光あふれる世界、浮遊諸島モフトピア。 そこはいつも、ささやかで美味しい不思議と発見と好奇心があふれている。「ああ、よい所へいらっしゃいました。皆さんにお願いしたい案件があるんです」 タキシードを着こなす真っ赤な毛並みのクマのぬいぐるみ、もとい、世界司書ヴァン・A・ルルーは、『導きの書』を手にロストナンバーたちの元へやってきた。 とてとてと歩く彼の首の後ろでは、今日も変わらず謎のファスナーのチャームが揺れている。「実は、何もかもがアメ細工でできたモフトピアの浮島で《古文書》らしきものが見つかったんですよ」 彼の口から飛び出してきた単語に、思わず首を傾げる。 モフトピアに古文書。 その組み合わせは、何とも言えずミスマッチだ。「ああ、そうは言っても羊皮紙にインク…ではなく、画用紙にクレヨンで絵が描かれた大きな一枚のイラストなのですが。クマ型アニモフ達は、そこに描かれている《特別な花》を見つけるのに夢中みたいで」 そう言って、ヴァン・A・ルルーは『導きの書』を開き、情報を汲みあげた。 ソレは、ステキに甘くてステキに綺麗な《特別な花》。 赤と青と黄色と緑がかさなりあって、花びらの一部はとがっていたり、ねじれていたり……様々な特徴がひとつになった特別にステキな甘い甘い花。「この浮島には確かに《赤い花》も《青い花》も《黄色い花》も《緑の花》も、とがっている花もねじれている花もあるんです。けれど、その全部を兼ね備えた花はどこにもないのだとか」 しかし、その『絵画』はとても想像だけで描いたものとは思えない程に緻密だという。 伝説が生まれるに足る『何か』が確かにあったということだろう。 青く透き通った泉に咲くのは、ミントの味の青い花。 赤くきらめく丘で咲き誇るのは、イチゴの味の赤い花。 青と赤を繋ぐ並木道に並ぶのは、レモンの味の黄色の花。 ふんわりわたがしの道を歩いて辿りつくのは、いろいろなカタチの花畑。 ソレらすべてをめぐれば、いつか見つかるものなのか。 あるいは、そのどこかにひっそりと隠れるように存在しているものなのか。 アニモフたちが、彼らの文化にしてはいやに意味深で難解な《古文書》を残したという事実にちょっとした違和感を覚える。 だが、そんなこちらの思いを察しでもしたのか、世界司書はさらりと付け加えた。「画用紙も画材もアメだったせいか、発見された時にはもうすでに一部が食べられた後だったようですよ。そのため、《特別な花》に関する情報の重要部分が失われてしまったんです」 ……納得。「いかがでしょう? クマ型アニモフ達に協力してあげるのもいいですし、その浮島にあるのはすべてアメ細工ですから、自分で好きな形に変えて遊んでみるのもいいかもしれませんよ」 けれど、と、赤いクマのぬいぐるみは黒いつぶらな瞳にきらりと好奇心を閃かせ、「ただ、その《特別な花》を手にした方には、特別なおもてなしが待っているようなんです」 そうして、出題者のごとく微笑みかける。「どうすれば《すべての特徴を持った特別な花》を手に入れられるのか、その時なにが起こるのか……この《謎》、解いてみませんか?」
甘ったるい香り、爽やかな香り、鼻先をくすぐる果実の香り。 ガラスのような透明感を持ちながら、すべてがアメでできているなんて、事前に言われていなければとても信じられない。 ソレはまるで絵に描いたような芸術品。 ソレはまるで、やわらかで優しくて可愛らしい夢物語そのもの。 「うわあ、ステキ!」 新井理恵は大きな瞳をキラキラとさせてはしゃぐ。 「やっぱり見せてあげたかったなぁ」 できれば一緒に行きたかった大切な友人は、残念ながら今回のツアーには不参加だ。彼女にも見せてあげたかったし、彼女と一緒ならきっともっと楽しかったと思う。 けれど、それは叶わない。叶わないから、理恵は大事な友達のためにひとつ決めてきたことがあった。 小型カメラの入ったレースのポーチをギュっと胸に抱きしめる。 「うんといっぱいステキな写真を撮って……」 「やったぁ! 甘い香りがいっぱいーっ!」 「きゃっ」 テンションだだ上がりのハルシュタットが、理恵のすぐ後ろからいきなり花畑にダイブする。 もふもふまぐまぐと輝く黄色の花々を口に含んではまたかじりつき、青銀の美しい毛並みにアメ細工のカケラが絡みつく。 「にゃんこ、カワイイ!」 「うわあ。猫ちゃん、元気だなぁ……ああ、でも本当にいいニオイなんだよ」 ほわんと笑いながら、灰色熊(グリズリーベア)のワーブ・シートンもまた巨体をゆったりと動かし、花畑の中にその鼻先を突っ込んだ。 「いっしょにさがすの?」「なぁに?」「あまい? あまい?」 少女と仔猫が戯れるすぐ傍では大熊がもっそりと動き、その周りを興味津々のクマ型アニモフ達が取り巻く。 「……癒される」 立襟洋シャツに袷と袴を合わせた由緒正しい書生の佇まいで、岩髭正志は彼らを目で追いかけていた。 可愛らしい。これ以上ないくらいに可愛らしく、非の打ちどころがない完璧なメルヘンだ。 彼らを眺めているだけで、その場にいるだけで、物語は勝手に紡がれていく気すらする。 しかし、振り返って自分はどうだろう。 成人男子たる自分がこのような場所にいて果たして許されるのだろうか。 「……う、うぅ」 気づいたら、予想以上にずぶずぶっと凹んでしまった。 こんなことではダメだ。 気を取り直して顔をあげれば、鼻先をふわふわと横切る可愛らしい毛玉たち…もとい、猫と熊とクマたちの姿がこれでもかと言わんばかりにあふれているではないか。 触りたい。 ぎゅっとしたい。 存分に抱きしめて、もっふもふを堪能したい、堪能させられたい。 「……ん?」「なあに?」「どうしたの?」「げんきないの?」 正志の熱い視線に最初に気づいたのは、花まみれになったつぶらな瞳の小さなアニモフたちだった。 「ん? おれたちがどうかしたの?」 「え、おいらたち?」 そんな彼らの声に、ハルシュタットやワーブまでもがクルリと振り返る。 「な、な、なんでもない、ないです、はい!」 思わぬ注目を浴び、正志は全力で挙動不審気味に両手を振って否定する。 もふもふな彼らをぎゅっと抱きしめたいだなんて、そんな大それた野望を口にするわけにはいかない。 せいぜい握手だ、握手をさせてもらおう。 と思ったのだが、そんなこちらの胸中など知る由もなく、可愛らしいモノたちはまた自由に元気にアメの花畑へもぐりこんでいく。 「あ、そうだ。ね、おれたちにも《古文書》見せてよ」 ハルシュタットはヒゲや口の周りいっぱいにアメのカケラをくっつけてもぐもぐしながら、危うく忘れそうになっていた『当初の目的』を果たすべくアニモフのひとりに声をかける。 「こもんじょ」「あ、あれはね」「いまは赤の丘にあるのー」 もっふり群れているアニモフ達が、揃っても彼方の丘へ手を向けた。 その先にあるのは、日の光を浴びてキラキラと輝くイチゴ味の花々が咲き誇る場所だ。 「あそこの花も食べたい」 キラン…っとハルシュタットの瞳が分かりやすいぐらい分かりやすく輝いた。 「どう、どう? あっち行く? 古文書見る?」 「ああ、確かに。何かを探すときには、まず探す対象物の正確な情報が必要ですし」 「あたしね、いろいろ見てみようと思ってたんだよ。赤いお花の所から始めて、一回りしちゃおうかなって」 「おいらも見てみたい、だよ」 ワーブは掌にくっついたアメをぺろりと舐めながら、のんびりと顔をあげた。 「いいねいいね! それじゃ、丘に登って、そこからぐるぐるっと回ろうよ。えへへ」 「いっしょいっしょ」「いっしょにさがそ」「いっしょにいこうね」 キャッキャと嬉しそうにはしゃぎ出したアニモフたちが、理恵や正志の手を取り、ワーブの背中に貼りつき、ハルシュタットを取り巻いた。 「!」 図らずも、正志はアニモフとの握手に成功した。 「それじゃ、赤い丘へしゅっぱーつ!」 「「「「オー!!」」」」 「お、おー……!」 理恵の可愛らしい号令に、ノリのいい彼らは揃って拳を突き上げて答え、ぞろぞろぞろぞろ、熊と猫と少女とクマのぬいぐるみと、若干己の場違いさに気恥ずかしさを隠せない書生の行進は始まった。 「青い泉にミントのお花、赤い丘に咲くのはイチゴのお花、青と赤を結ぶのは、レモン味の並木道♪」 楽しげなアップテンポで理恵が歌う。 遠足の時にみんなで声をそろえて歌うみたいに、軽やかなステップを踏みながら可愛らしい声で歌う。 「なにそれなにそれ」「すてき」「いいな、いいな」「ボクもうたうー」 その声を聞きつけたのか、そこここで思い思いの《特別な花》捜索をしていた他のアニモフ達までも列に加わった。 皆で手を繋いで、声をそろえて、ワーブもハルシュタットもアニモフ達も楽しく仲良く元気良く、正志だけは若干の照れまじりに小声で、作詞作曲・新井理恵の歌を口ずさみながら道を行く。 のどかな花畑での、それはちょっとした絵本のようなワンシーンだった。 絵描きならば絵画に、字書きならば文章にしたくなるような、そんなふわふわとした時間だった。 かつて小説家を志し、そして挫折した身である正志にとっても、その光景は書きたくてたまらなくなる刺激に満ちていた。 自分には分不相応だろうとひそかに首を横に振りながら、それでも惹かれる。 赤くきらめく丘で咲き誇るイチゴの味の赤い花を目指して、野を越え、林を抜けて。 緩くなだらかな上り坂には、わたがしの花たちがふんわり綿を飛ばして揺れていた。 「わあ、ついたー!」 ソレは誰の台詞だったのか。 小高い丘の上から見渡せば、この浮島が実に様々な色であふれているのが分かる。 おもちゃ箱をひっくり返したような、ビビットでキュートな色が散らばっている。 まるい花ばかりが咲いている花畑やねじれた葉っぱでできた緑のトンネル、キラキラ輝く水飴の小さな滝と白いわたがしの岩場も見えた。 この赤い丘も、他の場所から見たらキラキラと宝石箱みたいに輝いているのだろう。 「古文書はどこ?」 「こっちこっち」 ハルシュタットの問いに、先頭に立ったクマが丘の上の大きな切り株まで案内してくれる。 おそらくこの浮島で一番見晴らしがいいのだろうその場所には、他にも古文書を取り囲んだり花を探していったり来たりしているアニモフの姿があった。 「どれどれ?」 「わ、思ったより大きいんだね」 「すっごく綺麗なんだよ」 「……ホントに食べたアトがありますね」 もとは新聞紙を広げたくらいに大きな画用紙だったのだろう。 なのに、今はその半分程度。あちこちに見事な歯形がついているし、一部にはちぎった後もあった。 それでも十分、《特別な花》の特徴は分かる。 赤、黄、緑、青と、さまざまな色を混ぜ合わせた花びらを持った《特別な花》が、紙の真ん中にでっかく、夜空に咲く花火のような色鮮やかに描かれていた。 それを取り囲むようにして、湖や丘、河原、花畑がまるみを帯びたやわらかな線で描きこまれている。 「これがあかいおかだよ」「ここ、ここのね、この泉の水はおいしいんだぁ」「トンネルもね、あるの」「ね、ね、どこいきたい?」 大きな切り株の上に古文書を広げて、アニモフ達はニコニコとやわらかな手を使って旅人たちに説明してくれる。 「なんだか、この浮島の地図みたいですね……」 顎を指で撫でながら、正志が呟く。 「おいしいのかな」 素朴な好奇心がぽつりとハルシュタットからこぼれ落ちた。 落ちたのとほぼ同時に、あーんと、大きく大きく口を開き―― 「きゃ! 待って待って待ってー!」 「うわ、ダメですよ、ハルシュタットさん」 「わあわあ、だよー!」 「もが……っ」 理恵に口を塞がれ、正志に古文書を取り上げられ、ワーブの右手に小さな体を掬いあげられた。 ――危機一髪。 ツーリスト三人は、見事な連係プレイにより古文書を守り切れて、ほっと安堵に胸をなでおろす。 ただし、アニモフ達は事の重大さに気付いていないのか、きょとんとしているだけだ。 つぶらな瞳が眩しい。 「さて、と」 改めて切り株の上に正志が古文書を広げ、 「確かに素敵な絵だけど、これから何を読み取るかという話になりますね」 いまだ味見を諦めていないっぽいハルシュタットはワーブの腕に抱かれた状態で、旅人たちはアニモフ達と額を突き合わせて覗き込む。 「赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫……」 理恵は指で辿りながら、あちこち食べられてしまった用紙の中の、《特別な花》の花びらの色を数える。 「もしかして《古文書》は《虹》のことを指してたりするのかな?」 「ああ」 「あ」 「なるほど、ですよ」 何気ないその呟きに、正志、ハルシュタット、ワーブは揃って顔をあげ、ほぼ同時にあるひとつの可能性に気づく。 気づいて、声をあげた互いの表情を見合わせて、そうして確信する。 「《虹》というわけですね」 「虹! 花だよ、花花! 7色集めよう!」 「全部全部集めちゃいましょうですよ!」 「はは、いいですね。それじゃあ、ノリ代わりに水飴も調達しましょうか」 「えとえと、それじゃ決まり!」 キャッキャと笑いあい、猫と屈んだ熊と少女とともに正志は手を打ちあった。 「え、なあになあに?」「どうしたの?」「にじ?」「なんのおはなし?」 「ちょっと、失礼」 「え、うわ、猫ちゃん!?」 右に左に首を傾げるアニモフ達のために、ハルシュタットは、ワーブの腕からするりと逃れ、代わりに彼の腕を伝って肩から頭の上まで一気に駆け上る。 そうして、不思議そうなアニモフ達を見下ろし、胸を張り、しっぽをピンと立てて、よく通る声で告げた。 「おれたち、花を集めようって話をしてたんだ! 《特別な花》のために、おれたちみんなで全部の花をあつめよう! さあ、一緒に一緒に!」 一緒に花をあつめよう。 かごいっぱいに、両手いっぱいに、美味しく頬張りながら花をあつめよう。 大演説のごときハルシュタットの提言に、ともに赤い丘まで行進してきたアニモフ以外のものたちも、そろって大賛成の万歳三唱を繰り広げた。 探索ではなく、収集。 《特別な花》のための冒険。 花籠を口にくわえたハルシュタットの指揮のもと、クマたちを引き連れて、ゆらりとしっぽを立てて、とっとっと…とリズミカルに丘を下りて野原へ向かう。 彼に続く大行進は、小さな浮島を舞台に、いくつものグループに分かれて散った。 ふわふわとした夢見心地で、正志は、水飴の滝が眺められる小川でわたがしのテーブルをせっせとアニモフ達と一緒に作っていた。 作られたそこには、手分けして集められてきた花や草がずらりと並べられていく。 設計図となる《古文書》も正志の傍らにあった。 さわさわと揺れる花畑や草原を、クマ型アニモフのおしりや耳が見え隠れしている。 まるでかくれんぼみたいだ、とほんわり口元を緩めていると、 「ダーイブ!」 威勢の良い掛け声の直後、すごい水音がすぐ背後からした。 「は、ハルシュタットさん!?」 ふんわりわたがしの岩場から滝の下へと、仔猫が豪快にジャンプしたらしい。 水飛沫ならぬアメ飛沫が大きく上がって、アニモフ達の歓声と一緒にそこら中に散らばっていく。 「おーいしぃ」 アーと口を開けたままで進めば、どんどんどんどん甘い水が入り込んでくるのだろう。 飲んでも飲んでもなくならない水飴の飲み放題。浴びるほど飲める、というかむしろ泳いでいるその姿はいっそ清々しい。 「ふいてー」 ひとしきり全力で泳いで飲んで気が済んだのか、青銀色の仔猫はフルフルと身震いしながら正志のもとまでやってきた。 「ハルシュタットさん、泳ぐの上手ですねぇ」 懐に入れていた手拭いでもって、思いのほかさらさらとした甘い水滴を拭ってあげながら、しみじみ正志は言う。 「うん、おれはうまいよ。でも、泳ぐより飲むのに忙しかった。まだまだいける。今度はどの味にしようかな」 「ワーブさんと新井さんは緑のトンネルに向かってましたよ」 「今どんくらい集まってるの?」 「ん~……赤と黄色とオレンジがメインですね。青系はまだまだ不足っぽいです」 「それじゃ、おれは泉の方まで行ってくるかな」 青い目を細め、ちろりと可愛らしく舌なめずりしたかと思うと、彼は自分用の花籠を咥えて深緑の森の向こうにあっという間に消えてしまった。 その疾風のごとき小さな背中をつい追いかけたくなる。 「ハル、がんばってるー」「ワーブもー」「りえもー」「まさしも」「ね」「とくべつのはな、みつけようね」 「ええ、きっと絶対手に入れますからね」 無邪気なアニモフ達にそう答えながら、ふと、正志は思う。 この浮島のすべてがアメ細工でできているなら、花をあつめて特別な花を自分たちで作ってしまえばいいのではないか―― ヴァン・A・ルルーから話を聞いた時点ですでにこの考えに至っていた。 けれど、アニモフ達は探すことを楽しんでいる。 花を手に入れるために7色の集めることには決まったけれど、探す楽しみ、発見の楽しみはとっておいてあげたい。 「なんでしょうね……これは宝探しの仕掛け人になるんでしょうか」 正志はそろりと立ち上がり、そうしていくつかの花をそっと手の中に握り込んだ。 ワーブの背中を隠し、理恵の背丈を越えて揺れるのは、ねじれた葉っぱたちだ。 「すごいんだよ、ぜんぶキレイにねじれてる」 「すごい! ソレに、カワイイ」 「かわいい?」 「うん、かわいい」 ふふ、と理恵は笑って、パシャリとシャッターを切っている。 ワーブは、そんな彼女や、自分の背や足にじゃれついたり遊んだりしながら歩くアニモフ達の歩幅に合わせてゆったり歩く。 以前モフトピアを訪れた時にはなかなかに大変な思いをしたのだが、今回はとてものんびりふんわりしている。 こういう冒険もいいな…と思うその鼻先を、爽やかな香りがくすぐった。 そうして甘い草原を皆で掻き分けてずんずん歩いていけば、やがて草花は互いの手を伸ばして支え合う大きなトンネルへと姿を変えていった。 「行く?」 「もちろん!」 一行は迷いなく緑のトンネルに足を踏み入れる。 「ああ、これはいいなぁ」 ねじれた葉のトンネルは、中に入ると木漏れ日が緑色にキラキラと落ちているのが見える。 0世界で見た、ステンドグラスを通して教会のことをワーブは思い出す。 透き通った色の反射。 それを辿っていくと、ねじれた葉がグルグルとねじれにねじれ、天井近くで螺旋を描いていた。その先にとがった花びらを持つ小さな緑色の花が咲いている。 ソレは、あの古文書に描かれていたモノにとてもよく似ていた。 「うーん、おいらの手じゃうまく取れないかなぁ」 ちょい、と触るが何故かすぐにつぶれてしまう。 「頼んでもいいかな?」 「むしろあたしたちの方がお願いしたいくらいだよ」 理恵の言葉にホッとしつつ、ワーブは両足を投げ出して座り、ぐっと体を前に倒した。そうするだけで広い灰色熊の背中がステキに魅惑的な上り坂になる。 この肩車ならどんなところだってきっと届くだろう。 「それじゃ、お邪魔します!」 「わー」「ぼくもとるー」「ぼくもー」 「順番順番、なんだよ」 もそもそもふもふと理恵に続いてアニモフたちも広い背中によじ登る、そのくすぐったい感触にちょっとだけ肩を震わせ笑ってしまった。 「きゃっ」 「あ、ごめんだよぉ」 「ううん、大丈夫! ありがとう、ワーブさん」 届きそうで届かなかった螺旋のカタチにねじれた葉っぱに、そしてそこに埋もれて咲く緑の花に、ようやくみんなの手が届く。 「あ!」「ぼくらだ!」「あっちにも!」「こっちにも!」「すごーい」 アニモフ達が歓声をあげるのを聞きながら、緑の花籠を持った理恵は正志のもとへと近づく。 「なにをしてるんですか?」 「ん? うん、せっかくなので彼らが楽しめるモノを作ろうかと思いまして」 こっそりと開いた正志の手の中には、アメ細工のアニモフがいた。どうやらそれを草むらのあちこちに潜ませているらしい。 「これ、正志さんが?」 「ええ。……あ、これは貴女に」 「え」 「どうぞ」 ちょっと気恥ずかしげに差し出されたモノに、理恵は何度も大きな目をパチパチとまばたきする。 目の前にあるのは、2.5等身ほどにデフォルメされた自分の姿だ。蒼いベレー帽にはリボンもちゃんと付いていて、カメラらしき小物も持っている。 ビックリするくらい特徴を掴んでくれていた。 「すごい!」 「あ、ありがとう」 目線を落としながら小さく彼は口元をほころばせる。 「あと、これはヴァンさんに、とか……」 真っ赤なイチゴ味を練ってふわふわにすれば、自分たちをここに送り出してくれた世界司書そっくりの顔をしたアメ人形ができあがるらしい。 「黒いアメがあればタキシードにも挑戦したんですけどね」 「そういえば黒いのって見てないかも」 今回集める色の中には入っていないけれど、見つけられたらいいのにとちょっとだけ思う。 「……特別な花が手に入ったら、一体どんなことが起こるんでしょうね」 「きっととってもステキなことじゃないかしら。あたし、それを手にしたら、すっごく喜んじゃうと思う!」 「その瞬間が楽しみですね」 「はい、とっても!」 そんなやりとりの合間に、 「まさしがつくったの」「ありがとう」「まさしスキー」「ありがとう」 ひょこひょこと顔を出したアニモフ達が、両手いっぱいに抱えた花に自分そっくりのアメ細工をちょこんと乗せて集まってきた。 「ありがとー」「おいしいの、ありがとー」 彼らに目線を合わせようと屈んだ正志は、もふもふもふもふと次々やってきたアニモフ達に腕も肩も背中も足も頭も胸も場所を選ばずたかられて、余すところなく《もふまみれ》になって倒れ込んだ。 「正志さん、幸せ?」 こくり、と、アニモフに貼りつかれた物体は、無言のまま大きく一度だけ頷いた。 理恵に笑みが広がる。 「正志さん、はいチーズ」 笑顔のまま、ぱしゃりとシャッターを切っていた。 クマのぬいぐるみがもそもそと集まって山になったようなその写真は、現像すればきっと、誰が見ても、大好きな理恵の親友が見たって、存分に楽しさが伝わるものになるだろう。 「どんどんお土産が増えて行く」 カメラの中に想い出が詰まっていくのが嬉しくてたまらない。 ゆっくり甘い時間が流れる。 ゆっくりゆっくり、甘い材料たちが正志のもとに集まってくる。 やがて、アニモフと正志の手で用意された《9つのテーブル》に、いろいろな特徴を持った7色の花とねじれた葉っぱが並べられていき―― 「それじゃ、《特別な花》を作ろう!」 それぞれがそれぞれに重い想いの場所から集めてきた《材料》を前に、ハルシュタットは、またしてもワーブの頭まで駆け上って、そうして宣言した。 「《古文書》の花を作り出すんだ!」 「もちろん、みんなで一緒に、ね? ひとりに一個、特別な花を作りましょう」 「きっといっぱいおいしいと思うんだぁ」 「一緒に頑張ろうね! 皆でやったらきっとすごく楽しいもん」 けれど、まだまだアニモフ達は良く分かっていないらしく、不思議そうな顔をしたままだ。 「さがすんじゃないの?」「つくるの?」「どうやって?」 当然と言えば当然の、彼らの不思議に、ハルシュタットは威風堂々と自信たっぷりに笑った。 「作ってみればわかるよ」 かくして、水飴の小川の畔で、浮島のアニモフ全員集合の最大規模で《特別な花》作成講習会は開催された。 「おれにカケラちょうだい、いらないクズも全部食べてあげる」 白いわたがし製のテーブルにちょこんと前足を揃えて顔を出しては、ハルシュタットは小さな口をあーんと開けていく。 「ハルに」「じゃあ、あげるね」「わあ、ハルのくちいっぱい」 「お掃除係みたいなんだよ」 「ハルシュタットさん、このアメもあげますよ」 うまく作れないアニモフのお手伝いをしていた正志が、懐からアメを取り出す。 「あ、おれの姿だ! すごい、おれそっくり!」 「あたしもさっき正志さんにもらったんだ」 「ワーブさんの分もちゃんとあるんですよ」 「え、おいらのも?」 「ぼくももらったのー」「もらったのー」「いいな」「いいな」「ぼくもほしいー」 正志の周りにはクマ型アメを欲しがるクマ山ができあがったのだが、それはそれとして作業は進む。 「それにしても……ううん、ちょっと色が違うような気がするの」 古文書を見ながら色を合わせていた理恵が、ちょっとだけ困った顔をする。 「おんなじ色って感じじゃないね」 覗き込んだハルシュタットも、ふむ、と頷く。 「クレヨンで描いた色だからちょっとくらい違ってもいいのかなって思うんだけど」 「でもおんなじ色にしたいよね」 「RGB……CMY……」 そんなふたりの耳に飛び込んできたのは、ワーブの呟きだった。 「ソレって呪文?」 きゅるんとした瞳でハルシュタットが見上げる。 「いやぁ、ふと浮かんだだけなんだよぉ……なんのことだったのかなぁって」 「それってオイシイ呪文だったりしないかしら?」 「おいしいじゅもん……おいしい……」 ワーブは、大きな手を合わせて、両手いっぱいの花たちに顔を埋めるようにしてもしゃもしゃと口にする。 もしゃもしゃと、ハチミツとレモンとイチゴの花をぎゅっと握りながら食べて、 「あ」 最後のひと舐めをしようと見た手の中には、他の誰も見たことのない、絶妙なオレンジの可愛らしく美味しそうな色が生まれていた。 「見て見て見て、すごいんだよぉ」 「オレンジ! あ、ということは、ね、正志さん」 「この古文書通りの色にするには、アメを混ぜ合わせる必要もあるんですね」 「ミントとイチゴとレモンと……まぜていろんな味が一度に味わえるっていい!」 「猫ちゃんの言う通りなんだよ。とってもステキなんだよ」 「そうですよね。あ。でも、自分の好きな味だけ組み合わせるのもいいかもしれませんよ」 「世界のひとつだけの花、ですね! いいかも!」 「それ、それもためす! おれやる!」 「なあに?」「せかいにひとつ?」「それっておいしい?」 「おいしいと思うんだよぉ」 わいわいがやがやと、思考錯誤を繰り返し、たくさんの失敗とたくさんの成功とたくさんの笑顔とを積み重ねて、ちょっとずつちょっとずつ作業は進んでいく。 「それじゃあ、最後に紫の花びらをくっつけてください」 「「「「「はーーーい」」」」」 正志の声に合わせて、全員が揃って、皆でこねて作った特別な紫色の、最後の一枚の花びらをぴたりと貼りつける。 「できた」「できたよ」「すごい」「特別の花だ」「とくべつのはなだー!」 ソレは《古文書》にそっくりの、完璧に完全にそっくりの、アメ細工のこの島に咲く花たちの特徴すべてが合わさった《特別の花》―― 「いよいよおもてなしの時間ですね」 「特別なおもてなしかぁ。お腹いっぱいになるかな、どうかな」 「なにが起こるのかしら」 「おいら、おなかいっぱいになれるといいな~蜂蜜と果物があれば充分なんだよ」 ドキドキワクワクとたくさんの期待に満ちた瞳に見守られる中で、《特別な花》は、最後のひとひらをぴたりとくっつけられる。 途端―― きらり、きらきら、ぴかぴか。 瞬く光、光、光――光のカケラが舞い上がって、ぐるぐる回って、散らばって。 はじける。 はじけて、目が眩んで、眩しい光の粒がパァッと皆の頭上に降り注ぐ。 おもわずギュっと強くつぶってしまった眼を一生懸命がんばって開いてみれば―― 「「「「「わあ……!?」」」」」 全員が揃ってそっくり同じ声をあげた。 目の前に、それは唐突に現れた。 まるで宮廷料理のように、長テーブルに白いテーブルクロス、花籠に花が盛られ、三又の燭台にロウソクがともり、透明なワイングラスとずらりと並んだ銀色の食器たちが出現した。 魔法の瞬間。 奇跡のような一瞬の出来事。 答えに辿りついたものたちへの、特別な花がくれた特別のおもてなし。 「全部、アメだ……」 散々食べた。散々見てきた。でもまだ足りない、まだまだ足りていないと言わんばかりに、テーブルに並ぶのは豪奢なフランス料理フルコース……のカタチをそっくりそのまま写し取ったアメ細工のフルコースだった。 「あ、こっちも」「あっちにもー!」「そっちにも!!」 「え……」 あちこちで声が上がる。 アニモフ達は、彼らが数えられる数の限界をとっくに超えているのだろう。「わーい、いっぱいだいっぱいだ」と無邪気に万歳三唱をしている。 「あのね、もしかして、特別な花の特別なおもてなしって……」 「お花一個につきフルコース一個、なんだよ」 「すごいすごい! 食べよ、食べよ、どんどん食べてもどんどん出てくるんだ!」 理恵の問いに、こくりと頷きながらワーブが答え、ハルシュタットのテンションは天井知らずに上がっていった。 彼は、おそらくさらに追加で《特別な花》を作る気だ。 そんな見事な細工と美しさと圧倒的な物量で沸く大歓声の中、 「……そ、そうきましたか」 正志だけは小さく小さく罰ゲームを宣告された人間のごとく呻いていた。 メルヘンの世界には、《食傷気味》という言葉はないのかもしれない。 ちょっと気が遠くなる。 特別な花を皆で一緒に作ろうと提案してしまった過去の自分の言動をひっそりと悔いた。 しかし、喜ぶハルシュタットや理恵やワーブやアニモフ達は、本当に嬉しそうで幸せそうで楽しそうなのだ。 その笑顔を眺めているうちに、正志の気持ちもふわっと浮上していく。 後悔から一転、一切合切が『まあいいか』の一言で落ち着くのは時間の問題だろう。 そして。 この世のものとは思えないアメ細工の宴は、日が傾くまで続いたという――その最中、ぽつりとひとつの疑問が浮かび上がった。 「そういえば、これを作ったのって誰なのかな?」 「古文書のことですか?」 「うん。なんだか、アニモフちゃん達じゃない気がして」 「不思議と言えば不思議だなっておれも思うな」 「ううん、だれなのかさっぱりだよ。名前も消えちゃってるんだよ」 古文書に描かれた謎は解けたが、古文書そのものの謎、一体いつだれがどうやって描いたのかというのは謎のまま残っている。 気になりだしたら、調べたくなる。 【特別な花《ソウサク》隊】改め【古文書の謎を追うミステリーハンター】が、アメ細工のモフトピアでもうひと探検することになるのだが。 ソレはまた別のお話。 END
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