世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。 司書室とは、そういう場所だ。 扉を開けば、そこには、ガラス戸の書棚と書棚と書棚と、日当たりの良さそうな場所に何故か掛かっている小さなハンモック、それからやはり書棚と、ガラス戸のチェストが存在している。 それらに囲まれた赤いクマのぬいぐるみは、ゆったりとティータイムの準備をしていた。 9割はミステリ関連と思われる膨大な蔵書に圧倒される空間ながら、執務用のデスクとは別に、ささやかな茶会もできる仕様であるらしい。 アンティークのローテーブルには薔薇のアレンジメントが置かれ、その周りには、白磁のティーセットにティガトー、彼お気に入りのミンスパイなどが並べられていた。「おや、いらっしゃい。ちょうど今お茶を入れた所なんです。よろしければ、少しお話でもしていきませんか?」 もっふりとしたルルーの手が、自分へと差し出された。 紅茶の良い香りと、お菓子の優しく甘い香りが鼻先をくすぐる。 さて、何を話そうか?●ご案内このシナリオは、世界司書ヴァン・A・ルルーの部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・司書室を訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。
「こんばんは、ですよぅ」 「おや」 司書室の扉を開けて入ってきたのは、もっふりのっそりとした巨体であり、言葉を操るグリズリーベアことワーブ・シートンだった。 期せずして、クマのぬいぐるみの元へ訪れるリアル灰色熊という、たいへんメルヘン感あふるる構図ができあがったわけである。 「なんだかいいニオイがして、つられて来ちゃったんですよぅ」 「ちょうどお茶の準備が整ったところですから、さあ、こちらへどうぞ」 「はいです」 一度来てみたい、覗いてみたいという好奇心はあったが、こんなふうに実現するとは思っていなかったとワーブはいう。 ルルーは、客人のために、どこからともなく、キャンディを模した大型クッションを引っ張り出し、勧めてくれた。 ワーブには、この部屋のアンティークチェアは少々華奢すぎ、あまりにも窮屈に過ぎるためのささやかな配慮だ。 「ありがとうですよぅ」 よいしょ、と、もぞもぞしながら自分の身体が落ち着くように動いて、ワーブはふぅ…っと一息ついた。 ふかふかさらさらとした感触のクッションは、沈みすぎず、硬すぎず、絶妙な案配で灰色熊の巨体を受け止めてくれる。 そのまま眠ってしまいたくなるような心地よさだ。 しかし、せっかく来たからには、ただ眠るのではもったいない。 ワーブは改めて、この司書室の主であるルルーを見やった。 「モフトピア以来かなぁ? お久しぶりなのですよ」 ぺこん、と頭を下げれば、 「ワーブさんのお姿は拝見していますよ。他の司書が手掛けた報告書にも目を通していますから、私自身は久しいという感じでもないのですが」 クマのぬいぐるみは小さく首を傾げて応える。 「でも、なかなかお話しする機会はありませんでしたね」 「おいら、本を読んだりもしないから、借りにくることもないし……」 ルルーの元へは、ときどき活字中毒末期患者やささやかな読書好き、ミステリー好きのロストナンバーが、本の貸し借りや推理談義を目的にやってきたりするらしい。 世界司書への用事で訪れるモノよりも、そういった類いの訪問理由である方が多いという噂も耳にした。 圧倒的な書棚の存在感を見るに、確かに納得できる話だ。 「それにしてもすごい本なのですよぅ」 「蔵書のほんの一部ではありますけどね。気づけば、ずいぶんと本ばかりになってしまいました」 「これだけあったら、本のお店が開けちゃいそうですよぅ」 見たことも聞いたことも触れたこともない《タイトル》がずらりと並ぶこの司書室の空間は、まさしく《世界図書館》の一部という気さえする。 「おいらには、難しいことは分かんないけど……」 ほう、っと溜息が洩れた。 「ああ、そういえば」 不思議そうに本ばかりが存在する辺りを見回す傍らで、ルルーはワーブのためにガラス戸のチェストから、少し大きめのティーカップを取りだした。 「今日のお茶はそのモフトピア産のモノなんですよ。今朝モリーオから分けてもらったんですが、まるでワーブさんの来訪を予見していたかのようですね」 そういってカップに注がれたのは、蜂蜜色のとろりとしたやわらかい香りの紅茶だった。 中を覗き込むと、小さな金平糖らしきモノがキラキラピカピカと瞬きながら、カップの中で踊っている。 「これは?」 「アメ細工の浮島には星のなる樹がありまして、仕入れで出かけられたロストナンバーの方が、お土産にと持ってきてくださったんです」 「あのアメ細工の!? 今でもときどき思い出すけど、あのアメ細工の浮島、なつかしいなぁって思うんですよぅ」 「古文書に描かれた《特別な花》を巡って、ワーブさん達にはとても素敵な報告を頂きました。あの冒険はいかがでしたか?」 「とっても美味しかったーって感じなんですよぅ」 まさしく、美味しい、の一言に尽きた冒険だった。 わあわあきゃあきゃあと、4人のロストナンバーにたくさんのクマ型アニモフたちが一緒になって、イチゴ味の花が咲く赤い丘やレモンの小道、青い泉にミント味の花、わたがしの大地、色とりどりに透き通った甘い甘い甘いキャンディの世界を冒険した。 誰も彼もが全身アメまみれとなって、心ゆくまでアメと戯れた、文字通りの甘い甘い甘い想い出だ。 そんな想い出とともにもう一度カップの中を覗き込めば、ハチミツ色の中で弾けて消えていく赤や黄色や緑の星たちがいっそうステキなモノに感じられた。 「こんなふうに星が弾けるためには、茶葉と一緒にポットの中で10分以上はじっくりと蒸らさなくてはいけないんですが」 そんな特殊な性質を持った《星》にちゃんと合うような紅茶を教えてくれたのもモリーオなのだと、ルルーはいう。 「さあ、召し上がってください」 「どうもですよぅ」 進められるままに、普通のティーカップの3倍はありそうなソレを、両手で壊さないようにそっと持ち上げる。 うっかりチカラ加減を間違えて壊してしまわないかとヒヤリとしたが、繊細なデザインのわりに、その感触はなかなかにしっかりとしていて、危うげがない。 思い切って、く…っと、紅茶を流し込む。 その瞬間、 「!」 ハチミツのうっとりするような甘みが来るのと同時に、プチプチパチパチっと口の中で星が弾けて、レモンやオレンジといった柑橘系のフルーティな味が広がった。 初めて口にする、初めての味と初めての食感に、何度も何度も瞬きを繰り返す。 「いかがです?」 「なんかもう、パチパチって、あまーくて、とろっとして、モフトピアみたいに、ほんわかしてて、ふわふわーっとしてるんですよぅ」 ふぅっと気持ちを軽く、あったかくしてくれる。 アニモフたちの無邪気で真っ直ぐで明るい、世界に蔓延るあらゆる深い哀しみとも憎しみとも怒りとも無縁な純粋さが心地よい。 あそこは神に祝福された世界だと言ったのは、さて誰だったのか。 「お気に召していただけたのなら、何よりです」 「おいら、すっかり気に入っちゃった」 コクコク…と、たまらず、二口三口と続けていけば、あっという間にカップは空になる。 ルルーにおかわりを給仕してもらいながら、並べられたクッキーやパイも堪能していくのだが、そこでふと手が止まる。 「あれ、なんだかこのお菓子からは、他とは違うニオイがするですよ? 甘くない……」 「ああ、コレはキッシュと呼ばれるモノなんですよ。クリスタル・パレスで今日のお茶の時間用にと作っていただきまして」 どうぞ、と勧められるままに手に取れば、それはまだふんわりと温かく、ぱくりと頬張ればチーズの香ばしいカオリが口中に広がって、たまらなくなる。 「オイシイ、スゴイオイシイですよぅ」 ハチミツ紅茶との相性も思いのほかしっくりと来た。 「実はですね、キッシュというのは、パイ生地に卵と生クリーム、そして今回はチーズをメイン具材としたフランスの郷土料理なんです」 「フランス……?」 「壱番世界にある国のひとつですね。芸術という分野に特化していると考えてもいいかもしれません」 「壱番世界かぁ」 懐かしさがふとこみ上げてくる。 「そういえば、ワーブさんは壱番世界の北アメリカで過ごされていたこともありましたね」 「サバイバルだねって、言われたのを思い出すですよ」 しかし、あそこは自分が生きるには状況的に厳しすぎる。 自由にのびのびと生きることを許されないような、目に見えない掟が張り巡らされているように感じた。 「壱番世界よりは、ヴォロスのあの大自然にもおいらにはあってるっていうか、うーん……危険な魔物はいるし、時には戦わなくちゃいけなかったりはするし、渓谷とか環境としてはとっても厳しいけど」 なんて表現したら伝わるだろう、と首を傾げながら、ワーブは続ける。 「ぐぐーっと身体が動く感じっていうか……」 なんだかまだ足りない気がする。 「うわーって、飛び出したくなるっていうか……」 それでもなんだかしっくり来ない。 「うーん……でも、とにかく、モフトピアがふわっとしてあったかくって、ヴォロスは生きてるぞーってなって、そういう違いがあるのかなぁ……とは思うんですよぅ」 どちらも自分にとてもしっくりと来ている。 そして、そのどちらにも、自分は『自由』さを感じている。 「ワーブさんの感覚でいうと、モフトピアとヴォロスには近しいモノがあるかもしれませんね。どちらも肌に馴染む何か、惹かれる何かがあるんですから」 ルルーは紅茶を口に運ぶ。 「そうかぁ……ああ、でもおいら、いろんな冒険はしたいけど、二度と行きたくない場所もなるんですよぅ……ソレに、ブルーインブルーやインヤンガイにはまだ行ったこともないですし」 「おや、そちらには行かれていないんですね」 「不思議とおいらはそっちには縁がなくって……どうなのかさっぱりなんですよぅ」 「インヤンガイでしたら、そうですね……私の知る限り、探偵属性の方が行かれると非常に興味深い経験ができるようにも思えますね」 「おいら、探偵はムリだなぁ」 「ワーブさんでしたら、ブルーインブルーの方が、より楽しめるかもしれませんね」 「ブルーインブルー?」 「私は以前、慰安旅行の海神祭で訪れましたが、壱番世界の海岸ともまた違った、非常に広大にして趣のある世界でしたよ」 列強海賊の存在をはじめ、あの世界は大海原の大冒険といった風情があるのだという。 壱番世界やヴォロスで見た景色とは一体どこがどう違うのか、今のワーブには分からない。 しかし、 「それ以外にも、やはり《食》に関しての興味深さもあるかもしれません」 その一言に、ビビッと電流が走った。 「海で美味しいものを食べるって言うのは、おもしろそうなんですよぅ!」 「海産物……失礼、海魔との戦いも、時には貴重な食材となりますしね。エビやイカ、カニはもちろん、巨大なホタテや鮭に似たものもあると聞きますから」 「鮭!?」 途端、ワーブの目がキラキラと輝く。 「おいら、ハチミツも大好きだけど、鮭も大好物なんですよぅ」 「でしたら、ぜひ一度行かれることをお勧めしますよ。船を借りるか同行させてもらい、仲間達と漁へ出るというのは格別でしょうし」 いいながら、ルルーは書棚の一角から、大判のかなり分厚い料理本を取りだした。 そうして、鋭い爪で器用にページをめくっていき、 「鮭のちゃんちゃん焼き、鮭のムニエル・きのこクリームソースがけ、鮭といくらの親子丼、鮭のルイベに、オーソドックスな焼き鮭まで……いかがでしょう、もしよろしければ、こちらの本をお貸しいたしますが」 見開きで掲載された写真には、鉄板の上で豪快にキャベツやピーマンなどの野菜と絡むサーモンピンクの光景がひろがっていた。 「借りるですよぅ!」 パァッと視界が開けたような嬉しさで、ワーブはクッションからグッと身を乗り出すと、目の前に座るルルーの手をキュッと握る。 見渡す限りの海の世界で、繰り広げられる冒険は、夢の巨大鮭ハント―― 更に現地で新鮮な食材を調理するとなれば、なおさら食欲をそそるイベントとなるだろう。 居ても立ってもいられなくなり、ワーブは、たったいま借り受けた本を大事に抱えると、 「なんかいろいろありがとうなのですよぅ! おいら、みんなと相談してみるですよぅ!」 声も体も心もドキドキワクワクと弾ませて、自分の帰りを待つ仲間たちの元へと嬉しそうに戻って行った。 後日。 ワーブ・シートンは仲間とともにブルーインブルーの大海原で巨大海魔と激戦を繰り広げた後、浜辺でレシピ本を活躍させながら、なかなかに盛大な《鮭料理祭り》を開催することとなるのだが。 ソレはまた別のお話。 END
このライターへメールを送る