ヒトの帝国にて、皇帝の寵姫シルフィーラと接触した、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノと相沢優の報告は、あるひとつの結論を導いた。 トリの王国の女王オディールは、ヴァイエン侯爵が《迷鳥》にこころ奪われたことを嘆くあまり、《迷鳥》を憎み、糾弾していた。しかし、無意識のうちに、《迷鳥》という神秘的な存在に憧憬も生まれていたのだ。 もしも―― もしも、わらわが《迷鳥》であったなら。 ヴァイエン候に保護された双子の片割れが、シルフィーラではなく、わらわであったなら。 ずっとあのかたのそばに、いられたかも知れぬものを。 それは女王として抱いてはならぬ禁忌ゆえ、オディール自身さえも気づかぬままに抑圧してきた感情だった。 だが、世界計の欠片が、その封印を解いてしまった。女王の想いは、歪み、ねじれて、《迷卵》を呼び覚ます。 そして、春のヴァイエン侯爵領に、眠ったままであった《迷卵》が、次々に孵化することとなったのだ。 ……今もまた。 緊迫した表情の無名の司書が、ロック・ラカンを呼び止める。「ロックさん。オディール女王が行方不明です」「何だと」「単身、ヒトの帝国に行ったものと思われますが、その足取りは掴めません。ただ……」「ただ、何だ?」「ヒトの帝国内に《迷宮》がいくつも発生しています。もしかしたら」「その原因が、オディール陛下かも知れぬと? よもや、女王が《迷鳥》に変貌したとは言うまいな?」「それはまだ、何とも言えません。今のところ、『導きの書』は、どの《迷宮》の中にも女王はいない可能性を示唆していますので」「だが、現地へ行けば、何らかの手がかりは掴めるでしょうね」 ラファエル・フロイトが進み出る。ロックはじろりと、彼を睨んだ。「候は無関係であろう。それがしが行こう。女王陛下を守護するのが、それがしのつとめ」「いや、私も行かなければ」「おれも行くよ」 シオン・ユングが走りよってくる。「全員、お願いいたします。むしろ、あなたがただけでは人手が足りませんので、他にも――」 司書は冷静に、図書館ホールを見回した。 ※ ※ ※ 《始祖鳥》終焉の地といわれ、数々の神秘的な物語が紡がれる霊峰ブロッケンの頂には湖がある。壱番世界の名称でいうのならばカルデラ湖だ。それは《始祖鳥》の流した涙だとも、《始祖鳥》の終焉にせめてもの安息与えようと、空からの与えられた寝床だとも言われている。 故に、霊峰ブロッケンから海へと繋がるヴェルダの大河にも、ヴェルダの大河に包まれる夏の離宮《朝露の塔》にも、幾つかの伝承がある。 曰く、霊峰ブロッケンが白き衣に包まれた時、大海原より《始祖鳥》が羽ばたくだろう。 曰く、《朝露の塔》が二つに増えた時、空から《始祖鳥》の祝福がもたらされるだろう。 曰く、ヴェルダの大河が紅に染まる時、金色に輝く《始祖鳥》が大地を覆うだろう。 全ては《始祖鳥》の奇跡と愛が、今もヒトに向けられているのだという、美しく温かな言伝えだ。 その霊峰ブロッケンに《迷宮》が現れた。導きの書はその《迷宮》に女王の行方の手がかりがありそうだ、とも伝えている。手がかりが手に入るかどうかは不明瞭だが、どちらにせよ、《迷宮》を放っておくわけには行かない君たちは《迷宮》へと向かった。 霊峰ブロッケンのカルデラ湖の底に現れた《迷宮》は、《迷宮》と呼ぶのを少々躊躇う造りをしていた。日差しを反射させきらきらと輝く水面の底に現れたのは全てが水晶でできた《迷宮》だ。通路は勿論、床や天井も不純物の一切ない透き通ったもので、硬い床の下に描かれた砂紋や空から差し込む日差しが揺れる明かり、《迷宮》の周囲を泳ぐ小魚の影が歪む事でやっと、壁や道の存在が解る。それくらい、透き通った《迷宮》だ。 だから、この《迷宮》は内部が全て、見渡せる。 湖の傍らに数段の階段と二つの通路がある。通路は湖の中央へと伸び、そこには葉のない水晶の大樹と、その枝に止まっている梟の《迷鳥》が一匹、ぶつぶつと脈絡のない言葉を呟いている。 多少の分かれ道や行き止まりはあるが、全てが見渡せる《迷宮》に正しい道順もなにもあったものではない。湖底の《迷宮》へと続く道は左右二手に別れているものの、行き先は同じなのだ。迷う事は無いだろう。 さらには、この《迷宮》には障害となるモンスターの類も存在していない。あるのは至る所に転がっている大量の水晶の剣だけだ。 この《迷宮》を消滅させる方法はただ一つ。水晶の剣を十本、正しき剣を順番に大樹へ刺す事だと、司書は言う。 水晶の剣は迷宮の中にいくらでも転がっているが、柄頭に付いている装飾がばらばらだ。正しき剣を正しき順序で、とある以上、数種類の装飾がカギとなるのだろう。 柄頭に付いている装飾の一つは丸い球、一つは十字。そこから三角、四角と、以降は角が増えていき、十角まである。剣同様、この十種類の装飾はどれも水晶でできており、透かして見ると中に数字が見える。 他に、十字と三角、四角、六角形の装飾には金紅石入り水晶の物があり、この四種類も透かして見ると数字が入っている。 水晶の装飾を覗きこんでも何も見えない物もあるのだが、そういった剣は全て、刃こぼれていたり折れていたりして使い物にならない。 しかし、透かしても何もない剣でありながら、刃こぼれしていない水晶の剣が一種類だけある。二重丸のような、平べったくて中心に穴があいてる装飾が柄頭についた水晶の剣だ。 十種と四種と一種、計十五種類の剣と、透かして見える数字。これらの組み合わせが一体何を意味するのか、それがわからなければ《迷宮》を消す事は出来ないだろう。 もし、間違った剣を刺してしまった場合どうなるのか、司書は不確定な未来の中から君たちにこう伝えた。 君たちは迷宮から追い出され、《迷宮》は大きく複雑な造りへと成長する。《迷鳥》へと辿りつく事が難しくなると同時に倒す事も困難になり、霊峰ブロッケンの湖とヴェルダの大河が、そして海までの水がゆっくりと《迷宮》に浸食され水晶へと変貌するだろう、と。 失敗すれば大変な事になる、と不安そうな顔を見せた君たちに、司書はこう続ける。導きの書によると《迷宮》の中には必ず正しき水晶の剣と順番が示されている。それを見つければ、間違う事は無い。君たちなら大丈夫だ、と。 一人目の旅人よ、君は右の道を進み、正しき五本の剣を手に大樹の元へと進みたまえ。《迷宮》の中に隠された謎から正しき水晶の剣と順番を導き出すのだ。 透明な水晶の迷宮に色鮮やかな人物画が2枚、埋まっている。よくよくみれば人物画は水晶の額縁で縁どられており、指を這わせるとでこぼことした感触からタイトルらしき物が読み取れた。2つのタイトルに共通していたのは、「軍人皇帝ユ×ウス=ジギスムント」の言葉だ。 年月日だけが書かれたシンプルな本が積まれているのを見つけ、君はぱらぱらと中を流し見る。誰かの日記なのか、書かれていたのは農作物のデキや天候、部下や領民に対する気遣いと愚痴の様な苦悩の言葉だった。本の最後に持ち主のサインなのだろう、ヴァイエン領 ラファエル・フロイ×」とある。積まれていた4冊全て、同じ物が書かれていた。 水晶で造られた像がある。どこか幼さの残る端正な顔立ちをしたヒトの像だ。土台には「軍人皇帝が第1子、皇太子×ルフォンス」とある。 第3の剣は金紅石入り水晶で造られ、1の字を抱く十字の装飾剣である。 足元に違和感を感じ、君はふと歩みを止め足元を見ると、水晶の床に幾つかの線が描かれていた。線の行き先を視線で追うとぐるりと君を囲うように広がっており、随分と広い範囲に広がっている。硬い水晶の床を抉り、わざわざ何を描いたのか、君は5歩ほど歩き地面に広がる線の全貌を見る。それは、「ホ×大陸」「オ×大陸」と記されたフライジングの世界地図だった。 二人目の冒険者よ、君は左の道を進み、正しき五本の剣を手に大樹の元へと進みたまえ《迷宮》の中に隠された謎から正しき水晶の剣と順番を導き出すのだ。 水晶の通路に本が2冊落ちているのを見つけた君は、本を拾いぱらぱらとページを捲る。年月日だけが書かれたシンプルな表紙の本の中には農作物のデキや天候等が読みやすい字で簡素に纏められた文章が淡々と綴られている事から、誰かへの報告書のようだ。本の最後には「ヴォラース伯アンリ・シュナ×ダー」のサインがある。 水晶で造られた像がある。どこか幼さの残る端正な顔立ちをしたヒトの像だ。土台には「軍人皇帝が第1子、皇太子×ルフォンス」とある。 水晶の額縁が並び、雄々しく勇ましい近衛騎士達が描かれた絵画が飾られている。武器を手に整列する絵、女王に跪く絵、美しい羽を広げヒトと闘う姿を描いた絵。近衛騎士達の活躍と共にトリとヒトの歴史を伝える絵の中に、近衛騎士団長と共に闘うロック・ラカンらしき姿もある。 余程多くの武勲を立てたのだろうか、女王の紅きハヤブサ「近衛騎士団長 ク×ト・ヴェ×トハイマー」の肖像画が5枚も飾られていた。 水晶の通路を進む君の視界を不自然な輝きが横切った。辺りを見渡すと突き当たりの通路にチカチカと、空から差し込む光を反射するのを見つける。不思議に思った君がその角へ近寄ると、そこには子供が描いたような落書きが3つあった。少年と少女が仲良く手を繋いだ絵だ。横にはたどたどしい字で×オンと×ルフィーラと書かれている。次に描かれているのは逃げる少年と羽を切られた少女の絵だ。少年と少女の間には深い深い、溝の様な線が書かれている。最後の絵は塔の傍に座り、微笑む少女の絵だった。 第4の剣は4の字を抱く正方形の装飾剣である。 水晶の大樹に水晶の剣を突き刺した時、《始祖鳥》終焉の地、霊峰ブロッケンに新たな奇跡が増える……かもしれない。 !お願い! オリジナルワールドシナリオ群『夏の迷宮』は、同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。
霊峰ブロッケンの山頂へと続く道をベヘルは一人行く。それなりにきつい上り坂を歩き、じっとりと汗ばんだその頬を、柔らかな風が撫で視線を上げる。自由に、のびのびと育った草花の絨毯が吹き抜ける風に揺らされ波を打つ。さわさわと揺れ動く草花を目で追えば、くっきりとした陰影の境目が現れる。日に照らされた草花は輝き、急に眩しい世界を見たベヘルは思わず目を細めた。 「始祖鳥はでてきそうかい?」 言いながらベヘルは空を見上げる。彼女の視界には雲とは違う質量をもった白い空が広がるばかりだ。 「まだなのですー。海は穏やかで太陽がぽかぽか気持ちいいだけなのです」 ベヘルの問いにゼロの声が返される。ゼロは〝霊峰ブロッケンが白き衣に包まれた時、大海原より《始祖鳥》が羽ばたくだろう〟という伝承の通り、巨大化して自分の白い衣で霊峰ブロッケンを包んでいるのだ。遠目に見れば砂山を抱きしめる少女なのだろうが、山道を歩くベヘルにはゼロの衣類の一部が頭上に広がるだけだ。 「それは残念だね」 「ゼロの洋服だから駄目なのかもしれないのです。もう一つの方を試すのですー」 「上手くいくといいね」 巨大化したゼロはその手に巨大な霧吹きを持ち、せっせと霊峰ブロッケンの上に吹きかける。 「雨になってないです?」 「大丈夫、ここまできていないよ。むしろ気温が下がって涼しくて、ありがたいね」 「一石二鳥なのですー」 正直なところ、ベヘルはゼロの方法で伝承を実行したところで本当に始祖鳥が出てくるとは思っていない。伝承の内容は長年培ってきた住民の例え話だ。何度か訪れたブルーインブルーで船乗りから「近くの島に霧がかかると数日のうちに魚の大群が来るんだ」と聞いた事がある。それと同じで、天候や気象の影響で霊峰ブロッケンに霧がかかると豊漁となり、それは始祖鳥のお陰だと、ヒトが子子孫孫に伝えているモノだ。 ベヘルにとってゼロは顔見知り程度の知り合いではあるが、彼女のおおらかな性格は知っている。やってみて出てきたら儲けもの、といったところだろう。害も無く、むしろ日陰ができたり涼しくなったりと日射病対策にもなってありがたいくらいだ。 ピクニックと言うには少々きつい上り坂だが、登山と呼ぶには緩すぎる山道は多くの人々が踏み固めた獣道が延々と蛇行して伸びている。ベヘルは周囲の自然豊かな景色を眺めながら湖の麓まで歩き続け《迷宮》の入り口に辿りつく。 「ぼくが〝一人目の旅人〟でいいかい?」 「はいなのです。ゼロはのーむを発生させてから〝二人目の旅人〟になるのです」 「ぼくは水晶の剣を運ぶのに時間がかかるからね、ゆっくりでいいよ」 華奢な身体には不釣り合いのごつく無機質な機械の腕は細かい作業に向いていない。ベヘルは最初から5本の剣を運ぶ為、五往復するつもりでいる。 数段の階段を下り、ベヘルは右の道を進む。視界一杯に広がる透明な世界に、ベヘルの口元が思わず綻んだ。 「きれいだ。透明なのに、とても、きれいだ」 現実離れした景色は見慣れていたベヘルだが、目の前の光景は初めて見たものだ。色の一切ない、しかし、陽の光は揺らめきそこに水と水晶が在ると知らしめる、不思議な世界。色のない世界でありながら、色鮮やかに感じる美しい迷宮をベヘルは歩き出す。こつこつと水晶を叩く自分の足音もまた、初めて聞いた音だ。 「水晶の音、か。鉱石から発する音というのは砕く事でしか聞けないと思っていたけれど、大きく沢山あればこういう音もできるんだね」 淡々と喋りながら、ベヘルはギアのスピーカーを一つ、迷宮の先へと送り込む。大樹の上に、いや、大樹と一つの存在になっている水晶の梟、その嘴から漏れる独白を拾いあげる。単語にもならない梟の言葉を耳に、ベヘルは迷宮に散らばる〝謎〟と〝水晶の剣〟へと向かう。水晶の壁に埋め込まれた絵画を眺めながら、ベヘルは題名を指先でなぞる。 「美術館か、博物館にいるようだ。ここにあるのは生者の記録だけど」 フライジングの事は資料で見ただけのベヘルだが、ここに散らばる〝謎〟が行方知れずとなった女王オディールに深くかかわる人々だという事は知りえた。しかし《迷宮》の謎が何故、女王に関する事なのかは、資料からはうかがい知れない。この世界を束ね、世界に関わる人々だからだろうかと考えながら、ベヘルは辺りに散らばる水晶の剣を持ち上げては柄頭の装飾を覗きこむ。 「流石に、全部見るには時間かかりそうかな。とりあえず、一本目を持って行こうかな」 思ったよりも軽い水晶の剣と積み重なっている本を一冊、抱き締める様に抱えたベヘルが大樹の元へ行くと、いつの間にかゼロが大樹の傍に佇んでいた。一本目の水晶の剣、丸い装飾の中に1の数字が入った剣と本を置いたベヘルはゼロに声をかける。 「満足のいく濃霧はできたかい?」 「もっこもこも綿あめみたいなのーむができたのですー。でも何故か、山の周囲にだけできてしまって、迷宮の真上にはできなかったのです。謎なのです」 「それは、不思議だね」 「とってもとっても、不思議なのです。梟さんが言っている事なみに不思議なのです」 「理解できる言葉はまだ聞こえてこないね」 「この梟さん、水晶なのにどうやって話してるのです?」 「……さぁ?」 「むむむ、気になるのです。剣を全部集めて、梟さんがどうやって話すのか、にらめっこなのですー」 「それじゃぁさ、ついでにそっちにある本を持ってきてもらってもいいかい? 読んでみたいんだ」 「はいなのですー」 透明な迷宮を駆け抜けるゼロの姿は、幻想的な世界に似つかわしく、儚くも美しく見える。しかし、人によってはこの風景は恐ろしく感じるだろう。不可解な《迷宮》を駆け抜ける、ふわふわとした不確かな白い存在は、ここを美しい存在だと思わず、恐怖の対象だと思ってきていれば幽霊だと思うはずだ。 視点を変え、見方を変えればまた違った想いを抱える、《迷卵》も《迷宮》もまた、もしかしたら恐ろしい存在ではないのかもしれない。 ベヘルは来た道を戻り、あちこちに散らばる水晶の剣の中から柄頭にある装飾を探し出し、中にある数字を確認しては大樹の元へと運ぶ最中、ベヘルの耳に梟の声が届く。 ――迷卵は、なぜ産まれる 九角に4の数字が刻まれた装飾の水晶の剣を抱えベヘルが大樹の方を見る。傍らには風もないのにウェーブのかかった髪をふわふわと揺らすゼロが佇んでいた。ゼロの傍に5本の剣と2冊の本が置かれているのを見つける。お願いしたとおり、ゼロは本を運んでくれたらしい。 ――迷宮は、なぜ産まれる 最後の剣を抱えたベヘルが大樹の元へと歩き出す。 ――ヒトはなぜ、トリを憎む ――トリはなぜ、ヒトを憎む ――どちらも………… ベヘルが大樹のある広間にはいると、梟の声がぴたりと止んだ。また話すかと思いベヘルとゼロがじっと梟を見つめる。しん、とした迷宮に響くのは微かな水音だけだ。 「眠っちゃったです?」 「剣が全部そろったから、話さなくなっちゃったのかな」 「じゃぁ一本出してみるのですー」 ゼロは近くに置いていた剣を一本持ち上げ、広場から出てみるが、梟が話す気配はない。 「だめなのです。どこから話してるのかも、見えてるのかもわからなかったのです。残念なのです」 「わかったら、どうするつもりだったんだい?」 剣を置き、ベヘルは運ばれた本を持ち上げぱらぱらとページをめくる。どの本も報告書の様な同じ文字列と数字が並んでいる。 「なんとなく知りたかっただけなのです。できたらお話したかったのです」 「《迷鳥》はだいたい、意思疎通ができないんじゃなかったかな?」 「ここの《迷宮》は他のとちょっと違うかも、と思ったのです」 「何故、って聞いてもいいかな?」 ゼロが辿った左の道にあった本は特になにも見当たらず、ベヘルは自分が辿った右の道にあった本を手に取り、ページを捲る。 「梟さんはオディールさんの想いから産まれたと思ったからなのです。でも本人が《迷鳥》にならずとも、《迷鳥》がこの様な生まれ方をするかどうか、ゼロは知らないのです。だから梟さんとお話できたら……」 「ちょっとまって、ここが女王オディールが産み出した《迷宮》だっていうのかい?」 「かも、なのですー。報告書で黒い孔雀がここ、霊峰ブロッケンに飛び立ったとあったのです。孔雀は恐らくオディールさんなのです。でも、この《迷宮》の《迷鳥》は梟さんなのです。だからオディールさんの《迷宮》じゃないのは、ゼロにも解るのです」 「そうか、それで女王オディールの《迷宮》ではなく、女王オディールの想いが産み出した《迷宮》なんだね」 行方知れずの女王オディールが霊峰ブロッケンへと飛び立った後に出現した《迷宮》の〝謎〟が彼女に関わる人々だと、ベヘルも思っていた事だ。ゼロの言う様に、女王オディールの想いから産まれた《迷宮》だとすれば、合点もいく。 「そして、女王オディールは今、世界計の欠片を持っている。なら、他と違う《迷宮》を産み出す可能性もある、かな」 「かもかも、な推測なのです。全てはなぞ謎ナゾなのですー」 左右に大きく首を傾げて言うゼロにベヘルは読んでいた本のページを開いたまま見せる。 ゼロが運んだ2冊の本は余計な事が一切書かれていない報告書だったのに対し、ベヘルの持ってきた4冊の本は日々の出来事も書かれていた。仕事の覚書も兼ねた日記だったのだろうか、部下や領民の事と一緒に女王になる前のオディールと出会った事や前王の事が書かれている。 ベヘルがゼロに見せたページは、他のページよりも少し震えた文字で〝《迷卵》を保護してしまった〟と書かれていた。 ――清浄な水色の卵が砕く事ができず、持ち帰ってしまった。許されない事だろう。このまま孵化し《迷宮》が発生すればとてつもない被害がでる。だが、何故か、そうならないと思ってしまう程に美しく、神聖さすら覚えた。この卵が魔物だなどと、思えない―― 二人は顔を見合わせ、ページを捲りだす。 ――双子が産まれた。男の子と女の子の、シラサギだ。この子たちが産まれても《迷宮》は発生していない。このまま、何事もなく大きく育てばいいのだが……。名前を考えないと。しかし、妻も娶っていないのに子持ちになってしまった―― 最初こそ震えた文字で記され続けていた《迷卵》に纏わる日々は、前王と言葉を交わした日より、元通りの綺麗な文字へと変わる。 ――王の寛大なお心に、感謝を。伝承どおり《迷卵》より産まれながら《迷鳥》にならなかった事を、始祖鳥に感謝を。さぁ、これからも忙しくなる。王のお気持ちを無駄にしないよう、どこに出しても恥ずかしくないよう2人を立派に育てねば―― そこからは《迷卵》より産まれた双子の事ばかりが、書かれていた。仕事の内容よりも膨大なページを割き、日々、双子の成長を喜ぶ文字からは溢れんばかりの愛情が見て取れる。それらは見間違う事なく、父から子への、惜しみない愛だ。 「女王オディールの想いが《迷宮》を産み出したのだとしたら、この本だけ、他者の想いが詰まっている事にも意味があるんだろうね」 「トリさんの王国の維持のためにオディールさんの恋心は恒久封印なのです? 世に『りあじゅう』が増えるのはめでたいので、残念なことなのですー」 「こればかりは、相手次第なんじゃないかな。女王オディールが想いを伝えて、相手がどう受け止めるか、だよ」 ベヘルは1の数字を抱く丸い装飾の付いた剣を持ち上げるとこう続ける。 「ぼくとしては、感謝より愛情を先に伝えたいのだけれどもね」 さくりと、音もなく水晶の剣が大樹に突き刺さる。ベヘルは続けて2の数字を抱く九角装飾の剣を、1の数字を抱く金紅石入りの水晶十字装飾の剣を、5の数字を抱く四角装飾の剣を刺し、最後に3の数字を抱いた丸装飾の剣を突き刺した。 ――何故、あの子なの 五本の剣を刺し終えると同時に梟の声がし、ベヘルとゼロが顔を上げるのと同時に迷宮に亀裂が入る音が響く。亀裂の入った壁が、空から降り注ぐ陽の光を乱反射させる。 ――ずっと、見ていたのに。 透明な迷宮に亀裂が入る度、ぴしり、ぱきと迷宮に音が響き続ける。まるで、誰かの心に決して癒えぬ傷が刻まれる様に。 ――ずっと、傍に居たのは、わらわなのに ちろちろと水が流れる音が聞こえ出し、ゼロは1の数字を抱く丸装飾を大樹へと突き刺す。 ――どうしてなの。どうして貴方の笑顔が、その子に向けられるの。 2の数字を抱く丸装飾の剣が大樹に突き刺さる。 ――どうして、わらわを見てくれないの 2の数字を抱く三角装飾の剣が刺され ――なぜ、貴方の隣にいるのが、その子なの 4の数字を抱く四角装飾の剣を刺し ――どうして 最後に3の数字を抱く九角装飾の剣を刺した。 ――どうして貴方が妻に選んだのが、わらわではないの 嘆きの慟哭の言葉は、最後まで、石の様に冷たい声色だった。 そよそよと優しい風が吹き、ゼロの長い髪を泳がせる。気が付けば《迷宮》は消え失せ、ゼロとベヘルは足首まで水に漬かった状態で湖の中に立っていた。風に吹かれた水が、2人の足首に当たり幾重もの波紋を湖へと広げて行く。 「オディールさんが『りあじゅう』なるのは、とってもとっても大変そうなのです」 「みたいだね。ぼくも、よく恋や愛に纏わる歌詞や音楽を聴いたりするけれど、だいたい、悲恋なんだよね」 「なんでなのです?」 「たぶん、恋や愛が報われるのはたった2人だからじゃないかな。3人目は、必ず悲しい結果になるからね」 「思い合う男女が一人ずつ、なら簡単なのです。でも人はあまりにも脆弱で、複雑な社会を作らずには安寧を保てず生きることすらままならないのです。だから《始祖鳥》はヒトとトリを産み出したのだと、ゼロは思うのです」 風がやみ、湖面に広がる波間がゆっくりと小さくなっていく。 「《始祖鳥》は殺されたんじゃなかったかい?」 「ゼロはそう思わないのです。きっと、《始祖鳥》は独りが寂しかったのです。だから自らの身を分かちヒトとトリを生んだ故に死んだのではないのかと思うのです。大陸だけではなくヒトとトリも始祖鳥さんの死により生まれたのが、ヒトかトリが《始祖鳥》を殺されたという話に変化したのだと思うのです」 「面白い考え方をするね」 「違っててもどうせ神話なのですから、争いの無くなる版の採用を推奨なのです」 波一つない湖面は鏡の様に空を映しだす。まるでゼロとベヘルが空に佇んでいるようだ。 「気になっていたんだけどね。何故、水晶の剣を梟ではなく、大樹に刺すのだろうかって」 湖面に映る雲が集まり、四散し、また集い、形を成す。 「女王オディールの想いからできた《迷宮》なら、心の内を吐き出したかったからなのかもね」 「どうして、そう思ったのか聞いてもいいのです?」 ゼロはベヘルに問われたのと同じ様に、問う。 「《迷宮》の〝謎〟の答えが、あの二つの言葉だったからだよ。あの言葉は、誰かに伝えてこそ、活きるものだからね」 本当に《迷宮》が女王の想いから産まれたのかも、あの梟が伝えた言葉が真実かも、定かではない。それでも、ベヘルとゼロは《迷宮》の〝謎〟の答えがあの二つだったから、完全に無関係だとは思えないのだろう。 「ありがとう」 一つ目の答えを淡々と告げる。熱量も気持ちも籠らないベヘルの口調は、水晶の梟とにた声色だ。 「あいしてる、なのですー」 感謝と愛を口にする2人は、乙女の秘密を語り合うに相応しい外見と年齢であるものの、どこか、他人事のように空へと伝えた。
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