吉備サクラは、医務室のベッドで目を覚ました。 半身を起こし、ため息をつく。 ――失敗したんだ。 そう、彼女は、いや、流転機関を入手するべく、チャイ=ブレの体内に潜入したひとびとは、ことごとく失敗した。流転機関どころか、ひとかけらの情報さえ得られなかった。あれだけ、命を危険にさらしたというのに。 ハイリスク=ハイリターンは、残酷なまでに成立しなかった。どこか間違っていたのか。あるいは読み違えていたのか。それとも甘く見ていたのか。もしくは、自身のエゴイズムを優先したものが多過ぎたのか。 そうかも知れないし、そうでないかも知れない。 ただ、おためごかしに言われるように、他者と連携し、配慮と協力を重ねることが成功のカギだったとも思えない。エゴイズムの優先上等、それが冷徹な計算に裏打ちされてさえいれば、ノーリスクで成果を持ち帰ることは十分可能だったはずだから。 つまりは――計算が甘かったのだ。それに尽きる。 重要な情報を得たいなら、我が身の安全を投げ打ってでも挑戦するべきだと、サクラは今でも思っている。 誰かが泣くからやめろ? 誰かが心配するから、自分を大事にしろ? だから、無茶をするな? ……馬鹿馬鹿しい。 それは、こころに空洞を持たぬ、幸せなひとたちのことばだ。(シオンくんは、泣くかな? どんな選択をしても尊重する、そう言えるような相手に対しても)(……泣くだろうな、私に何か、あったら)(泣かれるの、いやだな) 一週間が過ぎた今も、サクラは声を発することが出来なかったが、怪我は快癒し、日常生活に支障はない。 年末までには、痛めた喉も治るだろうと言われ、サクラは退院を許可された。(シオンくんと、話してみたいな)(――心残りは作りたくない) * *「……」 クリスタル・パレスの入口扉が、遠慮がちに開く。 スケッチブックを抱えたポニーテールの少女を見るなり、シオンはあらゆる接客対応マニュアルをすっとばして駆け寄り、思いっっっきり抱きしめた。「さぁあああくぅらあぁぁぁーーーーー!!!」 むぎゅ。ぎゅーーーーむ。「……!」「よく生きて帰ってこれたな。ったく無茶しやがって友達に心配かけやがって何なんだよおまえ」 頭をがしがし撫で、少し頬を膨らます。「おまえさぁ、おれのこと、これっぽっちも愛してねぇだろ? いや、惚れたはれた別れるの別れないのみたいな不安定な関係とは無縁なんで、ずっと付き合える大事な友達に対して、おれは言ってる。おまえ、おれのこと、ぜんっぜん愛してねーだろ?」「…!?」 サクラは必死で首を横に振る。「うそだね。だっておまえ、なんか悩んでそうなのに、何にも言ってくれなかったじゃんか。様子みて察しろっても、そりゃ無理だよ。おれ、物わかり悪いんだからさ」 額をこつんと打ちつけた。「ちょっと顔見せてみ。……うん、よしよし、傷とか残ってないな。さすがクゥ女史と医務室スタッフは優秀だぜ」 頬を軽くぺちぺち叩いては、さらに強く抱きしめる。「……。……!」 サクラは苦しがって手足をばたばたさせているのだが、シオンはいっこうに頓着しない。「……シオン。そのままだとサクラさまが窒息する」 やんわりとシオンを制し、ラファエルはサクラに微笑んだ。「大目に見てやってください。あの時はシオンがそれは心配して、サクラさまを追ってチャイ=ブレの体内に行くとまで言い出して、止めるのが大変でしたので」「っと、ごめん。サクラ、声、でねぇの?」 サクラは頷いて、スケッチブックに文字を書く。『うん。あと二ヶ月くらい?』「そっかぁ」『それで、今日はお願いがあって』「なに?」『宿木に行くのに付き合って貰えませんか?』「『宿木』……? ああ、樹海のなかにある拠点か。0世界大祭のトライアスロンのゴールになってたっけ」『そろそろ、保管していた保存食の期限が切れちゃうので入れ替えしたいのと、多少、片付けもいるんじゃないかと思って。ひとりで行くと、ちょっと遠いので』「へー、気が利くなぁサクラ。片付けや保存食の入れ替えとかは皆で手分けしてやったかもだけど、気は心ってやつだよな」『丸一日かかっちゃいそうですけど、お手伝いしてくださいませんか?』「そういやおれ、宿木に行ったことないし、見学と散歩がてら出かけて見るか」 ちょっと待ってな、と、シオンはいったん厨房に引っ込んだ。 ほどなくして、小ぶりのバスケットを持って出てくる。 中にはふたり分のサンドイッチと、湧かしたてのコーヒーを入れた保温タンブラーが詰められていた。 秋鮭を焼いてほぐして白ネギとごま油であえた、シンプルなひと口サンド。マッシュルームをバルサミコでソテーし、チーズとスクランブルエッグを合わせたカンパニューサンド。ハムとルッコラとポテトサラダのロールサンド。「樹海探索を、ちょっと思い出すな」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>吉備 サクラ(cnxm1610)シオン・ユング(crmf8449)=========
††こころへ飛ぶ 樹海は、いつも静かだ。 他世界の生命力あふれる森のように、さえずりながら木々を渡り、果実をついばむ鳥はいない。やわらかな草を食み水浴びをするやさしい目の動物のすがたもない。それを狩ろうと身を低くして牙を剥く猛獣もいない。草むらで鈴のように小さく鳴く虫もいない。さらさらと流れる小川も、こんこんとわき出す泉も見当たらない。 樹海は、植物たちの記憶の結晶だ。 あらゆる世界に存在した植物たちの記憶がかたちになったものであるから、その植物相に法則性はなく混沌としている。「樹海で自然に生きる動物」がいないのは当然で、なぜならばここもまた「0世界」であるからだ。 分け入れば分け入るほど、不思議な気持ちになる。 それは、自分の過去を探索し、記憶をみつめ、こころを整理する作業に似ているからかも知れない。 「おー! すっげー!」 水路沿いに進み続け、やがて忽然と現れた「家」に、シオンは歓声を上げた。 探索の拠点の小屋というイメージから、もっとささやかなものを想像していたのだ。しかしながら『宿木』は、日本家屋ふう木造二階地下三階建て屋根裏櫓つき水場つきの快適な施設であった。その製作に携わった面々のハイスペックさがしのばれる。 「これを有志で作って、水路も引いたっていうのがすごいよなぁ。それにこの地図」 リビングを見回したあと、棚にある二枚の地図をシオンはしみじみと見つめ、しきりに感心した。パーテーションと収納ボックスまでが備えられていることにも目を見張る。 サクラは腕まくりをし、てきぱきと保存食の入れ替え作業と掃除に取りかかった。 もっとも、先日の0世界大祭で使用したばかりのこの施設は、参加者たちの手で後片付けも清掃もきちんとなされていたため、さして汚れてはいない。 シオンも手伝い、入れ替えと掃除はすぐに終了した。 「お疲れさん。腹へったろ? メシ食おうぜ」 リビングのテーブルの上でバスケットが開かれた。保温タンブラーのコーヒーがカップに注がれ、サンドイッチがひとつ、サクラに渡される。 サクラはしばらくサンドイッチを見つめてから、やがて、おずおずと口に運ぶ。 シオンが心配そうに、その様子を伺う。 「……と、何も考えないでサンドイッチにしちまったけど、大丈夫か? 喉痛めてんだよな。しまったなぁ。スープとかのほうが良かったかな?」 サクラは微笑みながら首を横に振り、美味しそうに食べ始めた。 こくり、と、コーヒーをひとくちのんでから、スケッチブックに文字を記す。 『ありがとう、美味しいよシオンくん。珈琲も固形物も久しぶり』 「そうなのか? だったらいいけど」 シオンはほっとした顔で笑ってから、保護者口調になった。 「食えるんだったら、もりもり食わなくちゃだめだぞ? おれの分も食ってしまえ、ほら」 「……」 サクラはスケッチブックを一枚めくり、じっとシオンを見る。 「ん? どした?」 『私のことを心配するひとなんて、ひとりもいないと思ってた』 「んなわけねーだろー!」 テーブルに手をつき、シオンは身を乗り出す。 「なんでおまえがそう思うのか、そっちのがわかんねーよ」 『でも、入院中に本当に思いもかけないひとからメールがきて、他にも慰めてくれたひとがいて。もうちょっとだけ頑張ろうと思った』 「……そっか。……うん、そっか」 シオンはほっと安堵の息を吐く。 「よかったな、……そっか、うん」 何度も何度も頷く。 「声が出るようになったら、そのひとたちにお礼言わなくちゃな。……そのひとたちを、大事にしなくちゃな」 『それでね』 スケッチブックにさらさらと、サクラは文字を重ねる。 『私が心配するひとは誰だろうって思ったとき、浮かんだのがシオンくんだった』 「おまえが……? 心配する? ……おれを? どうして?」 シオンの表情が強ばる。安堵のいろがかき消えた。 『私もシオンくんのこと好きだし、大事な友達……。こういうことできるくらいに』 抱きしめる。 白い翼を撫でる。 頬に親愛のキスをする。 シオンは青ざめたまま、動かない。 『私、シオンくんに察してほしいことも悩んでることもないよ?』 「……サクラ」 『そんな重いこと、頼まないから』 「サクラ、おれは」 ――「そんな重いこと」を、打ち明けてほしかった。 ディーナ姉さんのように、ひとりで抱え込まないでほしかった。 おれは誰のちからにもなれないのだと、わかってはいるつもりだったけれど。 ††葛藤へ飛ぶ ――私はとっくに壊れてる。虚無が芽吹いて穴だらけだ。 絶望を悟られまいと、サクラは笑顔で『話し』続ける。 (そうか。もしかしたら、サクラは) その笑顔の奥に何を隠しているのか、シオンはわかる気がした。 (とっくに決めてるんだ) サクラはおそらく、どこかへひっそりと、消えていきたいのだろう。 だが、そんな気配を見せれば、彼女を心配するものは嘆くだろうから、笑顔の鎧をまとったままでいるつもりなのだ。 そのときまで、誰にも何も言わず、誰にも気づかれないように。 『ラファエルさんは、ヴァィエン侯は本当に貴方のお父さんだから。シオンくんが自分から巣立つ日まで、絶対貴方を守ってくれる、何度でも』 「うん、そうだな。……わかってる」 『信じて大丈夫だよ、ひとりじゃないよ』 「うん」 『愛されてるよ』 「……うん」 『だから頑張れ、シオンくん』 サクラはふと手を止め、シオンを見つめる。 『シオンくんは優しいから、みんなすがりたくなっちゃうけど』 「……?」 『シオンくんがそのままでいいって思ったひとは、シオンくんには最初から救えないひとなの』 「……!」 シオンの顔はいっそう蒼白になった。唇を噛み締める。 『嘆かないで、出来れば早く忘れてあげて。そのひとだってシオンくんを苦しめたいと思ったわけじゃないから……』 「そんなことは無理だ」 『お願い』 「もう、やめてくれ、サクラ」 サクラの肩に手を置く。その顔を覗き込む。 ――おそらくはこれが、最後の懇願だ。 「助けてほしいって言ってくれよ! 私のことをもっと気にしろって言ってくれよ!」 『シオンくん』 「どうせコイツには救えない、どうしようもない、って思ってくれたままでいいから泣きついてくれよ。救えなくったって一緒に苦しむことはできるだろ? 一緒に泣くことくらいできるだろ? そういうのが友達なんじゃないのか?」 ――だが。 『やだなぁ、シオンくん」 サクラは笑顔のままだ。 『何言ってるの。私は大丈夫だよ?』 シオンははっとことばを呑み込み、黙り込む。そして。 「……なんだよ、そっか。おれの気にし過ぎかな? ウザいこと言ってごめんな?」 シオンもまた――笑顔になった。 笑顔の結界を、張った。 『あ、もうこんな時間。帰ろっか』 「だな。よっし、サクラ抱えて樹海をひとっ飛びするか」 『えー、いいよ。重いよ』 「へーきへーき。荷物軽くなったしさ」 なんの変哲もない樹海探索帰りであるかのように、ふたりは帰る。 こころのうちは似ているようでいて、しかし、相容れない。 (だれにも知られず消えるから。私を心配するひとが嘆かないように、消えるから) (おまえこそ、嘆かないでくれ。たとえおれが、魔物になっても) (それまでずっと、笑っているから) (おれもしばらくは笑顔でいよう。準備が整う僅かな間だけ。おれを心配してくれるひとたちに、気取られないように) (シオンくんは幸せにね?) (サクラは幸せになってくれ) ここでいいから、と、クリスタル・パレスの前で、サクラはぺこりと頭を下げる。 『今日はありがとう、シオンくん』 「おう、どういたしまして」 『今度、ヴァイエン領で収穫祭があるんだよね? 私も行っていいかな? 目立たない場所にいるようにするから』 「いやいや、せっかくだから搾汁にも参加すりゃいいじゃん。地元の衣装、鬼カワイイんだぞ? 絶対サクラにも似合うと思う」 『うん、着なくてもスケッチはさせてもらうね』 「……サクラ」 手を振って背を向けたサクラを、シオンは呼び止める。 怪訝そうに振り向くサクラに、翼から羽根を一枚引っこ抜き、渡した。 「……?」 「ま、今日の記念だ」 ††迷宮へ飛ぶ ――おれは破滅を認めない。 強固に他者を拒絶し、破滅に至る女を救うすべなどないにしても。 誰もおれに助けを求めてくれないにしても。 それでも確実に、苦しんでいる女をひとり、おれは知っている。 翼を切り落とす決意も、片恋を精算する潔さもなく、世界計の欠片を手に迷鳥と化してしまった、弱くて哀れな女王を。 収穫祭でのシオンは、終始笑顔ではしゃいでいた。 心底、楽しそうに見えた。 いつもどおりの、彼だった。 だが。 ひとびとの想いとともに収穫祭がつつがなく終わり、フライジングに晩秋のさびしさが訪れるころ―― シオン・ユングは忽然と、ターミナルから姿を消した。 アルバトロス館の彼の部屋を見た無名の司書は、悲鳴を上げてその場にくずおれたという。 何となれば、 そこには、おびただしい量の黒い羽根が、散っていたので。 さようなら、サクラ。 おれは、苦しんでもがいて、助けてくれと全身で叫んでいる女のもとへ行く。 魔物になってしまうおれを、許してほしい。 それでもずっと、おまえの幸せは祈っているから。 ††そして、 サクラの手には、一枚の白い羽根だけが、残った。 ――Fin.
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