「なあ優、ミュヌヌポポス行くけど、優も行く?」「ミュヌヌ……? なんだっけ……??」 付き合いの長い相沢 優であっても少年――虎部 隆の頓痴気なネーミングセンスを把握仕切るのは難しい。 額に指を当て思案する相沢。 (えっと、最近聞いたような気がするな……。 うーん……なんだっけ……いや、こういう時は隆が何をしたいかで考えれば……)「……フランさんのところか、あそこはギベオンって――」「ミュヌヌポポス。ほらたまには顔見せないと寂しがるだろ、いくら撫子さんがいるからってさ……」 虎部が些か不機嫌そうに自分が上げた世界の名前をもう一度言葉にする。 (珍しい口調だな、嫉妬か? 確かギベオンから帰る時、随分、啖呵切ってた気がするけど、やっぱフランさんに会いたいんじゃないか) 微笑ましい親友の心の動きに、相貌が緩むのを抑えきることができない。「なんだよ、優。ニヤニヤ笑って、行く気ないなら一人で行くぞ」「……ああ、悪かった。勿論行くよ、お土産とか持っていったほうがいいんじゃないかな?」‡ 机に突っ伏して寝息を立てている友人に毛布を掛けてあげた少女は、大きく伸びをすると作業机に戻る。 ――ギベオン現地時間午前三時 秘蹟の遊界にたった一つだけ存在する人が住まう場所。 星々がクッキリと浮かび上がる墨染めの夜の中、白衣の女を照らす唯一の光源は煌々と光るPCのモニター。 少女を囲むように六枚置かれたモニターの半分では、激しい速度で文字が流れ、残りの半分が不可思議な図を映し出している。 真剣な眼差しで見つめる白衣の女は光源が増えていたことにようやく気づく。 山積みにした研究資料、其の下にあるトラベラーズノートが輝いてる。「こんな時間に、何かしら?」 訝りながらも白衣の女は上に乗った資料を退け、ノートを開いた。『やっほーフランー? 明日そっち行くわー。ううん? 単に遊びにいくだけだよ』 フランは目をこする――文字は消えない じっと見つめてみた――文字は消えない 深呼吸してみる――――やはり消えない 思考停止したままフランは花のお守りを見つめる。 それは研究者のフランが恋する少女に戻るためのスイッチ。 机を叩く音が大きく響き紙資料が舞い飛ぶ。 程なく部屋の灯りが点き、一面に散った資料や部屋干した衣類、仮眠用のソファーベットに毛布が赤裸々にされる。「撫子ちゃん! 起きてください。掃除しますよ、今すぐに!!」「ひゃ、ひゃい。ですぅ☆」 気持ち良く寝入っていた撫子は、フランのあげる大声にたたき起こされ変な声を上げた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>虎部 隆(cuxx6990)相沢 優(ctcn6216)川原 撫子(cuee7619)=========
§一日目 六時 ――ふんふんふーん、ふーん♪ フランの私室から静音掃除機が立てる微かな排気に混じって、明るい鼻歌が聞こえる。 真面目すぎるせいなのか、最近は少し冷たく感じるくらいに気が張っていた友人の楽しげなようす。 自分もコタロさんをお迎えする時は、こうなのだろうかと考えるとむず痒くなるようなにやけてしまうような微笑ましさ。 よし! という声とともに掃除機の排気が止め、部屋から覗いた小顔は、労働とたぶん……期待に微かに上気した表情。 お揃いの三角巾を被った友人。清潔な白衣ではなく、くすんだ色のエプロンを羽織って今日は普通の女の子。 それは、撫子の、女性の目から見ても可愛らしいなぁと思える。 「撫子ちゃん、少し拭き掃除したいからバケツ持ってきてもらえます?」 「はぁ~い、ですぅ☆」 バケツに水を入れ床拭き用の洗剤と雑巾を何枚か取り出すと、フランの元に戻る前に恋人に一筆認める。 【片付けが終わらなくて一週間後の列車で帰ることにしました、ごめんなさい。その分帰ったら毎食コタロさんの好きな物作って何でもコタロさんの言う事聞きます】 彼とは、一緒にいる選択をできる。この先も共に居ることができる。 でも、フランとは何時か必ずその時が来る。 ――その瞬間までは彼女の友達であることを優先してあげたい ――フランと居る時間をできるだけ…… 「撫子ちゃーん、少し箪笥動かすの手伝ってくださーい。私一人じゃ動かせなくて。あと、それが終わったら、お客様用のシーツを卸すから、お風呂に水貼ってもらえます?」 (フランちゃん、人使いが荒いですぅ☆) 少しだけ苦笑が溢れるが嫌な気持ちではない、溢れるのは姉か母のような保護欲。 「はーい、お任せくださいですぅ☆ お二人様が来るまでにピッカピカにして驚かせてあげるのですぅ☆」 §一日目 十二時 相沢と虎部の二人の到着を待つまでの間は短くとも永い。 珈琲を啜り眠気に耐える撫子、少し寝たとはいえやはり眠いものは眠い。 (フランちゃん、ほんとぉーに元気ですぅ) 連日遅くまで研究を続け、今日も徹夜で疲労もピークにも関わらず、鏡の前で頻りに髪型を気にしている友人を見つめながら欠伸を噛み殺す。 §一日目 十三時 耳慣れた汽笛がギベオンに響いた。 舗装されていないギベオンの大地にロストレイル号が触れると土煙がもうと上がる。 土煙に浮かぶ影は二つ。小走りに駆け寄ってきた少女は少し背の低い方の姿に抱きついた。 「久し振りだなフラン、元気にしてたか?」 「はい、隆さんこそ。皆さんに迷惑かけていませんか?」 「おいおい、この虎部さんが迷惑なんてかけるわけないだろう。そういうこと言う子にはお仕置きだ」 抱きしめながら頬ずりする虎部、フランは悲鳴のような嬌声をあげる。 「……隆。見せつけてくれるのはいいけどさ、そろそろ俺も挨拶していいかな?」 完全に置いてけぼりを喰らったもう一人の少年が、微苦笑を浮かべていた。 「あ、ごめんなさい……えっと、相沢さんもようこそいらっしゃいませ」 軽く虎部の胸を押して、その腕から離れたフランは相沢に向き直りペコリと頭を下げた。 「うん、こんにちはフランさん。撫子さんも」 「はいですぅ☆」 少女の親友は、一歩下がって手を降っていた。 §一日目 十四時 「お、小奇麗にしてるじゃん?」 「あら、失礼しちゃいます。これくらい当然ですよ」 つんとお澄まし顔のフラン、微かに震える頬が本心を隠し切ることの困難さを告げている。 「そっか、これおみやげだ」 虎部のパスフォルダーから飛び出す、柔らかな手触り。 さざ波のような編み模様が上品な華やかさを演出するレース生地は、シュガーピンクのカーテン。 キョトンとした表情で手の中の感触を見つめるフランに、虎部はシックなベージュの壁紙を更に積み上げる。 声と共に顔をあげたフランの笑みに満ちた喜色は、虎部に照れ隠しの笑みを浮かべさせるには十分過ぎる破壊力があった。 「なんか俺、まるで行商人? はっはっは。まあでも女子力は高いほうがいいじゃん。俺も来た時に見てて楽しいし、もちろんフランがいればそれが一番なんだけどさ!」 少年と少女の笑い声が重なる幸せな時間。 「そんじゃ、カーテン付け替えるよ……あれ?」 少しふわふわしながら少年はカーテンを手に取り窓際に近づき、フランの机にあった花飾りに気づく。 「俺のお守り大切にしてくれてるんだな」 「うん……」 (隆、楽しそうだな) 恋人の優しい会話を聞いていると幸せな気持ちが伝播するのか自然と頬が緩む。 もっとも、虎部がフランの部屋のようすを褒めた時に後ろ手に、おそらくは撫子に向けてサムアップした少女の姿には吹き出さずには居られなかったが。 (……フランさん、撫子さん、だいぶ頑張ったんだな……ん?) 一歩下がった脚にぶつかって傾きかけた出しっぱなしのバケツ。 床に転がりかけた彼が、音を立ててお邪魔虫にならないように相沢の手がすっと拾い上げた。 (おっと危ない……水を刺してはいけないな……さて、君をどこにしまったらいいんだ?) バケツを持ち所在なさげにしていると、撫子がこっちこっちと手招きしている。 「この部屋の中にしまえばいいのかな?」 案内されて、覗いた部屋の中は乱雑に押し込められた荷物の叫喚地獄。 くらっとしかかった耳元で撫子の囁きが聞こえる。 「しーですぅ☆」 「あ……ああ、そうだね分かっている。完璧には行かないよな」 (……これは隆には言いづらいな) ちょっとばかりの動揺に脂汗を浮かべる相沢。 「ちなみに自警団の報告書とかそういうのは読んでない? だったらいいんだ! あはははは!」 フランの部屋から少し白々しい虎部の笑いが響いていた。 §一日目 十八時 明るい色のテーブルクロスが敷かれた食卓の上には、焼きたてとはいかないがオーブンを通したばかりの麺麭が並び、大鍋からよそわれた大きな野菜と鶏肉が浮かぶホワイトシチューがトロリとした香りを立てている。 「如何でしょう? 急だったのでありあわせしかなかったのですけど……」 「うん、野菜も煮崩れずに程よく柔らかいし鶏肉もシチューの味と絡んで美味しいよ」 「ありがとうございます、相沢さん。あれ……隆さん、何か口に合いませんでした?」 虎部がスプーンの上で野菜を転がして凝視している姿に小首をかしげたフラン。 「んっとさ、フラン。俺、ぴーまん苦手だから、変えてくれな……ぐえぇ」 突然走る激痛に蛙の潰れたような声を出す虎部。 手の中で踊るスプーン。零れたシチューが冷めていたのは幸いだった。 「優……お前……」 「そういえばフランさん、研究の進捗はどう? 気になる事はないかな?」 デリカシーのない相棒の脚を踏み抜いた相沢は、素知らぬ顔で話題を切り替える。 「隆さんお行儀悪いですよ」と言いながら、台布巾で虎部の手を拭いてあげていたフランが一寸思案気な表情を浮かべた。 「……そうですね。まだ、全て中途でこれと言ってお見せできる成果はないのですけど……そうですね、先日、みなさん世界樹探索しましたよね? そのせいかも知れませんけど、数日前から世界樹の苗のエネルギーが強くなっています。今なら、ナレンシフくらいできるかも知れませんね」 「フランさん、それは――」 乗り出すように耳を傾ける相沢の頬を虎部の手が遮る。 「はーい、そこまで。ストップだ、フランに顔近づけすぎなんだよ。そもそもだね相沢優君、君は事情徴収される立場だと弁えたまへ」 「何言っているんだ隆??」 「しらばっくれるのは、其処までにしたまへ。証拠は上がっているのだよ、チミィ。 フライジングでは、私の知らないところで随分とお楽しみだったそうじゃないか? っんー?」 隆の言うことは、いまいち分からない時があるが今日は一塩だ。 「ぶっちゃけだよ、絵奈君とはどうなんだね、んん? あのわがままバディを独り占めとは……けしからんよチミ!」 あんまりの妄言に少しイラッとしたが、トントン机を叩く音に気づき、相棒の意図に気づく。 (筆談……か、そういえばいつの間にか撫子さんとセクタン達もいない……連れて行ったのか) 『俺達は世界樹の中で、世界樹の果実を見つけた。これは念じれば願いが叶い、食べればイグシストの力を得ることができる、フランの研究に有用な話じゃないか?』 『有用かと言えば有用ですので、あれば研究材料になります。ただ、存在自体は知っています。果実は世界樹の種で研究所にある苗の元です。隆さんは世界樹の種って覚えてますか? あれは果実を安定的に使うために精錬した形なんです。果実のままだと危険すぎて使いようがないので』 『フラン、お前、物知り先生だな』 『旅団最高頭脳の秘書で研究助手だったんだから当然です。先に聞いてくれればいいのに』 (なるほど……しかし、隆め……先日のカンダータの発言といい、今の発言といいちょっとイラッと来たぞ) 「隆……人のこと言えるのかな? 今のうちにフランさんに謝っておいたほうがいいんじゃないか?」 珍しく業を煮やした笑みを浮かべる相沢にちょっとだけ虎部がたじろぐ。 「な……なんのことだ、この清廉潔白のとらぺ様に……」 「……隆さん噛んでる」 呆れ顔で呟くフランの目の前に置かれたのはひと綴りの報告書。 虎部の表情にまざまざと浮かぶ戦慄。 「ぐ……優、まさか、ヤメロ、それは……」 その懇願も虚しくフランは報告書を手にとり、頁を繰る度に柳眉が逆立つ。 「……私……ブランじゃない」 (そこかよ!!?) 突っ込む猶予は虎部には残されていなかった。 §一日目 二十一時 兵どもが夢の跡。 激昂したまま糸が切れたように寝入ってしまった少女の寝息が部屋を流れる伴奏。 「……隆、そのすまん。フランさんがあんなに怒るとは思わなかった」 持参していた缶ジュースを虎部に投げると相沢もプルタブを開けて一口含む。 「いや……大丈夫だ。ちょっと珍しいぐらい怒っていたな」 膝を枕に提供させられた王子様はおこりんぼの眠り姫様の髪を撫ぜてやりながらぼやく。 「そうですかぁ? 私にはぁ、フランちゃん、すごく楽しそうに見えましたけどぉ☆」 クッキーを持ってきた撫子が野郎二人にツッコミを入れる。 「というかぁー、フランちゃんが本気で怒ってたら、私がかわりに捻りきっちゃいます、ですぅ☆」 ペキッと不自然な音を立ててアルミ製の缶が螺旋を刻む。 男二人のちょっとばかり乾いた笑いが響いた。 ‡ ‡ §二日目 六時 陽光が刻む陰影がいつもと違う姿で壁に踊る。 (そっか、カーテン変えたんだもんね) 窓際に近づいた少女はレース生地を手に取ると頬に当てる、相貌がニヤけてしまうのは抑えようがなかった。 夢と現の間、少女を現実に戻したのは、微かに香る下拵えの匂いと親友の声。 「フランちゃーん、朝御飯準備しましょー」 「はーい、すぐ行きます。ちょっとだけ待ってください」 (……撫子ちゃん、研究だけじゃなくてこんなに助けて貰って……ありがとう) 心の中で感謝を唱えると少女は部屋から駆け出した。 §二日目 十時 「それじゃ、何かゲームしようか? 俺の家、プレ○テしか無いからwi○をやってみたいな」 そもそもたいそれた目的のない旅行、相沢の一声で本日の予定は決まった。 「えーとそれじゃ……まずこっちのフィットネスのほうを……」 「お久しぶりですね、フラン・ショコラさん。まずは前回からの変化を確認しますので両足を台に載せてください」 「……おや前回より体重が1kg増えてますね――ピッ」 「……アーアー、ワタシハキコエマセン、コノキカイハチョウシガワルイヨウデス」 「大丈夫だフランは太ってなんていないよ、胸がデカくなっただけだよ」 「えっと気を取り直して……こっちのゲームはえっとこのコントローラーを振って画面の敵を切りつけたり、こうやって弓をひくようにすると」 フランが胸を張ってコントローラーを引くと画面から引き絞るような音が響き―― 「こうやってはなすと……」 画面のキャラクターが幾つもの光弾を打ち込む。 「なるほど……ちょっとやってみてもいいかな。……少し軽いな、小太刀を振るようにやればいいかな?」 コントローラーを手渡された相沢がゲームを始めるが、振りが鋭すぎて画面が認識できず、ダメージが蓄積される。 「優、もっとゆっくり振るんだ」 「こうか?」 ざしゅっと音を立て、血しぶきを上げた巨人が真っ二つになる。 「よし、次は弓だ」 さすがというか様になった構えから放たれた弓がこれまた巨人を真っ二つにする。 「おい、優。残心なんてとってるな殴られてるぞ」 「へっへ、悪いなフラン。ドロ・フォーだ」 「あら私も、ごめんなさい撫子ちゃん」 「えへへ、私もですぅ☆」 「悪い、俺もだ……隆。残念だったな」 「ぐぬぬ……馬鹿な」 「麻雀はヴォロスでいうところの龍牌によく似ています。 確率論や数字の概念に共通性があり、メンタピ様が壱番世界人とヴォロス人の精神性や社会性の近似性を語る際によく例示されていました。 ドクターなども偶発性と確率論が交じり悟性の現れる良いゲームだと言っておりました、最も何故か知りませんが面子が揃うことはあまりありませんでしたけど」 「……なるほどこれで立直でいいのかな」 「ふ……優、お前の背中煤けてるぜ。みえみえのタンピンだな」 「わかるのか!? 隆」 「河をみればわかるさ、じゃあこの一筒は安牌だな」 「ええ隆さん、そうですね、相沢さんの安牌ですよね。……栄和、三暗刻役ドラ一親……12000は12600」 「私も栄和ですぅ☆ 混一色役一で8000……は8600ですぅ☆」 「な……ぐ……なんでふたりともそんな地獄待ちを……」 「え? それはねえ」 『狙い撃ちです』 『狙い撃ちですぅ☆』 「ぐふ……こいつらつるんでやがる……」 §二日目 二十二時 「え、悪いよ撫子ちゃん。お皿くらい……」 「ここは、私に任せるですぅ☆ フランちゃんは、虎部さんと二人切りで甘々デートでもしてくればいいのですぅ☆」 一番重要な仕事を忘れてキッチンに来た親友を押し返しながら撫子は大声で叫ぶ。 「ギベオンは星が綺麗だね、俺もちょっと眺めてくるよ。隆もフランさんと見てきたらどうだい」 所在なさげにダイニングに戻ってきたフランと撫子の声に微苦笑を浮かべていた相沢は、虎部の背中を叩くと研究所から姿を消した。 互いの親友が互いに気をかけてくれる。 残された恋人達は、顔を見合わせ、少し頬を染めながら笑う。 「優も撫子さんも、な、なんか忙しみたいだし、ちょっと行こうか」 「どこに? フランは物分かりが悪いからちゃんと言ってください」 困ったような彼の顔はどうにも意地悪をしたくなってしまう。最も―― 「夜の散歩……かな。星でも見ながらさ、いいだろ?」 彼がちゃんと答えてくれることは分かっているから自己満足なのだが。 「はい!」 彼が差し伸べる手はいつも温かくて気持ちいいとフランは思った。 §二日目 二十三時 相沢は、岩場に座って空を眺めていた。 敷き詰められた満天の星空は、壱番世界ではついぞ見ることのできない夜空に敷き詰められた宝石。 自分の息しか聞こえない世界、自分自身すら世界に溶け込みそうな夜の帳。 (壱番世界を救う手がかりか……) チャイ=ブレがいつか壱番世界を食べてしまうことは厳然たる事実。 壱番世界に再帰属してしまえば、寿命を迎えて死ぬまでにそれは起きないかも知れない。 子供の世代でも起きないかもしれない、孫の世代でも……そんな選択も―― (ないな……) 知ってしまった上で、その先の未来に災禍を残して安閑と生きて死ぬことを選べない。 (隆は、俺が壱番世界のことをチャイ=ブレのことを気にしてるから誘ってくれたのかな、あいつ変なところで気を回すからな……) チャイ=ブレはいつ目覚めるのか、それは明日かもしれない。 次は止めることができるのか? 誰にもそれを保証することはできない。 壱番世界に住む家族、友達、コンダクター達は、チャイ=ブレの気分で突然死ぬかも知れない定めにある。 「少し冷えるな、フランさん大丈夫かな? 今度来る時は、隆にセーターを持たせよう」 震えるのは肌寒さのせいばかりではない。それを認めないと強がりたくなるほどの薄ら寒い感覚。 今は強がる言葉を吐くのが精一杯―― §二日目 同時刻 星明かりが浮かび上がらせるは歩く二人の輪郭。 握り合った手と手でしっかり繋がっている。 「カーテン、気に入ってくれたか? 次来る時はなにかリクエストある?」 「うん、隆さんが選んでくれるならなんでも」 「今回は余り時間がなかったけど、次来た時はギベオンの探検でもするか?」 「うん、そうですね」 少年が繰るのは言葉、先に出るのは言葉。 本当はこの手から伝わる少女の温もりを感じることが一番なのだけど。 「ヴォロスはどっちだろうな」 「あの星をヴォロスと名付けよう」 瞬く星の中から一等碧々と輝く星を指さす少年。 相槌ばかりの少女ははじめて自分の言葉を紡ぐ。 「隆さん……私と一緒にヴォロスに帰属してくれと言われたら、どう思います?」 少女の輪郭が歩くのを辞め、少年は振り返る。 少女の表情は見えない、星明かりを写す瞳だけが揺れている。 「…………フラン、故郷に帰りたいのか?」 「うん……帰れるなら帰りたい。 何も知らないで生きていられたあの頃に……優しい人に囲まれて……知ってるだけの幸せの中で生きていた……あの頃に」 少女の星が消える、俯いたのか瞼を閉じたのか。 「ごめんね、折角来てくれたのに変な話して。 ……隆さんのことは大好き、心から愛している。会えて本当に嬉しいと思っている……貴方のためならなんでもできる。 でも、たまに……分からなくなります。私、生きてていいのかな? 私、幸せになっていいのかな? 私、沢山の人を殺したんですよ。ヴォロスでも、竜星でも…………」 少年の輪郭が少女の輪郭に重なる。 持ち上げた少女の重さは気にならない。 二つ重なった輪郭は一歩づつに前に進む。 「隆さん、いつかヴォロスに……私の家に連れて行って――私一人ではいけないから」 ‡ ‡ 三日目 十六時 ギベオンの空に耳慣れた汽笛が響く。 「それじゃ二人とも無理をしないで」 別れを告げ乗車する相沢、車輪が大きく動き始める。 「フラン!」 声に振り向いた少女に不意打ちのちゅーをする虎部。 「またな!」 大きく手を振ってロストレイル号に駆け乗る虎部。 滑り落ちそうになって相沢に引っ張りあげられる姿をフランは微笑みただ軽く手を振った。 §三日目 二十時 「撫子ちゃん、色々ありがとう。お料理もお掃除も……実験データとか見てくれてたんでしょ?」 キッチンから話しかける言葉に返事はない。 「帰らなくてよかったの……そのコタロさんに悪いかなって」 「だってパーティの後1人になったら、フランちゃん寂しいじゃないですかぁ。そんなの私が嫌ですぅ」 女二人で取る食事は男二人を迎えてた時に比べれば軽いもの。 食事が終わると撫子は丁寧に包装された箱をフランに手渡す。 「少し遅くなりましたけどクリスマスプレゼントですぅ☆」 箱の中身はストール、そして其の上に置かれた琥珀のブローチ。 「……ありがとう撫子ちゃん……いつも本当に」 久し振りの他愛もない会話に花を咲かせる女二人。 ――後夜祭 刻々と時間が過ぎ去り、眠らねばならない時間が近づく。 今日が終わればまた研究の日々が始まる。 撫子には、その前に話しておきたいことがあった。 「フランちゃん、どこに再帰属してもフランちゃんとはずっと友達ですぅ。 でも目の前に居なきゃ出来ないこともありますぅ。 フランちゃんが1人で強くなるって決意してその通りになるのは疑ってないけど、その間には寂しくて泣きたくなる日があると思いますぅ……それが分かってて1人にするの、私は嫌ですぅ」 撫子は少しだけ思い違いをしている。 フランの恐れた孤独とは誰とも繋がりの無くなること。 一人で研究しようとも誰かのためであれば孤独ではない。 決して独力で強くなろうと思っているわけではない。 しかしその思い違いは、フランの支えとなっている。 一人でいる時間に寂寥がない訳がない。人の温もりは理論では作れない、触れねば分からない。 「撫子ちゃん……ありがとう。撫子ちゃんと友達になれて本当に良かったと思ってる」 だからフランの言葉は真情を表わしている。 §四日目 一時 「チャイ=ブレにマーキングされててチャイ=ブレが休眠中なら、この研究は零世界でやればよかったんです! チャイ=ブレが目覚めてどうにかなるって言うなら、ここであろうが零世界であろうがもう誤差の範囲でしかないのに!」 布団を被った撫子の口をつくのは愚痴。 「撫子ちゃん、それは違うわ。私がここで研究している理由は複数の要因からです。 一つは勿論、チャイ=ブレを刺激しないため。目の前で自分を殺す研究なんて、どんな干渉があるか分からない。 それはチャイ=ブレが寝ていようが起きていようが関係ない……イグシストに劣る叢雲ですら、核すらない休眠状態で私やドクターを操り、運命を捻じ曲げた。 それに、そもそも論で申し訳ないですけどチャイ=ブレが休眠しているって言ったの誰でしたっけ? イグシストならぬ身が表層の現象を捉えた言葉に過ぎない……かも知れませんよね? 一つは私の研究で世界樹の苗や他の危険な実験器具が暴走した時の被害を減らすため……といっても此れは建前に近いかな、渡航制限もないですし。 現時点ではターミナルで暮らしているのと同じ程度のリスクしかないけど……そのうち分からなくなるかも知れません。 そしてもう一つは私と研究を図書館の政争の具にしないため、大きい力はそれだけで対抗者を潰す道具になるわ。 ナラゴニアだって未だに一枚岩ではないですし、図書館に不満を持っている人が使えば大変なことになる。 世界樹の力の一欠片だってターミナルの表面を更地に変えるのに十分だから」 フランの目は既に研究者のそれに戻っていた。
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