オープニング

 この世は弱肉強食だ。
 だから、力が弱いものは力がより強いものに殴られる。
 だから、気が弱いものは気がより強いものに嗤われる。
 それが、この世の道理だというのなら、それがこの世の正論だというのなら、この世はなんて不道徳で不条理なのだろう。
 ある時点での力の強弱なんて、自分ではどうしようもないことだ。
 ある時点での気の強弱なんて、他人の評価で勝手に決まることだ。
 他人を蹴飛ばして優越に浸って、這いつくばる他人を見て嗤ってやらなきゃ自分の優勢を確認しなきゃいけないなんて、可哀想なやつだと思うよ。
 思う、けれど。
 石ころのように蹴飛ばされる痛みが、わかるかい。
 襤褸布のように這いつくばる無念が、わかるかい。
 そうされてきたぼくが、そうしてきたヤツを、そうしてやっても構わないと、思わないかい。
 この世は弱肉強食だ。
 より強い力を手に入れたものが、弱いものを虐げることが、道理なんだろう?
 より強い気を手に入れたものが、弱いものを嘲笑するのが、正論なんだろう?
 世界は広くて、世界地図なんかより地球儀なんかより広くて、それはまるでお伽噺みたいな、もしくはサイエンスフィクションみたいなものなんだって。
 ねぇ、知っていたかい?
 でも、どうでもいいんだ。
 だって、この世は弱肉強食だ。
 右手に宿ったこの「破片」が、ぼくを世界の強者にしてくれた。
 もう誰にも殴られることなんてない。仮に殴られたって、すぐに治る。
 もう誰にも嗤われることなんてない。仮に嗤われたって、悔しくない。
 だって、その嗤い顔が、怖れ顔に変わって泣き顔になるんだから。
 なんて愉快なんだろう。
 ねぇ、わかったよ。
 どうして弱者が殴られるのか。
 どうして弱者が嗤われるのか。
 だからみんな、強者になりたがるんだって。

  ◆

「皆さん。本日はお忙しい中お集りいただき、ありがとうございます」
 色黒の肌に銀の髪がさらりと揺れる。強い青の瞳が、今日は些か曇ってみえる。
 司書のリベル・セヴァンは、両手に広げた『導きの書』に目を落とす。ひとつ小さなため息を零して、ロストナンバーたちに向きなおった。
「壱番世界で『世界計』の「破片」が見つかりました。その回収をお願いします」
 『世界計』――それは、0世界の『世界計』は、世界図書館創設期、チャイ=ブレによってもたらされた知識によって創造された。この機械は、世界樹旅団が0世界へ浸食した際のマキシマム・トレインウォーにて破壊されてしまったが、現在は修理され、異世界への旅行も行えるようになっている。
 しかし問題は、『世界計』が破壊された時に飛び散った「破片」である。
 この破片は0世界のみならず、他の世界群にも飛び散ってしまったのだ。そして破片は、生物に引き寄せられ、融合する性質を持つ、ということである。
「破片はすでに、壱番世界の中学生・呉山公太の手のひらに融合しています。彼は、強力な自己再生能力と治癒能力、そして人間には過分な腕力、脚力、動体視力を得ています」
 増したのは筋力である。その万力でコンクリートの壁を殴れば、手の骨は粉々に砕けてしまう。しかし、破片のもたらす治癒能力と再生能力が、痛みを感じさせず暴力を振るわせるのだ。
 ただし、動体視力は良くても、反射神経は強化されていないようである。
 リベルはロストナンバーたちを見渡す。
「呉山公太は、手に入れた力をただ暴力として使っています。強者が弱者を虐げることが条理であるならば、力を手に入れた自分がそうしても何ら問題がないだろうと、そういう考えのようです」
 今のところ死人は出ておりませんが、とリベルが呟き、幾人かが唸った。
「回収の仕方は、お任せします。ただし、必ず回収して戻ってくださいますよう」
 最後の言葉を強く言って、リベルはチケットを差し出した。

品目シナリオ 管理番号3016
クリエイター井上アキハル(weyy6375)
クリエイターコメントこんばんは、当シナリオをご覧下さり、ありがとうございます。
そろそろ「初めまして」を取っても良いだろうかと思案する、井上アキハルです。

今回はコンダクターたちの世界・壱番世界へのご案内です。
『世界計』の破片は、壱番世界の中学生・呉山公太(くれやま・こうた)に恐るべき力を授けてしまいました……彼にあるのは「弱肉強食」のみのようです。
皆様は彼に対し、何を思い、回収に向かうのでしょう。
また、回収にはどんな手段を用いるのでしょう。有無を言わさずでしょうか、それとも説得を試みるのでしょうか。
壱番世界の中学生の命は、皆様が握っていると言っても過言ではありません。
どうぞ、ご判断を。
※本シナリオは、場合によっては後味の悪いものとなる可能性があります。ご参加の際にはご注意ください。
※プレイング日数は「4日」となっています。

それでは、難儀でメランコリックな旅路へ、出発しましょう。

参加者
ブレイク・エルスノール(cybt3247)ツーリスト 男 20歳 魔導師/魔人
NAD(cuyz3704)ツーリスト その他 20歳 食い倒れ
エータ(chxm4071)ツーリスト その他 55歳 サーチャー
古部 利政(cxps1852)ツーリスト 男 28歳 元刑事/元職業探偵

ノベル

——弱者は強者の肉となるか

「これが呉山公太です」
 温和そうな壮年の教師は、脂汗を滲ませながら一枚の写真を示した。
「拝見します」
 人好きのする顔立ちに真剣な表情を乗せて、古部利政は教師が指差す少年を観察した。
 クラスの集合写真から見て取れる呉山公太は、黒の学ランをきっちりと着込んでいる。良く言えば真面目、悪く言えば、地味で目立たないタイプだ。顔立ちや身長も平凡そのもの、クラスでも“その他大勢”に含まれる方だろう。
「呉山はある意味で模範的な生徒です。成績はそれなりに良く、素行にも問題が無い。部活動や委員会活動も、積極的ではありませんがソツなくこなせますし。敢えて問題点をあげるならば、交友関係が非常に狭いということでしょうか」
「人見知り、ということですか?」
「それは少し違うような……そうですね……深く付き合う友人が少ないのです」
 中学生というのは、なかなか扱い辛い時期でしてね。
 教師はそう前置いて苦笑した。
 独立心が芽生え、他者と自分とを区別したがる一方で、ある一定の徒党を組み、一人ではないことを確認する。敢えてだらしない恰好をし、非協力的な行動を取る……それらは大人への反抗とも言えた。
「呉山公太は大人しい生徒です。複数の仲間とつるむ、ということもしません。我関せずという程、孤立した存在でもありませんが。周囲と摩擦を起こさない程度の距離を保てる……そうですね……中学生の割に大人びた距離感を持っているのでしょう」
 利政は「なるほど」と相づちを打つ。
「ちなみに、深く付き合える友人とは、どういう生徒でしょうか?」
「校内では仲の良い雰囲気ではありませんが、幼なじみの女生徒がいまして」
 教師は再び苦笑し、それから別のクラス写真を取り出した。
「相馬京子と言います。同じマンションで、隣の部屋なんですよ。家族ぐるみの付き合いもあるとか」
 写真の京子は、冷たい目でカメラを真っ直ぐに見つめていた。短髪で、中学生にしては垢抜けており、優秀だがひねくれている……そういうタイプのように思われた。
「呉山くんとは……その、本当に仲が良いのですか?」
 利政が聞くと、教師は心得顔に微笑んだ。
「幼なじみとはいえ、あまり相性は良さそうに見えませんよね。相馬は愛想が良いとは言えませんし、完全に一匹狼ですから。それでも彼女が孤立しないのは、優秀だからです。尊敬……畏怖と言っても良い。クラス委員もしています。女性というものは年齢など関係なく口が達者な者が多いですが、相馬は我々でもなかなか手強い相手ですよ。でも、彼女もまた心を開ける友人は、呉山ぐらいしかおらんのです」
 それは、彼女が優秀であるが故の孤独である、と教師は言う。
 だから、幼なじみである呉山公太しか、彼女の心は真にはわからないのだ、と。
 そして、教師は困ったような顔をする。
「呉山が……その、嫉妬に遭うようになったのも、原因は彼女なんですよ」
 利政が首を傾げると、教師は慌てたように首を振った。
「彼女が何かをしたわけではありません。ただ、相馬は男女問わず人気があるので……」
 それを聞いて、利政は「ああ」と頷いた。
 何とも解りやすい構図だ。
 それにしても、そうであるならば呉山公太の矛先は相馬京子に向きそうなものだが。
 何にせよ、と利政はひと際目立つアイスブルーの瞳を細めた。
「それでは失礼致します。ご協力ありがとうございました」
「いいえ。呉山が報復をしているというのは信じられませんが……大事になる前に、どうぞよろしくお願い致します」
 脂汗を拭きながら、壮年の教師は利政を送り出す。
「ああ、そうだ。呉山公太くんと相馬京子さんは、部活などは?」
「二人とも陸上部です。呉山は校庭に居なければ帰ったのでしょう。相馬は部室にいると思いますよ」
 そして部室等の場所を聞き、今度こそ利政は教師と別れた。
 ——何にせよ、丁度良い暇潰しだ。

  ◆

 ブレイク・エルスノールは不快感を全く隠そうともせずに、街中を歩いていた。
 茶髪は大して人目を引かないし、金の瞳というのは積極的に見ようとしなければ意外にわからないものだ。今は魔導師服を学ランに変形させていることもあり、また顔立ちが童顔なので、まったく違和感はない。
「それにしても、絵に描いたような頭でっかちの屁理屈くん。破片もなんでまたこういう困ったさんばかりに取り付くんだろうねー」
 独り言のように呟いたブレイクの視線の先で、トラベルギアの古びたマントをまとった光る本であるエータが「うーん」と間延びした声を上げた——エータ本体の形状は本だが、なぜか物事を見聞きでき、また声を発することもできた——。
「世界計の破片を手に入れた彼がそういうなら、それがこの世界の仕組みなのかも」
 エータの声に、ブレイクは眉をぴくりと跳ね上げる。
「それじゃあ、エータさんは、彼の考えや行動が正しいと言うのかなぁ?」
 棘を多分に含んだ声に、エータは「まさか」と驚きを込めて声を発した。
「ワタシは「強い」を知らない。だから、ワタシは「強い」を知りたい。それだけだよ」
 ブレイクは「なぁんだ」と肩をすくめる。
「説得とかなんとか、する気なのかと思った」
「ワタシには理解できないコトを考えるヒトは、説得できないよ」
 冷たい秋風が一陣、吹き抜けていく。
 呉山公太の捜索は、古部利正からの連絡を待つことになっている。二人は肌寒くなり始めた壱番世界の秋風に口を噤む。
 ところで、チケットは四枚あったはずだが、もう一人の同行者はどこだろう?

  ◆

 弱肉強食。全くもって、その通りだね。
 私が存在した世界もそうだった。私は強い方に居たから何時も食べてばかりだった。

 “それ”は、声もなく表情もなく、そう独白した。
 どこにでもいて、どこにもいない“それ”に敢えて名を冠するとすれば、NADとするが、彼(性別は不明だが、便宜上そう称する)は空腹を感じていた。
 ロストナンバーとして覚醒した経緯も、どのようにしてパスホルダーを取得したかも全く不明だが、ともかく彼はロストナンバーとして図書館とウィン・ウィンの関係を築き上げるために、今回の依頼を受けたのだった。
 NADの食事は、他の生命体の感情である。特に戦場などで発生する狂的な負の感情を好むため、今回の依頼はうってつけであると思われた。
 精神生命体であるNADにとって、呉山公太という精神に滑り込むのは簡単なことだった。そして、その精神を捻り潰すことも彼には簡単に出来たが、NADはそうはしなかった。彼は、大食漢なのである。
 より美味にするべく呉山公太の精神を探索する過程で、NADは不満を感じた。
 依頼を受けた時は、さぞ力に傾倒し荒れ果てているだろうと期待していたのだが、呉山公太なる精神は、予想していたよりも落ち着いていたのである。
 このままでは想定していた調理法を実行することができない。
 粗食で我慢するしかないか、と思考したところで、思いがけない“ご馳走”を見つけた。

 これは使える。
 きっと素晴らしい食事になるだろう!

  ◆ ◆ ◆

 ——強者は弱者の何となるか

 古部利正は、壮年の教師に教わった部室へと足を運んだ。
 ドアをノックしようとした所で唸り声が聞こえ、反射的にドアを開ける。そこには、体操着姿の女生徒が蹲っていた。
「大丈夫か?」
 駆け寄って声を掛けると、短髪の少女はすっと頭痛が抜けたかのように顔を上げた。
 冷や汗を流してはいるが、集合写真に写っていた相馬京子に違いない。利政はもう一度声を掛ける。
「相馬京子さん、だね。大丈夫?」
「あんた、誰」
 物怖じしない物言いに、利政は苦笑しながら答える。
「失礼。呉山公太が事件に関わっている可能性があるからね、その聞き込みをしている。古部利政という者だ」
「警察か探偵ってこと。誰が届けたの。鈴木? それとも郷田?」
「そこは守秘義務というのがあってね」
 言うと、京子は目を細め、汗を拭いながら鼻で笑った。
「きみは、呉山くんと幼なじみなんだってね」
「それが何」
 京子は立ち上がり、机に向かう。部活動の日誌か何かを付けているようだ。
 利政は内心苦笑しながら、誠実そうに聞こえるような抑揚を付けて喋る。
「呉山くんがイジメにあっていることについて、きみはどう思っているんだい?」
「あたしがアイツがイジメにあう原因に責任を感じてるかどうかってこと? なんで周りを止めないのかっていうお説教? 今のアイツを、あたしがなんで止めないのかっていうお説教?」
「とりあえず、一番最後かな」
 利政が肩をすくめると、京子は日誌から顔を上げずに答えた。
「止めても聞かなかったから」
 京子は即答する。
 言葉を続けようと利政が口を開きかけると、その前に京子が続けた。
「もっと熱心に止めるべきだったって言いたいんでしょ。でも聞かないんだからしょうがない。止めたいなら、自分で言って止めたげてよ」
 利政は「おや」と眉を跳ね上げる。
「呉山くんは、イジメや虐待に対する復讐がしたいんだろう?」
「復讐ね」
 京子は嗤うように吐き捨てた。
 京子の言葉は鋭く、まるで遠慮がなかった。年上であるとか警察の関係者であるとか、そういうことにまったく頓着していない。しかし、どこか言いたくて仕方がなかったかのような響きを感じ取り、利政は言葉を続ける。
「きみと仲が良いから嫉妬を買ってイジメに遭った。違うのかい?」
 そう問うと、京子が利政に向き直った。その目には大人を信用していない子どもの目が見て取れる。
「そう、誰かが言ってたわけ。大山先生辺りかな、あのアブラゼミ。そうしてあたしに責任を持たせたいわけだ。別に良いけど。ろくに話も聞かないで、勝手なことばっかり」
 京子の言葉は、ほとんど抑揚が無い。そこに怒りを感じて、利政は憂い顔を作る。
「残念だけど、そういう人間は多いからね。面倒なことは避けたいんだ」
「面倒なこと? 子どもを教え導くのが教師でしょ。自分でその職を選んだんだから、全うするのは当然でしょ。公太が殴られたりしてた時も、我関せず、みたいな顔して、今さら何か言う権利があるわけ?」
 無表情に早口に喋る中で、彼女は「公太」と言った。利政はそれを聞き逃さない。
「それが事実なら、その権利は無い、ね。確かに、今さらだ」
 そうして、憂い顔のまま共感を示す。
「けど、やられたからってやり返すのはどうかな」
「やられたらやり返すんでしょ、大人だって。十倍返しだか百倍返しだかって。子どもがやると叱るのに、どうして大人がやると賞賛されるの。意味わかんない」
 賞賛されてるかな、と利政は苦笑する。
 京子は鋭い目つきで、突き刺すような口調で早口に喋る。
「アイツはずっと辛かった。世界の仕組みがわかった、って言って。だから、所詮大人は体が大きくなって働けるようになっただけの人間で、ズルくなるだけだって。そんなのが大人なら大人になんかなっても仕方無い、だから試したいって」
「試したい?」
 京子は頷くこともせずに、続けた。
「世界は一言で言えば弱肉強食だ、って。極論だって言ったけど、間違ってないって引かなかった。でも、それは強いから食べて、弱いから肉になるんじゃない、って。それならとっくに、強者だけの世界になってるって。本当の意味での弱肉強食は違うんだって言ってた。でも、人は強者になりたがるから、見失っても仕方無いのかもしれないって」
 京子は無表情のまま、早口に喋る。
 利政は落ち着かせるように、京子の肩に触れてゆっくりと口を開いた。
「呉山くんは、何を、試したいんだ?」
「……大人」
 利政につられたように、一呼吸置いて京子は言う。
 そして、そこで初めて縋るような子どもの表情を覗かせた。
「あたしじゃ止められない。公太は命掛けで大人を試してる。アイツ、怪我をしなくなったの。殴っても殴られても、二階から落ちても、すぐ傷が治る。だからみんな気味悪がって離れてってる。気味悪がるように、仕向けてるの。大人が来るのを待ってる。お願い、あんた、警察だか探偵だかなんでしょ。公太を止めて!」
 絶叫するように利政の腕を掴む手は、震えていた。
 利政は真剣な表情を作って、揺れる京子の目をアイスブルーの瞳で見つめる。
「呉山くんは、今どこにいる?」

 ◆

「きゃー、すごーい、こわーい。ねぇ、それなんかの手品使ってるのー?」
 ブレイクが感慨も無く棒読みで声を上げると、少年は胡乱な瞳をブレイクに向けた。
 利政から連絡があった通り、顔も体型も平凡で、冴えない少年だ。その右腕はコンクリートの壁に易々と罅を作った為に、グシャグシャにひしゃげている。だがそれもほんの一瞬で、すぐに元の姿を取り戻して行く。
 世界計の破片と融合した、呉山公太で間違いない。
 彼の足元で、同級生らしい男子生徒がガクガクと震えている。その目が助けてくれ、と言っているが、ブレイクは頓着しない。
「誰?」
「そんなのどうだっていいじゃないですかー。ねぇ、それよりさー、それ、どんな手品? フツーの人が、そんなトンデモパワー持ってるわけないじゃないですかー」
 公太は何か考えるように視線を彷徨わせる。壁から離れると、足元にいた男子生徒が、好機とばかりに転ぶように駆け去って行く。
「あ、追いかけないんだ?」
 ブレイクが言うと、公太は俯く。
「もう、必要ないから。弱肉強食を思い知ったんだよ」
「はぁ、弱肉強食? 難しい言葉を知ってるんだねー、えらいねー」
 小馬鹿にするような笑みを浮かべたブレイクに、公太は首を傾げる。
 実際、ブレイクは公太を馬鹿にしている。短絡的思考、安易な力の行使。どれも一笑に付するつまらない行為だ。
「その弱肉強食? それさぁ、もっかい弱者の立場になっても、同じこと言える?」
 ブレイクはにこにことしていた表情を、すっと引く。
「“弱肉強食”ってそういう意味だよ。当然、覚悟はできてるよね?」
 そうして、トラベルギアの【虹の細剣】を抜き払った。
 幸いにも、ここは人目につかない路地だ。利政が人を遠ざける結界も敷いてくれた。思う存分、“従者”を召喚できる。
 ブレイクが細剣を掲げれば、その頭上に石像の使い魔ガーゴイルが無数に姿を現した。
 尖った爪、剥き出しの牙、蝙蝠の羽に長い鞭尾、それは正しく悪魔の姿だ。その手には大きな鎌を携えている。
「戦争は数だよ、兄貴」
『誰ガ兄貴ダッテ?』
 “従者”ラドヴァスターが、ブレイクの傍らに降りてくる。彼はガーゴイルたちのリーダーである。
「はいはい、ジョークです」
 ラドヴァスターに肩をすくめて、それから金の瞳を無表情に公太へと向ける。公太はたじろぐように、一歩下がった。
「弱肉強食。それが君の考えだって胸張って言うなら否定しないよ。そういう独りよがりの理屈で力を振るいたいなら、そうすればいい。けどね、有り余る力は敵が多くなるし」
 ブレイクは細剣を構え、一歩前へ出る。
「こうして、より強い力に叩かれる」
 公太は一歩下がる。
「ねぇ、それが弱肉強食だよ。君はその覚悟、当然、出来てるよね?」
 さらにブレイクは一歩を踏み出す。そして公太は一歩は下がる。
 だが、その目に恐怖は見えない。本当に恐れていないのか、それとも破片による再生能力を過信しているのか……どちらにしても、ブレイクがやる事は変わらない。
 虹の細剣を下段に構え、駆け出す。ガーゴイルたちが重たい音を立てて羽撃き、一斉に襲いかかる。
 駆け出そうとした公太の足元が、ふいに沈み込んだ。ブレイクの後ろに黙って控えていたエータだ。直接自分が奪うよりは、ブレイクを手伝う方が確実だと判断し、地面を柔らかく変化させたのだ。
 例え筋力が増強されているとしても、地面を思うように蹴ることができなくては、その増強された筋力には何の意味もない。
「ナイス・アシスト」
 ほんの一瞬。
 呉山公太は目を見開いた。
 足元の均衡が崩れ、思うように動けない公太の右腕は、何の雑作も無く、ただガーゴイルの鎌の一振りで切り飛ばされた。
「ああああああああああああああああああああああ!!!」
 鮮血が飛び散り、初めて痛みを感じたかのように、呉山公太は絶叫した。
 ブレイクはそれを冷ややかな目で見下ろす。
「いやぁああああああああああああ!!」
 そこに女の悲鳴が響いて、ブレイクは振り返った。そこには、顔を真っ青にした短髪の少女と、利政が立っている。
「公太、公太ぁあ!」
 それで、どうやら呉山公太の知り合いらしいと気づいた。利政に目をやると、利政は肩をすくめ、それから少女の肩を強く揺さぶって口を開く。
「急いで救急車を呼んで」
 少女が頷くか否か、すとん、とその場に頽れる。
 ブレイクは訝しんで利政を見た。
「何したの?」
「僕は何もしてないよ。あれかな、四人目のロストナンバー」
 ブレイクはトラベルギアの細剣を仕舞いながら、そう言えば四人目は姿が見えないのだと思い至る。
 利政はゆっくりと、呉山公太に近付いた。
「きみは間違ってない。虐げた人の為に人生を棒に振ることもなかった」
 ただ、方法を間違ったね。

 ◆

 ああ、なんて素晴らしい!
 思いの外、労せず食事にありつけたことも、他のロストナンバーたちに感謝しよう!

 NADにとって、絶望と悲嘆、それこそが最も美味なる食事だ。
 当初の予定とは異なる上に味も異なるが、二つの食事が出来たと思えば上々だろう。
 満腹とは行かないが、粗食で我慢することもなかった。
 呉山公太なる精神の寄る辺、また呉山公太なる精神に好意を持つもの。その二つを併せ持つ精神があったことは、NADにとって実に都合が良かった。
 その上、その精神にロストナンバーの一人が接触したとあっては、自分はただ囁けば良いだけだった。

『呉山公太が殺されるぞ』
『相馬京子が嘲笑っているぞ』

 なんとも端的で、あまり面白い言葉ではないが、それが最も効果的であった。
 呉山公太なる精神が、通常の意味で力に傾倒していなかったことは誤算だったと言えるが、ともかくそれなりの食事にありつけたことはそれなりに満足だと言って良いだろう。
 そうしてNADは早くも次なる世界へ思いを馳せる。

 次も、美味なる食事にありつきたいものだ。

 ◆

 エータは切り飛ばされた右腕を見下ろし、そしてセツを伸ばした。
 セツは右の手のひらから小さな破片を取り出す。それは間違いなく、世界計の『破片』だ。
「エータさん」
「もらうつもりはないよ。前みたいに怒られたくないから。ただ、ちょっと調べてみたいんだ。ちゃんと提出するから、ちょっと貸してね」
 そしてエータはセツで『破片』を呑み込む。
 エータのシンに、何か映像のようなものが流れ込んでくる。

 ——それは、世界計に見えた。
 それも、0世界にあるものよりも遥かに巨大で複雑な世界計だ。
 その周辺には、何か動くものがある。恐らくは知性を併せ持つ何かで、その動きはまるで世界計に仕えているようだった。
 そこでは世界計に良く似た……コピーのようなものがつくられ、知性体がそれをいじっている。調整しているのだろうか。そう、見えなくもない。
 そして、知性体が調整し終えたコピーは、ディラックの空に放たれていく。
 コピーは巨大な世界計から遠ざかるごとに姿を変えていった。そうして自然環境や様々な概念、法則を生み出しながら、やがてひとつの世界となった——

「エータさん、そろそろ行こう。見つかったら大変だし」
 ブレイクの声に、エータは我に返る。
 セツの先端には世界計の『破片』がきらりと光っていた。
 今のは、なんの光景だろう?
 もっともっと調べたい。もっともっと深く。そして……
 そう思って、エータはため息のような声を漏らした。
 依頼は世界計の破片の回収。提出は、きちんとしなければ。

 壱番世界の空は、真っ赤な夕焼けに染め上げられている。

クリエイターコメント大変、大変、長らくお待たせ致しました。井上です。
結果はノベルの通りで想定内でしたが、執筆は正直に申しまして予想を超えるしんどさでした(遅刻の言い訳にはなりませんが……本当にごめんなさい)
井上自身、色々と考えるきっかけとなりました。
参加者の皆様には、心からお詫びと、最大級の感謝を捧げます。

それでは、またご縁がありましたらお付き合いくださいませ。
ありがとうございました!
公開日時2013-11-09(土) 13:20

 

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