都は混乱のさなかにあった。妖かしに対する結界が張られている都内は基本的に安全だという認識が強かった。妖かしに対抗できる陰陽師や香術師達も都の中に常駐している分、安心感は増すだろう。
だが、ここ最近は都内でも妖かし――怨霊や物の怪など――達の目撃報告や被害報告が相次いでいて。それも実際の所退治に赴いてみればそれほど力の強くない妖かし達であった。このような力の弱い妖かし達こそいの一番に結界に阻まれるはずなのに。
当然疑われたのは、妖かし達を都内へ招き入れている存在だ。帝の命を受ける形でその調査にあたったロストナンバーたちだったが、非常に黒に近い人物を絞ることが出来たものの、確証を得るには至れていなかった。
それが今回、都や周囲を巻き込む大騒動に発展したことにより、首謀者は妙弦寺の僧、栄照であることがわかった。そちらには、別途ロストナンバー達が対処に向かっている。
ロストレイルの停車する夢浮橋の駅で夢幻の宮によって妖かしに対応できる香油を塗ってもらい、散ってゆく多くのロストナンバーたちは、凶悪な妖かしたちからこの国を守りに来ている。
「皆様、どうぞよろしくお願いいたします……」
頭を下げる夢幻の宮の表情は、あまりの事態に若干青ざめて見えた。
◆朱雀門付近
「呪(しゅ)を絶やすな! 唱え続けろ! それこそ気の遠くなるまで!」
ガシャン、ガシャン……鎧を鳴らしながら太刀や槍を手に朱雀門付近で暴れまわるのは死霊武者たち。生気を感じさせない顔に宿るのは、戦い続けるという呪縛のみなのか。
十数人の陰陽師がそれぞれ呪を唱え、符を操り、死霊武者に立ち向かっている。それを指揮している壮年の陰陽師がおそらく帯刀賢陽だろう。
「わぁっ!?」
若い陰陽師が迫る刃に思わず悲鳴を上げた。
ドガッ!
しかしその刃はその陰陽師に振り下ろされることはなく、横から出現した足によって腕ごと弾かれた。
「お手伝いいたします」
蹴撃に引き続き、雷撃を放ち死霊武者たちを穿つのはジューンだ。躊躇うことなく武者たちの群れに飛びこみ、格闘技で武者たちと相対する。時折放たれるのは電磁波と雷撃。
ウオォー、ウオォー……鬨の声か嘆きか、判断つきかねる武者たちの叫びは衝撃波となって陰陽師たちを狙う。
「させるか!」
陰陽師たちの前に飛び出した相沢 優の手にした剣の刀身が淡く光り、現れた防御壁が衝撃波を阻む。
「弱った敵から浄化していってください!」
突如現れたロストナンバー達に門兵も陰陽師たちも驚いた様子だが、彼らが助力してくれていることは明らか故に、優の言葉に諾の返事を返す。今は彼らの素性を訪ねている場合ではないことは、彼らとて重々承知していた。
「イタチくん、無事かい? もう避難しているかな?」
ひょいと門の上へ飛び乗ったユーウォンは、以前この場で出会ったイタチの姿をした物の怪を探す。無事に逃げているといいのだが。
『あんたはいつぞやの! 助けておくれよ!』
と、ひょいと飛び出してきた影はユーウォンの背中にしがみつくようにくっついた。震えているのがわかる。
『わたしは何も悪いことしていないのに、このままじゃとばっちりで調伏されちまう! それか、悪い奴らに食べられちまう!』
「わかった。しばらくここに隠れてて! いくよっ!」
イタチを鞄に詰め込んだユーウォンは、下で武者たちと戦っている優に合図を送る。優が陰陽師たちの側に戻って防護壁を出現させたのを見て、香油を塗った巨大かんしゃく玉を武者たちの群れへと落とした!
「ここは、おれの大事な友達が根を張ろうって世界なんだ」
急降下して、かんしゃく玉で怯んだ武者たちに攻撃を仕掛ける。その隙に素早く朱雀を召喚したのは臣 雀。
「そうよ! ここはお友達の華月さんが帰属する世界。絶対絶対守り抜くんだから!」
「ヒトデナシどもに好きかってさせるもんか!」
ヒット&アウェイで武者たちを攻撃するユーウォンが再び門の屋根上に飛び上がるタイミングで、雀は火炎の呪符から生まれた巨大な朱雀を武者たちへと遣わす。炎の翼と炎の嘴を持つ朱雀は、羽ばたき一つで熱風を巻き起こす。
グワァァァァァァァッ……!
聞くのも辛いうめき声を上げつつ燃えていく武者たち。完全に燃えて消えた者もいれば、未だ動く者もいる。すかさず優とジューンが未だ動く武者たちを潰してゆく。陰陽師たちも次々と呪を唱え、数を減らしていった。
程なく、完全に形勢は逆転する。
◆右大臣邸付近
「ゼロは皆さんを守りに来たのです。ゼロのポケットの中は絶対安全なのです」
巨大化したシーアールシー ゼロはまず、右大臣邸を守ろうとしてかずらに相対していた私兵達をポケットに入れていった。すでにかずらに絡め取られている者もいたが、かずらを滅することは出来なくともその巨大ゆえの力でかずらから引き剥がし、救出することは出来た。
「お屋敷の人達も、少しの間ポケットに入って欲しいのです。お屋敷の中より安全なのです」
突然の妖かしの来襲に加えて巨大な少女の出現に怯えていた人々を、ゼロは次々にポケットへと入れていく。いくら言葉を重ねてもすぐに信じてもらうのは難しいだろう。だが時間を掛けて信じてもらう余裕はない。人々の安全のためにも、明らかにゼロに怯える人達をも無理やり収納する必要があった。後で、理解してもらえるといいのだが。
かずらはすでに右大臣邸を囲む塀にも絡みついていて。建物の中へと手を伸ばすのは時間の問題だった。だが、人々の保護はゼロが担当してくれる。だから氏家 ミチルはここを訪れた仲間達、そしてここを守ろうと奮闘していた数名の陰陽師や香術師達に自分も含めて『応援』する。
「皆の国を守る為にもシャス!」
無機物にも『応援』し、手伝いを頼む。放置されていた桶や木箱、牛車などが命を与えられ、かずらへと身を投げ出す――自分達がかずらに絡め取られれば、人に及ぶ手を減らせるだろうから、と。
鳥貝 光一は香油を塗ったギアをはめて向かい来るかずらにパンチを叩き込む。不規則で素早いかずらの動きには、ボクシングで鍛えた動体視力と瞬発力がものをいった。避けて、避けて、打ち込む! 次から次へと蔦を伸ばすかずらを次々にノックアウトしていった。
(これが私の最後の戦い。夢浮橋にくるのは最後)
ヴォロスへの帰属が決まっている東野 楽園は、以前訪れた右大臣邸を守るために再び、この世界を訪れた。
「散髪はいかが?」
香油を塗ったギアの鋏で、人に絡みついているかずらを容赦なく断ち切る。ジャッキン、ジャッキン。
(愛する人を失った哀しみと憎しみはよくわかるわ。でもやつあたりは見苦しい)
「どうせなら、髪と一緒に未練も断ち切ってあげる」
ジャッキンジャッキンと思い切りかずらを断ちきるのは、未練を断ち切るべく髪を切り落とすのとなんだか似ている気がした。
「散髪は失恋の儀式だもの」
軽やかなステップで鋏を振り回す楽園。ジャッキン、切り口からかずらの存在が薄くなっていく。
「怨霊さんが失った人はきっと向こう側で待っていると思うのです」
かずらに絡まれた香術師を助けながら、ゼロは言葉を放つ。
「なので此処で人を襲うよりも、心を休んじて向こう側へ渡るのがいいと思うのですー」
説得が全く無駄だなんて思いたくない。愛する人を失った悲しみを持っているならば、その心にも言葉が届くのだと思いたい。
(此処は友人が帰属する地……愛し愛され結ばれる彼女の幸せを絶対に守り抜く)
楽園の鋏が松明の明かりを反射させてキラリと輝く。次の瞬間、ジャキンといい音が夜空に響き渡った。
(ここに何かあれば夢幻の宮が悲しむ。ここの人々も)
「絶対守るッス!」
改めて強く決意するミチルに悪魔が囁いた――君の望みなら手を貸すよ――悪魔の力で力を増したミチルは光一を取り囲もうとするかずらに向かい、竹刀を振り下ろす。竹刀に乗せられた気合がかずらへと向かう。氏家キャノンが光一の背後のかづらの束を消し去った。
◆中務卿宮邸付近
(夢幻の宮さんのお兄さんや、柚姫さん、みんな無事かな……)
ニワトコは百田 十三と共に邸宅の中を走っていた。数カ所、建物が破壊されたところも見受けられる。
「ご無事ですか、宮」
幸い中務卿宮邸の人々は、警備の私兵を除き、皆一箇所に集まっていた。十三とニワトコが姿を見せると、緊張していた宮の表情が少し和らいだ。
十三はこの場を守りに来た仲間達に渡した、一度だけ何からも対象者を守る護符である護法符を中務卿宮とその家族にも配布していく。
「ぼくは戦うことはできないけれど、ぼくにできることをせいいっぱいやりたいんだ。十三さん、みんなを安全なところへ避難させたいんたけど……」
「妖かしどもの包囲を一時的に崩すことは出来るだろう。だが今の都で安全な場所があるかというと……」
確かに十三の言うとおり、内裏を除く都中が襲撃されている現在、移動にも危険が伴うかもしれない。徒歩(かち)に慣れていない女子供を連れて行くならば尚更。
「それならば神泉苑がいいだろう。あの場は神聖な地であり、常に清浄に保たれていて普段はおいそれと足を踏み入れられる場所ではない。だが緊急事態だ、帝もお許しになるだろう」
中務卿宮に聞けばこの館からそう遠くない場所に、普段は閉ざされている入口があるらしい。
「お兄さん、ぼくが明かりを持って先導するから、道順を教えて下さい」
ニワトコはギアのカンテラを取り出して明かりを灯す。一同が取り急ぎ履物をつけたのを見届けて、十三が裏庭へと出た。
「鳳王招来急急如律令、風を起こし鎌鼬の風を相殺しろ」
「雹王招来急急如律令、幻虎招来急急如律令! あの怨霊を切り裂け」
十三が次々唱えることで召喚された鳳凰や幻虎がかまいたちへと向かっていく。自身も早九字で退魔行を打ちながら裏口付近のかまいたちを片付けていく。
「みんな、行こう!」
ニワトコがかけ出すのに合わせて、中務卿宮邸の人々が次々と裏口から歩み出る。十三は途中まで護衛を務めるつもりだ。
屋敷の中と裏手での動きを知らない舞原 絵奈とヴィンセント・コールは、数人の陰陽師と共にかまいたちに相対していた。
「素晴らしい所ですね。ここで勝手は許しませんよ」
迫り来る旋風にギアが発する吹雪をぶつけることで相殺していくヴィンセントは、第二波の吹雪に乗って敵との間合いを詰める。そして、『ユーウェイン』を振るう。創りだされた氷の獅子を敵と判断したかまいたちは、増えた敵を一体でも減らそうと、氷の獅子をも狙った。攻撃が分散してくれれば、狙い通り。
特殊能力の陣でスピードを上げた絵奈は、速度でかまいたちを圧倒しながら接近して剣を振るう。振るわれる鎌を避けるが、別方向から来たつむじ風を避けるのは難しそうだ――とっさの判断で防御壁を張って凌ぐ。
(かまいたち……)
以前インヤンガイで戦った、似た技を持つ敵の記憶が蘇る。絵奈はその戦いで街を破壊してしまい、魔力を攻撃に使うのが怖くなってしまったのだ。あの記憶が生々しく蘇る。
「ミズ舞原!」
オウルフォームのセクタン、ガラハッドの瞳を通して常に状況確認を行っていたヴィンセントが声を上げ、絵奈に背後から迫るかまいたちをなぎ倒した。
「! あ、ありがとうございます……っ」
過去の恐怖に持って行かれそうになった意識が戻ってくる。ぼうっとしている暇がないことは絵奈も十分わかっている。ヴィンセントは絵奈を責めるようなことも諭すようなこともなかった。彼女がすぐに目前の敵への対処を行ったことでその必要はないと判断したからだ。
(今も少し怖い、でも立ち向かわなくちゃ)
斬り捨てたかまいたちがすうっと消えるのを見届けずに、絵奈は次の敵へと迫る。
(私を立ち直らせてくれた人のためにも)
◆妙弦寺付近
矢筒に矢が涌くギアを持っているルンは矢筒に香油を注いだ。そうすれば出てきた矢が全て香油漬けなのである。
塀の上に陣取ったルンは、生来の感覚の鋭さを利用して、次々と矢を射ってゆく。人の姿をしていようが躊躇わない。
「お前ら、匂い違う。人じゃない。ルン、間違えない」
躊躇う僧たち。僧や女の姿をした者が射られたのを見て悲鳴を上げる者もいたが、人間の姿から醜い土蜘蛛の姿に戻り、そして苦しみながら消えてゆくのを見て、人間だと思い接近を許そうとしていたことに青ざめていった。
ルンと同じく鋭い嗅覚や聴覚を頼りに土蜘蛛を見分けるのは伊音 清華。ワービーストである彼女は更に感覚を強化する力を使い、人間に化けている土蜘蛛と地中に潜んでいる土蜘蛛の位置を把握する。
「気をつけてください!」
察知した位置を仲間や僧たちに告げ、警戒を促す。自分の周辺に結界の紋章符を撒いて地中からの奇襲を防ぐことも忘れない。
「退治できねぇようなら、寺ん中に引っ込んでろ。直で地面に立ってるより安全だろ」
ヴァージニア・劉は右往左往する僧たちに告げ、避難を促した。下手に外に出られているよりも、地面より高い位置にある建物の中にいてくれたほうがまだ安全だ。身体の延長でもある鋼糸を地中に突き刺し、僧たちが慌てて建物に避難するのを確認しながら微震を探知する。
「一匹そっち行ったぞ」
ルンのいる方向に声を掛け、自らは正面に姿を表した土蜘蛛と対峙する。
音もなく忍び寄った鋼糸は土蜘蛛の足に絡みつく。動きを封じられて、土蜘蛛は逃れようと動いた。たぜが動けば動くほど鋼糸はぎりぎりと締め付ける。
「俺の胸には蜘蛛の刺青。土蜘蛛……そう、お前を模した刺青だ」
ヒュンッ、ヒュンッ……建物と樹木に絡みつき、張り巡らされた鋼糸はそう、まるで蜘蛛の巣。引っ張りあげられた土蜘蛛は、蜘蛛の巣に引っかかった哀れな虫。劉が宙を舞う。脚に絡みついた鋼糸に引かれた土蜘蛛は、蜘蛛の巣によって細切れになり、その姿を霧散させていった。
「寺や坊主を守る事になるとは面白い」
業塵が訪れたのは、力を蓄えるための食事も兼ねてであった。妖気を敏感に察知して土の中から敵を引きずり出す。あるいは手下の虫達に追い立てさせて土から出させる。無理やり這い出させられた土蜘蛛を待っているのは、上半身は人間、下半身は百足という姿の業塵。上半身では刀と扇を持ち、腹には大きく開いた口がある。その状態で戦場を駆け回る姿はある意味異様であり、僧が見たら妖かし認定されそうであるが、幸い彼らは寺の中に引き取っている。
「お前達は儂の馳走に過ぎぬ」
縦横無尽に駆けまわる業塵は器用にも仲間を避けている。清華やルンが場所を探知し、劉や業塵が追い立てる。
得意の変身が見破られ、土の中に潜むも見破られてしまうとあっては、土蜘蛛たちの勝機は薄らいでいくのも当然のことだった。
◆六条河原付近
ミズチが変わら付近で暴れているのが、遠目からも分かった。これだけ暴れているのならば、その場にいる陰陽師たちも無傷でいるはずがないということも。坂上 健と有馬 春臣は急ぎ、河原へと近づく。その途中、河原の外に弾き飛ばされたと思しき陰陽師を見つけた。
「君、意識はあるかね」
すかさず春臣が片膝をつき、患者の様子を診る。健は急ぎ、河原へと降りていった。
「う……まだ、皆が戦って……」
「意識はあるようだな。今、治してやる」
赤く輝く瞳は悪魔の力を借りた証。その代わり春臣の治癒能力は飛躍的に向上して、患者の傷を瞬く間に癒やした。
「もう動けるはずだ。ここには何人の陰陽師が来ている?」
「あ……自分を含めて7名ですっ。でも、皆傷を負って……」
「わかった。治療は任せたまえ」
礼を言う陰陽師を再び河原に送り出し、春臣は息をつく。
(陰陽師達が倒れたらこの国の守りは大きな痛手を受けるだろう。何が何でも守る)
三味線を取り出し、奏でる。音を通じて癒しの腕(かいな)が、負傷している陰陽師たちを包みゆく。春臣の支えを得た陰陽師たちは、ミズチと懸命に戦う。
「おい帯刀、生きてるかっ?」
オウルフォームセクタンのポッポの視界を借りて健が探しだしたのは、前線で術を繰り出し続ける陰陽師。狩衣は血と泥に塗れ、ところどころ切れている。その上髪は乱れていて。女性であるのにこんなに汚れてしまって、という気持ちとこんなになってまで国を守ろうとするその想いに引きずられる気持ちが健の中に湧いた。
「え……あ、あの時の、健さ、んっ……」
助太刀に来たと申し出たのが顔見知りであったことで少し気が緩んだのか、ふらりと傾いだ美桜の身体を健は慌てて抱きとめた。
「ぼろぼろじゃねえか。後方に医者の仲間がいるから、治してもらえ」
「でも、みんな頑張っていますからっ……」
「お前が倒れたら元も子もないんじゃねえか?」
露出のない服を着用してきた健は、ガスマスクをはめる。ミズチの毒の息対策だ。
「気は心だろ、怨霊とやりあうならさ」
こちらをぎょろりと見たミズチに狙いを定める。ミズチが毒の息を吐くべく口を開いた瞬間、健はふりかぶった。
「気合いだーっ!」
口の中めがけて投げ込んだのは破片手榴弾。すぐに美桜を押し倒すようにして伏せさせる。
爆音。
「ここは危険ですからっ、健さんは早く避難を……」
「馬鹿にするな!」
健の怒鳴り声にびくっと身体を竦める美桜。
「知り合い見捨てるくらいなら最初から来ねえよ!」
「健さん……」
なめらかな三味線の音が風に乗って届く。春臣の力だ。美桜の傷がすうっと癒えていった。
「ごめんなさい……じゃあ、力を貸してください!」
二人は協力して、ミズチに立ち向かう。
◆左大臣邸付近
左大臣邸に到着した華月とサエグサ スズは、迷わず屋敷に足を踏み入れた。常ならば礼儀を気にするところだが、今はそんなことに構っている時ではない。何度か顔を合わせた女房を見つけ、戦う力のない人達を1箇所へ集めるようにお願いする。
「女五の宮様の配下でスズと申します。女五の宮様の命により警護に馳せ参じました」
そう告げれば、女房や姫君たちも安心してスズと共に部屋を動いてくれた。
「この妖かしは幻覚を使います。皆様抱き合って目を瞑っていて下さい……その間に倒します」
皆が集まったのを確認すると、スズはその場を華月に任せて一足早く表へと向かう。
「華月!」
「鷹頼さん! 鷹頼さんもここにいて。みんながこの部屋から出ないように……」
「華月、お前は戦いに行くのか? なら私も……」
華月の身が心配なのだろう、部屋を出ようとする鷹頼を華月は両手で押しとどめる。
「お願い、鷹頼さんはここでみんなを落ち着かせて。この部屋に結界を張るから。ここは安全だから。私が言うより鷹頼さんがそばに居てくれたほうが、きっとみんな安心するわ」
「しかし……」
「お願いっ!」
必死に願う華月に、鷹頼のほうが折れた。小さく息をついてわかった、と告げて。
「!?」
着物の袖で皆の目から隠すようにして、そっと唇が重ねられた。
ドアマンは次々と迫り来る夜叉を前にして、配下である『事象の地平駆ける葬儀馬車』を召喚した。馬車から伸びる無数の腕が夜叉達を無造作に掴み、逃れようと暴れるのも無視して黄泉へと引きずり込む。
ドアマン自身はギアの伸縮式警棒を使用し、夜叉と対峙していく。伸縮性とストラップを使用して間合いを定まらせず、相手を翻弄しては急所を見定めて一撃を叩き込む。少ない手数で数を減らし、長期戦を避けるつもりだ。
「……同じ鬼神でも業淵殿には程遠い」
神の名を冠しながらも使役される夜叉を哀れに思う心はあるが、容赦はしない。叩き伏せた夜叉が、さらさらと消えてく。
表に出たスズは自らの左掌を忍刀で貫いた。幻覚に惑わされないためだ。そして、迫り来る夜叉の攻撃を軟体動物のような動きで交わし、袈裟懸けに切り捨てる。おそらく夜叉自身も何が起こったか理解する前に消えていく。
夜叉達の攻撃は比較的単調で簡単に見きれそうなものだったが、スズはギリギリまで引きつけてから、常人ではありえない柔らかさで攻撃をかわすことで同士討ちを誘発したりもしていた。もちろん、同士討ちになった2体をきちんと屠るのも忘れない。
(鷹頼さんも彼の家族も、もちろん使用人も、守るわ)
屋敷の裏手から出た華月は、真っ向から夜叉と向かい合う。ギアの槍を構え、迫り来る敵の一瞬の隙をついて槍を伸ばすことで串刺しにする。苦悶の表情を浮かべる夜叉が消え行く横から、別の夜叉が華月に幻影を見せる。
「あ……」
一瞬、吸い込まれそうになった。けれどもそれは、今ここで目にすることができるはずのない人物の姿。
「っ!!」
パシンッ!
喝を入れるべく自分の頬を両手で強く叩いた。すると幻影は跡形もなく消え去っていた。
「私はもう、惑わされないわ」
槍を突いた反動で宙へと舞い上がり、一閃。
「大切な思い出を貴方達に汚されたくはないの」
屋敷の表側を一掃したドアマンとスズが、幾人かの陰陽師と香術師を連れて裏手へと来る。
全ての夜叉を浄化し終えるまで、おそらくあと少し。
◆内大臣邸付近
この場に現れた妖かしは文車妖妃。文車だけでなく、捨てられた恋文が怨霊化してしまった姿だともいわれている。
「捨てられた恋文……叶わなかった想い、か。妖怪になってしまうなんて、ずいぶん情熱的だったんだなー」
「いくら情熱的でもこの数は異様だぜ」
「気持ちは分からないでもないけど、想いは昇華しないと、次の恋も始まらないよ」
目の付け所がずれているようなニコ・ライニオの隣で、妖かしに説いても無駄だろうにと思いつつ、生暖かい視線を送るグリミス。
「グリミス、行こうか」
ニコは竜の姿に戻り、炎を撒き散らす。勿論、仲間や陰陽師や香術師は巻き込まないように配慮しながら。赤々とした炎を纏った文車妖妃たちは、苦しげに呻きながらも攻撃をやめない。命尽きるまで突撃し続ける、情熱的な恋と似ている。
「ちくしょう、この香油ってやつの匂いのせいで嗅覚が狂う!」
グリミスはひとり勝手にキレながら、ニコの炎で燃えている文車妖妃に格闘戦を挑んだ。
遠くにグリミスの「陰気臭い事で執念になるぐらいなら、酒飲んで告白しろー」という声を聞きながら、カグイ ホノカは苦無を手に首を傾げる。
「このおうちには何人か姫君が居たように聞いています。もしやその方々の恋文では?」
けれどももしそれがそうだとしても、文に籠められた想いが成就するわけではなく。
「そうね、燃やしてしまえば全ては同じこと……灰になれっ!」
文車妖妃の車軸に苦無を打ち込んで動きを止めた上で、体内で錬成した白炎を吐き出す。弾丸のように吐き出される白炎は、一瞬にして文車妖妃を蒸発させた。
「ただの化物じゃなくてアヤカシっていうのか」
シュロは文車妖妃の群れの中に臆することなく入り込む。そのあまりの自然さに、文車妖妃達が一旦彼と距離をとったほどだ。
「愛にゃ色んな澱みが溜まる。それを言葉なんて形にすりゃ更にな」
親指を噛み切り、手にしたバルディッシュに毒の血を行き渡らせながら、視線は敵の動きを窺っている
「だが俺はそういう、綺麗なだけじゃない愛やら恋やらも大好きなんだ。受け止めてやるから俺にもぶつけてこいよ、飽きるまで相手してやンぜ!」
タッと地を蹴って彼我の距離を詰め、バルディッシュを振るう。
「なんなら俺の愛もおまけに付けてやろうか、こぼすんじゃねぇぞ!」
妖かしの苦悶の声が、響き渡っていく。
「紙なら水でも足止め出来るかとおもいましてぇ。哀しい想いも全部水に流しちゃって下さいぃ」
香油を塗った金属バットで力任せに文車を粉砕していくのは川原 撫子だ。その上、積まれている紙類はギアから水を放って溶かしてしまう勢いだ。
「ところでぇ、恋文さんだけ溶かせばOKなら文車さんは付喪神だから壊さなくてもいいのかなぁとか……誰かわかりますぅ?」
できれば壊すのは最小限にしたいと思うのだ。
「恋愛ジェットコースター気分は分かりますからぁ……」
ぽつん、呟いた撫子に近くにいた香術師が声をかける。文車に取りついている妖かしさえ祓えるならば、文車の動きも止まるだろうとのこと。それを聞いた撫子の瞳の明るさが灯る。
「がんばっちゃいますぅ!」
仲間達と文車妖妃との戦いを見て、オゾ・ウトウは小さく呟く。
「想いの持つ力が、本来のあるべき姿を歪めてしまうなんて、悲しい話です」
他者の感情を力に変換する術を持つオゾにとっては思うところが大きいのだろう。怨霊たちを突き動かす激情を沈めて助けてあげたいとも思う。だが強すぎる激情を受け止めては、オゾ自身の命も危ない。
(せめて想いの一部を受け止めて、安らかに消えてもらえれば……)
都と人々を守ろうという使命感や思いを胸に、大勢の人が動いている。これを借りられれば、大きな力となるだろう。目を閉じて、思いを受け止める。
「頑張ってください」
近くの陰陽師にそっと触れ、その力を増加させる。自分の役目は補助と治療、オゾは近くの陰陽師や仲間達に力を与えた後は、負傷者の治療へと走る。
「生きてっか? あ、俺? あ~助っ人みてーなもんだな」
ボロボロの陰陽師に声をかける榊。
「まだやれそーか?」
「ああ」
力強い返事に頷いて、辺りを走り回っている文車妖妃を見た。
「派手に暴れまわってんな。嬢ちゃんの住まいが有る都ぶっ壊されんのはな」
夢幻の宮のことを思い描き、ギアを手にする。
「いっちょ行くか」
ギアに己の力を上乗せして、文車妖妃達の間に滑りこむ榊。重心を低くして車輪を狙い、相手の機動力を削いでは次の敵へ。
「足の止まってる奴から攻撃してくれ」
近くにいた陰陽師に声を掛け、数を減らす手助けをするようにあちらこちらと動きまわる榊。
次第に、内大臣邸付近は憑き物の落ちた文車が増えていった。
◆そして、朝
戦い始めてからどれくらいの時間が経ったのだろう。
「あ、朝……」
松明や篝火の明かりでない光を感じた誰かが呟いた。その声を聞いた人々が、次々と顔を上げる。
そう、顔を上げる余裕があるということは――ロストナンバー達の助力を得て、妖かしたちによる蹂躙を防ぐことができたということだった。
もちろん、誰も彼もが無傷で済んだわけではない。
けれども命があるから、この朝日を拝むことができたのだという感動が、人々の間に、とりわけ前線で戦っていた陰陽師達や香術師達の間に沸き起こる。
ありがとう、ありがとう。
感謝の念が絶えることはない。
破壊された建物も、命がありさえすれば直すことができる。
今は、暁京を飲み込もうとしていた闇が無事に晴れたことを祝おう。
ロストナンバーもこの地の人も入り乱れて、喜び合おう。
夜は、明けるものだ――。
【了】