オープニング

●0世界:赤の城

 ロストナンバー、リーリス・キャロン。
 数々の依頼を積極的にこなすも、言動・行動に多々の疑念あり。
 直接の発端は先日のインヤンガイにおいて、ロストナンバーに対して臼木桂花の明確な殺意と行動したこと。
 エアメールによる喚問は拒否、現地に潜伏を続けている。
 現地の探偵および霊能者により、潜伏地と思われる街区および周辺街区の地脈・霊脈が衰弱。
 霊的な無菌区域ともいえるスポットの出現により、周辺の暴霊が流れ込み間もなく消滅していった。
 異常事態ともいえる霊的バランスの崩壊により、今後、天変地異や霊的災害が予測される。

「――以上、レポートの概要です。ロストナンバー、リーリス・キャロンの確保はまだ?」
 同じ質問を何度繰り返しただろう。何度目かの「まだ」の報告に、カリスは苛立ちを隠せない。
 玉座の横、卓についているのはアリッサとレディ・カリス。
 アリッサの後ろに執事のウィリアム=マクケイン。
 この事態に、アリッサの決断は『リーリス・キャロンの召還と事情聴取』および『応じない場合は捕獲任務の発動』である。

「甘い」
 カリスの意見はこの一言に集約される。
 ロストナンバーの叛逆に甘い顔をしているわけにはいかない。
 まして、殺害まで加わった。現地への影響も甚だしく、今後も悪化する可能性が高い。

「まだ話を聞いていないわ」
 アリッサの意見もこの一言に集約される。
 確かにリーリスの凶行は見過ごせるものではないが、有無を言わせずに殲滅してはいけない。
 本人の意思ではなく、例えば暴霊の憑依などによる暴走の可能性もないではない。

 この二人の会議がもたれるのは三度目である。
 アリッサの二勝、再三の召還要請にリーリスは応じていない。
 必然的にカリスの論調は今回が最後であるかのように高まっていく。
「インヤンガイではリーリス・キャロンのいる街区の封鎖が進んでいます。今なら封鎖された街区を戦地にできる。戦力の展開も容易のはず。最大戦力をつぎ込んでこれ以上の被害を食い止めます」
 かたや、アリッサの言葉は弱くなっていく。
「じゃあ、伯母様。捕獲の依頼を出すわ」
「そうね。今度しくじったらその後は任せてもらえる?」
 はい、と言うしかない。
 仮にリーリスが敵だとするならば、アリッサの甘さが時間を与えてしまったのだから。
「それじゃ、私はこの依頼を担当する世界司書を決めてくるから」
 カリスの返事を待たず、アリッサは席を立って部屋を出て行く。

 ああは言ったがアリッサはリーリスへの捕獲を優先させるだろう。
 まかりまちがってターミナルへ連行でもした日には、この0世界を舞台に大暴れされるかも知れない。
 ナラゴニアとの戦争の爪痕はまだ癒えてはいない。無用なテロリストを抱え込むわけにはいかないのだ。
(やはり、トレインウォーの準備をする必要がある)
 己も席を立ち、カリスは声をあげる。
「誰か、トレインウォーの準備を」
「そうはいかない」
「……珍しい。ここに来るのね」
 医務室のクゥ。
 赤の城に白衣は派手に目立つ。
「貴方もリーリスの関係者、そうよね?」
「うん」
 医務室は、リーリス・キャロンの0世界での定住場所。
 その主宰であるクゥも共犯の嫌疑が向けられていた。

「それで、何をしにここへ?」
「アリッサが捕獲指令を出す準備を開始した。状況から見て、君がトレインウォーの画策をする頃だ。いい報告と悪い報告がある。どちらから聞く?」
「いい報告を」
「リーリスの潜伏先が特定できた。世界司書の黒猫にゃんこの部屋でキサにエアメールが届いたんだ」
 クゥはメモを広げる。
 キサが受け取ったもののメモである。

――人殺し
――
――お前は馬鹿な城の為に街区の人間を皆殺しにした
――
――人殺し
――
――お前のした事を見においで
――
――人殺しのキサ

 メモを一読し、レディ・カリスは頭を振った。
「……悪い報告は?」
「一時的に暴走したキサが黒猫にゃんこ司書の司書室を壊滅させた。今は落ち着いている」
「そう。それで、貴方がここにいる理由は? 伝言役なんて柄じゃないでしょう」
「レディ・カリス。君を止めに来た。リーリスの能力は塵化による機動力や破壊力よりも、魅了能力の方が恐ろしい」
 赤い瞳で見つめられ、動きも、脳も意のままに操られる。
 リーリス自身、その能力をフルで解き放っていればこそこれまでの言動や行動にもさしてお咎めはなかったのだ。
 報告書の内容に不穏な色があったところで、同行者が好印象をいだいていればそれほど気にもされない。
 彼女自身の魅了能力で強制的に好印象を抱かせても、結果は同じである。
 それが今回は仲間を傷つける方向に向きかねない。

「そうね、インヤンガイでこれ以上、リーリス・キャロンに与する人物や勢力を広げさせないために、一思いに叩く必要があるわ」
「それについては否定しない。だけど、魅了能力者を相手に大人数を叩き込むバカがどこにいる。わざわざ犠牲者を自分から送り込むつもりか」
「戦力の遂次投入は古今東西、最大の愚作よ」
「うん、そうだろうね」
「わかっているならそこをどきなさい」
「断る。君を止めに来た、と言っただろう」
 座する赤の女王、レディ・カリス。
 扉の前に立つ、クゥ・レーヌ。
「そう、リーリスに味方してこの場で叛逆でも宣言するつもり?」
「大それたことを言うつもりはないよ。君が暴走しなければそれでいい。繰り返す、リーリスを相手に大人数を繰り出すな、無駄な犠牲を増やすだけだ」
「保健屋風情が、赤の女王の進撃を食い止められると思うか」
「止める。この部屋から出さない。万策を用意してきたんだ。
 ――試してもいいよ。《Lady Chalice》様?」
「思い上がるな、Coeur Reine」
 真っ向から対峙する。
 凜として張り詰めた空気が凍りつく。
 燃え盛る炎のような赤の空間で、白い雪がひとかけら存在を主張する。
 睨みあいでも、僅かな時間は稼げるはずだ。
 少なくとも、アリッサが指示を出すまでは。



●インヤンガイ:忘れられる予定の街区
 廃墟と化したビル。
 汚染された川。
 他の街区を決定的に異なることは、この地区には生物の気配がない。 

 霊力の枯渇により、人間の生活に利用してきた霊力エネルギーの確保はおろか、生物が生物として魂を存続させるための霊力すら、地脈に通ってはいないのだ。
「ふぅん、イズルみたいに霊力を電力に変換するってインヤンガイでは珍しい技術だったのね」
 彼女の手にあるのは、ヤマト、ミズホ、ヤシマと呼ばれるシステムである。かつて彼女が関わった事件のイズルと同型機だ。
 本来、イズルは地に満ちる霊力を吸い上げて発電し、電力エネルギーとして活用するためのシステムだった。
 霊力世界において電力を生み出す必要性はないが、純粋な物理エネルギーを利用する価値もなくはない。
 リーリス・キャロンがこの機に目をつけた理由は「地に満ちる霊力を汲み上げて」と言う一点に尽きる。
 片手の手のひらに乗る程度の大きさの呪術具を手にし、霊力の流れを変えてやればインヤンガイの霊力は簡単にリーリスへと味方した。

「……ふぅん、おもしろーい」

 くすっと微笑んだリーリスの体は発光し、その光の塊から無数の鳩が飛び出した。
 鳩は四方八方に飛び散っていく。
 ふわりと一匹の鳩が地に下りて、数度、身震いをするとやがて雑草の一本、害虫の一匹にいたるまでの生命が「霊力」をその鳩に抜かれて息絶えた。
 巨木は枯れ木に、虫けらは死骸に。
 人間とても例外ではない。
 廃墟区画を根城に生き抜くストリートキッズが、火事場泥棒を目論んだチンピラが、あるいは追っ手の追跡を振り切るために潜伏していた犯罪者が。
 彼ら、彼女らの近くに降り立った”鳩”によって、次々に生命力を吸われて朽ちてゆく。
 その一方でリーリスの傷も欠けた霊力も、風船が膨らむように力に満ちる。

 かくて。
 インヤンガイの街区の霊力を吸い尽くし、世界そのものからの霊力を吸い上げて。
 リーリス・キャロンの力は増大し続ける。
 キサを迎える際に負った傷はすでに回復し、さらなる力を身につける。

 あはははははははははははははははははははは!!!!!

 インヤンガイの霊力は、無残で無様で滑稽で生臭くて、怨嗟と怒号に塗れていて薄汚い。
 それが、この上なく心地良い。
 リーリスの高笑いは止まらない。



 インヤンガイにおいて、一つの街区が滅びるのはそれほど珍しいことではない。
 数々の街区を擁するインヤンガイでは十数年に一度、霊力の暴走や強力な暴霊により街区がひとつ壊滅してしまう事はある。
 リーリス・キャロンが吸精活動により滅びゆく街区は、これで三つ目だった。
 街区の境目が封鎖され、この街区は「立入禁止」の札が貼られる。

「……時間ネ」
 探偵メイ・ウェンティが号令をかけると、一本の道が数人の呪術者により封印された。
 これで、入ることはできても、出ることはできない。
 ひとつの街区が今、死んだ。
「モウ、帰ってこなかったネ。仕方ないヨ。ロストナンバー、早くなんとかするネ」
 救援要請はすでに送った。
 だが、今回もまたロストナンバーは間に合わなかったのだ。
 ロストナンバー、いつも遅いのヨ、とメイは呟く。
 やがて、封鎖が完了する。

 ひとつの街区が、今、死んだ。



●0世界:世界図書館前

「今回の依頼を伝えます」
 世界司書リベル・セヴァンがいつもにも増して事務的な口調で告げる。

「ロストナンバー、リーリス・キャロンの捕獲および連行です」
 ざわっとどよめきがおきる。
「直接の容疑は臼木桂花の殺害および世界計の奪取未遂。さらにこれまでの冒険旅行の報告書や同行者の証言に矛盾や不審な点が多々見られます。この点について、アリッサ館長とレディ・カリスの意見が割れました。アリッサ館長はリーリス・キャロンを捕縛して連行するように、と。レディ・カリスは投入可能な大戦力を持ってインヤンガイにこれ以上の被害が出る前に……」
 リベルも一旦、息を呑む。
「被害が出る前に無力化せよ。つまりは威力による殺害を含めた鎮圧です」
「ふむ。つまり……、どういうことだ?」
 その場にたまたまいたのはブランである。
 白い耳がピンと立っているのは緊張の証。

「世界司書として皆さんに依頼するのは急襲です。少数でインヤンガイに乗り込み、リーリス・キャロンを捕縛してください」
「ほう。我輩の認識では、投入可能な大戦力といえばトレインウォー……車両にできるだけ戦力を詰め込んで向かうモノであるのだが?」
「本来はその通りです。今回は相手が悪い。……今回の"対象"であるリーリス・キャロンは魅力能力および精神感応能力を持っています。大人数を投入し、一人でも魅了されてしまえば被害が出る可能性が膨れ上がるため、少数精鋭で立ち向かうしかありません」
「少数精鋭か。何人だ?」
「四人です。小隊ひとつですね」
「四人!?」
「……予定を言います。インヤンガイに赴き、速やかに対象を確保。ターミナルに連れ帰らずディラックの空でロストレイルを停車します。いわばロストレイルそのものが収監施設ですね。ですが、今回の依頼において止むを得ないと判断した場合、捕獲ではなく――」
 リベルが言いよどむ。
 表情はそのままに、次の言葉を搾り出さない。
 数秒。

「――殺せ」
 リベルの沈黙を破って横から口を出したのは、世界司書シドだった。

「今回の依頼で捕縛に失敗した場合、リーリスの存在がインヤンガイに深刻な影響を与えるレベルだとして、世界図書館はリーリスの旅客資格を取り消す。……つまりは消失の運命に委ねるって事だ。そうなったら数年から数十年、どの程度かはわからねぇが始末はできる。だが、これは最終手段だ。数年もインヤンガイに放逐しといたら、それこそインヤンガイ全部が更地にされかねねぇ」
「そして相手が……」
「リーリス・キャロンだ。トラベルギアの制限を期待するなよ。あいつはインヤンガイの霊力を徹底的に吸い上げてやがる。世界を一瞬で消滅させるような能力はトラベルギアが制限してくれるだろうが、世界を一瞬で消滅させる仕組みのスイッチを押す事までは制限してくれねぇぞ」

「……物騒な方向に話が進んでいますが、あくまで捕獲指令です」
「ああ、そうだな」
 リベルの訂正にシドは一歩ひいて口を閉じる。

「ですが、仮に皆さんが全滅した場合、被害を覚悟の上でトレインウォーを起こす可能性があります。その悲劇を防ぐために是が非でも成功させてください。……改めて、依頼を繰り返します。ロストレイルでインヤンガイに到着後、速やかにリーリス・キャロンの居場所へ急行、あらゆる手段を持って彼女を捕縛、連行してください」
 これで終わりだという意思表示として、リベルは導きの書を閉じた。

 シドがぼそりと呟く。
「無限の霊力が相手か。どうやって勝てばいいのか俺には分からん……。そんなとんでもないヤツをどうにかする方法を考えといた方がいいな」

品目長編シナリオ 管理番号2681
クリエイター近江(wrbx5113)
クリエイターコメントどうも、今回はガチバトルモードです。近江です。
既にリーリス・キャロンさんはインヤンガイの街区で迎撃体勢を整えていらっしゃるようです。

舞台は見捨て去られゆく街区の一角で「リーリス・キャロン様の索敵終了、状況開始!」から始まります。
その迎撃を掻い潜り、無数の鳩と化したリーリス・キャロンさんを捕獲。――あるいは殺害。してください。
"対象"ことリーリス・キャロンさんはそこで大量のハトへと姿を変え、街区中の霊力を吸い上げているようです。
彼女が他の街区やインヤンガイのNPC・モブに手を出す前に捕縛してください。
罠も複数あるかも知れません。
ただし、捕縛できないと思ったら殺害やそれに準じる無力化を検討する必要があります。
これまでの経緯を復習する必要はありませんが、元はロストナンバーの仲間の討伐です。
存分に思いのたけをぶつけてみてはいかがでしょうか。
プレイングの想定は「アツいセリフ」「クールな戦術」「活躍する場」などなど。
もちろん、その想定に従おうなんて思う必要はありません。WRは近江です。皆さんの好き勝手な行動が大好物です。


※注意※
最強難易度です。
プレイングによっては死亡を含むバッドステータスがありえますし、全滅エンドもありえます。
ご参加いただけます際はそのあたり、重々にご了承の上でお願いいたします。
「まっすぐいってぶっとばす、右ストレートでぶっとばす」的なプレイングだとリーリスさんの迎撃手段次第で死にます。
魅力能力、精神感応能力への対応や攻撃方法(あるいは捕縛方法)などをガッチリ考えてみてください。
「カッコよいか」「説得力があるか」あたりがポイントになると思います。

参加者
風雅 慎(czwc5392)ツーリスト 男 19歳 仮面バトラー・アイテール
ヴェンニフ 隆樹(cxds1507)ツーリスト 男 14歳 半人半魔の忍者
ケルスティン(cesb2434)ツーリスト 女 21歳 探偵(のお手伝い)
テリガン・ウルグナズ(cdnb2275)ツーリスト 男 16歳 悪魔(堕天使)

ノベル

●Scene1 : Bombarded lostrail
『リーダーへ。なんかオイラ、このまま死ぬかも』
 耳までぺっとり寝かせたまま契約書の裏に遺書めいたものを書き始めるテリガン。
 間もなくインヤンガイに到着するということで、直前の作戦会議を開いた結果、驚愕の事実を知ってしまったが故である。

 リベルやシドの言葉では「どうしても勝てない場合の対策」を各自、考えておくよういい備えられていた。
 と、言うわけで各々、最後の最後に使える切り札を持っているに違いない。そうテリガンは考えていたのだ。
 自分の《契約》を売り込む話の口火として「で、どんな切り札なんだ?」と聞いたのが運の尽き。
 テリガンは契約書の裏に涙目で遺書を書き始める始末だった。
『だって、どうしようもなくヤバくなったらどーするんだって聞いたら。黒いあんちゃんは「本気出す」って! 風雅なんて「俺はカンがいい」って! ケルトスィンってねーちゃんは……』
「ケルスティン、です」
「のわぁっ!? 覗き込むなー! ……ええと『ケルスティンってねーちゃんは特に何も、って!』……うわぁぁ、勝てない」
 内容をさておき名前のミスだけケルスティンに指摘され一瞬だけ狼狽したものの、すぐに悲嘆に押しつぶされたようで頭を抱えてぶんぶんと左右に振る。
 その様子を見ているはずだが、風雅も隆樹も座席に座ったまま腕を組んで目を閉じている。
 寝ているわけではなさそうだが特に自分から交流を深めるでもなく、ケルスティンも無駄にお喋りを嗜む性質はないらしく、車掌は言わずもがななので車内にはテリガン以外に喋るものがいない。
 沈黙はさらなる恐怖を呼び起こす。
 その恐怖を覆い隠すため、テリガンは殊更、苦笑のひとつでもいいから出てこないかと大袈裟に嘆いているわけだが、今のところ成功していなかった。
 通常ならインヤンガイの他の依頼を受けたロストナンバーが同席しているのでここまでの静寂は滅多とない。
 理由は一点、あまりおおっぴらに出来ない依頼だから、である。
 静寂の理由を考えるたび、今から遂行するべき任務の重大さは嫌が応にも幾重にメンバーへと訴えかけてくる。
『まもなく、インヤンガイに到着します』
 車内にアナウンスが入り、テリガンが「ひぃっ」と小さくうめいた。
 隆樹と風雅は微動だにしない。ケルスティンは「つきましたね」と窓の外を眺める。
「ああもう腹くくるよ。オイラ。さあ戦いの前に契約はどう!? 今なら大盤振る舞いしちゃうぞ!! 精神感応対策の大安売りの準備してきたぜ!」
「大安売りの準備……。あ、負ける準備ですか?」
「……」
「……すみません、雰囲気が重苦しかったのでジョークを、と思ったのですが。ところで、どんな能力でも良いのでしょうか?
「あんたの能力を強化するって内容ならな」
「では……」
 ケルスティンが書類にペンを走らせる。
 サインを取れた達成感でテリガンは満面の笑みを浮かべた。
「強化か」
「黒い兄ちゃんもどうだ?」
「いいだろう。伏せ札は多い程いい」
「どんどん契約が貰えるってのは珍しいんだ。こりゃ雨でも降るかね」
「血の雨でないといいですね」
「……」
「……失礼、雰囲気が重苦しかったので」
 二枚の契約書をゲットしたテリガンは風雅の元へ向かう。
 腕組みをして瞳を閉じていた風雅の膝をつんつんとつついた。
「なぁなぁ、兄ちゃんも契約を……」
 風雅が目を見開いた。ほぼ同じタイミングで隆樹が座席から飛び上がる。
「窓の下を。目視できる数でおよそ200。光の鳩の群れ。それとは別に物理兵器がこちらに照準をあわせています」
「いきなり状況開始か」
 え? え? と首を左右に振るテリガンには、目の前がいきなり光ったように見えた。
 その直後、ぐわっと口をあけた大きくて真っ黒い何かに飲み込まれた。ような気がする。



●Scene2 : Intercept on Yin-Yang-Gai

 何か来る。
 何が来る。
 リーリスは廃墟となったビルに腰掛け、足をぷらぷらと揺らしながらくすんだ空を見上げていた。
 0世界は、チャイ=ブレは、ファミリーはどう仕掛けてくるか。
 一種の賭けではあった。
 合理的に考えれば、0世界の総戦力を投入してインガンガイもろとも消し炭に変えるという選択肢はあるはずだ。
 リーリス・キャロンという存在を世界ひとつと引き換えにする。そう決断されたのであれば、……なかなか厄介な事になる。
 だが、リーリスにはある種の予想があった。
 世界図書館の対応は一々甘い。アリッサは言うに及ばず、ファミリーであろうとも甘い。
 一種の自負なのか、あるいは相手の力量を推し量る術に疎いのか。
 この状況でリーリスを叩き潰しに来るのであれば最低でも大勢のロストナンバーを載せたトレインウォーが発動されるはずだ。
 魅了と精神感応をフルに活用すれば何割かを支配することができるだろう。
 ロストナンバー同士の同士討ちだ。これは愉快な事になるに違いない。
「早く、早く」
 無意識にリーリスは呟いていた。
 さて、一方で暗殺者が送り込まれるという選択肢もある。
 腕の立つ数名でリーリスを暗殺に来る。
 力と力の押し合いで負けるつもりはない。
 まして今のインヤンガイはリーリスの庭みたいなものである。奇襲などは想定していないだろう。
 アリッサの対応であれば捕獲人が来るくらいが関の山。
 ファミリーの対応であればロストナンバーを大量に載せたトレインウォー。
 どちらでも構わないが、百を越えるロストナンバーを相手にすれば無傷では済まない。
 そこで、リーリスは空を睨む。
 ロストレイルが現れた瞬間、この大地ごと焦土と化すような飽和攻撃を仕掛けてくれば敗北。
 現れたロストレイルから、はみ出す程の生命反応があれば痛み分け。
 ロストレイルの積載量が少なければ勝利。
「早く……!」
 まるでプレゼントの箱にかけられたリボンをほどく瞬間の子供のようにわくわくと空を睨む。
 どれほどの時が過ぎただろう。
 日没から程なく夜空に走った一瞬の白光と共にロストレイルの車体が見えた。
「来た! 来た来た来た来た来た来た!!! さあ、どれ? 暗殺者? 軍団? それとも兵器?」
 流れ星のようにロストレイルは走る。
 第一段階、防御を許さない飽和攻撃ではなかった。
 では、あのロストレイルには何百ものロストナンバーが乗っているのだろうか?
 いいや、無人と見紛うほど内部の気配は薄い。
「暗殺! 勝った!! あははは、勝った勝った!!」
 勝利宣言と共にリーリスが高らかに笑う。
 無骨な機械音がそこかしこで響いた。
 地対空ミサイル。インヤンガイの戦争に用いられるような通常兵器である。
 リーリスの滅ぼした街区の「戦争用」兵力はすでに彼女の手の内にあった。
 魅了済みの住人達はリーリスの思惑通りに空に向かって照準を合わせる。
「ゲストはこれだけ? リーリスつまんない。でもまぁいいわ。さ、パーティを始めましょ?」
 花火に例えるにはいささか静か過ぎる音を立て、ロケット花火のような煙をひいて、いくつもの炎がロストレイルへと飛び上がっていった。




●Scene3 : Battle in the ruins
 テリガンの目の前で走った光。
 車体を貫いたのはミサイルのような霊子誘導ミサイルである。
 だが撃たれた当人達はそんなところまで気が及んでいない。
 車両内部でいくつか炸裂した所までは覚えていた。
 気付けば壊れたビルの瓦礫やらに押しつぶされ、窓に押し付けられた状態で気を失っていたようだ。
 状況が分からないままに手を伸ばすと壊れた扉に手があたった。力任せに強引に扉をこじあけて外に出る。
「痛てててて……」
「生きてるか」
 崩れた瓦礫から顔を出すと隆樹に声をかけられた。そのままぐるりとあたりを見回す。
「な、なんとか。あれ、セレスティンの姉ちゃんがいないぞ」
「ケルスティンだろ」
 隆樹はテリガンの方を振り返らない。何かを警戒している様子だった。
「悪い、なるべく衝撃を殺したつもりだったが」
「え」
「ヴェンニフの中に取り込んで、ロストレイルから飛び降りた。ケルスティンは姿が見えなくて、間に合わなかった」
「え、え、オイラ。その竜に食われたの!?」
「敵意がなかったから抵抗しなかったが、あまり気持ちの良いものではなかった」
 風雅がそんな感想を呟いていると、徐々に土煙が晴れてくる。
 墜落したのは街中、いや、廃墟だった。
 まだ無人になって日の浅い繁華街は生活の香りが残っている。
 それでも所々に残る大きな傷跡は生活者が存在しないことを明確に物語っていた。
 だが、そんなことより重大な問題がある。
 壊れたロストレイルを取り囲むように無数の灯火が空に浮いていた。
 よくみれば灯火は光の鳩である。一匹や二匹ではない。視界の端から端まで何百という鳩に囲まれていた。
「1、2、3、4……四人? 哀しいなー。もうちょっと多いかなって思ったんだけど」
 無邪気に笑うリーリスの声。
「出て来い」
「いいよ」
 光の鳩の一部が集合し、少女の姿を形作る。
 酷薄な笑みを浮かべたリーリス=キャロンその人だった。

「リーリス・キャロン。なにか理由があっての行動か。それともただ隠していた本性を現しただけか」
 風雅が口を開いた。
「んー。その二択なら本性を現しただけかなぁ」
「トボけるな」
「ふぅん?」
 リーリスの瞳が赤く輝く。
 咄嗟に目を伏せ、風雅が地面を転がった。
 受身の要領で素早く体を引き起こし「変身!」と叫ぶ。

--- card set. reading complete --- mode:IGNITION !!

「仮面バトラー・アイテール!!」
 機械音声と共にポーズを決める。
「あはははっ、変身ヒーローだ。ねえねえ、それオヤクソクなの?」
 子供のように手を叩いて楽しんでいるリーリスの問いには答えず、風雅は指を突きつけた。
「……ひさしぶりだな。リーリス。ああ、思い出さなくていい。顔を合わせた程度だ」
「そう? リーリスは覚えてるけどな。まあいいや、じゃあ、……死ね」
 リーリスの瞳の光がいっそう強く輝いた。
「分かってはいても強力だな。精神攻撃か」
「分かっててリーリスの前に来たんでしょ?」
「……ああ。オレの世界で倒さなくてはならない暗黒大首領の。奴の強力な精神攻撃を防ぐ為に考え戦法を試すいい機会だと思った」
「あらら、リーリス、練習台なんだね? で、どうするの? ヒーローさんとしては」
「本心から仲間のもとに戻りたいと願うなら連れてかえる。だが時間稼ぎや0世界を襲撃する為の演技なら……」
「ううん? ぜーんぜん?」
 けらけらと笑い混じりにリーリスが即答する。
「そうか、ここで倒すしかないようだ」
 風雅の周囲には鳩が数百。
 目の前に倒すべき少女。分かってはいても少女の姿をしたものを相手にするのは気が引ける。
 あるいはこれが憑依や洗脳によるものであれば万が一にも正気に戻すことができるかも知れないが。
 風雅の「カン」はそうは言っていない。それどころかこいつは倒すべき『敵』であると脳裏に警報を鳴らし続けている。

「危険な敵だが。……ふぅっ!」
 バネを利用し、近くのビルの屋上へと飛び移る。
「周りの被害を考えなくて良いのはやりやすいな」
「ちょっとだけ考えてー!!」
 テリガンが叫ぶ。
「行くぞ!」
 リーリスの高笑いは止まらない。
 彼女が風雅に向け指を指すと数匹の鳩が風雅に向け羽ばたいた。

 鳩の速さである。
 風雅に取っては避けることなど造作もない。
 最初の一匹を避けると鳩は風雅のいたビルの給水塔へとつっこんだ。
 同時に音もたてず、給水塔が風に吹かれた灰のように塵と化し、形を失って流れていく。
「……ひとつひとつが触れれば灰塵に帰す悪魔の鳩、というわけか」
 追いかけるように何匹ものハトが風雅目掛けてつっこんでくる。
 一匹ずつをかわしながら、風雅は強く地面を蹴り、リーリスに向けて走り出す。
「食らえ!」
 呼吸一閃、風雅の蹴りがリーリスの胴体をまともに捕らえた。
 そのまま蹴りぬくつもりだった風雅の足がリーリスの胴体にあたったままぴたりと止まる。
「知ってるよ。カラテってやつでしょ?」
 瞬間、風雅はもう一つの足で地面を蹴って背後へと飛びのく。
「あれ? 惜しいなー。もうちょっとだったのに?」
 リーリスを蹴った足の装甲が先ほどの給水塔のようにはがれていた。
 ビルのように一瞬で塵にならなかったのはむしろ装甲とシールドの技術が高いと言えるのか。

「お前が何者かは知らないし知る気もない」
 小刻みに走り、飛び、風雅はその位置を変える。
「オレ達の仲間だったのも行動を起こすまでの隠れ蓑だったかも知れん」
 次々に塵へと変わる足場。

--- card set. reading complete --- mode:THUNDER !! 

「……だが少しでも今が続いて欲しいと思ったことはないか?」
 鳩の数は少しずつ増えていく。
 避けきれず、カスった装甲が塵に変わる。
 風雅はそれでも呼び続けた。
「もし今でもそうなら……やりなおせ! オレ達と出発点(ターミナル)に戻れ!」


● Scene4 : Ambush over high altitude
「では私も状況を開始します」
 ケルスティンである。
 高高度において地上からの対空砲撃で千切れ落下した車両連結部分に捕まったまま、じっと地上を見下ろしていた。
 リーリス本体が予想より早く出てきたのは落下した車両と、今回の特務部隊を迎え撃ちにいったのだろう。
 それとは別に、移動を続けている。こちらもリーリスだ。
「資料を読んでおいて正解でしたね」
 ターゲットは封じ込めた街区を突破して次の街区へ。
 迎撃のための「エサ」を確保すべく隣の街区まで侵食の手を伸ばすかと思えば、そうではなく一直線にどこかへ向かっている。
 逃亡でもしているかと思ったが、資料を読んでいたケルスティンには移動先の推測ができた。
 その移動を追うようにロストレイルは空にレールを敷き、走り続けている。
 行き先は分かっているとある街区の病院だ。

 ターゲットは理沙子・アデル。
 ハワードの妻。
 キサの母親。

「人間関係の把握をしておけば"確保"に向かうのは予測できます。ただ武闘派の皆さんが一箇所にいるのは困りましたね」
 自分の能力でリーリスの分体をひとつ相手にしなければならないという事だ。
 それも理沙子の入院している病院に辿りつく前に。
 さらに、できれば民間人の被害が出ない所で。ここまで考えると難しいミッションである。
 つまり今すぐに襲撃をかけるのが望ましいが、それでは返り討ちにあう可能性も高い。
 隆樹達が相手にしているリーリスも、もちろん今、ケルスティンが追いかけているリーリスも分体だろう。
 すべてを完璧にこなす事は困難である。と同時にケルスティンの脳裏に細分化されたミッションが映る。

・Must:リーリスの分体撃破
・Need:理沙子の護衛
・Want:周囲への被害を最小に

 つまり、最悪でもリーリスの分体は撃破する。できれば理沙子も守る。
 そのためには周囲に被害が出ることも仕方ない。
「ミッション・コピー」ケルスティンは無機質な声で確認し、ロストレイルに捕まっていた腕を開いた。
 落下しながらトラベルギア――カギ爪のついた鎖を開く。
 目標は一羽の鳩である。
 町外れ、数少ない農地を飛行する大量の鳩。その中の一羽に向け、ケルスティンは鎖を伸ばした。

 通常なら高空から落下してくる人間大のものに。
 しかも、自分を狙ってくるものに気付かないわけが無い。
 それゆえに、ケルスティンの奇襲はリーリスの分体である鳩の捕縛に成功した。
 不意の一撃に鳩は少女の姿へと変化する。

 確かに鳩に変身したリーリスの翼には鎖に縛られた感覚がある。またその鎖が自分の霊力を抑制していることも分かる。
 さらに周囲の鳩が次々と撃ち落とされていく。数を数えるかのようなテンポで鳩の数が見る見る減る。
 しかし、攻撃を受けている事が分かるのに視認できない。霊力で感知することもできない。
「何者だ!!」
「私はケルスティンです。ロストナンバーの一人」
「……この状況で名乗るの?」
 奇襲に成功し、不可視のままの攻撃に成功して尚、名乗る状況にリーリスが疑問を口にする。
「……返事をせず、このまま不可視に攻撃した方が良いのは分かるのですが」
 ため息に似たしぐさでケルスティンは呟いた。
「"彼"からそうしないと活躍が見えないという指令がありましたので」
「困ったご主人様がいるのね」
「全くです」

 リーリスから見て「声」の発生源あたりに鳩を集らせる。
 霊体や精神体ならリーリスの瞳にとっては物質体と変わらない。
 それでも見えないという事は何かの細工があるのだろう。
 ならば塵に変えてやる、鳩の一体でも翼がかすめればそこから全てを塵にしてやる。
 塵は塵に(Dust to dust)、塵族はエサになり塵になるために生まれてきた。
 集る鳩も打ち落とされる。まとめてではない。リーリスは表情に出さぬよう心の中で微笑を浮かべた。
 攻撃を打ち落とすということは、攻撃されてはマズいということだ。

 ケルスティンのトラベルギアは鎖である。
 一度巻きついてしまえば相手のあらゆる力を弱める。
 何重にも巻きついてしまえばその効果は絶大だ。
 だが、不可視の力はない。
 テリガンとの契約により、一時的に彼女に付与された悪魔の力だ。
 それを駆使してリーリスと鳩の大群を前にケルスティンは一人で戦っている。
 種明かしがバレるより先に始末しなければ、地面に転がるのはケルスティンの方だろう。
 腕の一本だけでも残ればいいのですが、と誰にともなく呟く。

「目的をお伺いしてもよろしいでしょうか? 理沙子さんを殺害に行くつもりとお見受けしましたが」
「ええ、そうよ。理沙子・アデルが全ての災厄! あれが死ねば生き延びられる」
「……否定します。彼女の生死に関わらず、あなたの捕縛指令は覆りません」
 不可視の鎖が一層強く、少女姿のリーリスを締め付けた。
 動きの規制のための鎖が、圧迫感を強めることでそれそのものが攻撃に変わる。
「ぐっ……。ナメるな。塵族が!」
「問答する気はありません」
 リーリスの胸元を鎖の先端についたブレードがえぐる。
 ケルスティンの心積もりではこれで致命傷にいたる必殺の一撃のはずだった。
 だが、当然というべきか、リーリスは絶命はおろか闘士が鈍る様子もない。
「こんな物理攻撃程度で……ッ!!」
 鎖に縛られたまま、リーリスに幾重にも鉤爪が突き刺さる。
「本体はどこですか?」
 血ではなく、漏れるのは霊力。
 光の粒子がリーリスの傷口から漏れて溢れ出る。
 答えないリーリスにケルスティンはゆっくりと思考する。
 時間を延ばせば反撃にあう可能性が高い、情報を引き出すことを優先するべきか、殺害を優先するべきか。
「質問を繰り返します。本体はどこですか」
「……何故だ」
「あなたの資料を読みました。他者の力を借りてトラベルギアで攻撃した所で、私が抗える相手ではありません。
 他の場所で私の仲間があなたと戦っています。まだ誰も死んでいないようです。それも妙です。資料に寄れば三人がかり程度でいい"勝負"ができるはずもない。
 それならば、ここにいるあなたは分体のひとつ。今、仲間と戦っているリーリスさんも分体のひとつ。
 対象が確認できているのは二体。本体がどこかに潜んでいると考えられます」

 ケルスティンの論理は明快だった。
 資料によれば自分が勝てるはずがない。三人がかりでも勝てるはずがない。
 それがケルスティンは一方的に攻撃を仕掛けているし、他の三人もいい勝負ができている。
 少なくとも一方的に殺されているわけではない。
 だから、本体は別の所にいる。

「あははっ、あはははははっ!!!!」
 リーリスの瞳が赤く光る。
「無駄です。ガイノイドの回路に有機体のための精神汚染は効きません」
 いわゆる「心」に干渉する能力に効果は無い。
 本体であれば思考回路そのものに干渉できたかも知れないが。
 あるいは人間――理沙子を殺すための能力を備えたこの分体でも、本来であれば可能だったかも知れない。
 しかし、ケルスティンの鎖はリーリスの能力を押さえ込んでいる。
「一応、聞きますけど投降するつもりはありますか?」
「あははっ!!」
「……予測通りです」
 ケルスティンのトラベルギアがリーリスの頭部を貫いた。
 分体ひとつ倒すのも命がけである。
 血のように――リーリスのあらゆる傷口から霊力の光が飛び散った。
 留まるどころか、その光量は何倍にも増えていく。
 やがて。
 リーリスの持つ「ヤシマ」の霊力が弾けた。
 ヤシマは近隣の霊力を無限に集める装置である。
 もっとも近隣に膨大な霊力を垂れ流すリーリスの存在があった。
 傷口から溢れる霊子の密度がヤシマの許容臨界点を越え――。

 ケルスティンの視覚は爆光の中でリーリスの口元がニヤリと歪んだのを捉えた。
「これは分体。本体はここではなくそこでもない。……後の三人にも、伝え……なくて……は……」
 大地を揺るがす程の光と爆音。
 ケルスティンは無意識に体を丸め、腕を庇う体制を取った。

 一瞬の後にカッ、と乾いた破裂音。

 一歩遅れて爆発が与えた衝撃が地震となりインヤンガイの地を駆け巡る。


● Intermission : Red piece / Blanc morceau

 0世界、赤の城。
 チェス盤の上、白の軍は劣勢に追い込まれていた。
 攻め立てるのは闇夜のごとき黒の駒ではなく、炎のごとき赤い駒。
 赤の騎士が白の兵士を屠り、また一手、白の女王の喉に刃を近づける。
 白の騎士は既に亡く、城も僧正も半壊しており、兵士の数も数える程度。
 わずかな兵士と女王が王を擁して壊れかけた城に閉じこもっている。
 開戦序盤から白の軍は防御を固めることを第一に布陣を敷いた。
 そのため赤の軍は攻撃に準備を強いられ、すでに二人が盤に向かってから二時間が経過していた。
 勝敗が見え始めたのは30分ほど過ぎたあたりだが、それから三倍の時間をじっと粘り強く耐え忍ぶ。
 とは言え、攻撃にさらされた白の軍はすでに満身創痍。
 それに対し、赤の軍は意気揚々と白い城壁を取り囲んでいる。
「投降を赦しますよ」
「断る」
「ここまで追い詰められて勝敗が見えない貴女じゃないでしょう。それとも勝てると思っているのかしら?」
 レディ・カリスはクゥの瞳を冷ややかに見つめる。
 対してクゥの目は盤上に注がれていた。
 こつり、こつり。
 盤の上を駒が進む。焼きつくすような苛烈な攻め立てはレディ・カリスの華やかさを写し取っているかのようだ。
 第三者が見ればよく耐えたというかも知れないが、勝負は既についていた。
 十数分と持たず、白の王は赤の女王に剣を突き立てられ勝敗が決する。
「チェックメイト」
「……うん。負けた」
 レディ・カリスは立ち上がり、盤の駒を片付けるようフットマンに命ずる。

「それでクゥ、あなたの策略はうまくいったのかしら?」
「アリッサの手際が良ければあるいは」
 フットマンがレディ・カリスに耳打ちをする。
 カリスは少し目を閉じ、深く頷いた。
「そうね。時間稼ぎは功を奏したみたい。でもクゥ。じりじりと後退するチェスは私の好みではないの。次は本気で相手をして頂戴」
「……おおせのままに、赤の女王」
 クゥは立ち上がり、赤い部屋を後にする。
 アリッサは依頼を完成させ、すでに四人がリーリス討伐に送り込まれている。
 失敗すれば今度こそレディ・カリスはトレインウォーを発動させ、インヤンガイに攻撃を仕掛けるだろう。
 アリッサがリーリス捕縛の指示を出すまでの時間稼ぎはできた。
「……リーリスがうまく連れ戻されてくれるかな」
 どこかで祈る。
 かつての同居人の生還を。
 だが、それは確実に新たな火種となるだろう。
 立ち去ろうとするクゥの背中にレディ・カリスが話しかけた。
「ところでクゥ? 最初に私が無理にでもトレインウォーを発動しようとしていたら。いえ、私がこの部屋を出ようとしていたら、どんな策を用意していたのかしら?」
「……ああ、それか」
 眼鏡のズレを指で戻す。
「何もないよ。知っていただろう」
「ええ」
「でも《私》が策があると言ったんだ。君はそこで策がない方に賭けて動けるほど無謀じゃない」
 赤と白、二人の女王は薄く笑う。
「褒められたのか、馬鹿にされたのか。判別しがたいわ」
「褒めてるつもりだよ」
「そう」
 赤の部屋の扉が重々しく閉まる。
 事の結末を見守ってから動く程、レディ・カリスの動きは鈍重ではない。
 おそらく、もうすでにトレインウォーの下準備は始まっているだろう。
 その時はリーリスの魅了能力の犠牲者が多々現れる。

「困ったものだね。平和の維持どころか、少し時間を稼ぐのが精一杯か」
 フットマンとすれ違いに、クゥは赤の城を後にした。


● Scene5 : Bite hard the left hand
 ごうん、と地面が震えた。
 はるか彼方でヤシマに蓄積された霊力が爆発的に解放された地震。
「なんだ!?」
 風雅が思わず振り返る。
 視界の先に見えるほどの距離ではない。
 ただ事ではない霊力の暴走があった事は隆樹なら、もといヴェンニフなら理解できる。
 リーリスはと言えば苦々しい表情だった。
 理沙子を殺害するための分体に割く霊力が足りなかった。
 邪魔を想定していない、マフィアのひとつくらい楽に壊滅させうる『右腕』を投入したはずだ。
 それでも理沙子の殺害は失敗した。
 一矢報いることができたとは言え。

―― 失敗した、失敗した、失敗した。

――  キサに深手を負わせられていなければ真っ先に理沙子を殺しに行ったものを。

―― こいつらの迎撃に体を分けたりしなければ。

――   おのれ。おのれおのれおのれおのれ!!!


――  ……まぁいい。溜飲は下がらないが次の一手を考えねばならない。


 どうせインヤンガイに生きる生物の半数を殺すつもりだ。
 どうせ0世界からの攻撃は四人だろうが四百人だろうが迎え撃つつもりだ。
 リーリスは深く息を吸い込んだ。ゆっくりと吐く。
「あーあ、せっかく集めた霊力。ひとつなくなっちゃった。それもいっぱい人間を巻き込んで。勿体無いなぁ。……あ、そうそう。少しでも今が続いて欲しいと思ったこと、だっけ?」
 風雅の顔を一瞥し。リーリスは人差し指を顎にあててうーんと考え込む。
 子供っぽいしぐさで遊んでいる。
「……ないかも? つまんないし」
 永遠の時間の牢獄に閉じ込められているようなものだ。
 チャイ=ブレのトラベルギアという首輪をはめられ、0世界という犬小屋に閉じ込められる。
 そう、そんな永遠は「つまらない」に違いない。
 人を食らう快楽も無く、より強大な存在になる機会もなく。
 冥族としての誇りを自らの中に封印して塵族と対等に付き合う恥辱にまみれた日常。
「……ないわ」
 きっぱりと憎悪すら含んだ声色で言いなおすと、リーリスの背後に鳩が舞う。
 ふわりと浮かんだ光の鳩は風雅の体めがけてつっこんだ。
 数匹が体に命中し、風雅の体は吹き飛ぶ。
「ぐっ」
「おじちゃん、けっこう頑丈だね。それとも装甲が優秀なのかな。その鳩、少しでもカスったら塵になって消えてるはずなんだけど。……まぁいっか、そろそろトドメだね」
 鳩が分裂を開始した。
 十と少しまで減った光の鳩の数が倍になり、さらにその倍になる。
 リーリスが小さな機械を。イズル同型機『ヤマト』を手にするだけで吸い上げた周囲の霊力がリーリスの元に流れ込む。
「……いいコト考えた。おじちゃんは殺さない」
 にっこり。
 いや、ニヤリと微笑み、倒れた風雅を背にリーリスの視線は隆樹へと注がれた。
 すっと腕をあげると光の鳩は隆樹を目指してつきすすむ。
 わずかに身動ぎをした隆樹だったが、服の一部に鳩がかすり、そこを基点に全身が一瞬で塵へと変わる。

「た、隆樹ぃー!? ちょ、一撃でやられるとかそんなのあり!? なんで棒立ちでつったってたの!?」
 テリガンが叫ぶ。
 叫び終わるまで、ほんの僅かな刹那に隆樹の姿は地上から消えた。
「次はおまえだ」
「オイラ、おいしくないぞー!!」
 テリガンの周囲に黒い蝙蝠が現れた。彼に隷属する蝙蝠は光の鳩に果敢に立ち向かい、次々に塵へ変わる。
 簡単に突破された蝙蝠の壁に、テリガンは自分自身をも蝙蝠の群れへと変えた。
 次々に打ち落とされ、蝙蝠は塵へと変わる。
「いてっ、いてててて。いくら霊体蝙蝠に姿を変えてるから一体や二体はヘーキだっていっても痛いんだぞ!」
「御託はそれだけか」
「いーや、まだあるぜ! 言わせてもらうとも! 少し前に同じおでんつついてたアンタとこんな再会するなんてビックリだよ! いきなり大魔王に昇格おめでとう、とか言ってる場合じゃないのがすっげー残念!」
 蝙蝠の群れからテリガンの声が響く。
「ああ、正直カチンとキてるさ、エクまで殺す気満々だったみてーじゃん? けどさ、図書館ってお人よしの集まりなのアンタだって知ってるだろ? アンタに「おかえり」って言いたがってるやつがさァ、山ほどいるんだよ!」
 無数の蝙蝠が空に散った。
 彼の魔法。呪文というより祝詞に近い言葉で紡がれた術式は蝙蝠の広がる直下に幾筋もの光の柱を立てる。
「知ってるよ。アンタの力の源はココの霊力だろ。だったら、オイラがこの大地ごと浄化してやる! 広範囲の浄化魔法だ。力の源ごと断ってやる!」
「……数を分けるとこういうコトになる」
 蝙蝠の数が増えたことで一体あたりの防御は手薄になる。
 リーリスの目が赤く光る。
「殺しあえ」
 蝙蝠の一部が軌道を変える。
 だが大半の蝙蝠は秩序立った規律で飛び回っていた。
 一部で同士打ちを起こした蝙蝠が地に落ちる様を苦々しく見守るテリガン。

「アンタ、うちのリーダーに青いリボンくれただろ。そのリボン、うちのリーダーが借りパクしてたから返しにきたぜ! 返す前に使わせてくれよ。アンタの持ち物だ、こいつを使ってアンタの魅了に多少は耐性付くんだぜ!!」
 ブルーのリボンを振って見せる。物好き屋に与えられたリボンのことだ。
 大声を張り上げているもののテリガン自身、何を叫んでいるのか分かってはいない。
 分かっていないが何かしないと殺される。
 そのために涙目ながらに足掻いているのだ。
「もう切り札とかどーでもいい! ほら、これ、契約書だ。アンタの直筆のサインつき! サインした覚えがねーだろ! 0世界でアンタの書類から勝手に抜いてきて貼ったんだ。詐欺とでもなんとでも言いやがれ。オイラだって悪魔なんだ、これくらいはするさ! さあ、この契約書はアンタの意思で解放できる霊力はオイラにも解放できるって契約だ。アンタに取り付いている暴霊の干渉、全部排除してやるからな! そんで! アンタは連れて帰る、それがオイラが考えた「哀しむひとを一人でも減らす手段」だ! 泣いて謝らないと許さないからな! これでも食らえ、うわぁぁぁぁん!!!!!!」
 テリガンの持つロザリオから魔力を集中させる。
 蝙蝠の群れが二つに割れ、中央に涙目の下級悪魔がリーリスの額に狙いを定めていた。
「どーだ、聖なる弾丸だ。これなら効くだろぉがぁ! この悪魔め! えーいっ!!!」
 トリガーを引く。反動が指と手から腕へと伝わる。
 撃ち込んだ。撃ち込んでやった。
 聖なる結界に覆われ、微動だにしないリーリスの額に直撃した。
 ハァハァと息を荒げたテリガンが蝙蝠の中、涙目のままで彼女の動向を見つめる。
 うつむいたまま、リーリスは深く息を吐いた。
 ゆっくりと顔をあげ、テリガンを視界に捕らえて睨みつける。
「ごちゃごちゃと……」
「ひぃっ!? き、効いてない?」
「攻撃内容はそれなりに評価しよう。広範囲の霊力そのものの浄化は見事だ。攻撃の質も悪くない。詐欺まがいの契約を使うのは美しくないが取り込んだ霊力を発散させるのは理に適う。……だが涙ながらにやる程の事か、子供でももう少しマシな啖呵を切るぞ、テリガン! それでも冥族か。恥を知れ!」
「な、なんか怒ってる! ……こ、怖くねーかんな! オイラ一人でもどーにかするんだからな! 隆樹のカタキ取ってやる!!」
 リーリスがヤマトを手にする。
 しげしげと眺め「せっかく集めた霊力が」と嘆息した。
 足元には浄化された大地。
 ここはインヤンガイである。その地脈・霊脈からしてすぐにここも霊的に汚染されるだろうが、今すぐには使えない。
「……早めに貴様らを倒し、場所を移動した方が効率がいいな」
「うわぁぁ、口調が全然違う!」
「死ね」
 リーリスを中心に大地が黒く染まる。
 テリガンの浄化した大地に影を落とし、汚染を仕掛けているのだ。
 足元に広がった闇の中から、リーリスの周囲を物質化した暗闇が覆った。
「なんだアレ!? 聞いてねーぞ。黒い竜に変身するとか!」
 リーリスの姿が暗闇の竜に変貌を遂げた。……ように見えた。


● Scene6 : Dragon of the darkness
 影に潜った隆樹は分身を表に出し、時期を伺っていた。
 その時期は思ったより早く訪れ、リーリスの鳩が自分を、自分の影分身を狙ってくれた。
 光の鳩に貫かれた分身は塵へと変わり、これで自分が塵になったように見えたはずだ。
 風雅が暴れてくれれば隙を突いてリーリスを食らうつもりだったが、思いのほか、テリガンが活躍していた。
 大地ごと浄化されそうになった時は正直、ちくちくと全身が痛かった。
 リーリスが浄化された大地に闇の穴を開けた瞬間が好機。
 ようやく訪れた転機に、飢えた狼が目の前の雛鳥を食らうが如くに隆樹の影《ヴェンニフ》がリーリスを食らったのだ。
 リーリスのいた所に隆樹が立っている。
 彼の肩口からゆらゆらと揺れている影がリーリスを喰らった《ヴェンニフ》である。
 隆樹の口から、どちらとも取れない声が出た。
《待たせたな》
「こ、これは……」
「うわ、うわわわ」
 立ち上がった風雅の前に漆黒の竜がいた。
 その尻尾のあたり、影を手先から生やし隆樹が振り返る。
「……え、ええと。これ、隆樹、か?」
「ああ」

 隆樹の影、ヴェンニフと呼ばれる竜王がうねうねと動く。
 リーリスの足元から一口でパクりと飲み込んだ。
「終わった、か。できれば連れて帰りたかったんだが」
 風雅が傷ついた体を押さえ、言葉を絞る。
「あ、そーだ。ケルティンスのねーちゃんはどうした!?」
「ケルスティン、な」
 トラベルノートを取り出して、ケルスティンを思い浮かべ文字を綴る。

「馬鹿な奴だ」
 隆樹が抉れた地面を眺めて呟く。
《ええ、ジツに》
「自分の力でを過信しすぎた大馬鹿野郎だ」
《チャイ=ブレからノガレてもいないのにですね》
「だから大魔王。イグジストに立ち向かうなら、まずはお前を何とかできねえとな」
「これで終わりではない、ということか」
「ああ」
 風雅の言葉に小さく頷く。
「死んでも死なないような奴だ。殺すつもりで捕縛が精一杯だろう。よって、全力で殺す」
 そのままよろよろと一歩二歩、後処理を始めていたテリガンの元へと歩み寄り、彼の肩に隆樹の手が置かれた。
「……ところでこいつからおまえに恨み言があるそうだ」
「恨み言?」
 テリガンの目の前で、黒い竜がぐわりと口を開く。
 驚いて飛びのいたテリガンに竜、ヴェンニフは言葉をかけた。
《霊力をクらうキカイをうかがっていたのですが》
「……今、どっから喋ったの? ってか、オイラ!?」
 竜ことヴェンニフの狙いはヤマトに収められたインヤンガイの霊力だった。
 リーリスが切り札とする程の霊力が蓄えられた小型機械。
 その霊力を喰らい尽くせばヴェンニフの力でリーリスを凌駕することもできたはず。
 喰らうのに苦労もしなかっただろうが『誰かさん』が必死の覚悟で霊力を解放し散らしてしまった。
「えー、オイラのせい!? 物陰からこっそり見てただけのクセに……あれ、なんかオイラがよく言われるセリフのような。で、でもリーリス食っちゃったんだろ? それで解決でいーんじゃね? 終わり良ければすべて良し、だぜ」
《イマのママでは、リーリスのチカラ、オサえられません》
 ヴェンニフは丁寧な片言ながらきっぱりと断言する。

「そ、そんな。え、ええと、オイラ、意味がわかんないよ。あ、ちょっと待って返事だ」
 テリガンのノートに返事があった。ケルスティンだ。
『目標のリーリスは分体。一つは何とかしました。あと二ついます。私は無事ではありません、腕ひとつにされました』
 テリガンが読み上げつつ、毛皮を通して顔色がどんどん悪くなっていく。
「……腕ひとつ?」
《アノ》
「どうした」
《ソロソロ》
 限界デス、と口走った影の竜が急速にぶるぶると震える。
 近寄った風雅を推し飛ばし、黒の竜《ヴェンニフ》の姿が内側から爆裂した。
 ごうんっと奇妙な音を立て、テリガンと風雅の体が吹き飛ばされる。
 隆樹と重なっていた黒い竜は隆樹の腕ごとはじけて周囲に漆黒の欠片と血液を撒き散らす。

 ふくれてはじけた闇の中。
 何が起こったのか理解できず、隆樹の血で毛並みに赤い斑点模様を作りつつテリガンがぽかんと見つめている。
 風雅の方はすでに構える事ができているものの、把握はできていない。

 一段と目を朱に光らせたリーリスが現れる。
 ヴェンニフが一瞬のスキをついて食らったのがついさっき。
 それから内と外で鬩ぎ合い、結果ヴェンニフの闇の体がリーリスに中から食い荒らされたのだ。
「……油断した! 三下が甘く出てやればつけあがりおって。残った霊力まで食い尽くしたな! 許さんぞ。インヤンガイから借りた霊力などなくともどちらが喰らう側でどちらが喰らわれる側なのか教えてやる。ただの食料が調子に乗りおって! 我は冥族、地を統べる者、闘争と変革を司る者! 我はリーリス・シニスター!!」
「Sinister《不吉》……か。もともと、キャロン《冥府の渡し守》を名乗っていたが、もはや素性を隠し立てもしないということか」
 風雅が言い捨てて構える。
 リーリスは三者を視線で射抜いた。
「分かる筈だテリガン、異界の冥族! 私は産まれる前からキサと約定を結んだ、いつか友か敵になると! そしてキサは私を敵に選んだ! だから私はキサが死ぬまでキサの敵、インヤンガイの敵だ! まず、目の前の貴様らを片付ける。次に理沙子・アデルを始末する! 私の分体"右手"を壊してくれたアンドロイドは霊力の爆破に巻き込まれて塵になった。邪魔するものは容赦しない。マフィアも探偵も一切合財を始末する。ああ、ついでにインヤンガイの人間の大半を始末してやろう。私に賛同するものもしないものも片っ端からだ。そうすればこの世界は少しは住みやすくなるだろう。インヤンガイの事件を辿ったことがあるか? いくつか関わっているだけで十二分に分かるはずだ。この世界は分かりやすい。実に分かりやすい。人間が悪だ。知的生物という名の害獣が世界を下層に貶めている原因だ。だったらその人間を排除してやろうというのだ。この私が! リーリス・シニスターが!! 一時的に血に沈んだ滅びの世界になることも変革として許容しよう。どうせ塵どもは多少の生き残りがいれば勝手に増える。責任を持って私が監視してやろう。犯罪に脅える世界になるたび、おぞましい搾取の世界になるたび、歪な社会構造を描くたびに何度でも何万回でも塵族どもを粛清してやろう。神などという偽善を気取るつもりはない。私が、インヤンガイのランクをあげてやろうというのだ。あははははははははは!!!!」

 光の鳩が舞う。
「ま、また来たぁ!」
《むしろ好機。防御は私に任せあれ》
「ちょ、ええ!? 今の隆樹? それともヴェンニフ?」
 テリガンがわめく。
 血だるまになった隆樹が肩口から引っ張られるように立ち上がり、光の鳩につっこんでいった。
 かと思えば、彼の影から竜が姿を現し、光の鳩を喰らい尽くす。
「雑魚が……」
「攻撃が鳩ばかりか、ワンパターンだな」
「それは失礼」
 リーリスが腕を向ける。
 隆樹の肩を指差した直後、パンっと音がして隆樹の右足、大腿から血が吹いた。
「これぐらいはできる。……鳩も忘れるな」
 襲いくる鳩を隆樹の右手に握られたツールナイフが受け止め、その接触点から塵へと変化する。
「今だ!」
《分かった。闇の竜王の身体を取り戻した後はリーリスを喰らいにかかる。大魔王だろうが、神だろうが。世界を滅ぼした圧倒的な闇と影の力にて全てを飲み込んでくれる!》
「トラベルギアが壊れた一瞬、チャイ=ブレの制限を解き放つ。テリガン、契約の遂行の時間だ!」
「え、それってマーチヘアーの支配領域だったからできたことじゃ」
《チャイ=ブレの制限を破れようと破れまいと構わん。制限目一杯までフルパワーでこやつを屠る! どうせこいつも制御からは逃れられんだろう!!》
「ナメるな、チャイ=ブレ。ナメるな、黒トカゲ風情がぁぁぁ!!!!!」


 黒の爆光


 静寂が戻るまで数分。
 ごうごうと響いた地鳴りも土煙も。
 魔力衝撃波の余波もようやく収まり始めた。
 建物も道路もズタズタに引き裂かれ、酷すぎる荒地が残るばかりだ。
 すでに打ち捨てられた街区とは言え、生活の痕跡が残っていた場所が一瞬で吹き飛ばされた。

「や、やった……!?」
 テリガンが呟いた。
 闇の力が爆発的に膨れ上がり、あたり一帯をなぎ倒した挙句に一瞬で静まった。
 リーリスの姿はなく、隆樹は地面に倒れ付していた。
 呼吸は酷く浅く、出血はヒドい。
 いつもは体の端々から迸る黒い竜の影が見えない。
 ヴェンニフの力を解放し、隆樹が体の支配を奪い返すことに成功した。のだろうか。

「こ、これでおしまいだよな!? な!」
「いや、リーリスは三体、とケルスティンが言っていた。最後の本体が残っている」
「思い出させないでぇぇぇ!!!!!」
 風雅の指摘にテリガンが悲鳴をあげた。
「いや、分かった。一旦、引き上げよう。な? 隆樹、こんなんだし、ケットシーンの姉ちゃんも腕ひとつにされたって言ってたじゃん? 腕ひとつってどんな状態だって聞くなよ、オイラだって想像したくねーからな」
「ケルスティン、な」
「隆樹連れてロストレイル戻って、ケルスティンの姉ちゃん拾って、0世界戻って、素直に討伐対組んでもらおうぜ。もう勝てねぇって!」
「……ああ」
「良かったぁぁぁぁ。こういう状態で風雅の兄ちゃんが「引くわけにはいかん」とか言い出したらどうしよーかと思ったぜぇぇぇ。ロストレイル、どこにあるんだ? ケルスティンの姉ちゃんが乗ってったからそこらへんにあるホーム?」
 風雅が隆樹を抱え上げた。


● Scene7 : Banishment
「ひぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」
 ケルスティンを見つけた時、最初に絶叫したのはやはりテリガンだった。
 先ほどのエアメールでは腕ひとつにされた、と書いてあった。
 ロストレイルの位置を手繰るように近づいてみると、おそろしい爆発の痕跡が残っていたのだ。
 その爆発の中心点近くに、ケルスティンの服。もとい、袖をまとった腕が一本落ちていた。
 無言で黙祷を捧げた風雅、前述のように絶叫したテリガン。
 せめて腕だけでも0世界にと風雅がしゃがみこむと、ぽとりと地面に落ちていた腕の指先が動き、地面に「あ、どうも」と書いた。
 テリガンは二度目の絶叫をあげた。

「なんだよ……。アンドロイドだったら早く言えよ。どうにかなるんだよな。良かったよう良かったよう」
 めそめそ泣いてるテリガンだったが、状況を思い出し、一刻も早くロストレイルに戻る事を進言した。
「よーするにリーリスの本体はまだ出てきてもいなくてピンピンしてるんだぜ!」
 とのことである。

 三人と腕一本を乗せ、ロストレイルが起動する。
 ごうんごうんと連結部に動力が伝わり動き始め、空へと浮かぶ。
 何事かと窓の外を見下ろした先に、光の鳩の群れ。

 その中心に。
 リーリス・キャロン。
 いや、リーリス・シニスターと名乗っていたか。
 顔の造作はあどけない少女のままで。

「リーリス、か。本体だろうな」
「帰るのは構わないけれど、ヤマトとヤシマを置いていって」
「そうは行かない、と言ったら?」
「残念だけど、私も左右の腕を失って霊力の余裕がない。撃ち落として取り戻す」
 ぐんぐんと空へ上るロストレイルの車両が撃墜され、インヤンガイの地面への落下と空への急浮上を繰り返す。生存動力が必死で駆動しているのだ。
 車窓の向こうにリーリスの顔。
「りーだーぁぁぁぁ、オイラやっぱりここで死にそうぅぅぅ」
 テリガンが泣き喚く。
「隆樹ぃ、起きてぇ、もいっかいアイツをパクってしてよう!! ヴェンニフでもいいからさ!」
 ぺしぺしと意識を失った隆樹の頬をはたくが返事がない。
「いざとなったら私がどうにかする」
 風雅が頼もしい一言を発するが、彼の心身も疲労しきっているのは誰にでもわかる。状況は極めて深刻だった。
 ケルスティンは腕一本だけ座席に転がっており、隆樹とヴェンニフは昏睡状態。
 心強い風雅は先の戦闘で全身ズタボロであり、テリガンの戦力は左腕にすら通用しなかった。

「その二つを渡してくれないと、ロストレイルごと塵に変える」
「やれるものなら……」
「強情張るな、面倒くさい」
 リーリスが毒づいて車両の一角に手を翳す。
 車両の扉が塵に変わり、リーリスの姿が車内に現れた。
「この車両も何回も乗ったけど、ちょっとの間で懐かしいかも。で、ヤマトとヤシマ、返してね」
 返答を待つまでもなく、リーリスの手に二つの霊子発電機が納まった。
 霊力を吸い上げるインフラ設備、リーリスの手にある限りは無限にリーリスに霊力を供給する悪夢の装置。
 リーリスがポケットから最後のひとつ、ミズホを取り出して三つを重ねて服のポケットにしまいこむ。
「力の分割などするのではなかった。おのれ、見縊ったわ……。こいつに頼りすぎたか。便利な道具だが所詮道具か」
「……渡せば素直に0世界へ返してくれるんじゃなかったのか?」
 風雅の言葉、リーリスは鼻で笑って流す。
「報告させると後々面倒だ。それとも、このまま私を0世界に連れていくか?」
「無論、断る」
「そうか。なら死ね」
 風雅の体が吹き飛び、車体の内側に強かに打ちつけられる。
「やはりヤマトもヤシマもほとんど霊力が残っていないか。ミズホの霊力だけではチャイ=ブレに挑むのは心許ない。インヤンガイでもう少し力を蓄えるか」
 飛び出そうとしたリーリスの足首を風雅の腕が捕まえた。
「逃がさん!」
「……雑魚が!」
 ロストレイルの周囲の空間が歪む。
 インヤンガイの空を飛び立ったロストレイルが世界群の移動に入ったのだ。
 光をまとったロストレイルが空を突きぬけ、ディラックの空に飛び込み、車窓の向こうが一変する。
「そうだ! 思いついた! 今、車両ごと切り離しちゃおう!」
「させると思うか」
「……ねーちゃん、ごめん!」
 テリガンがケルスティンの腕を連結部に投げた。
 放物線を描いて落ちたケルスティンの腕は器用に指で床を張って動き、腕一本の力のみで連結部のネジを破壊する。
「小賢しいマネをするな!」
 リーリスの絶叫と共に霊力が爆裂し、風雅、テリガン、そして隆樹の体が吹き飛ばされる。
 ガコン、と音がして連結部が外れた。
 風雅がよろよろと立ち上がった。
「おまえ達だけでもあちらに投げる。なぁに、オレはリーリスを始末して後から行く」
「無茶だぁー!」
 涙目のテリガンと風雅を暗闇が飲み込んだ。

 一拍おいて。
 視界がふっと入れ替わり、リーリスと同じ車両に乗っていた自分達が、離れていく車両を見ていたはずが、
 黒い何かに飲み込まれたような感覚があって、いつのまにかリーリスがこちらを睨んでいる風景に変わる。転移したのだと理解できるまで時間がかかった。
 やがて、風雅とテリガンの襟首を掴んでいた隆樹が二人の間に倒れこんだ。
 連結部が外れた直後、影を伝って二人を連れ、ロストレイルの車両を前方に乗り換えたのだ。
「……あんなやつ相手に話し合いしようなんて、アリッサの甘ちゃんぶりはどうにかならないもんかな」
《……。では、アトはヨロシク》
 再び床に倒れる隆樹。一緒に崩れるヴェンニフ。
 三人が乗る車両のあちら側で、リーリスが霊力を取り込んで爆散させる。
 ぞっとする程の強大な霊力、魔力。怨嗟、怨念。
「まだ我の霊力は尽きていないぞ。雑魚ども!!!」
 世界群を渡るロストレイルである。
 ディラックの空で一定距離を離れてしまえば、それはすでに「別世界」の存在となる。
 切り離された車両がディラックの空に飲み込まれる瞬間、四人はリーリスの絶叫を聞いた。


「 お の れ 、 チ ャ イ = ブ レ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇぇぇ!!!!! 」


● Scene 8 : The conclusion
 ドアは崩れ、連結車両の後半を失って。
 機関部もあちこちボロボロになりつつも、ロストレイルはターミナルへと到着した。
 報告の内容からアリッサとレディ・カリスの長い審議が始まり、その結論を持ってシドが現れるまでにかなりの時間を擁した。
 サングラスにインディアン羽根のシド。
 半裸の彼はその場でひとりだけ南国であり、重々しい決定を告げるにはあまり相応しくはなかったが、こういう役目はシドに回りやすい。
 ともかく、メモ帳を片手に現れたシドは「えらく消極的な判断ではあるが」と前置きをして。
 リーリス・キャロンの旅客登録を抹消する。……彼は小さくそう呟いた。
 ディラックの空を浮遊しているであろうリーリス・キャロン。
 今の所、0世界に現れてもいなければインヤンガイにも帰還していない。

 ディラックの空から自力で0世界にたどりつけるとは到底思えないが、それでもアリッサやレディ・カリス、世界司書のそれぞれがリーリスを甘くは見なかった。
 インヤンガイから吸い上げた膨大な霊力や彼女自身の資質を考えるに、いつの日が0世界に災いを為す時が来るかも知れない。
 インヤンガイにリーリスの分体の破片が残っていないか探偵を総動員して確認する体制を整え、ディラックの空の監視を強化する。
 そうして数ヶ月から数年、あるいは数百年の月日が必要かも知れないが、旅客登録を抹消されたリーリスが消滅の運命を迎える日を待つ。
 どこの世界に流れ着いていようとも、リーリスの存在が確認された世界には(それがヴォロスやブルーインブルーを始めとする主要な世界群のひとつではない限り)近づかない。
 当面の脅威を無視するわけではないが、インヤンガイへ向かうロストレイルの経路を多少、考察する必要がある。
 ディラックの空を漂っている以上、ロストレイルが近くを通行することは危険だからだ。
 また、旅客登録を抹消した結果、チャイ=ブレの制御から逃れた彼女がディラックの空を渡れる程の能力者にならないかという懸念もなくはない。
 それでも。
 交渉に向かった四人の報告ではリーリスが0世界への帰還を全く受け入れなかったことから説得は不可能と判断。
 インヤンガイに現れた三体の分体は二体の消滅に成功し、本体と見られる一体はディラックの空へと消え去った。

 リーリスに力を蓄えるための無限の時間を与えることを忌避する結果へと行き着いた。
 無限の時間の彼方にリーリスが0世界への復讐を果たす力を身につける可能性は0ではない。
 ならば、無限の試行を重ねて無限分の一の確率を手にされるよりも遥かに安全度が高い。そう考えたのだ。

「まぁ、良くやったよ、おまえらは。おかげでトレインウォーの準備も中止だ。
 言いたい事もいくらでもあるだろうが、それでもレディ・カリスなんかリーリス相手にトレインウォーを仕掛けるつもりだったんだぜ、魅了能力で同士討ちなんて洒落にならねぇ。
 そんなことにならなかったのはおまえらが頑張ってくれたおかげだ」
 最後に「差し入れが欲しければ受け付けるぜ」と言って「じゃ、ゆっくりな」と手をあげ、シドは帰っていった。

クリエイターコメント今回の内容は中身で語ったつもりですので、クリエイターコメントは控えめに。

判定の連続でした。
すべてのプレイングを採用することができない状況は多々見ましたが、
これまでになくプレイングの打ち合いがあり、判定に苦難しました。
これは皆様が本気で遊んでくださっている証拠だと思います。心から嬉しく思います。
ただ、やはり全てのプレイングは採用できておらず、その点の未熟のお詫びを申し上げます。
また長編シナリオというコトで、勝手に喋ったり動いたりする場面がいつもより増えています。

これまで味方だった、そして共に戦う仲間だったロストナンバーが、
(メタ的な意味ではプレイヤー様のキャラクターが)敵に回るというシチュエーションであり、
そんな滅多にありえない状況下でライターとして関われた事を嬉しく思います。

皆様、ありがとうございました。

※小ネタ
執筆を開始した当時は五月だったのですが、
推敲やストーリーの変更を重ねていたら、あっと言う間に六月になってしまいました。
書き始めの頃は「今年は初夏でも寒いですね」と書こうとしていたのが、いまや蒸し暑くてたまりません。
皆様、お体にお気をつけくださいませ。
公開日時2013-06-17(月) 22:00

 

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