私は夢浮橋へと帰属する。 鷹頼さんと結婚する。 決意を決めた華月の表情は晴れやかだった。「……」 共に夢浮橋まで付き添ってくれる三人はすでにロストレイルの車内にいる。だが、まだ乗り込まない華月を誰も急かすことはなかった。 ぐるりと駅構内を見渡す。ロストレイルの車両を眺める。0世界の街に思いを馳せる――誰もが、華月が心ゆくまで0世界の空気を吸い込むことを止めはしない。「……」 0世界で出会った人すべてへの感謝で胸がいっぱいになる。もう戻らないのだ、そう思うとうまく言葉で言い表せない思いが胸を駆け抜ける。 後ろ髪が引かれないと言ったら嘘になるかもしれない。だが、もう決めたのだ。あの世界で、愛する人と生きていくということを。 ゆっくりと、深く深く頭を下げる。それはすべてへの感謝。そして、別れの挨拶。 思い切らねばずっとそこに佇んでしまうかもしれない。だから、華月はきゅ、と拳を握りしめ、ロストレイルへと乗り込んだ。「もういいの?」「……ええ」 華月の乗車に気がついた臣 雀に問われ、華月は小さく笑顔を浮かべて答えた。そして雀の隣の席へと腰を掛ける。その横顔には寂しさが滲んでいないわけではなかったが、それ以上に彼女の決意の強さが感じられた。「付き添ってくれてありがとう、雀」 きちんと瞳を見て笑んで。「ありがとう、お父様、お母様」 続けて向けられた視線は、ボックス席の向かいに座る二人に。 ほぼ同じタイミングで夢浮橋に帰属する二人、ニワトコと夢幻の宮はその呼び名にまだ慣れないのだろう。いくら華月が夢浮橋ではニワトコと夢幻の宮の養女になるからとはいえ、実年齢の差は僅かだ。これまで友人として過ごしてきた相手からの呼びかけに、ニワトコは「くすぐったいね」と笑みを零した。不快感を感じているものではなく、受け入れようとしてくれているのだとわかっているから、華月もわざとそう呼んだのだった。 ひとりでも、愛する人の元へ嫁ぐなら――。しかしよく知っている二人が同じ世界に帰属するというのはやはり心強い。「動き出したようでございますね」 がたん……小さな揺れを感じた夢幻の宮が声を上げた。 ロストレイルに乗るのもこれで最後だ。帰りの切符は、ない。 小さくなっていく0世界の街並み。通りすぎてゆくディラックの空。 もう戻れない、戻らない。その事実と決意が身体全体に染みこんでいく。 滑るように進むロストレイルに乗って、華月は旅の終着駅へと向かい始めた。 *-*-* 夢浮橋の貴族の結婚は、主に通い婚である。華月の相手、藤原鷹頼もまた左大臣家嫡男という高位の貴族であるため、華月はこの形式での婚姻を承諾した。ただ、今までの経緯がすでに通常の通い婚とは異なる部分を持っているが、鷹頼はそのようなことは気にしないと告げていた。華月がこの世界の屋敷の奥で育てられた箱入り娘ではない以上生じてしまう違いであったが、彼女の愛した人はそれでも彼女を受け入れたいと思っているのだ。 だから、結婚の準備ができたという連絡とともに結婚前に鷹頼の両親を始めとした家族に挨拶をしたいと文に添えても、返ってきたのは快諾だった(もちろん、早く会いたいだとか愛の言葉は添えられていた)「よく似合っておりますよ」「そう……?」 花橘殿の女房達の仕立ててくれた雪中花を模した柄の入った袿に身を包んだ華月。華月の支度を手伝った夢幻の宮は目を細めて優しい笑みを浮かべた。「すごい、華月さんお姫様みたいだね!」 こちらは少女が大人用の袿の代わりに用いる衵(あこめ)に身を包んだ雀。髪を下ろしたその姿はとても馴染んでいた。「ふふ、ありがとう。雀が一緒に来てくれるなんて心強いわ」「本当についていくだけだけどね?」 今回の挨拶にはお付の女房の代わりに雀がついていくことになった。あまり馴染みのない女房についてきてもらうよりも、気心の知れた雀がついてきてくれる方がありがたい。ただ、本当に側に控えて何かの時に世話をする役目なので、華月達の会話には原則として口を挟んだりできないのが退屈かもしれないが。しかしそうして一歩引いた所で鷹頼と左大臣夫婦達を見られるというのは、ある意味「見定める者」としての役目を与えられた感じがした。「あ、支度が終わったんだね」 さすがに着替えに同席するわけにはいかなかったニワトコの元へ戻り、女房頭の和泉も含めてこれからの段取りの確認をする。「華月様がご挨拶から戻られたあと、今夜ですね、鷹頼様からの文が届いた後、鷹頼様が華月様の元へといらっしゃいます。ニワトコ様とわたくしは、女房達とともに屋敷内の準備を進めておきます」 夢幻の宮の説明に、華月達は頷く。今までの仮の拠点ではなく、これからはここがニワトコと夢幻の宮の家となるのだ。華月もいずれ鷹頼が引っ越す土御門の屋敷に入ることになるが、それまではここ、花橘殿で暮らす。宿泊、ではなく永住の準備が色々あるのだ。「華月様は何もご心配なさらずに、目の前のことに、幸せになることだけにご集中くださてませね。初のお渡りから三日続けてお渡りがあった翌朝、所顕しという披露宴になります。そこで三日夜の餅を食して、お二人は夫婦となります」「ぼくと雀さんはその間どうすればいいのかな?」 ニワトコが首を傾げて問う。三日後の披露宴まで暇なのだろうか?「ニワトコ様も雀様もよろしければわたくしや女房と共に披露宴の準備を手伝っていただければと思います。けれどもニワトコ様にはもうひとつ重大なお仕事があるのですよ」「?」「婿様の靴をお持ちいたしますので」「??」 和泉が言葉を添えたが、ニワトコの頭の上にははてなマークが浮かぶばかり。無理もないので夢幻の宮が補足する。「婿の足が娘の元へ来るように、婿の靴を抱いて寝るのですよ」「へぇ……」「あとは、燈台や灯籠の明かりは三日間絶やさないようにします。こちらは女房が行いますが……」「それ、あたしが手伝ってもいいかな? 華月さんの幸せを願って少しでもお手伝いしたいの」 手をあげて腰を浮かせた雀。三日間起きっぱなしは無理かもしれないけど、手分けして手伝うくらいなら……そう告げる彼女の申し出を無碍にしたり出来るはずがない。「もちろん無理の無い範囲で結構でございます。ぜひお手伝いくださいませ」「うん、わかったよ!」 笑顔で拳を握る雀。 次々と披露される段取りに、華月の中に本当に結婚するのだ、という意識が強くなる。 嬉しくないはずなんてない。けれども緊張はする。「そろそろご出立ください」「! は、はい……」 和泉の言葉にはっと顔を上げ、華月はすでに立ち上がっている雀を見る。華月がゆるゆると立ち上がるのを見て、ニワトコや夢幻の宮も立ち上がった。和泉の先導で四人は廊下を歩いてゆく。「どうぞ、お乗りください」 牛車に乗り込むための台が設置され、誰もが華月が乗り込むのを待っていた。その一歩がなかなか踏み出せない華月に最初に声を掛けたのはニワトコだった。「華月さん、だいじょうぶ。華月さんの花はぜったい咲くよ」「いざというときはあたしが守ってあげる!」 雀も明るい笑顔で華月の背中を押す。「華月様……いいえ、もう娘ですものね、だから華月」「!」 夢幻の宮の柔らかな声に名を呼ばれ、びくっと華月は身体を震わせた。けれどもそれは畏怖や萎縮を呼ぶものではなく、じわじわと嬉しさが体中に広がっていく思いだった。「自信を持ってお行きなさい、華月。鷹頼様は何があっても貴方を裏切らないはず……同じく、わたくしも、貴方のお父様も、もちろん雀様も、貴方を裏切ることはないのですから」「……お母様」 不思議とするりとその呼び名が出てきて。そっと、近寄って抱きつくと、いつもの様にいい香りがした。その香りは緊張していた華月の心を解してくれる。「……行ってまいります、お父様、お母様、そして……みんな」 牛車に乗り込んだ華月と雀を見送るのはニワトコと夢幻の宮と和泉、そして少なからず顔見知りの女房達。 皆が自分の幸せを祈ってくれている、そう思うと不思議と笑顔すら浮かんできた。 雀が握ってくれている手から伝わる温もりも、華月の心を落ち着かせてくれた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>華月(cade5246)臣 雀(ctpv5323)ニワトコ(cauv4259)夢幻の宮(cbwh3581)=========
土に手を触れると、やっぱり落ち着く。ニワトコは一番最初に庭へと出た。以前植えた花が咲いているか確かめたかったのだ。 「あ、蕾が」 いくつかついた蕾は白く、そして固く閉じていたその身体を緩やかに開放しようとしていた。 「あと2.3日後くらいには咲くかな」 そうすれば、披露宴には間に合うかもしれない。ニワトコは桶から柄杓で水を汲み、庭木達に水をやる。 「みんなが元気でいてくれること、綺麗に咲いてくれる時を待っているよ」 (ぼくと夢幻の宮さんがヴォロスで結婚した時、周りのひとたちがとても祝福してくれて) 結婚と言われて思い出すのは、数カ月前の自らの結婚式。ヴォロスで挙げた式には知り合いはひとりもいなかったけれど、それでも祝福してくれる人はたくさんいた。 (だから今度は、華月さんの結婚を、心いっぱい、お祝いしたい。たくさんの幸せがありますようにって) 力を貸してね、と優しく指で蕾をつついた。 *-*-* その頃、華月と臣 雀を乗せた牛車は左大臣邸に到着していた。二人共、種類は違うが緊張を身に纏っている。 (きちんとご挨拶するのはこれが初めて……弟さんには初めて会うし) 陰陽師として出会っていた頃とは立場も状況も違う。受け入れられるだろうか……不安が華月を支配する。 「華月さん」 くいくい、袖を引かれて振り返ると、後ろについて歩いていた雀が近くに来ていた。 「大丈夫だよ、あたしがついてるから」 「ありがとう、雀」 根拠の無い自信かもしれない。けれどもそう言われると、不思議と安心できた。 (雀についてきてもらってよかった) 案内役の女房に先導されて辿り着いたのは、広い室(へや)だった。几帳がいくつも立てられていて、中の様子はあまり伺えない。 「お付の方はこちらでお待ちくださいませ」 示されて雀は几帳の外側で待つことになった。不安そうに振り返った華月に、頑張れの意味をこめて拳を握って頷いてみせる。華月は小さく頷き、そして几帳の向こうへと消えた。 「失礼致します。華月です」 几帳の向こう側へ入ると、沢山の瞳が華月を出迎えた。思わず萎縮してしまいそうになるも、その中の一対が暖かく自分を見つめていることに気が付き、気を強く持つことが出来た。鷹頼だ。鷹頼が愛情篭った視線で華月を見つめてくれていた。 「華月、こちらへ」 隣の円座を示されて、ゆっくりと腰を下ろす。肩が触れ合いそうな位置に彼がいることが、華月を安心させていた。 「みんな、彼女が華月だ。俺は彼女を北の方として迎えたいと思っている」 「華月です」 鷹頼の言葉に続けてゆっくりと頭を下げるも、なんとなく頭をあげるのが怖い。けれどもこの人達と家族になるのだ。自分はこの世界の人達からしてみれば型破りな妻であるとは自覚している。だからこそ、しっかりと挨拶はしておきたかった。 「この度は、ご挨拶申し上げたいという私の希望を叶えて下さり、ありがとうございます」 ゆっくり、頭をあげる。すると前方に座っている左大臣が口を開いた。 「改めて挨拶しよう。私が鷹頼の父だ。こちらが北の方にして鷹頼の母……面識はあるようだね」 「はい。以前、倒れたところを助けていただきました」 「あの時の可愛い子が鷹頼のお嫁さんになってくれるなんて……この子はこの歳になっても女性との縁がうまく結べなくてね」 「母上!」 嬉しそうに言葉を紡ぐ北の方を、焦ったように鷹頼が諌めた。彼が女性の所に通っても結婚まで至らないというのは華月も本人から聞いていたが、さすがに話題に出されるのは気まずいのだろう。 「こちらが鷹頼の弟の高嗣(たかつぐ)。御簾の向こうにいるのが娘の澪姫。北の方の膝の上にいるのがもう一人の娘、繰子だ」 「華月です。よろしくお願いいたします」 左大臣の紹介に合わせて、再び頭を下げる。 「へぇ、兄上がこんなに可愛らしい女性を射止めるなんてね。しかも女五の宮様の娘御だというではないですか。なかなか結婚しないと思ったら……機会を伺っていたのですね」 「高嗣、俺は華月を身分で選んだわけではない」 恐らく華月が夢幻の宮の養女だということは一部の人間にしか知られていないのだろう。 「少し前まで療養のため、父母と共に都の外で育ちましたゆえ、行き届かないところがあると思いますが、ご容赦ください」 女五の宮が都から姿を消したのは、療養のためということになったらしい。作られた設定、これが華月のここでの生活の基礎となる。 「二人共、落ち着け。高嗣は面白く無いのだろう、彼女が美人だからな」 「そ、そういうわけではありません……!」 左大臣の言葉に顔を真っ赤にする高嗣。どうやら図星らしい。最初は嫌なことを言う人だなぁと几帳の向こうの雀も思ったけれど、どうやら本当はそんなに悪い人ではなさそうだと知れて安心して息をつく。 「兄様の北の方ということは、私の姉上になるのね。よろしくね、これから色々とお話したいわ」 「くりこもー!」 御簾の向こうから澪姫が声を弾ませるのに合わせて、小さな繰子も嬉しそうだった。 (私、歓迎されていると思っていいのかしら……) 隣の鷹頼を見上げると、彼は笑みを浮かべながら頷いてくれて。受け入れられているのだと感じると、緊張もほどけて自分から話を振ることもできた。 *-*-* 「華月さん、緊張してる?」 「え、う、うん……」 辺りはもう日が落ちている。華月と雀が花橘殿に戻ってきてから数時間が経過していた。 左大臣邸でのやりとりは驚くほど楽しく、最初の緊張など忘れ去ってしまったほどだ。 『鷹頼を、よろしくお願い致します』 左大臣と北の方に頭を下げられて大変恐縮したのも今考えれば通らなければならなかった道。 けれども華月を緊張させているのは、帰り際に耳元で囁かれた鷹頼の言葉だ。 『夜、華月を貰いに行く』 思い出すたびに――忘れようと思っても勝手に思い出されて、彼の声でその言葉が再生されると心臓が跳ねて顔が熱くなる。 帰宅して首尾を尋ねられた時も、夕餉の席でも、そして華月の部屋として用意されている対へ移ってきた後も、彼の言葉とこれから起こるであろうことを考えると、頭がくらくらする思いだ。 夕方に鷹頼から訪いの許可を求める文が来て、夢幻の宮に教えてもらいながら返事を書いた。もちろん返事は是だ。 湯浴みして、薄手の白い夜着に身を包んで、布団の敷かれた御帳台で待ち始めてどのくらいだろう。側に控えていた雀が話し相手になってくれていたから、妙な不安と緊張に駆られることはなかった。それでも完全に緊張が解けたわけではないが。 「あ、馬の鳴き声!」 雀が腰を浮かせると、屋敷の門の辺りが明るく、騒がしくなったように感じられた。 「あたし、外にいなきゃ。華月さん、頑張ってね」 雀がさささっと御簾を上げて室の外へと出た。 (と言われても……なにを、頑張れば) 考えている内に、渡殿をこちらへと向かってくる足音が聞こえ出した。身体が、強張る。 「姫様はこちらでございます。雀、火を」 「はいっ」 あの声は和泉だろうか。灯台の火が一度吹き消されて、室に届く光は鷹頼の従者が持っている松明の明かりのみとなる。雀は松明を受け取って、失敗しないようにと気合を入れてその火を灯台へと移した。この灯台は閨の前に置かれ、男が三日間通ってくれることを願い、火を絶やさずに置くのだ。 「若君のお履物、お預かりいたします」 和泉が鷹頼の履物を抱えて、従者とともに渡殿を戻っていく。ちら、と振り返った和泉と目のあった雀は、任せて、と言うように頷いてみせた。ここからが雀にとっても頑張りどころだ。 「華月」 暗闇の方が濃いかもしれない。そんな薄明の中でも近づいてくるのがあの人だと分かる。 「鷹頼さん、私はここよ」 そっと告げると彼が近寄ってくるのがわかった。御帳台の中で正座して待っていた華月をようやく見つけて、鷹頼は破顔する。 「逢いたかった」 「さっき逢ったばかりなのに……でも、私もよ」 そっと、大きな手が華月の手を覆った。思わず身体を硬くする。 「は、初めてあった時は……こんな風に夫婦になるなんて思いもしなかったわ」 「俺もだ。まさかあの後訪ねてくるとは思わなかったし、こんなに縁が繋がるとは思わなかった」 「最初は怖かったのよ。でもね、どうしても貴方が女性に恨まれるようなことをする人には見えなくて。確かめたかったの」 薄闇の中、吐息も聞こえそうな距離で、見つめ合って。 「でも、あの時に勇気をだして良かった。貴方に会えた縁に感謝するわ」 「華月……」 壊れ物にでも触れるように、鷹頼の手が肩に伸びる。そっと抱き寄せられても、緊張は解けなくて。 「……。すごい緊張しているな?」 「だ、だってっ!」 鷹頼がくすっと笑ったものだから、顔に熱が宿った。けれどもこの暗さならば、朱が走ったことは悟られまい。 「覚悟していなかったのか? 貰いに行くと言ったのに」 そんなこと言われたら余計に緊張してしまうわ、からかうような鷹頼に反論しようとしたが、それは叶わなかった。顎を持ち上げられ、重ねられた唇。薄く紅を塗ってあったそれを彼の舌がこじ開けて。口腔内を優しく蹂躙されると、うまく呼吸が出来なくてため息のような吐息が漏れてしまう。吐息の漏れた口の端から、唾液が伝って落ちる。 「華月」 激しい口づけで頭の芯がぼわっとしていた。やっと息ができる――そう思った瞬間、視界がぐるんと回った。優しく押し倒されたのだと気がついた時にはもう、彼の唇が首筋を張っていて。くすぐったいような不思議に感覚に艶めいた声が漏れた。 「ぁっ……」 夜着の合わせを割って、彼の大きな手が華月の柔肌に触れる。つぅ……と太腿を撫でられて、また声が漏れた。いつの間にか帯は解かれていて、胸元の柔らかな部分を彼の唇が張っていた。 (恥ずかしい……でも) 嫌ではなかった。むしろ、もっともっと愛されたいとさえ思った。彼の愛が、指の先から唇から溢れるほど伝わってきたから。 「んっ……!」 びくん、身体が跳ねたのは彼の唇が双丘の先端を刺激したからだ。するすると這う彼の片手はどんどん太腿をのぼってきている。 「そこ、は……」 きちんと言葉になっているかわからない。もしかしたら吐息に溶けてしまったかもしれない。自分の吐き出す息が熱を帯びているのが分かる。 「大丈夫だ、いい子だから、身体の力を抜いて」 羞恥と愛撫の影響が混じって、華月の判断力を奪っていく。鷹頼に導かれるままに身体の力を抜くと、彼の指先が太腿を割って入ってきた。 「っ……!」 思わず脚に力を入れるが、すでに彼の膝が閉じさせぬようにと脚と脚の間にあって。 「たか、よ……」 羞恥心と若干の本能的恐怖から、やめてと訴えそうになる。自分ばかり恥ずかしがって、ドキドキして。鷹頼は慣れているのだろう、平然としているように見えてなんだかずるい。 ばさり、上体を起こした鷹頼が上位を脱いだ。そして再び覆いかぶさるようにして――華月の手をとった。導くのは、自分の胸。武人らしく鍛えあげられた厚い胸板に初めて直に触れて、華月の鼓動はなお速くなる。 「余裕なんてない。いっぱいいっぱいだ」 トクトクトクトク……触れたところから感じるのは鷹頼の鼓動。それは華月の鼓動に負けずとも劣らず早鐘を打っていて。 「愛する女を自分のものにしようという時に、余裕なんてあるものか」 (ああ――この人も一緒なのね) ぶっきらぼうに告げられた言葉が、彼の本音だ。なんだか、羞恥心も本能的恐怖も払拭されてしまった。 「お願い、もう一度……口づけして」 返答は、もちろん唇を重ねることで。 ゆっくりと彼の手を、彼のすべてを、華月は受け入れていく。 それは痛みを伴ったけれど、そのうち痛みは甘い感覚へと姿を変えて。 触れ合って、融け合って、ふたりは一つになって。 鈍い痛みと疲労感と、そして幸福感に抱かれて、華月は意識を手放した。 *-*-* 鷹頼の履物が届けられたのは、ニワトコと夢幻の宮の住まう対だ。大きな御帳台に二人で眠れる大きさの布団が敷かれている。鷹頼の履物は片方ずつ絹の布に包まれて、二人に手渡された。 「鷹頼さんが明日もあさっても、華月さんの元へ来てくれますように」 ニワトコはぎゅっと包みを抱きしめる。その様子を見て、夢幻の宮は目を細めた。 「華月が、幸せになりますように」 倣うように包を抱きしめた夢幻の宮を見て、ニワトコも笑む。 「自分が『お父さん』になるなんて、なんだか変な感じ」 でも、家族が増えるのはいいことだと思う。もう、ひとりじゃない。 「今夜も冷えますから、早めに布団に入りましょう」 「うん、そうだね」 実を言えばこうして一緒の布団に入るのは、未だ少し恥ずかしい。けれどもこれからはこれが普通になっていくのだろう。 「ふたりで一緒ですと、温石がなくとも暖かいですね」 「そうだね」 ぴとっと寄り添って、互いの体温で暖を取る。心地いい暖かさが、睡魔を呼び寄せる……。 *-*-* 「……!」 華月が目が覚めた時、すでに日は昇っていた。あたりを見渡しても、鷹頼の姿がない。そういえば日が昇る前に帰るものだと聞いていた。その時に男よりも早く起きて身支度を手伝うのが妻の仕事だとも。 (やだ、私ったら……!) 急いで起き上がると、下腹部に鈍い痛みが走る。明るい場所で己の身体を見ると、胸元に虫に刺されたように跡がいくつかあった。 (この時期に、蚊でもいるの……――!?) そこまで考えてようやく「それ」の意味に気が付き、昨夜のことが自然思い出されて顔が熱くなる。 「華月さん、起きた? 入っていい?」 「あ、ちょっ、ちょっと待ってね!」 雀の声だ。慌てて夜着を羽織り、「しるし」を隠す。 「いいわよ」 「あのね、鷹頼さんがね、華月さんは疲れているだろうから、このまま寝かせておいてくれって。それでさっき、文が届いたよ」 後朝の文だ。優しい色合いの紙に雪中花が添えられている。それに目を通した華月が嬉しそうだから、きっといい内容なんだなと雀は自分のことのように嬉しくなった。 *-*-* その日の夜も鷹頼は華月の元を訪れた。笑顔で迎える華月。 今日も室の側で火の番をする雀だったが、さすがにちょっぴり眠くなってきてしまった。気が付くとうとうとしてて。 (だめだめ、しっかり大任果たさないと!) むにゅ。頬や膝をつねって自分に喝を入れる。 夢幻の宮や和泉は昼間だけでも他の女房に代わりをさせるから少し眠ったらどうだと言ってくれたが、雀自身がそれを拒否した。本当のお姉さんのように思っている大切な人の大切な儀式なのだから、最後まで努めたいと思ったのだ。その場を離れるのは最低限だけにして、雀は火の番をつづけていた。 まあだが眠気以上にちょっといたたまれなくなるのは、時折二人の睦言が聞こえてくるからで。暗闇がより一層想像力をかきたてて。耳年増って言われるかもしれないけれど、顔を真っ赤にして雀は知らんぷりをして過ごした。 翌朝二人と顔を合わせるのが恥ずかしいのは、一日目と同じだった。 *-*-* 三日目の明け方。うとうとしていた華月が目を覚ますと、鷹頼に抱きしめられていた。 「鷹頼さん……?」 「起こしてしまったか?」 彼の声は、いつもの様に優しい。 「ううん、ちょうど目が覚めたのよ。どうかした?」 「いや……」 言葉を濁した鷹頼だったが、しばしの沈黙の後、再び口を開いた。 「……華月がどこにもいかないように、抱きしめていた」 「ふふっ……」 その答えがなんだかとても可愛くて。そして愛しくて。華月は彼の顔を見上げる。 「大丈夫。私はここにいるわ。貴方から、離れない」 「……そうか」 安心したように笑顔を浮かべる鷹頼が、本当に愛しい。 「そうだ、あのね」 ごそごそと枕元に腕を伸ばす華月のために束縛を緩めた鷹頼は、彼女が何か小さな箱を手にしたのを見ていた。 「これ」 華月が開いた箱の中には、銀の指輪が二つ。ダイヤモンドを使って作った、手作りの指輪だ。 「これ、お揃いなのよ」 鷹頼の左手を取って、そっと薬指にはめる。彼は珍しそうに指輪の嵌められた指を見ていた。 「こっちにはこういう風習がないのは知っているけど、だから、何かの証として持っていたかったの。私の我がままだけれど、もし良かったら嵌めていてくれると嬉しい」 「……お揃いということは、こうするんだろう?」 すっと彼の手が指輪をさらい、華月の左手の薬指に通す。まさかそうしてもらえるとは思わなかったから、それだけで、胸が一杯になった。自然と涙が溢れる。 「華月、愛してる。永久(とわ)に」 「私もよ、鷹頼さん」 その日ふたりは、初めて揃って朝日を見つめた。 *-*-* 披露宴会場となる室には趣向の凝らされた料理が並んでいて、ニワトコも夢幻の宮も準備を手伝った雀も、今か今かと二人の到着を待っていた。 程なく、和泉に先導されて華月と鷹頼が到着する。まだ恥じらいの残るふたりは、ゆっくりと並んで腰を下ろした。 「三日夜の餅を」 高坏に盛られた餅を手とり、齧る。これでふたりは、正式な夫婦として認められることになる。 「おめでとう、華月。華月をよろしくお願いします」 ニワトコは、どんな言葉をかけようか迷っていたけれど、自然に出てくる言葉に任せて頭を下げた。隣で夢幻の宮もそれに倣っている。呼び捨てにしたのは、そのほうが家族としてしっくり来ると思ったからだ。その心は華月にも伝わって。 「お父様……」 祝福されているのを感じて胸が熱くなる。鷹頼の妻になったという実感がじわじわと湧いてきた。 「華月さん、おめでとう! 幸せになってね。赤ちゃん生まれたら抱っこさせてね、約束だよ」 「雀ったら……気が早いわ」 照れる華月を見て、一同から笑いが溢れる。 打ち解けた談話の中で、雀が始めた余興は、大量の呪符を使ったもの。 極彩色の花吹雪にたなびく布と舞う天女。春爛漫の桃源郷の幻。 「これは……素晴らしいな」 「そうね、すごく、祝福されているのが伝わってきて、嬉しいわ」 二人が仲睦まじく寄り添うのを見ながら、雀はふと思う。 (兄貴の結婚式もこんな感じかな? 早く故郷に帰りたい……父上と母上に会いたい) 本当はもう忘れられちゃってるんじゃないか――そんな不安がよぎる。けれども今は泣かない。だって、お祝いだもの。 鷹頼の前だから口にしなかったけれど、雀にはしっかりと見えていた。披露宴会場に現れた華月の頭上、夢浮橋の真理数が点滅をやめてしっかりと浮かんでいるのが。 「幸せに包まれている二人に、極上の景色を見せてあげる!」 華月と鷹頼に庭に降りるよう示した雀が顕現させたのは、大きな朱雀。鷹頼は驚いたようだったが、雀が陰陽師のようなものだと知ると納得したようだった。 「ふたりとも、しっかり手を握っててね!」 朱雀は羽ばたき、暁京の空へと舞い上がる。すべてが小さくなり、大きな都が一望できる。 「どう、気持ちいいでしょ?」 「ええ……いい景色」 「これは、夢のようだな」 悠々と空をゆく朱雀。新たな夫婦を祝福するように晴れ渡った空が、近い。 *-*-* 「華月」 一足先に朱雀から降りた鷹頼が、華月を抱きとめるようにして下ろす。視線を絡め、微笑み合う。 (私、幸福だわ) 今までこんな風に思ったことがあるだろうか。 今ならば、生まれてきてよかったと、今までの人生含めて肯定する事ができる。心から生きていることに感謝する気持ちだ。 「お父様、お母様、雀、本当に有難う」 庭に自分の足で降り立って、頭を下げる。 この世界で育ったわけではない以上、苦労することがあるかも知れない。それはもう覚悟している。 優しい両親と、頼もしい旦那様に恵まれたのだから、ひとりではないのだから、きっと、大丈夫。 「華月さん~……」 本当は笑顔で送り出そうと決めたんだけど、やっぱり寂しさが募って。雀は華月にぎゅっと泣きついてぐずぐずと泣きじゃくる。どうしても、我慢ができなかったのだ。 「雀、本当にありがとう。ありがとう……」 優しく髪を撫でる華月の手のぬくもり、絶対に忘れない。 「華月、庭の花も華月を祝福しているよ。ほら」 ニワトコが階近くに持ってきたのは、先日まだ蕾だった花。今朝、見に行ったら白い花弁を惜しげも無く開いていたのだ。 「鉢に移しておいたから、土御門に引っ越す時に、よかったら持って行ってね」 「お父様が咲かせた花でしょう? いいの?」 「もちろんだよ。うまく根付かなかったら、いつでも言ってくれれば様子を見に行くからね」 「ありがとう!」 祝福させる嬉しさを、噛みしめる。こんなに幸せでいいのだろうか。 「素敵なご両親と友人だな」 「……ええ」 鷹頼は華月に笑顔を向けた後、夢幻の宮へと視線を向けた。 「女五の宮様、ご無沙汰をいたしまして申し訳ありませんでした。幼少のみぎりに御相手していただいたこと、今でも記憶に残っております」 「ふふ……無沙汰はお互い様でございます。あの鷹頼が大きくなって、私の娘を娶ってくれるなんて夢のようです」 「必ず幸せにします……いや、二人で幸せになります」 幼い頃に敬愛していた姫宮の娘を娶るにあたりけじめを付けておきたかったのだろう。華月にとってもその言葉は、心に響いた。 (そう、私は鷹頼さんと、二人で幸せになる――) 蒼穹が、証人となるべくすべてを見つめていた。 *-*-* 手渡されたパスホルダーとトラベルギア、トラベラーズノートを抱きしめて、雀はまっすぐに華月を見つめた。 「お願いね」 「うん」 「良かったら、また遊びに来て。私はここにいるから」 「絶対来るよ。だって赤ちゃん抱っこさせてもらう約束だもん!」 にっこり笑って、列車の中に駆け入る。客席の窓に張り付くようにして、窓を見上げている華月を見た。 (故郷に帰ったら華月さんとも、ううん、こっちでできたお友達ともお別れ) ガタン、列車が動き出した。硝子を隔ててあちらとこちらで手を振り合う。 (でも思い出は消えない。華月さんやニワトコさん、みんなとの楽しい思い出を糧に、立派な呪符師になるからね) だんだんと小さくなっていくロストレイルを見つめながら、華月は改めて誓う。 ――私はこの夢浮橋で生きて行く。鷹頼さんと一緒に。 【了】
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