この廊下を通るのは何度目だろうか。 ジャック・ハートはおもむろに壁時計を見た。窓の外は相変わらず晴れた良い天気だが、朝昼夜の概念がある世界ならばそろそろ夕方と夜の境界線といったところか。自室へ戻ろうと廊下を行く司書とよくすれ違う。 とあるドアの前で足を止め、ドアノブに手をかけた。 ノックをしても良かったがジャックは女性を驚かせるのが嫌いではない。そのままドアノブを回すと難なく開いた。 部屋の中では世界司書のツギメ・シュタインが鞄に書類を詰めているところだった。ドアがあまりにも自然に開いたためか集中しているためか、こちらに気がついていないその様子にジャックは小さく笑う。「よう、ツギメー。仕事はもうおしまいか?」 驚いた顔で振り返るツギメにジャックは軽く手を振った。「い、いつから……」「なぁに、ついさっきだ。心配すンなヨ」 一歩部屋に入って壁にもたれかかる。 目の前のツギメは驚き顔をすぐに正し、普段と変わらない様子で「まったく」と呆れつつも嫌がってはいない様子で呟く。 旅団との戦闘の際に怪我を負い、それから司書の記憶障害により三ヶ月間眠っていた影響か年が明けてからしばらくは本調子ではなかったようだが、時が経ち今ではすっかり元通りのようだ。 だが、まだすべてが元に戻った訳ではない。ツギメとよく顔を合わせていたカフェ・キャルロッテ。その窓際の指定席に最近彼女の姿を見ていなかった。「最近ドコで飯食ってンだ? キャルロッテでも全然会わねェからどこかで干からびてンのかと思ったゼ」 ニヤニヤと笑うジャックにツギメはばつの悪そうな顔をする。「さすがにミイラになるほど働いてはいないが……仕事をしていなかった期間が長かったせいか、どうにも休みにくくてな」 三食とも最近は自室か食堂で簡単に済ませているのだとツギメは言った。 司書とはいえ予言だけが仕事ではない。合間に本の整理を手伝ったり、他の司書の雑用も受け持っているのだという。「あとは新米司書の教育だな。これもやり甲斐があって楽しい」「色んな事やってンだナァ……でもな、そんなに根を詰めてたらまたブッ倒れるかもしれないゼ?」 お節介とは思いつつもジャックは言った。まったく無関係な者ならともかく、仲間意識を持った同胞に近い人間だ。気にくらいはなる。「そうだ、そろそろ仕事も終わりなんだろォ? 帰りに飯食って帰ろうゼ?」「ふむ、夕飯か……」「キャルロッテでも色男たちの挽歌でも……他の店でも。俺の奢りでどォヨ?」 なにやら微妙に合わない視線をツギメに向けて、ジャックはいつも通りのニヤニヤ笑いを向ける。 数秒考えた後、ツギメは顔を上げた。「そうだな。仕事をするのは良い事だが、やりすぎてまた迷惑をかけるのは私も困る。その誘い、受けさせてもらおう」「ヨシ、決まりだ!」「ちなみに……割り勘という選択肢はないんだな?」 ツギメを部屋から連れ出しながらジャックは笑い、「俺サマが一度言った事を覆すと思うか?」「……思わないな」 ツギメもそう言って笑った。「キャルロッテも新装祝いに行ったきりだから気にはなるんだがな、最近出来たバイキング形式のレストランに興味がある。そこでいいだろうか?」 レストランといっても格調高い雰囲気はなく、女性も男性も入りやすい雰囲気の店なのだという。 その店『本の宿』は多種多様な文化の集まるこの世界らしく、十数名のコックによる様々な世界の様々な料理が並ぶ。中には驚くような見た目の料理もあれば、故郷の料理に似たものもあるかもしれない。「お前の好物もあるといいが。さあ、少し並ぶかもしれない、そろそろ行こう」 今夜はゆっくり、二人で温かな味を。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジャック・ハート(cbzs7269)ツギメ・シュタイン(cvhd5843)=========
店に入るとドアに付けられたブックマーカー型の飾りがゆらりと揺れ、清楚な制服に身を包んだ店員が挨拶と共に頭を下げた。 左側に大きく取られたスペースがあり、そこに木製のテーブルと透かし彫りのイスが何組か置いてある。ラフな雰囲気の客が数人見えた。 本の表紙を模様のように配置した壁紙が目に入る。様々なタイトルがあったが明度が下げられており、そんなに煩い印象は受けない。 「なるほど『本の宿』ね……」 手近なイスに腰を下ろし、ジャックはツギメに向かい側へ座るよう促した。 店員が持ってきたお手拭と水を受け取る。 「料理は噂通り種類が多いようだな。ジャック、お前は何にする予定だ?」 「そうだナ、まずは喉を潤わせたい。赤ワインにでもするか」 食べ物が置いてある大きなテーブルにワインがないのを確認し、ジャックは店員に有無を訊ねた。どうやらアルコール類は別の部屋にしまってあるらしい。すぐに持ってくると離れた店員の背を見送り、ジャックはドリンクサーバーに近寄りグレープジュースを注ぐ。 「ほらヨ、お前はこっちの方がイイだろ?」 「ああ、ありがとう。実はワインと聞いて少々どきりとしていたところだ」 前にロメオへ出向いた際、酔ってしまったことを思い出してほっとする。 だがそれだけが理由ではない。この何事も豪快に見えるジャックという男は何かと細かなことに気付く。それにツギメはとても安堵するのだ。 運ばれてきた赤ワインをグラスに注ぐ。揺れる赤色はグレープジュースより濃い。 「ンじゃ今日も1日お疲れサン」 「ん、お疲れさま」 高い音をさせて乾杯し、二人の夕食が始まった。 ● さて何から食べようか。 そう迷っていると、ジャックからイタリアのコース料理という提案があった。 自分から選び取って運ぶ手間はあるが、そのおかげで自分のペースで食べることが出来る。 「この前カネロニ喰って初めて小麦粉美味ェッて思ってヨ。チーズとかトマトとか大蒜とか、匂いのある料理にも慣れたしナ」 「カネロニ……ああ、これはカネロニというのか」 ツギメは手元の料理に入った大きな筒状のものを見る。 パスタの一種で、見た目は大きいサイズのマカロニといったところか。中に細かく切った野菜やチーズ、ひき肉が入っており、上から更にチーズやソースで彩られ焼かれている。 「……ジャックは匂いのあるものが苦手だったのか?」 「苦手っていうか、そうだナァ」 同じものを口に運びつつジャックは言葉を探す。 「俺らの星じゃ喰いモンは全部食料プラントに頼ってッから、パッと見こっちの栄養補助食みたいで味も匂いもねェ。機械に余分な負荷かけられねェからヨ」 「なるほど……」 ツギメはジャックの出身地についてそれなりの話は聞いていたが、細かな事情はわからない。しかしこの説明でも十分だった。 「勝った時だきゃそこそこいろんなモンが出ッから、みんな戦闘に目の色変えてナ」 「戦の多い場所に住む者にとって、食事は貴重な娯楽だと聞く。きっと生きる糧のひとつだったのだろうな」 ものを食べて栄養にする他に、食べることで精神を支え余裕を作ることもある。 一体ジャックの故郷での「食事」というものが、どれだけの人の支えになっていたのだろう。 「初めてこの世界の……異世界の料理を食べた時は驚いたんじゃないか?」 「もちろん、どんなモンにも味が付いてるし栄養摂取が主目的じゃねェものまでありやがる。豊かな場所だ、ッてすぐわかったゼ」 栄養の偏ったものからお菓子という娯楽品まで、食べ物の種類や在り方はエンドアのそれとはまったく違っていた。 ソースや塩などの調味料も豊富で、それを惜しげもなく使っている。 戦闘のせの字もないコックや食品を扱う職業で一生食べていける者が居る。 「食」という文化ひとつだけでもジャックには驚きの連続だった。 「まァ嫌な経験じゃなかったナ」 今では慣れつつある味。それを噛み締めながらジャックはそう呟いた。 ああそうだ、とツギメに声がかかったのは数分後。リゾットを食べ終わったところだった。 「どうした?」 紙ナプキンで口を拭きつつ首を傾げるツギメに、ジャックはリボン飾りの付いた紙袋を手渡す。 「行くたびに買ってたが、渡す機会がなくてナ」 「ふむ……?」 そう重いものではない。不思議そうに中を覗くと藍色の綺麗な花をモチーフにしたバレッタがまず目に入った。 驚きながら手に取る。細工も細かく目に楽しい一品だ。その下にも他の品々が見えた。 「土産だ。そのバレッタはヴォロスに行った時のだナ、藍色が似合うと思ってヨ」 「これは、その、こんなに沢山いいのか? 私はそう旅行に行くことがない。だからお返しする機会が……」 「そんなのはいいんだッて。土産はお返しを期待してするモンじゃねェだろ?」 自然体でそう言うジャックを見て、ツギメは緊張を解き「そうか」と笑う。 バレッタの下には花の刺繍が入ったハンカチがあった。とても優しい手触りだ。袋の底には黒い小箱があり、店名が銀色の箔押しで記されている。 その小箱を開けてみると――収められていたのは、銀色の幅広いイヤーカフだった。 「それならお前の耳でもつけられるだろ?」 「ああ、……ありがとう、また食事する時にでもつけさせてもらおう」 慣れない装飾品をおっかなびっくり仕舞う。 ピアスは穴を開けるのが怖くて試したことがなく、イヤリングは締め付けが強く頭痛に襲われて以来つけていない。しかしこれならつけられそうだ、と表情が緩んだ。 「そして最後はコレだ」 「なに……っむ!?」 目の前にワッと広がった色彩に目を瞬かせる。 少し顔を離して見てみると、それはジャックが差し出したプリザーブドフラワーの花束だった。 ピンク色、オレンジ色、薄紫色、緑の葉、赤いリボン。 「……また鮮やかな色が部屋に増えそうだ」 ツギメは両手を伸ばしてそれを受け取り、胸に抱いた。 ● 美味しい食事と綺麗な贈り物。そのどちらにも和まされたが、ツギメにはひとつ気がかりなことがあった。 ジャックは人の目を見て話す人間だった。出会った時もそうで、異性慣れしていないツギメはよく挙動不審になったものだ。 しかし今日はどこかおかしい。話しているのに目が合わないことが多いのだ。 もちろん毎回ではない。おや、と思って見直した時にはこちらを見ていることもある。 「ジャック、不躾なことを言うがいいだろうか」 「ン?」 「……目に何かあったか?」 目を逸らされるようなことでもしたのかと思ったが、そうではないとツギメは思った。思ったから口にした。 それを聞き、その時も若干斜め上を見ていたジャックは瞬きと同時に視線の方向を固定した。 念動で、だ。 ツギメが言いたくないことならいいと付け加えかけたのを片手で制し、ジャックは口を開く。 「この前ちょっと怪我して機能がなくなってナ。再生不良かと思って抉り直したが駄目だった。客商売で視線が合わねェのは売り上げに響くからナ…何とかするサ」 「心配すべきは商売だけではないだろう。……無茶をする者を多く見てきたが、お前ほどの者は稀だぞ」 自分が担当した仕事以外も報告書で知っているものがいくつかある。ジャックの「無茶」は常人ならば無謀と言えるものばかり。 再生力と戦闘力の高さを知っているからこそ過度な心配はしてこなかったが、どうやら彼にも治せないものはあったらしい。 「私の方でも目の機能再生に関する情報を調べておこう」 「オイオイ、そこまですることじゃ」 「ジャック」 ツギメは眉根を寄せる。 「これくらいは、許せ」 「……わかったわかった。お前はこういう時は頑固だナァ」 「が、頑固と言うな」 咳払いするツギメにニヤニヤとしつつ、ふと気になっていたことをジャックは訊ねた。 「ところでこっちも気になってたんだが、後輩チャンの教育はいつ終わンだヨ? ミルも会いたがってたゼ?」 ツギメにはササキという名の後輩が居る。 燕尾付きのベストとプリーツスカートがトレードマークの少女は礼儀正しく明るかったが、何かと手がかかった。今でもたまに図書館内で迷子になるのだ、そろそろ司書になって1年が経とうとしているというのにこの有様である。 「人にものを教えるというのはなかなかに難しくてな……ああ、その内紹介がてらササキも連れてキャルロッテにゆこう」 きっと可愛いもの好きのミルに弄られまくるだろうが、それもまたいいだろう。 「だ、だがロメオは駄目だぞ」 「飲めねェヤツにロメオに来いとは言わねェヨ」 予想していた斜め上の発言にジャックは笑った。 来た時と同じようにブックマーカーが揺れる。 部屋まで送ると言うジャックに頷き、二人は揃って道を歩き始めた。 「……今日はありがとう。だが私でよかったのか?」 「どういう意味だ?」 「他にも誘える者は居ただろう、と」 誘ってもらった者が口にするのは失礼だと思ったが、純粋にそれが気になった。自分などと話していて楽しいのだろうか、という疑問がある。仕事ならともかく、日常で喋り上手でないのは身を以って知っていた。 「俺がお前に会いたかったし話したかった、そんだけだ」 問いに対し、ジャックは簡潔に答えた。 「少し気弱に見えるな」 責める口調ではなく、心懸かりだという風にツギメは言う。 普段なら笑顔を作って否定する。弱っている部分を見せまいと壁を作る。だが今夜は一瞬、それらを作るのを忘れた。 「俺ァ、得た物よりゃ失った物の方が多い。手に入れたと思っても全部指の隙間を抜けていきやがる……どうしろッてンだヨ」 目まぐるしく移ろう時の中で手を伸ばしたものがあった。 そのどれもが、手のひらを開いてみればそこには跡形もなくなっていた。 ジャックはエンドアの住人で、屈強であらねばならない「ジャック」で、しかしひとりの人だった。悩みもがき苦しんだ先で、自分の手に何も残らなければ思うところくらいはある。 「悪ィ……酔ったのかもナ」 ツギメはその背を軽く叩く。 「酔うだけ酔って言いたいことを言うといい」 普段ツギメは自分から人に触れることがあまりなかったが、この時は緊張しなかった。 「私はお前を仲間と思っている。お前もそうなんだろう?」 「俺は」 同胞に似ているが、同胞ではない。そうジャックは自分に言い聞かせたことがある。 しかしそれでもツギメが仲間と思われていると感じるのに十分だった。 「私はその手からすり抜けず、ここにいつでも居よう。それでも不足だろうがな」 「……それで我慢しといてやるヨ」 見えない目を細めてジャックは頷く。 「ツギメ……お前は今幸せか?」 道を一歩一歩進みながらそう口にすると、頷く気配が伝わってきた。 「ああ。そう問われるのは二回目だな。あの時は聞き返せなかったが、ジャック、お前も幸せか?」 辛いことがあったのだろう、と知りつつあえて訊いた。ほとんど三年越しの問いにジャックは口を閉ざす。すぐ答えられるものではなかった。 ツギメは笑う。 「いつか聞かせてくれればいい」 「ああ――まァ、その前に」 閉ざしていた口元に笑みが浮かぶ。 「また今度、ミルんトコでランチしようゼ?」
このライターへメールを送る