オープニング

 ぶぅん……と低い耳鳴りがやむ。
 古臭い路地裏は活気があり、方々からうまそうなにおいが風に乗って漂ってきた。

 ここは壺中天、飲食に特化したヴァーチャル世界……の試作である。
 インヤンガイの活気ある街区の雑踏を再現し、いつでも日が暮れかけの夕飯準備時という空腹をそそられる世界がコンセプトだ。
 さて、このプログラムの開発は貧困層のプログラマによる涙ぐましい努力に起因している。
 インヤンガイには多種多様な美食があるにはあるが、大抵は一部の金持ちの道楽に費やされ、最下層どころか中間層にすら滅多にお目見えするものではない。
 それどころか普通の人間にとって、料理とは「合成食材を大衆向け調味料で味付けする」ものと同義である。
 明日を生きるための栄養源、それが食事であり、うまいものとはつまり麻薬に似た合成調味料で味覚を騙してくれるものという意味だ。

 このプログラムの構築は先に紹介した貧乏プログラマが「美食とは何か」を追究してしまったことからスタートした。
「偽物の味覚ではない、本物の食事をヴァーチャル世界で再現しよう!」
 それはとても魅力的な計画に聞こえた。

 なぜか「それって今の偽者よりも本能っぽい偽物を作ろうってだけじゃ……」という意見は開発現場からもスポンサーからも黙殺された。
 開発に不明点が多々あるものの、インヤンガイの基準では非常に安心安全設計に気を配った究極の美食体験プログラムである。



 ……と、いう内容の説明ガイダンスが終わると、あなたの目の前にふわりと世界が広がった。
 雑多な街、雑多な店、雑多な香り。
 ぐぅぅぅぅぅとけたたましく鳴いたのはあなたの腹の虫である。
 当然、それが食事の直後だろうが、過食で胃袋が破裂寸前であろうが、はたまたあなたに胃という器官すらない事も考慮されない。
 脳に直結したコードからは否応なしに電気信号で食欲中枢を刺激される。
 ぐぅ、と言う音は己の体内、胃のあたりから無理矢理に響いてくる。

 ガイダンスに従い、差し出されたオレンジジュースを一口すする。
 程良い酸味と甘味、喉をごくりと通る冷たい清涼感。
 柑橘の爽やかな後味まで完全に再現されている。
 これは壺中天の中である以上、すべての感覚は霊力由来の信号による疑似感覚だと頭では理解していても、この味覚の再現性はどうしても真贋が定まらない。


「いかがでしょうか。そのオレンジジュースのように当プログラム内での飲食は完全な味覚と満足を再現いたします。それでは、こころゆくまで美食をお楽しみください」


 ガイダンスの言葉が耳の傍で聞こえたと思うと、目の前はぼやけ、次の瞬間、あなたの体は、雑踏の中に一人立ちつくしていた。

 ぐぅぅぅぅきゅるるるるる……。


 何度目かの腹の虫の催促だ。
 しかも今度は胃を絞られるようなせつない痛みを伴っている。


「なお、追加の諸注意がございます」
 ガイダンスの声はまだ続くが、足はすでに雑踏へと歩き始めていた。

「壺中天内での食事は本体の栄養補給とは無関係です。生命維持装置のステータスを御確認ください。それでは良いヴァーチャル・トリップを!」




---You get Short Message...
 【気をつけるのヨ、ロストナンバー。モウはここで二週間ほど暴飲暴食を続けたネ。一昨日、満貫全席早食い選手権の準決勝の最中に栄養失調で餓死したヨ】


 あまりの現実感に忘れそうになるが。
 意識はこの世界にトリップしていても、その体はインヤンガイの非合法ビルの一角で生命維持装置をつけて眠っている。
 何週間も帰らなければふらりと立ち寄った気紛れな闖入者に死体と間違われて生命維持装置を外されてしまうかも知れない。気をつけなければ。
 肝に銘じ、最初の一歩は……さて、どちらに向けようか。

品目シナリオ 管理番号2618
クリエイター近江(wrbx5113)
クリエイターコメントこんばんは、0世界のはずれくじこと近江です。

さて、今回は全編モノローグです。一人称です。
あなたは空腹の人となり、気分にフィットする食事をもとめて壺中天のバーチャルシティをさまよいます。
喋れない方でも思考できればOKです。

どんな気分か、何を食べたいか、その食べ物へのこだわりやマイルールなどなど。
食物への愛を力いっぱいプレイングにぶつけてくださいませ。
食事のジャンルは問いません。
せっかくですので、近江と一緒に読者に夜食テロを仕掛けましょう!


※オープニングの末尾はちょっと不穏ですがインヤンガイで貧乏探偵の命が失われるのはよくあることなので、あまり気にしないでください。
本編中、積極的な戦闘はおきない予定です。禁止はしませんが、せいぜいアームロック程度までにしておいてください。

参加者
ヴァージニア・劉(csfr8065)ツーリスト 男 25歳 ギャング

ノベル

 あー、まぁ期待はしてねぇけどよー。
 とぼとぼと歩いてみりゃ、ヤケに豪華な店構えが並んでやがんなぁ。
 人気区画? ……あー、くだらねぇ……。

 メシなんてもんは食えりゃいーんだろうが。
 パンフレットにだって美辞麗句並べたてちゃいるがよ、ドブ池で繁殖した気味わりぃ生きモンから作った合成食材に、ムシケラをぐちゃぐちゃにすりつぶしたペーストでできた大衆用調味料ぶっかけたもんでも口にいれりゃ唾液は出るし、飲みこみゃ腹のムシは納まるし、とりあえずそうしてりゃ栄養不足で動けねぇなんてこたぁねぇんだから、それでいいじゃねぇか。
 そんな二十秒で済むようなコトになんでこんな無駄に飾った空間で時間かけて食わなきゃなんねーんだ。バカバカしぃ……。

 やっぱ、やめだやめ。
 こんなバーチャル空間でメシ食うマネして喜んでどーすんだって。
 幽霊と一緒に神様に祈る並にありえねぇだろ。
 とっとと外に出て、タバコでも吸うか。道どっちだっけな。
 ……ええと、たしかこの角を曲がって……。いや、違うな。くそ。
 出入り口ってどこにあるんだっけか……。

 ちっ。
 わざわざ手間隙かけて、ややこしい町並み再現してんじゃねぇよ。
 ハラへって死にそうだってのにどんだけ歩かせるつもりだ。
 ああ、そーか、このハラへって死にそうってのもプログラムの一部だっけか。
 くぅぅぅ……って、なんだ、ハラのムシまで鳴かすんじゃねぇ。
 しゃあねぇ、そこらへんの店でインスタントラーメンかハンバーガーか。
 でなきゃ栄養クッキーかゼリーでも食っちまえば納まるだろ。


 ……ねぇな、ちくしょ。こんだけ店があんのに、なんだってテキトーに食料売ってそうな店がねぇんだよ。
 食いモンは店の中で注文して出来上がるのを待ってその場で食うなんて決まりつくってんじゃねぇ。腹が減ったら安いモン適当に食えばいいんだ。
 出入り口もますますわかんなくなっちまったし、足もくたびれて……いや、なんでプログラムの世界なのに歩いたからって足がくたびれんだよ。ったく。
 余計なモンに気ぃまわしすぎじゃねぇのか?
 体に悪りぃジャンクフード食っても、それが好きならそれでいいじゃねぇか。
 どぶネズミにゃどぶネズミに相応しい残飯があるんだ。
 どぶネズミを太陽の下に引っ張り出してフルコース食わそうとしてんじゃねぇよ、舌ヤケドしちまうだろうが。
 体調管理なんてもんはこの先も生きる余裕があるやつがやることだ。

 ……あー、まぁ、そーだな。俺もこの先、生きる余裕がある身になっちまったんだっけか。
 最近、あのうるせぇ居候のせいで三食食わされてて、たしかに体の調子はいい気がするけどよ。
 元々偏食だったし、前の生活が生活だして規則正しい食事ってのは胃がもたれてしかたねぇんだ。
 ただでさえケムリが食事代わりなんてザラだったしな、一日二食食えば珍しかったわけだし。
 って、おい。また腹のムシか。ワンパターンだろ。
 おいおい、腹へってきたぞ。

 ちっ、おいおい。
 このプログラムはヒト様の着てるモンからタバコまで探して盗んでくのかよ。
 うっわ。目の前がぐらぐらしてきた。耳の奥できぃぃんって音が鳴ってやがる。
 鼻の奥のどっかが腫れたみたいに吸い込む空気が重くなってきやがった。
 やべぇな、食わなさ過ぎて倒れる時の感覚だぞ、これ。
 久々に味わうときっついな。

 ――久々か。
 認めたくはねぇが、アイツのおかげで腹が減って道端でぶったおれるよーなマネはなくなったな。
 癪だが、たしかにアイツの言うとおりだな、ちくしょ。


 ぐらり。
 頭がゆれる、脳ミソの中から重い空気が膨れ上がる。
 頭のてっぺんがヤケに暑くなって首筋の後ろから背中にかけてぞぞぞっとした寒気が走り、その空気が体の中から弾けるように俺の体を前のめりに押しやる。
 おおおおおおおおおおお。
 ――やべ、今の"波"はキツかった。
 あー、息があらくなってやがる。芸のこまけぇ"仕様"だな。
 作ったヤツはよっぽどのサディストか、マゾヒストか、でなきゃ偏執狂だ。
 どれであってもクソッタレ野郎だ。なんでこんな装置に入ったんだ、俺は。

 とにかく、メシだな。
 イラつくが製作者がメシを食わせてぇってんだから食ってやりゃいいんだろ。
 バーチャル体験なら金もいらねーんだよな。あー。
 って、見渡しても門の前に金細工がついてるよーな店にゃ行きたくねぇな。
 こっちは……。クレープかよ。また胸焼けがぶりかえすじゃねーか。
 んじゃ、この路地を曲がっ……。

 ――今、鼻の奥にドギツい匂いがきたぞ。
 食いモンのにおいってこんな凶暴だっけか。
 ああ? なんだラーメンか。屋台まであんのな、ああ、うん。これでいいや。
 赤い暖簾を跳ね除けて、背もたれもねぇ丸いパイプ椅子にすわりゃいいんだろ。
 カウンターは油でべとべと。右奥にある壺は……、おろしニンニクに刻みゴマ。紅しょうがの細切り、それにコチュジャン、あらびきコショウに酢か。
 いつも思うんだが、酢ってラーメンにいれるやつ見たことねぇな。
 おすすめは……なるほど張り紙があるのか。とんこつ? 油っぽいやつか。ンなモン腹にいれたら胃もたれで動けなくなるな。
 んじゃ、ここはあっさりめの……塩か、醤油でいいや。
 注文はどうすりゃいいんだ。ああ、口に出して言えばいいのか?

「醤油ラーメンひとつ」
「あいよー、醤油いっちょー」

 ……今、誰が返事したんだ?
 どう見ても、この店にいるのは俺一人なんだが。
 まぁいいか。どうせプログラムだ。それにしても、さっさと出入り口見つけねぇとな。
 あ、せっかくだしビールも……いや、やめとこう。こないだみたいに誰かと飲んでるわけじゃねぇしな。

「おまちどー!」

 お、来た。
 じゃあ、とっとと食って出ちまえば……お?

○ 醤油ラーメン
 両手で抱える程度の大きさで陶器の丼に入ったラーメン。
 上から見えるのはメンマとネギ、アクセントは半熟卵。チャーシューは分厚めのものが一枚。

 はー。庶民に愛される定番ってやつか。
 スープは醤油色。少し油が浮いてるのはトリガラか。
 卵は醤油につけてあったのかスープの色より茶色が濃い。
 半熟卵は二つに切ってあって黄身の部分がこちらを向いている、とろりととろける程度の半熟具合。
 スープにゆらゆらと黄身が浮いているところなんか、バーチャルのモンだなんて忘れさせてくれるな。

「んじゃ、ま……」

 割り箸はカウンターに立てかけた竹の筒から一本取り出すシステムか。
 二つに割って、軽くかきまぜて麺をほぐして、何本かまとめてつまみあげ……。

 ずるずる……。


 まず口に広がったのはカツオ出汁の香りと風味。
 それだけじゃなく、トリの旨味が後から追いかけてくる。なるほど、こっちが本命か。
 最初にカツオ出汁が攻め込んで口の中で暴れた後に鶏の本陣が旨味を伝えるわけだな。
 その鶏の味が口の中に広がってる時に麺を噛むと――。
 まずすごい弾力が歯を押し返そうとしてくるが、すぐにまとめでぷちぷちと千切れてく感覚が面白い。
 何度も噛むと小麦粉の風味が甘味に変わって鶏と交じり合い、とろとろとしたほのかに甘いスープが喉の奥に流れ込んできやがる。

 あ、これ、うめぇって感覚だな。
 醤油出汁は味がしっかりしてコクがあるのに、喉元を過ぎればすぐに香りだけ残して消えていくどこまでもすっきりとした後味。
 そのすっきりしたスープに浮いてるチャーシューは箸に力をいればぷつりと切れるほどに柔らかく煮込まれていて、口にいれれば豚の油と身が暴れだす。
 あっさりの中にガツンとした存在感を主張する一口になりやがる。
 こりこりと歯にすりつぶされてくのは、こりゃメンマだな。
 あえてグズグズに煮ないことでコリコリとした歯ざわりで麺とはまた違った演出をしてくれる。

 だがチャーシューもメンマも麺と一緒に口の中で噛み続ければ、麺の旨味とほのかな小麦の甘味が包み込んで、スープの海に溶け込んでいく。
 おっと、忘れちゃいけないな。そろそろ卵を……白身がぷるんと口に滑り込んでくる。
 長い時間、醤油に漬け込んでたんだろう。強めの醤油味がこのスープの中でも一際、味の強さを放ってやがる。
 二度三度ほど噛んだところで――きた! とろぉっととろける黄身が舌を包んでいく。
 こいつは強ぇ、麺もスープも黄身の濃厚な味に染め替えて、喉の奥に滑り込んでいきやがった。
 ふぅ。
 ……お、食った後のため息にも卵の香りが残ってるな。
 くそ、半分食っちまったから、もう半分しか卵残ってねぇじゃねぇか。
 半分をさらに半分に分けて二口分味わうか? いや、しかしそれじゃみみっちい食い方になるかも知れねぇな。
 だからと言って、今と同じように一口で味わってしまうのも少しもったいねぇ気がする。
 チャーシュー麺か卵の追加トッピングって言やぁ良かったかもな。
 どうする。今から追加って言って見るか? いや、麺の残量はほとんどなくなっちまってる。
 くっ、チャーシューの旨味に釣られて麺を食いすぎたか、卵が思わぬ強力な伏兵だったとは、油断したぜ。
 まぁいいや、スープすすって……んくんくんく。
 ぷはっ!
 ……くぅ、あったけぇ。喉から食道を通って胃のあたりに落ちていく道順が分かる。
 その道筋にそってじんわりと暖かさが残り、じぃんと痺れてきた。
 ラーメンのスープって、こんなあったかかったっけな。インスタントラーメンのスープはもっと熱くて塩っけだけ強かったんだが。
 あ、なんか首の後ろあたりがほんわかしてきた。

 うめぇ。
 このラーメンうめぇ。
 あ、なんか目の奥が熱くなってきやがった。
 え、なんだよ。泣いてんのかよ、俺。
 なんだよ、あったけぇからって泣くほどの事かよ。
 メシがうめぇとかどうでもいい人生だったじゃねぇか。
 何をこんなきったねぇ店のラーメンいっぱいで目の奥がちりちり熱くなってんだよ。
 んくんく。……ああ、うめぇなぁ。醤油味ってこんな鼻の奥に訴えかけてくるほどいいにおいだったっけか。
 最後の麺……、くそっ、なんだよ。最後の一口だけしょっぺぇじゃねぇかよ。
 しょっぺぇよ。……しょっぺぇよ、俺の人生よぉ……。

 ……いつのまにか両手で抱えてたな。丼。
 腹の中があったけぇ。また口の中に醤油の香りが残ってやがる。
 水も……、冷たくて口の中がさっぱりする。

 ふぅぅぅぅぅ……。

 ……やべ、何をぼーってしてんだ。俺。
 あ、でも、腹の奥から全身に血が巡ってんのがわかる。
 こーゆーのを生き返ったって言うんだろーかなぁ。
 スタンにも食わせてやりて……、……ああ、いや、どうでもいいか。

 ―― ごちそうさん。

 なんとなく見上げた空は青くどこまでも広がっている。
 嘘こけ、インヤンガイであんな青い空なんざ見たことねぇぞ。
 あ、いや、色々言って悪かったな、いや、まだあんな派手な門の店ばっか作ったシュミはわかんねぇけどさ。
 うめぇもん食いたいって気持ちはなんとなくわかった気がするぜ。
 俺にゃ、あんまり性にあわねぇが、ここに引きこもってうめぇもん食い続けるってのも悪くねぇかもな。
 改めて、ごちそうさん。機会があったらまた来るわ。
 そん時ゃ、もうちょっとマシな店を多めに――。

 立ち上がった途端、俺の腹の中でくぅぅぅとムシが泣いた。
 前言撤回だ。店を出た瞬間からまた空腹に逆戻りじゃねぇか、なんだこのクソ仕様。
 やっぱここ作ったヤツ、気にくわねぇ。




 ……腹減った。

 次、何食おう。



クリエイターコメント こんばんは、0世界のはずれくじこと近江です。
 GW、いかがおすごしでしょうか。もとい、おすごしだったでしょうか。
 エイプリールフール企画、今更ながらにお届けでございます。

 ただひたすら御飯を食べるというだけでも色々有るものでして。
 今回はこんな風なモノローグとなってみました。
 個人的にうまいものを食うのは好きでうまい店が色々あるものでして。
 うまい!と聞いた店はなるべく行くようにしています。
 うまいものを食ってれば人生、ある程度しあわせなんじゃないかと思うのです。

 こんなバーチャル世界がありましたら、ものすごく入り浸ります。
 体重を考えなくていいのが最大の恩恵ですね!
 何食っても太らない体質のヒトとか犬に噛まれればいいと思います!(きっぱり)


 と、いうことで、今回はご参加ありがとうございました。
 またの機会がありますよう、よろしくお願いいたします。
公開日時2013-05-06(月) 12:50

 

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