チャイ=ブレの体内から帰還して以降、村崎神無はずっと自室に籠っていた。 ターミナルに混乱を招いた【鉄仮面の囚人】ルイス・エルトダウン。 彼が誰にも殺されないために、彼が誰をも殺さないでいてもらうために、その願いのために手を取りながらし―― 結局、神無はファミリーを殺したロストナンバーとなった。 彼の死後、その罪を罰せられることを望んだがあっさりと却下され、今は普通に自室に帰されている。 ――私はどうしてここにいるの? 罪を償わなきゃいけないのに…… 神無は未だ、その罪とどう向き合うべきか図りかねている。 沈黙の中に沈み込んでいた彼女の元に、その日珍しく部屋の扉を叩く音が響く。「カンナ、居るんでしょ? 遊びに行こうよ」「神無、そろそろ外に出ない?」 その声には聞き覚えがあった。 ニコル・メイブとティリクティア――神無のよく知る二人の声だ。 しかし二人の呼び掛けにも、すぐに応じる気になれなかった。「神無、出てこないならこっちから開けちゃうわよ?」「そしたらユリエスにも恥ずかしい格好見られちゃうよ。いいのー?」 ――ユリエスがそこに? 神無は反射的に扉に手を伸ばし、勢いよく開いた。 そこにはいたのは二人――見知った少女たちがにっこりと笑顔を浮かべていた。「神無、いつまでそうしているつもりなの?」 力が抜け、再び座り込んでしまった神無に、ティリクティアが尋ねる。「私が貴方をハリセンで叩いたのは、こうやって部屋の中で一人座らせる為じゃないわ。ねえ神無、ナラゴニアに行かない? ユリエスに会いに行かない?」「ユリエス……私には、もう彼に会う資格がないもの」 ふつりと、言葉が落ちていく。 神無はルイスの誘いに乗って彼の手を取り、自らも仮面を被った。 彼の命を守るためとはいえ、殺人者の味方をしたことに変わりはない。 しかも結果的に彼に致命傷を与えてしまい、彼を大切に思う少女の目の前で命を失わせる原因を作った。 手錠の音が、じゃらりと鈍く重く耳を打つ。「……ユリエスは、私みたいな人間に会っては駄目だから」「ね、カンナ。資格って、自分だけで勝手に決めていいものなの? ……違うよね」 ニコルは真面目な表情で、神無をじっと見つめた。 彼女が何を言おうとしているのか、神無には分からない。 だから、答えられない。 答えられないまま座り込んだ自分に、言葉が重ねられていく。「それじゃ、ユリエスにこのまま一生会わないつもり?」「私は、それでも……」「じゃあどうして、さっきユリエスの名前を聞いた時、すぐに扉を開けたの?」「……え」「それに、世界樹の調査の時なんかユリエスを守るって言って外に出てきたじゃない。刀まで抜いちゃってさ」「……」 二人を見上げ、神無は再び俯き、考え込む。 ユリエスには、何があっても手を汚して欲しくない。 私のように闇に堕ちて欲しくない……前に会った時にそう伝えた。 それで充分だったはず、だけど。 ルイスに操られて意識を失った時、最後に考えたのはユリエスのこと。 ――罰を望むよりも、どうしたら哀しいヒトを幸せにできるかを考えた方が、ずっとずっと良いと思うのです 純白の少女が告げた言葉――あの時、最初に思い浮かんだのもユリエスの顔だった。 私は彼にまだ何らかの未練があるということだろうか。 その未練は一体何なのか?「やっぱりユリエスと会って話すべきよ。行きましょ、神無」「そ、会って確かめるの、お互いの気持ち。引きこもるのはその後でも遅くないって。――ね?」 二人は笑顔で、神無に手を差し伸べる。「私は……」 神無は逡巡した後、静かに口を開いた。「……二人とも、少し付き合ってくれる?」 翌日、三人はナラゴニアに向かうロストレイルに乗っていた。 徐々に近づいてくる世界樹の姿を見ながら、神無は思う。 自分は彼に会うことが許されるのだろうか、彼に会えるのだろうか――?=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>村崎 神無(cwfx8355)ニコル・メイブ(cpwz8944)ティリクティア(curp9866)=========
君死給勿 ――ねえ、神無。覚えてる? 口には出さず、ティリクティアはロストレイルの車内で隣に座る神無をそっと見る。 ナラゴニアで世界樹が沈黙し、園丁に神を見ていたユリエスが絶対の存在を奪われ、ロドン宮殿に閉じこもってしまった時。 あの時、神無はティリクティアとともにユリエスの元を訪れた。 固く閉ざされた扉の前で彼の名を呼び、言葉をかけ、彼の好きな茶菓子を届け、茶会の招待状を渡した。 あの時知ったはず。 どんな小さな祈りであっても、その想いはきっと届くのだと。 ――カンナ、覚えてる? 口には出さず、ニコルもまた、向かいに座り俯く神無をそっと見る。 夫ではない男へと想いを傾けてしまった《花嫁》に、彼女は戦う理由がないと言いながらコロッセオに向かってくれた。 弾けた柘榴色が鮮明に蘇る。 境界線を越えた先を願い、望み、言い聞かせながらも《自身》を探し続けたニコルに、神無はどこまでもどこまでも真摯に向かい合ってくれた。 あの時知ったのだ。 ただひとつに縛られるのでない、矛盾めいた中ででも《そういう自分がいる》と受け入れることもできるのだと。 ――……わからない…… 神無は手錠でつながれた自身の手を見つめながら、いまなお思い、惑う。 《罪》は生きて償うべきもの、その考えは今なお変わらない。 けれど、知ってしまった――思い知らされたのだ。生きている限り、人は罪を重ねていくのだという《現実》を。 《鉄仮面の囚人》ルイス・エルトダウン――ロストナンバーの一部からは《エドガー・エルトダウン》と呼ばれたエルトダウン家当主にして、ターミナルに悪意と厄災を振りまいた男。 彼は、自分の与える《死》は安寧だと言った。 神無はそれに反発した。 しかし、結果として自分のしたことを見たモノは、彼の言い分を裏付けたとしか評価しないかもしれない。 自分の両手は、一生掛かっても償いきれないほどの罪にまみれている。 自分の背には、一生掛けても軽くなることのない罪がのしかかっている。 純白の少女は言った。 『罰を望むよりも、どうしたら哀しいヒトを幸せにできるかを考えた方が、ずっとずっと良いと思うのです』 けれど、でも、これほど罪にまみれた自分に、誰かを幸せにすることなどできるのだろうか。 自分は自分を許すことができない、その気持ちが消えない。 幸せにする方法も、幸せというものがなんであったのかも、自分には分からない。 見えない。 そして、惑う。 もがく。 生きなければ償えない。 償うためには生きなければならない。 なのに、『償うために』と取った行動のひとつひとつに失敗がつきまとう。 常に《死》がつきまとう。 そのうえ、ニコルにもティリクティアにも心配をかけてばかりで、彼女たちのためになにかできたかと自身に問えば、否としか返ってこないのだ。 それなのに。 それなのに―― 「……どう、して……」 ぽつりと、神無の唇から言葉が落ちた。 「……」 「神無?」 「カンナ……」 部屋を出てからずっと沈黙し続けてきた神無からの、ようやくの言葉に、ティリクティアはニコルとともに短く名を呼ぶ。 「神無?」 名を呼び、言葉の続きを静かに促す。 「どうして……なんで、みんな私を……許すの?」 喉を締め付け絞り出されるようにして告げられていく神無の言葉。 「……どうして、私に笑いかけるの?」 震える声は、ただ自分自身だけを責めている。 「……人を、殺した……大切な人を、奪った……失敗ばかりで、なにもできなくて……こんなにも罪深い私を……どうして……」 ユリエスに会いに行こう。 そう誘った自分たちの手を、神無は確かに取った。 けれど、彼女は再び深い深い後悔の中に落ち込んでしまっている。 ティリクティアは少しの間、何も言わずに神無を見つめた。 罪と罰。 罰を望む人間に対し《罪に見合う量刑》があるとして、ソレを決めるのは一体誰なのだろう、と、ふと思う。 神無と同じように自分の両手へ視線をそっと向けてから、まぶたを閉じ、そしてゆっくりと、話し始める。 「ねえ、神無。私はここに来る前から《罪人》よ? ……ルイスや貴方よりも、もっとずっと酷い」 「……え」 「国の為に大勢の、それこそ何万もの人を殺したわ。そばにいてくれた大切な人も、顔も名前も知らない人たちも、私は殺してしまったの」 避けられるはずの死もあっただろう。 口を噤まずにいれば救われた命もあっただろう。 なのに。 その人を大切に思う家族、その人を取り巻く幸福な未来、幸福な時間、あたたかで平穏な時間のすべてがあっけなく壊れていくと知りながら、自分は止めなかった。 『国』のために、『民』に犠牲を強いた。 未来予知のチカラでもたらしたものは、人と向き合い、自らの手で引き金を引く以上のヒドイ罪だ。 「でも、巫女である私の罪は、公的には裁かれなかったわ」 苦しみ、憎み、恨み、嘆く者たちの呪詛はたしかにそこにあったはずなのに、断罪者は自分のもとには来なかった。 糾弾する声すらも、巫女に向けることは憚られた。 かつて、自分は独房の中のルイス・エルトダウンに面会している。 あの時に彼は、絶望を縁取る狂気と共に、牢獄の中から訪問者である自分たちひとつひとりを見つめ、問いかけた。 『諸君らは想像できるかね?』 『自身の生死が自身によって決めることのできない状態、死を望みながらも《死が許されない》という状況がどれほどのものであるのか』 知っている、と答えはしなかった。 代わりとなる言葉も返さなかった。 けれど、今ならルイス・エルトダウンにも言えるのではないだろうか。 「神無……私も、裁かれない罪を生涯背負っている……裁いてほしくても、誰にもできない私の罪。時に耐えられなくて、挫けそうな時だってある」 だけど、とティリクティアは続ける。 手錠につながれた友人の両手を自分の両手でそっと握りしめながら、ゆっくりと、ひとつひとつの言葉に想いを乗せて、告げる。 「でも、……私には光があるの。自分を犠牲にしてでも守りたいと思える存在が」 例えソレが運命だとしても、どんな手段であっても『未来の結果』を覆したいと望む相手が。 「その人達の為に、その人達を護る為に、胸を張って生きようと、ただそう決めているの」 罰を望んで、膝を抱えて、蹲ることもできる。 けれど、そんなことをして誰かが救われるのだろうか、と思えたのだ。 「ただね、またちょっと、この決意って変わってきたのよ? ここで色々な人達と出会って、また少しだけ為政者としての在り方は変えようと、そう思えてるわ」 これまで切り捨ててしまった命を、今度は助けられるように。 伸ばした手が振り払われるときもあるかも知れない。 告げた《真実》が相手には届かずに、運命を変えられずに終わってしまうこともあるかもしれない。 それでも、もう《なにもしない》後悔を抱えたりはしない。どんな事態であろうとも、救う手立てを追求するものでありたい。 「私、0世界にこれて本当に良かった。ターミナルに拾われて本当に良かった。知らないこと、見れなかったこと、たくさんたくさん体験することもできたし、自由も知った」 ソレはかつて、アリッサ・ベイフルックに向けて告げた言葉だ。 「私、神無と出会えて良かった。神無と友達になれて良かったと思ってるの。本当よ?」 微笑みかけ、もう一度、ギュッと強くその手を握りしめる。 「貴方の存在が私を支えてくれてるのよ?」 『そも罪とは何だ? 人の生死は事象。人が人を殺す行為もまた事象。ただそうなったという事実のみが存在するのみ。そこに罪悪を生じさせるものは何だというのか?』 《隻腕の軍人》は言った。 『それこそザフィエル同様、各人の意識ではないのか。自身が罪と定めるから罪となる。多くの同一意識によって罪状は連ねられ、賛同者の多少で罪か否かが決まるのではないのか』 ニコルは向かいの席から立ち上がると、その手をそっと差し伸べる。 差し伸べて、神無の手を握るティリクティアの、その小さな手ごと包み込むように重ねた。 「カンナは、《罪深い自分を罰したい》って思ってる、よね?」 罰を受けることを望み、他者からソレを与えられないことに苦しみ、どうすることもできずに立ち止まっている。 「あのさ、以前のティアももしかするとそうだったかも知れないけど、……罰を受けなきゃいけないって思いを抱えているのは分かる。だけどさ、私から見れば、自分が悪いことをしたと感じた瞬間から《罰》は始まっているんだよね」 「……」 「ニコル」 神無は無言のまま、ティリクティアは数回瞬きしながら自分の名を呼び、そうしてふたりの視線が自分に向けられる。 罪を背負ったふたりの少女たちの、金色の瞳を覗き込む。 ヒトの心を聞くのだ。 大切な大切な、二度と会うことはないかも知れないけれど、それでも誰より心傾ける人の言葉に添いながら、ニコルは自らの言葉を綴る。 「裁くのは誰でもできるよ。簡単なんだ、どんな方法だっていい。なにも知らなくたっていい。これは裁きだと言ってしまえばなんでもありだよ」 どんな想いがそこに在ったのかなど鑑みることなく機械的に、ただ目の前の『事実』を糾弾してしまうことは簡単だ。 「でも、『許す』事ができるのは被害者だけ」 我ながら《重い言葉》だ、と思う。 「そして、その相手は《許す》って言えなくなっている場合だってあるんだよね。もうとっくに許してるのに、……いや、許すもなにも、恨んですらいない場合だってあるのにさ」 許されなければ罪の意識から解放されず、その想いのやり場のなさから心が狂ってゆくのだろう。 ツァイレンも神無もずっと己の犯した《罪》に苦しんでいて、その苦しみから逃れることを自分にけっして許しもしなかったのだろう。 救われることをよしとしないまま、生きてきた。 そこに在るのは、どうしようもない孤独だ。 ニコルは、直接的には《鉄仮面の囚人》を知らない。 自分の大切な友人を奪いかけた憎い相手ではあるけれど、結局自分の《運命の糸》が彼につながることは最期までなかった。 自分が繋がりたいと望んだのは神無でしかないのだと、まるで神が見通していたかのように。 だから、彼が本当は何を望んでいたのか、彼に関わった人々から聞く以外にはできないが、きっとルイスもまた苦しみと孤独と共にあっただろう、と思う。 ただ、彼は自身に罰を与える代わりに、他者へその狂った心の矛先を向けた、ソレの違いは大きいけれど。 「……罪人って、独りぼっちなんだね」 孤独の闇が、魂を捉え、蝕んでいく。 「でも、他人の罪で大事なものをなくした人も同じくらい孤独なんだ」 喪失の棘もまた、やはり魂の一部分を侵し、蝕んでいく。 痛みは連鎖し、感染し、絶望となって広まっていくのだろう、とも思う。 「だからさ、《独りじゃない事》ってすっごい幸せなことじゃない?」 誰かが側にいてくれることは、とてつもない幸福だ。 そう告げながら、心に浮かぶのはツァイレンの顔だった。 彼の傍にいたい、共に歩きたい、同じ時間を抱える想いとともにどこまでも共有していたい。 息をする度、拳を振るう度、いつも存在を感じている。 本当はずっとずっと傍にいたい。 けれど、ツァイレンの思った通りに生きて欲しいから、引き留めることはせずに『待つ』と決めたのだ。 それでいい、と。 いや、実際には全然良くはないが、とにかく決めたからには『そう』なのだ。 けれど、神無は違う。 会いたいと願えば、その一歩さえ踏み出すことができたら、手を取り合うことができる。 「なによりさ、カンナとユリエスは判り合えるはずなんだよ。だって、同じ傷を持ってるから。それにカンナにはティアも、私だっている……って、いい加減気付けよ!」 手を放し、その手でバンッと神無の背を叩く。 「――っ!」 不意打ちに驚いて、神無は声も出ない。 ティリクティアは、隣で不ふっといたずらっ子のような笑みを浮かべる。 「私にとっての《幸せ》は、大好きな人達と美味しい紅茶と美味しいお菓子でティータイムすることよ」 幸せを分かち合えるって、とっても幸せね。 そう言って、彼女は傍らにずっと寄せていた籐編みの大きなバスケットの蓋を開いた。 「ナラゴニアに着くまでに、ちょっとだけ、ね? せっかくのおでかけなんだから」 中から出てきたのは、ポットに入れられた温かい紅茶と、そしてクリスタル・パレスの焼き菓子たちだった。 「それじゃ、次は神無の番よ? 神無の考える幸せを聞かせて?」 「私は……私はそんな……・」 ティリクティアの言葉にふるりと頭を振り、 「なら、カンナは誰に幸せになってもらいたい?」 「……だれ……に……」 ニコルの言葉に、逡巡する。 そして、彼女はゆっくりと答えた。 「ユリエスには……幸せになって欲しいと思う……そのために私ができることは何でもしたい……彼は私のような者にも優しくしてくれた、清廉な心の持ち主…彼のような人が苦しむのは間違っている……だから、彼のために……、……でも」 でも、の言葉の後は続かなかった。 * ――ごめんなさい……ユリエス * ナラゴニアの街は、ターミナルとの交流を経て、少しずつ変化しはじめている。 既に顔馴染みとなりつつある者たちとの挨拶も交わしながら、ティリクティアが率先してユリエスについてを尋ね歩く。 明るく人なつこく物怖じせずに声を掛けていく彼女のおかげで、彼の居場所はすぐに知れた。 神無の心が完全に整う前に、たやすく、だ。 なにを言うこともできず、神無は友人ふたりに手を引かれ、ロドン宮殿の庭園へと足を踏み入れる。 そして。 身体が鉛にでもなってしまったかのように、重く、身動きが取れなくなった。 「……」 清廉な美を静かな佇まいの中に見せる彼のその姿に、神無は言いようのない痛みを覚える。 駆け寄りたい。 話をしたい。 しかし、足が動かない。 ああ、自分はこんなに彼に会いたかったんだと、会いたくて会いたくてどうしようもなかったのだと、締め付けられるような想いを感じているのに。 怖くてそばまで近付けないのだ。 光と闇が混じることを拒むように、永遠に解け合うことのない大いなる隔たりによって阻まされているかのように。 自分の手は穢れている。 この身は悪意の闇に沈んでしまったのだ。 ソレを否応なく自覚する。 「や、ひさしぶり」 そんな神無の脇をすり抜けて、ニコルはつかつかと彼のもとへ近づき、気軽な様子で片手をあげる。 「握手会ぶり、だっけ?」 「あなたは……あなた方は……」 「顔を見に来たんだ。ついでに色々と報告があってさ。ホント、色々あって」 「いろいろ、とは?」 訝しげに首を傾げて問いかける彼に、しかしニコルは語らない。 本来ならば何も分からない彼へと経緯の説明するところなのだろうが、あえて彼女は含みを以て笑うだけだ。 次にティリクティアが、彼のもとへ子猫のようにするりと歩み寄る。 「久しぶりね、ユリエス。元気でいたかしら? 今日はね、私はあなたにひとつ報告があってきたの」 そうしてにっこりと笑いかけると、 「私、北極星号に乗ることになったわ」 「……え」 驚いたのは、神無の方だ。 それが何を意味しているのか。 「だからね、一年間は確実に会えない。どんな旅になるのか未知数だけど、私はナラゴニアの人達の為にも、皆の故郷への道を見つけてくるわ」 約束する、といい。 だから、とティリクティアは続ける。 「だからユリエスも負けずに、神無と一緒に頑張って」 「神無と一緒に……?」 不思議そうにオウム返しする彼へ、巫女姫はこれ以上ないほどにっこりと、愛らしく微笑んだ。 「神無があなたにどうしても話したいことがあるんですって!」 その言葉と同時に、どんっと遠慮仮借なく、今度はティリクティアが神無の背を思い切り押した。 「え」 「え!?」 またしてもの不意打ちに、神無の身体はよろけ、根が張っていたのではないかと思えるほど動かなかったはずの身体が、いとも簡単にユリエスへと倒れ込む。 咄嗟に、縋り付くように彼へと手を伸ばし。 だが、寸手のところで辛うじて自らの力で踏みとどまった。 「……ご、ごめんなさい……、……」 彼に触れかけた腕を自身へと引き戻し、俯く。 「いえ。大丈夫ですか?」 「……、……ええ……」 彼の声に答えれば、また胸が痛む。 彼と話しているという、その事実だけで泣きたくなるほど切なくなる。 そこから先をどうしたらいいのか、わからない。 混乱のまま助けを求めるように振り返っても、自分をここまで連れてきてくれた、背中を思い切り押してくれた友人たちふたりの姿はどこにもなかった。 「何とかふたりを引き合わせられたわ」 「うん、よかった」 植物の影に隠れて、ニコルはティリクティアとともにふたりのなりゆきを眺め、やがてホッと息を吐く。 神無とユリエス二人が向き合えたところで、ニコルはティリクティアを目配せし、そろりと場を離れていた。 自分たちはいない方がいい。 お膳立てまでは協力するけれど、そこから先はふたりきりでなければきっと意味がないと思っていた。 それはティリクティアも同じであったらしい。 事前の打ち合わせなどしていない。 そもそも、ティリクティアとニコルは今回が初対面、神無の部屋へ向かう途中でお互いをはじめて認識したようなものだ。 しかし、カンナを部屋から引っ張り出す、その目的を前にすっかりと意気投合していたし、互いに考えていることを実行するタイミングも抜群だった。 「そういえば、北極星号に乗るんだって?」 「ええ」 コクリ、と小さく彼女は頷く。 「だからね、神無の背中を押せるのは、手を伸ばせるのはコレで最後って思ったのよ……」 神無には神無自身の《光》をつかみ取ってほしい。 闇の底に捕われず、進んでほしい。 そう願う少女の呟きに、ニコルは愛おしげな視線を送る。 ソレは言葉にして伝える物ではなかったけれど、ティリクティアもまた笑みを返してくれる。 「あのさ、ティア? いっこ提案があるんだけど」 「なにかしら?」 「カンナのツケで、どっか美味いモノ食べに行くってどう?」 「賛成!」 そうしてふたり一緒に、そっとそっと静かに、その場から離れていく。 優しい時間でありますように、と祈りながら。 大切な友人が幸せになりますように、と願いながら。 庭園を抜け、宮殿を後にし、そうして賑わう街の雑踏に紛れて新規開拓目的の《店探し》へ意識を移し始めたニコルに、ティリクティアは、ふ、と声を掛けた。 「ねえ」 「ん?」 「さっき、ニコルは《裁くのは誰にでもできる》って言ったでしょ? なにも知らなくたって、って」 「うん」 「なんて言うのかな……私ね、その言葉にハッとしたのよ?」 そう言って微笑む少女の琥珀色をした双眸には、覚悟と決意めいたものが確かに見て取れた。 * 『ユリエスに手を伸ばしたのは神無でしょう! 何こんな所でルイスに操られてるのよ!』 『カンナ、絶対にひとりで行かせない。絶対にもう、ひとりになんかさせないから』 ――君、死にたもう事勿れ。 * 色とりどりと花と緑によって囲まれた庭園で、改めて神無はユリエスに向かい合う。 彼は自分に言葉を待っている。 自分は、彼に告げなければならない言葉を抱えてやってきた。 ティリクティアの言葉を思い出す。 ニコルの言葉を思い出す。 自分は、彼に何を望むのか。 自分は、何を望んでいるのか。 呼吸が止まりそうなほどの苦しさに自らの胸を掻き掴み、きつく瞼を閉じて。 痛みに耐えながら、ゆっくりと、神無は告げる。 「私は……あなたに幸せになってほしい……」 ――コレが望みだ。 「闇に身を落とした私は、もうあなたにとって価値がないかもしれないけど……でも、それでも私はあなたのそばにいたい」 以前、ユリエスは己に力がないことに思い悩んでいた。 そんな彼のために自分ができそうなことは、彼のそばで、彼の剣となり、彼を守るために力を振るうこと……それだけだ。 力では幸せになれない…ソレは自分でもよく分かっている。 それでもなお、 鉄仮面に意識を奪われ闇に堕ちる瞬間、浮かんだ彼への想い、ソレを突き詰めた先にあるものとして、自らの《望み》として、自身に許せるのはコレただひとつなのだ。 「私を、あなたのものにしてください」 見開かれた両目の、その瞳に宿る驚きに、神無は己の意図とは違う受け止め方をされたことに気づく。 「あの、違うの……っ……私という存在の全部をあなたに委ねるっていうか、そういう……あのっ」 堅苦しい単語しか出てこない。 それでも彼はやはり驚いた顔をして、それから、哀しげに、けれど優しげな瞳でそっと見つめ返す。 「……君は何故、そうも自らを貶め、追い詰めるのだろう?」 今度は彼の手が、神無にそっと伸ばされた。 END
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