森間野・ ロイ・コケはターミナルに帰ってきた。バケツいっぱいの灰を抱えて……。 0世界は今日も晴れやかな水色の空を無明の光に照らされていて、遠いインヤンガイの苦悩など最初から存在しないかのようであった。 彼女はよたよたと、灰を持って自分の住んでいる屋敷に帰ろうとした。 花咲く屋敷には待ち受ける人はいない。それが歩みを鈍らせた。 そのとき、ちょうど賑わうターミナルの店の一つ、美しいアクセサリー店を見つけると足を止めて、思いついたようになかに入ってガラスの小瓶を買った。頑丈なガラスが良いと店員を困惑させた。 灰は一部を残してすべて屋敷の庭に埋めた。コケが人を殺すためにふるったスコップで掘った。 かわりに僅かな灰を先程買った小さな瓶にいれて首からつるした。 屋敷で疲れた身を清めたとき、コケは髪の毛を解いた。三つ編みよりも伸ばしたままのほうが伴侶は好きだと言っていたからだ。 それから、コケは感情をなくしたように無表情になって庭を見つめたまま毎日を過ごした。スコップは庭の隅にうち捨てたままである。 草花は、コケが世話をしていなくとも、みずみずしかった。0世界の停滞がなせる幻想かも知れない。ただ、木々の向こうに世界樹が見えることだけが、昔と異なっていた。「コケ……戦った……、なんのために……」 あれだけ憎み合っていたはずの旅団はいまや、ターミナルの一員である。 コケの胸にぶら下がった灰がなにかを訴えかけているような気がした。 伴侶とこうして静かに庭を眺めるだけの日々が来る可能性はあったのだろうか。 ひとつの可能性が転がり、コケの心に広がり、沈めていく。どんどん、どんどん、どこまでも、深く。 ふと思い出してコケは部屋の、窓辺に置いてあったトゥレーンで作った花を見た。 真っ白いマーガレット。 それが黒ずんで、枯れている。 大切な思い出を語って作り出した花が……! コケは鉢を抱えて、急いでトゥレーンに向かった。 ドアを拳で叩くと、マスターのウィルが出てきた。「これは、どうなさいました?」「花、花が!」 差し出した鉢のなかの花はもう力を失って萎れてしまっている。「コケ、しばらく屋敷に戻らなかった、そのせい?」「……これは……どうぞ。なかに」 コケは緑豊かな店のなかに通され、椅子に腰かけた。その腕の中にはしっかりと鉢を抱えたまま。 ウィルはコケにあたたかな紅茶を出して、今までの経緯を尋ねた。コケが時間をかけて、ゆっくり、とろとろと水が流れるように語るのに耳を傾けた。「コケのせい? コケが間違えていた? コケだけが楽しかった? 自分の、どこ、だめだった、愛し方、間違えた?」 コケは鉢を見つめて語る。涙はもう出てこない。 ウィルはコケの前に両膝をついて視線を合わせた。「私の作った花は思い出であり、想いなのです。この花はまだ枯れてはいません」「ほん、とう?」「森間野さま、よく見てください」 言われてみると鉢のなかに小さな粒がある。 それをウィルはコケの掌にそっと乗せた。「花を咲かせてあげてください。あなたのお気持ちをこめて世話をして、その結果が花となります。それは森間野さまにしか出来ないことです。この種は、森間野さまの手と心と声を必要としています。よろしければ私もお手伝いしますので、どうか、もう一度、生み出してください」 コケは迷うように胸の灰のはいった瓶を握りしめた。「けど」「ゆっくりでいいのです。迷うならば、それを花と一緒に咲かせましょう。過去は変えられません。だからこそ、どうか先を考えてください。そのために花はあるのです」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>森間野・ ロイ・コケ=========
ウィル・トゥレーンは森間野・ロイ・コケを連れて店の裏手にある庭に出た。 店内に劣らず緑に溢れ、シダ、藤、薔薇……植物たちは好き勝手に細い枝を伸ばす。その中央には地面をくりぬいた小さな池が、なかでは水草がすくすくと育って底が見えない。 鉢から土をウィルは取り出す。コケは手伝おうとして自分のシャベルがないことに気が付いた。ウィルがそっと店のシャベルを彼女の手に滑り込ませる。コケはシャベルを握りしめたまま悪い呪いにかかったように動かない。その顔は石のようにかたく、葡萄の形をした瞳はじっとシャベルの摩耗した銀色に尖っているところを見つめばかり。 「森間野さま」 「うん」 ふわふわの土に種を落とし、優しく土をかぶせる。ウィルが汲んできた如雨露から水がちろちろと零れ落ちるのを、コケは不思議そうな表情で見つめていた。 水が染みて重くなった鉢をコケに受け取ると、ぽつりとつぶやいた。 「コケ、こんなこと言う資格はない。だから今だけ、言う。大好きな人が居なくなって、寂しい。すごく……寂しい……」 感情を押し殺して。 「友達は居る。仲間も居る。けど伴侶は一人だけ。これから一緒にしたいことが沢山あって……挑戦してみたいこともいっぱいあった」 瞼を閉じて、いくつものことを考えこむコケ。 「でも全て手遅れ……そう、何も出来ない! 声をかけても返事はない! 絶対にない…!」 瞳を開いたコケの口からは、今までの溜めてきた感情が奔流となって吐き出された。 ぎゅうと首から下げた灰のはいったアクセサリーを握りしめる。 コケの考えていた明るい未来、それはすべて潰れてしまった。 フェイという男が死んでしまったから、あるいは助けられなかったから。 「さあ、手を洗いましょう」 ウィルはやんわりとコケを室内へと誘う。感情を流しきるにはまだ早い。こういう客はトゥレーンには時折訪れる。コケは顔を伏せたままで小さくうなずいた。 小さな体の中で嵐が渦巻いているのだろう。複雑な心、思考、間違っていたのか、己が正しかったのか、なにもかも手遅れでも知りたいと切望から思い出に溺れてもちっとも答えは出てこない。 鉢を預かろうとウィルは手を伸ばしたが、コケは思い出と引きはがされるのを察知したのか身をよじって土に汚れた鉢を抱きしめたまま手を洗い、用意された椅子に腰かけた。 ウィルは彼女の前にそっと甘い紅茶を出した。香りが広がるとコケの体のこわばりが凪いでいくのがわかった。彼女は卓に鉢を置いて、ティーカップを手に取った。 「ウィル」 「なんでしょうか」 「聞いてほしいことがあるの。さっき、どうしても我慢できなかった。どうしてもできなかった」 今まで死んでいた気持ちが鉢の中身を変えるのを見て、胸に強い衝撃となって襲いかかった。まるでなにか抵抗するように。 「コケ、わがままだから。このわがままが伴侶を不幸にしたのに、なのに、コケは、名前を呼んでほしい……またフェイに会いたい。それは無理なことなのにそう、思ってしまう」 声が、死んだように沈んでいく。再び自分の気持ちが、溢れているそれをどうすればいいのかわからなくてコケは迷宮に入ったように迷いはじめてしまった。 「フェイは自分の罪を許されることより、罰されることを望んでた。自分の価値と意味を他人経由でしか、見出せない状態だった。そんな好きな人を、守りたいと思うのは変なこと?」 必死に訴えるように。 「コケ、とても後悔してる。離れることが守ることになるのだと、思わなければよかったって手紙で伝えて、たまに差し入れに戻ったけれど、フェイは何も聞いてないようだった。コケの離れる時の、対応が甘かったせい……フェイに、すべてになってほしいと言われたのに、守れなかった」 そもそも、フェイはコケを愛していたのかがわからないと言う。 フェイは愛したら壊すことを恐れていた。けれど最後の最期、コケは傷一つ負わなかった。 本当は愛していたから傷つけなくて済んだのか、それとも最後に彼の奪い続ける呪いがとうとう終わったからなのか、自分の行動に自信が持てないコケには判断出来ない。 だからコケは答えを求めて問う。 ウィルは静かに聞くだけ。ウィルはコケの物語を聞くことは出来るが、知りもしない伴侶について不用意な言葉を投げても傷が深まるだけだ。 人は出会い、別れる。 ターミナルは分岐点。 ここにいる者は旅を経て、出会い、別れ、また出会うことを繰り返し、積み重ねていく。 コケのことも、ターミナルではよくある一つの出会いと別れの物語のひとつにしかすぎなかのかもしれない。 だったらどこかに、誰かがコケの問いの答えを知っている人がいて、それを教えてくれるかもしれないとすら思う。 けれど出会いはその人だけのもの。コケの物語はコケだけのもの。誰かが答えを知るはずもなく、与えることか出来るはずもない。 それでもコケは問いかけてくる。 誰かが答えを知っているのだと思って。 間違えたくないのはもう傷つきたくないから。 失いたくないのはもう痛みを重ねたくないから。 自分はこれだけ相手にしたのだと口にする。そうせずにはいられない少女がいた。 「これは、コケの罪。フェイは罰された。コケも罰されるべき。誰が望んでなくても」 「罪とはなんですか」 コケは瞬いた。 「あなたのいう罪とはなんですか。あなたはご自身がしたことを口にされています。それを認めないおつもりですか? そして罰だといいますが、では、その人はどういう罰を受けたのですか」 「それは」 「人のすることに、罪も罰もないのです。罪だというのは己、罰だというのも己でしかないのですよ。世界が違えば価値観は異なりますし、生き方も、その人の個々で違うものです。ですから人は互いに傷つけあい、一番柔らかな箇所を撫であい、心から快楽をむさぼるだと思います」 ウィルは目を眇めて店にある大きな葉を撫でた。 「私が植物を愛するのは、私がとても利己的な人間だからです。植物はこれだけしたならばこれだけ返してくれる、見返りが期待できるんです。森間野さまは植物を相手にしているわけではいなでしょう? おっと森間野さまは植物なのでしたね。失礼しました。ものを言わない植物ではない」 コケは下唇を噛みしめて長く考えてから唇を動かした。 「コケはコケだけが楽しかった、だから」 押し殺したようにコケは続けた。 「罰を受ける」 コケは自分に罪があると思い、罰を望む。ウィルはそのような安易な逃げ道に逃げ込むものを多く見てきた。自分のしたことを自分で罰だと言えば誰も優しくしてくれる。そっとしておいてくれる。罰を与えれば罪は浄化されてしまう。 鉢のなかに眠る種は沈黙を守ったまま。 コケは鉢と共に、ウィルの店に毎日訪れた。 とろとろと眠るように椅子に腰かけて、陽射しを浴びて過ごす。ウィルは紅茶やクッキーを出したりしながら、チェロを弾くのに耳を傾ける。 一週間が過ぎても芽は出ない。 「私の作った花は持ち主の心に共鳴するんです」 「共鳴?」 「ええ。この鉢にある種は一度枯れてしまいました。それが種を作ったのは、再び生まれるためです」 時間は安らぎを与える。 ターミナルは無限に等しい時間がある。それはもしかしたら悲しみに溺れても、時間が進むことで安寧から忘却を与えるためかもしれない。コケははじめのうちこそ抵抗しようとしたが、こうして過ぎていく日々に、ゆっくりと呼吸を思い出した。 最初の日よりもずっと落ち着いてしゃべるようになったが、口から出るのは彼女自身を責める言葉ばかり。 「コケは、今後は罰されるまで、償いながら生きていきたいって、フェイを、長く覚えておきたい。唯一残った約束だから。そしていつか、コケが生きてる間でも死んだ後でも、今度こそフェイを幸せにしたいの」 「その人にとって、いいことが常に幸せだとは限らないこともあるんですよ。だって、あなたは、罰を受けることが幸せなんでしょ?」 別に咎めているわけでもなくウィルは微笑んで告げた。 「そうだ。種にいろんなものを見せるのもいいと思います。私の知り合いのところに行きましょう」 「うん」 ウィルがコケをつれて案内したのは閑散とした墓地だった。 ――汝の悼む名を懐え コケは目をぱちぱちさせる。 仮面をつけた少女にウィルが挨拶をして一言、二言ほど告げたあとコケを手招いた。 「彼女に案内を頼みました。私は紅茶を淹れてきます」 ウィルは休憩所に向かう。コケはまるで母親からはぐれた子どものように心もとなさから鉢をしっかりと抱きしめた。 墓石に溶け込んだ、庭。トゥレーンが光なら、ここは陰。唐草模様のレリーフの入ったガーデンテーブルを勧められる。 コケは彼女のことを知っている。旅団との戦いでドクタークランチの側近の、影。マスカローゼ。仮面に半分隠れた表情は愁いを帯びている。 「あなたのことは伺っております。しかし、話したいのならお話しください」 自分が楽しかったことを相手に差し出した。 自分がしたのに応えられないこと、今の状態に腹を立てている。 けれどコケはフェイが今までなにをしてきたのか結局、向き合わなかった。両親を殺した、妹を不幸にしたと口にされても、自分と同じだと口にした。けれどそれは違う。コケの場合、父が離れたのは仕方がないことだった、コケが母と離れたのも。けれどフェイは母を殺し、父を望んで殺した。 ホラ、自分のことばかり。 「そうですか、あなたは私が望んでも絶対に手に入れられないものを手に入れかけ、それを永久に失ったのですね」 コケが話し終わると、ウィルが三人分の紅茶を持って戻ってきた。 「戦時中、私があなたと出会わなかったのは僥倖ですね」 冴え冴えとした死の空気が墓地を抜ける。コケは思わず身を固くした。 「出会っていたら思わず殺してしまいそうです。……そうしたらフェイと言う人は悲しんだのでしょうか。ただ忘れたのでしょうか。あなたは脆弱な身にありながら戦場に立った。それは、彼と同じ風景を見たかったからですか? 人を殺すことが彼の重荷になっていたと……それを軽くしたかったと」 コケはこくりとうなずき。ティーカップに口をつけた。 「フェイと言う人はずいぶん甘えた人だったようですね」 コケは伴侶を侮辱されたと抗議しようとするが、マスカローゼの哀れむような視線に止められた。 「……甘えた人。私もそうですし、あなたもそうですね。彼は、一時でも甘えられる相手がいたのは幸せだったのかもしませんね。フェイは自分が不幸だと甘えて妹の人生を食い物にした。キサにすがったのはただそうして甘えていたにすぎない。彼は妹に甘えて生きて、それができなくなってからはあなたに甘えようとして、でもあなたは彼が望んだようには振る舞わなかった。並び立つことが正しいと考えたのですね。でも、彼にはそれが理解できなかった」 ……だから、あなたがわがままだったのではありません。 仮面から覗く唇は自嘲的な笑みを浮かべた。 「人を殺して、人の心が手に入るのならなんと簡単なことなのでしょう」 三人が紅茶を飲み終わるまで静かな時が流れた。 「コケは、インヤンガイに再帰属したい。あそこで孤児院を作って生活したい。珍しい薬草や花を生やして売って経費を得る。ウィル、コケがあそこで不幸になる人を減らしたいと思うのは、おかしい?」 「たった一人の孤児から離れずにいることができなかったあなたがですか?」 投げかけられた疑問にコケは一瞬思考が停止した。 「だってそうでしょう。フェイと言う人はお母さんが欲しかったのではないのかしら。ごめんなさい。私には人を責める資格などありませんでしたね」 マスカローゼは二杯目の紅茶に進む。沈黙するコケにウィルが優しく声をかける。 「再帰属を考えることのない私には難しい問いですね。ただその世界に住む人間が不幸か、幸せかも、己の価値観で決めるのではなく、よく知る必要があると思います」 旅人にとって世界は人と同じだ。知らなければ何もわからない。 コケの瞳は迷いながら鉢を見て声をあげる 「ウィル、これ!」 まだ心を言葉に出来ないが、それでも花は答えてくれた。 ヤブコウジ――白花を咲かせ、赤い実をつける。明日の幸福を祈る花。
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