ハシリガメ。上下に平たい四肢で、前足を櫂のように使って海を泳ぐブルーインブルーの海洋生物である。人を背中の甲羅に乗せられそうなくらいに大きく、見た目としては壱番世界で言うウミガメ類に近いだろうか。普段は海を泳いで陸で見られる事は無いのだが、一年に一度だけ産卵の為に海岸に上がって来る習性を持っていた。 その数日間掛けて砂浜の中に産み落とされた卵は、満月の夜の満潮に一斉に孵化し、生まれたばかりの子ガメ達は競うようにして海へ旅立っていく。何十、否、それ以上の小ガメが砂浜を走って海へ向かっていく姿は物珍しいものとしてブルーインブルーでは知られている。生態もまだ解明されていない事が多く、専門の研究者も居るようだった。「でね、皆には海軍の方からそこに行く調査の人の護衛をして貰いたいっていう依頼が来ているんだけれど……調査する人が言うにはね、その子ガメさん達がちゃんと海の波に乗れるように御手伝いもして欲しいんだって」 導きの書に挟んだチケットを取り出しながら、世界司書のエミリエ・ミイが話を切り出す。 生まれた子ガメ達は、砂浜に出ると母なる海へ向かって這うようにして走る。だが、卵が産み落とされる距離は満潮時の時でも生まれたばかりの子ガメ達には辛い距離で、海の波に乗れるどころか逆方向に行ってしまったり、無駄な迂回をして力尽きてしまう事も多くあるのだという。「子ガメさん達も、海際まで誘導してくれる人達が居てくれると心強いと思うんだ。でも、子ガメさん達はいっぱい居るから、行ったり来たりして大変かもね」 ハシリガメ、の由来はこの孵化後に海へ旅立つ為に砂浜を走っていくから、というものなのだが、普通のカメと同じ這いずり方なのにその速さは比ではなく、成人男性がダッシュする速度とほぼ同じなのだという。子供の内はそれよりも多少遅いらしいが、一晩の内に一斉に孵化をして海へ行く、という性質から産まれて来る数も半端ではなかった。 更に加えて言うと、生まれたばかりのハシリガメを狙ってカモメを始めとした鳥が大量に集まって来るらしい。今回、それについてもそれらの鳥達から調査に赴く研究者は勿論、子ガメ達の方も守って欲しいという要望が来ていた。「鳥さん達は大きくて目立つ物に優先的に向かっていくんだって。クチバシでつつかれちゃったら痛そうだね。あっ、でもね、あんまり乱暴な事はしちゃ駄目だから気を付けてね!」 幾ら子ガメ達を守る為とはいえ、あまり派手な荒事はしてはいけない。調査をする研究者の護衛も念の為という事で、実際の危険は無いに等しいらしい。その意味を込め、エミリエはトラベラー達に念を押す。 ロストレイルに乗車し、現地に辿り着くのはちょうど子ガメ達が孵化する満月の日。この日は夕方から他の人間は出入り出来ないように配慮がなされるらしいので、人目を気にするような事も無いようだった。「大人のハシリガメも海の浅瀬に沢山来るみたいだから、上手く子ガメさん達を海まで誘導出来たら、背中に乗せてくれるかもしれないね」 それじゃ頑張ってね、と最後に付け足した後、エミリエはトラベラー達を送り出した。
何処までも続いていきそうな水平線に、赤い色をした夕陽が沈む。太陽が沈み、鮮やかな夕暮れの景色が見えるのも束の間、入れ替わりに昇る月と共に夜陰が廻って来る。 まだ少し日中の暖かさが残っているのか、通り過ぎて行く風は生温い。けれども昇り行く蒼褪めた月の光が、今が夜であるという事を示していた。 「ここがブルーインブルーだあね!」 昼間の抜けるような青空にも似た、明るい声をヤムイダ・アテモクは上げる。 覚醒したばかりで、今回が初めての依頼であり、冒険。そう思うと、俄然と気分も盛り上がって来るもので。ロストレイルに乗っている時もそうだったがいざ此処へ着いてからでも、治まらぬ興奮に思わずヤムイダは砂浜を走り出す。そのはしゃぎようは、今から元気が有り余って仕方無いという様子だった。 その様子に同行する事になった研究者は今から大変だろうにと些か心配そうにヤムイダを見遣っているも、他のロストナンバーは特にそうでもないらしい。砂浜の片隅、恐らく子ガメ達は居なさそうな砂地ではディガーがざっくざっくと砂音を響かせながら地面を掘っていた。 「おっ、もう早速やり始めているんだな」 海の中に入って濡れる事を考慮した相沢 優が衣服を脱いで尋ねると、ディガーが一度地面を掘る動きを止めてから、今度は掘った場所を埋め直し始める。単にちょっと時間があったから掘っていただけとは顔には如実に出ていても、口には出されなかった。 そんなディガーの様子を相沢は少し不思議そうに見ていたものの、特に詳しくは突っ込まずに砂音を立てる地面の方へ向ける。そこから指先を足元からゆっくりと上へと移動させていった。 「あのさ、砂浜に大きな像を作らないか? 鳥達は大きくて目立つものに向かっていくってエミリエが言っていたから、それで案山子みたいに注意を引けないかと思ったんだけどさ」 「それなら土台の砂、ぼく掘るね」 提案には異論無いらしく、ディガーは埋め直していた地面をまた掘り始める。掘ったり埋めたりと何とも忙しない限りだが、ディガー本人も傍から見る限りでも幸せ感一杯なので止める事はしないまま、相沢は砂浜を駆けていたヤムイダを呼び止めて先程と同じ提案を告げてみた。 「面白そうだあね! ハシリガメさん達が出て来る前に、作っちゃおう!」 「あぁ。気合入れて子カメ達を無事に海まで送り届けるぜ!」 双方の了承が得られて相沢が力強く頷くと、ヤムイダは研究者の方へ振り返る。 「ねぇねぇ、『ハシリガメ』ってどんな習性があるの? あたし達が聞いた他にも、何か無いかなあ。ハシリガメさんに光を目指す習性とかがあったら、ちょっと困っちゃうもん」 「そうか、確かにそうだよな」 現在は夜間、建てられている灯台とは距離がある為と家々も無いので何も無いと結構暗い。満月なので月光の明かりは周囲を仄明るく照らすには充分だが、それでも何かしらの照明は持っていた方が良いだろうか。しかし、それで誘導する心算の子ガメ達が混乱してしまってはいけないだろう。 その事を憂慮したヤムイダの問い掛けだったが、研究者に依ればハシリガメには確かに光に集まる習性があるとは言えるが、どちらかといえばそれよりも「動くもの」に対して寄っていく傾向があるのだという。 子カメ達を狙うカモメの方は「動くもの」に限った訳ではないようだが、大きく目立つものに対して注意が行く事は子カメ達と変わらないので狙いが重複する事があるだろう、と誘導をしてくれるというトラベラー達に向かって研究者が答えた。 ヤムイダが他に何か行動する上で注意する事は無いだろうかとも訊くと、研究がまだ進んでいないので分からない事もあるがとりあえず今の所では無いだろうと答えが返って来た。 「土台の砂、たくさん盛ったよ。形とか、作りやすそうな所を選んだんだけど如何かなあ」 「うわ、すごいな。これなら結構大きいのが作れそうだ」 「まだまだ掘れるよー」 寧ろ、何も無くても掘る心算ですと言わんばかりでディガーは山盛りの砂を盛り、相沢はよし、と一息ついてから砂の像を作り始める。 砂はまだ少し温かさを含んでいたが、触る分には火傷をする事も無い。ディガーが上手い事形作るのに苦労しない所の砂土を選んで掘り盛ってくれたので、型崩れを起こすのも最小限で済んでいる。相沢を手伝うヤムイダも、砂を固める為に海から水を掬って来る事をしてせっせと像作りに励んだ。 足は作り難いので、足の部分は無く胴元も棒のようにストンとそのまま。ただそのままだと少し寂しい為に簡単な手を作ってみて、頭もてっぺんの部分は丸くする。何となく丸い目と口を指先で突いて作ってみた所で、不意に何か違うと気付く。 一体だけでは目立ち難いだろうか。ちょうどディガーが盛ってくれた砂土に余裕もあったので、もう一体像を作ってみる事にする。 今度は人のような形ではなく、馬にしてみよう。先に作った人っぽい像の横に、今度は馬を模した像を作ってみる。足は四本、尻尾は長くなく短く。鞍のような形や少し凝って馬鈴みたいな形も作ってみて―― 「……あれ?」 作ってみた二体の像。これは何だか、埴輪のような。しかもこっそりと馬型と馬飼型のセットなものだから、恐ろしい偶然だ。 若干場所と時代を間違えたような様相になった気がするが、まぁこれなら目立つだろうと相沢は首を傾げながらもスルーする。ヤムイダとディガーの方も、「変わってるね」という感想でその辺突っ込まれないままだった。 そうして相沢が出来た埴輪、もとい砂土の像に持参して来た灯りを周囲に置き始め、掘る事も無くなったディガーはそわそわと周辺の足元を見回す。 「掘りたいけど……ここはカメさん達の場所だから……今日は我慢するよ……!」 着いた時は居なさそうな場所ではあったがうっかり掘ってしまいつつも、そこはそれとして本人としては真面目に一大決心。 けれどもしっかり前半部に本音が出てしまっている上に、先程像を作る時に掘った感じは悪くなかったし、やっぱり掘りたいので視線が頼りなくあちらこちらに彷徨ってしまう。 「如何したの?」 「え、えっと、うーん……海と反対に砂で壁を作れば、少しは誘導しやすいかな? 結局掘りたいだけとか、そういう訳じゃないよ? ……本当だからね!?」 ヤムイダに問われてふと思い付いた事を言うが、その後はしっかり本心がだだ漏れになっていた。掘りたいだけ、というのは勿論違うが、でも掘りたいという意識は否めない。 少し声を大きくさせながら慌てて言うディガーにヤムイダは目を瞬かせていたが、海とは反対方面の所を見て名案だと大きく頷いた。 「ヤムイダ達だけじゃ、ちょっと遠くに行き過ぎちゃった時に大変になっちゃうもんね」 掘りたいとかその辺の事は追及されないままだった。なので、ディガーは今居る所から掘るべく……否、壁を作るべく海とは反対側の陸へシャベルを肩に担いで向かう。 その頃には相沢も像の周囲に灯りを配置し終えた所で、足元の地面を見遣る。 「亀の孵化か……産卵とか、壱番世界のテレビで観た事あるけど、実際に自分の眼で見るのは初めてだ」 自然系のテレビ番組だと、結構取り上げる回数も多い気がする。このブルーインブルーでも、同じ光景が見られるのだろうか。 そう思っていると、先程までは歩くと砂音を響かせるだけだった地面が何やらもぞもぞと動いている。それを不審に思って見つめていると、やがてひょっこりと顔を出した小さくつぶらな瞳と目が合った。 「あっ、出て来たんだあね!」 相沢とは少し距離を取った所に居たヤムイダが、そう声を上げる。その声につられるようにして周囲を見渡してみると、あちこちから子ガメ達が砂の中から出て来るのが見えた。 「よし、タイムも協力頼んだからな」 肩口に乗るセクタンのタイムに告げると、タイムはぴょんと跳ねてやる気を見せるように応える。その様子を相沢は頼もしげに見遣った後、ホイッスルを取り出した。 吹き口を口元に添え、吸い込んだ息を吐き出すとピイッと甲高い音が鳴る。何度か吹いて音が出るか確かめていると這い出て来た子ガメ達も、音に反応したのか此方に注意を向けている気がする。更にそのホイッスルの音を規則的に響かせ、更に念の為に子カメ達に向かって手を振って海の方に走り出すと子ガメ達も一斉にその後を追うようにして走り出した。 セクタンの生み出した炎が揺れ、ピッ、ピッ、とホイッスルが鳴る音が響くと共に砂浜を駆けていく。 司書からの情報にあったように、まだ子ガメとはいえ走る速度は思った以上にあるらしい。先導のようにも、下手すると子ガメ達を引き連れての海岸トレーニングに見えなくもないかもしれない。 服の下には予め水着を着ていたので、少し高くなった海の波が掛かっても濡れる事は考慮しない。寄せた波が大分近付いていた子ガメ達を攫っていくと、子ガメ達も波に乗るようにして櫂のような手足を動かして海を泳いでいく。 無事に波に乗って旅立っていった事を確認しつつも、当然の事ながらこれで終わりではなく。海の方から陸に視線を戻すと、海とは反対側に向かっていく子ガメが見えた。 頭上に鳥の鳴き声を聞きながら、相沢は別方向に行く子ガメの方へ僅かに海に浸かって飛沫を散らす足を駆け出させる。別方向に行くにも海側に走っていくのと同じ速度で進んでいる為、追いつくのも結構大変だ。 「行くのはそっちじゃなくて、こっちだからな」 諭すように言い、子ガメに追い付いた相沢は両手で子ガメを一旦持ち上げてから正しい方向に戻す。そしてホイッスルをピッと鳴らすと、今度は間違えずに子ガメは海の方へ走り出す。それを見送ってから、確認するように天を仰いだ。 既に高い位置に昇っている満ちた月を浮かばせた夜空に、頭の上で聞いた鳥の鳴き声が示すように鳥達が飛んでいる。毎年、この時にこういう事があるのを知っているのだろう。僅かに視線を移動させると、先に作っておいた埴輪もとい砂土の像がつつかれて完成した時よりも少々悲しい事になっていた。 元より注意を引く為に作ったのだから仕方無いとはいえ、少しばかり物寂しいものを感じつつ、新たに子ガメ達の誘導をする為に相沢は止めていた足を再開させる。鳥達の方に意識を向かせていた事と動いた所為か、鳥達が相沢に向かって来た。 「もう少し、あとちょっとだあよ!」 一方、ヤムイダの方も子ガメ達が顔を出して来たのでその誘導をしている。 ぱたぱたと未発達な手足をもがくようにしながら子ガメが砂から這う様子に若干実況気味な応援を送り、たとえ言葉は通じないとしてもその力になれたら良いと願う。 親ガメ達が産卵する時に互いの邪魔にならないように距離を開けているのだろう、一定の間隔を開けて地面から子ガメ達が次々と顔を出して来る。ヤムイダは地面に目を遣り、這い出て海に向かって行く様を見守っていたものの、此方も海の方向が分からずにおかしな方向に向かっていこうとしている子ガメが居る。 砂の中から出て来たばかりで、方向が分からなくなっているのだろうか。勿論そのままなどにはせず、ヤムイダは違う方へ走って行こうとする子ガメの先回りをする。 「お父さんお母さんは、あっちだあよ?」 そっちではない、と子ガメをそっと抱え上げて海の方向へ向きを修正させる。指先でまだそれほど固くない甲羅の後ろの方を突いてやると、子ガメは背を押されたようにして母なる海の方へ向かい出した。 その子ガメの後ろ姿に頑張れ! と密やかにエールを送り、ヤムイダ自身も他の子ガメ達を誘導して海岸を走る。 ほとんどの子ガメはハシリガメの名の通りに素早く海の方まで辿り着いて海に飛び込んでいくが、ふと何気無く廻らせた視界の端によたよたと頼りなさそうな足取りで這っていく子ガメが見えた。 砂を掻き分ける力が弱ってしまっているのだろう。あのままでは、海にまで辿り着けない。ふと心配になって、ヤムイダは其方に向かって駆け出す。 「仕方無いなあ、もう!」 なるべく自力で頑張って欲しいけれど、今回は特別サービス。 弱々しげな子ガメを抱え、そのまま海へ走る。だがその途中、ヤムイダの方にも子ガメ達を狙って来た鳥が向かって来た。 「この子たちはお父さんお母さんを探しに行くの!邪魔しちゃだーめ!」 子ガメは抱えつつも、手の甲のトラベルギアを擦る。カチン、と独特の音がすると同時に、周囲にぱっと火花が散った。 驚かすだけなので、攻撃する心算は無い。同時にカメを狙う鳥達を手で追い払いつつ、海際まで辿り着く。 海からは流石に走ってはいけないので抱えていた手を離すと、陸を走る事は苦手だったようだが上手く波に乗れた御陰で子ガメは海の波間に悠々と手足を動かしながら消えて行った。 「後は自分で頑張るんだあよ! ファイト!」 海の中に消えていった子ガメに向かって言いながら、まだまだ居る他の子ガメの方へ向かう。その途中、擦れ違い様にディガーに手を振るとディガーもシャベルを持っていない方の手を振り返した。 「そっちじゃないよーこっちだよー」 走って、また走る。子ガメ達に呼び掛ける口調は緩やかながらも、足はしっかりダッシュ。少し足を取られかねない砂浜でも、平地と同じように走り込む。 常に片手に持ったトラベルギアのシャベルの金属部分が満月の淡い光に反射して銀色に閃き、それが標のようになって子ガメ達を導く。 蒼白い月光に照らされるシャベルもさる事ながら、相沢やヤムイダと比べると体格は割と良い方。つまりその分、目立ちやすい上に鳥達にも狙われやすくなるもので。当たり前のように、そして若干おまけ感のある数の鳥達がクチバシでディガーを突っつく。 「いたたっ……」 鳥達は生来それ程凶暴な訳でも無いらしいので、悲惨な事になるような事は無いがそれでもクチバシでつつかれたら痛い。傍目、鳥達と戯れているようにも見えなくもないが実際の所はそうでもなく。突っつかれて些か眉を下げながらも、ディガーの方から何か反撃をする事は無い。 「鳥さん達も、お腹が空いてる訳だよね……」 お腹空くと悲しくなるよね、掘れないと悲しくなるよね……とは思いながらも、やる事はやらなければならない訳なので砂浜を踏み締めながら子ガメ達を誘導する。 それで何度目かの往復、体力は有り余っている方なのでまだ余裕を残している所で、海際から陸地の方にまた子ガメ達を誘導しようと走って来ると海から反対側の陸を見てふと首を傾げた。 誘導しやすいように、海とは反対側の陸地に掘って作り上げた壁。こんもりと盛った其処はちょっとしたバリケード代わりにもなっているようだったが、その壁の下で何やら動いているものが居る。 不思議に思って近付いて見てみると、其処では子ガメが賢明に壁を越えようとしている所だった。 砂で出来た壁を越えた所で、其方は海とは反対側なので海に辿り着く事は出来ない。それでもいじらしく掘るようにして前後の手足を動かしている子ガメの様子に、ディガーはシャベルで壁を作っていた砂土とその上に居る子ガメごと掬い上げた。 子ガメが地面に落ちてしまう前に身体の向きを変え、シャベルを下ろして手前に引く。すると、子ガメの向きはちょうど海側を向くようになる。それからシャベルの先端で少しだけ子ガメを押してみると、子ガメは海の方へ一目散に走っていった。 「元気でねー」 そして、いつか掘りに帰って来て欲しいとも思う。多分、あの子ガメ達が大きくなったらまた砂浜に戻って来るのだろう。 そんな思いを馳せつつ、そろそろ残りの子ガメ達も少なくなって来た事を確認してからもうひとっ走り。シャベルを持ち直し、十数匹かの子ガメ達を引き連れて海の波の流れに任せてやる。それで陸の方を振り返ると、同じく子ガメ達の引率をしていた相沢とヤムイダもちょうどタイミング良く寄せた波に子ガメ達を送り出した所だった。 「他に海に行っていない子達は居ないみたいだあね!」 良かった、とぐるりと海岸を見渡したヤムイダは、小さく安堵の息を吐く。 無事に送り届けられたけれど、何だか応援したくなったり、逆に心配してしまったりだった。 ――ヤムイダのお父さんお母さんも、こんな気持ちだったのかな。 その時の立場になってみないと、分からない事もある。幼かった自分を、そして多分今も、応援してくれたり身を案じてくれているのだろうかと。寄せて返す波の音と共に少しだけ両親の事が気掛かりにもなりながら、自分自身を顧みてヤムイダはそう思う。 「何とか、子ガメ達を送り出せて良かったな」 「二人とも、鳥さん達に突っつかれて大変そうだったもんね」 「うん、ちょっと痛かったなぁ」 「流石に、これは痛いっていうのは防いだけどな」 体力はある心算だが後半辺りで疲労してしまいつつも安堵と嬉しさを滲ませて穏やかに相沢が言うと、ヤムイダは相沢とディガーの二人を示す。 明らかにこれは痛いだろうというものは自衛の為にトラベルギアで防いだものの、それ以外は鳥達に危害を加えてはいけないので使用を控えていたので多少つつかれてしまった事を明かして相沢は肩を竦め、ディガーはもう引き上げていったらしく鳥の姿の見えない夜空を仰いでのんびりと答える。 それから子ガメ達の去って行った海の方を見遣ると、海には子ガメ達を迎えにも来ていたのか大人のハシリガメ達が面々の方を黒々とした目で見つめていた。 「えっと……?」 「もしかしたら背中に乗せて貰えるかもしれない、って言っていたよな。折角だし、乗せて貰おうぜ!」 言葉は通じないが、その意味は伝わったと思いたい。のそのそと鈍重に身を動かして近付いて来たハシリガメの甲羅を触ってみると特に嫌がる様子も無かったので、大丈夫だろうと判断して思い切って背中に乗ってみる。 背中の甲羅は厚く固く、子供の時よりもその硬度は比べ物にならない。大きさも子ガメは両手で持ち上げられる程だったが、大人のハシリガメはその何倍もの大きさでこうして背中に乗っているという事実が示すように人間一人分くらいは楽に持ち上げられてしまう程だった。 「わ、っと……こんな風景、なかなか見られないよな」 乗っているのはカメの背中の上だが、ハシリガメの方が考慮しているらしく揺れはあまりない。陸からは見られない、けれども船の上から見るのとはまた違う景色に、相沢は思わず感動に声を上げる。先程まで砂浜を走っていたので疲れはあるが、それも束の間忘れてしまいそうだった。陸の砂浜を見てみると、鳥につつかれた所為でところどころがちょっと寂しくなっている埴輪っぽくなった像が見えて何となく微笑ましくなる。肩に居るセクタンのタイムも、嬉しそうに飛び跳ねていた。 歓喜しているのは相沢だけではなくこっそりと便乗して乗せて貰う事になった研究者の方も同じのようで、絶えず記録を取っている様子をディガーが興味深そうに見つめた。 「研究者さん……カメさんの何を研究しているんだろう……掘り方? やっぱり掘り方なのかな?」 その呟きは、生憎と言うべきなのか届く事は無い。多分掘り方を研究しているんだよね、という結論に済まされたまま、ハシリガメの手足を見る。ハシリガメの手足は水を掻き出す為に櫂のようになっているが、同時に産卵時に砂を掘りやすいようにも出来ていた。 「これで掘る訳だね……。海に住んでるのに、わざわざ砂浜を掘りに来るなんて……なんて素晴らしいカメさん達なんだろう」 ハシリガメの手足を真剣に見つめながら、深い親近感を滲ませてしみじみと呟く。あの子ガメ達も何年か経ったら、大人のハシリガメのように砂を掘る立派な手足になるに違いない。 大人のハシリガメを見ているので視線を下に向けているディガーとは対照的に、ヤムイダはのんびりと海際辺りを回遊して貰いながら一番高い場所から高度を落としている満月を眺める。 「お月さんに見送られて、皆どこ行くんだろーね」 ふと漏れた疑問。大人になったら一度また此処に戻って来るだろうが、それまで何処を目指して何処へ行くのだろう。 研究者に訊いてもその辺りはまだ詳しくなっていないようで、相沢は分からない、と首を緩く首を振りながらも言葉を紡ぐ。 「何処に行くのかは分からないし、自然は厳しいけど、立派に成長してまた次に命が続いていけば良いな」 海には、危険も多く潜んでいる。けれどもその中でも、強く――無限の海洋を生きていけば良いと願った。 了
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