オープニング

 ナラゴニアの永白城。
 ぜひ大きなお茶会をしたいわと城の主である白百合から懇願されて黒猫にゃんこ――現在は二十歳くらいの黒い着物姿の女性である海猫に変身してわざわざ打ち合わせのためにやってきた。門をくぐってなかにはいると静寂が、肌に冷たいほどなのに、思わず顔をしかめた。
 しとしとと、白い廊下を進みながらやはり疑問が浮かぶ。いつもならば出迎えるはずの使用人たちがいない。
「え」
 白に何か影が走った気がして海猫は、ハッと振り返ったがそこにあるのは白い壁にいくつも飾られた鏡。
 この城は常に白く、あちこちに鏡が飾られているのだ。
「いま、人影が……けど、私の影だったのかしら、あ、」
 足元を見てなくてころげた海猫は、ぎょっとした。
 廊下に倒れているのは白い使用人服を着た白鶫、その傍らには白鷺……まるでネジの切れた人形のようにぴくりともしない。
「これはっ……ああ」
 さらに足に絡みついてきた細長い植物の枝があったのに海猫は震え上がった。
 眩暈が襲う。これは、
 白い。目を凝らすと理解する、城のなかに白い霧が発生している。はっと息を飲むと急激な眠気が頭を揺さぶった。
 おかしいと思ったときには首が掴まれた。

 ――だいじょうぶ、すぐに殺さないから

 ねぇ、わたくしのことをつめたいだなんておもわないでね? わたくしの強さも、弱さもわたくしではどうすることもできないことなのよ、しかたのないことなのよ。かれていくにくたいがもとめているんですもの。ねぇあなたのあたたかさがわたくしをいかしてくれるのよ。ねぇ? わたくしのことをあいしてちょうだい。……ねぇ――、ああ、わたくしはなにをしているの? おもいだせないの、ねむっていて、それで、ひどくいたみが……ちがう、ちがう、ああ、わからない。けど、あの人がいなくなってしまって、ああ、思い出した、わたくしの肉体が枯れていく理由! 思い出した。思い出した。思い出した。……ああ、あ、ああ、ああ、――恥知らずの簒奪者! 殺してやる! おめおめとどこかに逃げた! 絶対に許さない! 血の一滴も残さない、肉のひと欠片だって余さず屠ってくれよう! 泣いて懇願し、地を這いずり、無様な死を捧げてあげる!

 ★

「黒猫にゃんこが永白城から戻ってこない」
 説明する若い司書の顔は渋い。
 ナラゴニアの永白城は名の通り銀色で、さらには鏡に溢れているという変わった作りで、白百合という吸血鬼の女主人が所有者である。
「調べたところ、城の周辺に白い霧が発生しているが、これを吸い込むと急激に眠気に襲われることが判明した。そのためナラゴニアの者たちは城の中に入れず、なかがどうなっているかわからないため不安がっている。それと同時時期に城の近くにある家から死体が出てきた」
 にゃんこが永白城から戻らなくなったのは三日前。その日から城の周辺の屋敷の女性たちが次々に死体で発見される事件が起こった。共通点は被害者が女性であること、彼女たちは鋭い剣のようなものでメッタ刺しにされ血まみれで、首には二つの小さな穴があいていたこと。
「その部屋の壁には、被害者の血でこうメッセージが残されていた」

『私は薔薇を食らう、黒い薔薇。愚かな刃の主を憎み、恨むゆえに永遠の死を捧げよう!』

 それが誰に向けられたメッセージなのか、犯人につながる言葉なのかは不明であるがにゃんこが行方不明である兼と殺人事件を放置できない。
「有権者たちは多忙らしくてお前たちが直接会うことは出来ないが、黒猫司書のこともあるので既に話は通してある。ナラゴニアでお前らが自由行動できる。また事件の犯人は不明だが、どんな相手でも討伐……処分もこちらに一任されている。それで調べるとこの殺人事件の四番目の被害者、というか、狙われていると思われる娘は生きているらしいから、話を聞くことはできるぞ」
 ああ、そうだ。司書はふと思い出したように呟いた
「予言の書にひとつ、この事件についてひっかかったものがある。『鏡』……どういう意味がこの単語にあるのかはわからないが、この娘たちを襲う犯人を倒す、もしくは城の事件を解決するヒントかもしれない」

 ★

 ナラゴニアに訪れたロストナンバーたちはその唯一の生存者の娘であるユリアに会いにいった。
 三階建ての、木のなかに埋め込まれたような細長い宿を経営しているユリアは完全に怯えきって自室のベッドのなかで震え上がっていた。
 錯乱するのをなんとか宥めて、犯人に襲われたときのことを話してもらった

ユリアは一日の仕事を終えてくたくたにつかれて自室にひきあげて、カーテンを閉めて部屋全体を昏くすると急に眠気に襲われて、化粧台でうとうととしていた。なにか視線を感じてはっと顔をあげると、自分の背後に黒薔薇のような女性が立っていたというのだ。
 どこかに入ってきたのか。一体何者かわからない。ただ恐ろしかった。
「あれは、人じゃないわ、人じゃないのよ、だって、あんな真黒い……違うわ、赤なのに、黒いの、黒薔薇……そうよ、あの人は黒薔薇なの。笑って、私に近づいてきて、囁いたの。まだ殺さないって、けど、そのあと、わたしをあいしてちょうだいって、だって、しかたがないよって、わたしのつよさもよわさも自分ではどうしようもないの、わたくしの魂が枯れないためには必要なことなのよって、だからあなたのぜんぶささげって、だって、……誰かに、永遠の死を与えるためにはって、その相手を探しているって……死にたくない、薔薇、笑っていて、それで、私」
 泣いて叫ぶユリアの細い首にはくきりと、二つの穴が開いていた。
「私を、殺されるわ。あの黒薔薇の、黒に、染められてしまうんだわ! あああ!」

品目シナリオ 管理番号2857
クリエイター北野東眞(wdpb9025)
クリエイターコメント さて、永遠の白を抱えた御城でなにがあったのでしょうか
 今回はA・城に侵入するチーム、B・ユリアを守るチームと別れようと思います
 欲張るのも構いませんが、一つに集中したほうが深くつっこめると思います。
 ちなみにどっちかのチームが0人の場合は、自動的にそちらは失敗します。Aの場合は黒猫にゃんこが死亡します、Bの場合はユリアが死亡します。

Aを選ぶ方は城にどうやって入るか、眠りへの対応をお考えください。またどうやって黒猫にゃんこを探すかも

Bを選ぶ方は犯人の黒薔薇とどう対立するかをお考えください

黒薔薇は怒り狂っているようなので顔を会わせてすぐに会話するというのはちょっと難しいです。

行動は出来るだけ具体的にお考えください。(城に入る、調べる といったのだけでは失敗する可能性が高いです)

 本シナリオの攻略ひんとは司書の言葉です。
 あと有権者たちに話を聞きたいといっても彼らは忙しいのでこの事件をこちらに一任しているので、面会などはできませんし、事件そのものについても詳しくないし、かかわりはないです(採用できない例・リオードル、ノラ、ユリエスに会って話を聞きたい)

参加者
メアリベル(ctbv7210)ツーリスト 女 7歳 殺人鬼/グース・ハンプス
ニコ・ライニオ(cxzh6304)ツーリスト 男 20歳 ヒモ
マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431)コンダクター 男 20歳 旅人道化師
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
榊(cdym2725)ツーリスト 男 27歳 賞金稼ぎ/賞金首
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと

ノベル

 まるで朝露を集めて形にしたような幻想的な銀の城は、今やその色を鈍色に変え、不気味なほどの重い沈黙を孕んで聳え立っていた。周囲には白い霧が、まるで威嚇するように立ち込める。
 今回の依頼を受けた六人はまずチームを分け、別行動をとることになった。城に向かったのはメアリベル、マスカダイン、ゼロ、榊だ。
「わぁ、素敵なお城!」
 この場の雰囲気をまったく一概にしない感想を可愛らしい声で漏らすのは燃えるような赤毛のメアリベルだ。彼女の右手にはミスタ・バンプこと紳士のハンプティ・ダンプティ。左手には可愛らしさを裏切る手斧が握られている。
「前に来たときと同じなのです。けど、あのときはもっと明るかったのです」
 目の前の城と同じくらい全身が白いシーアールシー ゼロは円らな瞳をぱちぱちさせて呟く。
「ゼロのライバルの白百合さんのお城に異変があって、黒猫にゃんこさんが捕らわれているそうなのですー」
「ライバルなの?」
 とメアリベルが尋ねるとゼロは頷いた。
「なのですー。しろしろライバルなのですー」
「あっ! だったら、メアリも! メアリだって赤髪よ! 赤色ライバル!」
「赤色と白色の対決なのですー」
 一体どういうライバルなのかは不明であるが、この状況で楽しそうにしゃべれる少女たちの神経の図太さによれたスーツ姿の榊は心底感心したあと城に目を向けた。
「せっかくの祭にアイツが居ねーのはそーいう訳か。黒猫に勝ち逃げされんのはな」
「どうしたの? ミスタ? なんだか怖い顔!」
「んー? いや、ちょっとな。この中にいるやつに用があんだよ」
 メアリベルに答えた榊はぼりぼりと頭をかいた。榊がこの依頼を引き受けたのは親しい友人である司書の黒猫にゃんこの危機を知ったからだ。
「ったく、せっかくオセロ強くなったのに、相手するやつがいなきゃ困るだろうが……とっとと中に入っちまうか?」
「あ! だったら、ボク、用意したものがあるんだよ!」
 マスカダイン・F・ 羽空が取り出したのはガスマスクだ。
「霧がなにかしてくるのなら、これを被ればいいんじゃないかな? みんなの分と、助ける人たちの分も用意したよ!」
「メアリ、やよ。そんなの! かわいくないわ!」
 ぷいとメアリベルはそっぽ向く。可愛いものと素敵なもので出来た女の子にとって実用のみに特化した可愛さが一ミリもないガスマスクがお気に召さないのは仕方のないことだ。
「それにメアリは強いのよ! そんなものなくても平気よ!」
 くるんと青いスカートを揺らしてメアリベルは微笑む。バンプは笑い転げて地面に中身をぶちまけた。
「ゼロも大丈夫なのです」
「大丈夫なのゼロちゃん?」
 マスカダインが心配するのにゼロはこくんと頷いた。
「ゼロはゼロなのです。ゼロは『まどろむ者』なのです」
 なぜならば「まどろむ者」であるゼロは睡眠も、呼吸だって必要ない。なにも必要とせず、ただ世界の安寧を望むのがまどろむ者のゼロの本質。
「俺もいいぜ。ん、霧を吸わないようにするればいいんだろう? なら呼吸にちょっとしたコツがあんだよ。それに本当に霧か原因はわかんねぇんだ。お前がガスマスクつけて、俺がつけずに眠っちまうかを試せば対応策を考える足しになるだろう? 眠ったら起こしてくれよ。それに何が起こるかわかんねーところで視界が狭いといざって時に対応できねーし」
 榊はひらひらと手を振ってガスマスクを断った。
 口外していないが榊の本性は人とは異なる。そっと胸に手をあてて仲間たちにはばれないように人化再現度を下げ呼吸不要に己を作り変えておく。
「そっか。じゃあ、マスクが必要なら、ボクに言ってね! あと、お城にはいる前に言っておきたいんだけど、出来れば今回のことで考えがあるなら、今のうちに伝えておいたほうがいいと思うんだ。もちろん、お城のなかで何かを発見したそのときに話し合いできればいいんだけど、出来ない可能性だってあるし。ボクはね、今回の事件、白百合がかかわっている気がするんだ。ナラゴニアとの今後のことを考えても霧を傷つけるのは避けたほうがいいと思う。あと出来るだけ人の救出を考えたいから司書を助けたあとはユリアさんたちのところに行きたいなって思うんだ」
「あっちの奴らにもノート連絡はこまめにするように頼んでおいたからな。ノートはずっと開いたままにしとくか? こっちは人数がいるんだから、連絡担当がいてもいいだろう」
 連絡の必要性は榊も感じ、ユリアの保護に向かっている二人にはノートで随時連絡を取り合うようには頼んでおいた。
「そうだね!」
 マスカダインが大きく頷いた。
「ミスタ・マスカダイン。傷つけないっていうのは無理じゃないかしら? もし悪意があって襲ってきたらメアリたちは危ないわ。メアリはなにもせずに殺されるのはいやよ。対策はあるの?」
「それは、ボクの飴とかで動きを封じるとか」 
「相手がわからない以上、心構えは必要よ。ミスタ」
 くすっとメアリベルのピンク色の唇が弧を作る。
「それに、ここに来る前に司書は言ったわ。どんな相手でも討伐、もしくは処分は一任されているって! メアリ、このお城、気に入っちゃった!」
 無邪気で無垢、そのなかに潜む純粋すぎるゆえの狂気がメアリベルの可愛らしさから零れ落ちるのをマスカダインは見た。
「ゼロがいるのですー。ゼロがもしものときは巨大化するのです。それでみんなを守るのですー」
「ゼロちゃん! ありがとう、そうだよね!」
「白百合さんがそろそろ眠りの時期とも聞いたのです。少し前にティリクティアさんが白百合さんにブラックローズの髪飾りをプレゼントしたそうなのです。偶然なのです?」
 ゼロはここに来る前に司書に白百合のことを尋ね、つい最近彼女の部下が夏休みをもらってターミナルに遊びに来たとき、土産としてブロックローズの髪飾りが送られたという点が気になっていた。
「もしかしたらこの髪飾りが黒薔薇さんの本体で、寝ていて無防備な白百合さんにとり憑いたか力を利用したかもしれないのです。なら、それを外したら黒薔薇さんも現れなくなるかもしれないのです?」
「あら、それって偶然じゃないのかしら?」
 ゼロの仮説をメアリベルが微笑んで否定する。
「それだとターミナルが原因になっちゃうわ! それこそ大問題じゃない? ターミナルで商売するのは自由だけど、そんな危険なものは売っていれば問題になると思うの」 
 けど、とメアリベルは目を細めてティシャ猫のようにずるい笑みをこぼした。
「本当に悪意があるなら、それってとってもお利口な方法よね!」
「プレゼントは偶然だろう? 買ったやつは完全に好意だった、なら売ったやつか? 買って、どいつが使うかなんてわからねぇんだ。そりゃ、もうテロだぜ」
「誰でもよかったのかもしれないわ。それがたまたまこんな問題になっちゃったの」
「考えたくねーな。けど、いっぺんしか会ったことはねーが、あの白百合って女が自分のテリトリーで好き勝手されて黙ってるタマじゃねーだろうし。なにかあったてのは正解じゃねーのか?」
 メアリベルの物騒な考えに榊は肩を竦めた。
「じゃあ、メアリも仮説をひとつ! 黒薔薇と白百合は同一人物なの。いえ、二重人格かしら? 眠りに就いた白百合の代わりに黒薔薇が血を求めて暴走してるの。冬眠に入る熊さんと一緒! 沢山眠る為にはお腹一杯にならなきゃ」
「眠りの時期な。俺も気になってここに来る前にちょっと聞いて回ったが、わりと知られてるみてーだな。っても、それはただ眠るだけで今まで騒動は起こしてねーみてぇだぜ」
 白百合には定期的に眠りの時期が訪れるらしいと司書から聞いた榊は城に来る前にナラゴニアを探索がてら聞きまわった。
 白百合の眠りの時期そのものはさして隠されたものではないらしい。ターミナルにやってきた彼女の部下が世界図書館相手にもらす程度には誰もが知っていることであった。
 この時期、城は死んだように静かになる。よほどのことがない限り彼女は目覚めることもなく、昏々と眠り続ける。長ければ一カ月、短ければ十日の期間だという。
 ただ城の女主人である白百合がどこで眠っているのかはわからない、とナラゴニアの者たちは口にした。
 ま、そうだろうな。
無防備な状況を隠せないからあえて公とすることで身を守ることを白百合は選んだのだ。そんな彼女が睡眠をとる場所までは教えるほど馬鹿はない。
「ゼロはドンガッシュさんに会いにいったのです。このお城はドンガッシュさんが白百合さんのために作ったのです。お城の構造を書いてくれました」
「じゃあ、お城のなかにはいっても迷子にならないのね! よーし、メアリも赤いライバルだから負けないんだから!」
 メアリベルは軽やかな声で歌う。

Blow, wind, blow!

 轟。メアリベルの周りに強い風が吹いて、城を包み込む白霧を追い払った。
「霧は傷つけちゃだめなんでしょ? これならいいわよね? さあ皆この隙に! お城をめざしてかけっこしましょ! 霧が戻ったら時間切れよ」
 メアリベルは復活したミスタ・バンプと手を繋いでスキップするあとに三人は続いた。

 ――馬鹿な人たち
 冷やかに誰かが笑った。

★ ☆ ★

「うーん、連絡はまだみたい」
 赤毛のニコ・ライニオが優しげな笑みを浮かべてノートを見て言うのに眼鏡にスーツと知的な雰囲気を醸し出すが、しかし、その肉体から滲み出る粗野さが隠しきれないファルファレロ・ロッソは鼻を鳴らした。
 ニコとロッソの二人はユリアに事情を聞きに訪れたが、彼女はすっかり怯えていてまともな会話は不可能な状態だ。
 そんなユリアをニコは痛ましげに見つめた。
 女の子は弱くて、可愛らしい、護るべきものだというのがニコの方針だ。
「大丈夫だよ」
 ふるふるとユリアは怯えきって泣きながら首を横に振る。ニコが硝子細工に触れるように優しいのにたいしてロッソは彼らしい乱暴さを発揮した。細いユリアの腕を掴んで無理やりベッドから引きずり出しすとユリアを睨みつける。
「女、びびってねえでしゃんとしろ。恐怖に狂ったんじゃ黒薔薇の思う壺だ」
「けど、けど」
「チッ。特別サービスだ。俺のメフィストを貸してやる。いざとなりゃてめえの身はてめえで守れ。それが弱肉強食の理だ」
 ロッソが自分の銃をユリアの手に握らせる。
「引き金を引きゃあ、てめぇでも敵を殺せる。わかったな?」
 ユリアはじっと重い銃を見つめて、こくんと黙って頷いた。
「この部屋で隠れるところったら、クローゼットか? そこにいろ。やつが出てきたら俺らが対応するが、いざって時は撃て」
「……はい」
 ユリアは返事をするのにニコはほっと笑った。
「すごいね、泣き止ませちゃった」
 ちょっと乱暴だが、それでもユリアは自衛しようという気持ちを生み出したのはロッソの力だ。
「ぴーぴー泣いてる女ってのは見ていて苛々すんだよッ。それよりも、犯人、どうおもう、てめぇ」
「うーん、ユリアちゃんの話を聞く限り、やっぱりお城のことと関係あるのかな? けど移動は……うとうととしていたら化粧台にいたっていうけど」
「原因は鏡じゃねぇのか?」
 ロッソの指摘にニコは頷く。
「気休めかもしれねーが、布でもかけておくか?」
「そうだね。出来れば処分したほうがいいかもしれないけど」
「白百合って女の城はいっぺん行ったが、鏡だらけだった。自分の顔がそこまで好きなのかと思っていたが、移動に使うとしたらいろいろと納得できる。だが、吸血鬼だっていうならちょっとおかしい。俺が知る吸血鬼は鏡に映らねぇて聞いたぜ」
「そうなの? そこらへんは詳しくないけど、鏡に映っていたって言うし……世界群にはいろいろとあるから鏡に映るっていう吸血鬼もいるんじゃないかな?」
「ま、俺の知識としては吸血鬼じゃねぇ可能性を考えてる」
 ニコはうーんと唸って顎に細い指をあてて思案する。
「気になるのは白百合ちゃんと黒薔薇の名前の符号なんだよね」
「百合の片割れが薔薇って、そりゃ何の冗談だよ」
 ロッソが鼻で笑った。
「思ったんだけど」
 ニコはもごもごと口のなかで言葉を転がした。
「白百合っていうのは、ナラゴニア内での通り名というか名称であって、彼女自身の本当の名前じゃないんだよね」
「あん?」
「つまり、白百合ちゃんの本当の名前を僕たちは知らないんだよね。ここに来る前に、事件の調査内に聞いてみたけど、結局誰も知らなかった」
 ニコとロッソはユリアに会う前に調査のため、まずは足を動かした。
 ロッソは被害者の共通点を探した。
 女であること、城の近くであること。それ以外は誰もが寝室で殺されていたこと。その寝室には女性の嗜みとして大小は異なるとしても化粧台が置かれていた。
 殺された状況も仕事を終えて、休もうとしていたとき、だった。
 気になるのは被害者たちが襲われていても周囲の者は物音ひとつ聞いていなかったということだ。

 たいしてニコは白百合について調べていた。
 彼女が吸血鬼で、古くからナラゴニアにいること、さる依頼で半死半生となった結果、あの城に隠居することになったこと。
 ただ彼女が隠居する前のことがどうも曖昧なのだ。強かった、と誰もが口を揃えるが、その実力は誰も知らない。そして、本当の名前も。
「とにかく、鏡を外に向けておこう。そうしたら黒薔薇が現れたときに対応できるかもしれない。本当は壊しておいたほうがいいと思うんだけど」
「破片が危なくねぇか?」
「うーん、パスにいれておけばいいかなって思ったけど、それでパスから何かあったら、ね。それに女の子の持ち物を壊すのは」
 ニコが腕組みして思案するのにロッソは肩を揺すった。
「俺は、「愚かな刃を憎み」って現場にあった文字が気になる。もしかしたら犯人は別にいて、この女はただトドメを刺してるだけじゃねぇのか?」
 ロッソの仮説にニコは目をぱちぱちさせた。
「もちろん、突拍子もねぇことだが、可能性はいくらだって湧いてくるぜ」
 鏡台を移動させ、その上に布を被せたロッソは気がついた。台の上に小さな水瓶には透明な水がたっぷりとはいっているのが置かれている。
「僕は、白百合ちゃんの眠りの時期が気になってるんだよね。白百合ちゃんと今回の事件の犯人が、僕の仮説が正しくて黒薔薇が片割れだとして、もしかしたら白百合ちゃんが眠っている間にしか出れないんじゃないかって……話し合いが出来ればいいのだけど」
 ニコは拳を握りしめた。出来ればユリアも、黒薔薇も助けたい。

 ――さぁ はじめましょう?
 誰かが囁いた。

★ ☆ ★

 ゼロの地図を頼りに先頭をきるメアリベルは軽やかな足取りで進む、緊張するべき状況でも楽しげだ。
 真っ白い壁、壁、壁。
 そこに吊るされた鏡、鏡、鏡。
 薄らと暗いのに榊がライターをつけて光を灯す。
「お城ではミスタハンプとかくれんぼ! 鏡が沢山 鏡の迷宮 鏡の国のアリスになったみたいとっても楽しいわ! けど、お城のなかは大きいし、お友達の手を借りましょう」

A swarm of bees in May!
 ぶんぶんぶん、ぶんぶんぶん、ぶんぶんぶん! 
羽音をさせて現れた蜜蜂にメアリベルは微笑むと手をふった。働き者の彼らは空中をひらひらと泳ぐように舞う。

「あの子たちはお花の甘い匂いじゃなく 肌の下を流れる蜜のように甘く濃い血の匂いを嗅いで飛んでくの。ここにいる人たちを見つけたらメアリに教えてくれるわ!」
 城内をすべて探すとしたらこの人数では心許無いと考えての援軍たちはメアリベルの言葉に透明な翅を震わせてぐんぐんと進んでいく。
 ゼロはナレッジキューブをポストイットのくっつくところに変化させると、自分を巨大化させて城のあちこちにある鏡をぺたぺたと体に貼り付けていく。
「まぁミス・ゼロ! あなた自身がお城みたいよ!」
「なのですー」
 司書の口にしていた鏡という言葉から、とりあえず目につく鏡を自分にくっつけていくという作戦に出たのだ。巨大化してもギアがある以上、ゼロは誰を傷つけたり、破壊することは出来ないので、どれだけ巨大化しようと城は無事である。
 ふとゼロが動きをとめた。
「どうかしたの?」
 マスカダインが尋ねる。
「なにか、鏡のなかに黒い影が? 見間違いでしょうか?」
「鏡のなか?」
 榊が眉根を寄せる。
「よくわからないのですー。まず、鏡の間を目指すのです」
 鏡の間とは白百合が最も気に入っている、すべて鏡によって作られた部屋のことだ。そこを目指して進みながら鏡をひとつの場所に集めれば、何かわかるかもしれない。
 榊は元気な少女たちの活躍のおかげで随分と進みやくすなった道を、それでも警戒心を怠らずに進んでいた。
 なにかがひっかかる。
 なにがだ?
 ふっと肩に手が触れた――気がして、榊ははっとした。それは霧だった。メアリベルが風で払った霧がどこからかまた現れたのだ。
 
 ねぇ、わたくしのこと、あいしてちょうだい

 優しい声が榊の唇を奪い、声を発することもままならず――底へと意識が落ちた。


 榊が目覚めたとき、視界に広がったのは白い部屋だった。
 どうしてここにいるのか、なぜこんなところにいるのかという疑問が浮かぶなかで声がした。
 にげろ、榊!
 聞きおぼえのある黒の声に周囲を見回していると、部屋の中央にあるベッドがみしっと軋み、そこから現れたのは何も身に着けていない白百合だった。
「なにを恐れているの?」
「白百合……!」
「なにを迷うの、怖いことなんてないわよ」
 榊は警戒して後ろにさがろうとして、はっとした。
 冷たい刃の感触が空気を震わせるのに見れば、血まみれの男がいた。あれは、
「……どうしてここに、ここにいる!」
 自分が殺してしまった男が笑って消え、また現れ、また消えて、また……何度も何度も、何度も。榊の脳を満たしていくのは川の流れのように過ぎていった思い出たち。
最後の一人が消えたあとには悲しいほどの虚空が生まれる。
「かわいそう」
 冷やかな声が憐みをこめて発せられる。
「かわいそう、誰もあなたを満たしてくれない。誰もあなたとずっと一緒にはいられない、愛してあげられない」
「……っ!」
「いいのよ。わたくしをあげる。わたくしが満たしてあげる。だからねぇ、怖がらないで」
 白百合がゆっくりと榊の前にくると、その両頬を両手で包んで。母親のように優しく、自分の胸に引き寄せる。
「いいのよ、わたくしがあなたを満たしてあげる。貪りたいのね、好きなだけ、あなたの望むだけあげる。ねぇ、だから、あなたを捧げなさい」
「ささげる……?」
「そうよ、わたくしの枯れていく肉体を留めるために」
 力尽きた子どものように、抱きしめられると甘い香りに意識が蕩け、抵抗が愚かしいとすら思えて気力が失われていく。
 ああ、このまま、なにもかも差し出してしまいたい、それはとても甘美な誘惑。
 逃げろ、榊!
 再び知った声が遠くから――誰だ、こいつは――黒と白のオセロの石が回る、再帰属出来るさ、見ている――くるくると脳裏を過ぎていく過去に自分の名を、己が何者なのか、どうしてここにいるのかをはっきりと思い出した。
 榊は白百合を突き飛ばした。白百合は目を大きく見開く。
「魅了か? そうやってここにきた奴らを取り込んだのか?」
 くす、白百合は慈愛深く微笑んだ。
「困った子」
「おい、黒猫は、司書はどうした?」
 ギアを構えようとして、武器を何一つもっていない状態であったのに未だにぼんやりとした頭では自分の状況を把握しきれない榊は白百合と対峙して気がついた。
 白百合の左胸にぽっかりと穴が開いている。
「困った子ね、本当に」
 白百合は笑みを深くして、その姿が霧となって消えた。

「榊くん大丈夫!」
 視界いっぱいにマスカダインの顔があったのに榊はぎょっとした。
「俺は?」
「眠っていたんだよ、いきなり倒れて」
「大丈夫? ミスタ」
 メアリベルも心配して小首を傾げる。起き上がった榊は頭を抱えてぼんやりと城のなかを見まわして、はっとした。
 鏡のなかに黒い影が見えて、消えた。
 白百合の胸にあいた黒い穴。
 枯れていく肉体を留めると彼女は口にしていた。鉄仮面の事件で捕まえたはずのルシフェルが逃亡した挙句に、敵となっていた。もしかしたらルシフェル以外も逃亡し、今度は白百合を狙って動いたとしたら?
「ゼロ! 鏡だ! 鏡を集めろ! 割っちまってもいい!」
「いきなり、どうしたの、ミスタ」
「間違っているかもしれないが、もしかしたら、ここには別のやつがいる可能性がある。霧は白百合を守るのと一緒に肉体を維持する獲物を探してるんじゃないのか? 俺に接触していた白百合は肉体が枯れていると口にした。黒猫が戻ってないってことは、白百合はここにきた奴らを食べまくって、それでも足りねぇてほどに栄養がただ漏れってことだ。だから分身、いや、肉体を守る白百合に、もう一体、外に狩りに行く黒薔薇が出てきたんじゃねーのか?」
 黒猫も食われて死んじまったのか? 
 不吉な予感が榊の頭のなかに広がる。自分をあそこで引き止めた声は黒だった。だとしたら一気に食べずに、白百合は自分の生命力を維持できる程度にじわじわと喰らっているのかもしれない。
「まずは鏡だ、この城のを全部集めて壊しちまうぞ」
「はいなのですー!」
「よーし! メアリもやるわ! 壊すのは得意よ! 蜜蜂さんたち鏡を集めて! そして壊して!」
 メアリベルは歌う。
 それに合わせて蜜蜂たちは羽ばたき、鏡に向けて鋭い針で突き刺していく。メアリベルもミスタ・タンプを片手に手斧を振るう。
「ふふ、たのしい! 見ている? 寝坊助さん! このままだとお城が大変なことになっちゃうわよ!」
 鏡を破壊しながら進むなかでゼロが声をあげた。
「いたのです!」
「黒猫!」
 榊が倒れた海猫を抱き上げた。浅い呼吸を繰り返していることから生きているとわかる。それは仮面をつけて表情こそ見えないが肉体が上下を繰り返している白鶫、白鷺も同じだ様だ。
「睡眠中も嚥下運動はできるよね? 流体食で飢餓を回復できないかな」
「寝てるやつにもの食わせようとしたら喉に詰まらせて死んじまうぜ」
 マスカダインの提案を榊はやんわりと注意して、海猫の頬に触れた。顔色そのものはよくないが、それでもぬくもりはある。
「眠ったまま、生命力を食われてるな。このままにはできねーけど、運ぶのもな」
「メアリのお友達に任せて!」
 蜜蜂たちが眠ったままの三人を運ぶというのを見たマスカダインはよーしと声をあげた。
「ボク、行くのね! 黒薔薇が白百合だっていうのは確かみたいだし! だったらあっちも説得しなくちゃいけないもの! あとのことはお願い! 鏡を通してあっちにいければって思うけど、無理みたいだから走るのね!」
 止める間もなく走り出すマスカダインにはメアリベルの蜜蜂が護衛としてついている。
「思ったんだけど、ミス・ゼロがお城から飛ばしてあげたらミスタ・マスカダイン、もっとはやくいけたのかしら?」
「そうなのですー。ゼロが飛ばしたら一瞬で目的地につくのですー」
 ゼロはギアの力で誰も傷つけられないが、果たして巨大化した彼女に投げ飛ばされても無事で済むのかなどという良心的かつ不毛なつっこみを榊はあえて口にしなかった。
「ついた。ここだ」
 鏡の門を榊とメアリベルが叩き壊してなかにはいると、白い百合の花びらのようなベッドに一つの影があった。
「夢で見た場所だ」
 榊は急いでベッドに近づいて覗き込むとなかには白百合が眠っていた。その左胸には深々とナイフが突き刺さっている。
「ミスタの推理正解みたいね! このナイフを抜けばいいのかしら?」
「こいつは心臓を貫いてる。だったらナイフを抜いたら、白百合は死んじまうのか」
 榊が眉根を寄せた。
「ゼロがいるのです。ゼロは誰も傷つけないのです。ナイフを抜いても傷つけないのです」
「そうよ! ミスタ・榊。それに……鏡って、白百合のことも言い当ててるんじゃないかしら?」
「どういう意味だ?」
 榊の問いにくすくすとメアリベルが笑う。
「だって、この城は鏡だらけでしょ? こんな騒動を起こした犯人も鏡のなか、それだけかしら? 心臓を刺されても、まだ生きてるってことは、つまりね、お寝坊さんの本当の心臓は、右にあるの!」

 ようやくみつけた!

 嘲笑う声と共に鏡の壁から黒い人影が――笑う道化師の面をつめた男が這い出てきた。
「結構、結構! 謎解きをしてくださって、助かりました! いゃあ、この女、殺そうとしたら、いきなり霧を出してきてね、困って鏡のなかを逃げ回っていたんですよ! 本当にしつこい女だ!」
「貴様が!」
 榊がギアに手をかける。
「この部屋で私とやり合うなんて考えるのは愚かですよ。みなさん!」
 くくく、あはははははははははははは!
 哄笑をあげる男が鏡の床に溶け消える。この敵は鏡のなかを移動する能力があるようだ。
「ゼロが守るのです」
 巨大化したゼロが白百合のベッドと眠っている三人を抱き上げると榊とメアリベルは鏡の部屋のなかで互いに背を合わせて敵と向き合った。
 鏡のなかが黒く染まる。
「鬼ごっこが好きなのね、ミスタ! けど、メアリ、鬼は得意なんだから!」

★ ☆ ★

 じれったくなるような時間のなかでロッソとニコは待っていた。
 そのときは、突如として発生した。
 気がついたのはニコだった。何かの違和感を覚えたと同時に自分の肌にそっと冷たい手が触れたのだ。ぎょっとして振り返るとそこには黒い、薔薇がいた。
「ロッソ!」
 ニコの声にロッソはすぐに顔をあげて、息を飲む。
 黒い薔薇。
 黒いドレスに細い肉体を包み、顔は黒のベール。短い赤黒髪、手も、細い腕も薔薇を柄の手袋におおわれた全身が黒の女。
 隠された顔の下、笑っているのは不思議とわかる。
 ユリアが恐慌状態に陥って悲鳴をあげた。
「くそ!」
 ロッソはユリアをクローゼットのなかにいれて蓋をしめると、向き直った。
「っわ!」
 ニコの足に絡みつくのは薔薇の蔦。それには小さな棘が存在し、肌に食い込んでいく。
「っ! やめるんだ! ユリアちゃんを傷つけてほしくないけど、君自身だって、う、ああああああ」
 ニコの言葉は最後まで続かなかった。足に噛みついた黒い蔦は皮膚のなかに侵入し、柔らかな血肉を突き刺して体内からどんどん上へと這いあがっていくのだ。
 ロッソは舌打ちとともにギアの引き金をひく。まずはニコを捕える蔦を狙う。炎と氷の弾丸は蔦を一撃で仕留めた。激痛から解放されたニコはずるずると後ろにさがる。
「援護しろ!」
「わかった。けど、鏡は外に向けていたはずなのに」
「つまり、こいつはどんな鏡からも移動できるってことだ!」
 黒薔薇が近づけないように発砲を繰り返していると黒薔薇が片手をあげて、振り下ろす。見ると、彼女の左手には黒い剣が握られ、あろうことか弾丸を叩き落としながら猛然と進みだしてきた。
「!」
 銃を盾にロッソは黒薔薇の一撃を受けた。
「私を、愛してちょうだい。私の魂が枯れていくの。それを止めるために……私の強さも弱さも、私ではどうしようもないのよ。だから」
「何ごちゃごちゃいってんだぁ!」
 ロッソは力任せに黒薔薇を弾く。
黒薔薇がスカートを広げて舞い、踊る。剣が黒い礫となって襲い掛かるのをニコのギアが反射したのに黒薔薇はさらに後ろに回避する。
 ロッソは不思議な感覚に囚われて手を見つめていた。
 ここは、なにかがおかしい。
「なんだ、この違和感」
「どうしたの?」
 ロッソは視線を彷徨わせて、化粧台を見た。そこに置かれた水瓶の水が映すさかさまの光景――司書は口にした、この事件に関わるのは鏡。
「……そうか、ここは……おい、全部壊しちまうぞ!」
「えっ? なに!」
「鏡だ。硝子も一緒に壊しちまえ! 俺があの女の相手をする!」
「……わかった!」
 ニコは背中に火竜の翼を広げ、力強く羽ばたいた。その風は部屋いっぱいに台風を巻き起こしたようにあるものをことごとく破壊していく。
 その風のなかで黒薔薇の剣がロッソの肩を突き刺した。
「っ、おわりだぁ!」
 愛し合う男女の抱擁のように、燃える炎のような血を流したロッソは黒薔薇の影に向けて引き金をひいた。とたんに青い魔法陣が彼女の足元に浮かび、飛び出した鎖が細い肉体を拘束する。
 同時に、ぱりーんと大きな音をたてて世界が崩れた。
「これって!」
 ニコが驚いて部屋のなかを見る。先ほどまで暴れた部屋は何事もなかったように元のままだ。かわりに鏡台の横に置かれてあった水瓶が真っ二つに割れていた。
「こいつは俺らを鏡のなかにひきずりこんでいたのさ。だから今までの被害者が殺されたとき物音もしなけりゃ、誰も気がつかねぇ。ふん、おい女、てめぇの処分は任されているんだ、殺してもいいが、今回の事件について吐いてもらおうか? だとしたらてめえは誰だ? 何が目的だ? 話次第じゃ手え貸してやってもいいぜ」
 黒薔薇は黙ったまま俯いている。その全身が怒りと屈辱に燃えているのはよくわかる。
「おい」
「この私、黒薔薇のカミーラを捕えていい気になっているのか人間如きが! 殺してやる、お前たち、全員、私を殺そうとした愚か者もみんな!」
「殺そうとした? 待って、えっと、カミーラちゃん? 僕たちは出来れば君を止めたいし、助けたいんだ。君の言う君の弱さや強さは誰にでもあるものだ。僕等はそれを受け止めたいんだ」
 カミーラが沈黙を守っているとドアが開いた。
「間に合ったのね!」
 マスカダインだ。
「この事件の犯人は白百合なのね! 殺しちゃだめなの!」
「白百合が? どういうことだ」
 ロッソの問いにマスカダインは榊の推理を二人に伝え、カミーラと向き合った。
「貴方は高貴な方だ。だから狡い卑怯なものがゆるせないのでしょう? 奪われる苦しみを知ってるなら、なおさら駄目だ。こんな悲しいことに染まっては、純潔を愛すなら渇き求めてるのは、復讐なんて、そんな望みじゃないでしょう」
 黒薔薇のカミーラはまるで馬鹿にするように黙っている。彼女の本質を知らない者の言葉に彼女を揺るがすことは出来るはずもない。
「苦しいのは、失った人……いるでしょう。その方の為に、この世界を守りたいと思った人がその人は、こんなことをのぞみますか」
「あの人を」
 カミーラがはじめて口を開いた。
「あの人を知らないお前たちが口にするな! 貴様の戯言は聞くに堪えぬ! いいかげんに黙れ! 卑怯? 卑劣? 結構ではないか。策は美しくある。私は奪う者、吸血鬼だ」
「世界樹と図書館が仲良くなるためには貴方の心と存在が必要なの。貴方はずっとナラゴニアをこの世界を助けてきた、今度は助けてもらう番、いや、もう助けられてるってわかってる筈だよ。お茶会しようよ。檻の中でも良い。みんなとたくさんお話しようよ」
 マスカダインの言葉にカミーラは再び黙って俯き、そして、乱暴に鎖を引きちぎろうと、わが身を鋭い爪ですだすに引き裂き始めた。
 血に濡れぬ、黒く染まる姿は、まさに黒薔薇。
「また、私を利用するつもり! うんざりだわ! それも言うに事欠いて檻ですって? あの城が檻! 多くの者が私に生きろと口にした者がいた、そのためにあそこにわざわざ土地を用意した者がいた、時間をかけて私が少しでも生きやすいようにと城を作った者がいた、多くの人が作った城を言葉でも穢すことは私が許さない! ああ、そうだ、死にたいのに死ぬなといって、あそこを与えた! 私はだから生きた! けれど、あはははは! 檻、檻なのね! 飼いならされた囚人! 滑稽だわ! くだらないわ! 他人からこんな屈辱を受けるなんて、もう耐えられないわ! 殺しやる、お前たち誰ひとりとして許さない!」
 白百合は城から出れない。それは彼女が過去に半死半生のため力をほとんど失ったためだ。誇り高い彼女はそのまま生きることをよしとはしなかった。けれど生きろ、多くの者が望んだから、城は存在していた。
 今、ここにいるむき出しの魂は彼女の本心。
 彼女はやはり世界図書館を憎んでいる、許せないでいる。心の底では。
 同じくらい今の城のなかに閉じ込められ、自由のない己を憎んでいた。
「あ」
 マスカタダインが声を漏らす。
黒薔薇は血まみれの鎖をわが身に纏って悠然と、誇り高く立ち上がり、刃を構えた。
 振り上げた刃に、手を伸ばしたのはロッソだった。
「っ! 俺があいつを殺した、てめぇの憎いのは俺だろう」
「そうだ! お前が憎い!」
 黒薔薇は叫ぶ。まるで何もかも燃やしてしまう炎のように。
 ロッソの右手は刃を握り、血を流し、黒く染まっていく。
「っ、なら殺せよ、だがよ、てめぇは知れといっただろうが! それも嘘か? 口先だけの嘘野郎か!」
 ロッソが獣のように吼えるのに黒薔薇は刃を持つ手を震える。
「っ……違う、違う、私は」
 ロッソの力が黒薔薇を押し始めた。
「どうなんだ! 殺したいんだろう、俺の首はここだ! 本当に憎しみだけしかねぇなら殺せよ!」
 ぐらりと黒薔薇が後ろに倒れるのをロッソの左腕が抱き留めた。喘ぐように浅い呼吸を繰り返す黒薔薇はあきらかに血が足りていない。
 ベールが落ちてあらわになったのは薔薇の刺青を施した花そのもののような顔。虚ろな赤黒い瞳でロッソを見つめる。
「まだ、死ぬんじゃねぇぞ。俺の血をくれてやる!」
 誰かを殺した手は血まみれだ。それが黒薔薇の口にあてられ、黒い花びらのように血が、彼女の唇を満たして命を与えていく。
 黒薔薇の姿は血の霧となって消えた。

★ ☆ ★

 榊とメアリベルは黒い影と対峙し、息を乱していた。
 鏡から出ては隠れるを繰り返す敵を追いつめるのは至難の業であった。
「もう、消えてばかり!」
 メアリベルが苛立った声をあげるのに榊は冷静に耳打ちする。
「おい、お嬢ちゃん、あいつを追いつめられないか」
「鏡のなかに?」
「そうだ」
「いいよ、できる!」
 狂い笑う敵が鏡から出てきたチャンスにメアリベルは蜜蜂たちで背後を、自分は手斧を持って真正面から襲い掛かる。それに慌てて鏡の床に逃げ込んだ敵を榊は捕えた。
 鏡のなかの影を狙う。
 なによりも、巧みに、敵を、斬れ!
「うおおおおお!」
 上段に構えた榊は気合いの声をあげて、影に向けてギアを振りかざす。
「斬れ!」
 ぱん! 音をたてて榊の振り下ろした一撃が影の床を真っ二つに叩き斬った。鏡のなかにいる黒い影も二つに割れて、血を流す。
「鏡のなかに逃げるなら、鏡ごと叩ききればいいだろう」
 榊が倒した敵を一瞥すると、ゼロが声をあげた。
「白百合さんが……!」

★ ☆ ★

「この度は迷惑をかけてしまったわね」
 ゼロがナイフを抜き、榊が用意した血液パックによって治癒された白百合の肉体は危機的状況にあっても助かった。
 ただ、そのかわりに彼女は白百合とは呼べないものとなった。

 事件が無事に解決し、後処理が終わって落ち着いた後日、白百合は事件に関わった六人を城に呼び集めた。その姿は黒いドレスに身を包み、顔もベールで覆われた黒薔薇であった。
 六人が案内されたのは白い百合が咲き乱れる庭であった。ささやかな茶会のように振舞われた紅茶と菓子類。
「今回の騒動で私はずっと自分に禁じていた血を貪り、昔の姿に戻った。あの白百合とは私自身が力を封じた姿だ。昔、戦で敗れて、この城にいるだけとなったのに、本来の姿と性格上、耐えられなかったのだ」
 黒薔薇カミーラはずっと表舞台に立っていたもう一つの姿である白百合のことを説明し、今回の騒動の解決について労った。
「錯乱状態の私を止めてもらったことは感謝する。……とくにロッソ、お前の血によって私は助かった。いつかお前が私の力を必要とするなら、一度ならば手を貸そう。この城から出れない私に出来ることなぞ、たかだか知れているがな」
 ロッソは鼻を鳴らす。
「わざわざ、人を呼びつけて、高飛車じゃねぇかよ」
「お前が望むなら、両膝ついて感謝してやってもいいぞ?」
 黒薔薇は静かに笑った。
「あの、お茶会とかはどうするの」 
 マスカダインが尋ねた。
「この通り、城はひどい有様だ、私も……しばらくは、安寧を求める。……これでこの件についての私のお前たちへの義務を果たした。失礼する」
 それだけ黒薔薇は答えて、二人の従者が扉を開いて待つ城のなかに消えた。

 ぱたん、と城の扉はかたく閉ざされた。

クリエイターコメント おつかれさまでーす。

 白百合と黒薔薇は同一人物というのは正解です。
 ちなみに今回の事件の発端も榊さんが大正解。大正解賞を捧げます(北野の愛と真心)

 今後城は白百合ではなくて黒薔薇のカミーラが城の主として君臨するようです。

 ロッソさんへ、もしなんかやりてぇなぁと思ったら黒薔薇におねだりしたら一個だけなら、彼女の出来る範囲で叶えてくれるってさ! あと白百合の片割れが黒薔薇ってどんな冗談だって意味がわからずにはてと思いました、あっ、もしかして、ユリとバラ! と考えてああああという心境に陥りました。ナイス・ツッコミ。そんなあなたを愛してる

 ではでは
 いつかのナラゴニアでまた会えることを楽しみにしてます
公開日時2013-10-28(月) 22:10

 

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