年越しを控えて街が賑わっているのと同じく、冷我国の宮城内もまた女官や官吏達が行き交って浮足立った様子を見せていた。もう日は落ちているので、連れ立って宮城を出て行く女官達の姿も見える。
大体のロストナンバーは宮城前で藤壺の女御――花凛姫一行と別れて街へ繰り出したが、華月とドルジェ、百田 十三だけは姫に申し出て傍に控える許可を貰った。十三は移動中に、一度だけ何からも身を守る護法符を渡していた。
(帝は一体、どういう意図があってこのような決断をされたのかしら)
花凛姫が嫁ぐまで使用していたという部屋に到着するまでの間、華月も不躾な視線を感じていた。自分達三人を見ながらひそひそと会話を交わし合うものもいる。宮城で姫を出迎えた女官達も、暁王朝から訪れた三人を見ていい顔はしなかった。
姫の部屋の回りを調べながら、十三は姫の部屋に結界を張る準備をしている。
「なぜここまで良くしてくださるのですか? 私を監視するように帝から頼まれたのですか?」
小さな声だ。十三はゆっくりと姫に近づき、跪いた。
「真意が那辺にあるか分からぬ方からの御依頼ゆえ万全を期したかった、と言えば信じていただけますでしょうか」
「私にも、あの方のお考えはわかりません」
帝の真意がどこにあるのかと考えを巡らせているのはドルジェも同じだ。話し相手になるという名目で近くに待機する許可を得た彼女は、思考を巡らせる。
(帝の思惑が気に掛かります。聞く所によると、姫様には故郷に婚約者がいたとか。まさか、ここで何か事を起こし、姫様の思いを遂げさせようなどと……)
そこまで考えて姫をちらりと見る。私はどうすべきなのでしょう、呟いた姫に十三が跪いたまま声をかける。
「姫が無事にお戻りになるのが最上と思いますが……あの方はどちらに転んでも手は打っているのではないかと」
その言葉に姫は俯く。このまま戻らなくても構わない、自分はその程度の存在なのだろうか、小さな呟き。
(……考えすぎですね、非現実的です。しかし、用心はしておくべきでしょう)
「藤壷の女御様。暁王朝へ戻られてからも、こうして時々お話ができると嬉しいです。私は、じきに暁王朝に引っ越します」
多分これからも縁があると思うから、華月が姫の隣に膝をついて、姫の手をそっと握る。すると彼女は少し安心したように微笑んだ。
*
「お小遣いの範囲でなら、好きな物を買って構いませんよ」
女官に妃嬪、官吏の衣装に身を包んで、ジューンは菖蒲とエーリヒを連れて街を歩く。
「あの小物屋、素敵!」
「ぼく、おもちゃがいい!」
二人が別々の方向に行ってもジューンはサーチ機能を常に起動させているので見失うことはない。交互に二人の側へと移動しながら、緋穂やツギメ、双子たちへのおみやげを選んでいく。
「これが桃の木の札ですよ」
「願い事かくんだよね!」
店の側には台の上に筆と墨壺が置かれていて、そこで書くことができる。筆に慣れていないエーリヒが「人の役に立ちたい」と書くのを手伝って菖蒲の方を見ると。
「見ちゃダメ! 内緒なの!」
年頃の娘らしい言葉が返ってきて、ジューンは思わず微笑んだ。
(冷我国……師達にはずいぶんとお世話になった)
煌 白燕は険しい山を登って仙郷へと辿り着き、仙人達に術を教わった。彼らに教わったものは、しっかりと彼女の裡に息衝いている。
(またきちんと挨拶ができる機会があるのならお会いしたいものだ……)
遠くに見える山影を眺め、心の中で礼を言う。そして近くの店で木札を買い求め、さて何を書こう――考えても浮かんでくるのは決まっていた。考えるまでもなく、当たり前のように浮かんでくるのは二人の親友の名前。ひとり、苦笑して慣れた手つきで筆を走らせる。
「お前達とまた正月を過ごせることを楽しみにしているよ」
そして親友達の札とともに懐にしまった。
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが借りた舞姫の衣装は、裾は長いが全体的に身体にフィットする作りだった。長い裾も軽い素材でスリットが入っているため、踊るのには支障はない。淡い色合いなのにところどころ鮮やかな色が使われていて、領巾を使って舞えば、軌跡がまるで華のように見えるだろう。
「わが親友が作ってくれた着物もちろん素晴らしいが、こちらの舞姫衣装はまた違った趣のある衣装じゃのう」
腕を振れば長めのたっぷりとした袖がひらひらと舞い踊るのも楽しい。普段と違う服に身を包むと、不思議と心も弾むもの。ジュリエッタはそのまま街を歩く。次第に大きく聞こえてくるのは歌声のようだ。その歌声と喝采に惹かれるようにして歩みゆくと、広場に出た。
「ほう……」
思わず息が漏れる。年男たちの力強い歌にあわせて、様々な年代の年娘達が軽やかに舞う。新しい年を無事に迎えられるよう、新しい年をつつがなく過ごせるよう、籠められた祈りが伝わってくるようだ。
「せっかくじゃから、舞いを披露してこようぞ。もちろん儀式として踊るからにはいい加減にはせぬ」
飛び入りも歓迎だということから、ジュリエッタは呼吸を整えて気持ちを厳かにし、頷く。
「よし、参ろうぞ」
ひらり飛び入った彼女の舞は居合道を応用したもの。静かながらも彼女は名前の通り、凛とした舞を見せた。
街に降りてからお祭りの雰囲気を感じてわくわくが止まらない。
(この雰囲気って好きだなぁ!)
屋台がいっぱい並んでて、人通りも激しい。けれども皆、どこか楽しそうで。お店の感じ、飾り、道行く人の服や表情。どれを見ても心が弾む。どの世界でも似ているようで違っている、そう思えるのはきっと、ユーウォンが旅人だからだろう。
「あっちが賑やかだなぁ」
リンゴ飴をぱりぱり齧りながらユーウォンは音につられるようにして歩いて行く。すると広場に出た。人垣の向こうから歌声が聞こえる。
人垣をかき分けて最前列まで出ると、年娘達の軽やかな舞が目に入った。
「すごいなぁ……あれ?」
見覚えがある人がいる、と思えばジュリエッタだ。飛び入り参加したのだろう。
「おれも飛び入りできるかな? 舞とか知らないけど、舞うように飛べるよ?」
「おお、ユーウォン殿! 是非に!」
気づいたジュリエッタに招かれ、ユーウォンも舞い飛ぶ。
「へお、賑やかだ。ほれ、あんたもどーだ?」
「ありがとうございます。どこも楽しそうですね」
それぞれ串焼きを手にしながら街をゆくのは榊とウルリヒ。眠ってはいけないのだから酒は控えたほうがいいか、なんて言いながらぶらぶら。気軽に立ち食い立ち飲みできるのが良い。
「あ、ねーちゃん、その札二枚くれ」
立ち止まった榊が買ったのは桃の木の札だ。すっと一枚をウルリヒに差し出す。
「ウルリヒ、あんたも書いてみねー? 覗いたりしねーよ」
「そうですね、折角ですし」
台の上に札を置き、二人並んですらすらと腕を滑らせる。
「それにしても意外ですね」
「俺もらしくねー事やってんなとは思うんだけどよ。混ざってみんのも悪くねーかなって」
で、何書いたんだ? とウルリヒの手元を覗きこむ榊。そこには『研究が進むように』とある意味彼らしい願いが書かれていた。ウルリヒは榊の札にそっと視線をやって、その願いを見て笑んだ。
「よく似合ってる」
「う……」
姫君の着用するようなひらひらした可愛らしい衣装に身を包んだアルウィン・ランズウィックに声を掛け、デジカメで写真を撮る。撮った写真をチェックしながらイェンス・カルヴィネンは自分のテンションが上ったのを感じる。自分も官吏の衣装に身を包んでいるからではない。アルウィンと一緒だからだ。世の父親は可愛い格好をした娘を前にして、こんな気分を味わっていたのかと実感する。
「行きましょうか、お手を」
芝居がかった態度で手を差し出すイェンス。アルウィンとしては少し恥ずかしいけれど面白くて。なによりイェンスが喜んでいるのが一番嬉しい。
「よ、よろしく頼むぞ」
差し出した手に手を重ねて、街を歩く。桃の札を売っている店で足を止め、二枚買い求める。アルウィンが書きやすいようにと抱っこして支え、イェンスは彼女が書き終わるのを待った。
りっぱなきしになれますように。
イェンスたちやみんながないたりしませんように。
「かけたぞ!」
誇らしげに札を手にするアルウィンの頬に飛んだ墨を拭きとってやり、よく書けてるよと褒めてイェンスも筆を手にする。
アルウィンや友人達や皆が幸せになれますように。
自分は思い出等をたくさん貰っているから、それを願う。
「見てごらん。綺麗だね」
肩車をして貰って見つめた舞姫達の踊りが美しすぎて、アルウィンは口を開けたまま見とれていた。はっと我に返った後に急いで下ろしてもらい、居ても立ってもいられない様子で舞姫達の輪へ飛び込む。人々も舞姫達も飛び入りの小さな姫に寛容で、見よう見まねで踊る彼女に声援が飛ぶ。
「アルウィン!」
イェンスの呼びかけに嬉しそうに手を振り返して。アルウィンの踊りは最初はおしとやかに綺麗に踊ろうとしていたようだったが、楽しいのか時々独自のアレンジが混ざる。創作の参考にメモを取っていたイェンスは、そんな彼女を優しい表情で見つめていた。
*
街を歩く男女の二人連れは、大体が寄り添って歩いている。それは「同道」の為の赤い組紐でお互いの片手を繋いでいるからだ。
イルファーンとエレニア・アンデルセンもまた、その一組である。
「面白い風習だね」
「なんだか不思議です。手を繋いだことは沢山あるのにこうやって赤い紐で結ぶと少し照れくさい気がします」
でも、素敵な風習ですね――小さく呟く妻との距離は0に近い。
「仲のよい恋人達は運命の赤い糸で繋がれているという迷信があるが、それの実体化のようだ」
「来年も同じ道を行けますように……そうありたいです。来年だけじゃなくてずっと」
囁くように告げたエレニアは、イルファーンの顔をそっと見上げて。
「ずっと一緒にいられますよね……だって私は貴方の妻なのだから」
「エレニア・アンデルセン」
「あぁ、私のいけない癖ですねこんな風に聞いてしまうのは」
イルファーンが何か言いかけたのを遮って、エレニアはふるふると首を振る。そしてもう一度、イルファーンの赤い瞳を見つめる。
「ずっと一緒に居ます。一言こういえばいいのですよね」
そして浮かべたほほ笑みは、優しく柔らかく、愛に満ちていて。
「愛してる、エレニア・アンデルセン」
イルファーンの口をついてでたのは愛の言葉。これからの未来に正直不安がないわけではないが、何があっても彼女を支えていく、その気持は変わらない。
「……私もです」
少し恥じらいを込めた彼女の返事に、イルファーンはそっと彼女の耳元で息をついて言葉を紡ぐ。
「その……人目のない所にいかないか。君のぬくもりを直に確かめたいんだ」
熱の籠もった吐息にびくんと身体を震わせたエレニアは、控えめに頷いて。ほんのり赤くなった彼女の顔を愛しそうに見つめて、イルファーンは妻を青嵐区の天幕へとエスコートしていった。
天幕の中。お互いの手と手を組紐で結んだニワトコと夢幻の宮は、二人用に天幕の中で肩を並べていた。ニワトコには日が沈んだ後も起き続けているというのが難しいけれど、折角だからと頑張っている。
「大丈夫でございますか?」
隣でニワトコの顔をのぞき込んだ夢幻の宮がそっと問う。少しぼーっとしかけていてたけれど、彼女の声で再び覚醒することが出来た。
「うん、だいじょうぶ。ねぇ、夢幻の宮……ううん、霞子さん」
「はい」
ここには二人だけだから、本当の名で彼女を呼んで。
「1年の中で、たくさんのことがあったね」
「ええ、本当に……」
二人は結婚式を挙げ、そして真のめおととなった。
頷く彼女の表情は柔らかく、幸福に満ちたもので。それは、紛れも無くニワトコが彼女に浮かべさせているのだ。
「また次の1年も、ふたりでいろいろなことをしようね」
「はい。新しい生活を、この国で……共に」
そっと、二人の影が重なる。
覚醒したての頃、ニワトコには1年という区切りにあまり実感はなかったけれど、今はふしぎとわかる。
これからもずっとずっと、1年を積み重ねていきたい――ふたりで。
別の天幕の中に、福増 在利とシャニア・ライズンもいた。手首を赤い組紐で縛っているものだから、思ったより近い互いの距離に在利は戸惑いっぱなしだ。
(誰も見てないはずだし、恥ずかしがる必要なんてないのに。どうして心臓は早鐘打ってて、顔が熱いんだろう)
シャニア手作りの魚料理を食べたり、買ってきた食物と飲物を口にしたり。何か話さないと、とは思うものの、かろうじて手料理に対する賛辞が出てきただけで。
「あのね、在利君。あたし、在利君の世界に帰属したいと思うの。ずっと、共に道を歩んでいきたいの」
「……!!」
しっかりと、近い距離で在利の顔を見つめて紡がれたシャニアの思いがけない言葉に在利の心臓が跳ねる。
「弟と他世界に帰属したいと考えているの」
「シャニア、さん……」
顔が熱くなる。恐らく真っ赤になっていることだろう。とぎれとぎれになんとか発した言葉に、シャニアが頷く。
嬉しい、嬉しい。けれども心臓が痛いくらいに早鐘を打つから、顔が熱くなったから、うまく言葉が出てこない。
「ふふ、相変わらずかわいいんだから♪」
黙りこんでしまった在利。その沈黙の理由がわかっているから、シャニアの胸に愛しさが募る。
(ええと、ええと……なにを、いえば……)
「……あ、あのっ」
思い切って声と顔を上げると、至近距離でシャニアの緑の瞳を見つめて。息を吸い込む。けれど。
「……こ、これからも、ずっと、よろしくお願いします……」
これだけが、精一杯で。
「大好きよ、在利君♪」
シャニアはそっと唇を重ねる。
「!?」
何が起こったのかわからずに硬直する在利から唇を離して、そのまま彼の身体をギュッと抱きしめた。
「これからもよろしくね、在利君♪」
二人きりの時間はまだまだ続く。沈黙も、愛しい。
「私、北極星号に志願したんだ」
脇坂 一人と赤い組紐を結んだ仁科 あかりは、叱られるのを覚悟で思い切って告げた。本気で考えた末の決断だ。守る、という約束を破るのではない。他人の意志と願いを尊重する彼の思いを守る為だ。
街の雑踏が沈黙を彩る。立ち止まった二人を、沢山の人々が追い抜いていく。彼は何と言うだろうか、覚悟は出来立てるつもりだがやはり少し、怖い。
「仁科」
呼ばれ、びくりと肩を震わせる。しかし。
「私は貴女の星になると決めたの。『貴女の居場所』から動かない。北極星みたいに、ずっと居る」
「!」
「何度も言ったけど、もう一度言うわね。『大丈夫、心配しないで』どこでもどこまでも行きなさい。待ってるから」
一人は怒らなかった。それどころか、あかりを優しく送り出してくれる。
「あんたが笑顔で居られるなら、決めた事に口出ししない。元気に楽しく、やりたい事をやりなさい。その代わり、途中で放り出したら怒るからね」
優しい表情で、あかりをみつめる一人。
「待っててくれる?」
一番理解して欲しい人に理解してもらえた、その優しさに涙が溢れる。
「バカ。泣くんじゃないわよ」
そっと涙を拭いてくれる彼の暖かさに胸がいっぱいになる。
彼は自分の星だから、自分は迷子になることはない。
心はずっと傍に……願う。
「せっかくだから、お店も見ましょう?」
背を押す大きな掌。二人は連れ立って並んだ店を片っ端から眺めていく。知人や友人へのお土産は勿論、自分達が楽しむための物を買うのも忘れない。
「へー、これお餅だって! 食べる?」
桃の枝の先に、味付きの一口大の小さな餅が蕾のようにつけられたそれを買ったあかりは一人のくちもとにそれを持っていく。だが、一人が口を開けた瞬間。
「あっ……」
くるんと枝を動かして持ちを自分の口にぱくっ。
「仁科!」
繋いだ赤紐が、きっと二人を同じ道へ導くことだろう。
「次はこっちを着て見せてよ」
「ニコさま……これ、あの、布の面積が」
貸し衣装処で二人だけのささやかなファッションショー。ニコ・ライニオはユリアナに片っ端からこの国の服を着せていく。彼女は何を着ても似合う。それに、何よりもそれを見ているニコ自身がとても楽しい。
「ダメかな?」
ちょっと露出の高い衣装。ねだるように首をかしげると、ユリアナは困ったようなをして、けれども顔を赤らめて。
「ニコさまにだけ見せるなら……着てもいいですよ。外には絶対着て行きませんからね!」
そう言って閉められる着替えブースのカーテン。てっきり怒られるかと思っていたが、良い意味で誤算だ。
王子と姫の衣装を身に纏い、二人は街中へと繰り出す。赤い組紐を買い求め、互いの手首に結ぶとなんだか不思議な感じがした。
「この風習は、相手と離れたくない、という強い意志なのかな」
「糸の切れた凧のようにふらふら飛んでいかないようにということなのかもしれませんね?」
ニコの呟きに彼女がいたずらっぽく笑う。
「どちらにしても、ニコさまには紐一本では足りない気がします……」
「そこは、これで許してよ」
そっと両手を重ね合わせて、熱い口づけを落とす。
君から離れない、約束。
*
姫の御前を辞した華月はひとり、街中を歩いていた。この世界で生きることを決めたのだから、他国の、特に冷我国のことは知りたいと思う。
食の水準は暁王朝と同じく壱番世界の現代に近いということで、似通った食材が使われている。けれども端々にこの国独特のアレンジが見られた。幾つか実際に買い求めて口にする。
「ん、美味しいわ」
敗戦国ということもあって経済状況など心配する所はたくさんあったが、年越しの祭りにこれだけ潤沢に食べ物が出回っているということはその点では心配ないのかもしれない。ただ、地方はどうなっているのかまでは分からないが。
歩きながらもしっかりと人々の生活を観察する。知るということは意味のあること。今後の生活にきっと、役立つはずだ。
「もう間もなく日が昇るでしょう。あなた方は祭りを見に行かなくてよいのですか?」
花凛姫がドルジェと十三に問う。姫付きの女官も数人ずつ交代で祭りに繰り出していた。
「祭りの喧騒というのは私の肌に合いませんゆえ。私は姫様が焦がれる故郷の景色とを共に見られれば十分でございます」
「姫をお護りすること、それが俺の望みです」
「そう?」
首を傾げる姫。この国では、貴族の女性が顔を隠す習慣はないのだという。
「邪魔でしたら目の届かない所に移動しますのでお申し付けください」
「そんなことありませんっ」
ドルジェの言葉に腰を浮かせかけた姫。数瞬なにか考えた後、姫は立ち上がった。
「上の階へ参りましょう」
室内階段を上り、上階のバルコニーに出ると、遠くに街の様子が見て取れた。外は仄かに明るい。朝日が登り始めていた。
「私は……幸せですね。こうして再び祖国の夜明けを見ることが出来たのですから」
姫の後ろに控え、同じ景色を眺める。
ドルジェと十三、ふたりの頭上には、姫の頭上にあるのと同じモノが点滅し始めていた。
日が昇ると様々な所で火が焚かれ始めた。桃の札を燃やすためだ。
焚き火に並ぶ人々の最前列にいた白燕は、誰よりも早く木札を投げ入れた。火が移り、煙が空を目指し始める。
花火を見て夕飯を食べて、年を越した後仮眠を取らせたエーリヒと菖蒲を起こし、ジューンは近くの焚き火に二人を連れて行く。
二人の安全に注意しながら共に札をくべて、白煙を見上げる。
「アルウィン、もう少しだから」
眠そうに目をこするアルウィンの手を引いて、イェンスは焚き火へと近づく。
「ん~……」
「ほら、これを」
小さな手に木札を握らせて、見本を見せる。倣って木札を放つアルウィン。二人の願いも天へと向かう。
榊とウルリヒも木札をくべて、白煙を見上げていた。
「届くのかねぇ……」
「信じないことには始まりませんよ」
「まあ、そうだなぁ」
人々の願いが空へと昇る。天帝が、それを受け止めてくれることを、願う。
*
「はふぅ……」
「お、いたいた!」
「えぇっ!? 健さん!?」
欠伸を噛み殺した陰陽師、帯刀実桜の元に現れたのは、坂上 健だ。
「こういう依頼なら、帯刀も多分来ると思ったんだ、今上帝の肝いりで。そういう姫の護衛なら街で遊ぶ暇なく姫に張りついてるかここの国の人と術合戦でもしてるかと思ったから……土産買う暇も遊ぶ暇もないだろうと思ってさ」
「お恥ずかしながら、その通りです……え?」
健が差し出した手の上の物を見つめて、美桜は大きな瞳を瞬かせる。
「これ、土産」
「私に、ですか? いいんですか?」
「帯刀のために買ったんだから、貰ってくれないと困る」
そっと、美桜の白い手が健の掌に伸びて、髪飾りを手に取る時に指先がそっと触れた。
「綺麗な細工ですね」
金糸と銀糸をふんだんに使った布と組紐を合わせた髪飾り。慌てて髪を手櫛で整えた美桜は早速それをつけてみて。
「あの、私なんかこんな格好ですし……似合いますか?」
「ああ、似合う」
そう言い切った健の頭上に数字が明滅していることに、彼はまだ気がついていない。
旅行中に大きなプレゼントを渡すのは荷物になるだけ、非常識だ。だから吉備 サクラは帰りのロストレイルに乗り込む直前にクローディアを捕まえた。
「クローディアさん! ちょっと重たいし嵩張るけどプレゼントです! おうちに帰ったら見て下さい」
大きな荷物を押し付けて、サクラはロストレイルに駆け込んだ。クローディアは首を傾げて彼女の背中を見送る。
カサッ……手に触れた紙の感触。添えられていた手紙を開く。
『この前買った布地で作ってみました。良かったら着て下さい』
吉祥寺に共に行った時に買っておいた布地。サクラは約8着のワンピースとドレスを作りあげてそれを持ってきたのだ。
「……お礼くらい言わせて欲しいのに」
なぜ彼女はここで手渡すことを選んだのだろう。0世界でいくらでも会うことはできる。
「……今度一緒に出かけるときに、着ましょう。お礼もその時に」
今度があると思っていた。だから、次でいいと思ったのだ。
新しい年を無事に迎え、旅人たちも0世界へと帰る。
今年1年が良い年となることを、誰もが願っているのだった。
【了】