写真家、由良久秀は時々、無性に何かを撮りたくなる。撮りたい物にコレといった目的がある時もあれば、ただ漠然と、撮りたい、と思うときもある。今は、後者だ。 ただ、何かを撮りたいと思い、ふらりと図書館へ足を運んだ。 冒険旅行ではなく、ただの個人旅行を申し込む形な為、由良は手の空いていそうな司書を探すと、丁度、暇を持て余している司書を見つけた。机の上で丸まり寝ていたアドに声を掛ける。「……起きろ」『んあー? なんだよ……依頼なら出してないぜ?』「個人だ。申請したら何日かかる」 アドは机の上で身体を伸ばし、まじまじと由良を見上げると何やら考えるように爪を噛む。『写真……か。なぁ、ヴォロスでいいなら今すぐチケット渡せるんだが、どうだい?』「? 何かの依頼か?」『おう、厳密に言やぁオレからの依頼だ』 アドは導きの書をパラパラとめくり、看板に文字を連ね出す。『ヴォロスの奥地にサート城っていう廃城があるんだ。辺境にある小さな村まで行って、そこから馬車でまるっと一日ちかく揺られないと辿り着けない辺鄙な場所だ。行くのも面倒な場所にわざわざ、大金を出してまで出向く人がいる』「宝か?」『だいたいあってる。お目当てはサート家が代々継いでいたと言われる蝶……。宝石でできた蝶とも言われるが、宝石の様に輝く蝶とも言われている、誰もが、生きているのか作り物なのか判断できないらしい』「なんだそりゃ」『な、変な話しだろ? この蝶、家紋にも使われてて城に飾られてる歴代のサート家肖像画には必ずこの蝶が共に描かれている。同じ物を描いているのに、微妙に色合いが変わっていて、時が経つごとに色合いが変化しているのではないか、とも言われているな。サート家最後の城主は奇病に犯され、死の間際に蝶を城の地下深くに収めるよう、遺言を残した。今も廃城の地下にあって、今もサート家に使えていた一族が城に住み込み守っているんだが、城の維持費のためか、その蝶を見せる案内人をしているらしい。知る人ぞ知る、っていうツアーだな』「で、そこに行って、蝶の写真をとってこい、か」『そそ。どうだ? 必然的に一泊はする事になるが、城の案内人が食事やなんかは用意してくれるぜ』「ふむ……」 由良が乗り気だと察したのか、アドは机の引き出しに頭をつっこみながら看板で話しをする。『オレからの依頼だし、チケット代はいらねぇぜ。他にも撮りたい物あれば寄り道してこいよ。無事に帰ってくるなら、ちょっとくらい帰るの遅くたって気にしねぇから。写真と、まぁ、蝶を見た感想くれると嬉しい。あれ、チケットどこやった。ヴォロスのチケットー、たしか何枚かあったろー。でてこーい』「感想?」『おう、簡単にいやぁ、宝石か、生きているか死んでいるか……どっちだと思ったか、だ。あったあった。えーと』「おいたーん、チケットは三枚ねー」『三枚か、丁度あった……』 引き出しから顔を上げ、三枚のチケットを掲げたアドの顔が、不機嫌な時の由良に負けないほど不満そうに歪む。「そ、由良とエレナとおれ、で三枚だ」 アドの手からひょいとチケットを取ったムジカが楽しそうに笑い言うと、アドの看板は「あ」の字で埋め尽くされた。「……いつからいた」 不機嫌そうな声で由良が問えば、ムジカは最初から? とにこやかに言い、チケットを一枚由良に差し出す。 ムジカとエレナが同行するのは、最早確定していた。『久秀ぇ、友達は選べよぉ』 怨みがましい視線を向けられ、由良は眉間に深い深い溝を作った。 ムジカは馬車を降りるとエレナに手を差し出し、レディの下車をエスコートする。2人の後を追うように馬車を降りた由良は目の前にそびえ立つ城を見上げた。城壁があちこち欠け崩れているのが見え、廃城、と呼ぶのも頷ける。 先に降りたはずのムジカとエレナが見当たらず、由良があたりを見渡すと、二人は馬車の後ろで今来た道を眺めていた。乾燥した風が吹きすさび2人の髪を舞い上げる。遠くでは葉のない木が傾き、砂埃が舞っていた。「綺麗な道路でよかったね。お陰で馬車に乗り続けても疲れなかったよ」「そうだな、ここにしか通ってない道にしては、綺麗過ぎた」「ねー」 楽しそうに笑い合う二人は、探偵にしかわからない楽しみでもみつけたのだろう。どうせ、ロクでもない事だと言いたげに由良は小さく吐息を零す。 大きく、扉の開く音が聞こえ三人が振り返る。ソート城の門が開け放たれ、一人の女が出てきた。「ユラ様、ムジカ様、エレナ様。遠いところへようこそ、おいでくださいました。皆様のご案内を務めさせていただきます、サーニエと申します。さぁ、どうぞ中へお入りくださいませ。他の皆様もお待ちです」「他の皆様?」「はい。本日は、ユラ様方以外にも4名様が、いらしております。どうぞ、こちらへ」 サーニエに促され、三人は彼女の後に続き城へと入る。門の先には赤い絨毯が真っ直ぐに敷かれ、壁には備え付けのランプが灯っている。突き当たりの扉をサーニエが開き、薄暗い廊下にまばゆい明かりが差込むと、3人は目を細めた。 エントランスなのだろう、目の前に大きな階段がある広間は、大きなシャンデリアに照らされ、昼間のように明るかった。明るさに誘われるように天井を見上げると丸い天井の中心にある大きなシャンデリアは12本の鎖でささえられているが、何故か2本だけ黒く、残りは全て白い鎖だ。「皆様のお部屋は階段を上がりまして右手、あちらにみえます4部屋です。お好きな場所をお使いください」 サーニエの指し示す二階には丸いアーチの扉が4つと、丸い柱に支えられた手摺が確認できる。吹き抜けになっている為、部屋を出るのは丸分かりだ。 視線を下ろすと、階段の手摺の角には左右対称になるように、梟の置物が置かれている。周囲にあるキャビネットや調度品が全て、丸いもので揃えられ、部屋自体が円形のつくりになっている為、敷かれている絨毯も、勿論、丸い。「右手には食堂がございます、ご朝食や、何か軽食が必要な時にはお声がけください。左手は談話室になっております。見学には皆様、一緒に行っていただきますので、一度、お顔合わせをお願いいたします」 由良たちが談話室に入ると、丸いソファに座った四人の男がこちらを見てきた。「おやおや、小さなお嬢さんがいらっしゃる」「こんにちは」 エレナはスカートの裾を持ち上げ、声をかけてきた老人に挨拶をすると、老人は嬉しそうに笑う。「ご丁寧に、ありがとう。来たばかりで疲れてはいないかね?」「ううん、馬車が快適だったから全然疲れてないよ」「そうかそうか。では、急かすようで悪いが、サーニエさん、早いところ案内をしてもらえないかね。この目でもう一度、あの蝶を見たいのだよ」 老人がサーニエに目を向けると、サーニエは部屋の奥に佇んでいた男へと、視線を向ける。男は一度頷くと、皆に頭を下げ、エントランスに向かう扉とは別の扉から部屋を出て行った。「皆様をご案内する準備が終わるまでもう少しだけ、こちらでお待ちくださいませ。ユラ様、エレナ様、ムジカ様も、どうぞ、お座りください。今お飲み物をご用意いたします」 部屋の奥にあるワゴンを押し、サーニエがエントランスへと出て行くのを見送ると、由良は少し離れた場所のソファに座り、ムジカは談話室の置物を眺め出す。 エレナは、老人の手をじっと見つめ、ねぇ、と声をかけた。「お爺様たちは、絵かきさんのお友達なの?」 ふいにそんな風に言われ、老人は目を丸くする。「こりゃ驚いた、確かに、わしらは絵かきだが、どうしてわかったかね」「指と爪が染料で染まってるのと、筆のタコがあるからだよ」 にっこりと、屈託のない笑顔で言われ老人の顔も笑みを作る。「素晴らしい観察眼だね、お嬢さん。わしはマンタル、植物を主に描いておる」「エレナだよ、こっちはびゃっくん」 うさぎの手をふりふりと振られ、マンタルが楽しそうな笑い声を上げると、もう一人、男も笑った。「今笑ったのはキョペキ、動物を主に描く、犬のように元気な男だ。隣がウシュック、主に風景を描いているせいか、穏やかな青年だ。こっちがカルンジャ、昆虫を描くのが主だ。少々怖い顔をしているが、優しい男だよ」 紹介された男たちはどこか恥ずかしそうに苦笑し、頭を軽く下げる。いつのまにか戻っていたサーニエがエレナの前に紅茶を置く。「みんな描くのばらばらなんだね。それなのに蝶を見に 来たのは、マンタルさんが見たことあるから?」 エレナの言葉に、関心がなさそうだった由良とムジカの視線が静かに向けられる。「はは、その通りだよ、小さな探偵さん。もう十数年も前になるが、わしは一度、ここの蝶を見た。その美しさに感動し描いたが、どうやっても、あの美しさは描ききれなかった。だが、もう一度、もう一度この目で見て描きたい。そう思ってやってきたんだ。あの時は、サーニエさんダキカくんも未だ幼い子供だったね」「はい、あの頃は案内人としてはなく、お手伝いとして働いておりました。こうして、また、お会い出来て嬉しく思います」 サーニエがそう言い終わると扉が開き、男が戻ってくる。恐らく、マンタルの言うダキカというのはこの男の事なのだろう。サーニエがダキカの元へ行くと彼は小さく耳打ちし、手に持っていたランタンをサーニエへ手渡す「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」 サーニエの言葉に、皆が立ち上がった。 談話室からいくつかの部屋を経由し、城門と同じくらい大きな扉の前へと連れられてきた。蝶のレリーフが掘られた扉をダキカが押すと、真っ暗な穴が顔を覗かせる。 案内人は入口の前に並んで立つとランタンに明かりを灯し、左右に掲げる。「この先、暫く暗い道が続きます。一本道ではありますが、どうぞ、離れませんよう、お願いいたします」 案内人が歩き出すと、皆、ぞろぞろとついて歩き出す。 ぼんやりと、薄暗い道を進んでいると、視界にキラッと光るものが見え、エレナは首を動かし、暗い周囲を見渡しながら歩く。ちかちかと星が瞬く様に光っていたそれは次第に多くなり、目を凝らして見ると白い糸が見えてきた。 白い糸は一歩、先へ進むごとに太さと輝きを増し、エレナだけでなく、誰の目にもはっきりと見えてきた。縦横無尽、糸から線へと変わったそれが光っているのか、ランタンの明かりを反射しているのか。網状に広がり壁を覆い隠しだした頃には足元もはっきりと見えるくらい、明るくなっていた。それの中に入り込むように、白く輝く道を歩き続けると案内人の足が止まる。二人が客人を振り返るとランタンを掲げた手が交差する。「こちらになります」 言うや、頭を下げた案内人はお互いから離れるように一歩横へ移動する。 扉を開いた様に、案内人が避け開けた視界の中心には透明な、ガラスの繭のようなものに包まれた蝶々があった。 気が付けば、由良は談話室のソファに座っていた。目の前には湯気の立つ紅茶が幾つか置かれているが、部屋には由良しかいない。 いつのまに戻ったのだろうか、由良は揺れる水面を眺め、ゆっくりと記憶を遡る。誰もが言葉もなくあの蝶々に見惚れ、じっと眺めていたのは覚えている。誰かが、引き寄せられるように近づき、ダキカが止めた、ハズだ。それから、そうだ、あまりに長い時間いたから、案内人に急かされ、渋々皆で帰ってきたのだ。 城までの帰路が、行きよりも長く感じたが、あれはあの蝶々から離れがたいと思っていたから、歩が遅かったのだろうか。 どんよりと重たい思考に疲れ、由良は目頭を摘む。 この部屋には、画家と一緒に入った記憶がある。エレナとムジカは、たしか、別の部屋へと消えていった。 画家の四人は、由良と同じく暫くこの部屋に、疲れきった身体を椅子に埋めていたが、誰かが、絵を描かないと、と言った瞬間、ぞろぞろと部屋を後にしていったのを、見た、気がする。「なんだ、この……」 自分の記憶なのに、朧げ過ぎて自信がない。その事実に由良は腹立たしさを覚えるが、だからといって曖昧な記憶がはっきりするわけではない。 舌打ちし、由良は立ち上がると隣の部屋にサーニエの姿が見えた。「ユラ様……、顔色が優れないようですが……」「……大丈夫だ。それより、この城にいるのはあんたとあの男だけか?」「はい。今はわたくしたちだけです」「ついでに、おれからも質問していいか?」 ムジカの声が聞こえ由良とサーニアが顔をそちらへ向けると、傍らにはエレナの姿もあった。「部屋が全て円形……城壁もカーブしている事からおそらく城そのものが円形なんだろう。これに、全ての部屋に左右対称の置物と4つの額縁、そしてシャンデリアを支える黒と白の鎖がある。これは、ずっと昔からこうなのか?」「はい。初代城主、ダー・サート卿が城の作りから調度品まで細かく指定し、城内の物は全て丸くせよ、という命があったと、聞いております。左右対称の置物は7代目城主タシュ・サート卿が置くようにした、とも」「置物は後からつけたの?」「そう、聞いております」「じゃぁもう一つ。あの蝶が描かれている肖像画は全て、深紅の羽だが、おれたちが見た蝶は羽先がオレンジ色がかっていたが、殆ど透明に近かった。あれは……」 その時、大きな悲鳴が聞こえ四人は身体を跳ねさせる。「今のは……?」 サーニエが不安そうにそう呟くと、由良たちは声のした方へと駆け出していた。 エントランスの大階段の下で、案内人ダキカと動物画家のキョペキが血を流して倒れている。二人の元へと駆け寄り身体を持ち上げると、二人は苦しそうにうめき声を上げた。流血はしているが、生命に別状はなかったらしく、二人はふらふらとした足取りで立ち上がる。 悲鳴を聞いたのだろう、植物画家のマンタルと昆虫画家のカルンジャは二階の手摺から身を乗り出してこちらを見下ろしている。「……一人、足りない」 エレナの小さな呟きに応えるように、遠くから大きな扉の開く音が聞こえた。「……まさかッ!」 青ざめた顔でサーニエが駆け出すと、皆がその後を追いかけた。談話室から幾つかの部屋を通り抜け、開かれたままの蝶への門が見えるとサーニエは悲痛の声をあげる。「あぁッ! 何故扉が開いているの! いけません! 一人で行っては!」 灯りも持たず、皆が暗い道を駆け抜ける。奥に輝くような灯りが見え、人がいることを知らせていた。サーニエの足が止まる。奇しくも、蝶々を見た時と同じ場所で、皆の足も止まった。 先程見たの同じ、ガラスの繭は傷一つなく僅かな光が反射している。由良はさっき訪れた時にはなかった小さな石を見つけ、手を伸ばす。しかし、由良の指が触れるか、触れないかのところで小さな石はさらさらと砂になり消えてしまった。 由良は口端を楽しそうに釣り上げ、カメラを構えた。 シャッターが切られ、フラッシュが一度。 周囲に眩い光が広がり、消える。 そこには、羽を深紅に染めた蝶々を胸元に抱きしめた、からからに干からびたミイラのような死体が転がっていた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>由良 久秀(cfvw5302)ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)エレナ(czrm2639) =========
一定間隔を開けて瞬く光に晒される遺体から目を離さないままムジカは由良へと声をかける。 「死因や死亡時期は?」 「……医者じゃないんだが」 カメラを少し下げ応える由良もまた、視線は遺体へ向けられたままだ。同様に、じっと遺体を見つめたままエレナも 「近寄っても平気そう?」 と、可愛らしい声で問いかけた。良くも悪くも、こういう状態に慣れている3人は怯える事も慌てる事もない。由良はカメラの望遠機能を使い遺体を備に見る。 「いや、少しだが身体が崩れだしているな」 一方通行の行き止まり。入口は一つきりと思われる場所に現れた遺体を前に平然としている2人の探偵と写真家は、淡々と言葉を交わし合う。 「完全に風化している遺体、か。はてさて、行方不明の風景画家か、それとも何時ぞやの城主様か」 「最後の、だとしても風化の仕方が変だよね? 身体が綺麗に残り過ぎてるし、洋服は綺麗だし」 「そうだな。で、あの洋服を着ていたのは」 ゆっくりと振り返るムジカに画家たちが身体を跳ね上げ、動揺を見せる。それは、目の前の遺体は行方不明の風景画家ウシュックであると言っていた。 「被害者が解ったところで続けて現場検証、と行きたいところだが……」 「お引き取りください」 有無を言わさない声色で言うサーニエにムジカは肩を竦める。本来ならこの場所は案内人の案内なくては入れない場所だ。ツアーとして来ている客が勝手に入り込み、調べまわっていい場所ではない。とはいえ、勝手な行動をした客人が遺体で発見されたとなれば、案内人も少しは動揺するだろうに、サーニエとダキカは平静そのものだ。 「事情はどうあれ、この場に長く留まるのは困ります。どうか、今すぐに、お戻りください」 姿勢よく立ち、あくまで丁寧に言うサーニエだが彼女から発せられる今すぐここから出て行け、という気配は凄まじいものがある。ダキカも無言で画家達に歩き出すよう促すが、この場を離れたくないのか、画家達はおろおろと戸惑い遺体を見ていた。 「由良」 「充分だ」 「じゃぁもどろー」 三人が歩き出し、再度ダキカに促された画家達も渋々歩き出した。 「ひとつ、確認しておきたい」 談話室に戻るなり由良は皆へと声をかける。 「最初に蝶を見に行った時は記憶が曖昧だったんだが、今はなんともない。全員同じだろうか?」 ムジカとエレナが小さく頷くのを見た由良は、ゆっくりと視線を画家達へと向ける。そわそわと落ち着かない画家らもそういえば、と何かに気がついた風に驚く顔を見せ、頷く。由良はそのまま案内人、サーニエへと視線を向ける。「初めて蝶を見に行く方は何方でもそうなります」 「マンタルさんは二度目だよ?」 「何年もの間が空いていたからでしょう。あの場所に留まり続ければ、皆様はまた意識や感覚が朧げになっていました。ですから、早々にお引き取りいただいたのです」 「それは、何故おこる?」 「わかりません」 由良の問いに、サーニエは間を開けず答える。嘘を言っている風にみえず、かと言って問い詰めても何も収穫がなさそうだと思ったのか、由良はそうか、と短く言い、デジカメの画像を確認しだす。言葉が途切れた談話室は異様な雰囲気に包まれる。会話を楽しむ筈の部屋に集まっているというのに、誰も口を開かず、誰もが立ち尽くしていた。言いようのない圧迫感の中、画家達だけがそわそわと居場所なさげにしていると、蝶への門を閉じていたダキカが戻ってきた。がっちりと固まっていた空間に人が訪れた変化は画家達に安らぎを与えた。 「な、なぁ。部屋に戻ってもいいだろうか」 「はい、構いません」 「おっと、すいませんが、戻る前に確認させてください」 画家の問いかけにダキカが応えていると、ムジカが引き止めた。ムジカは歩きながら人差し指で自分の頭を指し、キョペキとダキカの傍へと歩み寄る。 「誰に襲われたんですか?」 微笑み言うムジカはダキカを見るが彼は何も答えない。ムジカがそのままキョペキを見れば、彼は悔しそうな顔を見せ、俯いてこう言った。 「ウシュックだ」 「……風景画家で、行方不明で、恐らく被害者の?」 「あぁ、そうだ」 吐き捨てる様にいい、キョペキはこう続ける。 「隣の部屋がウシュックだったんだが、部屋を出て行く音がして、直ぐに言い争う声が聞こえたんだ。穏やかな男だったから声を荒げてるのなんか、始めて聞いたんだ、だから、何事だろうかと部屋を出たら、階段の踊り場で……」 言いづらそうに言葉を詰まらせ、キョペキがダキカを見るが、ダキカは何も答えない。無言のまま、ムジカが話の続きを待っているのに押されキョペキは声を絞り出す。 「……ウシュックが、ダキカさんに組み付いてたんだ。怒鳴ってたが、何を言っていたかはわからない。酷い取り乱し様で、ダキカさんを一方的に責め立てて、そしたら、ダキカさんが置物にぶつかって頭から血を流してしまって……それで」 「助けに入ったの?」 親しい者を貶める様な告げ口が辛いのだろう、キョペキの顔が苦痛に歪んでいるのを見かねたエレナは彼の独白に助けを入れる。 「あぁ、そうだ。だが、結局やられっぱなしで階段から落ちそうになって、ダキカさんと一緒に階段の下へ転がり落ちた。だよな、ダキカさん」 「はい、間違いありません」 「……。それで、あたしたちが助けに来た、だね。ムっちゃんが気にしてる様な事はなさそうかな?」 エレナがそう言うと、ムジカは小さく笑いを零す 「だがまぁ、一応確認だ。この屋敷には今現在、この場にいる人しかいない、で間違いないんだろうか? 例えば、盗人が侵入できるような事は?」 ムジカは目の前にいるダキカへと視線を向け問いかけるが、彼は答えない。諦めた様な、どこか納得したような溜息を漏らしムジカはサーニエへと振り返る。 「どうだろうか」 「まず、ありえません」 「詳しい説明を求めても?」 「ここに偶然人が訪れる、という事はまずありえません。村からも遠く、周囲には何もない。ここにはあの蝶しか、ありません。ですが、あの蝶の存在を知っているのは極僅かな人だけです」 「見に来た人が誰かに言っちゃったりしない?」 「……まず、ありえません。この城を訪れるには、一度蝶を見た事のある人に連れてきてもらうか、紹介されなくては辿り着けないのです。この城とあの蝶を護る為に、長い間そうやってきましたし、今までも、それが破られたことはありません」 サーニエが言い終わると探偵は静かに考え込むと、由良がテーブルにデジカメを置く。 「もう見ても?」 ムジカの問いに由良は短く視線を向け、扉へと歩み寄る、ふと、足を止めた由良はサーニエを振り向く。 「煙草、どこで吸えばいい」 「こちらへどうぞ」 サーニエと共に由良が部屋を後にすると、画家達もまた、ダキカと共に行ってしまう。 ムジカがデジカメを手に取りソファへと座れば、背もたれからエレナが顔を覗き込ませてきた。一緒に画像を見たいのだろうとは思うが、どうしたものか。ムジカは少し考えたあと 「座るかい?」 と自分の膝の上を差し出す。ぱっ、と一瞬嬉しそうな顔を見せるエレナだが、直ぐにむむ、と考えるような顔に変化する。殿方の膝の上に座るのはレディとしてどうかしら、と一瞬にして考えてしまったらしい。大人顔負けの名推理をする幼き探偵のささやかな悩み、その答えが出るのをムジカは微笑んだまま待った。 由良が案内された部屋は置かれている調度品が少なめの部屋だった。背の高い椅子と机、置物は全てケースに包まれ、絵画の類はなく幾つかの植物が飾られている、大人しい部屋だ。 部屋に入るなり由良は煙草に火を点ける。感覚は兎も角、実際にはそう長時間経っているわけではないのに、煙草の味がものすごく久々に感じられ、由良はいつもよりゆっくりとした呼吸をする。 揺らめく煙を眺めていると、煙の向こう側にあの蝶が閉じ込められている様に思え、由良は目を細めた。 あの蝶をもう一度見たい。透明の蝶も紅い蝶もだ。触れてみたい。ちゃんと写真に収めたい。あの不思議な感覚は、本当に蝶の美しさのみで発生していたのなら、恐ろしい事だ。だが、だとしても、由良はあの蝶に強く惹かれている。美しさで感覚が狂わされていたのと同じように、既に由良の心は蝶に囚われ、狂わされている。 視界をサーニエの細い手が横切り灰皿が置かれた。動きを追い、由良がサーニエへと顔を動かせば、2人の視線が絡み合う。 「蝶を、見に行きたい」 何も考えず、由良は思ったままの事を口にする。 「ご案内いたします。こちらへどうぞ」 返事を期待していなかった由良は、予想外の返答に一瞬怪訝そうな顔を向ける。 「お止めになりますか?」 動かない由良にサーニエが声を掛けると、由良は灰皿に煙草を押し付け、彼女の後ろをついていった。扉が開かれ、由良は通路へ三度目の侵入を果たす。他の人が入ってこないように、とサーニエが扉を閉める。通路を行く後姿の後に続く由良は罠だろうかという警戒を持ったままだったが、あの遺体が見えだすとその警戒心も解れていった。 近寄れば吹き飛びそうだった遺体は蝶の重みに負けたのか、中心が崩れぽっかりと穴を開けていた。その姿を由良は只管、カメラの中に収める。周囲にはさらさらの砂が広がり、歩くとざりという音が鳴る。一通り撮り終えた由良はしばしの間蝶をじっと見下ろし続けた。見れば見るほど触れてみたい、という想いが膨れ上がるが、同時に恐怖心もある。触れた瞬間、自分がこの遺体と同じ様にならない保証はない。由良が踏み込める場所は、サーニエが立ち入った場所までだ。 由良が背後に立つサーニエを振り返ると、彼女は何か、と言いたげに由良を見る。 「奥の、繭は……」 「えぇ、どうぞ。近くでご覧下さい」 「…………」 近寄っていい、という許可を得たものの、由良は中々動けずにいる。奥のガラスでできたような透明な繭すら、よくわからないものだ。由良の思いに気がついたのか、それとも慣れているのか。サーニエはゆっくりと歩き繭のすぐ傍へと移動すると、由良に微笑みを向ける。 「どうぞ」 「……触れてみても?」 歩きながら由良がそう言えば、サーニエはそっと繭に手を添える。 「問題ありません。どうぞ、ご自由になさってください」 「……何故だ」 ここまでされてしまうと、流石に疑問を抱かずにはいられない。勝手に侵入し遺体となった者と違い、由良は確かに、案内人に立ち入りの許可を得た。案内人と共に来て、触れたいとも許可を得た。だからといって、全てが全て許されている今の状態は、おかしすぎる。 「ユラ様は、案内人と似ておりますので、問題ないと判断致しました」 サーニエはそう言うとガラスの繭をそっと手でなぞる。明確な答えではない。安心できるものではない。いつもの由良なら舌打ちでもして冷たい視線を向けるだろうが、今はそれよりも蝶と、蝶を包んでいた繭への興味の方が勝った。 サーニエに並び立つ。ガラスの様に透明なそれは細い細い、線が重なった繭に由良の指先がそっと触れる。想像していたのとは全く違う感触に、由良は一度手を引いてしまう。 「これは……」 呟き、由良はもう一度繭へと手を伸ばした。 エレナはデジカメのデータと自分の記憶を比べ、在る筈の無いモノや自分が気が付かずに誰かの行動が写っていないか、慎重に見続けたが、特に気になる事は見当たらない。死を写すゆえに何かを捉えてそうだと期待したのだが、アテが外れた様だ。とはいえ、それなりの収穫もあったようだ。立ち上がる探偵の顔はそろって笑顔だ。 「ざーんねん。でもここまでの景色や城の外観も撮っていたのは助かったね、ムっちゃん」 「そうだな。さて、エレナはどうするんだ?」 「うーん、絵を見せて貰ってから探検に行こうかな」 「探検に行くのか?」 「だって答えてくれなさそうじゃない?」 「そうはそうだが、試してみてからでも遅くない。レディ一人を危険な場所に行かせるのは気が引ける」 「ムっちゃんもひーちゃんもおっきいもんねー」 楽しそうに話し、2人が談話室を出るとエントランスのシャンデリアが出迎える。2人はそろってそれを見上げ、そのまま階段中程に立っているダキカへ声を掛ける。 「ウシュックの部屋を見たいのだが、鍵を開けてもらえるだろうか」 「……故人とはいえ、勝手に部屋を開けるのは……」 困惑した顔でムジカに応えるダキカを小さなエレナは目を丸くして見上げている。驚いた顔を見せるエレナをダキカは不思議そうに一瞥する。 「それもそうか、では他の画家達に見ていいか、許可を貰おう。それなら君も困らないだろう? 丁度、絵も見せてもらいたかったんだ。な、エレナ」 「うん!」 ダキカの前を通り抜け、エレナとムジカは画家の部屋を一つ一つノックし、絵を見せて欲しいと声を掛ける。一番うまく蝶を描けた人を見つける事で蝶の本質が分かるのではないか、とエレナに言われ、画家は皆描きかけの絵を見せる。動物か昆虫か無機物か。真実を見つけ出せるきっかけになればと三人の絵を見比べてみたが、どれもぱっとしない。 「なんか……変?」 「そうだな。なにが、とは言えないが……」 画家たちは皆それぞれがとても綺麗に描いていた。それらはどれも、動物や昆虫、無機物固有の特徴を捉えており、どれもあの蝶に似ているのだが、やはりどこか違うという、とてもはっきりしない感想しか出てこないのだ。 「うーん、昆虫です、って言われてみたら昆虫だけど……」 「宝石だと言われれば宝石、か。最初の印象か、それとも基準か?」 「基準かあ……。ねぇねぇマンタルさん」 声をかけられ、老人はエレナの傍に行くとエレナが指差す自分の絵へと目を向ける。 「通路で光ってた白いの、植物だったの?」 「そうだ。植物の根でな、中心が空洞になっているんだ」 「空洞……お水貯めるため?」 「驚いた、よくわかったね」 「ここに来るまで木が細長くって、空気が乾燥してたから雨が少ないのかなって思ったの」 「その通り。このあたりは水不足がよく起こっていてね、この植物はこの地で生きながらえようと根を細く細くどこまでも伸ばし、少しでも多く水を蓄えようとしているんだ」 「それでは、蝶を避けて繭の様になっていたアレは?」 後ろからムジカが声をかけると老人はこう答える。 「木根とて地中に岩があれば避けるだろう? それと同じだ。邪魔な物や危険な物は避ける」 「つまり、あの蝶は木にとって危険な物だった、ってことだね」 「そういう事だ」 絵を見比べ終えると、エレナは笑顔で礼を言うとびゃっくんと共に頭を下げた。 「あ、あとね、ウシュックさんの絵も見たいの」 「あぁ、構わないよ。今とってこよう。ダキカさん、鍵を貸してくれるかね」 マンタルに言われ、ダキカは表情こそ変えないが一瞬だけムジカとエレナに鋭い視線を向けた。エレナが2冊のスケッチブックを受け取ると感想を貰えた画家らはやる気がでたのか、そそくさと自分の絵を抱え部屋へと戻っていく。 「お水だねー」 「そうだな。ますます探検に行かせられない」 「水着ないもんねー」 「……そこか?」 「濡れちゃったらやだもん」 一段一段、跳ねる様に降りながらエレナはウシュックのスケッチブックを捲る。薄い色の乗せられた風景画は見ているだけでその場に佇んでいる錯覚を覚えさせ、実際にそこへ行きたいと思わせるものだ。わくわくした気持ちのまま、エレナが二冊目のスケッチブックを捲ると、足が止まった。色合いの何もない、木炭だけで描かれたそのスケッチブックには、同じ城が描かれている。向きも同じ、見えない場所を想像して描いた跡は少しあるが、全てのページが全く同じ城を、同じ構図で描かれていた。 「……誰かの絵を見て描いたのか」 「みたい」 エレナは振り返ると数段上にいるダキカを見上げこう投げかける。 「ねぇ、ウシュックさんはこの城の何を知っていたの?」 ダキカは何も答えず、エレナを見ようともしない。明らかに存在を無視された行動にエレナはがっかりと肩を落とし 「やっぱりだめかー」 と、溜息混じりに言う。すると、その言葉にダキカが反応し、エレナをきつい眼差しで見下ろす。 「エレナ。少し推理を整理しようか。そうしたら、彼も気が変わるかもしれない」 「いいよー。じゃぁかわりばんこに質問しよ!」 「あぁ、構わない。では俺からいいかな。エレナはあの蝶をなんだと思う?」 「うんとね、一応生物で、蝶だから昆虫」 「へぇ、何故そう思ったか聞いていいか?」 「絵を見てどれにも当てはまってどれでもない、って感じたの。ほら、鳥類でも飛べなくたって鳥でしょ? クリパレにも飛べない鳥さんいるもん。3人は生物を描く、だから半分描けるけどちょっと足りないなのかなって思ったの」 「成程ね。おれもあの蝶には生きていて欲しいかな。宝石の蝶は飛び去った、その方が夢がある」 「ムっちゃんらしいねー。じゃぁエレナのしつもーん。死 因はなぁに?」 まるで今日のおやつはなぁにと聞くような手軽さで言われ、聞かされているダキカがぎょっとするが、探偵はダキカの事など気に求めず話を続けた。 「見たままに答えるなら血液と水分を搾り取られた失血か脱水?」 「瞬間乾燥ってすごいよね」 「蝶に魅入られ血を吸い尽くされた人間の成れの果て―そう見えるが、謎としては面白くない」 「そういえばムっちゃんもひーちゃんもあの遺体が城主さんかも、って思ってたよね」 「絵画の蝶が全部で12種類あったんだ。それで、もしかしたら蝶は一匹ではなく複数いて、アレは掘り出された物かと思ったのさ」 ムジカがシャンデリアを見上げて言うと、エレナもなるほどねーと天井を見上げた。 ダキカは言いようのない不安と焦りを覚え、不安げな顔で2人を見下ろす。この城を訪れてたった数刻で、どうしてそこまで考えが及ぶのかとダキカは恐怖すら覚える。彼らの推理に必要な事をダキカは一緒に見聞きしていた筈だ。むしろダキカだけが知る事実もある。だというのに、彼らはそれすら知っているかの様に秘密を暴いていく。 「ねぇ、お願い聞いてもらえない?」 「……知って、どうするのです」 「どうもしないさ」 ムジカが肩を竦めて言うが、ダキカの顔は強ばったままだ。 「あたしたちは気になる事を知りたいだけだよ。知ったら満足、誰に言うでもないし、どうともしないよ。あたしはただウシュックさんが何を知ってたのか、それさえ解かれば後は答えが見えるの」 「おれは城の見取り図があればいいかな」 「見取り図? いったい……何故」 「見えない真実を見たいだけさ」 ムジカは胸元で腕を水平に重ね。其々が円を描く様に回す。その仕草にダキカが絶望的な顔を見せると、ぎこちなくエレナへ目を向ける。エレナはシャンデリアを見上げたまま満面の笑みを浮かべ歌う。 「ちっくたっくちっくたっくぼーんぼーん」 ダキカが固まったままでいるとムジカは苦笑しこう言い出す。 「あのお嬢さんがね、自分は小さいから天井裏かどこかの隙間から入って調べるっていうてもあるのーって言うんだ。できれば、そんな事は避けたい。頼むよ」 お互いの為に、と微笑みながら言われる。隠し事をしたところで全てがバレるのは時間の問題のようだと察したダキカはよろよろと手摺にもたれ掛かる。 「……見取り図を、取ってきます。少し、お待ちください」 2人の探偵は満足そうに、頷いた。 地面に片膝を付いた由良は砂に埋もれた深紅の蝶をつん、と指先で軽くつつく。ぽよよん、ともぽにょんとも聞こえそうな弾力のある振動の揺らぎに、由良は唖然とするばかりだ。宝石のような蝶。、そう聞いていたからかてっきり硬いか、適度に柔らかい生き物だと思っていたが、目の前でぷにぷにと揺れるそれはどう見ても、弾力のあるゼリー状の物がゆらゆらと振動しているそれだ。 「その蝶は人の水と血液を養分として吸収し赤く染まります。それが消費され色が変わる、それだけの蝶です」 「人以外ではダメなのか?」 「わかりません。近寄るのは人ばかりですから」 至極、真当な返事を返す様にサーニエは語り続ける。彼の様に一人で勝手に乗り込み遺体となる人は少なくないそうだ。蝶に魅入られ侵入し、蝶に触れ食われる。ただそれだけだ。犯人は居らず、謎もない。決して美しくない結末に、きっとあの素人探偵は不満そうにしていることだろう。 「蝶を見る為だけに大金を払う人ならば蝶の為にいなくなってもおかしくない、か。水を蓄える城の維持費と蝶の餌も手に入る。合理的だ」 「偶然、のはずなのですが、世の中よくできております」 「一応、聞いておきたい」 膝についた砂を払いながら立ち上がる由良をサーニエは静かに見る。 「何故、既に主も無い辺鄙な城にいまだ仕える」 「その蝶が、美しいからです」 「そうか」 短く言い、由良はポケットから煙草を取り出す。視線を下ろしたせいか、視界に赤々と輝く蝶が見え、由良は取り出した煙草をそのまま戻す。 「……出てからにするか」 「そうしていただけると、助かります」 蝶と遺体を残し、2人は城へと歩き出した。 煙草を咥えたまま談話室へと戻った由良の目に入ったのは、チェスに興じる探偵の姿だった。 「ひーちゃんおかえりー、デートどうだった?」 「デートじゃねぇだろ」 「どうだった?」 「何が?」 「見てきたんだろう? 蝶」 「ひーちゃんひーちゃん、エレナも写真欲しいー」 「……帰ったら見せる」 わーい、と両手を上げて喜ぶエレナはチェス盤を動かしたムジカの一手にはぅ!と声をあげると難しそうな顔で考え込んだ。溜息と共に煙を吐き出した由良はテーブルの上に幾つかの用紙が置かれているのを見つけた。大きな紙に描かれた幾つもの丸い円と走り書きの文字や数式、探偵のメモ。どうやら探偵たちも城の本来の用途に辿り付いていた。 この城は水を蓄える為に作られた。地下水を汲みあげる絡繰を隠すように城を建て、水泥棒が入らない様歯車に合わせ動く部屋の扉が隠されたり、開閉できない様にもされた。蝶がいたのは嘗ての貯水部屋だ。時代が進み、使わなくなった部屋の頑丈な鍵に目を付けた最後の城主は、水の代わりに蝶を封じ込めたのだ。 謎を解き明かし真実を見た探偵がチェス盤に向かっている姿に由良はなんとなくカメラを向けた。
このライターへメールを送る