■0■ 村はずれの小さな酒場の扉を一人の男が開いた。カウンター奥でタンブラーグラスを拭いていたバーテンは「まだ準備中なんですよ」と愛想笑いを浮かべようとして“ま”の形の口のまま固まった。その手から布巾とグラスが滑り落ち、床の上でけたたましい音をたてている。 悪い夢でも見ているような気分でバーテンは首を横に振った。昨夜は少し飲み過ぎたようだ。だいたいサムが(以下略※) トレンチコートの襟を立てハードボイルドな探偵が好みそうな中折れソフトハットを目深に被ったその男は、グラスの割れる甲高い音にわずかに眉を顰めただけで、その巨躯を小さく屈めるようにして中へと入ってきた。 バーテンの縦にも横にも2倍はありそうな巨体だ。今にも天井をぶち破りそうである。トレンチコートの裾から覗く鱗に覆われた黒い棘の生えた尾にバーテンは思わず息を飲んだ。 窮屈そうに身を屈めているだけなのだろうが、カウンター越しであるにも関わらず、易々と覆い被さりそうな迫力を伴ってバーテンを見下ろすようにして男は立った。そしておもむろに外套の内側に手を入れる。バーテンはそれを呆けたように見つめていた。銃が出てくるかもしれない、或いはナイフか、などと脳裏で別の自分が慌てふためいていたが、表向きは平静そのものに見えた。もちろん見えるだけだ。 男は一枚の紙切れをカウンターの上に置いた。 「この男だ」 男の声はひどくしゃがれたものだった。 見ろとでもいう風に顎をしゃくる男にバーテンが紙切れを覗き込む。 どうやら写真のようだ。少年と呼ぶには大人びた、青年と呼ぶには幼さの残るさわやかな笑顔を振りまいた男がこちらにVサインを向けていた。 「知らないか?」 男が尋ねた。この写真の人物の行方を聞いているらしい。男の剣呑とした威圧感にバーテンはごくりと生唾を飲み込みながら首を横に振った。 男は写真を懐に戻した。 「邪魔したな」 そう言ってさっさと立ち去ろうとする。 バーテンはその背に向かって慎重に問いかけた。 「そいつが何かやらかしたのか?」 男はつと立ち止まりこちらを振り返ることなく低い声で答えた。 「知らなくていいことだ。それより……」 そこで男はバーテンを振り返った。何かを求めるようなそんな目を一瞬だけして諦めたように首を振りながら「何でもない」と呟くと男は扉の向こうに消えた。 ハードボイルドな香りだけを残して。 ようやくバーテンは息を吐いた。見上げた天井にはもちろん傷一つなかった。 バーテンは大八車を引きながら森を歩いていた。 森の奥に住む錬金術師のところに酒を仕入れに行くためだ。錬金術の研究の過程でたまたま偶然出来たとかいう酒が、その胡散臭さとは裏腹に殊の外人気で、週に一度仕入れに行くのが彼の日課だったのである。 しかし先刻のあれはなんだったのだろう。知らなくていいこと、とはやはり知らない方がいいこと、という意味なのだろうか。ならば知らない方がいいに違いない。 「くわばら、くわばら」 彼はそう呟いて、錬金術師の家の前に大八車を置いた。 ドアをノックすると、程なくして中からドアが開く。 くわばら、とは雷避けのおまじないであったとバーテンは己の迂闊さを呪った。 「やあ、どちらさま?」 まるで写真の中から飛び出してきたようなさわやかな好青年が、さわやかな笑顔で彼を出迎えていた。 「あ……」 彼のやらかしたことが“家出”であるとバーテンが知ったのはそれからわずか5秒後のことである。 さわやかな笑顔の後方から徐々にクローズアップされる『続・まおゆうたん』の文字。タイトルバックには玄界灘に打ち寄せる波飛沫。右下には夢倫のマーク。ほどなくしてチャラチャチャッチャッチャーという軽快なリズムと共にタイトルはフェイドアウトしていった。 ■1■ 「お酒、作ってたんですね」 マフへの口止めをしてバーテンを送り出した後、優は広々とした酒造場を珍しげに見渡しながら、この家の主――錬金術師のYに声をかけた。城にも酒蔵はあるが、酒を造ったことはない優である。 自分と歳が変わらないくらいの女性が1人でこんな森の奥深くで暮らしていることも不思議であったが、それ以上にこんな大きな酒造場を持っていることにも驚いていた。 ちなみに、これはどうでもいい話だが、何故優がYの家にいるのかと言うと、行き倒れになっていたところをYに拾われたからである。サバイバルに長けたユーウォンがいながら行き倒れになることなどあるのか、といえばそれにはそこそこ複雑な事情があった――。 事の起こりは半月ほど前。 魔王優と魔王の秘書絵奈のちょっとしたイザコザに端を発する。断固ナメクジ料理を反対する絵奈と、ナメクジ料理の完成を目指す優との間にはどうにも歩み寄ることの出来ない深い溝があったのだ。 壱番世界でも発展途上国の食糧難を救う食材として、最近、昆虫料理が大きくクローズアップされていた。そこで優は、今、昆虫料理はとても熱いのだ、と主張してみたのだ。 しかし、それに絵奈が譲ることは決してなかった。 少なくともこの魔王城に於いては食糧難でも何でもないのに、わざわざ食べる必要はありません、というのが絵奈の言い分である。 「それ以前に、食糧難のためにナメクジ料理を作ろうというわけでもありませんよね?」 絵奈がにこやかに言った。言外にどうせ興味本位とか好奇心だけでしょ、と言っている。まったくもって図星であったから優は次の言葉を失った。何より。絵奈の顔はにこやかだったが、目は全く笑っていなかったのである。 かくて、そんな絵奈が怖過ぎて魔王優は城を逃げ出したのだった。 魔王ともあろうものが秘書怖さに逃げ出すなんて……。 しかし、そんな優についてきた者があった。絶世の美少女でありながらあまりそれと認識されることのないゼロとサバイバルを得意とする有翼竜のユーウォンだ。どちらもナメクジ料理賛同者である。 「行く当てがないならゼロが世界よりも大きくなるのです」 そこに魔王の国を作ればいいとゼロが言った。 「ありがとう。でも、そうしたら僕はゼロと一緒にナメクジ料理を作れなくなってしまうよ」 優が笑うと、それにゼロは困ったような顔を返した。 「だから、まずはナメクジ料理を完成させよう」 続けた優にゼロが力強く頷いた。 そんな次第で、優はゼロとユーウォンの2人を伴いナメクジ料理を求める旅を始めることにしたのだが。 それは決して平易な旅ではなかった。 程なくして3人は竜巻に巻き込まれたのである。建物の中にいて竜巻が近づいていたことに気付くのが遅れたことが敗因だったろう。轟音と共に崩れ始めた建物に慌てたユーウォンがゼロと優を抱えて飛び立った。もしもっと早く気付いていたなら、ゼロが巨大化し竜巻を遮ってしまうという選択肢もあったかもしれなかったのだが……。 とにもかくにもユーウォンが全力で強風の中2人を抱えて飛んだため、彼は体力を消耗しきってしまった。もちろん、強風に耐え続けた優も疲れきっていた。元々、旅の疲れもあったのだ。 結果、竜巻から投げ出された3人は、サバイバルをする余力もなく、森の中に行き倒れてしまったのである。 うつ伏せにまるで死体のようにぐったり倒れている優とユーウォンに、こういう時はこういうものなのか、と思ったのかどうかは不明だが――恐らくはこれがあれだから――普段はメンテナンスフリーなゼロも一緒に指一本動かせない風で倒れていた。 そこへ訪れたのが彼女である。 「大丈夫?」 かけられた声に瀕死の3人が顔をあげた先では、色黒の肌に映えるようなピンクの長い髪と、神秘的な深みのある紫の瞳が印象的な女性が覗き込むようにして優たちを見下ろしていた。 天使か女神の光臨か。 3人はYに拾われ食料を分けてもらい元気を取り戻し現在に至ったわけである。 閑話休題――。 「ただの副産物よ」 優の問いにYは困ったように肩を竦めながら、戸棚からグラスを取り出した。ヴェネチアングラスを思わせるレース柄の気泡グラスだ。それに優が見とれているとYは3人を振り返って尋ねた。 「飲んでみる?」 「いいの?」 ユーウォンがわくわくと両の手で拳を握る。尻尾が落ち着かなげにバタつかせた。まるでお預けを待っている子犬のそれだ。 一体何の副産物なのか、気にならないでもなかったが、こんな森の奥までバーテンが仕入れにくるほどの酒だ。よほど美味しいに違いないと思われた。 「是非にも」 優が笑みを返した。壱番世界の日本であれば未成年の彼だ。しかしアメリカでは18歳で成人である。ヨーロッパ圏の国よっては16歳から飲酒が可能だ。つまり同じ世界であっても所変われば法変わる。何より、この世界は自分が法律、自分が魔王。そこに頓着などする必要もない。 「ゼロも飲んでみたいのです」 とゼロも元気よく挙手してみせる。 Yは酒樽の栓を開いて4つのグラスに琥珀色の液体を注ぎ入れると、それぞれを3人に手渡した。スコッチを思わせる見た目に反して香りはずっとフルーティだ。 「では、お近づきの印に」 4つ目のグラスをY自身が手にとって掲げてみせる。 「「「「乾杯」」」」 誰ともなしに唱和して4人は酒を喉の奥へと流し込んだ。 「ん、美味しい……」 リンゴジュースみたいな酸味の後から、アルコールに溶けた果実の芳香が風にのってぶわっと押し寄せてくるような錯覚を感じさせる清涼感に包まれる。度数は高めだが甘みを含んでいるせいか飲みやすい。それでいて後味もすっきりしている。うっかり飲み過ぎてしまいそうな酒だった。つまみが欲しくなる。 「心地よいまどろみに誘ってくれそうなのです」 まだ一口飲んだだけなのに、トロンとした目でゼロが言った。 「うんうん。初めて飲んだよ。美味しいよね、原料は何なの?」 ユーウォンがオレンジの目を子供のように輝かせながら興味津々で尋ねた。 「ピーレープという黄金の果実よ」 Yは冷蔵庫から金色のそれを取り出して見せた。桃のような形の果実が、30cmほどの枝に鈴なりについている。果実の大きさは苺ほどだろうか。 「このままでも食べられるの?」 尋ねるユーウォンにYは「食べてみる?」と意味深な笑みを返して、もいだピーレープの実を3人に差し出した。 その直後、Yの家から絶叫が聞こえてきたという。 ピーレープの味については推して知るべし。 後に優は干し柿にすれば美味しいのにね、みたいな感じだった、と秘書の絵奈に語ったという。 「ところで3人は一体?」 Yはピーレープを試食した3人の反応を十分に楽しんでから、口直しのナッツを広げて尋ねた。 「ナメクジ料理を探しているんです」 優が答える。 「ナメクジ……料理? ナメクジを食べるの?」 Yが少し驚いたような顔をして言った。彼女の感覚ではナメクジは研究材料ではあっても食材ではなかったからだ。 「うん。でも、塩をかけると溶けてしまうんだ」 実は塩水なら溶けない事も、塩水で煮沸すればいい事も、この時点の彼らは気づいていなかった。塩はダメ、砂糖もダメ、という先入観ゆえに何となく塩水もダメな気がしていたのである。 「……」 Yがしばし沈思するのを優とゼロとユーウォンが見守っていた。 やがてYが口を開く。 「ビールはどうかしら?」 「ビール?」 彼女の言に優は考えもしなかったとでもいう風に身を乗り出した。ビールという発想はどこからきらものなのか。 「以前、バーテンが酒蔵の話をしていたのよ。ビール樽にナメクジが湧いて困るって」 Yはその時のバーテンを真似てでもいるのか肩を竦めてみせた。 「ビールにナメクジさんが湧くのですか」 ゼロが不思議そうに首を傾げた。彼女の脳裏にはビールの中からぽこぽことナメクジが湧いて出てくる姿が浮かんでいるらしい。 「ナメクジさんはビールから生まれてくるんだったんですね」 得たり顔のゼロに「少し違うわ」とYは苦笑を滲ませつつ言った。 「ナメクジはどうやらビールが大好きらしくてね、ビールに群がってくるのよ」 どうやら麦芽の香りに誘われてくるようだ。優は目を見張った。ナメクジを集めるのに土を掘り返してなかなか苦労していたが、実はそれを利用すれば簡単にナメクジを確保出来るのでは、と思い至ったからだ。 「ビールから生まれるわけではないのですね。ナメクジさんもビールを飲むのですか?」 ゼロが尋ねた。 「そうらしいわね。溺死するナメクジもあるらしいけど。飲み逃げする酒豪もいるそうよ」 Yは楽しそうに「ふふふ」と笑って答える。 「酒豪のナメクジさん……それは是非会ってみたいのです。ゼロと飲み比べするのです」 ゼロが拳を握って意気込んだ。 「ビールならナメクジは縮まない。それで料理してみてはどうかしら? 酒蒸しとか」 と、Yは優の方を見やる。 ――酒蒸し!? 優は目から鱗な気分でYを見返した。 「なるほど」 料理のさしすせそと言えば砂糖・塩・酢・醤油・味噌。それが先行しすぎて忘れていたが、あれはただ調味料を入れる順番を示すものだった。用途によって入れるタイミングの変わる酒が入っていないのは道理。フランス料理にはワイン、中華料理には紹興酒、もちろん和食には清酒。確かビール煮はベルギー料理だったか。酒は料理にかかすことの出来ない調味料の一つである。酒に漬ければアルコール消毒、更に煮沸して熱消毒。 「うん、いいかも」 優はあれこれ脳裏にイメージしてみる。一瞬にして世界は広がった、そんな気分だ。これならあの頑なな絵奈も受け入れてくれるかもしれない。 「ナメクジさんの料理出来そうですか?」 ゼロが優の嬉々とした顔を覗きこんだ。 「うん。光明が見えた気がする」 力強い優の言に優の料理に絶大な信頼をおいているユーウォンが期待に胸を膨らませた。 「わぁ、楽しみだなぁ…」 想像しただけでワクワクするのだ。 「食材集めは任せて!」 ユーウォンが請け負った。この森の中にはいろいろな食材が転がっていそうだ。ナメクジには何が合うのかわからないけれど、きのこでも、野草でもどんどん集めてくる。 「ああ、任せるよ」 優はユーウォンに笑顔で答えてから「でもそうすると」と首を傾げた。腕を組んで考え込む。 「ナメクジにはどの酒が合うんだろう?」 ビールでと言われたが、別にビールにこだわる必要もないような気がしたのである。 「ナメクジさんはエスカルゴさんと同じなのです」 ゼロが言った。 「そういえば、ナメクジってエスカルゴの殻が退化したものだっけ」 ちなみにエスカルゴの殻が退化したものも、エスカルゴとは全く無関係のものも、ひっくるめてナメクジである。 「エスカルゴならワインが合うのかな?」 赤か白か。バジルにバターでオーブン焼きというのもありなのか、或いは――。 「自分で作る、という選択肢もあるわよ?」 「!?」 Yの言葉に3人はハッと目を輝かせた。 ナメクジに合う最高の料理酒を造る。 酒を造る!! この瞬間、ナメクジに合う、よりも、酒造りに挑戦する、という方に若干意識がシフトしつつあったことを、彼らはまだ気づいていなかった。 ▼ その頃マフは。 森から出てきたバーテンと出くわしていた。 ■2■ かくて4人が酒の主原料選びに奔走し、マフがバーテンをカツアゲ――もとい、バーテンからお酒の試飲をさせて貰っていた頃、魔王不在の魔王城では。魔王の書斎、高級そうなマホガニーデスクのデザイナーズチェアに腰掛けながら。 「まずいわ」 黒地に白の細いストライプが入ったすらりと品のいいスーツに度の入っていないメガネ、魔王城の制服をきちっと着こなした魔王の秘書、絵奈が低く呻いていた。 「まずい、まずい、まずい」 魔王優が家出をしたのはかれこれ半月ほど前のことだ。 魔王城に魔王不在。この事実は日を開けることなくあっさり周囲にバレた。当たり前だ。連日のように食材を運んでくる連中がいて、魔王の料理を楽しみにしている者がいて、優の料理教室に足繁く通う者があるのだから。 バレない方が不思議なほどだった。 速攻バレた。 そして魔王不在と知れ渡った途端、その座を頂いちゃおうという不届き者が我先に現れたのだ。 こんな時こそ四天王! と思う者もあるかもしれないが、彼らは魔王が家出した途端、里帰りだのなんだのと理由をつけ城から出て行ってしまったのである。 我こそは魔王を代行し世界征服へ向けての歩みを進めようという者はいないのか。 四天王Aの証言『だって世界征服した後が面倒じゃね? 征服するまでは楽しいけどさー、征服した後、超大変だよ? 隣の家が大量にゴミを出したとか近所の家のペットが夜な夜な鳴いてうるさいとか。特に面倒なのが女性問題だ。そんなの全部面倒みなきゃいけなくなるんだぜ? 魔王が帰ってくる保証があってもさー、いつ帰ってくんの?』 四天王Bの証言『ああ、無理無理無理。料理出来ないもん。え? 料理は出来なくていい? でもさ、そしたらどやって部下を確保してくのさ』 四天王Cの証言『我々は、美味しいものを食べ、適度に暴れられればいいのであって、上に立つ気はないのである』 四天王Dの証言『優の料理が食べられないのに、ここにいる理由がないよ』 ――こんな時に!! 結果的に魔王不在の城を守るのは絵奈の小さな肩に委ねられたのだった。しかし、ひっきりになしにやってくる侵略者ども。それと延々戦いを繰り広げていたのではさすがの絵奈もHPを回復する暇がない。 かくて冒頭――もとい数行前に戻るのだ。 「何とかこの状況を打開しなくては……」 絵奈はずり落ちた眼鏡を中指でぐいっと押し上げるとナイフを握りしめた。 また一人、馬鹿な侵略者が城の警備システムに引っ掛かったようだ。 魔王城の警備システム――その名を幽太郎という。会員制の魔界オークションで優が落札してきたプレミアものの竜鎧だ。しかも動く。そして喋る。彼は玄関ホールに鎮座し、番犬の如く侵入者を見張っていた。結果的に。 絵奈が玄関ホールに下りていくと、雑魚を羽交い締めにした幽太郎が立っていた。 「これで何人目だっけ?」 絵奈が握っていたナイフの柄からそっと手を離して問いかける。それに幽太郎は考えるように視線を明後日へ移ろわせてから応えた。 「47人」 絵奈はふぅ~っとため息を吐く。 「最近…多イケド……何カアッタノ、カナ?」 幽太郎が尋ねた。 「…………」 どうやら魔王不在を知らない者もいたらしい。何と言っても竜鎧は食事をしない。更に、城内を歩き回ると壁や天井に傷が付くからこの玄関ホールにいるように、という魔王の言いつけを今も固く守っているのだ。情報を得る術もなかったのだろう。 「そうね。何とかしないと」 絵奈はナイフを仕舞って、疲れたように言った。このままでは身が持ちそうになかった。 とりあえず幽太郎に雑魚を城の外に捨ててくるよう頼むと、絵奈はその背を見送りながら考えた。 逐一侵入者の相手をしていたのでは埒があかない。今のところ幽太郎が玄関ホールにいてくれるので何とか助かってはいるが、全員が正面から侵入してくるわけでもない。いつ訪れるとも知れない侵入者に夜もおちおち寝ていられないのだ。 ならば、こちらが時間を設定し、誘導してやることは出来ないだろうか。 「そうだ!!」 閃いた。 優勝者には魔王の座を賭けて魔王への挑戦権を与えるという大会を開いてはどうだろう? 絵奈自身がシードでいきなり決勝戦に出て勝てば問題ない。これで時間も稼げるだろう。その間に魔王を追いかけて行ったお節介焼きのマフが優を連れ戻してくれれば四天王も帰ってくるに違いないし、そうなれば絵奈が戦う必要もなくなるではないか。 万一の時は幽太郎に手伝ってもらうとして。 早速、絵奈は世界に向けて檄を飛ばすことにした。 ――すわ、魔王決定戦。 ▼ 危機一髪というべきか、その日も魔王不在のこの期に乗じ、魔王城を乗っ取ろうと虎視眈々画策する者が魔王城へやってきていた。 もちろん、魔王の座だからといって強面や、年頃の男ばかりがその座を狙うわけではない。 右側の一房だけをベルベットのリボンで結わえ、赤い髪を膝まで垂らした幼女や、あくまで見た目の話だがビキニの水着に身を包み長い黒髪をハーフアップにした少女も、その座を狙っていた。 彼女らは侵入しようとした魔王の城の城門に掲げられた高札の前に奇しくも並んで足を止めた。 「魔王決定戦? 面白そうね、ミスタ・ハンプ!」 幼女は傍らのたまごのような紳士に向けてそう声をかけた。 「もしかして、魔王になって勇者と名乗ったら魔王討伐成功なんじゃない?」 少女は何を想像しているのか「くひっ」と笑って誰にも聞きとれないよう声で呟いた。 「一緒にてっぺん目指すわよ!」 力強く拳を握り、それを空に向けて掲げる幼女。 「参加するしかないでしょ」 気合いの入った重低音で無敵の笑みを大地に向ける少女。 2人は、そのまま城を襲撃する事なく魔王決定戦へエントリーした。 それはある意味絵奈の思惑通りであったろう。 一方、各地の高札場にも絵奈の檄は掲げられ、道行く人の足を止めていた。 魔王の城の近くで暮らす熊王ワーブもその1人だ。 魔王の城といえば一種美味しいレストランの様相を呈している場所だ。ワーブの元にも噂は聞こえてくる。どんな食材を持ち込んでも魔王が美味しく料理して振る舞ってくれるという話だった。魔王の部下たちも魔王の料理に釣られて集まってきたものが大半であるという話もある。 つまり魔王とは料理人の王も兼ねているということか。ワーブはしばし熟考した。 その魔王が今はいない。ならば誰が魔王の城で料理を用意するのか。 ――おいらでしょ、おいら! ワーブは思った。 「おいらもエントリーしてみるですよ」 自分が魔王になった暁には料理のメニューを魚料理と果物にする。そんな野望を抱きながら。 かくて――。 世界各地から多くの参加者が集まった……かといえば意外とそうでもなかった。世界征服なんて面倒なことやりたいなんて考える奇特な奴は思いの外少なかったようである。 ところで。 ここで魔王優の名誉のため誤解がないよう付言しておくが、魔王優が料理を振る舞うのは手段であって目的ではない。あくまで彼は世界征服のための手段として日々、美味しい料理を提供すべく精進しているだけなのである。一応、主目的は世界征服だから……きっと…おそらく…たぶん…。魔王=世界征服だから。うん。そこのところは間違えないように。 ■3■ 魔王の城がそんな大変なことになっているとは露知らない魔王一行である。彼らは酒造りを満喫していた。 もちろん、Yに酒造りを教えてもらう代わりに優は料理を振る舞った。食材はユーウォンが毎日新鮮な鳥や魚を集めてきてくれる。どうやって仕留めてくるのかはいつも謎だったが、おかげで毎日いろんな料理を作ることが出来たのだ。 Yはずっと森の奥で1人で細々と暮らし、その多くの時間を錬金術の研究に費やしていたため、普段からろくな食事をしておらず、食自体にもあまり興味もなかったのだが、優の作る美味しい料理にナメクジ料理への期待が高まっていった。 さて。 最初は、エスカルゴの連想からぶどうのような果実を使った酒を考えたのだが、ナメクジが麦芽に群がることを考慮し、まずは穀物の酒を造ってみることにした。穀物の酒といえば、ビール、日本酒、モルトウィスキーetc。しかし既存の酒では意味がない。今まで酒に使われたことのない穀物なんてあるのだろうか……するとYが「これはどうかしら」と見たこともないような穀物を取り出した。それは米に似ていたが種子が金色に輝いている。さすがは錬金術師。ゴールドには余念がない。 これも錬金術の副産物ということだった。実の名前を黄昏米とかいうらしい。ある意味見たままの名前が付けられていた。名付けたのは……。 とにもかくにも、米に似ているのでとりあえずは日本酒と同じように造ってみることにした。 まずは黄昏米を精米機にかけてみた。削られた米ぬかのような部分はまるで砂金のようだ。残った種子を蒸す。水加減がわからないので、ほぼ付ききりとなった。蒸しあがった種子に麹と仕込み水を混ぜ酵母を加えて培養し酒母を作る。 そんなこんなで作業は何度かの失敗を経て現在はもろみ仕込みという行程にまで辿りついたところだった。発酵が進むにつれて温度があがっていくもろみを適切な温度に導くという非常にデリケートな作業である。中でも温度や成分・比重の均一化を図り空気を入れるための櫂入れという、簡単にいればもろみを掻き混ぜる作業が特に重要なものであった。 そんな時だ。酒造場の大きな扉がドンッと大きな音を立てて荒々しく開かれたのは。 外から入ってくる乾いた外気に温度に気を遣っていた面々が眉を顰めながら振り返る。 「あ……」 「見つけたぞ、魔王!」 扉の前に仁王立ちしたマフがまるで親の仇でも見つけたかのような剣幕で言い放った。高さ5mはある樽を出し入れする関係上、酒造場の扉はマフの巨体より遥かに大きい。 「見つかってしまったのです」 「見つかっちゃった」 櫂入れのための足場の上でゼロとユーウォンが顔を見合わせる。 2人の傍らで温度計を確認していた優が感心したような顔でマフを見下ろした。 「よく、見つけたな」 やれやれ、と今にも肩を竦めそうだ。 「帰るぞ」 マフが酒造場の中へ入ってこようとした。それを止めるように1人の女性が立ちはだかる。Yだった。 「今は最も大切な時よ。出ていってくれるかしら」 Yはマフから、マフの後ろへと視線を移した。目で帰れと促している。 「何だ、貴様は?」 マフが威圧的な睨みをきかせた。これがバーテンだったなら裸足で駆け出すほどのものだったがYは臆した風もない。 「この家の主です」 すずやかに彼女は答えた。それにマフは今度は丁寧に頭を下げる。 「……それは悪かった。申し訳ない。魔王が世話になっている。俺は魔王軍リンクレンゼン師団師団長マフだ。家出した魔王を連れ戻しにきた」 押してダメなら引いてみるとばかりに下手に出たマフだったが、それでYが譲るということは残念ながらなかった。 「何度も言わせないでくれるかしら? 今が最も大切な時なの」 ぴしゃりと言ってYは1歩マフの方へ踏み出した。もし2人の身長が同じであったなら、鼻と鼻が今にもくっつきそうなほどの至近距離だ。そこからYはマフを睨みあげている。 しかしそれで退くマフでもない。 「何と言われようと俺は魔王を連れ帰る」 睨み合うマフとYにため息を吐きつつ優は足場から梯子を使って下りると、マフを押しやるようにして2人の間に割った。 「マフ、悪いけど今、大事な時なんだ」 「何を言ってる。今、城がどういうことになってるのか知ってるのか?」 もちろん、森の奥深くで酒造りに夢中になっている優たちに城の状況など知りようもない。 「僕は帰れない」 きっぱりと優が言った。 「絵奈どのも言い過ぎたと思ってるんだ(たぶん)。心配している(きっと)」 マフは優を説得しようとする。 「この酒が完成するまで帰る気はない」 優が言った。どんな大地震がきたってこの気持ちは揺らぐことはない。そんなきっぱりとした口調だった。とても秘書を恐れて逃げてきた魔王と同一人物には思えないほどの強い意志がその目に宿っている。 だが、マフが揺らいだのはそんな優の心意気ではなかった。 「……酒?」 その単語を聞いた瞬間マフの顔が明らかに一変した。威嚇するような強面の目尻が心なしか下がり始めたのだ。 マフはキョロキョロと辺りを見渡した。優の匂いを追いかけることに注力し、優の匂いを見失うまいとし過ぎて、それ以外の匂いに気づけなかったのか。 どうやら優を見つけたことで頭が一杯になっていたようだ。空気が外から酒造場の中に向かって流れていたことも手伝っていたのかもしれない、こんなに大好きなアルコールの匂いに今までずっと気づかなかったとは!? とにもかくにも、そこで初めてマフは、そこが酒造場であることに気が付いた。 「ああ」 優が頷く。 「酒を造っているのか!?」 マフは念を押すように尋ねた。聞くまでもなく、明らかに彼の前に並んでいるのは酒樽なのだが。 「そうなのです」 足場の上でゼロが力強く応えた。 「Yさんの作るお酒はどれも美味しくて」 ユーウォンが腕組みなんぞしながらうんうん頷いている。そこでマフはハッとしたようにYを振り返った。 森の前で出くわしたバーテンは一体何をしていたのか。大八車で酒を運んでいた。どこからか。そうだ、森の中からだ。その森の奥には恐らくここぐらいしか建物はなくて。 「もしかして、あのピーレープの酒を作っているのは!?」 マフがバーテンをカツアゲ……もとい、バーテンに頼み込んで試飲させてもらった酒の中でもピカイチだったのがピーレープの酒だった。あれをウォッカで割って辛口にして飲むのがマフの最近のマイブームなのである。 「Yさんですよ」 ゼロが言いながらYの方を見やった。その視線を追いかけるようにマフはYを見た。 それが決定打となった。 その瞬間、表向きはどうあれ内心では、神を崇める敬虔な信者の如くYの前にひれ伏していたに違いない。とりあえず、表向きは偉そうなままだったが。 「そうか、それは仕方ないな。うんうん。酒が完成するまで待つしかないな。ああ、待つとしよう。ところで俺に手伝えることはあるかな?」 光速もかくやというほどのスピードで手のひらを返したリンクレンゼン師団長は無類の酒豪であった。 ■4■ マフが酒の魔力にあっさり敗北……城のことなど綺麗さっぱり忘れたおかげで、魔王城では魔王決定戦予選大会も恙無く終わり、本戦も準々決勝まっただ中、というところまで進んでしまっていた。 「マフはまだなの!?」 絵奈が苛ついた声をあげる。このまま準決勝を終えれば自分が決勝に立たなければならなくなるのだ。相手は連日連戦で多少は疲れているだろうが心許ない。 万一のためのセキュリティシステム幽太郎もあるのだが。このまま魔王の座をどこの馬の骨とも知れない奴らに奪われでもしたら……。 「取り返せばいいか」 絵奈は半ば投げやりに呟いた。かの魔王ならばきっとあっさりそれを成すだろう。 そう思ったら少しだけ心が軽くなった。 「後3戦ですよね」 ミルカが念を押すように言った。 既にワーブが準決勝に駒を進めている。この準決勝の勝者がワーブと戦い、その勝者が絵奈と戦う。つまりは残り3戦というわけだ。 ちなみにこれは余談だが、ワーブの準々決勝の相手はミルカだった。そこにはこの上なく複雑かつ単純な事情がある。 たまたま魔王城に郵便を届けに来ただけのミルカは気づけば審判をさせられていた。一体何があったのか、ミルカ自身、今一つ理解出来ない。とにもかくにもただ言われるままに審判をしていたのである。 第一回戦は“皇帝”と呼ばれる男と“百獣の王”と呼ばれる男の戦いであった。 それはそれは愛らしい“皇帝”ペンギンにミルカはツッコミを入れずにはいられなかった。 「いやいや、皇帝ってそっちの意味ですかっ!? っていうか、魔王には可愛すぎると思うんですけど!」 “皇帝”ペンギンは水の中では何よりも機敏に動けたがこのコロシアムでは陸に上がった魚同然だった。とはいえとにかく可愛い。可愛いペンギンに隙などない。“百獣の王”は暫く手を出しあぐねていた。この可愛いペンギンを痛めつけるなど出来るわけがない。 その時だ。 「百獣の王! 優しすぎですっ!!」 ミルカのツッコミにハッとしたように“百獣の王”が動いた。デコピン。“皇帝”が倒れた。 戦いはあっさり決着した。 「えぇーっ!? 魔王がデコピンで勝利とかマジありえないんですけどー!?」 「……」 さもありなん。 二回戦は“ニート”と呼ばれる男と“お兄ちゃん”と呼ばれる男の戦いであった。 「ふっ、こないだ妹をいぢめる男どもを泣かしてやったところだぜ」 といきなり奇襲にでた“お兄ちゃん”に。 「残念だったな俺は毎日母親を泣かせているぜ」 と返し技で一本、場内は誰もが“ニート”の勝利を疑わなかったのだろう。しかし。 「どっちが魔王になったとしても残念な魔王ですね…」 と心底残念そうにミルカがボソリと呟き、追い打ちをかけるように。 「魔王って悪の権化みたいな奴ですら、世界征服のために労を惜しまない…基本働き者ですよ」 「…………」 長い沈黙の後、“ニート”はガックリと力なく膝をついた。目が虚脱している。 魔王と“ニート”とは相反するものなのであった。 ミルカの抉るような精神攻撃に戦意喪失・戦闘不能となったのだ。 ここで審判の存在を完全に無視して先走ったコロシアムの実況アナウンサーが勢いあまって宣言してしまった。 「“ニート”、立てないぃー!! 勝者! ミルカー!!」 場内は大いに盛り上がった。まるで誰も異論はないと言わんばかりだ。かくてミルカが勝者になってしまったのである。 概ねそんな感じでミルカはついつい戦闘にツッコミを入れ、ダメ出しをし、メンタルの弱い参加者を次々に戦意喪失・戦闘不能に追い込んだ。しかしミルカには魔王になる気などさらさらない。 というわけで、ミルカとワーブとの戦いはミルカ棄権によるワーブの不戦勝となったのである。思えば、勝者ミルカ→棄権→勝者ミルカ→棄権……を繰り返したことも、この大会がスピーディーに進んでしまった要因に違いない。 とにもかくにも。 後3戦審判をすればミルカは解放される予定だった。ちゃっちゃっと終わらせてしまおう、長引かせたい絵奈の思惑とは対極にいるミルカが宣言する。 「これより、魔王決定戦準々決勝第二試合を始めます!」 魔王城の中庭に作られた特設コロシアムの観衆は大歓声をあげた。 決勝を間近に控え出店の数もいつにも増している。ナタデココのアイスクリームが飛ぶように売れていた。 コロシアムの入場ゲートから準々決勝に進出した二人が入ってくる。 メアリベルとサクラだ。奇しくも魔王の城の前に立てられた高札で並んで足を止め、共にこの魔王決定戦に同時に参加を決めた2人が、この準々決勝であいまみえることになったのである。 絵奈はそれをVIP専用のBOX席で見つめていた。 ナメクジ食べ放題vsナメクジ料理阻止。そんな二人の対決といっても過言ではない。 だとするなら、ナメクジ料理を阻止すべく奮闘している絵奈としては是非ともサクラに勝って貰いたいところに違いない。 しかし仕込みは既に終えてあった。 メアリベルは一つ大きな勘違いをしていたのだ。 「魔王になってもナメクジ料理は食べ放題になりません」 絵奈はメアリベルの控え室に訪れると開口一番きっぱりと言い放った。 「え? どうして?」 メアリベルが驚いたように絵奈を見返す。どうしてそんな話をいきなりするのか、というのもあるが、彼女の大いなる動揺を誘ったのは、魔王になってもナメクジ料理を食べ放題どころか食べられないという事実だ。 「何故なら、ナメクジ料理を作ろうとしているのは現魔王だからです」 絵奈は静かな口調で淡々と答えた。 「それってどういうこと?」 メアリベルは今一つ理解出来ないといった顔で絵奈を見上げている。それに絵奈はまるで子供を諭す小学校の先生のような口調で言った。 「つまり、現魔王の部下になれば、ナメクジ料理も食べられる……かもしれない」 心なしか“かも”の部分に力がこもっている。 「しかし自分自身が魔王に君臨しても、食べられる保証はない、ということです」 保証どころか、現実にはナメクジ料理でなくても食べられるかどうかは怪しいのだ。何故なら、この魔王城の料理を一手に引き受けているのが魔王だからである。その証拠に、それ目当てで集った者たちの大半が城を出て行ってしまったのだから。絵奈はその事実を苦々しげに奥歯で噛み砕いて、メアリベルには笑顔を向けていた。 「えぇぇぇぇぇ!? ナメクジ食べ放題じゃないなら、魔王にならなくてもいいや」 メアリベルはいつの間にか主目的がすり替わっていることに気づかないでいた。 絵奈は内心で勝ったと思った。 魔王の座を狙う者たちを口八丁で丸め込み、魔王の手下と成す。 「魔王になってもナメクジ料理は食べられません。もちろん、現魔王がその玉座から退いてもナメクジ料理は食べられないでしょう。しかし、このままあなたが優勝し魔王代行を立派に努めた暁には、きっと現魔王が料理をごちそうしてくれるはずです」 絵奈は言った。だから、そのために優勝すべし、と。さりげなく、ナメクジを抜いて料理をごちそうしてくれる、と言ったところがポイントだった。 相手はまだ子供、幸いそこには気づいた風もなくメアリベルは大いに頷いた。 「わかったわ」 回想終わり。 かくてメアリベルとサクラの死闘は始まった。 ▼ チートレイヤーなりきり勇者のサクラが剣を抜く。観衆がどよめいた。 「今更ツッコむのもはばかられるんですけど……水着はどうかと思います」 ミルカが声をかけた。コロシアムの観衆の鼻の下を伸ばした男どもが「いいじゃねぇかー!!」とミルカにブーイングを浴びせてきたがミルカはどこ吹く風だ。 「ふふん。これは伸縮自在なビキニ型アーマーよ。防弾防刃加工が施されているんだから」 サクラは今にも舌なめずりしそうなどや顔で答えてみせる。 「殆どの部分が守られていないような気もしますけど、そもそも勇者がそんな格好でいいんですか?」 既に戦闘は開始されている。それでもミルカの疑問はとどまるところを知らない。 ツッコミ所満載のなりきり勇者サクラがチラとミルカを見やってから地面を蹴った。 「いいに決まってるじゃない!!」 上から下へたたき込んだサクラの剣はメアリベルの斧に弾かれた。 「勇者が魔王になるのもいいんですか?」 ミルカは容赦なくツッコミを入れてくる。 「まったくもって、その通りね」 間合いをとるように退いたサクラをメアリベルが睨みつけた。両手で斧を握っている。 「大丈夫。私が魔王になったら、即勇者にジョブチェンジすればいいんだから」 笑顔を返して再び仕掛けるなりきり勇者。 しかしいくら勇者になりきり剣技に磨きがかかろうとも、それを支える筋力がすぐに身に付くわけではもちろんなく、結果サクラの攻撃は単調なものになりがちだった。 とはいえ、それを迎え打つメアリベルの得物――斧は、大人であれば片手で楽々扱えたかもしれないが、小柄なメアリベルには大きく重いもので、その攻撃は大振りとなり、破壊力は絶大だが、すばしっこいサクラをなかなか捉えることが出来ずにいた。 「ミスタ・ハンプ!」 メアリベルが下僕である使い魔ハンプティ・ダンプティをサクラに向かわせた。 サクラがハンプティ・ダンプティに気を取られているところを襲おうというのだ。 「ミス・サクラを魔王には絶対させない」 メアリベルが斧を構えた。 「ナメクジ料理食べ放題をこの手に!!」 斧を振り下ろすメアリベルにサクラは大きく飛び退く。 「あの魔王、まだそんなこと言ってたのっ!?」 サクラが剣を鞘に戻した。 メアリベルが怪訝に動きを止める。 サクラは斜に低く構えると剣の柄を握った。抜刀術の構えだ。 「ナメクジ料理断固阻止!!」 言うが早いかサクラが剣を抜いた。かろうじてメアリベルが斧でそれを受け止める。 剣と斧の刃がぶつかり合い、ぎりぎりと互いを削り、鉄粉に火花が散った。 「一体、あなたたちは何の為に戦ってるんです?」 この期に及んで空気を読んでいるのかいないのかミルカが二人に尋ねた。 「もちろん――」 二人は答えた。ぎりぎりと力が拮抗する中で。 「ナメクジ料理食べ放題!!」 「ナメクジ料理断固阻阻止!!」 「両者失格!!」 「……え?」 ミルカの宣言に思わず声をあげたのは絵奈だった。VIP席で腰を浮かせている。 「これは魔王を決定する戦いですよ?」 ミルカはさらりと言ってのけた。 魔王を目指して戦ってください、と満面の笑顔で。 ミルカはさっさとこの茶番を終わらせてしまいたかったのだ。 かくて準決勝はワーブの不戦勝となり決勝戦のゴングがもうすぐ近くまできていた。 ▼ その頃、働き者の魔王様は出来上がったばかりの酒を試飲しその仕上がりに満足していた。いつも面倒ばかりかけていた秘書のことをふと思い出す。絵奈にも飲ませてあげたいな、とぼんやり思った優は「帰ろうか」とマフらに声をかけた。 ■5■ 「あなた、なにをしているの?」 絵奈が声をかけた。 「エ…? ア…コレハ…」 幽太郎はシドロモドロになりながらそれを一所懸命隠そうしたが、隠し切れていない。というより隠しようがない。 「ゴメンナサイ…」 幽太郎は申し訳なさそうにションボリと頭を下げた。 魔王決定戦に至ってようやく魔王不在に気づいた幽太郎は、ここぞとばかりに魔王の城を徘徊していたのだ。エントランスホールの幽太郎が立っていた場所から一番近いところにあった扉を開くとそこはサロンになっていた。置かれたグランドピアノをつま弾いたりして、更に奥へと続く扉を開く。長い廊下が伸びていた。一体この先には何があるのだろう、幽太郎はドキワクしながら廊下に出た。 ロボットにあるまじきことかもしれないが、期待に胸が膨らんでいたおかげで、自分の体の大きさと廊下の大きさに対する目測が若干ずれてしまっていた。廊下の大きさの方が希望的観測値になっていたのだ。 廊下にぶつかることなく通れると思った。 だが現実はシビアに存在した。 気づいた時には廊下の壁にうっすらと凹みが出来ていた。 慌てて修復しようとしたら、太くて長い自慢の尻尾が反対側の壁を抉ってしまった。そちらも修復しようと更に踵を返したら修復したばかりの場所を今度は翼が抉ってしまった……エンドレス。 遅々として修復が進まない上に、修復した端から壊していく。その上、修復もあまりうまくないときている。 絵奈は頭を抱えたくなった。とりあえず小さく息を吐く。 「まぁ、いいわ…」 実は城の修復など、それほど大変なものではないのだ。立て直せばいいのだから。城を壊して更地にするのは簡単だし、建てるのも城の模型をゼロに巨大化して貰えば、いくらでも急場を凌げる。今はゼロがいないけど。その内、魔王と共に帰ってくるだろう。今度は幽太郎が楽に通れるくらいの広さの廊下にしてもらわなくては。 そんなことよりも、今はもっと大事なことがあった。 「それより決勝戦が間もなく始まるの。貴方には是非とも勝って貰うわよ」 コロシアムには既にワーブとミルカが待っていた。 そこに幽太郎と絵奈が姿を現す。 観衆があげる歓声が怒濤のように唸りをあげコロシアムの熱気は最高潮に達していた。 幽太郎はその雰囲気と迫力に怖じ気付いた。その見た目とスペックとは裏腹に元来臆病というか何事にも引っ込み思案な彼なのである。 陽気な性質が表に出ているのかワーブがのほほんとした顔をしているのにホッとしたのも束の間、よっこらしょとばかりに二足で立ち上がるとゆうに3mを超えてしまった灰色熊に、ちょっぴり以上後退りたい気分になって幽太郎はチラと後ろを振り返った。そこには魔王も逃げ出す怖い人物が逃げ道を塞ぐように立っている。 幽太郎は諦めたようにワーブを見た。 「勝タナキャ…ダメ? ……ミタイ、ダカラ…頑張ル」 自分を奮い立たせるように呟く幽太郎に、ワーブも熊の手――ポラリスの爪を装着した。相手は生身ではなく金属の装甲なのだ。果たしてこれで相手をどこまで切り裂くことが出来るのやら。 とにもかくにもこれに勝った方が魔王である。 「ファイッ!!」 というミルカの合図に先に仕掛けたのはもちろん、おどおどしている幽太郎ではなく、ワーブの方だった。 まるで川を上る鮭を捉えるかのようなスピードと鋭さをもって幽太郎に襲い掛かる。 幽太郎は光学迷彩によって周囲の目から消えた。 「おいおい! どうなってんだ!?」 「どこに消えたんだ!!」 と観衆が野次を飛ばす。 「こんなことが出来るんだ……」 と少し驚いたように絵奈が呟いた。こんなことが出来るなら、あんなに我慢せずさっさとこの状態になって城を徘徊すればよかったんじゃないか、などとどうでもいいことを考える。まぁ、あの調子ではすぐに見つかるだろうが……と廊下の抉れた壁を思い出しながら。 そうなのだ。消えるといっても姿が見えなくなるだけで本人はそこにいるのだ。気配を消せるわけでもない。 そして、今戦っている相手はただの人間ではなかった。知的動物――ポラリス。その獣の嗅覚と野生の感覚をもって正確にワーブは幽太郎の位置を捉えていたことだろう。 姿を消して横に移動した幽太郎を追うようにワーブは爪を凪いだ。 金属が金属を掻き毟る嫌な音がコロシアム中に響き渡り、ある者は歯医者を連想し、またある者は黒板を爪で引っ掻く音を思い出し、多くの者が嫌悪感に耳を塞いだ。 それは間近にいる絵奈やミルカも同じだ。観衆以上に耳を塞ぎ顔を歪めている。 幽太郎が姿を現した。 ワーブが間合いをとって身構える。 「あんたが魔王になったら、メニューから料理が消えてしまうですよ?」 ワーブが指摘した。 幽太郎はロボットである、が故に飲食を必要としない。いや、むしろ出来なかったりする。味見が出来なければ料理を作ることもままならないだろう。もちろん、レシピ通りに作れてしまうのかもしれないが。 「エット……魔王ハ、料理…シナイト……イケナイ…?」 幽太郎が聞いた。 「あったりまえでしょぉ!!」 答えたのは、敗者専用ブースで魔王決定戦の成り行きを見守っていたメアリベルだった。彼女の中には新たに、魔王の部下になって魔王の料理を食べ放題するという野望が芽生えつつあったのだ。魔王の手料理を食べたことのあるサクラがこれまた自慢げにその時の話をするものだから、先ほどからお腹がすいて仕方がないのである。 「大丈夫ですよぅ。おいらが勝ったらメニューを魚料理にしますから」 ワーブが請け負った。 魚料理に若干の疑問を抱かないでもないメアリベルだったが、ナタデココのアイスでは拉致があかないので、とにかくワーブを応援することに決めたらしい。 「さっさと片を付けてよねっ!!」 一方、幽太郎。 「…ア、アノ……ボク…」 彼はチラリと後方の絵奈を見た。目で料理は出来ないと訴えているらしい。しかし絵奈は許さなかった。そんな些細なことは気にしなくていいから、勝てと言わんばかりの顔だ。何度も言うようだが魔王が料理をするのは手段の一つである。後任の魔王が前任の魔王を真似る必要などないのだ。自分に合った方法で世界を征服すればいいだけの話である。 幽太郎は不承不承向き直った。 かくてワーブと幽太郎は再び対峙した。 果たしてどちらが魔王の座を手に入れるのか!? 決勝戦も佳境に達したその時。 突然、それまで大地を明るく照らしていた太陽が何かに遮られた。雲一つなかったはずの青空に一体何が起こったというのか。誰もがそちらを振り返る。太陽を覆い隠したのは入道雲よりも遥かに巨大な影で、コロシアムにいた全員がその空前絶後の光景に息を飲んだ。 「まさか…」 絵奈の呟きに、いつの間に移動したのか絵奈の背中に隠れるようにして怯えていた幽太郎が声をかける。 「アレガ…ナニカ……知ッテルノ?」 幽太郎の後ろに隠れ幽太郎を押し出すようにしていたミルカも私も聞きたいとばかりに絵奈の返事を待っていた。 しかし絵奈はそれには答えず、コロシアムの中央へと進み出る。後ろでミルカに押され、絵奈を支えにしていた幽太郎がミルカを一蓮托生に思わず前のめりに転がるのも無視して。 絵奈は観衆に向けて大仰に言い放った。 「魔王のご帰還です!!」 その言葉は小さなどよめきを伴ってコロシアム中に響きわたった。 太陽をも覆い隠す魔王の力に誰もが畏れ戦き震え上がったに違いない。 いや、コロシアムで幽太郎と対峙していたワーブはその限りではなかったか。 「これが、現魔王…?」 ワーブはその巨大な影をただただ見上げていた。これほど巨大な魔王に自分は何が出来るのだろうか。この魔王決定戦で魔王に挑む権利を得たとして、自分は……。 絵奈が更に進み出て跪いてみせた。 太陽を覆い隠す巨大な影が徐々に小さくなり、青空が再び彼らの前に姿を現す。 影は絵奈のわずか3mほど先に小さく収束し、気づけば5つに分かれていた。 優を先頭に、ゼロとユーウォンとマフと見かけない女性が立っていた。それから高さ5mはある巨大な酒樽が2つ。 「魔王様!」 絵奈の声に。 「ただいま」 優がはにかんだ笑顔を返した。こんな風に迎えてくれた絵奈に少しだけ嬉しくもあり、照れくさいのが半分と、それからやっぱりバツが悪いのが半分。絵奈が怖くて飛び出してしまった優なのである。 「おかえりなさいませ」 絵奈は安堵したように頭を下げた。一時はどうなるかと思ったが、もう大丈夫だと思えた。なんだかんだと言っても、彼が自分の魔王なのだ、と思う。 「ただいまなのです」 ゼロが元気に顔を覗かせた。城を飛び出した魔王をこれまでずっと彼女が支えてくれたのだろう。本来は自分がすべき筈のことまで。そう思うと、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになって。 「おかえりなさい」 絵奈は立ち上がるとゼロに笑みを返した。 「ただいま」 翼をパタつかせながらユーウォンが言う。彼もゼロ同様に魔王を支え、魔王を守ってくれていたに違いない。 「おかえりなさい」 歩み寄り、絵奈は右手を差し出して彼らと握手を交わす。 「間に合ったか?」 マフが尋ねた。 「遅すぎです」 絵奈が少し頬を膨らませて怒った素振りをみせる。本当にぎりぎりだったのだ。 「悪かったな」 マフが困ったように頭を掻いた。 これまで何をしていたのか、積もる話も聞きたいところであった。しかし状況はそうさせてくれないようだ。それまでシーンと静まりかえっていたコロシアムが、どよどよとざわめき始めたのである。 「どういうことだ!?」 「どうなってんだぁー!?」 とヤジ混じりの声が飛んだ。 それで初めて優は自分がすり鉢状のコロシアムの一番底に立っていることに気が付いた。観衆たちに不思議そうに視線を巡らせ、やがて絵奈のところに戻ってくる。 「えぇっと……どういうこと?」 話せば長くなることながら――絵奈は簡潔に答えた。 「ここは、魔王決定戦のまっただ中なんです」 「え?」 つまりはそういうことだった。 「彼に勝てばいいんだね?」 優はワーブを前にさらりと言ってのけた。まるで何でもないことのように。勝つよ、と言わんばかりで。魔王の座を譲る気はさらさらないということなのだろう。しかし、この物言いではまるでワーブを歯牙にもかけていないようで、ワーブは何だかムカついて身構えた。 あの、空をも覆い尽くす巨大な影を目の当たりにした直後だ。あまり勝てる気がしないでもない。とはいえ熊王というプライドもある。 ちなみに、これは余談だが、ワーブらが見ていた影自体は巨大化したゼロであった。Yのいた森から魔王城を目指すにあたり、酒樽も持ち帰りたいという魔王の意向と、急いで魔王城に帰らなければ大変なんだというマフの意向を汲んで、巨大化したゼロがそれらを手のひらにのせて、一歩で城まで帰ってきたのである。もちろん絵奈はそのことに気づいていた。 だがワーブは気づいていなかった。 とにもかくにも。 「戦って互いに傷つけ合うことは僕の本意ではない。ここは一つ、料理対決といかないか?」 優が言った。 ポラリスの爪を手に臨戦態勢だったワーブがきょとんとした顔で優を見る。 「……料理対決、ですか?」 「うん」 優は大いに頷いたが、ワーブはなんだか拍子抜けした気分だ。 互いに傷つけ合うということは、つまりは一方的に魔王が力を奮うことはあり得ないのか。裏を返せば、そこまで自分たちに歴然とした力の差はないと感じているといえる。つまり戦闘では互角と魔王は思ってくれているのだろうか。だとするなら、魔王はワーブを弱いと侮っているわけでも、歯牙にもかけていないわけでもなかったという事だ。自分のことを認めていて、だからこそのこの提案、ということなのか。 ワーブはゆっくりと収まっていく腹立たしさに何とも複雑な気分になった。 魔王が提案してくるのだ。よほど料理に自信があるに違いない。それを不用意に受けていいものか。 間をおかず魔王の提案にコロシアムの観衆どもがブーイングの嵐を起こした。魔王決定戦と聞きつけ彼らは死闘を期待してここに見に来たのかもしれない。 すると優は言い放った。 「もちろん、ここにいる全員が審査員だ!!」 魔王優の料理の腕は世界各地に轟いていた。だからこそ、冒険家も冒険家でない者たちもこぞって魔王城に、あらゆる食材を持ち込んできたのである。 それもこれも魔王優の手料理を食べたいがために。 彼の部下の大半も彼の手料理が目当てである。 それほどまでの魔王優の手料理。 それが今、無料で無償で食べられるというのだ。死闘は見られないが、ま、いっか、とその場にいた誰もが思った。てっきり内輪だけしか食べられないのかと思ってブーイングしまくっていた観衆どもは手の平を返した。ラッキー! ってなもんである。 「待ってましたぁ!!」 「よっ! 世界一ぃ!!」 「さすが、魔王さまっ! 太っ腹ぁ!!」 と観衆が大いに盛り上がる。その一方でワーブは半ば途方に暮れていた。これでは料理対決が決定したようなものだ。 「料理なんておいら……」 出来ないとは言わない。ただ、この大観衆の人数分作れるか、というと自信はなかった。 しかし魔王になれば、部下たちを毎日養っていかなければないのだ。この程度の人数分の料理、朝飯前でなければやっていけないのかもしれない。 「……無理ですよ」 と呟いたワーブに優は笑顔を向けた。 「うん。この人数はさすがに一人じゃ大変だ。手伝ってくれる?」 「……へ?」 ワーブは優を見返した。 優はワーブに断られるとは微塵も思っていないような純粋でキラキラの目をしていた。これが現魔王。一体、何を考えているのか。それとも何も考えていないのか。 料理……対決じゃなかったのか? そんな疑問がよぎったが、いつもダメ出しばかりしていた審判のミルカが今回に限っては何も言いださない。 「はい」 ワーブは観念したようにこくんと頷いた。 「よし、じゃぁ、料理開始だ。あ、そうだ」 と優が絵奈を振り返る。 「酒を造ったんだ」 「酒……ですか?」 家出している間、一体何をしているのかといえば、酒造りとは。しかし、ナメクジ料理が完成した、とかではなかったので、とりあえずよしとして絵奈は「そうですか」と笑みを返す。 「すごく美味しい酒なんだ。せっかくだから、みんなにも振る舞おう」 「すぐに手配します」 絵奈は頭を下げてマフを振り返る。マフは自分より背の高い酒樽を抱えあげた。とはいえ、1つ持つのが精一杯だ。 「ゼロも手伝うのですー」 ゼロが5mほど巨大化して樽を持ち上げた。 その瞬間、先ほど空を覆ったものの正体に気付いたワーブだったが、口を開きかけてそれ以上何か言うのをやめた。自分の半分くらいしかない魔王に、何故か勝てる気がしなかった。それは戦闘力とかそういう部分ではない。魔王よりも遥かに強い者たちが魔王の部下たるゆえんをそこに見た気がしたからだ。彼の器の大きさに、誰も勝てないのだろう。これが魔王の魔王たる所以なのだ。 幽太郎とミルカが巨大化したゼロに目を丸くしたり、白黒させたりしている。 絵奈がふと気づいたように視線を止めた。そこにエキゾチックな美女が静かに佇んでいたからだ。 「貴女は?」 声をかけた絵奈に、優の方が気づいて慌てて紹介した。 「彼女は行き倒れ寸前の僕らを助けてくれて、僕らに酒造りを教えてくれた人だ」 ようやく女性が歩み出る。 「Yよ」 求められるように出された右手を絵奈はふわりと握り返して頭を下げた。 「魔王がお世話になりました。私は魔王の秘書をしている絵奈です」 するとYは少しだけ可笑しそうに笑って。 「君が絵奈さん」 と言った。 絵奈は怪訝に首を傾げる。何か笑われるようなことをしたのだろうか。 「魔王の喧嘩の相手であり、家出の原因」 指摘されて絵奈は苦笑を滲ませる。一体、魔王は自分のことを彼女にどんな風に話しているのやら。 「ナメクジは食べ物ではありません」 絵奈はきっぱりと言い切った。 「私も食用に考えたことなんてなかったわ」 Yが肩を竦める。だからこそ、ナメクジを食用になどと考える魔王のその発想に驚きもし、興味を引かれ、そのために協力したのだ。しかし酒造りに嵌って、料理用ではなく飲酒で満足してしまったところをみると、まだまだナメクジ料理への道は長そうではあったが。 「では、私は仕事に戻ります。改めてありがとうございました。お礼は後ほどさせてください」 絵奈は再び頭を下げてYから離れると、ゼロとマフを連れて城へ戻った。 「ミルカとユーウォンは食材と料理道具を運んできてくれないか」 優が指示を出す。 二人とも、見た目に反した大容量のカバンを持っている。しかもミルカに至っては保存のきくカバンだった。さすがにこれだけの人数の料理を一度に作れるわけはない、何度かに分けて作ることを考えたら、食材を保存できるミルカのカバンはうってつけなのだ。 「うん、わかった」 頷くユーウォンと、 「了解です」 敬礼するミルカ。 ちなみに、いつも魔王城に郵便を届けにくるたびに、城の前に並ぶ行列を横目に見てきたミルカである。ずっと魔王優の噂の手料理が気になっていた。それが食べられるなら、ぶっちゃけ魔王決定戦などどうでもいい……というより、最初からどうでもよくて、早く終わらせることばかり考えていた彼女である。料理対決と言いながら、ワーブに一緒に作ろうと声をかけたことに、対決じゃないのか、とつっこんだりはしなかったのだ。是非にも手料理ゲットのためにお手伝いさせていただきます、なのである。閑話休題。 ミルカとユーウォンが城の方へ駆けていくのを見送る優に。 「ボクハ?」 幽太郎が尋ねた。 「ここにテントを張るのを手伝ってくれ」 「うん」 幽太郎がテント張りの準備に取り掛かる。 「私に手伝えることはある?」 Yが優に声をかけた。 「じゃぁ、受付をお願いしようかな。この人数だしセルフサービスにして……出来た料理をみんなのトレーに置いていく係」 「わかったわ」 するとサクラが挙手した。 「それにはつまり列を作らなければいけないってことね! それは私に任せて!」 時々、いろいろなイベントで列整理を手伝わされているサクラであった。列を作るのは得意なのである。 「メアリさんも手伝ってくれるわよね?」 サクラが声をかけるとメアリベルは「しょうがないなぁ」と立ち上がった。魔王の手料理のためだ。一肌脱ぐしかない。列が出来ずここがカオスにでもなったらいつまで経っても料理にありつけなくなってしまうのだ。 「ミスタ・ハンプ、ミス・サクラを手伝ってあげるわよ」 そう声をかけて列を作るための会場整理に動き出す。サクラの指示でプラカード作成にとりかかった。 サクラはといえば場内見取り図とにらめっこし座席のブロック毎に割振りをして、実況アナウンサーのところに場内アナウンスを頼みに行っている。 「じゃぁ、僕らは料理を始めようか。ワーブは何が好き?」 優が腕まくりをしながら尋ねる。 「魚料理ですよ。それとフルーツと甘いものが好きですよ」 「魚かぁ……じゃぁ、お酒のおつまみに、鰹のたたきを赤ワインで漬けにしてサラダ風に仕上げたやつと……リンゴのコンポートにしようかな……」 もちろん、優が作ったのはそれだけではなかった。 程なくして、美味しそうな香りがコロシアムの会場を包み込む。 サクラとメアリベルの列整理に観衆たちが自分の順番を待った。 入口で、マフとゼロがせっせと酒の入ったグラスを配る。その後ろでは絵奈が次々にグラスに酒を注いでいた。途中、グラスが足りなくなり、紙コップで代用されたりもしたが、文句を言う者はなかった。 酒を受け取った観客が先へ進むと、ミルカにトレーを手渡される。 ユーウォンから、フォークやナイフ、スプーンにナプキンなどが渡された。 受付でYから料理を受け取ると、幽太郎に促されるままテントの中へ。そこには長机とイスがずらりと並んでいた。 美味い酒にぷはーっと一息吐き、旨い料理に舌鼓をうつ。そこに訪れた者たちは一様に陽気に談笑を始めた。 まるで壱番世界のドイツで行われるオクトーバーフェスタのような様相の中、誰もが魔王決定戦のことなど忘れ、浮かれ騒いだのである。 もちろん、優もマフもYもゼロもユーウォンもミルカもワーブもメアリベルもサクラも絵奈も酒を飲み料理を食べてどんちゃん騒ぎに興じた。 優の家出話も、その頃の魔王城の話も夜通し喋っても尽きないほどに。 料理を食べることのない幽太郎は、みんなの空になったコップに酒を注ぎ、空になった皿に料理を足し、宴会奉行の如く給仕をしながら、みんなの話に加わっていた。 エンドロールが静かに流れ始めた。 チャラッチャッチャッチャー、と最近アラーム音に設定したバラドルグループの曲がエンドロールに花を添えている。 やがてFinの文字。 ――という、壮大な夢を見た。 ■大団円■
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