ターミナルの奥にあるカフェ、『エル・エウレカ』からは、今日もいい匂いが漂ってくる。不思議な、幻想的で美しい植物や鉱物によって彩られたカフェは、今日も常連たちに和やかでおいしいひと時を提供している。 それぞれがめいめいに楽しむ店内では、神楽が音楽を供し、ゲールハルトが神業のごとき巧みさでもって接客及び配膳に精を出している。蛇足ながら今日は普通の出で立ちである。 さて、その、『エル・エウレカ』の厨房でのことだ。「こんにちは、今日はお世話になります!」「……よろしく頼む」 音成 梓と一二 千志がそろって言うと、ここの料理人であると同時に世界図書館の司書でもある――表記としては逆のほうが正しいかもしれない――赤眼の男、贖ノ森 火城はかすかに笑った。「ああ、こちらこそ」 うなずく彼の背後、調理台には、旬の食材が山と積まれていて、梓はわくわくを抑え切れず満面の笑顔になる。凝り性の火城が選んでくるのであるから、当然、食材はどれもが新鮮で瑞々しく、素材らしさの際立った、素晴らしい味わいのあるものばかりだ。「レシピ交換というのは、実を言うとはじめてなんだ。だから、とても楽しみにしていた。声をかけてくれて、ありがとう」 火城が言うのへ、梓はにこにこと笑う。「あ、ほんとに? 俺もすっごい楽しみにしてたんだよね」 ことの発端は、七夕でのひとときにあった。 あの時ふたりは、お勧めレシピを交換しよう、という話で盛り上がったのだ。 それぞれが大切にする味が双方に伝えられ、そこで新しい個性を得てまた別の場所へと伝わってゆく、などと、想像するだけでもとてつもなくすてきなことではないか、と。 それを実現するために火城と連絡を取り、たまたま手持無沙汰だった千志も誘って、梓は『エル・エウレカ』を訪れたのである。「俺は、苦手とも言わないが、それほどうまいわけじゃ……いや、手伝いはきちんとやるつもりだが」「大丈夫だよ、千志君、手際いいもん。それに、完成した料理を食べてくれるお客さんがいてくれなきゃね!」 不慣れな場所だからかそわそわと落ち着かない様子の千志だが、梓は明朗に笑って彼の肩をぽんと叩いた。安心させるようなそれに、千志が少しだけ肩の力を抜く。「材料はたいてい何でもそろっている。調理器具はここだ。食器類はここ。たくさんできたら、店の皆に味見をしてもらってもいいな」 火城の言葉に、梓が腕まくりをする。「よぅし、張り切って火城さんにも負けないくらい美味しいのつくるぞー!」 やる気充分、楽しもうという心意気も山盛りだ。 千志はまだ少し戸惑っているようだったが、この状況を厭ってはいない。「よし、じゃあまずは……」 火城が言い、手書きと思しきノートを取り出す。 梓も、メモをキッチンへと広げた。 ――さあ、何をつくろうか。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>音成 梓(camd1904)一二 千志(chtc5161)贖ノ森 火城(chbn8226)=========
それぞれに食材を選び、調理台に積み上げる。 オーナーが自分好みに設計したという厨房は、几帳面な火城が常に手を入れているのもあって美しく整っている。広々としていて、背の高い男が三人、めいめいに動き回っても、まったく窮屈さを感じない。 「秋は食べ物がおいしい季節だからいいよね! そのまま食べてもおいしいくらいだもんなあ」 音成梓は満面の笑みだ。 「そうだな。壱番世界の日本は、特に旬がはっきりしているから、余計にそれが判るんだろう」 邪気のない梓の笑顔につられてか、内面的にはともかく、普段はあまり表情の動かない、『その筋の人』にしか見えない火城も、どことなく雰囲気がやわらかい。 「火城さんは何をつくるの?」 「そうだな……梓は?」 「ん、俺はイタリアンにしようかなって。家がさ、イタリアンのレストランやってるから、得意なんだよね」 「そうか、なら俺は和食にしようかな。いろいろな種類があったほうが楽しそうだ」 「うん、種類がたくさんあると、いろいろ食べられて愉しいからね!」 言いつつ、更に材料を物色する。 「……何か手伝うことがあったら言ってくれ」 一二 千志の言葉に、ふたりからさっそく声が上がった。 「ごめん千志君、そこのボウル、三つくらい取って」 「ならついでにそっちのストレーナーを頼む」 「ストレーナー? ああ、この取っ手のついた金ざるか?」 「そうだ」 「これは……何のために?」 「デザートにカステラを焼こうと思うんだが、その生地をならすのに使う」 そういうものかと感心した風情で頷き、千志が調理器具の棚に手を伸ばす。 「千志君はなにつくるの? 料理は好きなんだよね?」 梓に言われて、千志は思案の様子を見せる。 「好き……なんだろうとは思う、が、あんたたちほどの腕はねぇよ。料理を始めたのも、最初は節約のためだったから。でも」 「うん、なに、千志君」 「いや、何人かで集まって華やかなものをつくるのもいいな、とは思ってる」 だから、と言を継ぎ、 「つけあわせをつくったり、盛り付けを手伝ったりできたら、俺はそれでいい、かな」 丁寧な手つきで布巾をしぼって、調理台を吹き清めつつ千志が言う。 いつも気難しげな表情をしている青年だが、今日は少し気が緩んでいるのか、眉間のしわも見られない。 「気心の知れた相手と、こういうことをするっての、悪くないな」 「そうだね。俺、千志君や火城さんといっしょに料理出来て、すごく楽しいもん」 その間にも、梓と火城は材料の選別を終え、調理に取り掛かっている。 「やっぱり前菜から始めたいよね、ってことで」 隠れた産地、京都府はJ市のいちじくに、イタリアはパルマ産の生ハム、プロシュット・ディ・パルマを巻き、香りのよいバルサミコ酢を添える。 ヴォロスでとれた完熟トマト、李とチェリーをかけあわせたような爽やかな甘みと酸味を持つそれと、兵庫県産の大粒丹波黒枝豆、そしてブルーインブルー産サーモンのスモークを手際よくカットし、デュラムセモリナ粉で歯ごたえよく仕上げたパスタとサッと和える。素材がいいので、味付けはシンプルなものを選んだ。 「あとは、白身魚を……っと」 ぽってりとした真珠色の身がうつくしい、大きな切り身を手に取る。 千志は、興味深げにそれを見ている。 「梓、それは?」 「これね、鮫なんだ。鮫の子ども」 「ブルーインブルーの、白鳥鮫だな。ひれが、鳥の翼に似た、非常に優美なかたちをしていて、しかも珍味らしい。身も美味で、向こうではかなり珍重されていると聞いた」 「もちっとした食感で楽しいんだよね。鮫は、種類によっては臭みがあったり癖があったりするんだけど、この白鳥鮫はそれもなくて、あっさりしているんだけど旨みもあるんだって」 言いつつ、鮫の身を切り分け、すりおろしたにんにくとみじん切りにしたタイム、そして胡椒をまぶす。塩は、相性を考えてブルーインブルー産の海水塩にした。 「オリーブオイルで焼いて、仕上げに白ワインと蜂蜜を少々、って感じかな?」 その間、火城は舞茸と鶏の寒天寄せをつくっている。 れんこんと豚あばら肉の煮込み、柿と蕪のなます、冬瓜の海老あんかけ、ハモとマツタケの土瓶蒸し、さわらの白味噌焼き。白魚とわかめの卵とじ。むかごと茸の炊き込みご飯、そして小豆粥は、どこか懐かしい香りがする。 武骨な、剣を持つほうが相応しいような手が、丁寧に、食材への慈しみさえ感じさせながら、一品一品を仕上げてゆく。 「……あんた、うまいな」 つけあわせに、セロリと胡瓜、人参の簡易ピクルスをつくりながら千志が言うと、火城は笑みをみせた。 「好きだからな。料理をしていると、気持ちが穏やかになる」 「ああ、それは、判る気がする。無心になれるからかな」 「そうだな」 千志は、火城の変わりない様子にホッとしつつ、時おりその横顔を見やる。 彼には、依頼でいつも世話になっている。喪った親友を髣髴とさせる梓や、同郷の某破壊嗜好者とはまた別の位置で、好意や信頼があることも自覚している。彼から寄せられる緩やかな友愛も理解できる。 しかし、同時に壺中天での出来事が脳裏をよぎり、どうにも申し訳ないような、落ち着かないような気持ちになるのも事実だった。 あの時、火城を助けるためとはいえ、彼に対してしたことが、本来であれば許されるものではないと理解しているからだ。否、「どうしようもなかった」と言い捨ててしまうことをしたくないと、千志自身が思っているのだろう。 しかし、 「どうした、千志」 「いや」 「難しい顔をしている」 「……そうか? 何でもねぇ、大丈夫だ」 「なら、いいんだが。あんたは本当に、真面目で一途な男だから」 千志を見つめる火城の双眸は静かだ。 おそらく、壺中天で千志が自分に対して何をしたか、知ったとしても、この眼差しが変わることはないだろう。 そんな確信があって、千志は苦笑する。 「そんなんじゃねぇよ」 言いつつ、カステラの準備をする火城を手伝う。 「カステラって玉子をたくさん使うんだね……あっこらレガート、覗きに行くのはいいけど邪魔しちゃ駄目だからね」 真っ黒な、音符のようなセクタンが、カステラに添えるために炊かれたと思しき小豆餡や栗餡に近寄っていく。 「こらこら、つまみ食いも駄目だってば」 しかし、デフォルトセクタンの小さな手が餡子に届くより、 「まったく……」 千志がレガートをつまみ上げるほうが速かった。 ぴこぴこと脚を動かすレガートを梓に向かって放ると、 「わわッ」 梓は大慌てでセクタンを受け取った。 レガートは、まったく悪びれない様子でふよふよ揺れている。 「びっくりするじゃん、もう……」 言いつつ、梓はデザートの用意をしていた。 「梓、それは?」 「これ? これはね、モフトピア産の洋ナシだよ。甘さと酸味、香りのバランスがよくて、舌触りも素敵なんだー」 小麦粉、砂糖、ベーキングパウダー、牛乳、卵黄をよく混ぜる。 途中、溶かしたバターも加えてさらに混ぜる。 卵白をしっかりと泡立て、泡を潰さないよう生地とさっくり混ぜ合わせる。 そこに、櫛型に切った洋ナシをくぐらせて、油で揚げれば洋ナシのフリッターの完成だ。 しかしこれは熱々を食べるほうが断然美味しいので、食事を終えてから揚げることにする。傍らには、ヨーグルトのジェラートが添えられることになるだろう。飲み物には、インヤンガイの紅茶をチョイスしてある。 「ん、できた!」 「こちらも完成だ」 厨房にはいい匂いが立ち込めている。 いろいろな匂いの種類があるのに、渾然一体となっても決して不快ではない。 それはどこか懐かしいような、胸を疼かせるような、温かい幸いの色を伴っている。 「さて、じゃあお客さんにもお裾分けして?」 「もちろん、我々も味見をさせてもらわなくてはな。千志、すまないが運ぶのを手伝ってもらえるか」 「ああ、もちろん」 そこからしばらくして、三人は厨房にしつらえたテーブルについていた。 レガートはテーブルの隅でぽにんぽにんと跳ねている。 手を合わせていただきますをして、めいめいに箸やフォークをつける。 「梓の料理は、いろいろな世界の材料を使っているんだな」 「うん、ターミナルにいながら料理で異世界巡り……なんてどうかなって思って」 笑う梓に、それはいい、と火城も笑みをみせる。 千志は、梓と火城、ふたりがつくった心づくしの、季節の彩が詰め込まれた料理を、確かめるように、大切なものにそっと触れるように味わっている。 「しかし、梓はいい腕だな」 「ん、ありがとう。料理は母さんに習ったんだよね、母さんがイタリアンレストラン経営しててさ」 梓はお客さんの笑顔が好きだ。 だから、いろいろなレシピを考えたり得意の歌を披露したり、皆が喜んでくれることをしたいと思う。 「そういうの、すごくいいなって思うんだよね。来てくれた人が元気になれるところ、自分でもつくってみたいなあなんて」 「ああ、それは俺も思う。この『エル・エウレカ』で料理番をしてずいぶん経つが、皆が俺の料理を食べて元気になってくれると、とても嬉しいから」 「でしょ。最近考えてることなんだけどさ……俺、ターミナルでお店出してみたいんだよね。いろんな世界から来て、落ち込んだり疲れたりしてる人たちを元気にできたらいいなあって」 「梓なら、出来るだろう。なあ、千志」 「……そうだな。梓には、こういうの、すごく似合うと思う」 「あはは、ありがとう。まだ計画を始めたばっかりだし、うまくいくかなんて判んないけど」 「ああ」 「実現出来たら、ここのライバル店になるかもね!」 言って、明るく笑う梓を、千志は、まぶしいものを見る目で見つめている。 火城は、むしろ大歓迎だ、と笑った。 穏やかな時間が流れる。 ふたりの料理は、千志の身体にも、心にもしみた。 それは、ふたりが、これを食べる人たちにおいしいと喜んでもらいたい、これを食べて元気になってほしい、そう心を込めてつくるからなのだろう。 食後に出された熱々のフリッターと、ふんわりしっとりしたカステラにいろいろな餡を添えたもの、インヤンガイから贖ってきたという薫り高い紅茶でゆったりと過ごしつつ、千志はホッと息を吐いていた。 いつも不機嫌そうな――実際には、その不機嫌さは心痛を表していることが多い――顔も少し緩んでいて、振る舞いも、普段より歳相応な様子でいるが、 (……これで、いいんだろうか) こんなにも心地よい空間で、温かく美味な、滋味深い料理を振る舞われ、善意好意を向けられて、本当にいいのだろうかと、そんな気持ちがじわじわと込み上げてくるのもまた、事実だった。 千志の根底には、故郷で得たたくさんの痛みと、それゆえの頑なな誓いがある。能力者たちを救うために、たくさんの同胞を手にかけた、その罪を償わねばならないという想いがある。 これまで、そのために、ありとあらゆる障害、敵意と戦いながら無我夢中で進んできた。そのつもりだった。 しかし、覚醒してたくさんのものを得た。 それは、千志に前を向かせた。 そして誰かを救いたいという願いを抱かせた。 総じて言えば、千志はこれらの日々に感謝している。 出会った人々を、確かに大切に思っている。 が。 (俺は、弱くなっているんじゃないか?) 友人たちが笑顔を向けてくれる。 依頼を受ければ、同行者たちは自分のことも気遣ってくれる。 穏やかな時間を過ごすことも増えた。 ――けれど、ずっとこのままでいたい、と思ってしまうことも、増えた。 (そんなことが、許されるはずもないのに) 自分は、罪に問われることのない罪人である。 理想のために数多くの同胞を犠牲にし、その屍と怨嗟の上に堅固な塔を打ち立てようと足掻く愚者だ。 千志が、罪に問われることはない。 彼が手にかけた人々は、皆、罪を犯して追われる身となった者たちだからだ。 しかし、その罪の重さを、同じ能力者である千志が、一番よく知っている。自分は許されてはならない、許されるべきではないと、彼自身が一番よく理解している。 (それなのに) 梓が、紅茶のお代わりを注いでくれる。 火城は、カステラを分厚く切り分けて、遠慮するだけ損だと笑っている。 胸を締め付けられるような、願ってやまぬ『日常』がそこにはある。 決して、手には入らないと知っていて、錯覚しそうになる。 (こんな甘さで……俺は、あそこに帰ったとき、ちゃんと戦えるんだろうか?) そんな思考とともに、ひとつ息を吐いたら、 「また、何やら難しいことを考えているな」 火城が言い、 「千志くんはもっと自分が休めるような場所をつくってもいいと思うんだけどな」 梓が言って、千志は眼を見開いた。 「何を、」 「俺はあんたの抱えている事情を知らないが。あんたは最近、とてもいい顔をするようになったと思う」 「あ、うん、それは俺も思うなあ」 「しかし、何となく思うんだが、あんた、それを弱くなった……とか思っているんじゃないか?」 「……」 事実なので、千志は黙る。 梓が首をかしげた。 「そうなの? でもそれ、弱くなったっていうのかな?」 それ以外の何だ、と千志が言うより、 「それって、受け入れる範囲が広がったってことじゃないのかなあ」 「千志は真面目だからな。――弱いことと、弱さを知ることは、違うぞ」 ひどく好意的な言葉が返って、思わず困惑するほうが早かった。 「……俺は」 「千志君が、何か大きなものを抱えてるって、俺、判るよ。でも千志君はやさしいし、強いじゃない。強いっていうのは、力がっていうことだけじゃなくて」 「あんたは、自分の弱さを知っているだろう? それは、実を言うと、大いなる強みなんじゃないかと、俺は思うんだよ」 ふたりに言い募られて、困惑が増す。 眉根を寄せると、梓が、あっまた眉間にしわ、と笑った。 「あのね。前にも言ったけど、俺、千志君のこと、好きだよ。好きだし、信じてる。千志君が、負けないってこと」 「梓、俺は」 あまりにも純粋な言葉に、何を言っていいか判らない。 「そうだな。あんたは前を向こうとしている。己の弱さを見つめながら、足掻こうとしている。そういう人間が、俺も好きだよ」 「……火城さんまで」 まっすぐな善意ほど、どうしていいか判らないものはない。 思わず赤くなり、口ごもり、下を向く。 温かな視線が向けられていることが判って、何とも落ち着かない。 「それだけ、忘れないでほしいなって」 笑みを含んだ梓の言葉が、千志の耳を深く、強く、それでいて優しく打つ。火城がそれに同意する。 何か、よく判らない感情が込み上げそうになって、ぐ、と奥歯を噛みしめた。 (俺は……どうすれば、いいんだろう) 深まる困惑も、実を言うと、不快なものではなくて――むしろ、どこか温かくさえあって、千志は顔を真っ赤にしたまま、黙るしかないのだった。
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