鞄に一通り必要なものを詰め終わると、イェンス・カルヴィネンはコートを取りにクローゼットの方へと向かった。するとそこへ小さな気配が駆け寄ってくる、ぱたぱたという音が聞こえてくる。「イェンス!」 狼の耳と尻尾を生やした幼い少女が駆け寄ってきた勢いのまま、イェンスの脚にがばりと抱きつく。ぱたぱたと上機嫌に左右へ触れる尻尾に、イェンスは微笑ましげに頬を綻ばせた。 遊んでもらおうと思ったのか、アルウィン・ランズウィック手にはけん玉などの玩具がある。イェンスの脚から少し身体を離すと、彼が外出用の鞄を持っているのに気付いたようで、アルウィンはぱちぱちと両目を瞬かせた。「イェンス、壱番世界のおうち行くのか?お仕事?」 遊んでもらえないと分かり、元気だった耳と尻尾がへにょりと垂れる。イェンスはその様子に苦笑しながら鞄を床に置き、膝をついてアルウィンと視線の高さを合わせると、彼女の頭を撫でた。「仕事じゃないんだよ。ただ、最近行っていないからね。ヴィンセントが庭や家の手入れをやっていてくれるけど、郵便物も溜まっているだろうし、自分でも庭仕事や掃除をしたくて」 言い聞かせるように優しくそうイェンスが話すと、アルウィンの耳と尻尾が少し元気を取り戻す。「そーじ?」「そうだよ。壱番世界はもうすぐ年も明けるし、埃を払っておかないとね」「じゃあ、アルウィンも行く!」 ぴんっと耳が立った。尻尾もきりりと立ち上がる。アルウィンはやる気満々といった表情で宣言した。「アルウィン、イェンスのお手伝いする! イェンスの騎士だからな!」 幼い子のちょっぴり凛々しい姿にイェンスはふふっと笑いを溢す。「それはとても助かるよ、ランズウィック卿。よーし、では零番世界への出征の為、支度を整えてくれたまえ!」 自分の騎士を名乗る少女に少しだけ仰々しく命を下す。アルウィンは姿勢をびしっと正すと胸を張って返事をした。「うえまわった!」 承った、を正しく言うことはできなかったが、アルウィンは満足気であり、尻尾もまた元気よくぱたぱたと揺れている。「お掃除と庭の世話が終わった後は、街に出かける。心するように!お腹は減らしておく事!」「はっ!」 イェンスの指示に対し、アルウィンはしっかり敬礼のポーズを決めると、にこーっと笑顔を浮かべて早速お出かけ用のバッグを取りに行く。鞄掛けにかかっていたバッグを降ろし、ハンカチとティッシュを探して入れる。落書き帳と色鉛筆も忘れずに。玩具もほんのちょっと。と、しゃがみこんであれこれ探して詰めていくうちに、玩具の入っていた箱の中に木の実の形のブローチが入っているのを見つけた。「イェンスにもらったやつ!」 付けて行こうと思ったが自分ではうまく付けられなかったので、バッグの中にそっとしまう。後でイェンスに付けてもらおう。そう決めてバッグを閉じようとしたとき、ブローチに付いていた石が一瞬だけ、きらりと光ったような気がした。「アルウィン、そろそろ出発するよ」「おう!」 イェンスの声がしたので急ごうと立ち上がる。そのとき誰かがいる気がして、アルウィンは振り返った。見覚えのある女性が、柔らかな光に覆われて幽かに立っている。アルウィンはその女性を今までにも何度か見たことがあった。「おばちゃん、おばちゃんも行こ?」 女性は微笑み、頷いたようだった。それから間もなく彼女の姿は見えなくなったが、アルウィンはきっと見えないままついて来ているのだろうと納得し、イェンスの元へと急ぐのだった。* イェンスの自宅があるのはアメリカ合衆国北西部にある海に面した大都市シアトル。季節はすっかり冬で、緯度の高さにしてはそれほど冷えぬとはいえ気温は決して高くはない。これから迎えるクリスマスや年末に向けて、街の彩は豊かに活気を感じさせた。 イェンスの自宅へ到着した二人は、荷物をソファに置いて早速掃除と庭の手入れのための道具を用意する。「では、始めてくれたまえ」「ははっ!」 仮の王様と騎士の二人は仲良く掃除を始めた。片付いたら海や公園へ行こうかと話しながら、一時だけの父親と娘は今この貴重な時間を共有する。 遠からず、別れの日はきっとくる。でも今は、旅が終わる前のほんのひと時、思い出を作ろう。そんな二人の姿を、優しい光に包まれた女性――イェンスの妻であり、きっと、この場では王妃と呼ぶべき女性――がゆらりと密かに見守っていた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)アルウィン・ランズウィック(ccnt8867)=========
庭木の剪定を終えてイェンスが家のリビングへと戻ると、アルウィンは濡らしたタオルで一生懸命ローチェストを拭いていた。もっとてっぺんの方まで届かないかと背伸びをして腕もめいっぱい伸ばす。それでもてっぺんまでは綺麗に拭けないとなると、ぴょこん、ぴょこん、とジャンプをしてみるなどしてそれでも何とかと粘っていた。イェンスはその様に「無茶はしないようにね」と声はかけるものの、その頬はどうにも綻んでいる。 剪定ついでにポストから回収してきた郵便物を検めていると、自分宛のものに紛れて一通だけ、妻宛の封筒があった。差出人を見ると、妻の友人か何かであろう女性の名前がある。 イェンスはふっと室内を見回す。見えている範囲で動いているのはさっきと変わらず頑張って掃除をしているアルウィンだけで、それ以外は静かなものだ。しかし何故か、今彼女の名前を呼んだらこの手紙を取りに来るのではないかという気がして、ほんの僅かに口を開きかける。しかしそれはすぐに、やや寂しげな苦笑に変わった。 「アルウィン、ありがとう。それくらいで充分だよ。掃除機をかけるから、タオルは流し台の方に置いて来てくれるかな」 「おう!」 掃除が一通り終わって掃除道具を片付けると、二人は外出の支度を始める。バッグの中にいるものがちゃんと入っているか、アルウィンはちゃんとバッグの口を開けて確かめていた。 「あ、ぶろっち!」 来る前にバッグへ入れた木の実のブローチ。アルウィンはバッグを肩から下げると、ブローチを手に持ってイェンスの元へ駆け寄った。 「ん? どうしたんだい?」 「これっ」 イェンスは少し不思議そうにしながらアルウィンが差し出したブローチを受け取る。それから少し間を置いてから「ああ、」と納得したように微笑み、アルウィンの服の胸の辺りにそれをつけてやった。 「これでいいよ」 「ありがとう、イェンス!」 イェンスが誇らしげに胸を張る少女の頭を優しく撫でる。アルウィンは撫でられながら、こっそりとすぐ左側に立っている女性の方を見た。彼女も今のイェンスと同じように、アルウィンの背に合わせてしゃがみ、嬉しそうにこちらを見つめている。アルウィンは「にへへ、」とふにゃりと照れたように頬を緩ませた。 「お出かけの準備はこれで完璧かな、騎士殿?」 そこへ王様の問いがかけられると、アルウィンは表情をきりりとさせて背筋をぴんと伸ばす。 「はっ! いつでも行ける、のである!」 イェンスはその少しおかしな騎士の口調に吹き出しそうになるのを堪えながら、「では出発だ」と小さな騎士を玄関の方へと誘導した。 ウォーターフロントへ来るまで向かう道中、フリーモント地区のパブリックアートが沢山居並ぶ道を走っていく。 「おおーおっきい“ロケット”!」 家で読んだ絵本の中にあった不思議な乗り物にそっくりな像を見つけて、アルウィンはきゃっきゃっと興奮した様子で後部座席に取り付けられたチャイルドシートから身を乗り出して窓に張り付いている。 「そういえば君は初めてトロール像を見たときは、泣いていたねぇ。ほら、橋の下にある大きなトロールだよ」 イェンスの言葉を聞いて、ずっと窓の外に夢中になっていたアルウィンはびくりと肩を震わせたかと思うと、がばっと窓から体を離して抗議するように声を上げた。 「も、もう怖くないぞ! あんなの、もう、ぜったい、泣かない!」 「おや、そうなのかい? じゃあ、これからちょっとだけ見に行ってみようか」 「それは、いらないっ!」 首を左右にぶんぶん振って必死に拒絶する少女の様子に、イェンスはつい声に出して笑ってしまった。途端に起こった「わーらーうーなーっ」との抗議にごめんごめんと謝る。そんな親子らしいほのぼのとしたやりとりで、真直ぐに海岸の方へ向かう車内はとても賑やかだった。 潮風をくんくんと嗅いでから、アルウィンは砂浜に足を降ろす。その場でぱたぱたと駆け足をして足が沈んでしまいそうなほど柔らかい砂の感触を楽しむと、そのまま波打ち際まで駆けていく。 ビーチからはシアトルの街に居並ぶビル群が一望でき、その前を水上タクシーがゆるりと横切っていた。 引いては寄せる波に合わせるように、波を追いかけては逃げ、追いかけては逃げを数回繰り返してから、くるりとイェンスの方へと振り返った。 「イェンス! お山つくろ!」 「砂の山かい? いいよ、一緒に作ろう」 イェンスが頷いてみせると、アルウィンはぱぁっと満面の笑顔を浮かべ、「大きいのつくるぞ!」とさっそく飛びつくようにしゃがんで周辺の砂をかき集めはじめた。 「服は濡らさないように気をつけてね」 そう注意を促しながら、イェンスもその傍にしゃがんで砂集めを手伝う。大きな山になるように土台はしっかりと作らないとね、とアドバイスをしつつ、二人で協力して立派な砂山を作っていく。 砂山ができたら、綺麗な貝で飾り付けをしようとその辺に落ちている貝殻を漁っているうちにアルウィンは流木やガラス瓶などの漂流物や綺麗な石といったものに興味が移ったようで、ごそごそとそれらを拾ってはイェンスに見せに来る。 「おっきい棒見つけた!」 「本当だ、立派な流木だね。かっこいいよ」 「えへへ、これ、お山の横にかざるぞ!」 「そうだ、……こほん。ランズウィック卿、こちらの品は如何かね」 そうイェンスが差し出したのは、アルウィンがあちこち漁っている間に見つけた丸くてつるつるした真っ白な石だ。アルウィンはわぁっとそれをキラキラとした顔でじっと覗きこんでから、騎士らしく胸を張って厳かに頷いてみせる。 「うむ、立派なものデスナ!」 集めた漂流物と石と貝殻や、持ってきた玩具を砂山やその周りに飾り付けていく。アルウィンはそうしながら、イェンスにもらった白い石を傍に座っている女性にそっと見せる。彼女はその石を愛でるように優しく触れてから、砂山の一番上に乗せるのはどうかしらと言うように砂山を指した。アルウィンはこくんと頷き、砂山のてっぺんに石を飾る。 「よし!」 「うん、なかなか立派な山になったね。これで完成かい?」 満足げな少女にイェンスが問うと、彼女はふるふると首を左右に振った。それからさっき漂流物や石や貝殻と一緒に拾ってきた手頃な木の棒を「じゃーん!」とかざす。 「木の棒? それをどう使うのかな」 「んっとな、イェンス、目ぇつむって」 「うん。いいよ」 イェンスが目をつむると、アルウィンは砂山のふもとの辺りにさっきの木の棒を使って絵を描き始める。途中、何度か「アルウィン、もういいかい?」「まだダメだ!」といったやりとりがあって、ようやく「もういいぞ!」と騎士からのお許しが出るとイェンスはそっと目を開けた。 「これ、王様の山。だから王様の顔、かいた!」 これ! と指差されたところを見ると、イェンスのものらしい似顔絵が砂上に出現している。イェンスはニコニコしているアルウィンの頭を少し強めにぐりぐりと撫でた。 「じゃあ、今度は優しい騎士殿の山も作ろうか」 「作るっ!」 それから砂山を同じようにもう一つ作り、そのふもとに今度はイェンスがアルウィンの顔を描いてやった。イェンスがアルウィンの顔を描いている間、アルウィンはこっそりもう一つ砂山を作っていたようだ。いっぱいの綺麗な貝殻でその砂山を飾り付けるとお妃様の顔を描いて、三つもできた砂山をとても嬉しそうに眺める。 「おや、いつのまにかもう一つ作ったのかい?」 「おう、お山みっつ。仲良しだ!」 砂山を作り終わってから、アルウィンは水上タクシーを追っかけるように駆け出したのをきっかけにイェンスとかけっこを始める。アルウィンはわぁっと大はしゃぎで砂浜を駆けまわっていたが、はたと気づいて後ろを振り返ってみるとイェンスはいつの間にか息切れをして立ち止まっていた。 「イェンス、だいじょぶか? やすむ?」 「あ、ああ。そうだね。そろそろお昼時だし、ランチにしよう」 「らんち!」 カフェでサンドイッチやミートパイ、スープなどを買ってから、二人は公園へやってきた。公園は恋人たちや親子連れや、散歩の老人など、いろんな人がそれぞれの時間を満喫しているようで、イェンスとアルウィンもその中に紛れるように噴水近くのベンチへと腰を下ろす。 「ガウェイン、つまみぐいはダメなんだぞー」 イェンスの肩から降りてサンドイッチが包んである紙袋を覗き込もうとしていたオウルフォームのガウェインを、アルウィンは両手できゅっと持ち上げて自分の膝に置いてやる。ガウェインは突然持ち上げられて少しびっくりしたように羽をぱたつかせていたが、アルウィンの膝上に納まると落ち着いた様子で一声、「ほーう」と鳴いた。 食事が終わってから、アルウィンは膝に乗っていたガウェインを抱っこしたまま噴水に手を突っ込んでぱちゃぱちゃと飛沫を立たせて遊び始める。イェンスはその様子をベンチに座ったまま、ゆったりと眺めていた。 「お水、光ってキラキラだ。これはお宝ですナ」 日の光が水飛沫を照らし、反射して光の粒のように眩しい。アルウィンはガウェインと、『お妃様』にもよく見えるようにめいっぱいパシャパシャと、ひんやり冷たい水面を叩く。 ガウェインがアルウィンの腕から抜け出してぱたぱたと何処かへ飛んでいこうとすると、アルウィンはそれを追っかけて噴水から離れ、原っぱの方へ駆けていった。えい、とガウェインを捕まえると、青いフクロウはまだ両方の羽をぱたつかせながら「ほほーう」と鳴く。それが「もう一回」と言っているように見えて、アルウィンはガウェインを放してやる。するとガウェインはアルウィンの足元に着地し、アルウィンを見上げながら数歩、ちょんちょん、と後退りをした。 「よぉし、鬼ごっこだー」 アルウィンはガウェインを捕まえようと、両手を伸ばす。ガウェインはそれを、ちょっとだけ飛んでかわした。着地したところをまた捕まえようと、アルウィンは追っかける。ガウェインは追っかけてくるアルウィンの方をじっと見ながら、ちょっとずつ逃げる。 そんな可愛らしい鬼ごっこを、イェンスはベンチから優しい眼差しで見守っていた。しかし午前中に家の掃除や海辺での遊びで動き回ったせいか、空腹が満たされたこともあり心地よい眠気に誘われて瞼は重く、やがて、こくり、こくりと船を漕ぎ始める。 やっとガウェインを捕まえたアルウィンは、楽しそうな笑顔のままイェンスの方にパッと体を向けた。するとイェンスが下を向いたままじっとしているのが分かって、ガウェインを手に持ったまま、そぉーっと彼に近寄って下からその顔を覗きこむ。 「……イェンス、おつかれだ」 「ほーぅ」 返事をするようにガウェインが鳴くと、アルウィンはシーッと人差し指を口に当てて静かにするように注意する。それからイェンスの腕の辺りを、お疲れさまと言うようにそおっと撫でた。起こさないように離れて、静かに遊ぼうと先程まで遊んでいた原っぱの方へと戻る。それからその場に腰を下ろして、ガウェインを草っぱらの上に置いた。 「ほーう」 「ダメだぞ、イェンス起こしちゃ、ダメ」 ガウェインの頭を撫でながら、アルウィンは公園を改めてぐるりと見渡す。公園にはアルウィンの知らない人たちが沢山、何かいろんなことを話しながら、いろんなことをしている。それと同じ光景を、アルウィンは初めて壱番世界にやってきたときも見ていた。 耳も尻尾もない、知らない言葉を喋る人たち。固い石みたいな道からこの公園に逃げ込んで。さっき遊んでいた噴水の水を飲んで、でも食べ物はなくて。家族はどこにもいなくて。とても怖くて、寂しくて。その時みたいな恐ろしいことは、もうどこにもなくなったけれど。でも、今度は、お家に帰らないといけない。アルウィンの家族が待っている故郷、そこに帰る日が、少しずつ近づいてきているのを、彼女はなんとなく分かっていた。 アルウィンがしゃがんだまま上を見上げる。すると、長い黒髪が日の光に透けて輝き穏やかな微笑を湛えた女性が、アルウィンを見下ろしていた。ただ見下ろすというよりはすぐ間近で、アルウィンが遊んでいる姿を温かく見守っているようで。 (……きれい、だな……) ゆっくり目を閉じてみると、冬の冷たい、けれど緩やかで柔らかい風が頬を撫でた。 「イェンス、まだ起きないかな」 目を開けてもう一回イェンスの方を見てみる。彼はまだ眠ったままのようだ。今、大きな声で呼べば、彼女の話す言葉で彼はきっと目を覚ますだろう。アルウィンは立ち上がって、また女性の方を見上げた。 イェンスが目を覚ますと、まだ夢うつつといった感じの彼の膝の上でガウェインが「ほほう!」と大きな声で鳴いた。その声に驚いてハッとしてから、イェンスはガウェインを肩に乗せてやり、そろそろ移動しようかとアルウィンの姿を探す。 しかし近くで遊んでいると思っていた彼女の姿はそこになく、少なくとも噴水近くのベンチから見渡せる範囲からもいなくなっていると分かると、イェンスは慌ててベンチから立ち上がる。 「アルウィン? アルウィン、どこだい!」 ひとまず歩きながら周囲を見回し、声を張り上げるも、公園はあまりに広くてあの小さな少女を見つけるのはこんなんだった。 「ガウェイン、アルウィンを探してきてくれないか」 イェンスがそう頼むと、ガウェインは「ほう」と一声残してその肩から飛び立った。頭に入ってくるガウェインの視界の情報に意識を集中し、彼女の姿がないかじっと探す。しかし、その映像を見ているうちに、イェンスはふっと既視感を覚えた。 ガウェインが飛んでいく今の経路、今の映像とよく似た光景を、自分は前も見たことがあった。雨の日、この公園を歩いていたときのことだ。誰かに呼ばれたような気がして、ガウェインに人がいないか探してきてもらったのだったか。 あの時のガウェインは、今とほとんど同じような経路を飛んでいたと思う。ああ、そうだ。それで自分は見つけることができたのだった。 あの、大切な愛娘を。 「アルウィン!」 少女は、あの人同じ場所でイェンスを待っていた。あの日の場所を、彼の妻はちゃんと覚えていて、アルウィンをちゃんとここに連れてきてやることができたのだ。 まず、アルウィンの頭にガウェインが着地して、その少し後から、イェンスが息を切らしながら走ってくる。その姿を見つけると、アルウィンは堪らなくなって駆け出し、イェンスに思いっきり抱きついた。イェンスも彼女が駆け寄ってくるのを見ると、その場にしゃがんで彼女の小さな体をしっかりと抱きとめる。 「イェンス、イェンス! アルウィン、イェンスとずっといっしょがいい! ずぅっと、ずぅっといっしょにいたい! どうして、全部終わっちゃう? 嬉しいこと、楽しいこと、どうしてすぐに終わっちゃうんだ!」 ぎゅうっと、アルウィンはイェンスにしがみつき大粒の涙を流す。怖くて寂しかったところに彼はやってきて、アルウィンに沢山のものをくれた。彼はきっと魔法使いの王様だった。アルウィンに強くて優しい騎士の心をくれた。アルウィンの故郷に、イェンスも連れて行けたらどんなにいいだろう。でもそれじゃイェンスは困ってしまうと、アルウィンは分かっていた。 イェンスは彼女の別れ難い気持ちが痛いほどに分かって、抱きしめる腕に力がこもった。その腕に、誰かが優しく触れたようで、そっと顔をあげる。そこに、愛しい妻が一瞬だけ、微笑んでいたような気がして。 「……大丈夫。大丈夫だよ、アルウィン。ずっと一緒にいられなくてもね、心はいつも傍にあるんだ」 (この子は僕らの子だ。君もそう、思うだろう) ほんの少しだけ身体を離して、涙で濡れた少女の顔を袖のところで優しく拭う。彼女はこれまで、至らぬところもあった父親だったであろう自分に沢山の幸福を届けてくれた。何度も彼女の無邪気さや健気さに救われた。振り回される事も稀にある我侭や癇癪も、自分を信頼し、安心して甘えてくれていたのだと思うととても嬉しかった。良い子を産み、育てた彼女の家族には感謝している。ただ、別れを思うと胸を裂かれそうで。それでも、親元に帰すと約束した以上、この子はちゃんと故郷に帰してあげなくては。 「それにね、アルウィン。終わっちゃうのは、嬉しいことばっかりじゃないんだ。悲しいことも、必ず終わる。そしてまた、嬉しいことや楽しいことがやってきてくれるんだ」 だから泣かなくていいんだよ、とイェンスは続けた。アルウィンはしばしイェンスの目を見つめてから、こくんと頷く。 「イェンスも、もう泣くな」 アルウィンに言われて、いつの間にか自分も泣いていたことに気づくと、イェンスは「そうだね、ありがとう」と言いながら自分の目元を拭った。 「イェンス」 「なんだい?」 イェンスの問いには答えず、アルウィンはもう一回だけ彼にぎゅうっと抱きついた。彼のぬくもりを感じていると、傍らにしゃがむ女性の優しい眼差しが視界に入る。 「あのね、イェンス。……会えて、よかった」 「……うん。僕もだよ、アルウィン。ずっと、ずっと、愛している。いつまでも」 父子はそれからしばらく抱き合っていた。傍らでそれを見守っていた『母』の微笑は春のように温かく、柔らかかった。 【完】
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