街に降ろされたはずの闇の帳を、投光器の放つまっすぐな光が切り裂いていく。 漆喰の壁に豪奢なステンドグラスをはめ込んだその教会の周囲には、いま、住民たちの不穏なざわめきと、それから何とも言えない錆びたニオイが満ちていた。 「……何件目になった?」 一二千志は怒りと哀しみを湛えながらも不機嫌極まりない表情で、その《現場》を凝視する。 「コレで3件目。ホントは分かってて聞いてんだろー?」 古城蒔也は口元にニヤニヤと笑みを貼り付けたまま、その《現場》を眺めていた。 「3件目だ、みすみす3件も……俺たちの元へくるまでにこれほどの犠牲を生んだ」 ギシリと音がするほどに強く、千志は拳を握る。 事件は、本来警察機構がまず捜査する。 だが、警察の手に負えないと《政府》が判断した事案は、特殊機関にその捜査権を譲渡することになっていた。 つまり。 千志と蒔也の元に《事案》が回ってくる頃には、相応の犠牲が重ねられていると言うことだ。 このシステムの穴を、埋めようと思う者は上層部にはいない。 だからこそ、千志は憤る。 憤りながらも、警察機関に所属できない我が身を憎む。 「いやーまあ、派手にやってくれちゃってるのは確かだな。すげえわ、やっぱ。なんべん見ても“いい”ってか、いっそ惚れ惚れしちまうぜ」 「冗談じゃねぇ」 「冗談で言ってんじゃねぇんだけど?」 「……尚更悪い」 千志は蒔也を睨んでから、もう一度、《彼女》を見上げた。 風が、純白のウェディングドレスの裾とベール、そして長い髪をさわりと揺らす。 だが、あどけなさの残る少女の、長いまつげが影を落とす伏し目がちで物憂げな表情は冷たく凍りつき、もう永遠に微笑むこともない。 永遠にその唇が動き、語り出すこともない。 なぜなら彼女は、無残にも華奢な両手首と胸にガラスの杭を打ち込まれ、教会の壁に十字に磔にされているのだから。 17歳の花嫁は――いや、犯人によって花嫁の恰好をさせられた少女は、全身の血を抜かれて永遠に沈黙し、その代わりに彼女の中を流れていたのだろう鮮やかな動脈色が漆喰の壁にメッセージを描き出す。 “血の色は何も変わらない” 犯人は《被害者》を《作品》と称する。 犯行予告はない。 代わりに、メディアへ向けて届くのは《個展への招待状》だ。 「おまえはどう見る?」 「自己顕示欲はばっちりってトコか? 能力者で間違いねーだろうし? すんげー愛情たっぷりっちゃ愛情たっぷりかもなー。憎悪たっぷりともいうけど」 音楽を聴くように、あるいは絵画を鑑賞するように、楽しげに興味深げに蒔也は《被害者》を検分していく。 「ずいぶんと手が込んでるんじゃね?」 いやになるほど丁寧な仕事ぶりだと、蒔也は称賛じみた言葉を発する。 「ドレスは手縫い、レースも自分で編んで、ついでに服着ててわかんねーけド、身体もキレイに切断されてから縫い合わされてんだよな……誰かに見せたくてしょうがねぇってのはよく分かるわ、こりゃ」 そうしながら、ほぼ無意識に、自身に嵌められた首輪をカツカツと人差し指の爪でリズミカルに叩いていた。 アレもまたシステムだ。 特殊機関によって捉えられた《犯罪者》たちは、その者が有する能力によっては、一定期間《社会正義》に奉仕させられる。 そのひとつが特殊機関の捜査員――正確にはそのパートナーとなることだ。 目には目を、歯には歯を、犯罪者には犯罪者を。 命のリスクを追って調査する《囚人》たちの首には、遠隔操作型の爆弾が科せられる。 いつ、誰が作ったモノかは分からない。 だが、すべてが――千志がここにいるのも、蒔也が千志の相棒であることも、そうして被害者が存在することすらも、血の通わないシステムによって成り立っている気さえした。 ざわりとした嫌悪感が這い上がってくる。 それを払うように、千志は、少女の冥福を祈りながらゆっくりと教会の壁にそって歩き出した。 暗闇の中、一瞬差し掛かった投光器の明かりに反射し閃くモノを、千志は視界の端で捉える。 小さなモノだ。 だが、手にしなければならないモノだ。 勘が告げるままに膝をつき、じっと目を凝らす。 そうして闇の中に這わせた指先は、地面に半ば埋もれているモノを確かに探り当て、拾い上げることに成功する。 「…………指輪?」 銀の指輪だ。 汚れていて見にくいが、内側には文字も刻まれている。 証拠と見るべきか、あるいはただの落とし物か。 「俺が検分終えたってのに、おまえは何してんの?」 「……」 唐突に背後に現れた相棒に対し、千志は黙っていま手にしたモノを突きだした。 「なんだ?」 「持ち帰って分析を依頼する。おそらく犯人に繋がるだろう」 * あなただけは傍にいてくれると信じていた。 * 千志たちが所属する特殊機関は、郊外にある。 蒔也は自分が所属させられるまで、建物の存在すら知らなかった。 広大な土地に佇む金属質の要塞としか思えない施設には厳重なセキュリティが施され、内部に辿り着くまでにはいくつもの認証扉を超えていかなければならない。 だが、それを抜けてしまえば、待っているのは外観からはほど遠い存在だ。 「千志、お帰りなさい」 「調査お疲れさま」 「待ってたぜ、千志」 口々に笑顔で出迎えてくれるのは千志の同僚であり、その一部は幼い頃から生活を共にしてきた孤児院の仲間達でもあるらしい。 ここはまるで大家族のリビングルームかと錯覚する。 「ただいま」 千志の険しい表情がこの時だけはほんの少しほぐれるのを、蒔也は見逃さない。 そんなにも他者に心を許していいのかと、半ば呆れ、半ば愉快に、彼らの関係を眺める。 自分はいまだになれないが、この施設の者たちは皆が両手を広げて互いの帰還を喜び、頬にキスの応酬くらい事も無げにやってのける程度には歓迎するのだ。 いっそ大げさなほどに。 「なんだって、ここじゃこんなことしてんだ?」 「家族だからだろう」 「不自然だっておもわねーの?」 「思う必要がない」 「寄っかかりすぎてっと共倒れになっちまうぜ?」 「そうはならん」 「こいつらに裏切られたら、あんた、ぶっ壊れちまうかな?」 「そうもならん」 「あんたをぶっ壊すのは俺なんだから、忘れんなよな?」 「覚えるつもりはないから、忘れることもないな」 千志と自分のやりとりを、仲間達はくすくすと笑うが止めようとしない。 しかし、そこへたおやかな女性の声が入り込む。 「あなたたち、本当に兄弟みたいね。妬けちゃうわ」 「シーナ」 千志の表情が明らかにほころぶ。 ブルネットの巻き毛を揺らして微笑むシーナは、自分よりひとつだけ年上であり、同時にこの機関の最古参でもあるのだ。 12年に渡り、彼女は特殊機関の捜査員であり続けている。 そして彼女にはいま特定の《パートナー》がいない――つまりは運と実力が伴えば彼女とともに捜査に行く権利を勝ち取ることもできる。 「ふたりとも、お父様が呼んでいたわ。礼拝堂までお願いね」 「ああ。ところでシーナ、コレの《分析》を頼めるか? できるだけ早くに」 「ええ、いいわ。ただ少し時間を頂戴。お父様のところから帰ってくる頃までには結果を報告してあげる」 フフ、と笑う、彼女が千志に向ける表情は、やはりどこか他の皆とは違う気がした。 「それじゃ、いってらっしゃい」 彼女に背を押されるようにして、千志は当然のように、蒔也は渋々と、ふたりそろって温かな暖炉の部屋から最奥の扉を目指す。 扉の奥には、礼拝堂が存在している。 この施設で一体神に祈る必要などあるのか甚だ疑問だが、彼らは毎日決まった時間に祈りを捧げ、そしてこの施設長もまた日に何度も祈りを捧げるためにここへ赴いているのだという。 「おかえり。現場はどうだった?」 「……ヒドイ有様だった」 「今回の依頼、おまえたちを指名したのはシーナだ。本当はあの子に来た話だったんだが、ぜひおまえ達に、と」 彼は哀しみを湛えた瞳で自分と千志とをはじめは交互に、やがて千志にだけ視線を注ぐようにして、告げる。 「なぜだか分かるか?」 「シーナの“能力”がそうすることが正しいと分析したから、ですか?」 「そうだ。だが、それだけじゃない」 そこで彼は視線を一度伏せ、それから徐に問いを発した。 「白い鴉の話を、おまえたちにしたことがあったかな?」 「いえ」 「全然」 短く、千志は首を横に振る。 彼が聴いていないモノを蒔也が聞いているはずもない。 「白い鴉は神の遣いだったのだよ。しかし、ある時ヒトは鴉とは黒であるべきだと唱え、定めた。その瞬間から、白い鴉は鴉にあらず、異形のモノとして駆逐される存在となった」 それはまるで。 まるで。 「千志、おまえはどう思う? 人は望んで能力者となるのではない。望んで得たものなど誰ひとりいないだろう」 「俺は、ただ仲間達が幸せになれるなら、それで」 「ならばそのために進む道が茨であろうとも、歩みを止めてはならん。……蒔也」 「は、俺?」 「囚人であろうとも、おまえは私の息子だ。おまえがこの子のパートナーでいてくれることを心から感謝しているよ」 「……」 穏やかな慈愛を込めた瞳に、蒔也は、かつては常に傍らにいた父の面影を重ね見る。 重ね見て、にひゃりと不可解なほど軽薄な笑みを浮かべて答える。 「雇い主の依頼は意地でも守るのが俺の矜持だ」 * 突然変異はけして罪ではない、はずなのに。 なのになぜこんなにも、こんなにも、こんなにも―― * 「へえ、こんな家があるなんて夢にもおもわんかったなー」 「彼女が出した答えだ。調査する価値はある」 シーナが《分析》した指輪は、この美しい洋館に持ち主がいることを告げたのだ。ならばそこに犯人が居る可能性はゼロではない。 あるいは、その手掛かりが。 漆喰の壁に、はめ込まれた色鮮やかなステンドグラス。 外壁には蔦がまるで装飾品であるかのように絡みつき、まわりには薔薇の花が咲きほこる。 「おっじゃましまーす!」 家人とおぼしきモノは誰もいなかった。 家の留守を預かる使用人の類いもまた、誰ひとりいなかった。 扉は開いているのに、人の気配が皆無であり、にもかかわらず廃屋としての佇まいではけっしてない。 踏み込んだ屋敷内は外観での期待を裏切らず、美しさを保ち続けている。 繊細な扉の文様、精緻なシャンデリア、視界に広がるのはどれもこれも磨き上げられた調度品ばかりだ。 蒔也が嬉しそうに辺りを物色していくのを、千志は溜息とともに視界の端で捉える。 無闇な行動を取ることはないだろうが、監視しておかなければならない。 しかし、当の本人は行動を起こすより先に、くるりとこちらへ振り返る。 「ところで、あんたは被害者のアレコレ調べたのか?」 「回されてきた捜査資料にはひととおり目を通した」 「共通点っての? そう言うの、なんか気づかねーワケ?」 「“吸血鬼”が狙う花嫁たちは今のところ、全員が17歳であるということ、それから、ごく普通の家庭で育っていること、彼女たちが姿を消した時、身代金目当ての誘拐だと騒がれた時もあったようだが、少なくとも目を見張るような大金が用意できる家庭環境じゃないということだ」 「なーのに、攫われちまったんだ。花嫁候補ってのはフツー選ぶのに基準があんだろ?」 もっともな意見だ。 「基準か」 どこにあるのだろうか。 普通であるということ以外に、17歳であるということ以外に、彼女たちが被害者にならねばならなかった理由は一体どこにあるのか。 「花嫁になれなかった恨み、とか何とか会ったらすんげー笑うけど」 「笑い事じゃない」 険しさを更に増した表情で蒔也に釘を刺したところで、ふと千志は異変を感じる。 鼻先に触れる、ある種嗅ぎ慣れたニオイ。 ざわりと鳥肌が立つのを感じながら、千志は走り出す。 奥へ奥へ奥へ。 長い廊下を走り、折れ、迷宮じみた内部のその先――吹き抜けの大ホール、そのもっとも視線を集める壁中央の飾り鏡に、見つけてしまう。 磔にされた、四人目の被害者を。 純白のウェディングドレスを着せられて、ガラスの杭に両手首と己の胸を貫かれて、彼女は息絶えていた。 彼女の傍に、知野メッセージはまだ存在していない。 「あのな、いちおー確認するけど、俺たちは指輪の持ち主に会いに来たんだよなー?」 「《個展》の招待状はまだ届いていなかったはずだ」 ではどういうことか? 先回りされているということなのか。 犯人はどこにいるのか。 何を考えているのか。 なぜ。 「やあ、準備中の会場に足を踏み入れるだなんて、君達はなんてタイミングなんだろう!」 突然、声が降ってきた。 二階のバルコニーから、それは姿を現した。 「白い鴉なんだよ、ボクたちは」 純白のコートを翻し、高らかに仮面の男は笑う。 「知っておくといい。君達はボクを捕まえられない、なぜならボクは影だから、ヒトの心に潜む影が具現化しただけだから、ボクはけっして消えない」 白い鴉。 その言葉を、千志はつい先程耳にしたばかりだ。 「待て――」 咄嗟に手を伸ばした千志よりも先に、投げつけられた花瓶があり得ないほど豪快に爆発する。 バルコニーの手すりが物の見事に吹き飛んだ。 「やるなら徹底的に壊したらよくね?」 だが、白い男は既にそこには居ない。 どうやって移動したのか、あるいはそういう能力を持ち合わせているのか、彼は斜め横のシャンデリアの上に足を組んで腰掛け、ふたりを睥睨する。 「ボクが望むのは破壊じゃない、永遠だよ」 「はあ?」 心底厭そうに、蒔也は男の言葉を全身で否定する。 「それの何が楽しいのか全然わかんねーな。永遠って事は、壊れないって事じゃねえか、変化なし、進歩なし、関わる価値なし、みたいな!」 蒔也の手が弧を描けば、シャンデリアまで伸びている壁の装飾品が美しい火花の奇跡を伴って爆ぜていく。 男が座るシャンデリアのガラスというガラスの一切が砕け散るのにそう時間は掛からない。 「そんなことはないよ、全然まったくこれっぽっちもそんなことはないんだ、あはははは」 だが、男は今度は大階段の踊り場に移ると、さらに嬉しそうに両手を広げて哄笑を振り撒き、「永遠は素晴らしいよ、永遠は朽ちることがない、愛が憎悪に変わることもない、敬意が侮蔑に変わることもない、憧憬が嫉妬に変わることもない!」 そして―― 蒔也の投げつけた薔薇の花が爆ぜるのに合わせ、今度こそ完全に姿を消した。 だが、逃げられはしないのだ。 男が蒔也の爆弾に気を取られ、そちらへの対処に意識を向けている、その隙を突いて、千志は《影》を彼に張り付けていた。 自分の指先から長く長く長くどこまでも伸びていく細い《影》が、男の行方を知らせてくれる。 「いくぞ」 「俺の働きへの労いとかねーの?」 「あとだ」 千志は走る。蒔也とともに、夜の街をひた走る。 走りながら、大切な仲間を傷つけるだろう《真実》に辿り着きつつある自らの思考に、痛みが走る。 湧き上がってくる疑惑と予感に、どうしようもなく胸が痛む。 なぜ、という問いが自分を取り巻く。 その想いの隙間から入り込むように、遠くから微かな記憶が棘となる。 シーナと過ごした時間。 孤児院での想い出。 白い鴉の話。 父の問い。 17歳の花嫁。 永遠。 永遠を望むその裏側に潜む、想い――アレは誰が誰に向けてはなっているのか。 「……動機か」 「はあ? ンなもん、とっくの昔に分かってるだろ? “好きだから”っつー以外に理由あんのかよ」 「……ないな」 蒔也の言葉に、返す言葉はどこか虚ろに響く。 「なーなー、あんた、いまどんな気持ち?」 へらりと笑いながら、蒔也は千志を見やる。 「壊れたくなったらいつでも俺に頼んでくれてかまわねーんだぜ?」 「断る。俺は壊れる予定も、おまえに壊される予定もない」 「へええええええ?」 わざと語尾を吊り上げながら、からかうようにまた笑う。 「じゃあ、せいぜい《真実》の前にしっかり立ってろよ? どんな結末からも逃げんなよ?」 「当然だ。逃避は最大の悪。真実はどんなカタチであろうと明るみに出すべきだからな」 犯人は、分かっている。 それ以外の結論はあり得ない。 千志は一度立ち止まり、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。 例えどれほどの想いが傾けられていようとも、例えどれほどの悲劇の末にそれがなされたのだとしても、例えどれほどの痛みと嘆きが真実の先に生み出されるのだとしても。 その両手が人を殺してしまった事実はけっして消せない。 「覚悟はできている。あとは解決するだけだ」 「了解」 Thinking time Start!
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