オープニング

 ちょっとお腹が空いたかな、と優が時計をみると針はかちりと動き、ぴったりと三時を示していた。この時間になるとどのカフェも混み合っていそうだと思い、近くにあるカフェから候補を考えた結果、とりあえずクリスタルパレスを覗いて、混んでいたらトラベラーズカフェに行こうと決める。ふたつともダメだったら、司書室棟の休憩所を覗いてみようかなと考えていると、クリスタルパレスの入口に見知った人がいるのに気がついた。青い翼の店主ラファエルとうさぎのぬいぐるみを抱えている少女エレナだ。
「やぁエレナ、それにラファエルさんも、こんにちは」
「あ、こんにちはゆっちゃ」
「エレナもお茶? 混んでそう?」
「ううん、おいたんいないか聞いてたの」
 ふるふると首を横にふるエレナの言葉に、優がおいたん?と首をかしげると
「アドの事ですよ、世界司書のアド」
 あぁ、と優が納得するとラファエルはこう続ける。
「エレナ様のおっしゃるように、ここ一週間はいらしておりません。それと優様、大変申し訳ないのですが只今満席でして……」
「いえ、ちょっと遅かったなって思ってたので、大丈夫ですよ。ところで、エレナはどうしてアドさん探してたの?」
「あのね、一週間クリスタルパレスに来てないってことは、多分おいたんが面白い依頼を抱えているはずなのー。ゆっちゃも来る?」
「え? えーと、依頼ってことは世界図書館に行くのかな?」
「うん。じゃぁ歩きながら説明するのー」
 店主ラファエロにまた、と声をかけ二人は空席待ちの列が出来始めたクリスタルパレスを後にする。
「うんとね、最近あかくまさんが忙しくておいたん暇なの」
「あかくまって、ルルーさんだよね?」
「そうだよ。それでね、みんなも忙しくなってるけど、おいたんはそんな時でもいつもは寝てるかクリスタルパレスでお茶するのー」
「た、たしかに」
 苦笑し、エレナと並んで歩く優は適度に相槌を交え話を聞き続ける。
「だからね、おいたんがクリスタルパレスに来てないってことは、おいたんの依頼があるはずなの。それは、きっととっても面白くって、面倒くさくって、時間がかかる、人の命に関わる事なの」
「うん? えーと、それはどうして?」
「あたしは司書じゃないから、これは多分っていう、推測なんだけどね? 導きの書に出る内容って重複してる事があるんだとおもうんだ。だからおいたんは自分の書にでた内容と同じのがあればお仕事サボっちゃう。ほかの人がお仕事するから。でも自分の書だけにでた内容は、特に人の命に関わる依頼が見えちゃったらやるしかないじゃない?」
「それは、たしかに」
「ね。一週間の間クリスタルパレスにもよらないでやらなきゃいけない依頼、それってとってもとっても大変なものなんだと思うの。だから、とっても面白くって、面倒くさくって、時間がかかる、人の命に関わる事かなって。あ、」
 世界図書館に入りエレナが声を止めると、優が視線の先を追う。そこには尺取虫のように背を丸め、短い毛を逆立てているアドと、困ったように笑う右目にモノクルをつけた紳士、深山の姿があった。
「馨おじさま、こんにちは! やったねゆっちゃ。馨おじさまがいるってことはアタリだよ!」
「ごきげんよう。二人も依頼を見に?」
「え、えぇ。俺はエレナについてきただけですけれ、ど……」
『依頼なんてねぇよ帰れ探偵!』
 しゃーーと激しく威嚇するアドに優が困惑していると深山がずっとこうなんだ、という苦笑を二人に向ける。
「まだ、ってことはこれからなんだねおいたん! ね、ね、どんなやつ?」
『あァ? あーー。んっと、ロストナンバーの保護』
「私が聞いても答えてくれなかったのに、エレナ君にはずいぶんとあっさり教えるのだね。差別じゃないかね?」
『差別じゃねぇよ区別だよ』
「物は言いようだな、ところで世界はどこだい?」
『ブルーイ……あ』
「海だー!」
 しまった、と言いたげにアドが頭を両爪でがりがりするが、探偵二人の推理は止まらない。
「海でロストナンバーの保護なら、おちた場所が面倒とかかな。海底遺産かな? 海賊たくさんかな? 海魔の巣かな?」
「さて、行く方法が面倒なだけなら依頼を出すのがもっと早い気もするが……」
「じゃぁ、列強海賊の島とか海賊の都市とか貴族の館とか!」
 ぴく、と頭をかきむしるアドの手がとまり、探偵二人は満足そうな顔をする。
「なるほどね、今の世界図書館とジャンクヘヴンの関係上、貴族の館に行くには手続きや説明が面倒だった、というところかな」
『だから探偵はイヤなんだーーー!!!!』
「あ、あのぉー」
 おそるおそる、という風に優が声をかけると、皆の視線が向けられる。
「その、海の依頼ってそんなに面倒なんですか?」
『……まぁ、もういいか。依頼出すし。ディアスポラ現象で飛ばされたロストナンバーが貴族の館にある花々が咲き誇る庭園に現れた。それも、領主の妻が死んでいる現場に、だ』
 え、と優は驚き二人の探偵を見るが、探偵達の表情はどこか、驚いているというよりも既に何かの謎について考えている、という顔だった。
『保護すべきロストナンバーは領主妻殺害の犯人として捕まっている。運が悪いよなー。当然冤罪なんだが、領主に無実を証明しないと保護もできないし、なによりその領主が結構イイトコでなァ。ほんと、色々条件ついてんだ。これが』
「ふむ、では……優君、すまないがトラベラーズカフェであと二人、同行者を見つけてきてくれないかね」
「え?」
『これだよ! これだもんなァ! だっから探偵はいやなんだーー! なんでもかんでも先読みしやがってーー!!』
「私はジャズバーの店主であって探偵ではないよ?」
『うるせぇうるせぇ! それでいったらサックス奏者でもあるじゃねぇか職業がどうとかの問題じゃねぇだろ! この! これだから! これだから!』
「やれやれ。探偵のエレナ君にはあんなに優しいのに、困った方だ。ところで、怒っていても書類は完成しないよ世界司書殿」
『やだやだ! 書類完成させたらお前いくじゃねぇかヤダーー! そんなの悔しい! ちなみにエレナは可愛いからいいの!』
「意外と俗っぽいのだな君は」
『だって俺オスだもん。でも馨は探偵だからやぁだぁーー!!』
 先程から話の入れ替わりと進み具合が早すぎてついていくのに精一杯な優が困惑していると、エレナが袖をついついと引っ張る。
「ゆっちゃも行くでしょ? チケットは5枚でゆっちゃとあたしと馨おじさま。だからあと二人」
 アドの駄々っ子のような癇癪を見て、チケットの枚数もあたっているんだろうと納得した優は、二人の探偵を頼もしく思いながら急ぎトラベラーズカフェへと向かった。



墨染ぬれ羽と赤燐を連れ優が戻ってくると、不思議な光景がひろがっていた。椅子に座ったエレナの膝にはうさぎのぬいぐるみが、そしてその上に難しい顔をしたアドが導きの書を睨みつけ座っている。アドのシッポが軽く巻き付いた看板は、うさぎのぬいぐるみが支えており、手前には空いている椅子が三脚、半円を描くように置かれていた。まっさらな用紙の置かれた机を前に足を組む深山が少し後ろにいる。
「おかえり、自己紹介をしたいところなのだが、時間がなさそうだ。すまないが、そこにかけてくれるかね」
 羽ペンを弄ぶ深山にそう言われ優たちは空いている席に座った。
「おいたん、揃ったよ」
『依頼内容はロストナンバーの保護、場所はブルーインブルーのジャンクヘヴン近郊にある貴族の館だ。真っ白な外見から白亜館と呼ばれている。ロストナンバーが転移したのはその白亜館にある庭園、白亜庭園。館主に誘われた人しか入れない、その庭に呼ばれる事が貴族たちにとってちょっとしたステータスになるような、そんな庭だ』
「ということは、その館主さん、えらいひとなのね?」
 赤燐がそう聞くと看板にそうだ、と短く返答がでる。
『貴族としての歴史の長さもあって館主は中の上、もしくは上の下といったそこそこの地位を持っている。今回の件についても、それなりの条件付きだ。優から聞いたかもしれねぇが、ロストナンバーが転移した白亜庭園では館主の妻が死亡しており、ロストナンバーは殺人犯として捕まっている。これが、さらに運の悪い事に……』
 瀕死の状態で転移していると看板に現れ、羽ペンの音が一瞬止まった。すぐにカリカリという羽ペンの音がし、ちゃぷん、とインクに浸された音がするとアドの看板にまた文字が現れ始める。その微妙な間から、説明内容を深山が依頼書類として記入している事に気がつく。それほど急がないといけないのかと、心臓が早く鳴りだした優たちは一文字も逃さないよう看板に見入る。
『館主婦人殺人犯として牢屋にぶちこまれてる事もあり、手当は無しと考えていい。ついでに、館主からの条件として館に滞在できるのは一日、釈明は一度だけ、館内部は一部を除き自由に歩き回って良い』
「一部を除き?」
 優が言うとアドはため息混じりに頷いた。
『そ、一部。白亜庭園もなんだが、使用人すら立ち入り禁止の場所がいくつかある。そこを調べるなり観たいなりするのなら、相応の理由と共に一度のみ、調べる場合使用人が必ず一人は付く』
「また、ずいぶんと厳重ねぇ?」
「おいたんおいたん、もしかして白亜庭園って」
『おう、探偵大好き、密室だ』
「えぇぇぇ」
 優が自信なさげな声を漏らすと赤燐は頬に手をあて困ったような仕草をし、ぬれ羽も戸惑った様に首を傾げた。
『ひでぇだろ? 面倒ったらありゃしないだろ? そもそも、白亜館自体が密室なのにな』
「そうなの?」
『周りは全部海なんだ、似たようなもんだろ。船が来るのは物資を運ぶ定期便のみ。妻が死んだ時もその前後も、船は白亜館に立ち寄ってない』
「では……白亜館にいた人たちだけが容疑者、ということだね。さて、いったい何人の容疑者がいるのやら」
 かりかりと羽ペンを躍らせ深山が言う。
『あいよ、まず白亜館の形状からだな。白亜館は陸地3海上7、ドーナツ状の建物で中央に塔が立っている二重丸とでもいやぁいいのか? 館と塔の間は海、空中通路で要所要所が繋がってる。水上コテージって知ってるか? 館の殆どは海の上にあって、陸地に立てた塔と館の一部も満潮時には海水に浸る』
「やだわ、私泳げないんだけど……」
『館が崩壊するってのはないから、よっぽどじゃないかぎり落ちないんじゃねぇの? どんな通路かわかんねぇし、自分を気をつけてくれ』
 赤燐が小さく溜息を漏らすが、アドの看板には文字が出続ける。
『館にいるのは館主とその妻、は死亡してるか。ロストナンバーと館主が住み込みで雇っている彫刻家、それに使用人五人と孤児8人。あぁ、全員女だな』
「少ないね?」
『館主は質素な生活が好きだったみたいでな、必要最低限の使用人しか雇わないようだぜ。孤児は昔からやってる慈善事業らしい、んだが……。先に館主について話すな。年齢は51、片足が悪くなりだし、常に杖をついて歩いている、趣味は彫刻鑑賞で性格は温厚。随分昔から一人の彫刻家を雇いれていて、庭園はこの彫刻家の作品で作られたもの。それ以外に金を使わないからか、孤児を引き取り面倒をみているが、事故死や病死の率が高く、一部から不信の目で見られている。死亡した妻の年齢は14』
「じゅううよん!?」
 大学の講義を受けているかのようにノートにメモをとっていた優の顔が上がる。が、優以外はそんなもんじゃない?という雰囲気で特に年齢を気に止めていないようだ。
「世界の違い、というやつだね。続きを」
『死亡した妻の年齢は14、館主より貴族としての名声や地位は高く、妻の実家はジャンクヘブン政府に進言できる程の力を持ってるな。陶器のように白い肌と眩い金髪の美人だが、性格はしっかりしていたようで毎日規則正しい生活を送っていた。この妻も豪遊するタイプではなかったらしく館主と気があったようだ、って話の裏で、老い先短い館主の妻となって財産を取るつもりだったんだろうとかどっかで何かの密約があったんだろうとか、色々噂はあるようだ』
「どこも変わらないのね~。もっとロマンチックに考えたらいいのに」
『ロマンチックかどうかは知らねぇが、館主には愛人も妾も隠し子も無し、館主と妻は初婚だぜ』
「あら、それはそれで……いいような、なんか気になるような……」
 どこか釈然としない赤燐を他所にじっと話を聞いていたぬれ羽が小さく呟く。
「ちょうこくか、は」
『彫刻家の年齢は不明だが、館主との付き合いは長く、館に住む様になって20年は経っているらしく、少なくとも30前後と思われるな。幼い女児の作品のみ作成し、一部から評価を得ているが領主に雇われてからも作品傾向に変化なし。まるで生きているような、今にも動き出しそうな彫刻を作る事で有名なんだそうだ』
 書から顔を離し、目を細めたアドがふーと息を吐く。説明は以上の様だが、羽ペンを走らせたまま深山は書類から目を離さず声をかける。
「いいかな、世界司書殿」
『どーぞ、探偵』
「花について、何かないのかね?」
『…………』
「それと、死亡現場の状態もだな」
「そうか。ブルーインブルーは花が貴重……なのに花々が咲き誇る庭園なんて珍しい」
「余程知られたくない事があるから、条件が厳しいのかしら?」
 優と赤燐の言葉にぬれ羽は不思議そうな顔のまま二人を見、アドへと視線を動かすとアドは導きの書をたしたしと叩いていた。
『くっそ、完璧だとおもったのに! 白亜庭園は中央にある塔の最上階、屋根はなく空が見える。中央にはサロンの様なテーブルと椅子が三脚、それを囲むように彫刻家の作品が並ぶ。入口は一箇所、オートロックみたいに扉が締まると自動で鍵がかかる。鍵を持っているのは館主、妻、彫刻家の三人のみ』
 アドはぱらぱらと書をめくり言われた情報をかき集め、看板に文字を並べる。
『死亡した妻は毎日の日課通り、お茶の時間に庭園を訪れていた。館主がティーセットを持った使用人と庭園にはいると、口元から血を流し腹部にも大量の血液をつけた妻が倒れているのを発見、側に血まみれのロストナンバーも倒れており、ナイフを持っていたので殺人犯として投獄』
「うーーん、……こうなると花々って、彫刻家の作品なのかなぁ?」
 エレナが言うと深山がだろうね、と短く答えた。
『書物で見た花を彫刻で作って飾ったって花は花、か? 花嫁姿や天使のような彫像が多い、ってあるな。こればっかりは直接見たほうがいいと思う……あ』
「あ?」
『……わりぃが、行く奴はすぐ駅に行って次のブルーインブルー行きに飛び乗ってくれ。まだ不確定だが、どうもまだ死亡者がでそうだ』
 アドはそう言うと深山の太ももに乗り、机の引き出しを開け中に潜り込んだ。ぴょこん、と顔をだしたアドはばんざいをするように両手を上げ、そこには五枚のチケットが掲げられている。
『誰が、どうやって、っていう明確な死亡原因はねぇ。館主や彫刻家、使用人と孤児もだが、おまえらにも、この危険は降りかかるからな。行きたくない奴は、チケット取らなくていいぜ。行く奴はきぃつけて……ちゃんと帰ってこいよ』



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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>


相沢 優(ctcn6216)
エレナ(czrm2639)
深山馨(cfhh2316)
墨染 ぬれ羽(cnww9670)
赤燐(cwzn2405)


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品目企画シナリオ 管理番号2029
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメントこんにちは、桐原です。

日数調整の為プレイング期間を10日、制作日数はめいっぱいとらせていただいております。


ミステリ、みすてりー? そんな内容でお届けいたします。
謎と場所、容疑者候補たち、必要な情報は入っているので、どうぞ、お好きなようにプレイングを書いてくださいませ。気をつけろとはありますが、よっぽどじゃない限り危ない目にはあわない、はずです。


それでは、いってらっしゃい。

参加者
エレナ(czrm2639)ツーリスト 女 9歳 探偵
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
深山 馨(cfhh2316)コンダクター 男 41歳 サックス奏者/ジャズバー店主
赤燐(cwzn2405)ツーリスト 女 23歳 南都守護の天人(五行長の一人、赤燐)
墨染 ぬれ羽(cnww9670)ツーリスト 男 14歳 元・殺し屋人形

ノベル

アドの手元に一枚の旅券が残っているのを確認した深山は手を伸ばすと、自分の旅券を取らずアドを抱え上げた。引き出しを閉め皆と目を合わせると歩き出し、三歩目から徐々に小走りになっていく。次の列車までギリギリではないものの、そう時間に余裕はない。
「随分と無理を通して貰った様だが、あと一つだけ確認して貰いたい」
 抱えられたままアドは深山を見上げ、彼の言葉に皆が耳を傾ける。アドの看板に『問い合わせはしてみるが、期待すんな』と文字が出ると、深山は薄く笑い旅券を取るとアドは通りがかりに居た車掌の頭上、アカシャの上へと飛び乗った。
 汽笛が鳴る中列車へと飛び乗った五人は空いているボックス席を見つけた。赤燐と優が座り、深山の両隣に小柄なエレナとぬれ羽が並ぶ、本来は四人がけのボックス席はほんの少し窮屈に感じるが、これはこれで旅らしい感じだ。
「何だったかしら。この前、本で読んだのよ。えーと、そうそう!ロリータコンプレックス」
 両手を鳴らし赤燐がそう言うと、慌てて手を振り彫刻家の事だと言う。
「おばさんはね、彫刻家が怪しいとは思っているの。14といえば、そろそろ大人になろうとする時期。それが原因だと思うのよね」

「それ、俺も思いました。彫像の中に死体? って、考えちゃいますよね」
「鋳型にしてたりとかね」
 優の言葉にエレナが続き、ぬれ羽も小さく頷くあたり、皆同じことを考えている様だ。
「真実は一つきり。だが憶測ならば星の数もできる」
「でも流石に時間が足りなさすぎるよ馨おじさま。これだけ条件つけてるんだもん。きっと滞在時間も短くしようとして、だらだらっと引き伸ばされちゃう」
「ふむ、だがまだ司書から話を聞いただけ、推理には情報が足りないだろう? 先入観で誰かを疑っては真実が隠れてしまう」
「うーん、ごめんなさいね。どちらかというと、おばさんは皆の意見を聞いておきたいわ。ほら、私はもう、彫刻家が怪しいって思ってるわけじゃない? 違う意見を聞けたら、別の考えも持てると思うの」
 どう?と赤燐が首を傾げると、優とエレナが、静かにぬれ羽も頷く。
「そういう事なら、意見交換といこうか」
「やったぁ。おいたんの情報もあやふやだからねー」
「そうなの?」
 優の問いかけにエレナはびゃっくんの頭を縦に揺らして答える。はは、と薄く笑う深山が優しい視線を投げかけ、優に話しかける。
「彼はとても良い探偵助手なのだが、如何せん本人がああなものだから……」
「なんか、すっごい威嚇してましたよね?」
「おいたん探偵だいっきらいだったの。今はやっと苦手までになったから、ああだけど」
「あら、そうなの?」
「前は姿も見せてくれなくてね。しかし、彼は事件の核心を付くヒントを多く持っている事が多いんだ。本人が重要な情報だと理解していないから、会話の中からヒントを見つけ出すのに苦労もするのだけど、これが意外と面白くてね」
「密室っていうのもあたしたちの思っているのとどっか違うんだと思うんだよねー……」
「そういえば彫刻家は密室を作れる一人なのね。鍵、持ってるんでしょう?」
 探偵達の意見交換は汽笛の音が鳴っても途絶えなかった。



 空の中にある雲の様に、海の上で立つ波の様に。純白の建物はそこに存在すると知っていても、かなり近づいても尚、そこに建物があるとは到底気づけないものだった。
「はじめまして、皆様のご案内をさせていただきます」
 白亜宮に到着するとゆったりとしたズボンに使い古されたエプロン姿の女性が杖を片手に出迎えた。背筋がピンと伸び、固い声で言う姥の視線は鋭く、ようこその一言も名乗りもない事から歓迎されていない事は明白だ。
「今すぐ船に戻られては如何ですか?」
「い、いえ、ご心配なく……」
 ちらと視線だけを動かした姥に言われ、赤燐は引きつった笑顔で答えた。
 白亜宮の船着場は館から離れた位置にある浮橋だ。降り立つのも館へ続く道もゆらんゆらんと揺れる為、赤燐は深山と優の腕をがっちり掴んでいる。姥なりの優しさなのか、迷惑なんだから帰れと言われているのかは、考えないでおこう。
「では、こちらへどうぞ」
 こつん、と杖をつき歩く後ろを皆がついて行く。
「……ごめんなさいね、手摺越しの船はともかく、その」
「ひっくり返らない大丈夫、って解っていても怖いですよね、コレ」
「そうなのよぉ」
「気にしなくていい。建物は頑丈そうだし、あそこまでいけば問題ない」
 小さい声で話す優達をよそに杖を鳴らし歩く姥を見上げエレナが声をかける。
「ねーねー、足、痛いの?」
「……えぇ。貴女方はご存知でしたね。奥方様の時に、驚いて足を捻ってしまいまして」
「だいじょうぶ?」
 心配そうに問うエレナに眉を僅かに動かした姥は
「もう痛くありません。大丈夫ですよ。心配してくれてありがとう」
 その一瞬だけ、優しく応えた。



 足の裏に硬い感触を感じると、ぬれ羽の髪を爽やかな風が舞い上がらせる。浮橋との境目が殆ど無い館へと続くスロープは長く、緩やかな上り坂だ。足元がしっかりとし赤燐も一人で歩ける様になっても、姥の足取りは変わらず遅い。
 多少の時間稼ぎは覚悟していたが、風向きが悪く船の到着も遅れ太陽はもう傾きだしている。皆の心に焦りが見え隠れしだしたというのに、建物の中に入ると姥はここで待つ様にと言いだした。
「皆様の到着をお館様にお知らせしてきますので、こちらでしばらくお待ちください」
「では、合わせて言伝をお願いしたい」
「言伝?」
 怪訝そうに姥が聞き返すと深山は深く頷く。
「了承を得て欲しい、ともいいますか。まず最初に容疑者、我々の仲間へ面会を希望します。傷の度合いにもよりますがここは海上、傷口が膿み伝染病の温床となりかねないので簡単な治療をさせてほしいのです」
 深山が言葉を区切ると優は持参した救急セットを開けてみせる。
「必要な物は持ってきました。お手間はかけません。俺たちは仲間を連れて帰る為に来ています。冤罪が晴れた際、手当が遅かったでは済みません。どうか、お願いします」
「……承知いたしました、お館様にお伝え致します」
「ありがとうございます、それと、我々が見たい場所は庭園、奥方の部屋、彫刻家の作業場、そして建物の足場です。お話を聞かせて頂きたいのは彫刻家、使用人と子供、ここに住む全員です。その足で何度もご足労いただくのは申し訳ありませんので一度で確認をお願いします」
 穏やかな微笑みを湛え聞いていて心地よい声色で言う深山を姥は一度きつく睨むが、承知いたしました、と小さく頭を下げて歩き出す。
「少し、急ぎすぎたかな?」
「大丈夫じゃないかしら。言い返さないあたりあの人もなんとなく、解ってるみたいだし」
 小さくなる姥の背を見送り皆は改めて辺りを見渡す。入ってすぐ目に入ったのは石造りの大きなアーチと、中央にあるネジの様な柱だ。円形の建物は通路の内側が全て見渡せる作りになっており、通路を歩く姥の姿が伺えた。細工の無い簡素なアーチを支える主柱が並び、その間には大人の腰程の高さで柵の様に石が削られ、要所々々に通路と中央の柱を繋ぐ橋が掛かっている。背の低いエレナでは背伸びをしても柵の向こうが見づらいが隙間から外は見える作りだ。
 なんとか柵の向こうも見えるぬれ羽が興味深そうに辺りをキョロキョロすると、急にしゃがみ込こんだ。柵を掴み下の方をじっと眺めた。建物と柱の間には透明な海水がゆらゆらと揺れている。いくつもの突起した岩が覗き、内側を船で移動する事はできない様だ。岩の先も丸く光加減からして表面はつやつやと滑る、まるで鍾乳洞の様だ。
 じっとしたを見ていたぬれ羽がついついと優の服をひっぱると、僅かに見える陸地のところを指差した。
「あそこ、何かあるの?」
 優の問いかけにぬれ羽が頷き、優が空を見上げると青空から二羽のオウルが降りてくる。優と深山のオウルは到着前から辺りを飛び外観や構造をチェックしていた。外から見る限り特に変わった所はないのだが、敢えて言うのなら想像していたよりも建物が小さかった事だろうか。白亜館という名の割に、建物は平屋の様に平坦な造りをしており、中央の柱部分が屋根から飛び出ている状態だ。庭園があるのだろう場所は天井こそ無いものの周囲を透かし彫りの壁に囲まれ、今は薄汚れた布で覆い隠されている。余りに不可解だがオウルでは布を避ける力はなく、この事を聞くのはまだ早すぎると判断した二人が丁度、内部を捜索させる所だった。
 ぬれ羽の指した陸地は建物の床下に当たり、建物と同じ白い岩場には潮の満ち引きを示す境界線がくっきりと残っている。その周囲に柱はなく、荒削りの岩壁と扉が見える事から陸地は全て元々あった岩場を削って作り上げた様だ。
 扉の下とその周囲の岩壁には数センチの隙間があり、水位を考えると満潮時には隙間から海水が入り込む仕組みになっている。オウルの視界なら、と隙間から内部を覗いてみるが、薄汚れた壁と家具の足が見えるだけで、この部屋が何の為にあるのかはわからない。
「まさか、この部屋に水が入るから一部浸水する、とか?」
 はは、と軽い口調で優が言うがエレナと深山はありえる、と言いたげな顔をで考えこんでしまう。
「あたしは助かるけどね」
 またぬれ羽が優の服を引っ張ると、今度は柱の向こうを指差す。優は急ぎタイムを羽ばたかせ部屋から人が出てくるのを見つけると、タイムを近くに留まらせる。
「使用人さんと子供達かな。案内してくれた人こっちに戻ってくるみたい。……あ」
「ゆっちゃ?」
「タイムが見つかっちゃって、子供が手を振ってる、んだけど……」
 足が無いんだ、と苦しそうな声で言う。
「その子だけじゃない、みたい。案内してくれた人と同じエプロン付けた人が5人、子供抱えて歩ける子と手を繋いでる。これで全員かな?」
「……6人?」
 少し間を開け、エレナが首を傾げて人数を確認する。
「うん、案内してくれた人と、子供抱えてる人が5人、子供が8人……何か、変?」
「うん、変」
 さらっとエレナが返事をすると、優がえぇ?と困惑した声を漏らすが、かつん、と杖の音が聞こえその答えは後に持ち越された。
「面会が許可されました。彫刻家様のお部屋の前を通りますので、そちらも合わせてご案内いたします。こちらへどうぞ」
 歩きながら、姥は説明を続ける。
「これ以外はお館様が了承しませんでしたので、お控えください」
「みんなとお話できないの?」
 そうです、と短く答える姥にエレナは続けて質問をする。
「奥方のお部屋も?」
「元々お館様と私以外、入れない部屋でございます」
「庭園も? 流石にここは入れないと困っちゃうんだけどな」
「お館様と彫刻家様しか鍵を扱えませんので、私に言われても無理でございます。まぁ、彫刻家様の機嫌次第では、入ることもできるのではないでしょうか」
 はっきりとした断りの返答を続ける姥にエレナは最後にこう質問する。
「貴方は一緒に庭園にいたの?」
「えぇ、いましたよ」
「知りたい事の答えは聞いたら全部答えてくれるの?」
「お館様から返答の全ては任されております。きちんとした理由がございましたら、私が知る限りは、お答えいたしましょう」
 エレナとの会話を聞きながら優は不安げに姥の後ろ姿を見る。
 きちんと返事を返す辺り良い人なんだろう。けれども、なんというか、依頼を聞いたときから薄々思っていたけど。
――真実を暴かれたくないみたいだ。
 ひんやりとした空気の廊下を進む姥は、部屋の前で立ち止まり天井から伸びる紐を引く。カランカランと薄い石がぶつかる音が響き、少しして部屋から彫刻家が出てきた。
 伸ばし放題のぼさぼさの髪から顔は見えず、ゆったりとしたズボンとシャツに猫背という姿はやる気のなさを倍増させる。エプロンは着けていないが洋服は姥と同じ物で、綺麗だが使い込まれている様だ。
「それでは、お話が終わりましたらお呼びください」
「いえ、この場に残るのは二人だけ、私達は仲間の元へお願いします」
 深山がそう言うと時間稼ぎをするつもりだったのか、姥は眉間に皺を寄せる。
「どうぞ」
 掠れた声の招きにエレナと赤燐が部屋へと入っていく。
「……わかりました」
 部屋を一瞥した姥は苦々しそうに言うとまた歩き出した。



 優達が案内されたのは先程見つけた浸水する部屋だった。通路から橋を渡り中央の柱を経由して別の通路へと来ただけで、いつの間に階下に来たのだろうと優が振り向くと、柱を境目に通路の位置がずれている事に気がつく。建物自体が斜めになっており、通路は緩やかな坂道になっている様だ。
 海水の香りがする部屋入ると壁一面に棚が置かれ、所狭しと瓶が並ぶ。部屋の中央に置かれた寝台に女性が横たわっているのを見つけると、優と深山は駆け足で歩み寄る。使い込まれたシーツから覗く手には、お世辞にも綺麗とは言えない包帯が巻かれている。深山はロストナンバーの手に旅券を置きその手を両手で包み込んだ。
「聞こえるかい? もう大丈夫だ。必ず君を助けるよ」
 深山の声が聞こえたのか、彼女はうっすらと目を開け目だけでそちらを見る。顔色は悪く呼吸も浅いが、まだ助かりそうな様子を見て深山はもう一度強く手を握る。
「大丈夫だよ」
 返答はないが、穏やかな色を称える瞳を深山に向け、彼女はまた瞼を閉じた。ゆっくりと胸が上下するのを確認し、深山達は部屋を後にする。
「……治療、してくれていたんですね」
 救急セットを抱えた優が振り返ると、姥は不機嫌そうな顔のまま
「していない、とは申してません」
「いえ、その、ありがとうございます。確認すれば良かったんですよね」
「その通りだ。申し訳ない。〝奥方を殺害した容疑者〟ですから治療は望めない物と……」
「普通ならそうですね。誤解の無い様に申し上げますが、治療したのは苦痛の余り暴れられては困るからです。どうせ助かる見込みもありませんから、簡単な治療しかしておりませんよ」
「その割には穏やかに寝ています」
「……ところで、奥方を殺されたのだから私達はその方を見殺しにすると思っていた、という事でよろしかったでしょうか?」
「そうですね」
 深山が低い声で言うと姥が止まる。緊張のあまり優は息を止めて姥を見るが表情に変化はない。
「治療とは名ばかりの血止めと麻酔は暴れない様に打っただけです。もう一度言いますが、その方は放っておいても亡くなります。私達がその方を殺す必要はありません」
 表情こそ変わらないものの、姥は声を荒げるのを必死で抑えて語る。ブルーインブルーの医療技術では助からない、と。
「……ここで人が、死んだら……どこにうめる?」
 思わぬ人物からの質問に姥は驚き肩を震わせる。落ち着きを取り戻そうと一度深く深呼吸をした姥は
「墓に入れます」
 と短く答えた。どこにあるの、と聞きたそうにぬれ羽が首を傾けるが、姥は小さく首を横に振り答えるのを拒否した。
「そして、奥方の遺体も見せていただけない」
「そうです。親族でもなく、特別親交があったわけでもない。あの方を仲間だという客人にお見せできるわけがありません」
「だから奥方の部屋も見せられない、と?」
「その通りです。真っ当な理由すらないのに……」
「理由を言えば、考えていただけますか? 遺体を見る事も、奥方の部屋を調べる事も」
 深山と姥の会話を遮るように優が言うと、姥は身体を優へと向ける。
「内容次第では」
 姥がそう答えると一陣の風が吹き抜けた。
「では、遺体を見せて頂きたい理由から説明いたしましょう。我々が遺体を見たいのは死因をはっきりさせたいからです。聞いた情報だけでは死因が特定できない。〝腹部に血があったと聞いている〟がそれが刺し傷による物なのか、出血のシミなのか解らないのですよ。ぬれ羽君」
 呼ばれ、ぬれ羽はてこてこと歩き優の隣に立つ。
「仮に、腹部の血痕が致命傷となった刺し傷とします。優君を奥方と仮定した場合、腹部にナイフを突き立てるのなら犯人は小さな奥方よりさらに小さい子供。ナイフを持った大人なら首を切った方が早い」
 ぬれ羽が手を優の腹部へと伸ばすと姥が肩を大きく膨らませたが、深山は手で姥を制止する。
「勿論、孤児として引き取られた子供にはできないはずです。そんな事をしたらここから追い出され生きる事ができなくなってしまう。しかし、誰かに命令されたのなら、わからない。よって確認したいと、彼は言いました」
 姥が深山の視線をなぞりぬれ羽を見ると、少年は小さく頷いた。
「ナイフではなく他に考えられる凶器はないか。そう考えた結果、奥方の部屋を見たいと言ったのが、優君」
「口から吐血があった事から毒による、毒殺だと、思いました。犯人が、彫刻家さんか領主さんかはわかりません」
「毒が部屋にあるかどうか……いえ、違いますね……。あなた方なら既に隠されていると考えるのが通り。それでもなお部屋を見たいというのは、犯人がわかる証拠になりそうな物が、犯行動機を確認する事ができるものがある、そうですね?」
「……失礼ですが、奥方は、妊娠されていませんでしたか」
 その言葉に姥は唇をぐっと結び両手でエプロンを握る。
「犯行動機としてもですが、奥方は妊娠した事により彫刻家のモデルになり得る幼い少女のルールから逸脱してしまった、だから悲劇が起きたのではと思いました。毒殺なら疑われ易いのはお茶を用意する使用人ですが、こちらも動機がないはずです。どう、でしょうか。これでは奥方の部屋に入る理由にはなりませんか」
 荒い呼吸を沈めようと姥の肩は大きく上下する。その姿は激怒しているというより隠しきれない動揺を抑えようとしている風だ。ゆっくり、ゆっくりと呼吸を整えた姥はやがて観念した様に言う。
「……仰る通り、奥方様はお子を宿していらっしゃいました」
 それきり、姥は何かを言おうとしては口ごもり、視線をあちこちに揺らす。
「……おくがた、会わせて?」
 考える事が苦手なぬれ羽も一生懸命考えるが、やはり最後には死体を見たいという考えに行き着く。ぬれ羽の真っ直ぐな視線から姥が視線を逸らすと、深山が言う。
「奥方の部屋に入れたくない理由もあるのでしょうが、死因もわからないのでは困ります。妻の死因が刺殺なら鍵を持つ二人と子供が、毒殺なら仕込む隙のあった使用人が疑わしい。これはこの館にいる全員です。貴方が決定権を持っている以上、どれかは了承していただかなければ……我々は真実を解き明かしたいわけではなく救いたい者の為、もし犯人がいるのなら、これ以上罪を重ねさせない為にここにいるのです」
 強く握られぐしゃぐしゃになったエプロンが僅かに持ち上がると優が静かな声で姥に語りかける。
「遺体は、どちらにありますか」
 最早どうしようもないと悟ったのか、姥は力なくうなだれると短く答える。
「……庭園です」
 三人は塔を見上げた。



 壁、床、天井、室内の壁面という壁面全てに彫り細工があるのを見上げエレナと赤燐はわぁ、と弾んだ声を漏らす。花や魚、海魔だろう不思議な生き物から幾何学模様まで。どれも美しく、繊細な陰影がはっきりとつけられており見ているだけで楽しい気分になるのは、やはり女性だからだろうか。
 二人が楽しそうに模様を見ているのが嬉しいのか、背もたれのある椅子に着いた彫刻家が笑う気配がし赤燐が振り返る。彫刻家の側にはちゃんと二つの椅子が置かれている。
「ねえ、失礼でなければ、なんだけれど。名前を知りたいの」
「名前?」
「そう。貴方の名前。ああ、私の名前は赤燐よ。こういうのは自分から名乗るのが礼儀よね?」
「エレナだよ。こっちはびゃっくん」
 赤燐とうさぎの手をふりふりと動かし言うエレナを見た彫刻家は少しの間を開け、辺りを見回した。
「そう、ね。ピエドラよ」
 戸惑いがちに言うその言葉は本当の名前ではないと察するが、赤燐は気にせず、声をかける。
「いい名前ね。この部屋の模様もピエドラが彫ったの?」
「そうよ」
「全部一人で?」
「そうよ。あたししかしないわ」
「へー、石が好きなんだね!」
「え?」
 彫刻が好き、ではなく石が好きだと言われピエドラが不思議そうな声を出すと、何故かエレナも目を丸くし驚いている。
「あれ、違うの? 〝石〟って名前を名乗るくらいだから、てっきり石が好きなんだと思ってた」
 エレナが悪びれた様子もなくにこやかに言うと、ピエドラの身体が固まる。しかし、エレナの言葉は止まらない。
「館の装飾も庭園の彫刻もやって部屋全部に細工して、あそこにある塊もこれから彫るんでしょ? ねぇ、あたしはモデルになれない?」
「なれないわね」
「残念。どうしてか聞いてもいい?」
「眩しいからよ」
「うーん? よく解んないけどコダワリなんだよね。じゃぁあかねちゃんは?」
「あかねちゃん?」
 うん、と大きく頷きエレナは赤燐を見る。
「あかいおねーちゃんだからあかねちゃん。可愛いでしょ? それとも小さい子じゃないとやっぱりダメなのかな?」
「そうね。小さい方がいいわ」
「それもどうしてか、聞いていい?」
「そっちの方が好きで……愛してるから」
 にんまりと笑いピエドラは自分がいかに幼子が好きかを語る。
「甘い香りと柔らかい肌。ほんのりと暖かい体温を胸に抱くのは最高よ。目の前にいるあたしだけを見つめる瞳も、はっきりと言えない声でもあたしを呼ぶ声も、心が締め付けられるような喜びに震えるの。小さな掌を目一杯動かして、懸命にしがみついて、離れると側に居たいと追いかけたり、泣き叫んだりする。行動も花の様な笑顔もぐずる鳴き声も何もかもを愛しているわ」
「あなたは……」
 重苦しい声を出した赤燐は続く言葉を言い出せず、俯いてしまう。
 300年という年月を生きた赤燐は、多くの命の誕生と別れを見てきた。赤燐も妻という立場に居た為、そういった出来事を見守る事もあった。嘆く人と共に泣き、慰めもした。その中には悲しい分かれも多々あり、その後、ピエドラと同じ様に石と呼ばれる女性も居た。しかし、同時に楽しい事も多くあったのだ。
「あなた、娘がいたのね……」
 ぼさぼさの髪で顔は見えなくとも、狂った愛情を装ったとしても、娘を愛した母情は隠しきれない。腕に抱いた我が子の温もりを語る声を偽る事など、愛していればいるほどできない事だ。
 赤燐の言葉にピエドラは何も答えない。
「……あかねちゃんがいてよかった。あたしじゃ気がつけなかったもん」
 エレナは素直にそう言うと、椅子を飛び降りピエドラの前に立つ。
「あのね、あたしたちは真実解明と、一刻も早く冤罪を晴らして、仲間と一緒に帰って傷の手当てをちゃんとしたいの」
 でもね、とエレナはピエドラの手を握り語り続ける
「誰も彼も幸せになれないような真相なら、あたしは秘密を守る取引をしたっていいの。子供たちが辛い思いをするのはいやだもん。最優先は冤罪を晴らして助ける事、そして困っている状況を解決する事、それだけなんだよ」
「……犯人を、見つけに来たのではなかったの?」
「それは目的じゃなくて手段の方だよ。仲間を開放してくれれば犯人探しは必要じゃないの。でもここの領主さんはちゃんとした説明をしろって言ったんだ。だからね、お願い。庭園の鍵を開けてくれない?」
「庭園に行けば説明ができるというの?」
「そこに全てが集まってる。そうでしょ?」
「……もう、貴方たちは解っているのね」
「全部じゃないよ。それを確認する為にも庭園に行きたいの」
 にっこりと笑い言うエレナの無邪気さ憂いた様子を覗かせる赤燐の対比に、ピエドラは小さく吹き出すと、ため息混じりに呟いた。
「鍵を、開けるわ」




 姥が扉を開けるとまばゆい光と風が射し込み、優達は腕で顔を覆い目を細める。
 その名に相応しく白一色の世界を見せた白亜庭園も、そう広くなく、奥方の姿は直ぐに確認できた。椅子とテーブルは横に避けられ、周囲の花嫁や天使の彫像に見守られる様な状態で横たわる奥方の姿は、姥達と同じ洋服に身を包んでいるが、一目見て死因が思い当たる状態だ。落ち窪んだ瞳と痩せこけた頬、腕と足は横にある椅子の足よりも細いのに、お腹だけがぽっこりと膨らんでいる。
 言葉もないまま、優達はそれぞれのやり方で奥方の安らかな眠りを祈り、今までの情報を整理する。
 思えば、司書は一言も〝奥方が殺された〟とは言っていない。〝奥方が病死した場所に〟転移しただけで、最初から犯人などいなかったのだろう。何故病死と言い切れるのかは、この白亜館の住人とその条件を並べるとなんとなく見えてくる。
 来客を好ましく思わず、住人すら入れない部屋は庭園意外にも存在する。ロストナンバーのいた最下層の部屋は多くの棚にいくつもの瓶があり、彼女があの部屋に置かれたのも治療の為だろう。オウルの視界で見つけた孤児達は身体の一部が欠損しており、大人1人につき子供は1人、多くても2人までという徹底ぶりだ。
 寄せられた椅子にエレナが手をそっと置く。その記憶を読み取ると皆に聞こえるよう、呟いた。
「毎日決まった時間のお茶会、一日に5回もしてたんだ」
「そういえば、奥方はとても規則正しい生活をなさっていたと、聞きましたが」
 深山が言うと、姥は疲れきった声で答える。
「奥方だけではありません。毎日、皆、決まった時間に起きて食事を取り、勉学に励み適度な運動を行い、お茶会をしています」
 規則正しいスケジュールを聞いて、そうか、と優は小さく呟く。
 何よりも、白亜館の有り様を示しているのは、この館の白さ。どこか閉ざされたこの白亜館は、
「ここは、病院だ」
「いいえ、墓場よ」
 優の言葉を遮る様にピエドラが怒声交じりの声で言うと、姥が彼女の前に腕を伸ばし、落ち着く様に促す。
「容疑者が必要だった理由と、奥方が死亡したという連絡をジャンクヘヴン政府にも伝えていないのは関係があるのかな」
 ぱらりとノートを捲り、深山は視線をノートから姥へと向けた。ノートにはアドに調べて貰った事の返事が書かれている。
 それは奥方が死亡した事が領主名で伝えられているか、だ。
 領主もそれなりの地位だが、奥方は更に上に当たる貴族だという。それならば、ジャンクヘヴン政府や奥方の実家に何らかの連絡が行く筈だ。しかし、アドの返事には〝そんな連絡はない〟とある。
 深山の言葉に彫刻家はがっくりと膝を付く。姥も杖を支えに立っているのがやっとの様で、かたかたと音をさせている。
「治療をしても彼女は助からないでしょう。どこから来たのか、検討もつかない人を帰す場所はありません。ですから、彼女の遺体を奥方の遺体として、使おうと思いました」
「何故……」
 切羽詰ったような声で優が呟くと、姥は彫刻を見上げ白亜館の事を語りだす。
 弱者は淘汰される世界において、幼い娘を亡くした母親は悲しみの余り娘の彫刻を延々と掘り続けた。それを見つけたのは、命と金銭の天秤に苦悩する医者。涙も枯れた二人は自己満足と無意味の塊を作ろうと決めた。手の届く範囲で理想の世界を作る。それがこの白亜館。
「身寄りもなく死ぬしかない子供を集め、せめて苦しくない様にと僅かな治療を施し、最後はここの墓で眠らせていました。ある日、懇意にしてくださっている方から、奥様の事を知らされたのです。とある貴族が娘を引き取って欲しいと言っている、と」
 嫌な予感しかしないまま、誰も何も言わず姥の話を聞き続ける。
「お察しの通り、病弱な娘が誰とも知らぬ子を身篭り、邪魔だから引き取れという内容です。貴族の中ではよくある事ですが気分の良い物ではありませんが、断れば奥方様はどうなるか……。悩んだ末にお館様は婚姻という形で奥様を引き取り、奥様の病気を治し子供も産める様、治療する事にしました。せめてもの意趣返しです」
「それが、突然の死によってできなくなってしまい、遺体をすり替えようとした、か。確かに、そんなご両親じゃ娘の姿が違っても気が付かないだろうね」
 じっと静かに話を聞いていたぬれ羽も心がざわつくのか、胸元をもそもそと掻いている。
「それももう、必要ありませんね。ジャンクヘヴンに伝わった今、奥方様のご実家にも連絡が……」
「ご心配なく、まだ伝わっていません」
 え、と姥が顔を上げると深山はこう続ける。
「ジャンクへヴンの面子を潰す訳にもいきませんからね、こちらが五月蝿くして何か言ってきていないか、と問い合せただけです。そして、今回の事を伝える必要もないと思っています。白亜館の悪評になりかねない」
「内緒のままにしたほうがいいこともあるんだよ。だから、連れて帰ってもいいでしょう? 領主さん」
 姥を見たままエレナがそう言うと姥はピエドラを振り返るが、彼女も慌てて首を横に振る。
「……いつ、気がつきました」
 溜息の後に短く言う姥の声は、少しだけ穏やかな物になっている。ばさり、と頭上で羽音が聞こえピエドラと姥が顔を動かすと、二羽のオウルが辺りを旋回し優と深山の腕に留まる。
「すいません。この鳥の見てる物、俺達も見れるんです」
 姥が領主がである事に気がついたのは勿論、タイムの視界で見つけた使用人と子供達姿からだ。姥の他に5人の大人と8人の子供が存在し、この時点で彫刻家も一緒にいるのだろうかとも思われたが、彫刻家は部屋に居た。彫刻家がいなかったのなら、司書から聞いた人数より使用人が1人、多い事になる。そして、杖をついている人物は領主しかいないハズでもあるのに、案内役の姥は杖をついている。
「見慣れない鳥がいると思いましたが……。それは、防ぎ様がありませんね」
 疲労感漂う領主が困った様に笑うと、皆も微笑みを向ける。思い返せば優達は最初から〝この館には女しかいない〟と聞いていたのだ。何故、女性領主の元に女性の奥方が嫁ぐ事ができたのかは疑問だが、疑いが晴れた今、これ以上は彼女達の事情を詮索する必要はないだろう。
「ご迷惑をおかけしました、どうぞ、お仲間はお連れください。ですが、一つだけ」
「なんでしょう」
「……預かり物がありますので、そちらもお持ちください」
「私たち宛に、預かり物? いったい何……いえ、誰からかしら?」
「一枚の絵を預かっています。預けた方はこの白亜館に大変関わり深い方でして、お預かりした時は本当にこれを手渡す事があるのだろうかと思ったのですが……。子供を連れて来てくれる人ですと言えば、皆様ならお解りいただけますね」
 領主がそこまで伝えると、ピエドラは彫刻の後ろから布に包まれ、十字に紐をかけられた一枚の絵を取り出す。
「それって」
「こちらの絵を〝血の富豪〟ガルタンロック様より皆様へ、『長い間お借りして申し訳ない。この通り、お返しいたします』との事です」
 思わぬ人の名に、探偵達は息を飲み込んだ。



 探偵達と保護したロストナンバーと一枚の絵を乗せた船は海原を行く。
 また訪れる事があるのか、白亜館はいつまでも白く輝いていた。

クリエイターコメントこんにちは、桐原です。この度は企画シナリオを担当させていただき、ありがとうございました。

ミステリモドキでのお届けになっていそうですが、楽しんでいただければ、と思います。




 ノベル内の理由にもなっていますが、申請内容にて『奥方が死亡した場所』とありましたので、殺人では無い方がいいのかなとおもい、病死としました。読み違えておりましたらすみません。


 ガルタンロック出張もすいません。運んでいただいたのは以前別ノベルにてお預かりしている絵なのですが、参加者様にはぜんっぜん関係ないのですが、せっかくですのでちょっと関わらせてみました。
 皆様の今後のきっかけの一つとしていただけたら、と思います。が、関わりたくねぇよ、という事なら忘れてください。



 問題がありましたら、お手数ですが事務局経由にてご連絡くださいませ。




 それでは、改めてありがとうございました。よろしければまた、お会いしましょう。
公開日時2012-08-06(月) 22:10

 

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