オープニング

 窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。
 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。
 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。
「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」
 車内販売のワゴンが通路を行く。
 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。

●ご案内
このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすか
などを書いて下さい。
どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。

!注意!
このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。

品目ソロシナリオ 管理番号2953
クリエイター井上アキハル(weyy6375)
クリエイターコメント初めまして、またはこんにちは。井上です。
ソロシナリオ初挑戦で、ドキドキしております。
さて、今回のご案内は、様々な旅の行き帰り。
皆様はディラックの空を眺め、何を思うのでしょうか。
ほんのちょこっと、語ってはみませんか?

※公開されているシナリオの場合、どのシナリオの行き/帰りを記載していただけると、大変有り難いです。

参加者
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

ノベル

 ロストレイルはディラックの空を駆けていた。
 一般客車の4人掛けのボックス席に、ヌマブチは一人で腰掛けている。窓際に座り、ディラックの空を見るともなしに窓に凭れ、夢と現の狭間で集束しては霧散してゆく思考の糸を紡いでいた。
 糸はゆるゆると伸び、深く暗い穴を覗き込んでゆく。

 ——ここはどこだ。
 体中が痛み、軋んでいる気がする。泥の中に沈み、指一本動かせない。
 自分は戦場に居たのではないのか。
 部隊の者は。敵は。どうなった?
 ふるさとの母は。里は。国は。どうなった?
 何も見えない。ここはただ暗く、冷たい。
 帰らなければ。帰らなければ。生きて、帰らなければ。
 父と同じ轍は踏まぬ。
 だから、生きて、帰る。自らの世界に。

 生きる為に生き残る。
 その為に数多の選択をして来た。
 小さな命があった。 大きな戦争があった。大の為に小を殺して来た。
 後悔もした。だが進み続けると決めた。
 ぽろぽろと零れる命をひとつでも多くすくおうとして来た。
 小よりも大を選び、心情よりも利益を選んで来た。
 それはすべて、生きて帰る為に——

 糸が頸を、腕を、腹を、足を這ってゆく。それはゆるゆると表皮を伝い、体を埋め尽くしてゆく。ざわざわとして不愉快で緩くて冷たい感触。そのまま永遠に沈み込んでしまいたいような、ゆるやかな眠りへの誘い。ともすれば暗闇の中に沈み込んでしまいそうな糸を突き刺したのは、耳を劈く絶叫。
 いいやそれは狂った嗤い声だ。

 ——かえりたい。
 かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。かえりたい。

 永遠に続くかと思われた嘲笑は顰笑へと変わり、最後に優し気な微笑へと変わった。
 心を痛め、心を病み、戻ることも出来ず、それでもただただ願い続けていた。
 絶望しながらも求めることを止めなかった者。
 熱望。
 切望。
 希求。
 どんなに言葉を尽くしても言い表せぬ程の、強い、強い、強い願いを抱いて、ひとり、またひとりと暗闇の中に消えてゆく。
 ヌマブチはただそれを見送った。
 動くことも声を出すことも無く、ただただ見送った。
 ひとり、またひとりと見送りながら——それは小さな棘のように、突つくのだ。

 おまえは彼らのように強く強く、願っているか?

 異臭が鼻を突く。
 視線を足元へ遣れば、赤黒く染まった腕がある。足がある。苦悶に染まった顔がある。 軍人に限らず、敵味方に限らず、見渡す限りの死体死体死体。
 ——志半ばで倒れた者たち。
 彼らの願いは同じだった。
 故郷の平安であり、平安の故郷への思慕であり、つまりは帰郷への渇望だ。
 元の世界へ帰りたいと願い、叶わなかったロストナンバーたちを知っている。
 ふるさとへ帰りたいと願い、死んでいった戦場の兵士たちを知っている。
 彼らの『帰りたい』という願い、抱いていたその情に、違いは無いはずだ。
 帰るべき場所。帰り着く場所。迎えられる場所。その先にあるはずの素朴で温かな場所に座り、愛する者たちと語らい、何に怯えるでも無くただ安らかに眠れる場所を求める。
 酒の力が無ければ語れぬほどの、あまりにささやかな願い。
 そういう者たちが居たことを、知っている。
 だから帰りたいと思う。
 彼らの思いを無下にすることには否やを覚える。
 志半ばで散って行った彼らと違い、帰る機会があるのだから。
 生きて、いるのだから。

 体中を這い回って覆い尽くした糸は、キリキリと身体を締め付ける。糸は肉へ食い込み、喉を絞め、皮膚を切裂いてゆく。
 食い込む糸の隙間から赤い血が滴る。
 瞳と同じ、深紅の血が。
 死んでいった者たちがいる。もう、この深紅の血を流すことはできない。
 だから帰る。
 それは、自らの心の奥底から生まれた願いか? 渇望か?
 帰りたい者たちが帰れなかったことを知っているから、帰る。
 それは、帰らなければならないという理性的で冷徹な思考からの義務感ではないか?
 生きているから、帰ろうと思っている。
 これは単純で純粋な情からくる欲求であるだろうか?
 自分はただ理屈をこねて、普遍的な欲求を抱く振りをしているだけではないのか——

 ロストレイルが揺れる。列車の扉が開く音がする。目的地に着いたのだ。
 血の滴る音はもう聞こえない。体を締め付け傷付けていた糸の感触も、もう無い。
 それは夢現の狭間で見た幻だったのだろう。
 軍人は閉じていた紅眼を開き、4人掛けのボックス席から立ち上がる。
 解の出ない問い。それでも繰り返し繰り返し問う。
 軍靴の音が響き、進んでゆく音がする。
 彼の旅路の行末——
 それを知る者は、未だ、居ない。

クリエイターコメントお待たせ致しました、ロストレイルの車窓からお送り致します。
暗中模索、されど五里霧中。
我々にぴったりの言葉ではないでしょうか。
しかし執筆者は願います、いつの日か一筋の光が差すことを。
ご希望に添えたであろうかと震えながら、筆を置きます。
それでは、またご縁がありましたらお付き合いくださいませ。
ありがとうございました。
公開日時2013-09-24(火) 21:10

 

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