小暗い悪意うずまくインヤンガイ。しかしそんな世界にも、活気ある人々の暮らしは存在する。生きている以上、人は食事をする。実は、インヤンガイは豊かな食文化の花咲く世界であることを、旅人たちは知っていただろうか――? インヤンガイのどの街区にも、貧富を問わず美食を求める人々が多くいる。そこには多種多様な食材と、料理人たちとが集まり、香ばしい油の匂いが街中を覆っているのだ。いつしか、インヤンガイを冒険旅行で訪れた旅人たちも、帰りの列車までの時間にインヤンガイで食事をしていくことが多くなっていた。 今日もまた、ひとりの旅人がインヤンガイの美味を求めて街区を歩いている。 厄介な事件を終えて、すっかり空腹だ。 通りの両側には屋台が立ち並び、蒸し物の湯気と、焼き物の煙がもうもうと立ち上っている。 インヤンガイの住人たちでごったがえしているのは安い食堂。建物の上階には、瀟洒な茶店。路地の奥にはいささかあやしげな珍味を扱う店。さらに上層、街区を見下ろす階層には贅を尽くした高級店が営業している。 さて、何を食べようか。●ご案内このソロシナリオでは「インヤンガイで食事をする場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけて好味路で食事をすることにしました。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが食べたいもの・食べてみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!インヤンガイではさまざまな危険がありますが、このシナリオでは特に危険な事件などは起こらないものとします。
死の魔女(しのまじょ)が『お友達』を連れて店内に訪れた時、客の受付にでた店員の表情が、凍りついた。 4体の『お友達』が、古いが由緒あるドレスをまとった死の魔女を取り巻いていた。『お友達』は、近くの病院の霊安室で横たわっていた者たちを、揺り起こした。霊安室で休憩していたわけではない。正真正銘、霊安室の住人たち、死人である。 死の魔女はより無残な死にかたをした者や、苦しんで死んだ者、深い恨みを抱いて死んだ者を好んだ。ある者は顔の半分が崩れ、ある者は頭蓋骨を輪切りにされ、ある者は病気で顔中にこぶが生じ、ある者は恨みの表情で醜く固定し、誰しもが、視線をそらせる痛ましい死にざまだった。 インヤンガイ、下町のある焼肉屋でのことである。 顔をひきつらせた女性の店員に向かい、死の魔女は微笑んだ。死斑だらけの紫色の肌と、焦点の合わない淀んだ瞳で、表情を作ることは意味がある。死者であっても生きている者と同等の扱いを要求するための、証明手段である。 「5人で予約した、死の魔女ですわ」 店員は、声を裏返らせて答えた後、厨房に駆けこんだ。店長の札を付けた不景気な男が、奥のテーブルへ案内した。 店内の奥へ案内された死の魔女は、歩きながら目深にかぶっていた山高帽をとった。しっかりと被っていたので、生前に切断された首が、帽子と一緒に外れた。頭の無い、ドレスのみが残った。 帽子を受け取ろうとした店員が、手を出したまま声をかけられずに静止していた。頭蓋骨を輪切りにされて絶命した『お友達』が、死の魔女に従った。『お友達』は、頭蓋骨を手に持ち、持ち上げた。鼻から上が持ちあがり、脳漿がこぼれて床を汚した。『お友達』が頭部の上半分を店員に渡す。輪切りにされた脳には、蛆虫がわいていた。 「こちらへどうぞ」 店長は手で示してから、本人は厨房の奥へ消えた。帽子から頭を外し、首の上に戻してから、死の魔女は案内された席に歓喜した。ほぼ店内の中央で、予約席の札が立っていた。 「さあ、みんな席について、食事を楽しむのですわ」 よろよろと席に着く『お友達』に、周囲の席にいた客が、一斉に逃げだした。 「ご注文はお決まりでしょうか」 怖々、という感情を隠しきれない顔で、女性の店員が声をかけた。縦じまのワイシャツに赤いエプロン、紺のミニスカートが制服らしい。『お友達』は時おり奇声を発する以外は、ただぼんやりと腰かけたままである。死の魔女がメニューを取ろうとして、前かがみになった時、首から頭部が鉄板の上に落ちた。まだ火を点けていない、冷たい鉄板の上に、死の魔女の頭部がごろりと落ちた。 回転し、止まった時、死の魔女の頭は横倒しになっていた。顔をひきつらせる店員を見上げ、死の魔女は死斑の浮かんだ顔で微笑んだ。 「さすが名店ですわね。注文する前に、こんなに極上の肉が出されるなんて、感激ですわ」 「えっ? あの……お客様……」 頭部を落とした死の魔女の体が動き、店員の腕を掴んだ。引き寄せ、テーブルの上に載せる。死の魔女の頭部を、頭部だけで話し笑う死の魔女を、目と鼻の先で見せつけられた店員は、大きな悲鳴を上げ、手足をばたつかせた。 「さあ、皆さん、遠慮はいりませんわ。今日は私の奢りですわよ」 逃げようとする店員を、『お友達』が押さえつける。死の魔女は片手で店員の頭を押さえ、片手で自分の頭部を掴み上げた。口を押し付ける。口を開き、歯をむき出し、まさに肌を喰い破ろうとした時、女は死者たちの手を振りほどいた。 焼き肉用のテーブルから転がり落ち、床の上に座り込んだ。ぶるぶると震えていた。死の魔女が、自分の頭部を持ち上げる。高く掲げ、上から、店員を見下ろす。 「まぁ、お行儀が悪い肉ですわね。みなさん、捕まえますわよ」 精一杯の悲鳴が上がり、店内は騒然となった。 「お客さん、困ります」 逃げ去る女を追おうとした死の魔女の前に、店長の男が立ちふさがる。手にしていた頭部を首の上に載せ、死の魔女が死斑だらけの顔を不快そうに歪める間に、『お友達』がゆっくりと進み出た。 「このお店は、お肉も満足に大人しくさせられないのですの?」 「あれは、肉じゃありません」 インヤンガイの店長である。自衛のために常備してあるのか、店長は機関銃を『お友達』に向けた。 「『肉じゃない』? では、お食事はどうなりますの?」 「それは、これから用意します!」 機関銃が火を噴いた。『お友達』の腹に風穴が空くが、もとより死者である。店長が自衛のために選んだ武器は、貫通力が高すぎた。体中を穴だらけにしながら、『お友達』は店長に襲いかかる。 悲鳴があがった。『お友達』が、死の魔女に機関銃を向けた店長に襲いかかる。死の魔女は、武器など恐れなかった。仕方ない、といった表情で、舌打ちをした。 「みなさん、それはお食事ではございませんことよ。もう少しの辛抱ですわ。席に御戻りなさいな」 4体の『お友達』の動きが、ぴたりと止まる。一斉に、元のテーブルに戻る。 「それでは、楽しみにお待ちしますわ。きっと、さっきのより極上の肉を用意してくださいますのね」 「は、はい……すぐに」 髪を乱し、息を荒げ、服を破かれた店長は、それでも生きていた。 「それから、お店を壊したのは、私でも『お友達』でもなく、あなたですわよ。弁償などいたしませんわ」 「わかっています」 「けっこう。では、お待ちしますわね」 一般の客は、すでに誰もいなくなっていた。 自分達が食料とならないために、焼肉店は解凍したばかりの極上の生肉を、塊でもってきた。テーブルの鉄板に火が入ったが、死の魔女も『お友達』も、鉄板が熱くなるのさえ待たず、肉の塊にかぶりついた。 特別な客に出すための、極上の肉である。 死の魔女は、ある意味では特別な客だった。 100グラムを食べるために、インヤンガイの庶民が月収を投げ出さなくてはならないほどの肉が、およそ10キログラム、死の魔女と『お友達』の胃袋に消えた。 死の魔女が店を出る時、代金を受け取った女性店員を、濁った瞳で見つめた。 「血が滴っていない分、減点ですけど、なかなかでしたわね」 食事に対する感想だったが、女は腰砕けになり、レジの向こうにへたり込んだ。 「やっぱり……あちらのほうが美味しそう」 『お友達』の一人が、死の魔女の肩を叩く。感情を持たないはずの死者に、ほんの少しだけ癒された瞬間だった。 了
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