「ねーカンタレラ本当に一人でいくの? 何があったかしらないけどさークージョンくらい誘ったほうがいいんじゃないの?」 ピンク髪の世界司書の言葉は完全に逆効果だった。女の柳眉がみるみる上がる。「カンタレラは一人でできるのだ! クージョンなんていなくても大丈夫なのだ!!」 (あーあーこの人また痴話喧嘩してるよ。……どうせクージョン達が追っかけて来るだろうから回収用のチケット用意しとかなきゃなぁ) 妙に老成したょぅι゛ょ、エミリエはぷりぷりしながらロストレイル号に姿を消す女の背中を見、やれやれと溜息を付くと携帯電話を開く。「ねーリベルちょっといいー? あ、うんそーなのよ。またー。悪いけど、そっちからチケット発行してもらえないかなぁ? うん、ごめんねー」 カンタレラが受けた依頼、それはヴォロスでの任務としては一般的なもの。すなわち暴走する竜刻の回収。 ヴォロスは、アルヴァク地方の神竜都市アルケミシュ。竜を奉ずる都市の近郊の山岳にひっそりと存在する森林『迷いの森』――竜刻の力によって領域を侵したものを永遠に隔離する魔域。 鳥瞰でみればさして面積のない森林である、だが侵入したものにとっては無限の領域をもつ大樹海。 近く、此の地を形成する竜刻が暴走し周辺地域一帯を霧散させる予言があった。 地形の崩壊は一つの問題ではあるが自然現象の一部ではある。 だが、この場所には別の問題があった。迷いの森近郊に朱い月からの入植者、犬猫拠点の一つが存在するのだ。 竜刻の暴走は、故郷を失い命一つでやってきた彼らから最後の持ち物を奪うだろう。 それは防がねばならない。☆ ☆「困った……迷ったのだ」 そもそも方向感覚に優れているとはお世辞にもいえないカンタレラには、この任務は困難であった。 迷いの森は、碧々と茂る広葉樹が日を遮り薄暗い。様変わりしない風景の連続は、進んだ距離と方向感覚、そして時間間隔を狂わせている。 入り口からパンくずを落とし進んできたつもりであったが、森の小動物に食べられたのかなくなってしまっている……戻り道も分からない。 さして歩いていないのかもしれない、もう一日以上歩いたのかもしれない。全然分からない。徒労感と焦燥が女の体力を急激に奪う。「もうあるけないのだ……」 地面にへたり込むカンタレラ、心配気な優しい言葉を期待したがそれは此処にないことに気付く。 そんな、クージョンに依存した自分の思考にイラッとして草を蹴っ飛ばした。 彷徨……それだけであればまだ良かった、強情はらずにトラベラーズノートで救援を呼び待っていれば少なくとも助けは来る。 事実、無謀を悟ったのか彼女はノート開き思いつく限りの知己(悔しいのでクージョンを除く)に助けを求めるエアメールを送った。 だが、迷いの森は侵入者を惑わす力の他にもう一つ側面を持っていた。 ――不良品の投棄場 背徳的魔術実験――竜刻と生物の融合、竜の摂理に届かんとする行為の成果物。 すなわち、身体能力の強化の代償に異形化した獣。あるいは、強力な魔力の代償に正気を失った魔術師見習い。はたまた、不死性の代わりに屍人のような体と化した女。 ここは、表には決して出すことのできぬ外道の合成物を廃棄する場であった。 樹木の間から赤い目が覗いていた。それは、入り口からずっとカンタレラの姿を伺っている影。 肉食獣を強化した獣は、久しぶりの生き餌仕留めるため慎重を期し獲物の疲労を待っていた。 メリメリと音を立て木々が砕ける、魔獣の唸り声が響き渡った。 女の顔に走る驚愕、大太刀より鋭い大型猫科動物の爪が迫る。 鮮血とともにトラベラーズノートが宙に舞った。☆ ☆「クージョンくん……いやわかっている。君に非がないこと重々承知だ……一応事情を聞かせてもらえないかな?」 円卓には、四冊のトラベラーズノート。広げられたページには一律の文言。『カンタレラを助けて欲しいのだ。ヴォロスの森から出られなくなってしまった! ※重要!! クージョンに言ってはいけないのだ』(こうして心配して知己が集まってくれるのはカンタレラの美徳だろうけど……) 細目の男は申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、恋人が怒り心頭に飛び出した経緯を説明した。 =========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>カンタレラ(cryt9397) 柊木 新生(cbea2051) クージョン・アルパーク(cepv6285) 旧校舎のアイドル・ススムくん(cepw2062) オーリャ(cfav1530) ワーブ・シートン(chan1809) =========
覆い茂る草木が地を緑に染め、鬱蒼と立つ樹々が陽を遮り、閉じた世界を成す。 風も吹き抜けることのない森の中を響く音は、虫の音、鳥の鳴き声、獣が葉を触れる音……そして、女の苦しそうなあえぎ。 巨大な樹を背に座り込む女――カンタレラ、その息は荒く乱れている。 腕からはけだものを呼び寄せる朱い蜜が滲み、ワンピースの生地を染め上げていた。 カンタレラの腕は、振り下ろされた魔獣の爪によって大きく切り裂かれ出血が止まらない状態であった。 魔獣の姿は樹々に隠れ見えずとも、禽獣の視線が己を睨めつけていることは分かった。 交錯の瞬間、カンタレラがとっさに抜き打ったトラベルギアの鉄串が一閃、魔獣の皮膚を引き裂き一矢を報いていた。 魔獣は獲物の思わぬ反撃に距離を取った。だが一度、露わとなった殺意は消えることはない。 失血は徐々にカンタレラから体の自由を奪っていく。ギアを握る指が痺れ、力が入らない 魔獣の気配からその身を守るのは言の葉として漏れる呪。 魔獣は賢しいまでに理解していた。獲物が己を脅かす可能性を、呪歌の力を本能的に。 ――立ち込める血臭が、獲物の緩慢な死を示唆していることを。 視界は徐々に霞む、混濁する意識の中に次々と友人の顔が浮かぶ。 (ワーブ……オーリャ……ススムくん……新生さん…………クージョン) 一筋カンタレラの頬が濡れる。 ――演奏を終える彼にホストの女性が近づく。労いの言葉を吐く女性はクージョンに杯を渡し、笑みを浮かべる、彼は親しげな笑みを浮かべ歓談した―― 『クージョンはとにかく誰にでも優しいのだ。博愛というのか? カンタレラにするのと他の女子にするのと同じ態度なのだ。カンタレラにだけ特別に、わかりやすい態度をしてほしいのだ』 ちょっとした独占欲と嫉妬心、カンタレラが浮かべた感情のまま飛び出した理由。 こんなことで愛しい男と二度と会えなくなる。 ――後悔と絶望の触手がカンタレラの意識にまとわりついた。 カンタレラの喉が掠れた唄を奏で、深緑に静かに浸透する。 きっと迎えに来てくれるであろう人たちの導となるはずと……信じた。 それが彼女の縋れる残り少ない希望だった。 意識を手放すその瞬間までカンタレラは歌う。 ‡ ――0世界にあるチェンバーの一つ カンタレラのメッセージで呼び出された彼女の友人達は、わざわざメッセージからハブられていた彼氏を囲み車座になっていた。 「うーん……といってもなぜ彼女が怒ったのかは、実は知らないんだ」 『だから想像になっちゃうけど』と前置きし、話をはじめる細目の男――クージョン。 「僕は、よく色々な世界に出かけているんだ。様々な文化にふれ、そして僕が創造するものに触れてもらうために。旅の出会いは一期一会。おもてなししてもらっているとはいえ、僕も彼らを最高に楽しませる義務がある僕はすべてを特別扱いしているんだ。僕のこういう放浪熱がカンタレラを傷つけることになってるのかもしれないって思うよ」 少々変わった浮世離れした言動は、旅から旅に生きる彼の寄って立つ文化によるものだろうか。 「もちろんカンタレラへの特別さとそのほかの人への特別さは別のものなんだけど……、彼女としては、それは一緒だし我慢がならないことなんだろうね。僕は彼女がそうしてむくれるところも含めて彼女を愛らしいと思ってる。だから僕のそういうところも「僕なんだ」と思って彼女に受け入れてもらいたいんだけどね」 クージョンは恋人への要求で言葉を閉めた。 (なるほど……な、確かにそれはカンタレラが不機嫌になりそうだな) 柊木はクージョンの言葉に、内心打った苦笑混じりの相槌と共にライターを鳴らす。 最近知った娘の愛する男、以前のスレッドライナーとの闘いで死地を共にした仲でもある。 血は繋がらないが父親役としては、彼らの仲を全力で応援したいのだが……。 逡巡は、濃いニコチンの匂いとなって体を満していく。 「クージョンくん…………いや、後にしよう。まずは、カンタレラを助けに行くことが優先だ」 ファーストネームで呼んでみた……が、うまく伝えられない言葉にもどかしさを感じる。 (はは……、父親というのはこういうものなのかな?) 『皆、迷惑をかけてごめんね』と頭を下げるクージョンの姿。 心の中の微苦笑の代わりに、柊木の口からは紫煙交じりの吐息が漏れた。 ‡ ‡ ――迷いの森入口 神竜都市アルケミシュは近郊の山岳地帯、普段はその危険性ゆえ人の入りもなく静寂に包まれた森の中に喧騒が響いていた。 喧騒の中心、そこにいるのは四人のロストナンバーそして―― 「「……わっちは途方にくれていたのでやんす……檜の香りもダンディなわっちには、イチゴ味心臓弾とチェンバー内無限増殖しか人に誇れる芸がないでやんす……『はっ?!』しかし、その時わっちは気付いてしまったでやんす! チェンバーで分裂してから行けば、迷いの森ローラー作戦が敢行できるでやんす! しかもわっちは自然に優しい天然素材! たとえ魔力が尽きて何体あそこで大地に還ろうが究極エコロジーでやんす!!」」 くわんくわんと何重にも響くサラウンドが大変煩わしい。 多重音声の大音響を発するのは檜の香りも芳しい、黙っていれば格調高き高級人体模型・ススムくん……その数合計二十体。 「「ふふふ、旦那方みてくだせぇ、この封印タグの束。わっちエミリオお嬢に只管頼みこみやした。 『エミリエお嬢~! お嬢にヴォロス爆笑小噺を提供するでやんす! そのネタ探しに旅立つわっちら1体1体に封印のタグを貸してくだせぇ』 するとでやんす、流石流石気風のよさで鳴らすエミリエお嬢! わっちの言葉を聞くや二十枚の封印タグをぽんと手渡してくれやした、ああ麗しのエミリエお嬢、この御恩は決して忘れやせん」」 当時の様相を表そうと、一人芝居まで交え熱弁する人体模型。 そのありさまを見、想像するにロストナンバー達はエミリエへの同情を禁じ得なかった……同じ姿、同じ笑みの張り付いた人形に囲まれサラウンドで懇願される……あな恐ろしや。 ロストナンバー達の顔には一様に引き攣った笑みに浮かぶ……殊に灰色熊であるワープの表情がそれと分かるほど歪んだのは、もはや奇跡的な領域のできごとであった。 「「ふっふっふ、待ってるでやんすよ、カンタレラお嬢! わっちがあっつい江戸っ子魂を魅せてやるでや~んす!」」 ススムくん達は、ブラ○ター残響音を纏いながら迷いの森に姿を消した。 ‡ 樹々の間からさす木漏れ日が、ロストナンバー達の足元を微かに照らす。 鬱蒼とした森は暗く、行く道はカンテラに照らされた土づくりの地下迷宮とさして変わるものではない。 獣道も少なく、風景にはっきりとした境目の存在しない森という環境は『迷いの』という冠詞を持たずとも人を惑わすものである。 入り口から続くカンタレラの足跡探るロストナンバー達の荷物に、小さな人形が潜んでいた。 オーリャ――壱番世界は古代ローマに見られたものに近似する貫頭衣に身を包み長い髪を一纏めにする、一見は女性。その均整のとれた肉体は彫刻の中の神々を彷彿させる――が仲間に手渡した人形である。 それは多数の精神を内包する精神集合体であるオーリャの一部というべき存在。意識を共有するそれらが、道はぐれた仲間の導となる。 ……もっとも20体のススムくんは想定外だったので、代表する一体のみにとりあえず手渡していた。 森を行くロストナンバー達の先頭を進むのは知性あるグリズリーベア――ワープ・シートン。 (森で迷ったんだぁ? おいらなら、森では迷わないんだけどなぁ) 野生に生きていた彼の認識は、他のロストナンバー達と比較すると非常に特殊、彼にとって森は親しき友であり自らの庭である。 「ここが、迷った森ですかぁ。なんか、ぴりぴりした感じがするですよぅ」 その彼をもっても迷いの森には異常を感じずにはいられない。 猛獣の口から漏れる重苦しい音声……それと反する軽い調子の言葉が、ロストナンバー達に警告を発した。 ワープに喚起されたからというだけではないが、ロストナンバー達は迷いの森を注意深く進む。 低い姿勢で草木を掻き分け地面を探るオーリャは、わずかでも残っているであろう人が移動した痕跡……ヒールに潰された折れ曲がった植物、歩幅程度の間隔で新しい土が僅かに盛り返された地面、そして地面に垂れ、死出虫の集る血痕を確かめる。 柊木はオーリャと共に地図を確認し、通った道に色の付いた小さな石落とし、準備していたタグを枝葉に括りつけ道程の目印とした。 灰色熊ワープは野生に頼る。地面に鼻をつけ匂いをかぎ、人には認知し得ぬカンタレラの残り香や微細な足跡を探っている。 各人の上げるカンタレラを呼ぶ声が重なり響き、森の深奥に木霊した。 十分に的確な森林捜索といっていいだろう。だが、ここは迷いの森、常識を超えた化物すら脱出することのできない異界である。 一行は、確かにカンタレラの痕跡を追って森を進んでいた……しかし、その行為は殊更に迷いの森の異常性を確認する作業となる。 ――はたして、この足跡を確認したのは何回目だろうか? ――同じ目印をつけた場所を通るのはいったい何度目だろうか? 「わっち12号どうしたのでやんすか、そこはわっちが通りやした」 「わっち7号こそ……わっちは真直ぐ進んでいるだけでやんす」 方位磁石を片手に直進していたはずのススムくん。その声が森の至るところから響いている。 それは嫌がおうにも状況の異常性を再確認させる。 ――迷いの森とはただ道に惑う森ではない、空間をゆがめ認識を惑わす森。直進していないことにすら気付けない。ただ、惑うことのない強い意志それだけが目的に達することを許す。 クージョンは一人、カンタレラの痕跡を追うことをやめていた。幾人もいる専門家が確認しているのだ……、それよりも彼は自分にしかできない方法を試していた。 大気に、地面に、そして深緑に溶ける彼女の気配を、匂いを、残滓を感じようとした。 ……言葉にすれば滑稽無糖だがそれはクージョンとカンタレラの間だからこそ意味をなす行為だった。 ――大気を、緑を揺らす歌声……それが本当にクージョンの耳朶を打ったものであるかは定かではないしかし彼は確かなものとして捉えた。 「すまない、皆……僕についてきてもらえないかな? カンタレラの歌が聴こえるんだ」 クージョンの言葉に耳を澄ます一行……だが彼らの耳に届いたのは森の気配のみ。 ただ細目から覗く真剣な眼差しは、真摯そのものであり、引き締まった表情は虚実を語るものではない。 「わたくしめには聴こえません、しかしあなたが言うのなら事実なのでしょう。心が繋がる人だからこそかもしれません。行きましょう、クージョンさん」 オーリャがクージョンの言葉に賛同すると柊木とワープもクージョンに首肯を返した。 「ありがとう、みんな」 クージョンは仰々しい一礼で感謝の意を示すと、先頭を行くワープの頭を軽く撫ぜながら追い越した。 ‡ ‡ 瞼が重く下がり薄暗い視界を闇色に帰す、掠れた歌声に込められた呪は力を弱めつつある。 食事を妨げる力が去りつつあることを察知した魔獣が地面を踏みしめる。カンタレラは巨体が地を踏みしめる気配を数回感じた……奴は一際強く地を踏みしめ跳躍した。 ――――カンタレラを黄泉路へ送るはず魔獣の牙、十分な間をもってもその痛みは到達しない。 (死ぬ時は痛くないのだ……誰かそう言っていたのだ) 死出の時に浮遊するカンタレラの思考。それを現実に戻したのは、素っ頓狂な声。 「旦那方、わっち13号めがカンタレラお嬢を……ギャーーーーーでやんすぅううう」 硬質の物体にすり潰された木片が絶叫と共に砕け飛び散る、食事の邪魔をされた魔獣は怒りの顎をススムくん13号にぶつけていた。 寸前まで感じていた苦痛も忘れ、眼を点にして舞い散るススムくんの残骸を見つめるカンタレラ。 失血によってうすぼんやりする意識に、現状の認識が全く追いついていない。 だが次に聞こえた声はハッキリとカンタレラの意識を覚醒させた。 「カンタレラ!!」 自らの名を叫ぶ愛しい人の声。 (クージョン!!) 言葉を発する力はあらねど、カンタレラの心は喝采をあげていた。 ‡ 額に竜刻を埋め四足であって体高二メートルを超える巨大な猫科の禽獣――魔獣は獲物を前に邪魔立てする乱入者を欄と輝く眼でねめつける。 ――赫怒の咆哮が森を切り裂いた。 強烈な威嚇行為が血の匂いを嗅ぎ付けお零れに預かろうとしていた生き物達を恐怖の虜とし雲散霧消させる。 だがロストナンバー達は血に飢えた獣とは違う、瀕死の友を前にして逃げる悟性など存在しない。 灰色熊の巨躯が咆哮をあげ魔獣に襲い掛かる、その咆哮からは道中見せた軽い音は感じられない。 二匹の獣は肉弾がぶつかったとは思えぬ鈍い音が響き発する。 北極星の名を冠した鋼鉄の爪で武装するワープが魔獣に組み合った。 野獣の猛りが森林を席巻する。均衡する力は物理的な圧をもって樹木を揺らした。 魔獣の牙が灰色熊の爪が互いの皮をそぎ、肉を切り裂き、体毛を鮮血に染め上げる。 魔獣の巨躯は灰色熊を一回り上回っていた、膂力は体躯そのままの差となる。 自重と魔獣の重みが灰色熊の後ろ足に地面を抉らせる。圧し掛かる爪がワープの首筋に迫り、口腔が大きく開いた。 一対一の戦いであれば魔獣に分があったかもしれない……しかし、ワープはただ一人戦っているわけではない。 断続的な乾いた音、薬莢が飛ぶ。 魔獣を元素の加護を受けた弾丸が叩く。だがそれは表皮傷つけるだけ、有効打には遠い。 瀕死の娘を前に、柊木は冷静であった、いや冷静であるように務めた。 SIG SAUER P226――魔獣の強靭な肉体の前には豆鉄砲に等しい。 己を傷つけえないと銃弾を無視しワープと組み合う魔獣の筋肉は、破裂せんばかりに引き締まり――小さく爆ぜ肉片を飛ばす。 ≪暴威弾≫ギア『SIG SAUER P226』の放つ最大の破壊は魔獣の表皮を穿ち、肉を僅かに抉る。 灰色熊と魔獣の均衡――魔獣にあった分は爆ぜた肉の量だけ傾く。 魔獣の暴に地を削り続けたワープの後ろ足が止まる。血流が筋をこれまで以上に押し上げ、盛り上がる土塊を支えにワープは魔獣の肉体を押し返しはじめた。 ――銃弾の感触から自身の攻撃が有効ではないことは直ぐに判断がついた、ならばこそと柊木は戦えるもののサポートに徹する。 乾いた音と薬莢の数だけ戦いの均衡が崩れ、灰色熊が魔獣を圧倒する。 森を揺らす魔獣の咆哮は、赫怒から恐慌の色を帯びたものに変化する。 ワープの爪が魔獣の前足を薙ぎ払った、鮮血を散らし魔獣は地面に倒れる。 一気呵成――鋼鉄の爪ポラリスが魔獣の額に振り下ろされる。 魔獣の筋肉が撓みを見せる……が引き絞られたそれは自身を宙に飛ばすことはない。 ――氷結した地面が魔獣の四肢を縛っていた。 オーリャの口は異界の言葉を紡ぐ、氷の魔術が魔獣と大地を結びつける。 自身の魔術は魔獣を倒す威力はない、柊木同様に戦うものの手助けするためにオーリャは呪を発現させていた。 果たしてポラリスの爪は振り下ろされた。 自由を奪われた魔獣――額の竜刻は砕かれる。 断末魔の絶叫を上げる魔獣は、唯一自由になる首を振り乱すが、程なくその体からすべての暴は消失し魔獣の肉体は音を立て地面に臥した。 ‡ ‡ 乾燥した木材が火で爆ぜる。戦闘を終えうとうとと眠たげに体を横たえるワープの体毛を焚き火が紅く照らしていた。 屍肉の放つ腐臭は新たな獣を呼び寄せる可能性がある、一行はまどいながらも魔獣の匂いがしない場所に移動し野営をしていた。 ※なお、乾燥した薪がなかったためススムくん13号の亡骸がその身を捧げたことを此処に記しておく (うううう、わっち13号その勇姿は忘れないでやんす……) ロストナンバー達に助けられたカンタレラは、寝そべり重ねた布の上に脚を置き応急手当を受けていた。 初めは、傷口を見せるのを嫌がりクージョンから逃げようとしたカンタレラだが、失血と放浪で体力を失っていた彼女がそれをするのは無理というものであった。 カンタレラの傷口を確認したクージョンの目は常よりも鋭さをました。 ギアの旅行鞄からナイフと水筒を取り出すと、血で張り付いている布を切り裂き傷口を水で洗う。 「オーリャさん、ガーゼをお願いします。柊木さん、カンタレラの腕を持ち上げて支えていてもらえますか? ……カンタレラ、少し痛いかもしれないけど我慢してね」 クージョンは、オーリャから受け取ったガーゼで創傷を覆うと患部を圧迫する、カンタレラの表情が引攣れ悲鳴を噛み殺す。カンタレラの腕を支える柊木の腕が強く掴まれる。 白色のガーゼがジワリと朱に染まった。オーリャが再度ガーゼを手渡す、クージョンは血に濡れたガーゼにオーリャから受け取った真新しいガーゼを重ねた。 圧迫されたガーゼに染みる朱は、幾度か重ねられた外側のガーゼにまでは至らない。 オーリャ、柊木、クージョンの表情が安心に緩む、経過を見る必要はあるが止血には成功していると見て間違いなかった。 「旅人の鞄は命の次に大事な便利グッズさ。……そして僕は今ほど旅人でよかったって思うことはないよ。君を助けることが出来たんだからね」 寝そべるカンタレラの耳に囁くクージョン、彼女は所在無さげに顔を背けると消え入りそうな囁き声で呟く。 「……心配かけて、ゴメンなのだ」 莞爾として笑い頭を撫ぜるクージョンの手が、血の気が失せ冷えた肌に暖かい。 「君はいつも僕をドキドキさせてくれるね」 カンタレラの頬が紅潮する――傷口は少し開いたかもしれない。 ‡ 早朝の森は、薄暗い闇に包まれていた。薄い陽光は厚く折り重なる樹木に遮られ地面にまで注ぐことがない。 (やれやれ、そろそろ僕も年かなぁ、夜番は応えるよ) 欠伸を一つ噛み殺し、伸びをする柊木。 一行は迷いの森で一夜を過ごしていた。 危険な魔獣の徘徊する地、気軽なキャンプの様に全員で睡眠を取ることはできない。 最後に見張り番をしていた担当していた柊木は一人、早い夜明けを迎えていた 座するに適した石を見つけて座り、愛煙するラッキーストライクに火をつける。 濃いニコチンの匂いが肺を満たし、疲労に硬くなった筋肉がほぐれ心に安閑がやってくる。 微睡みの中にいる娘とその友を起こさぬように背を向け、紫煙を空に吐く (さて、流石に昨日言いづらかったけど今日は言わないとね……親代わりとしては) 考えながら二度、三度と煙草を咥えては、吐息と煙を吐いた。 数分間のリフレッシュタイムを過ごすと柊木は携帯灰皿に燃えカスをしまい、すでに燃え尽きつつある薪を掘り返し朝食の準備を始めた。 「そのパンは私のものなのだ、クージョン返すのだ!」 「うーん僕もこれ食べたいんだけど……そうだカンタレラ半分個にしよう」 「ああ、クージョンさんわたくしめはもう満腹ですから、こちらをどうぞ」 「カンタレラお嬢! わっちの持ってきたこの携帯しょ……ぎゃーーー」 ススムくん15号の悲鳴がワープの口の中に消える携帯食ごとススムくん15号をしがんでいる、半分寝ぼけているようだ。 ロストナンバー達の朝は賑々しいものであった、一行は未だに迷いの森の中ではあるがカンタレラの無事が確認され人心地つけたというところだろう。 当のカンタレラも傷口をラップで覆いテーピングする湿潤治療をしている状態ではあったが、皆との朝食を楽しんでいる。 「カンタレラ、ちょっといいかい」 いつもよりちょっと低いトーン――柊木の声がカンタレラの背中越しに聞こえる。血のつながりはなくとも互いを親と娘と思う仲、柊木の言わんとすることはすぐに察せた。 「……新生さん」 カンタレラは居住まいを正すと柊木に向き直り、上目遣いにそーっと柊木の表情を窺う。 柊木は、普段は温厚そのものの顔に厳しくシワを寄せていた。 (新生さん怒っているのだ……ものすごく怒っているのだ……) 「きみはどうしてそう無鉄砲なんだい? 今回は運よく見つけられたからいいけれども、何かあってからでは遅いんだからね?」 「…………クージョンが他の女子に優しくするのがいけないのだ……」 口の中にもごもごと言い訳がましい言葉をついつい吐いてしまう。わかって欲しいというよりももっと単純な甘え、カンタレラは柊木に無条件の味方を期待してしまう。 しかしそれは、厳しい顔の柊木には全く通用しない。 「……カンタレラ、僕だけじゃない。みんな心配していたんだよ? ちゃんと謝りなさい」 やや強い語調は柊木の心配の裏腹である、カンタレラもそれを感じ取ってしゅんとしてしまう。 「……みんな、ごめんなのだ」 車座になっていた友人たちに向き直り、殊勝な表情でカンタレラは頭を下げた。 「カンタレラ、君が無事だったんだ。それに僕もわるかったから、そんなに気にしないで」 「そうです、友人が困っているのなら、助けたいですよね」 「おいらもそう思うんだな」 「「カンタレラお嬢……頭なんでさげないでくだせい。わっちはお嬢のためならいつでも駆けつけやす」」 皆の好意が嬉しくてカンタレラの瞼が潤んだ。 「……ありがとうなのだ」 柊木はカンタレラ達の様子にうんうんと頷くと、はたと思い出したように手持ちの鞄からごそごそと何やら取り出す。 「あーそうだカンタレラ、前に壱番世界に帰った時にな、評判の串団子を買ってきたんだ、食べるだろう?」 「わーい、食べるのだ! 新生さんありがとうなのだ」 カンタレラの表情がぱっと輝く、パックされた串団子をもつ柊木の相貌は一寸前まで引き締まっていたものとは打って変わっていた。 基本的には柊木は娘にダダ甘な実に子煩悩な親父なのだ。 その態度の変容を見た一行の表情には、半分微笑ましいものをみるような半分呆れたような笑みが浮かんでいた。 ‡ 「さあ出発なのだ!」 元気な掛け声を上げワープに飛び乗るカンタレラ、ワープは驚いて目を白黒させるが振り落としたりすることはない。 「「いよぉっし、後は中心部の竜刻にタグ貼りでやんす!待つでやんすよ、わっちの竜刻~」」 息を巻きながら残機十八機のススムくんがサラウンドで相槌を打った。 「そういえば、地図を見た時に思ったのですが。ここ、犬猫の新しい住処の近くなのですね。迷い込んでなければいいのですが」 オーリャがチェックマークの付いた地図を広げながら皆に告げる。 「犬猫! カンタレラは猫も犬も大好きなのだ! みんなでもふもふするのだ!」 「そうですね、迷い込んでいたら住処へ返しましょう、この森は危なそうですし」 英気を取り戻したロストナンバー達は、当初の目的である竜刻の暴走を止めるべく迷いの森の深奥を目指し動き始める。 (おっと、あとひとつわすれてはいけないね) 皆が先に歩を進めるのを確認した柊木は、さり気なくクージョンの隣に立つと軽く耳打ちした。 「クージョンくん、女の子はちゃんと「好き」って言ってくれないと不安になってしまうんだよ。きみは詩人だろう? ちゃんと言葉を使って気持ちを伝えないと、彼女はまたどっかに行っちゃうよ?」 ちょっとした小言だ、出発時には言えなかったがカンタレラの無事を確認した今ならいいだろう。 「……少し気をつけます。カンタレラの気まぐれなところは好きだけど、怪我はして欲しくはないから」 『よろしく頼むよ』柊木は笑みを浮かべると、軽くクージョンの肩を叩いた。 「クージョン! 新生さん! 何をこそこそやっているのだ、出発なのだ!」 娘と恋人、同じ女性に振り回される二人は顔を見合わせる。 同じような微苦笑を浮かべた相手を見ると思わず笑いがこみ上げた。 ‡ ‡ 迷いの森は変わらずロストナンバー達を惑わすが、目的の一つを達した今彼らの上に先日のような焦燥はあまりない。 一行の先頭をノッシノッシと進むワープの背中に乗るカンタレラの明るい歌声が森林に響き渡る。 歌っている歌は自らの傷を癒すための『癒しの唄』――もっとも歌っている理由はどちらかといえば、楽しい気持ちが体から漏れ出ているせいだった。 傍らを行くクージョンが、旅行鞄から横笛を取り出すと恋人の歌に合わせ即興で演奏を始める。 「わたくしめもお邪魔しましょう」 オーリャがギアのオカリナを手に握ると恋人達の演奏に素朴な音階が一つ加わり深みを増す。 灰色熊の口からはハミングしようとしているのだろうか唸るような音が漏れていた。 「「祭笛を忘れるとは……わっちは、わっちは……なんという失態をくぅぅ、こうなったらあれをやるでやんす」」 ススムくん3号はギアの竹の物差しで自らの身体を叩き音程を取る、ほとんど宴会芸の領域だが楽しげな雰囲気は否応にも増した。 (ははは、こういうのに気恥ずかしさを感じるのはやはり年だね。……まあここは若い人達の姿を見させてもらおうかな) 柊木は笑みを浮かべロストナンバー達を見守った。 鼓笛隊よろしく音楽を奏でるロストナンバー達の前方、草木をなぎ倒すさざめきが聞こえた。 ロストナンバー達ははたと演奏を止め前方に注視し身構える。 重量のある物体が草を薙ぎ揺らす音がはっきりと聴こえる、その音が目の前まで迫ると猫が凄まじい勢いでロストナンバー達の足元を駆け抜け、それを追いかけるように二足歩行の犬が舌をだし苦しそうな姿を見せる。 既に滅びた世界、朱い月からのヴォロスへの移植民である犬猫。オーリャが指摘したこの森の付近に住居を移した者たちだろう。 「か、か、か、神様助けてください、助けてください。僕の載っていた多足戦車がおかしなことに……ああああ、やってきたーーー」 へたり込みロストナンバー達にすがる犬。 その言葉と共に樹木を薙ぎ倒し現れたのは如何なる所以であるか、コクピットが開け放たれているにも関わらず動きまわる多足戦車。 外部センサーが軽快な駆動音を立て動きまわる。それは新たなターゲットとして認識したのかロストナンバー達を補足し接近する。 「あの犬さんを助けるのだ!」 「「お嬢! 任せるでやん~す! 受けてみろ、わっちの135歳アタ~ック!」」 連続する爆発音。 カンタレラの声と共に放たれたススム君×18のイチゴ味心臓弾発射が多足戦車をあっさりと破壊した。 ‡ オーリャから水を受け取り朱い月の犬は落ち着きを取り戻しつつあった。 事情を伺うと予測されたことではあるが、近隣に住居を定めた犬猫が周囲の地形を確認するために出かけていたところに迷い込んだようだ。 ――猫はいつの間にかワープの背中、カンタレラの眼前に寝そべっていた。そして、カンタレラはその背中を撫でる欲望に耐えることはできなかった。 犬猫を迎えた一行は探索というよりは、もはやピクニック気分であった。 「みんな、竜刻はどこにあると思う? カンタレラは木の根とか、宿り木がたくさん巻き付いた大きな木とか、そういうものの中に内包されていると思うのだ」 カンタレラが明るい声で問う。 「竜刻がどのようなものかは存じ上げません。ですがむしろ、竜刻を求めない方がたどり着けそうな気もしますね。求めば求めるほど迷い、求めなければ逆にすんなりとたどり着く。そのような気がしますよ」 老子のような意見を述べるオーリャ。いつの間にか、あけびを両手いっぱいに抱えたクージョンもオーリャに同意を示す 「そこにたくさんなっていたんだ。みんなで食べようか。……自然に感謝し、楽しみ、大地と一体となれば自ずと道は開けるよ」 そんなこともあるのかもしれない。ローラー作戦を只管に続けるススムくんが全く竜刻に至ることはないのだ。 もっともカンタレラがそんな意見で納得することはないのだが。 「むう……それでは全然わからないのだ、猫さん、犬さんは知らないのか?」 クージョンに手渡されたあけびにかぶりつき頬を汚しながら犬猫にまで問うカンタレラ。 「すみません神様、僕も良くわからないです」 犬からの返答は当たり前の言葉、そもそも彼らは脱出できず迷っていたのだから。 カンタレラの膝に陣取った猫にいたっては、もっと撫でろと尻尾で不満を伝えるのみで返事をしようともしない。 ‡ ‡ 薄暗かった陽が陰りから夜の帳が表れる刻限に其れは起きた。 迷いの森での一日を過ごし、野営地を定めようとしていたロストナンバー達の眼前から、あれほどに鬱蒼と茂っていた樹木が途切れ小さな池が表れる。 ――沈む陽光、湖面は輝きを儚くする。 ――夜の帳が下り、水面に翠の光が揺れ幻想的に輝く。 ――湖の中央に立つ巨木。その幹が翠の光を放つ竜刻を抱きかかえていた。 誰もが一息嘆息する光景、見入るように動きを止める一行。その空気を読まず飛び込むススムくんが池に飛び込み飛沫を立てる。 「わっちの竜刻でや~んす!!!」 18枚の封印のタグが同時に竜刻に触れる、途端に翠の光は収束する。 ――水面に映る光は翠光から月光へと変わり薄ぼんやりと力を失った竜刻と巨木を浮かび上がらせる。 竜刻の見せた幻想とは違う幽玄であった。一日ぶりに見る高天は幾多の星に瞬いた。 「ヴォロスの空は綺麗だね……よし! 全部終わったしこの辺りで一番星空が綺麗な所へ行こう!」 クージョンの言葉に皆が頷く、ロストナンバーのピクニックはもうちょっとだけ続いた。 ‡ ‡ カンタレラの暴走に端を発したロストナンバー達のヴォロスでの冒険は此処で幕を閉じる。 ただ、この物語には一つ後日談が存在した。 迷いの森に封じられた幾多の実験生物達、それらは封を解かれ自らを創りだした者たちの元へと帰還をはじめた。 それは竜星に関わる一連の戦いで再建中であった神竜都市アルケミシュに著しい被害を発生させることになる。 この事件を機に、アルケミシュ内部において新たな力を求める一派が誕生することとなるが、それはまた別の物語として語られるであろう。 -了-
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