周囲の国と比べると小さな土地だったが、そこには緑の生い茂る草原と囲むように連なった山々があった。 山が育む綺麗な水や豊富な実りは人を寄せ付け、ある時小さな村が出来た。それは徐々に発展し、今ではひとつの街として機能しているという。 ある時、その街の子供が見つけた小さな石。 街を訪れていた知識のある行商人によりそれが竜刻だとわかり、調べてみるとあちこちから竜刻が見つかった。 周囲に竜刻が大量に眠っていると知れ渡るやいなや、他国からも人が集まり、恐ろしいスピードで街は育っていった。今までなかった場所に道が引かれて整備され、家が建ち、竜刻以外にも様々な品がやり取りされ住民が増えていく。 そんな中発見されたのが山の中にぽっかりと口を開けた洞窟だった。 入り口付近から良質の竜刻が見つかり、もしや中はお宝の山ではと調査団が組まれたのだが――「……どうなったと思う?」 世界司書、ツギメ・シュタインは話を聞いていたコンスタンツァ・キルシェと冬路 友護の二人にそう問い掛ける。「ど、どうなったっすか」「もしかして……全員帰って来なかったとかッスか?」「いや、帰ってきた」 ツギメのその言葉に友護は胸を撫で下ろす。 入った者が二度と外に出さない洞窟……冒険ものの物語にはよくある話だ。しかしツギメはそれとそう変わらない続きを口にした。「一人だけだがな」「ほ、ホッとし損だったッスよー!?」「でも一人でも帰ってきたってことは、その人は中で何があったか知ってるってことっすよね?」 コンスタンツァ――スタンの言葉にツギメは頷く。「この洞窟は中で枝分かれしており、さながら迷宮のようだったという。高低差が酷く一度通ると後戻りが困難な道、脆くて二度と通れない道などもあったようだ」 中には罠のような仕掛けもあり、まるで人が奥へ進むのを阻害しているかのようだった。 数々の障害により調査団の人数はどんどん減っていったが、そう簡単には帰れない。出口に繋がる別ルートを探している内に生き残ったメンバーは異様なものを見た。「三つ首の犬……?」 話を聞き、スタンが思わずそう漏らす。「名称は不明だが、仮に「ケルベロス」とする。三つの首を持った獰猛な凶犬だ。ケルベロスは巨大な鉄扉の前に座り、調査団を睨みつけていたそうだ」 ツギメは特徴を纏めた資料をスタンと友護に手渡した。 鋭い牙を持った三つの犬の首、鱗に覆われた竜の尾、黒い毛並み。たてがみはよく見ればすべて蛇だという。 人間の倍以上大きいが、動きはとても素早い。 唾液には毒性があり、噛まれた場合は早い処置が必要となる。 壱番世界の神話に出てくるケルベロスはとある菓子を与えれば楽に攻略可能となっているが、このヴォロスのケルベロスにその手は通じないそうだ。「よく出来た番犬ッスね。その鉄扉の向こうには何があるんッスか?」「ヴォロスで一番のお宝……竜刻だな。それも周囲で見つかったものより数段良質だ。これが今回の目標となる」 見たところ、この洞窟は街が栄える前に住んでいた原住民が作ったもののようだった。 その原住民は随分前に滅びてしまったが、宝を厳重に保管していたこの洞窟はそのまま残ったのだ。屈強な番犬と共に。 しかし宝の価値には危険が付随していた。「この閉ざされた部屋にある竜刻が暴走する未来が見えた。このままでは明日には街を巻き込んですべてを食らい尽くすだろう。そこでコンスタンツァ・キルシェ、冬路 友護両名には洞窟を攻略し、ケルベロスを退け竜刻に封印のタグを貼り付け回収してほしい」 罠の詳細はわかっていない。ケルベロスの情報はさっき目を通したものだけだ。 それでも侵入、探索、戦闘、回収すべてを成功させなくてはならない。そんな仕事だった。 二人は視線を交わした後、にっと笑った。「任せるッスよ」「この仕事、成功させてみせるっす!」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>コンスタンツァ・キルシェ(cpcv7759)冬路 友護(cpvt3946)=========
冷えた空気が洞窟の出入口から流れ出ていた。 水の香りがする。どこかで水の通り道と繋がっているのかもしれない。 入ってすぐ緩やかなカーブになっており、外の光が届くのはそこまで。 カーブを進むに連れ薄暗さは増し、ついには視界が漆黒に染まるだろう。そうなる前に冬路 友護はフォニスに辺りを照らしてもらった。 「勢いで受けたのは良いんスけど、いざ来てみるとやっぱ怖いッスよぉ~」 天井に蝙蝠のような生き物の光る目を大量に見つけ、友護は身を竦める。 ぽっかりと開いた出入口を通る風はまるで洞窟の呼吸のようだった。その不気味さは先へ進むたび強くなっている。まるで自らの足で進んで喰われにいっているように錯覚するほどだ。 『馬鹿野郎、任せろって言ってたじゃねーか! あの時の威勢はどうした!』 「は、そ、そうッスね!」 フォニスの喝に飛び上がりつつ、友護は気合を入れ直す。 その隣でコンスタンツァ・キルシェ……スタンはケルベロス戦を脳内シミュレートしていた。 ケルベロスの情報はツギメに知らされたものしかない。他は実物を見るまで計り知れないことだが、行動をひとつひとつ考えていくのが損になることはないだろう。 しかしちょっとだけ考えるのに夢中になりすぎた。 「……ん?」 つま先に触れた小石が動く。なぜか前へ飛ばずに地面の中へと吸い込まれていった。 それが何かのスイッチだと気付くのと同時に洞窟が揺れる。 「これは」 「お約束の……」 どごん! 真後ろで重量感のある音がした。振り返ればそこには洞窟いっぱいはあろうかという大岩。しかもご丁寧に転がりやすいよう丸く加工されている。 「う、うわぁ! やっぱりっすか!?」 その真上には穴。どうやらあそこから落ちてきたらしい。 ぐらりと傾き、大岩は徐々に加速しながら2人へと近づいてきた。 「逃げるっすよ友護!」 このまま突っ立っていた場合の未来を想像するのに予言はいらない。 靴底が擦り減るのも気にせず、全速力でごつごつした地面を蹴って走り出す。 轟音に驚いた蝙蝠もどきが飛び立って鳴き喚き、洞窟内はあっという間に騒がしくなった。 スタンは逃げながら友護が傍に居るのを確認する。この突然パニックに包まれた場所に居ると、ほんの少し目を離しただけでも仲間の姿を見失いそうだった。 長い年月動いていなかった仕掛けである。洞窟内の形も変わっており、所々で引っかかっては失速していたが、大岩はしつこく2人を追いかけた。壁の出っ張りを削り取る音を聞きながら友護はフォニスを引き寄せて腕に抱いた。 「……! どうする!」 「オレっちが決めるんッスか!?」 2人の前に現れたのは分かれ道だった。まだ数メートルあるが、ものの数秒で到達するだろう。 後ろからの轟音は止まらない。 友護の足は右に向いていた。 「こ、こっちッス!」 二手に分かれているといえども、両方ともまったく同じというわけではない。 入り口がやや小さく見えたのが右だった。 2人が右の道へ滑り込み、遅れて大岩が道と道の真ん中に激突する。凄まじい音をさせてめり込んだ大岩は右に傾き、入り口を数センチ残して塞いでしまった。 「これ、戻れるッスかね……?」 「こっちがこれだけ塞がってるってことは、もう片方に続く道を見つければOKっすよ。……たぶん!」 フォニスが道の奥を照らす。先ほどまでの道より歩きやすそうだ。 「仕方ないッスね。とりあえず進むッスよ!」 ● 灯りといえばフォニスだけが頼りだったが、何度目かの分かれ道で妙に明るい道があることに気が付いた。 恐々と覗いてみると、目に映ったのは壁や天井に張り付いた光る苔だった。 「これ、持って行けばいざって時の灯りになるんじゃ……」 「けど入れ物がないっすよ」 透明なビンか何かがあればよかったが、そう都合良くあるものではない。 仕方なくそのまま進もうとして、スタンは足を止めた。なんだかぞわぞわする。 「な、なんか聞こえないっすか?」 問われ、友護は耳をすませる。 光る道の奥から無数の小さなものが飛んでいるような、そんな音が近づいてきていた。 それが間違いでなかったことを2人はすぐに知ることになる。 「これは色々ときついッスー!」 光に引き寄せられたのだろうか、それは蛾の大群だった。否、こんな草木もない場所で立派に育っているのだから、蛾のようなものといったところか。 あの中に突っ込むなど真っ平御免だ。毒のある可能性も考えると、2人は引き返す他なかった。 残りの道から進むべき道を勘で選ぶ。何度か道を選択して、考えるだけ時間の問題だと2人は学んでいた。ぱっと見似た道ばかりなのだ。 道の外見に対し、仕掛けの種類は様々だった。 ある道では原始的な罠ではあるが、落とし穴が所狭しと存在していた。それなりに傾斜があり錯覚を起こしそうな道にあったため、思いのほか通るのに時間を要したのが少々痛手だったろうか。 洞窟内の大まかな地図は友護のギアで表示することが可能だったが、細かな仕掛けはそこに映らない。どこを通る時も一定の警戒が必要だ。 「あっ、水ッスよ!」 友護の指差した先をスタンが見ると、壁の隙間からちょろちょろと水が流れ出ていた。 長時間歩き通しで喉が渇いている。 しかし土色をしたその水を飲む気にはなれなかった。 「なんとか蒸留出来ないッスかね~」 「そんなことしなくっても持ってきた水筒があるんじゃ?」 「こういう場所で現地調達するのも浪漫ってやつッスよ!」 ちょっと調子の戻ってきた友護である。 「でも……さすがに腹を壊しそうっす、ぐるぐる腹を鳴らしながらケルベロスと戦うつもりっすか?」 「う、それはカッコ悪いッスね……」 スタンの言葉で容易に想像できてしまい、友護は唸る。 「……ところで」 「なんッスか?」 スタンは壁から目を離さずに言う。 「それ、そんなに沢山出てたっすかね?」 土色の水が壁から溢れ出ていた。 ビシッと亀裂が広がり、その衝撃と共に壁の向こうを渦巻く水の振動が足に伝わる。 「げっ……!」 「こっ、これも罠ッスか!?」 「いや、これは――」 壁が崩れ落ち、濁流が流れ出る。そこに人の意図した動きはない。 「――た、単純に古くなってただけっす!!」 叫ぶように言い、2人はまた走り始めた。 壁を粉砕し周囲に広がっていた霧状の水の向こうから、うねるような水が押し合いへし合いやってくる。 足元はすぐに水に覆われた。濡れた靴が滑り、速度が落ちる。 ここで逃げ切れたとしても、この水は大岩のように簡単には止まらないのではないだろうか。 そんな不安が友護の胸に訪れた瞬間、スタンが思い切り転んだ。 「!」 足を止め、即座に引き抜いた光線銃を濁流に向ける。 「とッ、――まれ、ッス!!」 発射された凍結弾が水に当たる。そこから瞬く間に凍りつき、後から迫っていた水が横へ逃げた。 それをも絡め取るように凍てつかせ、砕けた壁まで到達した氷はその穴を埋める。 温度の下がった洞窟内で白い息を吐く。それは安堵のため息だった。 「ゆ、友護ー!」 スタンの慌てた声に駆け寄ると、彼女は冷気で床に張り付いた服をばりばり剥がしているところだった。 笑いながら手を貸す。まだまだ先に進めそうだ。 ● 炎の吹き出る床をなんとか乗り越え、垂直に近い崖を2人で登っていく。 命綱のないその状況に何十回と冷や汗をかいた。 進んだ道の中には稀にどう見ても人工物にしか見えないもの、例えば彫像等があり、ここに人の手が加わっていることを再確認させてくれる。 どれだけ経っただろうか、足の疲労がピークに達したのを感じて壁にもたれかかる。もちろん事前の安全確認は欠かさない。欠かしたせいで少し前にもたれかかった壁が反転し、危うく奈落の底へ落ちるところだったのだ。 「ケルベロスまであとどのくらいッスかね~」 友護が携帯食料を齧りながら呟く。 食料や水はなるべく長く確保しておきたかったが、へとへとな状態でケルベロスとあいまみえるのは如何なものか。 それにこの洞窟は安全な場所ばかりではない。休める時に休んでおくべし、というのが2人の出した結論だった。 「ギアではどうなってるっすか?」 友護のギアは電子地図帳である。周囲の地形を自動で解析し表示するのだが、洞窟があまりにも複雑な構造且つ立体構造をしているせいでとても見づらいのだ。 それでもさすが持ち主といったところか、友護はすぐさま答えた。 「ここが現在地ッスね、少し進むと分かれ道があるッスが……片方の道は落盤かな? それで通れなくなってるッス」 「ふむふむ。これは?」 スタンは通れる道をまっすぐ進んだ先にあるものを指差す。 友護は一瞬言い淀んだ。わからないからではない、わかるからこそ。 「……た、滝ッスね」 「滝!?」 「さっきも水に襲われたッスけど、やっぱり水源が周りに豊富みたいなんッス」 果たしてその滝はどんなものなのだろうか。 スタンは進む道の先に目をやる。距離はまだ遠く、流れ落ちる水の音も聞こえない。 「滝くらいで足止めされてたら、ケルベロスなんて相手に出来ないっすよ。恐れず進むっす!」 奥を睨み付けたまま、スタンは干し肉を噛み千切った。 迸る水は闇の中に吸い込まれている。 底までフォニスの光は届かない。落ちたらどうなるかは想像すらしたくなかった。 そんな死を視覚化したような闇が足先から数センチのところに広がっている。 滝の流れる空間はドーム状に開けており、両サイドを走る細い道以外は真っ暗な穴だった。やや斜め上に奥へと続く道が見える。 元はそこへ橋が架かっていた様子だが、今では朽ちたのか辛うじてそれとわかる残骸が見えるばかり。残る方法は両サイドの道を通り、岩壁をよじ登るしかなかった。 先ほどの崖は底が見えた。こちらは見えない。より濃厚な恐怖が頭をぐらぐらと揺らした。 「そこ、ちょっと脆くなってるから気をつけて」 「は、はいッス」 フォニスの光が崩れかけた道の一部を照らす。 この光がなかったらどうなっていただろうか。松明ならとっくに燃え尽きていそうだし、ライトは水や火等で故障していたかもしれない。 真っ暗闇でここを進む様を想像し、友護はごくりと喉を鳴らした。それすらも広い空間に響いた気がする。 そもそも光源のある今でさえ方向感覚やバランス感覚が狂ってきているのだ。普通に歩いているつもりでも普段より体の芯がぶれている。 それは前を行くスタンも同じで、常に警戒しながら進んでいた。 緊張による眉間のしわが増えるか増えないかのところで、なんとか穴の真下に到着する。 「あとはここだけっすね……行くっすよ!」 幸運なことに、穴に向かって壁が緩やかに抉れている状態だった。 それでも何度かずり落ちながら登り、スタンは穴に身を滑り込ませる。 後を続く友護を引っ張り上げ、そこで一旦一息ついた。 手の平に滲んだ血をハンカチで拭き取り、チェーンソーをぎゅっと握る。 滝の音が背中を押しているかのようだった。 ● 暗い、暗い、闇の中。 犬はずっとまどろんでいた。 ここに光があったのは、とても昔の古い日のこと。 たまに訪れる主人が、明るく輝く苔や石を置いていってくれた。 それも今では洞窟内に散り散りになり、ここには何も残ってない。 訪れるものは、もう居ない。 そう思っていた。 思っていたのに、恐ろしく久しぶりに聞く足音が聞こえたのが、少し前。 懐かしい「侵入者」を犬は喜んで食い殺した。 まだ、役立てる。 ――まだ、自分は、番犬だ。 ● 着いた先はさっきの滝の空間より半分ほど狭い、それでも今まで通ってきた道と比べると数倍は広い場所だった。 壁には色んな所に穴があり、そのいくつかはフェイントやミスリードかもしれないが、様々なルートでここへ辿りつけることがわかる。 「フォニス」 友護の声でフォニスが広場の奥へと飛んでいく。 すると光に照らされ巨大て重々しい鉄扉が見えてきた。 扉の真横にごわごわしたものが見える。 フォニスがそちらへ近づこうとするが、長いものが追い払うように凪いで邪魔をした。 「やっぱり居たッスか」 「ケルベロス……」 ここへ入った瞬間から「もしや」とは思っていた。濃厚な血生臭さ、そして獣臭が充満していたのだ。 どう動くべきか2人は思案する。ここは広く、頼りになる灯りがフォニスのみというのは少々心許なかった。行うのは探索ではなく戦闘だ。 「友護。ここはあたしが囮になるから、その間に竜刻の元へ向かってほしいっす」 「だ、大丈夫ッスか? かなり素早そうッスけど……」 「すばしっこいのはあたしの取り得でもあるっすよ!」 短く、そして深く息を吸い込む。 その場でステップを踏みながらスタンは番犬を睨みつけた。 友護はフォニスを見る。自分は夜目が利く方だが、スタンはそうではない。 「フォニスはそっちにつけた方が良いッス?」 「いや、あたしの傍に居るってことは番犬の攻撃対象にもなるってことっす。でも気にしながら戦える余裕があるかわからないっすからね」 フォニスを一旦離れさせたせいか、幸い闇に目が慣れてきている。 いつも通りの反応は難しいかもしれないが、一撃でやられるほど自信がないわけでもない。 「……わかったッス。じゃあ3カウントで行くッスよ」 1 2 3! スタンが真っ直ぐ走り出す。 驚くべき速さで距離を詰めてきた侵入者に、番犬は唸りを上げる間もなく襲い掛かった。そこにあるのは警戒や警告ではなく、ただひたすら純粋な攻撃の意思。 跳んだ番犬の下を通り抜ける。 通り過ぎざまにたてがみの蛇たちが耳に残る鳴き声を残していった。 「さっきは助けられたっすからね、今度はあたしが助けになるっす!」 物騒な照れ隠しのようにチェーンソーが唸りを上げる。 友護が鉄扉に走り寄る姿を視界の端に捉えつつ、その存在を気取られまいと再度番犬へと向かっていった。 厄介な敵たが、なにも自力で倒さなくてもいいのだ。 「これを見るっすよっ」 ポケットから光るものを取り出し、番犬に見せる。 それはスタンが事前に用意した竜刻だった。もちろん保管されている竜刻に比べれば何の価値もないささやかなものである。 「お宝はあたしが頂戴したっす、扉の中はもう空っぽっすよ!」 細部を観察される前にポケットへとしまい、入ってきた道に向かってダッシュする。 番犬は野犬や愛玩犬とは違う。 自らの役割を「扉を守り、この部屋から侵入者を排除すること」と自覚している番犬はスタンが逃げ、部屋から出た段階で定位置に戻るつもりだった。 しかしそこに、何らかの方法で宝を盗まれたという可能性が加わった。 視覚だけでなく鼻と耳も頼りに番犬は動いていた。あの竜刻には保管庫の匂いはついていなかったが、匂いを消す方法があることも彼は知っている。 僅かな可能性であれ、番犬は真贋を確かめなくてはならない。 その為にスタンの背を追った。 尻尾のようなツインテールを揺らしてスタンは走る。振り返ると、番犬は壁に体を擦りつつ無理やり前進していた。 転んだらそこで終わりだ。訓練された番犬の走りは一瞬の隙さえ逃さないだろう。 だが逃げ切ってはいけない。引き付けながらスタンは向かう先に道の終わりを確認した。 「……ってい!」 靴底で勢いを削ぎつつ穴の縁に手をかけ、飛び出すように外へ出る。そのままチェーンソーを穴の隣の壁に刺し、ガリガリと音をさせながら降りた。 勢いを殺し損ねた番犬はスタンの真横を通り過ぎ、宙に放り出される。 何かに掴まろうとするが、滝の端を引っ掻くのみ。 暗闇の底へ落下していく番犬と、数秒遅れて聞こえてきた水音にスタンはその場にへたり込んだ。 「ミ、ミッションコンプリート、っす」 ● 友護が扉を開くと、そこには古い品々が所狭しと並べられていた。 どれも元は見事な物だったのだろう。だが今は錆びたりカビが生えている。 そんな中で件の竜刻は美しい姿を保ったままだった。 それがこの竜刻の異質さを表しているようで、友護は息をのむ。 「罠は……仕掛けてあるッスね」 ギアと自分の目も確かめながら進んでいく。 「友護!」 「よかった、無事だったんッスね!」 スタンの姿を見つけ、友護がほっとした顔をする。 指示に従ってゆっくりと進み、スタンは友護の手元にあるケースを見た。 「もしかしてそれが」 「……そう、竜刻ッス!」 それをじっと眺める。なんだか眺めているだけで不思議な気持ちになるものだ。 友護はスタンと同時にケースを開け、中の竜刻に封印のタグを貼り付けた。 そして大きく息を吐いた。 「お、終わったぁ」 スタンが扉の方を振り返る。すべて終わったのだ。あと残っていることは、ひとつだけ。 「まだ駅に帰る、っていう仕事が残ってるっすよ」 「あ、ああー! そうッス、あの道を戻るんッスか……」 通れなくなっている道は新しいルートを探さなくてはならない。それにかかる時間を計算し、友護は頭を抱えた。 スタンはにっこりと笑う。 「帰りはおんぶしてもらうっすよ、友護!」 「えぇ!? おんぶッスか!?」 「そーっす、こー見えてか弱いレディなんすからね!」 か弱いレディ……と友護はスタンの手にぶら下がったチェーンソーを見る。ちょっとだけ。 帰り道もまた、様々な冒険に満ちていそうだった。
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