オープニング

 仮面探偵フェイが全身から放つ殺気にロストナンバーたちは怯えた。
 久しぶりに仕事の依頼だというのでやってくれば、今にも襲い掛かってきそうな手負いの獣のように憤怒を全身から滾らせていた。
「久しいな、お前たちに頼みたいのはある調査だ」
 唇が動き、ゆっくりと依頼内容が語られる。
「【夢の上】という麻薬が出回っている。調査してほしい」
【夢の上】……それって……
 ロストナンバーたちの脳裏に世界樹旅団が引き起こした忌わしい事件が蘇る。

「詳しいことは俺が説明しよう」
 声に振り返ると、黒のチャイナ服に、右腕には金の糸で朱雀の刺繍を施された赤い絹を巻いた男――リュウが立っていた。
「久しいな。旅人たち……以前は世話になった」
 リュウは大手マフィア組織に属し、あるトラブルの際にロストナンバーたちに命を助けられたのだ。
 ロストナンバーに恩があるリュウの表情は柔らかく、ソファに座るように促すと事件について話し始めた。

 ここ最近、東の地区で【夢の上】という正体不明の麻薬が出回りだした。その効果は今までの麻薬よりも何十倍も威力があり、大勢の人間がすでに顧客になっているという。
【夢の上】の効果は人間の心を虜にするだけではない。
「精神興奮作用で、飲むと一般人にも飛躍的に肉体能力があがる。そのせいか、力を振るいたい若者がこぞって手に入れ……ここ最近、小競り合いが多い」
 個人にとどまらず、不良少年たちのカラーキングからマフィア組織、暴力団、それ以外でも【夢の上】の絶大な効果から、ただの麻薬としての使用だけではなく戦闘において使用する例があとを絶たない。
「ボスはこの事態を素早く鎮圧するためにも、五長大会議を開いた」
 五長大会議とは、リュウが属する鳳凰連合の他に四つの巨大非合法組織――暴力団組織・美龍会、武器密売組織・黒耀重工、総会屋・ヴェルシーナ、少数民族北地方人種組織・暁闇。
これらのボスが集まり、協力して問題を解決するための組織同士の会議だ。
 他の組織も、この状態をよしとせずすぐに「狩り」に乗り出す決定を下した。しかし……
リュウは忌々しげに拳を握りしめた。
「この薬は俺の管轄する地区で売りがなされていた……今回の件は鳳凰連合の仕組んだ罠だとまで言いだすやからが出ている始末だ」
 他の組織から鳳凰連合が【夢の上】を売り、利益を潤していたのではないか。あらぬ疑いの火が飛び、今では他の二組織――美龍会、黒耀重工からは鳳凰連合を組織ごと粛清すべきとまで過激な意見が出た。
 そもそも組織がこのような同盟を結び表向き平穏を守っているのは、二十四年も前に行われた血で血を争う戦争においての唯一の妥協案だったからだ。
無利益な争いをしないことがより、利益になる。しかし、いついかなるときも相手を潰そうと野心はなくなることはない。
とくに他組織の追随を許さぬ武力を誇る鳳凰連合、その双頭の蛇といわれるヴェルシーナは政治、経済に対して絶大な影響を誇るため他の三つの組織からしてみれば忌々しい存在だ。

 マフィアにとって麻薬は金になるが危険もはらんだ商売。
 鳳凰連合のボスであるフォン・ユィションは筋金入りの薬嫌いで、今までに何度か麻薬の売買をめぐり、他の組織と衝突を繰り返してきた。そのフォンの部下の管轄地区で麻薬が売買されているとなれば、他の組織からヤジが飛ぶのも無理からぬことだ。このままでは組織の面目が潰れ、他組織との無駄な争いになりかねない。
 現在、鳳凰連合は過去のトラブルから幹部の一人が死亡、そのあとをリュウが継ぎ、穴を埋めるという立て直しをはかっており、無駄な争いに時間を割くだけの余力はない。
「今回、他の組織のこともあり、出来限り早急に薬の出どころを探りたい」
 薬を売っている店は若者向けのバー。
 そこそのものを力で叩き潰すことは簡単だが、疑いを晴らすためにも一体誰が商売をしているのかを知る必要がリュウにはあった。
 そのため、ロストナンバーたちに潜入捜査を依頼し、薬を売っているのが誰なのか、出来ればその裏を探ってきてほしいとのことだ。
「ボスは他の組織との交渉もあるし、政府の動きもどうもあやしい……噂では<黒の咎狗>が動き出しているとか」
黒の咎狗? ――ロストナンバーが眉を寄せた。
「政府の狗だ。罪人を独自の判断で殺すことが許可された殺し屋集団。別の名では討伐隊ともいわれている。ずいぶん前に筆頭が引退し、組織そのものは機能停止していたはずなんだが……いや、今回のことには関係ないだろうから気にしないでくれ」
 リュウは頭を横にふり、話題を変えた。
「注意してほしいのは、このバーでは夜な夜な狐狩りが行われている……一種の集団によるいじめさ。一人に大きな武器を持たせて、あとの数人が武器を持って攻撃する。
薬にラリッた上、強くなったのを見せたいのだろう……お前たちに潜入捜査を頼む、ということはお前たちをこの危険にさらすことを意味している」
 リュウはそこで苦しい顔をした。出来ればこんな依頼はしたくないのがその顔からありありと伝わってきた。
「リュウ、なら俺がやはり潜入捜査を」
「フェイ、お前はだめだ。……どうも【夢の上】の中毒者はフェイを探している。どうもフェイを連れてきたら薬を好きなだけもらえるという条件が出されているそうだ。フェイには出来ればここで身を隠していてもらったほうがいい」
 リュウはちらりとロストナンバーたちを見て目を眇めた。
「俺も出来る限り協力する。……今は、これでも鳳凰連合の幹部だからな。問題の地区は俺の庭でもある……ま、正式な儀式は正月にする予定なんだがな……すまん」
 携帯電話が鳴り、リュウがすぐに出た。その顔がみるみると強張った。一言も発さずにいたが、みしぃ――携帯電話にひびがはいった。会話を終えると携帯電話をすぐに懐しまった。
 一瞬、ぞっとするほどの昏い怒りを宿した目にロストナンバーたちはぎくりと身を竦めた。
「この件に関しては出来るだけお前たちに協力はする。……俺は今夜、少し用事が出来たから直接なことはあまりしてやれない……すまんな。」
 そのあと、リュウは誰にも聞かれないように吐き捨てた――ティゴ(殺してやる)と、

品目シナリオ 管理番号1546
クリエイター北野東眞(wdpb9025)
クリエイターコメント !注意!
 このシナリオは性質上、やや惨酷な暴力表現が出る可能性があります。苦手な人はご注意ください。

 魔都より、裏社会や陰謀その他いろいろと絡み合うぽい新シリーズをひっさげてお久しぶりです。
 第一弾の今回は以前のシナリオ【夢の上】シリーズの麻薬が再び蔓延っています。(関連シナリオは読まなくても大丈夫です)
 それがどこから出ているのかを調査するのが依頼です。

 薬を売られている場所についてはリュウはすでに調査済です。
問題はその裏で薬を売っている者は何者なのかを探りたいのです。売り手もそうですが、その裏にいるのが旅団か、それともただ裏組織のもめごとなのか。

 潜入捜査にもなると思いますが、【夢の上】の性質上、怪しまれたりしたら大変危険な目にあう可能性もあるのでご注意ください。それにリュウが述べたように、このバーでは陰気な「狐狩り」なる集団リンチも存在します。みなさんがその危険性にあることも、また、それに関与させられるということもあるでしょう。
 それも話を聞くと、どうもその売り手たちはフェイのことも探しているぽいですが……

 今回、探偵フェイはみなさんの足をひっぱらないためにも事務所で待機。あまり役には立ちません。
リュウは頼まれればいろいろと協力してくれるでしょうが、何か用事があるようでバーにいかれるみなさんに同行することはできません。

参加者
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
森間野・ ロイ・コケ(cryt6100)ツーリスト 女 9歳 お姉ちゃん/探偵の伴侶
アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)ツーリスト 女 26歳 将軍
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)ツーリスト 男 25歳 軍人
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官

ノベル

「オイ、ソッチの長衣、今晩の人殺しに手助けはいるかい? ギャハハハ」
 ジャック・ハートの不遜な申し出にリュウは獲物を狙う鷹のような鋭い目を僅かに細めた。
「……殺し合いをするつもりはないぞ」
「ンな殺気バリバリで話し合うワケねェだろォ。別に依頼人が死ななきゃいいけどナ、俺サマはヨ」
 挑発につぐ挑発をリュウはわざとらしくため息をついて受け流した。
「ロッソだけか、用意するものがあるのは……金も渡しておくから好きに使ってくれ」
 連絡用の携帯電話と黒革の財布をリュウはファルファレロ・ロッソに投げ寄こした。
 受け取ったロッソは携帯電話を片手で弄るとそのなかに必要な連絡先――フェイの探偵事務所、リュウの携帯電話の番号がはいっているのを見て満足げに頷き、懐にしまった。次に無造作に渡された財布を見てヒューと口笛を一つ。
「ふん、なかなかはいってるな」
「好きなだけ使え」
「懐が広いことで……本気で潰したいってことか」
 くくっと猫が狩りを前に舌舐めずりするように笑うロッソを無視してリュウは目だけで残りの者に何か欲しいものがあるかと問うが、森間野コケ、アマリリス・リーゼンブルク、コタロ・ムラタナは無言で首を横に振った。坂上健だけが何かいいたげな目を向けていたが、リュウの放つ殺気に口を開くタイミングを完全に失っていた。
「……お前たちの働きに期待している。では、あとは頼む」
 リュウが踵返し、事務室から出ていく。
 ようやく金縛りが解けた健はひと息つくと、拳をぎゅっと握りしめて走り出した。
「リュウ!」
 事務所を飛び出し、階段で健はリュウに追いついた。
「待ってくれ、提供できる情報がある!」
リュウが興味を引かれたように足をとめて、振り返る。健と見つめ合い、話すように無言で促した。
「夢の上っていう麻薬は元々、百足兵衛って蟲使いが持ち込んだものだ。あいつの狙いは世界を自分の思うままに作り変えること。俺は一度あいつとやりあったけど……あいつは体内に蟲を飼ってて、切ったり撃ったりした程度じゃ死なない。爆弾使って本気で吹っ飛ばさなきゃ怪我もしない。あいつは自分の手下になる人間の記憶を自由に読めて使えるらしい。キサはその蟲に食われて」
「キサさんが? ……死んだと聞いたが、まさか事件に巻き込まれて……すまん、気にするな。続きを」
 リュウの顔が一瞬だけ険しく変わり、すぐにまた無表情に戻った。
「あ、ああ。……キサはその蟲に食われて……フェイを探しているのはそのせいだと思う」
 と健は勢いよく言葉を続けた。
「ここはレイの縄張りの筈だ。なのにあんたが出張ってきて、そんなに殺気立ってるのは……レイになにかあったのか? 冷静さなしで百足の仲間かもしれないヤツとやり合うのはヤバすぎるぞ」
「レイは交渉の仕事をしているだけだ。心配するな……俺が百足とやりあうとしても、お前がそこまで気を回さなくていいんだぞ、健」
「俺は……ただよ、バッカスの時に助けてもらった借りを返しただけだ……あんたは、食われるなよ。知り合いが食べられちまうなんて、一度で十分だ」
 健は気まずげに一度自分の足先を睨んだあと、すぐに顔をあげてリュウを見た。先ほどまでの怖いほど殺気が嘘のように落ちついているリュウはふっと口元に笑みを浮かべた。
「お前もな。健」
「お、おう!」
 背を向けて歩き出すリュウを健は見送った。

「お前、自分を狙う奴に心当たりはないのか?」
 ロッソの問いにフェイは小首を傾げた。
「あるといえば、山のようにある。ないといえば本当にない」
「アアン? 濁した言い方してんじゃねぇぞ。ヤバイことの一つや二つしてきたんだろう? 特に政府や裏社会の関係だ。白状しろよ。自分の命のほうが大切だろう」
「フェイ、コケ、気にしない」
 コケはフェイと個人的に親しい。そんな自分の手前、フェイが濁した言い方をしているのかと危惧して、安心させようと微笑みかける。
「別に濁してないぞ。……鳳凰連合の幹部のレイとは個人的に知り合いだ。昔、あいつの下で用心棒をしていたことがある。そのときさんざん色んな奴とやりあったからな。未だに恨んでいるやつは多いだろうな」
 それに、とフェイは付け加える。
「俺は一度討伐のターゲットにされたことがあるが、それも昔のことだ。討伐隊は解散して久しい、もし本当に再結成されていたらもっと噂は大々的なはずだ」
 ハッ、ロッソの眼鏡の奥にある瞳が嘲笑う。
「そんなもん、隠しておいたほうがなにかと都合が良ければ隠しちまうぜ。テメェの頭の上にのってるだけが能じゃないココで考えてみろよ」
 わざとこめかみを人差し指で叩いての嫌味をフェイは肩を竦めて無視したが、むっとした顔で両手を広げたコケがフェイとロッソの間に割り込んだ。
「フェイを、いじめない」
「いじめてねぇ。俺はただ必要な情報をだな」
「……今度、いじめたら、蔦の刑」
「ちっ……」頭をくしゃくしゃと乱暴にかいてロッソは他の仲間に向き直った。「ここでやることねぇなら、さっさと行こうぜ」
「そうだな……うむ」
 アマリリスが腕組みをして、集まった面子を眺めて、一度大きく頷いた。
「今回、媚びて情報を得られそうなのは私くらいか」
 ロッソ、ジャック、コタロ、健は男であるし、コケは幼すぎる。
「では、軍資金もいただいたことだ。多少の演技も頑張ってみるか。……ロッソ、女は支度に時間がかかるものだ。少し付き合え」
「へっ、どう化けるつもりだ」
 アマリリスはロッソに優雅に微笑んでみせた。

「オー、オー、行け、行け」
 ひらひらとジャックが仲間たちに手をふる。
「ジャック?」
 コケが不思議そうに首を傾げた。
「俺サマはココに残ってコイツの護衛をする。……テメェら信用してっから、別のアプローチするッて言ってンだヨ。さっさっと行けヨ……夜が明けちまうゼ? ヒャハハハ」
 ジャックの顔は余裕綽々で何か考えがあるように見え、アマリリスが鷹揚に頷いた。
「そうか、では、任せよう。私たちは行こう」
 他の仲間たちが事務所を出ていくのにコケは仲間たちの背とジャックを交互に見つめ、すぐに決意した瞳でジャックを見上げると、その手をぎゅっと掴んだ。
「アン?」
「フェイのこと、よろしく。コケ、がんばってくる!」
「オウ、がんばってこいヨ」

 二人きりになると、フェイはジャックに視線を向けた。
「いいのか? 俺なら自分の身くらい守って」
「戦いの予感がッてナ。襲撃があるならコッチのほうが面白そうだと思ったンだヨ……お前も知ってるんだろう? キサの記憶を敵が利用してるのは? だったらここは間違いなく狙われるぜ」
 事務机に腰かけてジャックがにやにやと笑う。目は笑っていなかった。
 キサの名前が出たとたん、フェイの唇は一文字に結ばれ、激しい怒りの熱気が部屋を包みこんだ。
「オイオイ、そう、カリカリすんなヨ。ここを丸焦げにするつもりカ? こうして二手に分かれりャ、少しでも情報を得られる可能性が高まンだろ? どの道、コレで情報がなきゃコッチの負けだ……焦んじゃねェ」
 電話の途中から明らかに殺気をたてていたリュウ。気になって表層意識をフェイともども勝手に読ませてもらった。フェイは嘘をついている気配はなかったが、かわりにリュウの頭のなかはどす黒い怒りに満たされ、流石のジャックも一瞬怯み、それを顔に出さないのは多少の努力が必要だった。
収穫は、リュウが電話を終えたとき、一瞬とはいえ今から向かう場所を頭のなかではっきりと呟いたことだ。
「しかし、お前がここに残って、本当によかったのか?」
「なんだヨ、アイツらのことが心配なのかよ?」
「もちろん」
「お人よしだな。自分の命のほうが危ないんだぜェ?」
「死ぬときは死ぬしかないだろう。ただで死んでやるつもりはないがな。……だが、お前たちはそうじゃない」
「ハッ! ジャンキー如きにアイツらが負けッかヨ」
「そうだな、信じよう」
 フェイは事務所の窓から外へと目を向けた。血のように赤い色で世界を満たす、夕暮れを睨みつけた。
「……今夜は、長い夜になりそうだ」

★ ★ ★

 インヤンガイにはいかがわしく、腐った臭いをさせる通りはいくつもある。いくら表通りを整備し、清潔にして隠すことは出来ても、消し去ることは出来ない。
 そのなかで最近、有名になったのが、バー『麟』。
 ドアは寂れて物寂しいが、なかに一歩足を踏み込むと、アルコールと光、音楽と暴力、エネルギーに満たされた空間が広がっている。
 堂々と入ってきた見慣れない若い男女のカップルに、常連たちは無遠慮な視線を向けた。
 男はすらりとした背丈、黒い衣服はシンプルだが、それこそ金と財力、センスの良さが伺えた。眼鏡の奥にある目には凶暴さが見え隠れして、その危険さは女の芯と股を濡らす魅力と力を持っていた。
 女は男ほど場慣れしている雰囲気ではないが、すらりとした立ち姿に、こちらは肌の透けて見える赤の衣服で男の欲情をそそった。

「……ロッソ、この服は本当に大丈夫か?」
 こっそりとアマリリスが尋ねる。翼を不可視化させ、ロッソに協力を求めて若者らしい服装と化粧で化けたが、年齢的には自分は若者の分類にはいらないことに不安を覚えた。
「俺が仕上げたんだ。自信を持ちな」
ロッソはアマリリスをセクシーで魅力的に飾った。この店にいるどの女にも負けないほどの仕上がりだ。
女は年齢にかかわらず方法によっていくらだって魅力的になることをロッソは熟知していた。そして、自分がこの手の店にいる快楽に弱い女にどんな作用をもたらすかも。
「俺の連れとしちゃ合格だ」
「それはよかった」
 アマリリスは婀娜っぽい笑みを浮かべて、先ほどから自分をじっと見ている若者を容易く魅了した。
「ここからは別行動だな」
 ロッソはアマリリスの美しさを称えるように、ボーイからシャンパンを受け取り、恭しく差し出した。
「そうだな。個々で情報を得ていったほうがいい。私は健のことが気になっているんだが」
「あいつ、ここに、あの白衣で入るつもりなのか」
「らしいぞ」
 二人はしばしば沈黙した。
 考えても仕方がない健の美的センスについてはつっこむことはやめて、金色の液体を舐めた。
「俺は女どもをたぶらかしてくる。……飢えた牝猫どもがこっちを見てるぜ」
「では、私はさしずめ飢えた狼に飛び込む、憐れな羊だな」
 言葉とは裏腹にアマリリスは臆することもなく、男たちのなかへと歩いていく。
 何かあったときはノートで連絡するが、どんなトラブルがあったとしても基本は自力で切りぬけることは前提で、それぞれ他人として店に潜入捜査する作戦を立てたのだ。
あとから入ってくるコタロが退路を確保してくれているので、彼と合流するだけの時間を稼げれば無事に逃げることは出来る。
 それに
 ロッソは甘いシャンパンに顔をしかめた。
 ここに来るってのはそういうもんを楽しむもんだ。
「おい」
 シャンパンよりもずっと甘い声でロッソは女客に流し眼を向ける。さりげなく身を寄せて、腰を抱くと互いの息が触れ合うほどの距離で見つめ合う。
「持ってんだろう? 一緒に楽しもうぜ?」

★ ★ ★

「ここを、守る!」
 銀のシャベルを両手で握りしめたコケは胸を張った。
 捜査するクラブから数メートル以上離れた鳳凰連合のアジトの一つにコタロが転移魔法用を描き、事前の退路を確保した。
 今回、コケは自分の幼さからバーへの潜入捜査は無理だと諦め、補佐にまわることを決めると退路を守ることを買って出た。
「よろしく頼むな」
 健が笑いかける。
「任せて!」
 ぐっとコケが拳を握りしめ、ちらりとコタロを見つめる。金色のつぶらな瞳を向けられてコタロは二度瞬いたあと気まずげに健の背中に隠れた。
「じゃ、俺もそろそろ行ってくる。ムラタナもあとでな」
「……ああ」
 手をひらひらと振って健が出ていった。
ロッソとアマリリスのように二人揃っていくには健とコタロは目立ち過ぎるので時間をずらして店に入る予定だ。
 じっ。
 視線を感じてコタロは目だけ動かす。
 コケが口元を緩めてはにかみかけてきたのにコタロは途方に暮れた。

★ ★ ★

 窓硝子を割って、黒く小さなものが投げ込まれて白煙が広がる。同時に停電が起きて暗闇が室内を満たした。
 そのタイミングで武装した男たちがどかどたと流れ込む。
「殺すなよ!」
「ああ、生きた実験体がいるんだろう?」
 くぐもった声をあげて男たちが会話する。
 と、一人が異変に気がついた。
 ブレーカーは落したはずなのに、一瞬、何かが輝いた。
「ヘッ、ビンゴっ!」
 煙幕を無視して――ジャックには精神感応があるのでそんな小細工は無意味だ。
 ジャックの電撃の鞭の攻撃に男たちが逃げまどいドアに群がると、一瞬にして炎に包まれた。
 ドアの前に仮面をはずしたフェイが立ち、赤い目で無感動に燃える男たちを睨みつけた。
「……キサの残したものを傷つけたんだ。お前ら全員、死んで詫びろ」
 襲撃者のミスは二つ。一つ、フェイが一人でないこと。二つ、フェイの事務所は二階で、一階は今は亡きキサの事務所が生前のまま残っていたことを知らずにいたことだ。
 ジャックは襲撃に備えて、キサの事務所のあかりをつけて囮にする作戦を提案した。フェイはいやがったが、結局は押し切る形で採用させた。
「お前なァ」
 ジャックが灰すら残らない襲撃者のあとを見て呆れた声をあげる。フェイは仮面をつけると忌々しげに吐き捨てた。
「どうせ、雑魚だ。生きている価値もない。それで、読めたか?」
「金のことしか頭になかった。やっぱり本命はアッチだろうな。来るか? ドウセ、今日の襲撃が失敗に終わればアイツらもここには手をださねェだろう」
 ジャックがにやりと笑い、手を伸ばす。
「リュウの所に跳ぶ……てめぇも自分の妹殺した奴らに加担するヤツのツラ、拝みたいだろう?」
 悪魔のような誘いにフェイは悪辣な娼婦のような笑みを浮かべて、褐色の手に手を重ねた。
「地獄でも、天国でも、喜んで」

★ ★ ★

 乱暴で凶暴な言葉の羅列、鼓膜を破壊するような激しい音が室内を満たす。卑猥さと陰気、暴力と興奮、目まぐるしく色を変えるライトは怒り狂った心臓の振動のように世界を照らす。
 酒を飲んでもないのに頭がクラクラするほどの陶酔がこみかみをちりちりと焼くのを耐えながらコタロは比較的、落ち着いているカウンターにひっそりと身を置いた。
 互いの喉に食らいつこうかというほどに飢えた若い獣の群れ。その一段高いところに男のバンド、その横で踊るのは銀のアクセサリーを全身につけた――それが彼女の衣装らしい――ピンク色の髪をした若い女。
彼女の淡い緑の瞳と目があい、コタロはドキリとして、慌てて目を逸らした。
「ロンが、また薬を持ってきたって」
「じゃあ、今夜はキツネ狩りだな」
 若者たちの声が聞こえてきた。
情報を素早く脳内で組み合わせ、形にすると「ロン」がこの店で「夢の上」を売っている
ジャンキー。
薬を売るときは「キツネ狩り」が行われる。
 コタロはちらりと目を向けると甘い菓子に群がる蟻のように若者たちが囲む黒革のソファには革ジャン姿のひょろりとした体格に紫色の髪を撫でつけた若者――ロンだ。
女を侍らせて銀のピアスが輝く舌をちろちろと出して機嫌よく笑っている。良く見るとロンの右側にいるのはアマリリスだ。彼女はその見た目と演技力でうまく接近したようだ。
 ロンという青年は中毒者であることは、見ただけでわかった。体が細すぎる、そのくせ目だけがぎらぎらと血に飢えた野獣のように輝き、意味もなく高揚している。
 楽しげに笑いながら片手に持つナイフを見せびらかすのは、本来の臆病さゆえの威嚇。薬の効果を考えれば、彼がそれによって莫大な富、力を得て今までの人生観を崩壊されたことは安易に想像がつく。
 コタロは目を眇め、息を殺す。まるで冬山にいる一匹の狼のように、執念と忍耐強さを発揮して、彼の裏にいる者を捜し出そうと試みた。
 店の裏へと続く入り口は、ロンのいる席の真後ろ。さすがに、酒に酔ったふりをして忍び込むのは不可能そうだ。
 乾いた唇を舌で濡らし、考える。
 と、凶暴な音楽がラストを飾り――不気味な静寂が店内を満たした。
「よぉおおし、お前ら、時間だ!」
 ロンが高らかに宣言するのに、わっと周囲の若者が歓声をあげた。
「ここにある薬を、一人占めしたいだろう? だったら、武器を持って殺し合え! 一人占めしたい欲深いやつにはいい武器をやるぜ。それでここにいる奴らに勝ち抜いたら薬を自分だけで飲めるんだ……さて、欲望丸出しのやつはいるのか?」
「俺だ」
 ロンの前に颯爽と現れたのは健だ。その白衣姿に誰もが目を奪われ、失笑が漏れた。
「俺が一人占めする。敵は何人だ」
「ここにいる奴、全員さ。一人占めじゃなくて、みんなで分けてもいいっていう臆病者どもだからな」
 ロンの侮辱はその場にいた若者たちの顔から笑みを無くさせ、殺気を高めた。
「武器はどうする。こっちにライフルやら銃はあるが」
「俺は自前の武器があるから遠慮する」
 健は手に冷や汗をかきながら、顔だけは余裕の笑みを浮かべた。
「オイ、テメェだけが一人占めすんじゃねぇぞ」
 健にいちゃもんをつけて前に進み出たのはロッソ。口に葉巻をくわえ、身長的にやや低い健を睥睨した。
「勇敢なやつがまた一人いたぜ。……ふん、いつもの腰抜けたちよりいくらか楽しめそうだ。悪いがキツネ狩りははじめの一人が決まったら、それ以上は認められない。欲しけりゃ、そいつを殺して、残りの奴らも殺すんだな」
「へぇ、バトルロワイヤルもいいってことか?」
 ロッソがわざと嘲笑い、周囲の若者たちを一瞥する。
「腰抜けのイヌにゃ、負ける気はしねぇぜ」
煽られていた殺気が爆発寸前に膨れ上がった。
「こいつ……」
「殺してやる」
漏れ出す罵言もロッソはそよ風のように受け流し、紫煙を吐きだすと女ならうっとりとする流し眼をロンに向けた。
「はじめてくれよ、待ちくたびれたぜ」
「せっかちだな」
 ロンは呆れた顔をして、片手をあげ――キツネ狩りの合図だ。
 ロッソは懐の銃に、健もトンファーを片腕に装備する。

 彼らから離れた場所にいたコタロもまたクロスボウに手を伸ばした。このまま仲間がむざむざとやられるのを見ているわけにはいかない。
 ふと、柔らかな視線を感じたのに見るとロンの横にいたアマリリスがいつの間にか店の入り口へと移動していた。
 ――大丈夫だ
 彼女の唇がゆっくりと動き、ウィンクを一つ投げた。
 アマリリスが事前にキツネ狩りにあうつもりである健とロッソの二人と打ち合わせていた。
 コタロはクロスボウから手をそっと離すと、了解の意味をこめて一度、頷いた。

 ロンの手が、振り下ろされた。――ゲーム・スタート!

★ ★ ★

 ジャックが空間を跳び、出た場所は埃臭さが鼻につく闇だった。
 どこかの倉庫か、寒々とした乾いた空気が肌を愛撫する。
ジャックはフェイの肩を抱いて自分のそばに引き寄せ、出来るだけ闇に溶け込むようにして数人の声がする先を睨みつける。
 殺気と憎悪、それに大量の血の匂いが鼻孔をくすぐる。
「なにがある?」
 ジャックの懐で息を殺しながらフェイが尋ねた。
「殺し合いサ」

「私の部下を、よくもっ!」
「面白かったですよ。最後の最期まで「リュウ隊長、リュウ隊長」と叫んで……可愛らしい部下ですね」
 殺気に満ちたリュウを嘲笑うのは別の男の声。
 リュウの足元にはおおよそ人間としての尊厳を完膚無きまでに砕かれた悲惨な死体が転がっていた。
「軍人の繋がりは血よりも濃いと聞きましたが、部下のためにここまでわざわざ来るとは、あなたも愚かですね」
「……貴様の血肉の一滴まで屠ってくれるっ!」
「アハハハ! なら、ここであなたも殺して、鳳凰連合の赤を更なる深紅に染めましょうか?」
 リュウが動く。そのタイミングを狙い、ジャックは動こうと決めた。目でフェイに合図を送り、踏み出そうとしたとき

 ――斬!

 ジャックの右肩に激痛が走る。咄嗟の判断で、フェイのみをリュウの所へと跳ばす。と、また――斬!
 二撃目。左肩に閃光が落ちる。脳内にアドレナリンが滾り、痛みをふっ飛ばした。
ジャックの光の鞭がしなり、牙を向いて闇の中にいる敵へと飛びかかる。
 ひゃん!
 電光石火の鞭の攻撃をそれは身を捻って避けると、回転して地上に足、手をつき、四つん這いの状態で首だけ動かした。
「狗かよ」
 鞭が再びひゃん! 音をたてて跳ぶと、黒い獣は本物の狗のような動きで鞭に接近、左手に持つ刃――ナイフが電撃の鞭と衝突し、――斬。
電撃を叩き斬り、さらに接近する敵にジャックは鉈をとりだし、ナイフを受け止めた。
「……そのナイフ、なにか細工してあるのか? それに俺らのことがわかったな。……お前、俺と同じ能力者か」
 輝く剣戟。二つの力が保った均衡は一瞬、弾け、散る。
 黒い狗とジャックは距離をとると油断なく睨みあう。すると狗が先に動いた。地面を蹴って高く跳び、身体を捻って右壁を蹴り、さらに奥へと進む。――リュウのいるところだ。
「チッ、まちやがれ!」
 ジャックは叫び、空間転移した。

「お前は……フェイ」
「一人で無茶をしたな」
 リュウの前に跳んだフェイは炎で周囲を包みこみ、リュウか対峙する敵――黒服のスーツの若者を睨みつけた。
「……っ! フェイ! 上だ!」
 リュウが叫ぶのにフェイが顔をあげる。上からナイフを持った黒装束が迫る。
「させるかよっ!」
 危機一髪のタイミングで現れたジャックが、風の刃を黒装束に放つと真横からフェイの手が伸びた。
「炎<エン>!」
 ジャックの風の刃を紅蓮の炎が包み、さらに加速して黒装束を撃つ。今度こそ避けられなかった黒装束は地面に叩き落とされるが、すぐさまに立ちあがり、ナイフを構えた。
「これは、これは」
 リュウと対峙していた若者は突然の闖入者にも不敵な笑みを絶やさない。
「驚いた。あの探偵さんじゃないですか!」
「……お前は、確か、ハオ家の」
「アサギと申します。お見知りおきを」
 優雅に片腕を持ち上げたのはインヤンガイでも名の知れた、裏では政府に多大なる影響力を持つといわれている呪殺師・ハオ家に仕えるアサギが微笑む。
「ハオ家、つまりは……あの麻薬をばらまいたのも、お前たちが」
「私たちは麻薬をばらまいてはいませんよ」
「嘘をつくな! 私の部下を殺したのがなによりの証だろう!」
 リュウが噛みつくと、アサギは肩を竦めた。
「麻薬をばらまいたのは、マフィアですよ。オリジナルで実験していたのは私たちでもね」
「オリジナルぅ? お前ら旅団に協力してるのかァ?」
「……ハオ家は欲しいもののために働く、それだけですよ。さて、おしゃべりはここまでです。無名!」
 黒装束――無名が動いた。
 炎の壁に怯えることもなく駆けてくる敵との再びの接近戦を予想したジャックは鉈で構える。
 無名は鉈の攻撃をあえて避けず、肩に突き刺さるままにすると、両手を伸ばしてジャックの頬に触れ、乱暴に折ろうとした。
 ――やべぇ!
「ジャックに触るな!」
「この外道が! 私の目の前で、私の仲間に手出しできると思うな!」
吼えたフェイの炎が無名を蹴散らし、リュウの回し蹴りが無名を吹き飛ばした。
「無事か、ジャック?」
 リュウがジャックとフェイを庇い、無名の前に構えの態勢で立つ。
「っ……ああ、今ので目ぇ覚めたゼェ」
 骨のずれる不愉快さをジャックは笑い飛ばし、苛々とした目で無名を睨んだ。
流石に今の攻撃はかなりのダメージがあったらしく、無名の動きは鈍く、ゆらりと立ち上がるとその隠されていた顔が現れる。
「お前は、情報屋……無名という名は聞いていたが、まさか生きていたのか」
 かつてはロストナンバーに情報屋と名乗って協力し、ハオ家に殺されたと言われた男は冷え冷えとした目でフェイたちを一瞥し、アサギへと視線を向けた。
「一人、旅人がいる。ひくぞ」
「鳳凰連合の幹部と必要なデータが二ついっぺんにあるのに手だしできないとは屈辱ですね。……ま、今回はこれで失礼しましょう。ああ、そうだ、もうひとつ」
 アサギは去り際に思い出したように意味深い笑みとともに言葉を残した。
「<カルナバル>がはじまりますよ」
「カルナ? オイ、待てよ!」
 アサギと無名は音もなく闇のなかへと消えた。さすがにこれ以上の深追いすることを危険とジャックは判断して、苦々しい顔を作る。
「なんなんだよ、アイツらは……ま、守り抜いたから今回は俺らの勝ちったことだな。後味ワリィが」
 重々しい沈黙を破ったのは軽やかな音楽。
 リュウはすぐさまに懐からひびのはいった携帯電話をとりだし、かけてきた相手を確認する。
「……ロッソからの連絡だ」

 電話に出たとたん、爆発音が轟いた。

★ ★ ★

 ――閃光。
 健が投げた閃光手溜弾がその場にいた人々の目を一瞬とはいえ狂わせた。くそったれ! ぶっ殺す! 殺気が爆発させて武器を持った若者たちが駆けだしていく。
「おい、いたか」
「あっちじゃないのか?」
「いや、あっちか?」
 健は背中に冷や汗をかきながら死に物狂いで走った。閃光で時間を稼いだが、地の利は向こうにある。いくらポッポを飛ばしても、多勢に無勢。
「いたぞ!」
追いつかれて健は舌打ちするとトンファーを構えて、バットで殴りかかってきた男を殴り倒した。
「トンファーは近接最強なんだぜ!」
 次には勢いのよい雨のような弾丸に襲われて健は慌てた。いくらトンファーでも銃弾を防ぐことは難しい。逃げるために残りの手榴弾を放とうしたとき、健の肉体が浮遊した。
「っ、おわ!」
「健! じっとしていろ!」
「アマリリス!」
 トラベルギアの鈴によって通常の人間では捕えることのできないほどにスピードをあげたアマリリスは、健を両腕に抱えてビルの合間を飛行する。
「数人は別方向だ」
「そうか、ありがとな」
 アマリリスの幻影で健の分身を作って、敵を錯乱しなければさすがに逃げ切れなかった。
「二人とも!」
 建物の隅に隠れていたコケが二人を誘導し、三人はこっそりと鳳凰連合のアジトに身を隠して、追っ手をやり過ごした。
「あとはロッソたちか……あいつら大丈夫かな」
「大丈夫だろう。健、傷の手当てを」
「あ、ああ」
 興奮していて痛みをまったくかんじていなかったが、切り傷、打撲と怪我はあまりにも多い。
「コケの葉っぱ、使って」
 アマリリスとコケに手当てされながら健は天を仰いだ。
「……殺さない、はないよなぁ」
 あのロッソだぜ。そばにいるコタロがセーブしてくれるといいけど……虚しい考えに健はため息をついた。

 ロッソは健が逃げたタイミングで、ファウストを抜くと目にもとまらぬ早業で若者たちの足を狙って撃ち、行動不能にしていった。果敢にも背後から襲いかかってきたバット野郎は飛び蹴りを食らわせて床に沈めた。
「てめぇらにゃあ、これだけで十分だ。……クスリ使ってようが、足がなくちゃ立たねぇだろう!」
「てめぇ」
 ロンが殺気に満ちた目でロッソを睨みつける。
「こいよ。ダーリン、それとも自分じゃなにもできねぇのか?」
 ロンが片手には湾曲の大きなナイフを握って、ロッソに迫る。
「ステップの踏み方くらい知ってるか?」
 放つ弾丸をかいくぐってロンはロッソに詰め寄る。煌めく刃が踊り、ロッソはステップを踏む。と、足に重みを感じて舌打ちした。
 足を奪えば動けないと思ったが、若者たちは驚くほどの執念を発揮して自由な腕でロッソの足にしがみついてきた。ロンがその隙をついて刃を振りおろしてきた。
ファウストのしなやかなボディが刃を受け止めた。
「口だけの色男よ! その程度かよ、テメェの本気は!」
「っ……!」
 ぎりぎりと押す力が増して、ロッソは奥歯を音がするほどに噛みしめ、鮮やかに笑った。
「……テメェの、それ、借りるぜ」
 ロンの懐にある酒瓶を乱暴に奪い取る――均衡が崩れたのにファウストが受け止めていたロンの刃が肩に落ちて焼けつく痛みが走った。
ロッソは奪い取ったそれを足元の忌々しいゾンビもどきに投げつけ、葉巻を吐き捨てた。一瞬にして咲く赤い花。ロンが怯んだのにロッソは自由の利く手で拳を作り、強烈なストレートパンチを放った。
「っ!」
 炎を纏ってもだえる若者たちを足蹴にしてロッソは優雅に嘲笑う。
「どうした、坊や。かかってこいよ、可愛がってやる!」

 コタロは何度かロッソを補助しようと思ったが、彼の強さから見れば下手に手を出すよりはこちらはこちらの仕事に専念したほうがいいと判断した。
 騒ぎに逃げ惑う人々を隠れ蓑に店の奥へと、コタロは向かった。と、いきなり腕を掴まれ、咄嗟に払いたい衝動を我慢するのはかなりの忍耐が必要だった。
「ひどい地獄だと思わない? ハンサムさん。……で、黒の咎狗がなんの用なの? あなたのところのわんちゃん、少しはしゃぎすぎじゃない?」
「……君は、」
 甘い声に振り返ると、そこにはピンク色の髪の毛――舞台で踊っていた女が立っていた。その手に握られている小型銃がコタロの心臓を狙っていた。
「……黒の咎狗では、ないのか」
「え?」
 彼女は目を瞬かせ、ぷっと笑いだした。
「あら、もしかして私たち、同じ勘違いをしてるんじゃないかしら? あなた、私のことを咎狗と思ってる。私はあなたを咎狗と思ってる。残念ね、両方違ってた。で、どこの組織の回し者?」
 彼女は肩を竦めてわざとらしくため息をつくと、コタロに向けていた銃をあっさりと降ろした。
「……君が、ここの、オーナーなのか」
「どうしてそう思うの?」
「……舞台なら……すべてが見える、だろう」
 仲間とわからないようにわざわざ全員が入る時間帯をずらしたにもかかわらず女はロッソでも、健でもなく、自分を狙ってきた。
 それは店を観察していた自分を彼女は舞台から堂々と観察していたにほかならない。
オーナーというのはカマだったが、彼女はあっさりと認めた。
「アッハ! そうね。舞台はいいわ。嘘も、偽りも、ぜんぶ手のなか。女がオーナーとはみんな、思わないし……あなたの目、軍人みたいだから咎狗だと思ったの……私もまだまだね。鳳凰連合も軍人崩れだから、あっちかしら?」
「……鳳凰連合は、ただのマフィアではないのか……?」
「あなた、鳳凰連合でもないの?」
 コタロが口を噤んでいると、女は肩を揺すった。
「フォンは元軍人で、国を代表する英雄よ。といっても、二十年以上前に起こった戦争の責任をとって叛逆者にその地位を落としたけど。彼は国に利用されて捨てられたのよ。そして、復讐のために鳳凰連合を作った……あの組織の幹部たちはみんな国に捨てられた軍人、だから恐ろしく強くて、めんどうなやつら」
「……お前は、どこかの組織……の者ではないのか? この件、政府は、関係ないのか……?」
「政府なんてただの腰抜けどもよ。それにマフィアは絶対にあいつらとだけは手を組まない。……咎狗はマフィアを一掃しようとして、彼らの身内を皆殺しにしていった。鳳凰連合、ヴェルシーナのボスは妻を殺され、黒耀重工は先代のボスを、美龍会はボスの血縁者がみんな殺された。その恨みから彼らは同盟を組んで、政府に対抗したのよ。ああ、けど、暁闇は最近、こちらに流れてきた奴らだからわからないわ。そもそも暁闇は実態がないの。なんといっても少数民族がチームを組んでるから、どこにでもいけるし、節操のないやつら! ……ま、ただの雇われの傭兵である私が言えた義理はないけどね」
 コタロの目を見つめて女は笑う。
「ここは本当の意味で純粋なものしかなかった。それがなにかわかる? 暴力よ。金があり、地位がある、そいつらが手を出す暴力は本当に純粋な快楽しかないの」
 女の手がコタロの顎をそっと持ちあげ、顔を近づけた。
「あなたの目は……コタコリスね」
「……な、に?」
「戦あとの蒼い空の色のことを、傭兵はそう言うの。愚かなやつらを嘲笑ってるってね……よく考えることね、私みたいなのを個人で雇えるツテがあるところを」
「……黒耀重工……か?」
「良く出来ました。私たちが売っているのは劣化コピーよ。とてもオリジナルのようにはいかない。だからガンガン死人が出てる」
「なぜ、そんな、ものを? ……金か?」
「想像してみることね。薬が、なにに使えるのか。
私たちが調べたなかでオリジナルを持っているのは今のところあのロンという少年だけ……あの子がどういう方法でオリジナルの夢の上を手に入れたのかは知らないけど、私たちはそれがほしくて、ロンに力を与えた。ロンは元キツネ狩りの被害者よ。だから復讐させてあげて、酒と楽しみを与えてやったら、あっさりと落ちてきた。まだオリジナルの薬の提供を渋って私たちをやきもきさせていたけど……ここに罠を張ったのはオーナーの趣味だから、完全な悪意よ」
 コタロは女を睨みつけた。
「どうして、そこまで……教えるんだ」
「私、あなたが気に入ったの。正確にはあなたの目がね。私の一番好きな色だから……さてと、おしゃべりはここまでね。取引しましょ?」
 女はコタロから身を退くと、笑みを浮かべた。
「これだけ情報を提供したんだから、見逃してね。ハンサムさん」
「コタロ、だ」
 コタロが憤然と言い返すと、彼女はまた噴出した。
「あら素敵なお名前。私はアメリ。今度はもっと素敵な出会いをしましょうね? あと、サービスで忠告をひとつ、早く逃げなさい」
 アメリはそれだけいうと、水のなかを泳ぐ魚のように混乱した人々の間を縫って歩き出した。

 ロッソの攻撃に怯んだロンはそんな己を恥じるように舌うちすると、懐から白い何かを取り出した。
 薬だ。
 ロンが薬を乱暴に飲み下し、体が大きくのけぞらせる。と。踊る銀のナイフのスピードが格段に速くなり、ロッソの肉体を斬っていく。
逆転劇にロッソは目を見開き、次に笑った。
「おもしれぇ、それくらいじゃねぇとな」
 自慢のスーツが血に染まってもロッソは臆さなかった。むしろ、それを使うタイミングを計っていた。
 それ――ロンの懐から酒を奪ったときに一緒に盗ったピルケースのなかに一個だけある白いカプセル。
 飲んでみるか。
 麻薬の危険性は承知しているが、ロンの戦闘力の飛躍はロッソの好奇心を疼かせた。
「ま、なるようになれ」
 薬をなんの躊躇いもなく口に放り込むと奥歯で噛んだ。口腔を蜂蜜のような甘さが支配し、強い酒を飲んだときのように意識を酔わせた。
 次に目を開けたとき、ロッソの世界に変化が起きた。
遅い。
 まるでなにもかもが停止しているほどののろまさで進んでゆく。
 ロッソはロンの攻撃をいとも容易く避けると、懐に入り、殴り飛ばす。ロンが倒れて咳き込むのを、さらに蹴り飛ばした。
 思わずヒューと口笛を吹く。
 夢の上の効果は戦闘能力の向上だと聞いたがこれがそうなのか? 
 圧倒的なスピードを今やロッソは手にいれ、爽快感が肉体の内側からこみあげてくる。
それはロッソのなかで飼い馴らしたはずの凶暴な獣の鎖を解き放つには十分な効果があった。

「邪魔よ」
 ロッソより早く、アメリがロンの顔を殴り飛ばして気絶させた。ロッソは舌打ちして、憎悪の目を向けた。
「俺サマの楽しみを邪魔すんじゃねぇ! 女!」
「あら、だったらどうする? 殺す?」
 興奮状態のロッソは牙を向くように銃口をアメリに向け、撃った。しかし、銃弾をアメリはやすやすと避けるとロッソの懐に入った。
「悪いけど、飛び道具は私にはあんまり効果がないのよ」
 アメリは腰を捻って、強烈な平手打ちをロッソの横顔に放った。細身の女の攻撃と侮ったがおもいのほかに強力な威力にロッソは吹き飛ばされた。すぐさまに立とうとしたが全身の体が痺れて言うことを利かない。
「なんだ? こりゃ」
「シスマテ。いろんな土地の軍人用殺人術をミックスしたものよ、私は気功も使うの。これで銃の軌道を少しだけ変えることもできるし、自分の気をそのまま相手に叩きつけて肉体を麻痺させることもできるの。今のあなたみたいにね」
「っ! このアマ!」
 吼えるロッソにアメリは拳を持ち上げて、さらに殴り飛ばし、腰に隠してあったナイフを引き抜き、斬りかかろうとしたアメリはそこで動きをとめて、両手をあげた。
「あなたは一人で逃げるタイプだと思ってたのに」
 アメリの背後に立つコタロの手にはクロスボウが握られ、それがアメリの細い腹に向けられていた。
 アメリは首だけ動かしてコタロへと視線を向けた。
彼女の薄緑の瞳と、鮮やかに輝く蒼の瞳が一瞬だけ見つめ合った。アメリはどこか悲しげな笑みを浮かべると、倒れたロンに歩み寄り首根っこを掴んだ。
「ロッソ!」
 コタロが息を吐きだして倒れたロッソに駆けより、その身を抱きあげた。顔をあげると、すでにアメリとロンの姿はない。
「ここを……出る、ぞ」
「……ああ」
 コタロに助けられて店を出たロッソは、アメリからもたらされた情報を聞くと痺れのとれた腕で携帯電話を取り出した。
「黒幕は政府として、マフィアにも内通者がいるはずだ。消去法でいけば暁闇か? っても、利益と恨みなら、利益をとるヤツだっているだろう。傍観してるヤツらも気になる……報告ついでに確認するか」
 一度のコールのあと、すぐに繋がった。
『ロッソ?』
 リュウの声が聞こえたと、同時にロッソとコタロの背で爆発音が轟いた。
 振り返ると、店が赤い血のような炎に包まれて、燃えている。
 一夜の夢が、無残にも散っていく。
『ロッソ? どうした? お前たち、無事か?』
「無事だ。すぐに別の奴らと合流する。……情報はあるが、証拠は消されちまった」
 赤く、夢が燃えあがり、塵となる様子をロッソは苦々しく睨みつけた。

クリエイターコメント 参加、ありがとうございました。

 みなさま、危険な任務、お疲れ様です。そして、今回はみなさまの活躍により、多くの情報を引き出すことに成功しました。
 リュウについては、みなさんが同行することは可能だというのに、わざとずるい書き方をしました。しかし、その可能性に気がついていただき、感謝です。

 また、夢は終わりません。夢の上を歩き続けます。
 悪夢なのか、吉夢なのかは別にして。
 次も出来るだけはやめにお目にかかりたいと思います。
公開日時2011-12-17(土) 22:50

 

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