なりたいものがあった。 映画俳優の衣装を作ること。それは天職であるように思っていた。 その為の勉強も欠かさなかったし、貯金もしてきた。 手帳に予定をぎっしりと詰め込んで、自分の為に注いだ時間があった。 恋もした。 故郷ではない場所を再帰属先に選ぼうと思った。 故郷の家族に別れも告げずに飛び出した。 友達の幸せを願った。 友達が好きだから、みんな笑顔で幸せになって欲しいから。 けれど敵になったら殺せてしまう。 幸せを願った友達を、知り合いを、一抹の呵責も無く。 良かれと思った行動も、こうなりたいと願った言葉も、全ては空転するばかり。 全部。全部。全部。 間違えた。間違えた。間違えた。 選んで来たものは、何もかもが間違いばかり。 いつからだろう。 正しい選択ができなくなったのは。 正しいと思った選択は、いつだって間違いで。 誰かが傷付いて。 誰かが泣いて。 そうして初めて気付くのだ、自分が間違っていたことに。 熱い。 熱くて、痛い。 同時に凍えるような寒さで身を貫かれているように思えた。冷た過ぎるから熱く感じ、そして痛いのだろうか。 吉備サクラはいつだったかに感じた闇の中で、ぼんやりとそんなことを思う。 どうして、こんなことになってしまったのか。 サクラはただ途方に暮れて、ただそこに呆然としていただけだった。 どうすればいいのか、わからなかった。 何が正しくて何が間違っていたのか、わからなかった。 自分の何があんなにも人を傷付けてしまったのか、わからなかった。 けれど、何もかもが間違っていたのだと、それだけがわかっている。 いつだって解っていることは、自分が間違えたということだけなのだ。 泣きたいような気がした。 けれど、一滴の涙も出るとは思えなかった。 叫びたいような気がした。 けれど、自分の喉が音を発することはない。 何も見えなかった。 何を見ようとしていたのか、何を見たいと思ったのか、それももうわからない。 華やかな世界を夢見ていたことも、新しい世界で生きていこうとしていたことも、誰かの笑顔を見たいと願ったことも。 もう、遠い世界の出来事だ。もう、覚えていない出来事だ。 だって、今見えることは、間違えてしまったことだけ。 自分の言葉が彼をざっくり傷付けた。 消えた彼を思ってたくさんの人が泣いた。 彼を助けに行こうとして傷だらけになった人と、ロストレイルで擦れ違った。 ……何も言えなかった。 ただ、それは自分の責任だという事だけが、わかっている。 傷付かなくてもよかった筈の人を傷付けて、泣かなくてよかった筈の人を泣かせて、怪我をする必要がなかった筈の人を傷だらけにした。 全部間違ってる。全部、全部、全部。 それなのに。 それ、なのに。 ──私はまだ、どの言葉が彼を傷付けたのか、わからない。 発した言葉はなかったことにはならない。なかったことには、ならない。 慎重に、一生懸命考えて、それで出した答えだった筈なのに。 それはいつだって間違いで、傷付けて、泣かせて。 どうしたらいいのかわからなかった。 声にならない声が喉の奥から迫り上がって来る。 それはため息にも似た慟哭だ。 ただ、ただ、どうしたらいいのかわからなくて。 ただ、ただ、謝ることしかできない。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 私は本当に生きる価値の無い人間だ。 私はとっくに生きる価値が無い。 謝ることが正しいことなのか、わからない。けれど、サクラにはそれしかできない。 それ以外の方法が何かあるのか、わからない。 謝ることも間違っているというのなら、何が正しいというのか。 それを問いかけることすら間違っているのなら、もう何もわからない。 天も地もなく何の臭いも何の音もしない虚ろな闇の中で、熱くて寒くて焦がされるような痛みの中で、サクラはただただ小さく体を丸めた。 ああ、このまま何も見ず、何も聞かず、ただ小さく縮こまって消えてしまいたい。 それは卵の中で手足を縮める雛のように。 ──《迷鳥》になりたい。 比翼迷界・フライジング、その世界の鳥のすがたの怪物になりたい。 切実に、悲しいほど強く、サクラは願った。 彼の世界の《迷鳥》の抱えた思いは、必ず昇華される。昇華されなければならない。なぜなら、それはフライジングという世界に住むひとびとの脅威となるからだ。 《迷鳥》が生み出した《迷宮》、それを昇華する方法は二つ。 一つは、《迷鳥》を殺す事。 一つは、《迷鳥》の想いを満たして卵に戻す事。 どちらを選んだとしても、《迷鳥》の抱えた悩みは消える。命が消え、或いは一からやり直すことに依って。 ── いいな。 いいな、羨ましいな。 目の前で見た《迷鳥》の断末魔も卵に戻った姿も、羨ましい。 どちらの方法を選んでも、全ては昇華されて消えているのだから。 ああ。 消えてしまいたい。 間違えてばかりの私だから。 生きる価値の無い私だから。 怪物になれば、きっと討伐しに来てくれる。 怪物になれば、きっと間違えることも無い。 だって討伐されることが正しいのだから。 そうしたらきっと楽になれる。 そうしたらきっと間違えない。 その為に必要なのは。 ──世界計。 竜刻の大地・ヴォロスの野人。 無限の海洋・ブルーインブルーの魚人の王。 永久戦場・カンダータのデウス。 彼らはみんな、世界計を得てその世界の怪物になった。 だからきっと、世界計の欠片を得れば、怪物になれる。 フライジングで世界計の欠片が手に入れば、例え《迷鳥》にはなれなくても、討伐の必要な怪物にはなれる。 だって世界計は『望むように世界を作り替える力』を持つのだから。 その為には。 ──フライジングの女王。 そう、フライジングの女王に会いに行こう。 世界計の欠片を得たあの方に会いに行こう。 あの方を助けて、世界計の欠片を貰おう。 欠片はきっと、私を怪物にしてくれる。 討伐の必要な、怪物に。 暗闇の中、なお暗いあかりが灯る。 サクラにとってそれは、何にも代え難い希望に見えた。 ああ、もう心も何もかもが冷えきって、何も見えない。 なりたかったものも、大切に想った気持ちも、幸せを願ったことも。 何もかも、遠いものになってしまった。 消えること、ただそれだけが希望になってしまった。 だって、いつだってカラカラと空回りするばっかりで。 傷付けたくないのに傷付けて。 泣かせたくないのに泣かせて。 何をしても全部が裏目に出て。 後悔と自責の念と途方に暮れる思いしか残らなくて。 こんな自分を、じゃあどうしたらいい? 誰もその答えを持っていない。 そもそも答えなんかあるのか。 いいや、答えなんか見えない。 だったら。 それだったら、要らないじゃないか? 正しいことができない自分は。 間違いしかおかせない自分は。 誰かを傷付けるだけの自分は。 誰かを泣かせるだけの自分は。 要らない、要らない。 要らない。 要らない、要らない、要らない、要らない。 ──私が一番、私を要らない。 深い深い闇の中。 天も無く地も無く、果ても無い、何も無い、闇の中。 なお暗いあかりに向かって手を伸ばす。 それがどんな意味を持つのか、それがどんな結末を迎えるのか、考えるのも億劫だ。 ただ、そのあかりに手を伸ばして、すべてを終わりにしたい── なりたかったものがある。 生きたかった世界がある。 幸せを願ったことがある。 だけど、もう、何も無い。 ただひたすらに求めるのは、その、暗いあかりだけ。 ……ねぇ。 私が消えたら。 私が消えたその時には。 私は許して貰えるかな? 熱くて寒くて痛くて空っぽになった頭の隅で、ほんの一瞬、そう、思った。
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