▼インヤンガイ、貧民地区、廃墟の地下にて インヤンガイでも特に治安が良くない場所に、それはある。 貧民地区。戸籍に登録されず存在していないことになっている人間や、違法を働く者たちの巣窟だ。 その一角に、無人の大きな廃墟があった。もとは病院であった場所だ。その暗い暗い廊下を抜け、地下に降り、隠し扉を抜け、迷宮のように重なり連なる冷たい回廊を抜けた、先。 そこに、男はいた。 穢れのない純白だった白衣を、血の色に染めて。鎌のように鋭い弧を描く哂いを、やせ細った頬に刻んで。興奮と喜びとで、眼を血走らせて。目の前のそれを、恍惚に見下ろしていた。 血に染まった手術台。手術道具。銀色の金属にこびり付いた赤褐色の液体が、電灯の光を受けてぬたりと輝く。 男は、熱に浮かされたような甘い声音で、台の上に横たわるそれにささやいた。「もう大丈夫だよ、愛しのシェリー。私の可愛い一人娘……」「 」「痛くはないかい? 手は合っているかい? 指はきちんと動かせる? 脚は……申し訳ない。少し、ほんの少しだが左右で長さが違ってしまった」「 」「せっかくだから、その髪も変えてみたんだ。今度は蜂蜜のような色をした綺麗な髪さ。もとの黒い髪は傷んでしまって、まるで枯れ草のようだったからね。綺麗なものに換えたんだよ。気に入ってくれるかい?」「 」「良い眼球も手に入ったからね、眼もつけ換えてみたよ。遠くが見えないって、いつも眼鏡を野暮ったそうに付けていただろう? もう、そんなことからはおさらばさ」「 」「おまえは、胃や腸も昔から弱かったからね……別人の腸を、いくつも継ぎ接ぎするのは大変だったけれど、ようやくモノになったんだ。これでおなかの調子も良くなるはずだよ。健康になれるんだ」「 」「ああ、でもまだだ。まだまだ足りない。おまえの体は、どうしても壊れて腐ってしまう……けれど、おまえの体の全部にうまく適合するような素体が、どうしても見つからないんだ。それまでは、何度も何度も手術を繰り返すことになるが……我慢しておくれ」「 」「いつか必ず、おまえを救ってみせるからね。愛しのシェリー。私の可愛い一人娘……」「 」「――おっと、そろそろ巡回に出かけなくては。お金に困っているが故に、医療を受けられない人たちは大勢、いるんだ。そんな彼らに、救いの手を差し伸べなくてはならない。少しの間、お留守番だ。待っててくれるね?」「 」「その中で、おまえに合うようないい子を見つけたら、連れてきてあげるからね。待ってておくれ。愛しのシェリー。私の可愛い一人娘……」 シェリーと呼ばれる、かろうじて人型を保つ肉の塊は、何も返さない。けれど男の微笑みは色濃い狂気に染まって、それはそれは幸せそうだった。▼インヤンガイ、雑踏街にて ここはインヤンガイの某都市区。 一日中、人々の喧騒は止むことが無い。ここは眠ることを忘れた場所だ。昼の喧騒はもちろんのこと、夜になるとそれは激しさを増す。 隙間を埋めるように建ち並ぶ、不ぞろいな住居郡。手入れもされずに老朽化した建物には、電光掲示板が取り付けられている。毒々しい光を放ちながら、行き交う人々の頭上に火花を散らしている。そこには違法薬物や人身売買のそれが、堂々と華やかに喧伝されていて。 そこは薄汚く、狭苦しい世界だ。むせ返るようなひとの臭い、金の臭い、暴力の臭いに満たされている。 そんな場所だからこそ、悪意は自然と生じていく。数え切れない悪意が、ここには渦巻いている。どんよりと重苦しく、混濁したひとの想いが。 その悪意から生まれたかたちのひとつに、子どもの連続失踪事件があった。 それの調査依頼を受けたロストナンバーの二人、メアリベルと死の魔女は今、すました顔で夜の雑踏街を歩いていた。向かう先は、今回の依頼に関わる某探偵との合流場所だ。 † 快適とは言いがたいが、それだけ。 ひとが、ただ普通に暮らすには充分な程度の広さや設備は揃っている、いたって平凡なアパルトメントの一室。事務室と住居を兼ねたそこで、二人は探偵との合流した。「……ちょっと薄暗い方が、雰囲気もあって格別ですわね。そうは思いませんこと? 探偵さん」 ちかちかと不定期に点滅する、安っぽくて古びた電球の灯りに照らされながら。死の魔女は病的にやつれた貌(かお)を歪め、くつくつと愉快そうに肩を揺らした。 死の魔女は外見こそ10代前半の乙女であったが、まとう雰囲気は生気に枯渇しており、まるで歪んで曲がりくねった細い枯れ木を思わせる。 魔女を前にした席に腰掛ける探偵の男は、強面で通る己の顔にも全く動じないこの少女たちに、訝しげな表情を向けた。けれど疑問や不安の言葉といったものは飲み込んで、沈黙を保ち。 死の魔女の隣に座るのは、死の魔女よりもさらなる幼さを多く含んだ見た目と、可愛らしい雰囲気の少女。幼女と言っても差し支えはないだろう。 彼女はメアリベル。メアリはまるで御伽噺の中に登場する、純粋無垢な少女そのもの。着る服がすべて喪服に見えるような、陰気な空気を醸す魔女とは違う。ふわふわと儚げで、今にも消えてしまいそうなくらいに危うげで。「ご機嫌よう。えっと、ミスタ……」 呼び名に迷って、小首を傾げるような所作をするメアリは、まるでか弱い愛玩動物のようだった。「……どうせ今回だけのつながりだ。名前など不要だろう。ミスタ、だけでいい」 探偵は、岩のように固い表情を動かすことなく、ぶっきらぼうに返答した。 その表情の裏で、思考する。(この二人が、例のツテを通じて派遣されてきた助っ人だと言うのか……?) 今回の依頼では、何人もの子どもを誘拐しては殺した殺人鬼を相手にする。それを、この二人の子どもが? 二人は、見た目は年端もゆかぬ少女そのものだ。インヤンガイなどいう都市にて、殺人鬼の捕縛を遂行できるようにはとても見えない。殺人鬼を追い詰めるよりはむしろ、殺人鬼に狙われて命を奪い取られる弱者の側であるように見える。探偵には、そう思えてならなかった。「――不安ですの?」 ゆるりと弄ぶような魔女の声が、探偵の思考を遮って滑り込んできた。探偵はなぜか強い死臭を感じ、眉をひそめた。 メアリがそれに合わせて、ころころと鈴が鳴るように愛らしく笑う。「あははっ。凶悪な殺人鬼相手に、子どもが二人だけだもん。ミスタも不安になるよね――でも、ダイジョウブ」 がた、と席を立ち、メアリは机の上に身を乗り出してくる。無遠慮に探偵へと顔を近づけてくる。可笑しげに細められたつぶらな瞳が、探偵の視界に割り込んでくる。 メアリの瞳は、広大な夢と冒険心と遊び心に溢れた、青空のような色を――していなかった。どろりと濁った汚れが大量に溶け込んだような、暗い暗い色合いをしていた。 そう、まるでインヤンガイの空のような。晴れることなく曇ったままで、希望の陽射しなど差し込むことがない、憂いと疲労と失意に充ちた空の色。暗がりの色。 そんな瞳に覗き込まれて、意識がぼんやりとうつろいで――探偵は、ふと気がついた。己の手には、懐に仕舞い込んでいた得物の銃把(じゅうは)が、いつの間にか握られていた。その銃口が、自らの頭へと向けられていた。「な――」 探偵はびくりと肩を弾ませ、拒絶するように拳銃を放り落とした。探偵は、驚愕と恐怖に身を震わせながら、びくびくと痙攣する自分の両手を見下ろした。 今、自分はいったい何をしようとしていたのか。自害しようとしていた? 何故? 目の前の二人に戦慄したから? しかしどうして自害など。……逃げようとした? 何から? 二人から? 二人が抱える、闇の深さから?「あらあら。そんなに興奮せずとも構いませんのですわ。ふふ、可愛いひと……」 粗末な木製の椅子に腰掛けている探偵の背後から、魔女の声が響く。枯れ枝のような魔女の手が探偵の後ろから伸びてきて、恐怖に震える彼の手を愛撫した。 探偵はぎょっとした。いつ席を立ったというのか。数え切れないほどの修羅場を乗り越え、自らを気配を消した上で他人の気配を察することなど、造作も無かった自分が。この少女の動きを、まるで感じ取ることができなかった。 探偵は身動きひとつせず、魔女の骨ばった指が自分の手をなぞる様を、息を飲んで見下ろすのみだ。「ダイジョウブだよ、ミスタ。殺人鬼もそうだけど、メアリたち〝も〟普通じゃないから」 今度は、恐ろしく近くから幼い声が響いた。資料や本やらで散らかった、テーブルを挟んだ向こう側に座っていたはずのメアリは、いつの間にか探偵の目の前にいた。 鼻先が触れ合いそうなほどに探偵へと顔を接近させたメアリは、見た目不相応に妖艶な、熱っぽい微笑みを浮かべて。 そうして探偵は、嵐の前を思わせる、暗い空の色をした瞳に見据えられた。雑踏街の下水道よりも深く濁って淀み、いのち輝やかせるあらゆる生命を冒涜をするかのような、その瞳に。見つめられて。射抜かれて。魅入られて。 名状しがたい、 何かが、 涌き出て、 底の無い、 深淵へ、 引きずり込まれそうに――「――!」 ぞっとするような気持ち悪さが、体と心を侵食した。 探偵は咄嗟に席を立ち、二人を押しのけ、キッチンへと飛び込んだ。流しへ顔を突っ込み、胃の中のものをすべて吐き出した。体裁など気にしている余裕はなかった。 吐き出すものが無くなっても、口から体液を吐き出し続けて。よろよろと床に倒れこみそうになる体を何とか支えながら、探偵はもとの部屋へと戻ってきた。 裸電球のちらつきが目立つ薄暗い部屋の下で、あの二人はすました表情をして席についていた。 喪服のような黒いドレスをまとう、不健康でやつれ気味の少女がひとり。 御伽噺に出てくるような、可憐さと愛らしさに溢れた幼女がひとり。 格好や雰囲気こそ異質だが、今の二人はただの少女であった。そう、彼女らは女子どもなのだ。よくは分からないが、自分が知りうる情報を与えれば、この事件の犯人を捕まえ、何とかしてくれるに違いない。 探偵の中にあった二人への不信感や疑惑といった思考は、彼の中にある生存本能に上書きされ、探偵はもう難しいことを考えるのはやめた。 探偵の視線に気づき、優雅に手を振る喪服の少女の腕が、白骨のように見えるのも気のせいと思うようにした。 可憐な少女の足もとに、大きなタマゴに手足が生えたような奇妙な生き物が倒れていて、赤やピンクや紫や黄色や白といった人間の臓物に近いものをぶちまけて痙攣している姿も、気のせいと考えるようにした。 探偵は二人に、引きつったような笑みを向けることしかできなかった。 † 二人を送り出した世界司書、及び現地の探偵より得た情報は以下のものだ。【身辺情報】・インヤンガイのとある地域にて、子どもの連れ去り事件が多発し始めた。被害者は基本的に見つからず、そのまま行方不明。稀に血にまみれた遺留品が見つかったり、切断された遺体の一部が発見されることこそあったが、行方不明になって無事に帰ってきた子どもは一人もいない。・この事件の犯人は、ヴィクタフという名の40代の男性。医者をやっていたが、免許を剥奪されて現在は廃業中。・その実態は、何人もの子どもを誘拐しては狂気的な人体実験を繰り返す、殺人鬼。・ヴィクタフは結婚しており、10歳になる娘のシェリーもいた。しかし妻は数年前に事故で死別。シェリーもまた、体が腐敗していく治療不能の奇病に侵され、数週間前に亡くなったとされる。・子どもを誘拐しているのは、戸籍上は既に死んでしまった娘を密かに延命させるため。同じ年頃の子どもを誘拐しては臓器や四肢を奪い取り、娘の一部へ継ぎ接ぎしたりすげ替えたりを繰り返している。・ヴィクタフの、今回の潜伏先は既に特定済み。娘のシェリーはそこに運び込まれているようだ。【依頼内容】・殺人鬼ヴィクタフの凶行を止めるため、彼を捕縛すること。殺害は推奨されない。【殺人鬼の保有能力、性質など】・特別な脱走経路を確保しており、巧みな偽装・逃亡技術を持つ。ただ走って追い詰めるだけでは、逃げ切ってしまうと推測される。・精神に異常をきたしており、普通の言葉や倫理は通用しない。・違法な改造薬物(毒物等)を携帯しており、有事の際はそれで抵抗を試みてくる。 こうした情報をもとに、二人はヴィクタフが潜伏する廃墟へと赴くことになった。 † 二人は、ロストナンバーの中でも特殊だった。死に関して、異常なほどに恐れが無い。死を恐れず、むしろ遊びとして堪能できるような異常な感覚を持ち合わせる。 それを持つ故かどうかは定かでないが、このような依頼が回ってきたのもまた、運命の悪戯なのかもしれない――死の魔女は、この巡り合わせに面白おかしい何かを感じ取っていた。「ククク……こうした依頼もまた、新鮮で良いですわね」「けれど、ただ捕まえるだけじゃ面白くないよね――」 まるでお花畑を散歩するような弾んだ声音で、メアリベルは言った。無論、実際は周囲に花畑などなく、薄汚れた住居が墓のように建ち並んでいるだけだ。 けれどメアリは愉しそうにスキップをしながら、貧民街の通りを進んでいく。 前をよたよた歩いていた、おおきなたまごに人間の手足が生えたような醜悪な下僕のハンプティ・ダンプティを、乱暴に蹴りつける。たまごの下僕は、傍にあった廃材の鋭い角に顔面から突っ込み、人間の臓物を思わせる血肉をぶちまけながら、串刺しになって息絶えた。 それを放置したまま、メアリは軽やかにくるんと翻って魔女を振り仰ぎ。「うんと懲らしめてあげようよ!」「あら、殺してしまいますの? それでは依頼内容と違ってしまいますわ」「ううん、そうじゃないよ」 つまらなそうに嘆息した魔女へ、メアリは首を振る。そしてまた前方へ翻ると、気分良さそうに魔女の前をテンポ良く歩き始めて。「もう二度と、死に触れられないくらい。二度とあんなことできないくらいに。搾取する側で、命を弄ぶ側で……そうやってずぅっと通ってきた、カエルとカタツムリと仔犬の尻尾でできてるようなあの人の心を、打ち砕いてあげるの。心を40回、滅多刺しにしてバラバラにして、散らかしてあげるの」「なるほどですわ。後悔して懺悔するくらいに痛みつけてやるのですわね」 魔女は、骨ばった細い指――ではなく、皮も肉も剥げてむき出しになった白骨の指を咥えて、悪戯っぽく病的に哂う。「涙を流し、怯えて震えて、戦慄し、後悔し、懺悔を乞う表情を見るために……ふふふ、心が躍りますわね」「そう、発狂しちゃうくらいに痛みつけちゃお」「SAN値直葬ですわね」「さんち?」「気にしなくていいですわ」 魔女はしれっと返しながら、艶を失ってやせ細った髪を億劫げにかきあげて。「それにしても、せっかくの催しですもの。何か道具が欲しいですわね……」「死んだあの子たちの〝破片〟が、きっとあるよ。ウィッチなら、それを玩具にできるんでしょ?」「あぁ、それも良い余興になりそうですわ」 確かに、死を司る自分の力を使えば、造作もないことだろう。問題はそれらを行使し、どう殺人鬼を追い詰めていくかだが。 魔女はにたりと不気味に哂い、頭の中で悪巧みを始めた。左目は細めて右目はぎょろりと瞼を開く、左右非対称の奇怪な笑みを浮かべながら悪意の思考にふける。「さぁ、メアリはどんな歌を謡おうかなあ」 反してメアリは両手を伸ばして、気持ち良さそうに天を仰ぎ、くるくると回りながら思考をしていた。傍目からは無垢な幼女が、花のような笑みを浮かべて、幸せそうに踊っているようにしか見えない。 けれど、本質は違う。 メアリベルの瞳に潜む色合いは邪悪な昏さに充ちていたし、その唇から紡がれる歌の詞は醜悪さに溢れていた。 ――さぁ、冒涜的なお医者さんごっこをする悪い子に、おしおきをしに行こう。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>死の魔女(cfvb1404)メアリベル(ctbv7210) =========※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。=========
▼インヤンガイ、貧民地区、廃墟の地下にて 手術台には、無造作に寝かされた一人の少女がいた。 ヴィクタフはにたりと頬を歪めながら、浚った獲物を満足げに見下ろす。 古めかしい黒のドレスに身を包んだ少女だ。いまだ薬品の影響で気を失っているようで、身動きひとつしない。 良い身なりをしている。恵まれた家庭で育った市民子女であろう。肌が不健康に青白いことは気になったが、それでも栄養の足りていない貧民地区の子どもは違って、良いカラダをしているはずだ。愛娘に、良い〝肉〟を提供することができる。 「これが君の運命なんだよ。さぁ私の可愛い娘のために、そのカラダを提供しておくれ」 ヴィクタフは興奮の疼きを抑えられず、愛しさに溢れた手つきで黒衣の少女の頬を撫でた。 すると、その黒衣の少女――死の魔女は、急にばちりと瞼を開き、ぎょろりとヴィクタフを見上げた。 そして枯れた老婆のように、ざりざりとした不快な声音でこう言い放つ。 「人間の分際で禁忌に手を染めるなど、おこがましいにも程があるのですわ」 「な――!」 ヴィクタフは咄嗟にその場を後ずさりした。手術道具を置いた台に腰からぶつかる。金属製の道具の数々が台から落下し、暗い部屋で耳障りな音をかき鳴らした。 しかし、ヴィクタフに怯えはない。驚愕で声を震わせるどころか、おかしそうに低く笑って。 「ふふふ……あれだけ強い薬品を注入したのに、動けるとはね。興味深い肉体だ。それに何故、君はそんなにも余裕なんだい」 今までの獲物は全て、怯えて黙るか騒ぐかの、どちらかの反応を示していたのに。 けれど目の前の少女は何か違う。なぜか余裕がある。恐怖していない。 「私はこれから、君の体を裂き、内臓を取り出そうとしているんだよ。それなのに怖くないというのかい? あるいはもう、君は狂ってしまっているのかな」 手術台から億劫げに体を起こした黒衣の少女は、退屈そうに首を左右に振って、コキコキと鳴らして。 「で、取り出したその臓物を、娘のシェリーちゃんにくっつけるわけですわね――」 黒衣の少女が意地悪く、嘲るように哂う。 ヴィクタフは、その煩い口を封じたい衝動に駆られた。そうやって自分を哂うような存在など、娘の部品に相応しくない。もっと美しく可憐でなければいけない。そうでないものなど、壊れてしまえ。 男は素早く懐から銃を取り出すと、手術台の上にいた少女に向けて、遠慮なく引き金を引く。 拳銃が何度も火を吹いた。少女は銃弾を正面から受けて仰け反り、仰向けに手術台へ倒れこんだ。 けど間髪入れず、少女は何の予備動作もなく、ぎゅるんと体を起こしたのだった。 濁った廃液にも似た黒い血を、傷口からどくどくと噴出させながら。少女の眼が怪しく蠢く。左右で別々に挙動する。口元が引きつって狂気的に哂う。 「そうやって身勝手な想いを振りかざし、どれだけの無垢な命を摘み取ってきましたの?」 「――ははははは」 男は大声で笑った。叫ぶように笑った。喉を枯らすほどに、心底面白くて溜まらないといった様子で、笑った。 そうしてひとしきり笑い叫んだ後。男は目を剥きながらいやらしく微笑み、首を傾げて囁いた。 「今まで壊した玩具の数なんて、覚えているわけないだろう」 「――ッ」 ぴくり、と少女の頬が引きつった。 蝋燭の灯火を思わせる儚さで。黒い少女の体がゆらりと傾いで。 「こ の ト ン チ キ め !」 ひとつ瞬くその間に。少女の体、弾けるように飛び上がり。男の目前に迫る。 白骨を剥き出しにした、その手には。鈍器のように厚い、漆黒の本。振りかぶった本は、風を切る音と共に振るわれて。本の角が男の横っ面にねじ込まれる。 鼻と口から汚い体液を撒き散らしながら、ヴィクタフは宙を舞う。薬品や道具を満載した旧い棚にぶち当たる。 「がはっ……き、君は、悪い子……だ、ね」 「あら、よく立てますわね」 一般人だったら痛みで悶絶するくらいには、力と憎しみを込めてぶん殴ったつもりだったのに。黒衣の少女は意外そうに、けれどつまらなそうに吐き捨てた。ひょっとしたらこの男は、自分の体にも怪しげな薬を使っているのかもしれない。 「けれどあれくらいで倒れるようでは、おしおきになりませんもの――」 足元がおぼつかないヴィクタフを差し置いて。黒の少女は、電灯の光が当てられたひとつの手術台へと足を向ける。 そこには様々な機械につながれた、ひとりの少女が横たわっていた。衣服などはつけていない。 しかしこれはまるで、下手に修繕して継ぎ接ぎだらけとなった、悪趣味な土人形だ。人型の原型はかろうじて留めているものの、そこかしこが不自然に肥大化して膨張し、全長も幅も2m以上になっている。肌の色も一定ではなく、色艶の良い箇所もあれば、青や緑に変色している部分もあるし、皮膚が剥がされてピンク色や白や黄色がむき出しになっている所もある。 「……あぁ、無粋ですわ。美しくありませんわ。死すら許されず、生に縛り付けられ、無理やりに生命を維持されているだけの状態……いけませんわ。このカタチには、誇りを感じない。生と死と不死は、背負うべき宿命があってこそ栄えるもの――」 芝居みたいに演技がかった色合いで、黒い少女は歌うように言葉を紡ぐ。腐るように肉がとろけ落ちて、少女の頭蓋骨が露になる。顎の骨を古びた蝶番みたいに軋ませる。 「病気の治療のために、こうしてシェリーちゃんの命を弄繰り回していたのでしょう? ご安心なさいな、私がお病気を治して差し上げますわ」 少女が腕を差し上げると、その肉も腐敗して崩れ去った。剥き出しになった骨の指先が、刃のように鋭く伸びる。それを躊躇なく、手術台に横たわるシェリーへと突っ込んだ。尖った爪先が、ぶよぶよと膨らんだ肉の中にめり込み、何かを探る。 男が驚愕で目を剥いている光景を愉しむように、黒の少女はシェリーの中から赤黒い何かを取り出した。鮮血が吹き出す中、それは電灯の光の下でてらてらと赤く輝いて。 「こんなものなどあるから、治る病気も治らないのですわ!」 力を込めた。少女の手にあったシェリーの心臓は、瑞々しい果実を握りつぶすかのように弾け飛んだ。 「ふん。これでもう――」 この男は、目の前で愛娘を殺されたことにより、意気消沈して両膝をつくだろう。死の魔女はそう考えていた。 「……無駄だよ」 けれどヴィクタフの顔や声音に、諦めなど欠片もにじんでいなかった。むしろ、子どもがとっておきの秘密を明かす前にも似た、含みのある表情と声色でいて。 肉塊のシェリーから吹き出す血を浴びながら、少女は怪訝そうに眉をひそめる。 その瞬間、黒い少女の体は横殴りに襲ってきた何かによって吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。 壁は、向こう側の部屋が確認できる程に砕け散った。黒い少女はその衝撃で全身の骨が砕け、肉が弾け飛び、四肢を断裂させていた。 「はははは! 私の娘は、ただの娘じゃあないんだ……何せ病弱で食の細い女の子だったからね」 高々に哂うヴィクタフへ寄り添う巨躯は、肉塊と成り果てたシェリーだった。巨木のように肥大化した腕で、黒の少女を打ち据えたらしい。 シェリーは、無数にある縫合跡の隙間から、ぶじゅぶじゅと体液を滴らせていた。呼吸をするかのように、歪な肉の塊が微かに上下するたび、継ぎ接ぎの間から腐った体液がにじんで溢れ、ぼたぼたと床に零れ落ちていく。 「こうやって元気に遊べるように、良いカラダをたくさんつけてあげたのさ。心臓だってひとつっきりじゃあない……小さくて愛らしいカラダの中には、数十人分のカラダを詰め込んであるんだよ」 ヴィクタフは薄気味悪く口元を歪めながら、ぴくりとも動かない黒の少女のもとへ、ふらふらと歩み寄っていく。 「どこの誰だか知らないが、馬鹿め、馬鹿め。君のカラダはもうめちゃくちゃさ……生意気だったからいけないんだ。大人しく娘の肉になっていれば良かったんだ。そうすればその無価値な命も、可憐な愛娘に溶け込んで昇華されたものを……はははは!」 男の、狂ったような哄笑が部屋中で反響した。肉の泥人形と化している娘には、もう言葉も知性もない。ひたすらに、彼の言うことを聞いて動くだけの怪物になっていた。 ――そのはずだったけれど。 「そうやってパパは、違う子と遊んでばかり――」 気だるさと甘さに溢れた、幼い声がこだました。 ヴィクタフは目を剥いた。ぴたりと体を静止させた。背後から響いてきたその声を、男は聞き逃さなかった。 奇怪な現象を伴う黒い少女を前にしても、冷静さを失わなかった男の全身が。今は、驚愕と喜びとで強張っていて。 ヴィクタフは戸惑いを吹っ切るように、思い切って背後を振り返った。 後ろで立ち尽くしているのは、自らが手を加えた愛しい肉人形であるはずだった。けれどその巨躯は忽然と姿を消していた。 代わりにいたのは、見覚えのある服装をした少女。ワンピースにエプロンを重ね、蝶の翅翼を思わせる可憐なリボンで髪を飾り付けた、生前の娘のシェリー。手術台の上に腰掛けて、両脚をぶらぶらとさせている。 「おお……シェリー、私の愛娘! ああ、何故そこに……?」 ヴィクタフは首を左右に振りながら、けれど表情はうっとりととろけさせて、可憐な彼女へと近づく一歩を踏み出した。 「近寄らないで」 けれどシェリーは、雷のように言葉を閃かせて拒絶する。 男の印象に刻まれている愛娘の双眸は、サファイアを思わせる蒼だった。眼差しには好奇心と活発さに満ち溢れ、美しく輝いていたはずだった。 けれど今は、汚泥に満ちたインヤンガイの空みたいに、重く暗く淀んでいて。嫌悪と否定に満ちたその視線は、男の心を不安で包む。 ヴィクタフはふらふらと両膝をつき、赦しを乞う罪人のように娘を見上げた。 「ど、どうしてそんなことを言うんだい?」 「シェリーと遊んでくれるのは、夜、ママが寝てからだったね。パパはシェリーの体を触るだけで、私がしたい遊びはしてくれなくて……パパはシェリーを見てくれなかった。そのせいよ、ほら見て」 手術台に腰掛けるシェリーは、怠惰な女王を思わせる高慢な仕草で、四肢を顔を男に見せ付けた。 白くて柔らかそうな腕が、棒切れみたいに細い脚が。重さに耐え切れなくなった粘土のようにぶちりと切れた。血が粘っこい糸を引いた。 「いつの間にか、シェリーの手と足が腐って溶けちゃった」 「おお……だ、大丈夫だよ。すぐに新しいカラダを持ってくるよ」 女王の如く振舞う娘の機嫌を取るため、ヴィクタフは愛しさに溢れた声音で必死に語りかける。けれど。 「イヤ」 娘は拒絶した。慈悲の欠片もなく言い放った。 「そんな……わがままを言ってはダメだよ、シェリー」 「イヤ。だったらパパの手足を頂戴」 四肢を失っているシェリーは、当然といったように顎先で男の体を示す。 それに即答できなかった男の迷いを見やると、シェリーは失意にまみれた嘲笑を零して。 「ねぇ何で。なんてパパは、パパのカラダをくれないの? シェリーはパパが欲しいのに」 男は視線を右往左往させるだけだ。何と返せばよいのか分からない。 「本当に娘を愛してるなら、真っ先に自分が犠牲になるはずよ。でもパパは、シェリーより自分が可愛いから、よその子どもを継ぎ接ぎするんでしょ?」 男は視線を右往左往させるだけだ。何と返せばよいのか分からない。 「最低の偽善者だわ。だからシェリー、こんなこんなぶよぶよの、醜い肉の塊になっちゃった……お顔だってそう。ぜんぶパパのせいよ、みーんなパパが悪い!」 シェリーの顔が、内側から膨らんで醜く潰れる。腐臭のする体液を涙のように零す。 (違う、違うんだ) そうは思っていても、ヴィクタフは言葉を発することが出来なかった。 愛娘の黒い眼差しは、男の心と体を完全に戒めていた。男はもう囚われてしまっていた。 もはや、先ほどの黒い少女に対して向けていたような言動はできなくなっていた。贖罪のための契りを交わすことも、ひたすらに謝罪の言葉を紡ぐことも、赦されない。男は愛娘の掌のうえで、追い詰められることしか赦されていない。 ……だから。 この娘はただの幻影であり、この娘の正体がメアリベルという別人であることにも、気がつけない。 「パパはシェリーがいちばん大事?」 「大事さ、大事だとも!」 シェリーに扮したメアリが問いかけると、男は即答した。娘への愛を告白することで、この罪と罰が赦されると思ったからだ。男は縋るように訴えた。 すると愛娘はにこりと、花が咲いたような笑みを浮かべた。幸せそうに笑う娘の手足は、いつの間にか元に戻っていた。 「ならパパへのいちばんの罰は、愛娘が死ぬことよね」 部屋の暗がりから、何かが飛び出してきた。小さくて丸い影だ。人間の赤ん坊ほどに大きな卵に、ヒトの顔。ヒトの手足。しかも一丁前に服まで着ている。 そんな冗談みたいな生き物は、両手に無骨な斧を携えていた。慈愛に満ちた優しげな微笑を貼り付けながら、卵人間はシェリーに勢い良く飛び掛る。 「だからシェリー、死ぬね」 男が疑問を発する間も無かった。 卵人間の斧で、シェリーの首が切断された。ぶつんと吹っ飛んだ。頭は壁に激突して潰れ、大きな赤い花を咲かせた。 残されたシェリーの体に、卵人間は容赦なく斧を叩きつける。一心不乱に死体を貪る、飢えた肉食動物のように。 娘の頭が破裂したことで、呪縛のような眼差しから解放された男は、絶叫を挙げながら卵人間に駆け寄った。 「ああああああああ!」 男はその丸い体を乱暴に蹴り飛ばすと、奪った斧で卵人間を叩き割った。 相手が動かなくなっても続けた。娘のカラダを蹂躙した仕返しに。何度も、何度も、何度も、卵人間に斧をめり込ませる。 「さて、問題ですわ――」 斧を続けざまに振り下ろす男の体へ、何者かの腕がそろりと絡みついた。斧を振り上げたところで動きを止めた男の視界の端には、喪服のような黒い衣が見え隠れしている。 耳元で囁く声は、どろりと糸を引きそうなほどの濃厚な甘ったるさを含み、けれどその言葉尻は、からかうように軽かった。 雑踏街の影よりも暗く沈んでいて、いのち輝やかせるあらゆる生命を嘲笑うかのような、その声音に。男の心は黒く塗りつぶされて。 名状しがたい、 何かが、 涌き出て、 底の無い、 深淵へ、 引きずり込まれそうに―― 「あなたは今、誰に斧を叩きつけているのでしょう?」 ヴィクタフが、はっと息を飲んだ。気がついた。 黒い少女など最初からいなかった。生前のシェリーなど幻影だった。手に持っているものも斧ではなく、どこかに転がっていた鉄パイプだった。 そして。 得物を振り下ろしていた先は、シェリーだったのだ。男が一方的に弄んだ成れの果てに、肉塊の怪物と化した愛娘だったのだ。 シェリーはもう息絶えていた。男は自覚せぬ間に、不可思議な幻影に惑わされ、自らの手で大事な玩具を破壊してしまっていた。 † その後、助っ人の二人から連絡を受けた探偵が、仲間と共に現場へと駆けつける。 そこには、異臭を放つ肉の塊に囲まれた中で、狂ったように赦しを乞う一人の男の、哀れな姿があったという。 † ――結局のところ。 娘が死んだ直接の原因は、病気ではなかった。 男は自ら、娘のカラダを手術でバラバラにし、外見を換え、中身を取り出すといった行為をしていたのだ。壊れた玩具を好きなように直しては壊していたのだ。 娘は実際に病気ではあったが、それは口実と言い逃れに使われた。自分だけの玩具を、好きなように弄繰り回す欲求に駆られ、「病気を治療するために」と都合よく理由を歪めて、自らの凶行を肯定させていたのだ。 シェリーの肉体は、そうした狂気の遊びによって、人間の形を保てなくなっていた。そして結果として、狂った父の手によって息絶えた。 でも。 父の手でカラダを外から内から隅々まで弄ばれ、あげくに殺されたシェリーの顔は、狂気染みた嬉しさに歪んでいたそうだ。 その哂い方は、父親のヴィクタフとそっくりであった。 ▼帰路の途中にて 「はぁ。私のやり方では、少し押しが足らなかったようですわね……賭けは私の負けですわ」 「あはは」 「それにしてもメアリベル……あなたも大層、残酷ですわね。娘を騙って、あんな事を言うなんて」 「違うよ、ウィッチ。あれはメアリの演技じゃなくて、シェリーの本心そのものだよ。シェリーはね、パパを自分だけのモノにしたかったんだよ。だから自分のママも、事故に見せかけて殺したんだって」 「そして自分自身を父親の手で殺害させることで、その罪に苛まれる父親を、間接的に自分のものとした……? 親子共々、歪んでいたのですわね」 「でもメアリはそういうの、嫌いじゃないなあ」 皮肉そうに言い捨てる魔女の横で、メアリベルは立てた指を顎にあてがい、物欲しそうな顔をして天を仰ぐ。 「あーあ、可哀想なシェリー。メアリと貴女、良いお友達になれたかもしれないのに……ざんねん」 くすり、と邪悪な哂いを零しながら、こんな歌を口ずさむ。 ひとりの娘が 死んだのさ とっても だらしのない 娘 頭は ごろんと ベッドの下に 手足はバラバラ 散らかしっぱなし 出しっぱなし! <了>
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