「あ、おはようございます」 取材陣が現場に到着すると一人の少女が出迎えてくれた。 スタッフが簡単な自己紹介を行うと、少女は小さく頷いて彼女は大きな桶を背負った。 「それじゃそろそろ行きましょうか」 まだ外は真っ暗だ。こんな暗い内から彼女の仕事は始まる。 このチェンバーにはターミナルには珍しく朝夜の概念が設定されている。 しかし、それは作物のためであり従事者のための設定ではない、と彼女は言った。 ――農作業員の朝は早い。 まだ夜明けの気配すら見えぬ時間帯、彼女はすでに朝食を済ませ、野良仕事の準備を整えていた。 「そうですねー。やっぱり朝は眠いですけどもう毎日のことですから慣れちゃいました。それに夜明けの空気って好きなんです」 土色のシミがついた作業着は彼女によく馴染んでいた。 化粧やお洒落のひとつでもしてみたくはないのか? と言うスタッフの問いに、彼女は真っ赤になって「そ、そんなわたしなんかが……」と言葉を濁す。 そんなことより早く行きましょうと話を切り上げられ、暗い外へ足を踏み出す。 スタッフは暗い農地を行くソア嬢の後を追う。案内されたそこには広大に広がる黄金の絨毯があった。 「このあたりの区域は今、秋なんです。この田んぼはもうすぐ収穫時期なんですよ」 夜明けの光を浴び、黄金色に輝く稲穂を満足気に眺めるソア嬢。だが、この収穫には人知れぬ彼女の苦労が詰まっていた。 ソア・ヒタネ嬢 若干13歳にしてターミナルの食を一手に引き受ける農業チェンバーで活躍する若手のホープ。 この少女こそ今回の主役である。 ここで視聴者の方には数ヶ月前のVTRを見ていただこう。 季節は春。雪解けが終わった頃、我々はこの農業チェンバーに密着取材を申し出た。 チェンバーを仕切っている『カントク』から紹介されたのが彼女だ。 カントクの紹介を受け、我々がソア嬢に企画を説明する。 「ええええっ、わ、わたしをですか!?」 始めはふんふんと聞いていたソア嬢だが、取材という言葉に敏感に反応し、ぶんぶんと頭を振った。 「そんなっ、無理です。無理ですよ! 他にもっとすごい方がいらっしゃいますし、わたしなんかお手伝いさせていただいているだけで……」 消え入りそうな声で断る13歳の少女。 そんな彼女に強引に取材を迫るのも紳士らしくないとカントクに他のメンバーの紹介を依頼したところ、むくつけき筋肉ダルマと表現すべき農夫を紹介されたので、恥ずかしがって手をふるソア嬢に強引に取材を迫り快諾を得ることに成功した。 聞けば彼女は力仕事をメインにこなす傍ら、品種改良や増産計画にも手を出しているらしい。 誌面に栄えるのも取材対象として気持ちがいいのも美少女の方である。 交渉の末、あくまで農作物に焦点をあてるということで取材許可を得た我々は早速、ソア嬢の仕事の見学へと向かった。 「ここで種まきを行います。一口にお米って言っても色々種類があるんです。暑さに強かったり、寒さに強かったり、収穫量が多いもの、美味しいもの。それはもちろん、寒暖に強くて美味しいお米がいっぱいとれるにこした事はないんですけども、美味しいお米や収穫量の多いお米はナイーブになりやすいんですよ。単一品種と言っても籾殻によって個性もあります」 種まき、つまりどの種類の籾を選ぶのかで半年後の収穫が決まる。 もっとも綿密に計画を練る作業であり、一種、ギャンブルに近い決断が必要だと彼女は言った。 「チェンバーのいい所は日照量も降雨量も、気温まで管理できることなんです。ターミナルに自活してる虫は少ないですから害虫の心配もありません。なので、暑さ寒さや害虫対策はほどほどでいいんです。それよりも、今年はナラゴニアの人もいますからね。いざという時に備えてメインの田には収穫量を優先してみようと思います」 収穫を担う広大な田に植える種類が決まった。 それに加え、収穫量のみを追求した品種と味のみを追求した品種も僅かながら用意するという。 「ターミナルではナレッジキューブがありますから飢えることはありませんが、それでも万一ということもあります。そんな時の備えとして収穫量の追及は大切です。その次に美味しいお米の追求。他にも……」 米以外にも野菜の類も作っている。 少し、というが一つ一つの種類はとても大きい。 ここでスタッフは妙なことに気付いた。 植える種類の品種は決まったが同じ場所に固めて植えないのだ。 ある程度のまとまりはあるものの、例えばトマトを植える場所はメインの田から見て北東、南東にひとつ。西に三つ。 「それはですね。ひとつに固めておくと侵食される場合があるんです。もし作物に伝染性の病気が出た時、同じ場所に植えておくとすぐに全滅しちゃうけどある程度離しておけばすぐに全滅する事はないんです」 なるほど、農業者の知恵である。 種まきから一ヶ月。再びソア嬢の元を訪れたスタッフの前に、ポッドと呼ばれる苗床には青い稲穂がいくつも茂っていた。 「これから田植えですよ。田植えは人手が必要なので、このチェンバーにいる人達は持ち回りでそれぞれの担当エリアの田植えを手伝っているんです。……あの、手伝ってくれますか?」 少女の願いを聞き届けるのが紳士の務めである。 ペンを苗に持ち替え、スタッフ一同、ソア嬢と一列に並んで田植えを手伝うこととなった。 泥の中に稲を一定の深度まで差し込めば後は稲の方で勝手に根を張ってくれるという。 何人かの筋肉痛という尊い犠牲を払ったものの、無事、田植えを完遂する事ができた。 「あ、そうだ。こっち、見に来てみませんか?」 我々は柄に合わぬ野良仕事を終えてソア嬢の手招きに乗ってみた。 米とは違う畑に移動すると、雑草のような小さな芽が土からいくつも顔を覗かせている。 「こっちはとうもろこし、あっちがトマト。お米だけじゃなくて色々作っているんです。芋類はまだ発芽してませんけど、すぐですよ」 あの水田から見えているカラフルな苗は? 「あれはヴォロス産の水竜草ですね。ブルーインブルーの海栗(うみぐり)も一緒に植えています。ウニじゃないです。ええと、わたしには難しいことはよくわからないんですけど『片方の代謝物がもう一方の必須栄養素となる理想的な共存関係』にあたるそうです」 基本的には、食に特化した品種改良が行われており特殊な成分を必要としない壱番世界の作物を中心としているらしい。 だが強烈にうまいもの、あるいは強力な繁殖力を持つものはヴォロスの方が優れており、どちらも0世界の食卓には欠かせない存在だという。 普段、口にしている食べ物の由来を知らないのは中々に空恐ろしいことではないか。 ソア嬢にその不安をそのままにぶつけてみた。 「そうですね。わたしたちのチェンバーでは見学に来てもらっても構いませんけど、それよりも誰がどんな風に作っているか知らなくても安全でおいしいお野菜が食べられるのって、わたしたちの勝利! みたいな所があるんじゃないかと思うんです。がんばってきたからそういうお野菜をお届けできるのってちょっと嬉しいですよね」 夏のある日、常駐スタッフから連絡が入り、取材陣はあわててチェンバーを訪れた。 ソア嬢は青々とした稲穂を手に難しい顔をしている。 「……あ、これですか。病気です。雨の勢いが少し強かったみたいですね」 降雨量、日照量、その他の環境をチェンバーの力でコントロールしても尚、自然は難しい。 雨の勢いが少し強すぎて、たまたま成長が少し遅く、その結果雨粒が跳ね上げた泥が草にかかった。 たったそれだけのことで作物は用意にダメージを受けてしまう。 治療する薬はあるがそれを使うと田全体に影響を与えてしまう、そう言ってソア嬢は腰の鎌で周囲ごと刈り取った。 ――つらくはないですか? 「え? そうですね。それは少し残念な気もしますけど、こればっかりは自然のものですし、このままにしておくと周りも病気になっちゃいますから……」 そう言って彼女は笑顔を見せた。 「それにこんな病気だって何かの役に立つかもしれませんよ。ほら、あそこに」 彼女の指差す先には農地に相応しくない近代的な外観のビルがある。 一階を見ると窓の外に鍬や鋤が立てかけてあることから、このビルもチェンバーの一員なのだろう。 「あそこは作物の研究をしてるんです。他の世界の農作物を分析したり、まったく新しい作物を作ろうって言う研究なんですよ。ほら、こんなのも」 ソア嬢は田んぼの一角にあるトマトを指差した。 どう見てもトマトなのだが、中身は常識はずれだという。 「ビタミンとかミネラルの栄養素をふんだんに含んでいて、あれ一個で普通のヒトの数日分の必須栄養素が詰まってるそうなんです。育てるのも楽でいい作物ですね」 普通のトマトではないらしい。 だが、そんなに便利な作物ならばもっと大々的に宣伝されているのではないか。 気軽に問いかけたところ、ソア嬢の表情は少し曇ってしまった。 「たしかに栄養満点なんですけど、やっぱり世界が違うと体質が違うみたいで、強すぎる成分の作物はツーリストの方々には毒になってしまうそうなんです。それに冷蔵してもすぐに腐っちゃうって言う難点がありますね。凍らせるとおいしくなくなるし、加熱すると栄養が壊れるしでなかなか難しい作物なんです。……なんて言っても研究施設にいた人の受け売りですけどね。それでもいつか役に立つかもって細々と作ってるんですよ」 日々の繰り返しに見える農作業、だが最先端の研究を欠かすことはできない。 我々はまた一つ、ターミナルの食の根幹に関わる問題を見た。 研究施設への取材は可能ですか? 「うーん、やめたほうがいいと思いますよ。誰もいないのにしゃげーとかきしゃーとか声が聞こえたりしますし、それまで仲の良かったお隣さんが研究施設に二週間ほど出向したら、二度とお野菜食べられなくなったみたいですし。何があったか言ってくれないんですけど、お布団かぶって「セクタンコワイ」としか言わないんです」 このような噂で我々の好奇心と勇気が抑えられることはないとここに誓う。 誓いはするが今はソア嬢の取材が第一なので血の涙を飲んで、あの施設への潜入取材を断念した。 重ねて言うが勇気の問題ではないのだ。 ――実りの秋。ターミナルを歩いてからチェンバーに入ると草木の香りが何とも言えず心地良い。 冒頭でお届けした黄金の絨毯は収穫間近のこの瞬間しかお見せできない貴重な写真である。 今年もたっぷり実りましたね。あれ? 先ほどまでそばにいたソア嬢がいない。 あたふたするスタッフに近所のおばちゃんが指示を飛ばし、取材は体験レポートへと予定変更を余儀なくされる。 鎌で稲を刈り、いくつかを束ねておくと一頭の牛が次々と運んでくれるようだ。 「お、えらいな」 「ぶもー」 スタッフに頭をなでられた牛は嬉しそうに啼き、その立派な体格よりも遥かに大きな稲穂の束を背に、何度も田を往復した。 数時間後、作業を終えたスタッフを呼ぶ声がする。大きな窯の前でスタッフを呼び集めてくれたのはソア嬢である。 彼女も収穫を張り切りすぎて泥だらけだ。 なんと収穫したばかりのお米を早速、炊いてくれたというのだ。 収穫したばかりの米は数日かけて天日干しを行うものだが、保存の必要がない収穫仕立ての米をそのまま食べられるのは収穫に立ち会ったもののみの特権である。 惣菜として並べられた野菜も取れたばかりのものをふんだんに使い、このチェンバーの料理自慢達が腕を振るってくれたものだ。 我々だけで食べてしまうのが勿体無いと呟いた所、このチェンバーではこの年、収穫祭を目論んでいると教えてくれた。 「大勢の人が来てくれたらなっておもいます。宣伝してくださいね」 そう言ってソア嬢は可憐に微笑んだ。 収穫祭の日程は以下の通り――。 ※数に限りがございます。ご了承ください。
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