行き交う人々のざわめきが絶えることはない。 森を吹き抜ける風が木々を揺らすように、この街を駆ける風は常に新たな変化を人々に与え続けていた。 一大歓楽街として知られるこの地には、ファッションにスポーツ、賭博やショーなど、ありとあらゆるものが最新鋭の設備と体制で以って混在している。無論レストランに関しても、一流処が軒を連ねていた。 人は絶えず流れ続け、或いは狂喜し、或いは落胆し、或いは怒りに震え――街は興奮と活気に満ち溢れていた。 「おぉ、あれがパレス・タワーか!」 天を穿つようにするりと伸びる建物の群れ。 街頭モニタに映し出される巨大広告。 つるんとしたボディに幾つもの光を弾き、人々の移動用機が風を切るように進んでいく。 「あれがレーザ・アモンド! 実物を見るのは初めてだが、すごいものであるな!」 ありとあらゆる音が見上げた空に反響し、次々に吸い込まれていく。 その煌びやかな街並みに些か興奮したように街を眺め歩くのは、巨大な男――ごつごつとした兜に覆われた頭部。下半身を覆う無骨な鎧から伸びるのは、筋骨隆々として逞しい上半身。その日に焼けた褐色の肌には幾つもの傷痕を残し、雄々しいというよりはまるで獣の如き風格をもっていた。 「あれはきっと最新モデルね」 一方。その傍らにちょこんと立っているのは、男の二廻りも三廻りも小さく華奢な身体をした黒髪の少女だった。 「ふむぅ、最新モデル……」 「ガルバリュート、私あの店のクレープが食べたいわ」 少女の指差した店を一瞥し、ガルバリュートは大きな溜め息を零して首を横へ振る。 「そんなに甘いものばかり食べていては太りますぞ、姫。もう少し経ってからにしませぬかな」 パフェにたい焼き、めろんぱん。ソフトクリームにクリームソーダにクリームあんみつと、ガルバリュートはこの街に到着してからの姫の食道楽っぷりを心配していったのだが――。 「失礼ね、太っているのはアンタじゃないの」 「なにを仰られますかな、これは拙者が丹念に鍛え上げた努力の結晶、屈強な筋肉の塊ですぞ!」 見よこの大胸筋! とばかりに道端でポージングするガルバリュートに、姫は、はぁと小さな溜め息を零した。 「それにしても、流石にアルガニアとは違うものであるな」 「そうね。とても賑やかで物に溢れた場所だわ」 ここは彼らの出身であるアルガニアより余程発達した場所だ。 街を歩けば人の交通量も多く、目にするのは真新しく珍しいものばかりだった。 「どうかな、姫。お忍びで来て正解だったであろう」 気分転換に丁度良い賑やかな街だ――周囲をぐるりと見回し振り返ったガルバリュートは、一瞬何が起こったかわからず目を瞬いた。 おかしい。 たった今隣にいた筈の、姫の姿がない。 「はっ!?」 ――またか。 ガルバリュートはきょろきょろと周囲を見回しながら、もう何度目か知れぬ姫探しを始めた。 「まったく、危険な場所も多いというのに」 ぼやきながら辺りを見回す。 周囲よりも頭一つ分飛び出るほどの高い身長は、こういう時に役に立つ。彼を探す者からすれば良い目印になるし、ガルバリュート自身皆よりも少し先の景色を目にすることができるからだ。 「やや、あの兜……何たる流線美、素晴らしい!」 全面硝子張りの建物の中で、甲冑を身に纏った人が入れ代わり立ち代わり舞台を歩き回っている。 掲げられた『今夏新アイテム 甲冑ファッションショー』の文字にガルバリュートの瞳が爛々と輝いた。 「ぬう、こうしては居れぬ!」 流石は大歓楽街。漢のファッションアイテム・甲冑に至るまで最先端とは。 ガルバリュートはうずうずとしながらファッション会場へと乗り込んでいった。 建物の中へ入るなり、オォオと地の底から湧き上がるような低い歓声が空気を震わせる。ライトを落とした観客席は薄暗く、数多の光を燈す舞台が一際煌びやかに輝いて見えた。 「ほほう、実に良い素材を使っているようであるな。輝きが違う」 光の中を甲冑を纏った人物が大胆且つ華麗に雄々しく歩き回る。 ガシャン、ガション、ガション。 ポージングを決めるその姿に、ガルバリュートの瞳が剣呑な輝きを帯びた。 「なんだそのポージングは! 点でなっておらん!」 裂帛の気合と共に舞台へと駆け上り、ガルバリュートが勢いのままにポージングを決めまくる。 「真のポージングとはこうである! こうである!!」 「お、お客さま、乱入されては困ります……っ!」 慌てて止めに入った係員が、蒼褪めた顔をして舞台下で何か叫んでいる。 ガルバリュートはオォオと低く呻る観衆の声を耳にしながら、心地好くポージングしていたが――。 「姫!」 窓硝子の向こう、探していた姫が見知らぬ男に声をかけられているではないか! しかも姫は何やら困ったような表情でいる――ナンパか、カツアゲか、それとも怪しい商品の押し売りか! とにかく間違いなく不埒な輩に違いない! ガルバリュートは怒涛の如く駆け出すと、一直線に会場出入口へ向かった。 「そこの貴様っ姫に手を出すとは何事かぁああ!」 びりりと空が震える。 硝子を突き破らん勢いで突っ込んでいったガルバリュートは、特殊強化硝子を前に無残に敗北した。 しかしそれでへこたれるような男ではない。ガルバリュートはびたーんと顔面を打ちつけながらも窓硝子へと張り付き男を見遣る。 そのあまりの勢いに、男は驚嘆したように飛び上がった。 「なっ何だこいつッ!?」 「我が名はガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード! アルガニアの誇り高」 「アンタそこでなにやってんのよ!」 「おふぅ……っ!」 しっかりと出入口から廻り込んだ姫が、もの凄い勢いでビーム鞭を撓らせる。 ビシィッと派手な音を響かせ叩かれたガルバリュートは――……何だか気持ちよさそうだった。 二人は係員の手によって、速やかにファッション会場を追い出された――が、二人の騒ぎはそれで収まることはない。 「姫! お独りで歩き回らぬと拙者と堅く誓ったはずでは!」 「悪かったわね」 「姫! また甘いものばかり!」 「煩いわね。食べたいなら食べたいっていえばいいじゃない」 「ち、違っ! 決して然様なことは……!」 「いいから食べなさいよ、ほら!」 軽く誤魔化された感は否めないが、押し付けられた串団子を兜姿のまま食すガルバリュート。 「む、美味ですな……!」 「そうでしょう、もう少し何か買ってこようかしら」 「姫、満腹で動くと腹がメタボで痛くて歩けなくな」 「誰がメタボですって!? ふざけんじゃないわよこの筋肉達磨!」 「おふう!」 鞭打ってガルバリュートを正座させると、姫は両腕を組んで偉そうに見下ろした。 「でもあのお店、アンタが暴れたファッション会場の隣にあるのよね……仕方ないわ。ガルバリュート、黙ってそこで待っているのよ、いいわね!」 「しかし、姫」 「い い わ ね !?」 「……畏まった」 颯爽と歩いてゆくご主人様の後ろ姿を見送って、調教された体勢のまま身を縮めて黄昏れるガルバリュート。 そんな二人の姿を眺めていたらしき男が近付いてくる。 「はは、兄ちゃん元気のいい姉ちゃん連れてんなあ。……珈琲でもどうだい」 放られた缶を受け取って、ガルバリュートは顔をあげた。 「む、有り難く」 「おうよ。ところで兄ちゃん、さっきの話だとアルガニアの方からきたのか?」 「然様」 「そうか、随分遠いところからきたんだなあ。向こうでボディビルの仕事でもやってんのかい?」 「否、拙者こうみえてアルガニアの誇り高き騎士なのである」 「へぇ、騎士さんかあ。ここは何でも新しいからなあ、見るモン何でも珍しいだろ?」 「うむ。そうであるな」 煌びやかで心踊る街である――といい掛けたところへ。 「……アンタ本当にそこでなにやってんのよ」 「ハッ!」 呆れ果てた顔でそう呟いた姫に、びくりと身体を跳ねさせるガルバリュートだった。 「立ちなさい、行くわよ」 背を向けて歩き出した姫は、紙袋からあんまんを取り出して残りをガルバリュートへ押しつける。 「む、有り難く頂戴致す」 じわりと伝わる温もりを感じながら、ガルバリュートはあんまんの入った紙袋を大切そうに抱えた。 ――普段、王女はおもちゃを見る目つきでガルバリュートを見る。 彼女が身分の違いを気にするでもなくガルバリュートと関わり合うのも、自分と同じ爪弾き者という妙な親近感を持っていることが一つの理由なのかもしれない。 お忍びという名目で訪れた大歓楽街だったが、事実をいえば『お忍び』というほどのものではない。 姫は放任されているのだ。 放任する、ということは、どこで何をしていようが心配もされず、誰にも興味を持たれていないということ。 そんな城での生活は、やはり、寂しいだろうか。 少しでも気晴らしになればと思い、連れ出したのだが――どこか不貞腐れた様子の姫の横顔からは、哀しみや寂しさのようなものは感じられはしないけれど。 ガルバリュートは微かに首を捻ると、あんまんを一口頬張る。 「これはまた美味ですな」 零した言葉に、返答はない。 「姫、もしや……お怒りですかな」 その横顔を窺い見るように、ガルバリュートはちらりと視線を向けた。けれど姫は、まるで何も聞こえていないかのように無言のまま歩き続けている。 ガルバリュートは暫しの沈黙の後、もう一度意を決したように口を開いた。 「……姫」 「怒ってなんてないわ」 凛とした声でそう返してくる。 ガルバリュートは二度瞬くと、もう一度問いかけた。 「……本当ですかな」 「えぇ、怒っていないわ」 「いやしかしですな」 「……しつこいわね」 「だが、どこからどうみても怒っ」 「怒ってないって言ってるでしょう!」 「おふうっ!」 ビーム鞭でしばかれたガルバリュートが反射的にポーズを決める。 大通りでの二人のやりとりに、周囲の人は軽く円形に道を空けながら退いていった。 「ちょっと……またアンタのせいで変に目立ってるじゃないの!」 しまった、これは今度こそ本当に怒っているのかも知れない。 目立つのはまぁ本望だが――ガルバリュートは兜の中でだりだりと汗をかきながら辺りを見回した。 「むっそうである! たくさん歩き回ったし姫もお疲れであろう、あの店でクレープでも食べて休みませぬかな?」 ガルバリュートの指差した先には、昼間見かけたクレープ屋があった。 姫は訝るようにクレープ屋とガルバリュートを交互に見ると、僅かに眉根を寄せて呟いた。 「……覚えていたのね」 「拙者が姫のいうことを忘れる筈があるまいて」 姫はむぅっと頬を膨らませると、仕方ないわね、とガルバリュートよりも先にその店へ向かい歩き出した。その頬がほんの少し赤らんでいるように見えたのは、気のせいだろうか。 ようやく辿りついたオープンテラスで、姫は盛大な溜め息を零しながら椅子に腰を下ろした。 「まったく……今日は酷く疲れたわ」 「面目ない」 ガルバリュートは白いテーブルを挟んで向かいの椅子に、ぎゅっと身を縮めて腰を下ろしている。 小さく頼りないその椅子は、今にも壊れそうだ――ほんの少し動いただけでもぎしぎしと鳴く。 「どうしてアンタといると、いつもこうなるのかしら」 「面目ない」 恐らく反省はしているのだろう。軽く俯くガルバリュートを一瞥した姫は、紅茶のカップに口付けてふぅと浅い吐息を零した。 無言の視線が痛い。 ガルバリュートは居た堪れなくなって、もう一度、面目ない、と零した。 「でも、まぁ……」 小さな、間。 姫はもう一度向かいの大男をちらりと見遣ると、すぐに視線を逸らし何とも言い難そうに口篭もった。 後に続くであろう姫の言葉を待って、ガルバリュートは兜に開いた穴の奥からじっと視線を注ぐ。 「……偶にはこういうのもいいんじゃないかしら」 それから二、三度ほど咳払いをして。 ――楽しかったわ。 最後に付け足された言葉は囁くほどに小さかったけれど。 それでもガルバリュートの眼の中で、姫は薄く、けれど確かに微笑んでいたから。 「では、いつかまた拙者がお連れしよう」 「……そうね。またお忍びで、ね」 二人見上げた小さな空も、街並みも、絶えず流れゆく人々も――何もかもが、色を変えて。 茜の色に、染まりゆく。
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