世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 その名のとおり、「司書室」が並んでいる棟である。 ……それはそれとして。 司書だってたまには、司書室以外の場所に出向くこともある。 そこで報告書を書くこともあれば『導きの書』を開くこともある。 今日、クリスタル・パレスの一角にいるのは、朗報を聞いたからだ。 ……どうやら「彼ら」は助かったらしい、と。 フライジングに駆けつけたロストナンバーもいると聞くけれど。 司書はただ、ここで待つだけだ。 そして、傾聴するだけだ。 旅人たちの、想いを。 クリスタル・パレスには綺麗に磨かれた窓から人の行きかう通りが良く見える、端席がある。窓に面した数少ない座席は日当たりも良く出入り口や店内を見渡せ、テーブルの配置都合により隣の席と少しだけ距離があり、賑やかなクリスタル・パレスの中でも気持ち静かな席だ。 フロアの中程でお気に入りの店員と話すより、少し静かな時を過ごしたい人がよく、その席を希望する。 司書アドもまた、端席をお気に入りにしている客の一人だ。アドが座る席は日当たりが良く、ハンモックで繋がれた背丈の少し大き目な植木が二つ置いてある席だ。寝床を設置されているため、この席は空席な事が多い。 とはいえ、小さいフェレット一匹の為に座席を占領させているのはよろしくない。アドが居ない時は普通に使うし、混雑時の相席はアドも了承している。『別に混雑時じゃなくてもいんだけどな』 アドはそう書かれた看板を君へと向ける。昼寝が大好きなアドのお気に入りの場所だからか、座席の周囲はとてもほっとする。『相席するかい? 別に一緒に座ったからって話さなきゃいけないわけじゃねぇけど、話しを聞く相手くらいにゃなるぜ。一人でこの席に座りたいのなら、オレはハンモックて寝るからよ。帰る前に起こしてくれや』 君は―― どうする?====●ご案内このシナリオは、世界司書アドがクリスタル・パレスにいる場に同席したというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・カフェを訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「ご自身の想いや今後の動向について」を話してみるのもよいかもしれません。このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】「【出張版とろとろ?】一卓の『おかえり』を」は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。====
テーブルの上に座り、ジャーキーを銜え噛むアドが書を眺めていると、ふっと影が落ちる。顔を上げればメタルフレームを光らせたヴァージニア・劉がアドを見下ろしていた。 「相席いいか」 『おう』 看板に文字が出ると劉は椅子を引き、通りがかった店員にコーヒーを注文する。肘をつき、ゆらゆらと尻尾を揺らすアドを眺めながら劉は気だるげな声を漏らす。 「そんなナリしてっけど司書なんだってなアンタ」 『愛らしいだろう?』 「ハッ、自分で言う事かよ」 劉が鼻で笑い飛ばすとアドも楽しそうに身体を揺らした。 『ま、もふもふ小動物が大人気ってなぁ置いとくとしてだ。実際問題、人見知りが激しかったり、人間が怖い奴にゃ話しかけやすい姿だろ。それに、こんなのが司書しての~んびり過ごせる世界だってのもわかりやすい』 「確かに……ここは平和でいいな。俺がいた世界とは大違いだ」 くつくつと喉を鳴らしていた劉の声色が下がる。店内を眺める目は眩しい物を見る様に、僅かに細められていた。 『お前の出身世界か。確か壱番世界にある国に似てるんだったか?』 「らしいな。ミュータントが押しこまれたスラムのどん詰まり。行き場を失ったクズの街。それが俺のいた場所……バグズだ」 『良かったら少し、お前の世界を教えてくれよ』 「楽しい話にゃならねぇぜ?」 『構わねぇよ。資料で見るより、そこで生きていた奴の話を聞いてみたいんだ。お前さんがよけりゃ、な』 ことり、とテーブルにコーヒーが置かれた。白い湯気が細く立ちのぼり、揺れる黒い水面には歪んだ劉の顔が映る。 「そうさな、そのジャーキーくれたらいいぜ。ここ禁煙だからよ、口寂しいんだ」 煙草に比べれば物足りないが、爪を噛み続けるよりはましだろう。アドがジャーキーの袋を差し出せば劉は一本取り出し、煙草の様にジャーキーを口端に銜える。数回甘噛み、ゆっくりとバグズの事を語りだす。 街中の建物という建物は泥と血と落書きで汚れ放題、並ぶ街灯はついている方が珍しく、たった3パーセントのクズとゴミが溢れた場所。名ばかりの自治区ではギャング達が毎日どんちゃん騒ぎを繰り返し、銃声と死者が出ない日は無い。老いも若いも男も女も、身体と能力と金と力と、信頼と裏切りを切り張りして使える者は全て使い、生き延びる為になんでもする。 「エグイやり口は沢山見たが、女の方がキツいな。今でも女は苦手だぜ」 男に捨てられた女は男が帰ってくると信じて子供を犠牲にした。女に誑かされた男は女の為に金を奪って逃げ出し終われる身となり、最後は女に殺される。大人に捨てられた子供は大人を殺し、子供をさらった大人は子供たちに売られる。金と薬を巡って命が軽々と消えて行く、ゴミだらけの場所だと、劉は淡々と語る。 「だがまぁ、騙される方が悪いってのはなかったな」 『……騙された時には、死んでるからか?』 「ご明察」 『もいっこ。溢れてるゴミは、本当にゴミなのか?』 「司書ってなぁ頭もいんだな」 『似たようなのを知ってるだけさ』 乾いた笑声を発する劉と違い、アドは少し眉間に皺を寄せ困惑気味にしている。 ゴミとは使えない物、無用な物というだけだ。お菓子の空き袋や飲みかけの缶が転がっているのと同じ様に、動物の死骸も、死にかけた人も放置されている。生きていようが死んでいようが、身体の一部でも一人の人間だろうとも、何ら変わりは無い。使えない物はすべて、ゴミだ。 「ミュータントは他より丈夫なせいで長々と生きてるやつも多かったぜ」 『そういや、お前さんも毒には強かったか』 「あぁ。そのおかげで沢山の薬を試されたもんだ。今では覚醒してよかったと思ってる」 言い、劉は胸元の刺青を撫でる様に手を置く。 「背中を預け合えるかけがえのないダチができた。こうるせえけど、本気で心配してくれる居候もいる。幸せってこういうのなんだろうな、多分。よくわかんねーけど……」 いつも無気力でなげやりな態度を見せる劉だが、友人を思い語る瞬間だけは、僅かに穏やかな雰囲気を見せている。その微かな変化に浸っていたアドはふと、思い出した様に看板へ文字を並べた。 『すっごいいや~な事にきがついたんだけどよ、劉は毒に強いってだけで、痛みとか苦しみはあった、のか?』 「当り前だ。反応がなきゃどんな薬か解らねぇだろ」 『うぇぇぇ、おま、よく耐えきったな』 「耐えなきゃ生きてねぇだろうが」 ぶるぶると全身を震わせるアドに劉は茶化す様に笑い言うとコーヒーで喉を潤す。苦痛の日々を夢に見る時はまだあるが、こうして笑って話せる程度には、過去の出来事として扱える様になった。これも幸せを受け入れられる様になったからだろうかと思うと同時に、劉は酷い不安に駆られる時がある。 「本当はわかってるんだ」 俯き、カップの中に揺らめく己の顔を眺めながら劉は独り言のように語り続ける。 「俺が出回るのを恐れてかっぱらって逃げた新種の麻薬は、ピカイチのできだったさ。被験体の俺が一番良く知ってる。でも結局、また新しいのが開発されて同じ事の繰り返しだ。毎日新しい薬が開発されて、俺以外にも薬を試す身体はいくらでもあった。時間稼ぎにしかならねえってわかってる。でもあの時はああするのが正しいと思った。何もしねえで見殺しにするのも見捨てるのもうんざりだ」 カップが小さく震え、時折、かたかたと音を鳴らす。 「覚醒してここにきて、初めて安心て感覚がわかった気がする。殺す心配も殺される心配もせずゆったり寛いで茶ァしてられる。こんな風にくだらねー話しながらな」 過去の事だと受け入れている。しかし、あのイタミは今も劉の心と体を蝕んでいるのだ。 「あんたはどうだ」 顔を上げた劉は店内へと顔を向ける。 「ここが好きか」 アドに問いかけているのだろうが、劉は今も多くの人で賑わうクリスタル・パレスを眺めたままだ。例えアドの看板に返事があったとしても、劉にはわからない。 「……なんて、愚問だったな」 ふっと小さく笑みを零し、劉はカップを傾ける。 「正直まだ女は怖えしびびっちまうけどちょっとずつ変われてる気がする。前はこんな店、居心地悪ぃと思ってたし」 がやがやとした穏やかな喧騒に包まれる店内は劉にとって、安心の象徴なのだろう。気を張らずに居られる事など、バグズに居た時は考えられなかったし、こんな風に誰かに自分の心情を話す事など、ありえなかった。 聞き上手なのか、それとも相手が物言わぬ小動物だからか。それとも、一度枷が外れた想いを止める術を知らないのか。少し戸惑いながらも劉はアドに胸の内を吐き出し続ける。 「……ホントはさ、あいつを俺のわがままに付き合わせちまったんじゃねえかって引け目もある。あいつは優しいから、本当は元の世界に帰ってやりてえことがあるのに無理して俺に付き合ってくれたんじゃねえかって」 小さな叫びを急き立て、劉は深い溜息を洩らす。 「馬鹿だよな」 劉は顔を上げ言葉を繋げる。 「失うのが怖いんだ」 眉を寄せ、困った様な笑顔を向けられ、アドは少し間を置くと尻尾を揺らす。 『いいことじゃねぇか』 看板に文字が浮かぶと劉は驚いた顔を見せた。アドは立ち上がると劉の傍へ移動し、手の近くでゆらゆらと尻尾を揺らす。触れという事か、そう受け取った劉がおそるおそる指を動かし尻尾にそっと触れれば、アドの尻尾は劉の手を撫でる様に纏わりついた。不思議そうにしたまま、劉の眼は看板の文字を追っていく。 『失うのが怖いって事は、劉にとってそれだけ大事だってことだ。少なくとも、前の劉なら相席もしねぇし尻尾にだって触らなかった。オレとしちゃ劉の変化は嬉しい事だぜ』 「うれしい、か?」 『おう。話し相手が増えるのは大歓迎だぜ。劉にはダチがいるんだったな』 「あぁ、俺もいつかあいつみてえなかっこいい男になりてえ。それが今の目標だ。そうして堂々と相棒を名乗ってやるんだ」 『じゃぁいつか、そいつらとクリスタル・パレスに来るようになるな。その時はきっと、劉は今よりも大きく変わってるだろうよ。オレはその日を心待ちにして、ここで寝てまってるぜ』 「あんた、司書の仕事はいいのかよ」 『こんないたいけなしょうどうぶつにしごとさせるなんて』 「うぜー。仕事しろよ」 『まぁまぁ。オレが仕事しなくても良いくらい平和だって事は良い事だろ?』 「はは、ばっかじゃねーの」 悪態を吐きながらも、劉の声はいつもより弾んでいた。 数日か、それとも数年後か。 何時の日か、ヴァージニア・劉自身が満足のいく強さを手にし、相棒と共にクリスタル・パレスに足を運ぶ日が来るのかもしれない。
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