熱い。 熱くて、痛い。 まるで体が焼かれているようだ。 激しい痛みのはずなのに、呻くことも叫ぶこともできない。 痛みに転げ回りたいのに、指を一本動かすこともできない。 だからだろうか、激しい痛みを感じながらも彼女は冷静だった。 彼女――吉備サクラの漆黒の瞳は、闇を見ていた。 目を開けているのか閉じているのか、それもわからなかったが目に映っているのはただただどこまでも続く闇だった。 またたく星も無く、輝く月も無く、何の臭いも、何の音もしない虚ろな闇。 何からも解放されているような浮遊感も無く、何かに押し潰されるような重圧感も無く、だからサクラはいま自分がどんな体勢でいるのか、まったくわからなかった。 わかるのは、焼かれるように全身が痛いこと。闇の中に居ること。 その二つだけだった。 そして唐突に理解した。 ロストナンバーは不老であるのに、二百年以上生きる人が殆ど居ないのは、これなのだろうと。 サクラは仕立て屋になることが夢だ。 コスプレイヤーとして過ごして来た年月は、彼女に素晴らしい裁縫の技術を与えてくれた。それを賞賛してくれる人も居たから、自信も与えてくれた。 それは将来を考え、希望を見据え、邁進していく力になった。 夢は大きく膨らみ、ハリウッドの映画俳優の衣装を作りたい、と思った。そのために英会話を含め、英語は頑張って勉強していたし、いつか渡米するための資金としてお年玉にだけは絶対に手を付けなかった。 しかしある時、サクラは<真理>に目覚め、ロストナンバーとなった。 ロストナンバーになること――それは乱暴に言えば、寿命が無くなるということだった。 永遠に等しい寿命を与えられるということ。 それは生きていて……将来の展望が見えていて、何をどの様に努力すれば良いのか、その努力を怠ったとしたらどうなるのか、そういうことはほとんど想像できる。例え何処かで何かを失敗したとしても、ロストナンバーでいる限り、その失敗は取り返すことができるだろう。何しろ、時間はゴマンとある。 もちろん、生きていれば人と人との関わりがあるから、その中で思いがけない出来事――とびきり楽しいことや、苦しくて辛いことや、それこそ想像もしなかったような何かが起こるかもしれない。 その『何か』を期待しているからこそ、生きていることは張り合いがあるのだろうとも思う。 けれど、『ふ』とどこかが冷静で、『ふ』とどこかで冷たい思いが首をもたげる。 たくさんの旅をして、たくさんの人と出逢って、恋も失恋も別れも経験して。 自分の将来を改めて見据えてみた時、それは暗く重く、胸の中に黒い一点のシミを作ったかのように、じわじわと心を浸食していくのだ。 別に、もう、いつ止まっても良いかな―― それは諦観とも取れるし、自棄とも取れる。 誰かのために一生懸命になれるし、何かのために一生懸命になれる。 けれど、サクラのそれはいつだって自分のためではないのだ。 サクラの夢は、仕立て屋になること。 そしてサクラは、自分が仕立て屋になれると思っている。 仕立て屋を職業として、それだけで食べていくには何をすべきで、何が必要であるのかという経済観念もしっかりとある。 その上でニーズに応え、かつ相手が喜ぶ服を仕立てられる技術がある。そう思える自信もある。 ――でも、それだけ。 友達は好きだ。 泣いていたら笑って欲しい。悲しんでいたら楽しんで欲しい。 みんながいつも、笑顔でいて欲しい。 誰かを好きになって、ドキドキすることもあるだろうと思う。 そして幸せになって欲しいと思う。 ――でも、それだけ。 どんなに大事な友人でも、どんなに大切な人でも。 もしも彼らが自分と意見を異にしたら……敵に回ったら、その途端に容赦なく殺せる。 もしも敵になったとしたら、笑って欲しいと願った相手を、幸せになって欲しいと思った相手を、躊躇も無く殺せるだろうという自覚と、そしてきっと自ら手を下せるだろうという自信が、数多の旅を重ねて来た今のサクラには、有る。 けれど。 そんな自分を自覚して、サクラはぼんやりと思うのだ。 ――私……なんで生きてるんだっけ。 どうしてここに、居るんだっけ。 胸の中の黒いシミが、じわじわと広がっていく。 漆黒の瞳は、胡乱な闇を映している。 焼け付くように痛む体は自分の意思でどうにもならない。まるで胡乱な闇に溶けてしまっているかのよう……いいや、そもそもサクラの体は既に胡乱な闇と化しているのではないか。だから痛みはあるのに恐怖は無いのではないか。その内、この痛みも無くなるのではないか―― ロストナンバーになったばかりの頃のサクラの頭の中には、次のイベントとコスプレのことでいっぱいだった。 いかに効率よくアルバイトをして資金を貯め、いつまでに制作に取りかかり、どのようにお披露目をするか……スマートフォンと手帳にぎっしりと計画を詰め込んで、時々興奮し過ぎて変な笑い声を漏らしたりしていた。 それなのに。 いつの間にかサクラの頭の中から、それらの計画はどこかに行ってしまった。 あんなにもワクワクしていたことなのに。 あんなにも楽しみにしていたことなのに。 サクラはロストナンバーではあるがコンダクター、壱番世界にはいつでも帰れるのに。 それなのに。 ――最後にイベントに行ったのは、いつだったっけ? 次のイベントには何を着ようかと胸を弾ませていた自分は、どこに行ったのだろう。 イベントで着る服を作るために材料費を計算してアルバイトをしていた自分は、どこに行ってしまったのだろう。 自分で着るための服だから、もちろん採算など無い。自分で服を作り、自分が着ることが楽しい服だったのだから。 そうして、そう言えば、とサクラは思う。 自分のために作る服、自分が楽しみたい服……今、全然思い浮かばないなぁ。 あの人にこういう服をあげたいな、っていうのはまだ思い浮かぶのに…… 変なの。 経済観念がしっかりと根を張り、仕立て屋を職業にしようと現実的に考える今、採算度外視で服を作るということになんの感慨も浮かばない、ということなのだろうか。 確かに、採算を考えない職業人にはあまり良い感情は持たない自分を、サクラは自覚している。 職業にするということは、それだけで食べていくということだ。 食べていくということは、採算がとれなければ叶わないのだ。 服を作ることは楽しい。 それを着た誰かが喜び、笑ってくれたのなら、なお嬉しい。 それを見た誰かが褒めてくれたのなら、それもまた嬉しい。 けれど―― 思考は袋小路に迷い込んだかのように、「けれど」「だけど」「でも」を繰り返す。 もしくはそれはメビウスの輪のように、進んでも進んでも終わりが無い。 漆黒の闇。灼熱の痛み。 もしやそれは、冷たくなり過ぎて熱いのかもしれない。 どんどんどんどん、冷たくなって、それは凍っていっているのかもしれない。 じわじわじわじわ、胸に落ちた一点の黒が浸食し広がっていくように。 几帳面で大胆、目立ちたがり屋のコスプレイヤー。 果たして今、自分がそうであるとサクラは言えるだろうか。 採算度外視で作る服は無く、無意味な感傷を遠ざけ迷わず敵を殺せるサクラは。 それは合理的になったと言えるし、悪いことばかりではないとも思うのだけれど。 ――私、もう、ターミナルに戻ってこなくてもいいかな。 深い深い闇の中。 天も無く地も無く、果ても無い、何も無い、暗闇の中。 熱くて寒くて痛くて空っぽになった頭の隅で、ほんの一瞬、そう、思った。
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