、すでに、そこは空中だった!
 おれは下を見下ろした。ぐんぐんと地面が遠ざかっていく。おれが乗った<停車場>はもうどこにも見当たらない。

『ロストレイル1号、特別運行便にご乗車いただき、ありがとうございます』

 どこかから放送が聞こえてきた。

『当列車は、まもなく、壱番世界よりディラックの空へと離脱いたします。揺れますのでどなたさまもお席をお立ちにならないで下さい。0世界へは、約一時間で到着致します』

 がくん、と車両が揺れる。
「なんだあ」
 窓の外は、一瞬にして、宇宙空間のような、しかしそれともどこか違う、不思議な光景に変わっていた。
「……は、ははは……」
 渇いた笑いが、自然に漏れる。
 なんだかこれは――、本格的に、すごいことになってきたぞ……。


~4~

『まもなく「0世界」。<ターミナル>に到着します』

 アナウンスとともに、窓の外の風景が変わった。
 明るさに目をしばたきながら、おれが外へ目をやれば、空には地球と同じ青空が広がっている。
「すげ……」
 そして下方は、どこまでもどこまでも、永遠に続く地平線――それも土の地面ではなく、白と黒の市松模様の、チェス盤みたいな床が広がっているのだ。
 そのチェス盤の上空をロストレイルは飛んでいたのだが、しだいのその高度が下がっていく。そして旋回する列車の前方に、その<街>があった。
 なにかで見たことがある……、そんな気がした。
 どこか外国で、海の上の小さな島に建つ修道院で、世界遺産になっていた場所があったと思うが、それに似ていた。
 とにかく、チェス盤の地平に忽然と、小山のような<都市>が築かれているのである。こんもりした山の斜面に建物を密集させたような感じだったが、チェス盤の地平線には他に山らしきものは一切見えず、風景の違いはここだけだ。
 その<都市>の中腹へ、ロストレイルの線路が突き刺さるように伸び、列車が導かれてゆく。

『長らくのご乗車お疲れ様でした。<ターミナル>に到着します。お忘れ物のないよう、ご注意下さい』

 なるほど、ここが<ターミナル>。この列車の不思議な旅の終点というわけだ。
 列車が滑り込んだプラットフォームは、これもヨーロッパ風のたたずまいだった。
 湾曲した高い天井はガラス張りで、構内は明るい。10以上のプラットフォームが並ぶ、大きな駅だった。
 そこに――さまざまな風体の旅客たちが行きかっているのを、おれは見た。
「……」
 もう驚かないぞ、と思っていたが、やはりそれは不思議な光景だ。
 背中に翼をもつもの、直立したドラゴンのような人、時代劇から出てきたような和装の人物、RPGそのものの剣士のような人……、それに混じって、スーツ姿のサラリーマンみたいな人まで歩いているから面食らってしまう。
 おれは改札へ向かった。
 そこに、さっきの<車掌さん>がいた。
 いや……、別人だったのかもしれないが、見たところまったく同じ姿の人がいる。
「あの――」
 からっぽのパスホルダーを見せると、しかし、ゼスチャーで通っていいと云ってくれた。

 改札を抜けて石畳の上をすこし歩けば、駅前には広場があって、ここにもさまざまな人々が集っていた。
 町並みは、ヨーロッパのどこかの町、といった感じだ。
 その家々のあいだを、市電みたいなちいさな一両だけの列車が(あれ、一両だけだと列車って言わないのかな?)通っていて、どうやらこれが街の交通手段らしい。自動車はどこにも見当たらなかった。
「あの、すいません」
 おれは、傍に立っている人に話しかける。
 なるべく「普通の人間に見える人」に話しかけたつもりだったが……たしかに異形なところはどこにもないが、そのかわりちょっとこわもての男の人だった。長身のがっしりした体格の人だ。なんだ?と返される視線に思わずたじろぐ。
「アリッサって人、知ってますか?」
 おれは訊いた。
 ――着いた駅でアリッサをたずねて。
 彼女はそう言ったのだ。
「……。あのアリッサのことか」
「知ってるんですか!?」
「図書館に行ったらどうだ」
「え?」
 男の人が指さす方角へ、おれは視線をめぐらす。
 この街はわりと急な斜面に建っていることは述べたとおりだが、それはたぶん都市の頂点にあたる場所だった。山でいえば頂上だ。そこに、丸いドーム型の屋根を持つ大きな建物が見える。
「ごめん、待った!?」
「遅い」
「行き先がブルーインブルーでしょ。支度をしてたの」
「もう列車が出るぞ」
 そのとき、男の人の連れらしい女の人が駆けてきて、ふたりはさっさと改札へ歩きだして行ってしまった。
 見送るおれは、男の人の幅広い肩のうえに、奇妙な生き物が乗っているのを目にする。なんだろう、あれ。フクロウに似ているが、鳥だろうか。そいつが、くるりと振り返って、丸い目でおれを見た。

「……さて」
 おれはもう一度、遠くの建物を見遣る。
 次の目的地は決まった。
 あの場所まで、歩いていけるだろうか。それともあの市電みたいなもの、このパスホルダーで乗れるんだろうか。とにかく、歩きだしてみよう。おれの冒険は、始まったばかりだ。


~5~

 とても天井の高い、吹き抜けのホールだった。
 何階あるんだろう。どの階も、壁はすべて本棚で、びっしりと本で埋まっている。何本かの、吹き抜けを渡る渡り廊下が、天窓から差し込む光の影を落とし、ホールの床に幾何学的な模様を描いていた。
 ホールの一階には、閲覧用の長椅子と机が円形に配置されていて……そしてその中央に、それがそびえたっていた。
 たくさんの歯車や、よくわからない部品で構成された機械の塔だ。
 オブジェかと思ったが、操作盤のようなものもあるし、機械の上を明滅し、移動する光を難しい顔でにらんで、なにか記録を録っている人もいるので、なにか意味のあるものなのだろう。

「お待たせしました」
 声に振り向くと、女の人が立っていた。
 駅前からは、例のパスホルダーを見せれば、市電に乗ることができた。出会う人は皆親切で、おれにこの場所までの行き方や、着いたらどうすればいいかを教えてくれたのだった。
 だから、聞かれるままに名前などを答えていくうちに、おれの<パス>ができあがっていた。
「これで貴方は壱番世界とこの<ターミナル>を往復できます」
 女の人は白い髪に、浅黒い肌、青い瞳の、一見して何人がわからない人だった。美人だけど、まったく表情がかわらない。とっつきにくいけど、べつに怒っているわけではなさそうだった。
「このパスホルダーはなくさないように。なくすことはないでしょうが」
 今いち謎めいたことを言って、女の人はパスホルダーにおれのパスを入れてくれる。
「あの……、このパスケース、知らないうちにおれの机に……」
「『チャイ=ブレの悪戯』とわれわれが呼んでいるケースです。時々そういうことがあります。普通はここで登録時にホルダーも手渡すのですが」
「???」
「知っておくべき情報はこのノートにも記載されています。あとで読んでおくといいでしょう」
 黒革の表紙の手帳が一冊。なるほど、これが取扱説明書か。
「あとはトラベルギアですが、すこし時間がかかるので待っていて下さい。用意できれば呼び出します」
「……はあ。あの……アリッサって娘はここにいるんですか?」
 そのときはじめて、女の人の目に感情らしいものが宿った。
「貴方はアリッサと――?」
 おれは事の次第を説明した。
 そうしたらここで待つように言われたのだった。
 それから、女の人がおれを呼びに来て、しばらく連れ回される。
 長い廊下をぐるぐると歩き、騒々しい音を立てる鳥籠みたいなゴンドラを乗り継ぎ、足が埋まりそうな絨毯の廊下を歩いた果てにある、大きな扉がノックされた。
「飛田殿をお連れしました」
「入って!」
 声がした。あの娘だ。
 だけどドアが開いたところにいたのは、大柄な男の人だった。
 女の人が一礼をして、下がる。ここまで、ということだろう。おれだけが部屋に招き入れられた。
 執事、っていうのかな……、男の人の服装はそういう感じだったけど、体格は格闘家みたいで、顔つきは厳めしいおじさんだった。
「本当に会えたね! びっくりしたあ」
 そして、アリッサが、そこにいた。
 窓を背にした大きな机、大きな背もたれのある椅子にちょこんと腰かけていたのを、おれを見て、ぴょこりと立ち上がった。
「もう登録は済んだの? 歓迎するわ。ようこそ<世界図書館>へ! 私が館長代理のアリッサ・ベイフルックです。よろしくね」
「あ――ええと……、おれ、アリオ……。飛田有生っていうんだけど……」
「アリオがファーストネームね? いいわ、座って。お茶いれるけど、何がいい?」
 彼女はよくさえずる小鳥みたいだ、と思った。
「お茶……えと、何が、って?」
「……。アールグレイをお願い」
「かしこまりました」
 紅茶の種類を聞かれていたのか。おれが要領を得ないので、アリッサは勝手にそう決めて、執事の人に命じた。なんだかそういう――人に命じることにすごく慣れた様子で、この部屋の様子も豪勢だし……そうだ、たしか「館長代理」と言っていたっけ。もしかして、この娘って、エライ人だったりするんだろうか?
「あ、そうだ。おれ……、あの晩、これを拾ったんだけど……きみのじゃない?」
 おれはポケットからそれを取り出した。
 あの晩、消えたアリッサたちが夢ではなかったことを確かめるように、懐中電灯をあたりに向けている中、おれが見つけたものを。
 それは銀の鎖の懐中時計だった。
「あーーっ!」
 アリッサが大声をあげた。
「そっか、あのとき落としたんだ! 拾ってくれたのね、嬉しい! おじさまに貰った大事な時計だったの!」
 彼女の喜びようと言ったらなかった。
 それならおれも拾った甲斐があったというものだ。紅茶が運ばれてきたが、そっちのけで彼女は何度もお礼を言うのだった。
「本当に感謝するわ。なにかお礼をしなくっちゃ。そうだ、特別チケット発行してあげる」
「お嬢様」
 執事の人がたしなめるような声を出したが、アリッサは応じなかった。
「どこでもいいよ」
「何が……?」
「行き先。聞いてないの?」
 アリッサは、自分の机の上から、その模型を取って、おれに見せてくれる。ホールにあった機械の、ミニチュアのようだった。円盤状の部品がたくさん重なり合って、塔のようになっている。
「ここが<0世界>。そのひとつ上が、あなたや私がいた世界――<壱番世界>。他にも数え切れないくらいの世界があるわ。ロストレイルに乗れば、どこへだって行ける」
 それから――
 彼女から聞いた話に、おれは開いた口がふさがらない、といった風だった。
 正直、一度ではすべて把握し切れなかったし、あの不思議な列車に乗ってさえ、まだまだ信じられないことだらけだった。
 でもそのとき、おれはもう、手に入れてしまっていたのだ。
 無限の冒険の旅へと出るための列車のパスを。

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン