オープニング

 夢浮橋――中務卿宮邸。
「姫様、おいたわしや……」
「私達にはこっそり手紙をお渡しすることしか出来ません……」
 眠りたくない眠りたくないと嘆く一の姫、露姫は先程体力の限界を迎えて意識を失った。女房達は彼女を丁重に御帳台へと運び、横たわらせる。
 先日夢幻の宮によって強制的に睡眠を取らされた露姫だが、目覚めてしばらくは体の調子は良くなったように見えた。ただ、気鬱は身体をも蝕む。身分違いの叶わぬ恋に酷く思い悩んでいる彼女が再び体に変調をきたすのに時間はかからなかった。
 今のところ、父親である中務卿宮は露姫の恋に気がついてはいない。母親である北の方はもしかしたら気がついているのかもしれないが、露姫の心を慮ってか向こうからそれに触れてくることはなかった。ただ妹姫である9歳の柚姫は事情を漏れ聞いているが、露姫に「誰にも内緒にしてね」と言われたのを懸命に守っている。
 露姫に仕える女房の一部はもちろん、彼女の不調の原因を知っていた。けれども告げ口など出来なかった。露姫の思いがいたく真っ直ぐで、見ているこちらが胸を痛めそうなものだったからだ。
 叶わぬ恋に悩み、日に日に弱っていく彼女を何とかしてあげたい――けれどもそれが出来る者がいないことも彼女達はよくわかっていた。勿論、露姫自身も。だから、答えのない悩みを抱えて、身体を弱らせていくしかなかった。


 *-*-*


 ある日のターミナル。世界司書の紫上緋穂は導きの書に現れた預言を見て、香房【夢現鏡】へと急いだ。珍しいお客をみとめて、夢幻の宮はそっと御簾を上げて入り口を閉める。
「どうかなさいましたか、紫上様」
「あのね、導きの書に預言が出たんだけど……まずは夢幻の宮さんがどうしたいか聞こうと思って」
「……?」
 緋穂の言葉をはかりかねたように夢幻の宮は軽く首を傾げつつ、緋穂を椅子へと導いた。椅子に座って、緋穂は導きの書をもう一度開く。
「夢浮橋の出来事なんだけど……中務卿宮って確か夢幻の宮さんのお兄さんだよね?」
「そうでございますね。同母の兄でございます」
「中務卿宮に年頃の娘さんがいるでしょう? 露姫っていう。彼女が自殺してしまうって出たんだよ」
「!? それは……どう、いう……」
 カタ、カタ……夢幻の宮の白い指先が細かく震えている。彼女にとっては姪に当たる姫が自殺すると聞かされては心穏やかではいられまい。
「露姫って確か受領に叶わぬ恋をしているんだよね?」
「はい。ですが兄上は彼女を東宮妃にしようと動いていると聞いておりまする」
「その東宮妃になるってことが正式に決定するらしいんだ」
「――……」
 夢浮橋の貴族の姫は幼い頃から親の決めた相手に嫁がされると決まっているようなもの。本人たちとてそういうものだと思っている。露姫とてそうだっただろう――恋を知るまでは。
「どちらにせよ、露姫とその受領の恋はかないませぬ。東宮に嫁がれる方が露姫にとって幸せ……」
「それ、建前だよね?」
 どくん、ぐさりと差し込まれた緋穂の言葉に夢幻の宮は身を固くする。その通りだったからだ。
「できるならば、わたくしとて露姫の思いを叶えて差し上げとうございます。けれどもこれは受領側にも露姫側にも覚悟のいることにございます」
 貴族の姫として大切に育てられてきた露姫が受領の妻として生活していけるだろうか。並の覚悟では無理なはずだ。
「それは私だってわかってる。でももしお互いに並々ならぬ覚悟があったら? それでも一度東宮に差し上げますといってしまった事は簡単には取り消せないでしょう? 中務卿宮の面子もあるだろうし」
「そうでございますね……お兄様の面子に関しては、現東宮は弟に当たりますので生まれる弊害は最小限に留められるとは思います」
「と言うことは、案があるんでしょ?」
「……お二人に並々ならぬ覚悟があるのでしたら、案を授けることもやぶさかではございません。ただし……もう少し協力者が必要です」
 夢幻の宮の言葉に緋穂は待ってましたとばかりにホールへ張り出す書類を取り出した。内容は真っ白だが、行き先は夢浮橋となっている。彼女も、なんとかしてあげたいと思ったのだろう。
「その案を教えて。きっと協力してくれる人がいるはずだよ!」
「わたくしが考えたのは……」


 *-*-*


「というわけで、一人の少女の命を救い、思いを遂げさせて欲しいと思います」
 このままこの事件を放置した場合一番の問題は露姫の命が失われることと、そうなった場合『東宮妃になるのを嫌がって自殺した』ということになり、中務卿宮と今上帝&東宮の関係が一変する可能性があることだった。
「受領の名前は清元綱良(きよもとの・つなよし)。中務卿宮邸にはしばしば招かれていたけど、今度東に下ることになるんだって。若いけど、しっかりした男性で、その人柄を中務卿宮は気に入っているみたい。けれども身分が低いから、宮家の姫をもらえはしない。今は味方の女房を通じて露姫と手紙のやり取りをしているみたいで……でもそれも怪しまれるといけないし頻繁には行えないみたいだよ。自分が東に下ってしまえばこの関係は終わりだろう、って思っているんだろうね。自分の立場をわきまえているんだよ」
 反対に露姫は割り切れずにいて。心身ともに弱ってしまうほど彼を愛していて。どうしたら良いのかわからない、けれども膨らんでいく感情というものに耐え切れなくなっている。そしてダメ押しは東宮妃として決定してしまうこと――露姫の心は耐え切れずに、現世で結ばれぬなら来世で……と思い切ってしまうのだ。
「露姫を助けてあげたいと少しでも思ってくれたなら……協力して欲しいんだ」


 緋穂は語る策は『鬼による誘拐』だった。


「綱良さんを本当に誘拐犯にさせる訳にはいかないから。駆け落ちも駄目だし。露姫が自ら逃げたり命をたったりするのは問題だけど、誘拐したのが『鬼』であれば諦めざるをえないよね。『鬼』を討伐する部隊が編まれるかもしれない。けれど『鬼』は元から存在しない。『鬼』を演じて露姫を釣れ出したのがロストナンバーであったのなら」
 どうかな? 緋穂は集まったロストナンバー達の様子をうかがう。
「勿論、露姫や綱良さんにはちゃんと事情を話しておく方がいいね。内緒にしておいて万が一のことがあったら大変だし」
 緋穂はチケットを四枚、導きの書の間から取り出す。
「まあ、細かいところはみんなに任せるからさ、協力してくれないかな?」

品目シナリオ 管理番号2862
クリエイター天音みゆ(weys1093)
クリエイターコメントこんにちは、天音みゆです。
今回の夢浮橋はちょっと番外編というか、日常編というか、そんな感じでございますので、今までこの世界に来たことがない方もお気軽においでいただければと思います。
状況は日々刻々と変化していき、露姫に逃げ場を失わせてしまいました。

端的に言えば、駆け落ちのお手伝いですが。

露姫の恋と病状については『桃花に紛れる~中務卿宮邸~』『紫陽花絵巻』にて触れていますが、未読でも問題ありませんん。

緋穂と夢幻の宮が考えたのは、「露姫の自殺を止め、恋を成就させつつ残された人々の間に軋轢ができるかぎり生じない」形の作戦です。
それを基本に行動を考えていただければとおもいますが、もっといい方法もあるよ! 的な提案も歓迎です。
また、実際に姫を攫う役も大事ですが、いろいろな形でフォローを入れるのも重要でございます。

※皆様のプレイング内容によっては、後味が悪くなることも考えられます。そういうのが苦手な方はご注意ください。

※なにか助力が必要でしたら、夢幻の宮の手を借りる事もできます。

ちなみに蛍草は露草の別名です。

心情がありましたら込めていただければ、キャラクターを把握しやすいので助かります。

哀話が哀話でなくなるかどうかは皆様次第です。

ご参加、お待ちしています。

参加者
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127)ツーリスト 男 27歳 精霊術師
ニワトコ(cauv4259)ツーリスト 男 19歳 樹木/庭師
桜妹(cudc4760)コンダクター 女 16歳 犯罪者

ノベル

 夢浮橋――花橘殿に一足早く到着しておりロストナンバーたちを出迎えた夢幻の宮に、彼らは前置きを省いて質問とお願いをする。悠長に構えている事態でないことは、彼らも把握していた。
「夢幻の宮さん、受領って国司様ですよね? それなら普通の人より余程裕福な暮らしぶりだと思います。田畑を耕せとか炭を焼けとか言われてるわけじゃないし、煮炊きする方も居ると思います。赴任の旅こそ大変だと思いますけど、親の決めた嫁ぎ先に行かない事を除いて、他に何が大変なんでしょう? 露姫さん説得のためにも、まずそこが知りたいです」
 吉備 サクラは正座をし、真剣な瞳で夢幻の宮へと問いかける。夢幻の宮は「そうですね」と考えるようにしたあと、ゆっくりと口を開いた。
「何より環境の変化に適応できるかということが問題になるかもしれませぬ。都と違い、手に入る物も限られてくるでしょう。それに周りにいる者が違えば、神経をすり減らすことも多くなりましょう。そんな時に、頼れる家族すらいません」
「……」
「先のことはわかりませぬ。けれども数年、あるいは一生――自身が中務卿宮家の人間であったことを封じなくてはなりませぬ。生家から完全に切り離されて、別人として暮らさなければなりませぬ」
 そこまで言い、夢幻の宮は眉根を寄せた。
「……今の露姫は、綱良様と添い遂げられるのならば、どんな辛苦にも耐えられると思っているでしょう。けれども実際その境遇に陥ってみれば、耐え難い寂寥感に襲われることでしょう。その時、嘆く相手も気持ちをわかってくれる相手もおりませぬ。万が一自らの出自が表に出てしまえば、咎められるのは綱良様です。霞姫が、自分が愛する人の重荷になっていることを理解するのは多分、落ち着いてからでしょう」
 その時に襲い来る後悔と望郷の念を凌げるか――。
「それに露姫は東宮妃となるべく、もしくは入内するべく教育を受けていたはずです。そうなるとやはり妃としての『役目』は通常の妻としての役目とは異なってまいります。妃としてはしなくても良かったことを、妻としてはせねばならぬことが多いでしょう」
 自ら動かねばならぬことが多くなるということだろう。妻として家の使用人たちを仕切るのも仕事であれば。
 恋心に溢れている霞姫には、負うことになるであろう苦労や後に襲い来るであろう寂寥を説いても効きはしないだろう。サクラの挙げた任地への旅すらも、露姫は自分はこなせると思っているに違いなかった。屋敷の中で育った故に、旅がどのようなものか知らぬというのに。
「すべてが、彼女にとっては大変なのですよ」
 溜息をつくように夢幻の宮が言葉をこぼしたのを見て、なんとなくサクラにもそれが理解ができたような気がした。
「夢幻の宮」
 サクラとの会話が落ち着いたのを見て、ヴィヴァーシュ・ソレイユがゆっくりと声を上げた。
「夢浮橋の世界での鬼の姿について教えて頂けませんでしょうか? 民衆に伝わっている姿と、絵巻などで描かれて姿形を目にする機会の多い貴族の方とでは、想像している姿も違うと思いますので」
「あ、私も知りたいです! 夢幻の宮さんが考える鬼の姿が私たちの想像する鬼と違わないか確認したいです」
 モンスター図鑑を持ち込んだサクラがそれを広げる。そこには赤や青、緑色の肌をし、巨躯のうえ角を生やした生物が描かれていた。
「確かに絵巻物で見かける、この図鑑に載っているタイプを指す場合もございますが、得体の知れぬものを『鬼』と総称することもあれば、異国人を『鬼』と呼ぶこともございまする。今回の場合は、図鑑の状態までは再現せぬとも、得体のしれぬもの感を出せればよいでしょう。屋敷の人びとが怖れ、諦めてくださればよいものですから」
 なるほど、とこの世界における鬼の立ち位置を認識して、ロストナンバー達は露姫を連れだす算段の打ち合わせへと移った。できるだけ齟齬をなくして、滞りなく彼女を連れ出すためであった。


 *-*-*


 この世界に馴染むようにと和服に着替えたロストナンバーたちは二台の牛車に分かれて中務卿宮邸を目指した。語る言葉は少なく、沈黙が車内を支配している。皆、己の裡に思いを馳せているようである。
(ぼくだってもし夢幻の宮さんと離れてしまったら……二度と会えなくなってしまったら、辛くて、しおれてしまうかもしれない)
 狩衣に身を包んだニワトコは、隣に座る夢幻の宮をそっと見つめて。
 彼も生まれて初めて恋――だれかを好きになる気持ちを知って間もないから、露姫の苦しさが他人事には思えないのだ。今は夢幻の宮と離れることなんて考えられないけれど、でも、もし何かが、どうすることもできない大きな何かが自分たちを引き裂いたとしたら――考えるだけでしゅんとしおれてしまうそうだ。
(命を絶つ程の恋とは、嬉しいものですが重いですね)
 向かいに座っているヴィヴァーシュもまた狩衣を纏っている。思うのは、嘆息に似た想い。綱良はこれほどまでの露姫の想いを嬉しいと思うのか、それとも重さを感じる心が勝つのか。
 後続の牛車の中で、袿を羽織った桜妹はずっと露姫のことを考えていた。なんとかしてあげたい、恋を叶えてあげたい、その想いでいっぱいだった。と、向かいに座った同じく袿姿のサクラが膝立ちで近寄ってきて、桜妹の手を両手で包んだ。
「女の子の恋愛はハッピーエンドじゃなきゃ駄目です! 上手くいくよう尽力します勿論です」
「サクラさま……はい、桜妹も頑張ります!」
 きゅっとその手を握り返して、意気投合する二人だった。


 *-*-*


 以前露姫に香術を施す夢幻の宮の手伝いのために中務卿宮邸へ訪れたことのあるニワトコは、今回もその手で行くのはどうかと提案した。たしかにその口実であれば屋敷に堂々と入れる上、術の行使ということで人払いをしやすかった。
 中務卿宮は出仕中のため、代わりに応対した北の方の相手を夢幻の宮に任せて、術の準備をするということで四人は先に露姫のいる対へと渡った。そして人払いをし、露姫の御帳台へと近づく。驚かせて声を上げられてもまずいので、始めは桜妹が横になっている彼女に近づいた。
「露姫さま、お体の調子はいかがですか?」
 そっと声をかければ、うつろに天を眺めていた露姫の視線が動く。震える唇が、ゆっくりと開かれていった。
「女五の宮様がいらっしゃったのよね……私の身体を休めるために……」
「はい。これが夢幻の宮様からの贈り物のお香です。けれども、桜妹たちは露姫さまを眠らせに来たのではありません」
「……?」
 桜妹の言葉に不思議そうに視線を動かした露姫。桜妹は安心してくださいと続けると、露姫の手を優しく取った。
「他の仲間……男性もいますけれど、几帳の内に入ることを許していただけませんか? 大切なお話です。できるだけ、内密にしたいのです」
 御帳台を覆い隠すように並べられている几帳。その外にはサクラとヴィヴァーシュ、ニワトコがいた。普段なら異性とは御簾越しで対面するものなのだが、露姫の体調を気遣い、更にできるだけ話を内密にしたいのであれば、彼らを内側に招き入れたほうが都合が良かった。
「……女五の宮様のお知り合いでしょう……? ならば、信用するわ」
「ありがとうございます!」
 その答えを聞いた桜妹はすっくと立ち上がり、几帳向こうの三人を呼び寄せた。けれども誰も、すぐには例の話をしようとはしなかった。
「露姫様は恋をなさっているとお聞きしました」
 桜妹がゆっくりと、露姫の心に染み入るように言葉を紡ぐ。
「桜妹はいつか幸せな家庭を築くのが夢なのですが、まだ恋をしたことがないのです」
「私も……恋をしないまま何処かへ嫁がされるのだと覚悟していたのよ……」
 恋を知らなかった日々が懐かしいとでも言うように、露姫は小さな声を絞り出していく。いっその事、恋なんてしなければ楽だったのに――そんな思いも見て取れた。
「どうしたら恋ができるのですか? 男の人を好きになるって、どんな気持ちなのですか?」
 だが桜妹のその言葉に、彼女は大きく目を見開いて。恋してしまった自分を肯定してくれているようなその言葉が、彼女には衝撃的だったのだろう。影の落ちた目尻をそっと下げて桜妹の顔を見る。
「そうね……恋はしようと思ってするものではないのね、きっと。突然恋だと認識する日がやってくるのだと思うわ……。誰かを好きになるのって、とても素敵なことだったのよ。私、そんなことも知らなかったの……ずっとあの方のことが頭から離れなくて、文の返事を待つ間、いろいろなことを考えて一喜一憂して。文が届けば何度も何度も読み返して、抱いて眠ることすらあった……」
 気がつけば、横になったままの露姫の瞳からは輝かんばかりの涙がこぼれていて、彼女はそれを両手で覆い隠してしまった。
「今はもう、あの方のいない日々なんて考えられないの……なのに、あの方は遠国へと行ってしまう……私は東宮妃として宮中へ……私との手紙のやり取りも、もうすぐ終わりなの……」
 さめざめと泣く露姫を前にして、四人は顔を見合わせて頷いた。
「ただ、待つだけの日々から抜け出せるとしたら、貴方はどうしますか?」
 ヴィヴァーシュの声が、真っ直ぐ露姫へと届く。露姫の泣き声が一瞬止んで、小さな声が返ってきた。
「……それは、どういう意味?」
「待っているだけじゃだめなんです。露姫様が覚悟を待って立ち上がられるならば、私達がその恋、お手伝いします!」
 サクラが力強く告げる。
「前に露姫さんは夢の中が幸せすぎると言ってたよね、でもそれを現実にすることができるとしたら……」
 ニワトコがゆっくりと告げると、露姫はがばりと寝具を押しのけて半身を起こした。その顔には涙の跡がついていたものの、先程よりも活き活きとし始めている。


「貴方に覚悟があるのならば、私達は『鬼』となりましょう」


 ヴィヴァーシュの言葉にこくり、露姫が唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「……話してください、あなた方の考えていらっしゃることを


 *-*-*


 鬼による誘拐を装って露姫を連れ出すことを説明していく。ヴィヴァーシュは出来れば露姫がさらわれる場面を関係する人々に同時に目撃される状況が良いのではとの考えから、露姫に中務卿宮へ宴の開催をねだってほしいと頼んだ。
「邸にいるのも東宮妃となるまでのあと少しだけだから思い出を作りたいとでも願えば、元気になった貴方の姿をみた中務卿宮は貴方の願いを叶えようとするでしょう」
 宴を催すのは露姫が邸から居なくなることを関係者へ周知するためと、出席者に疑いがかからないようにするためである。勿論、受領である綱良も招待を受けるだろうと考えていた。疑いが綱良に向いては困る。その点、宴の場にいれば疑いもかからないだろう。
「あと、信頼がおけて、一番貴方に親身になってくれる女房を二人ほど呼んで、共についてきてくれるように説得してください」
 いくらなんでも露姫一人で綱良の元へ行くのは大変過ぎる。気心が許せ、親身になってくれる女房が二人ほど一緒ならば、受領の妻となっても何とかやっていけるのではないか、ヴィヴァーシュはそう思った。
「本当に……本当にうまくいきますの……?」
 不安そうな露姫だったが、期待からかその顔色は最初よりも断然良くなっていて、計画に期待していることは明らかだった。桜妹は不安そうな彼女の手をとって、きゅっと握りしめる。
「露姫さまと、綱良さまのご覚悟次第です。けれども桜妹は、露姫さまはどんな困難も綱良さまと一緒なら乗り越えられると思います」
「……そうね、ありがとう」
 ほろりと零れたのは、笑みだった。病は気から。先ほどまで臥せっていた者の笑顔とは思えない穏やかな笑顔がそこにはあった。


 *-*-*


 露姫に宴の開催の手はずを整えるようにお願いして、サクラと桜妹は牛車に乗って綱良の屋敷へと向かった。桜妹が露姫に文を求めてくれたので、その文使いということでサクラは予定していた男装をせずに済んだ。
「綱良さまに文をお届けに参りました」
 いつもと文使いの者が違うと対応に出た女房に訝しがられたのは仕方あるまい。向こうも露姫との文のやり取りには相当気を使っているだろうから。綱良から高嶺の花である露姫へ文を送るのは良いとしても、逆は……。
「直接お渡しするようにとの申し付けでして……理由はおわかりいただけますよね?」
 桜妹が思わせぶりに首を傾げるようにして告げると、その女房は言葉に詰まって一度奥へと引き返した。
(露姫さまと比べて、綱良さまが割り切っていらっしゃるのが哀しいです。桜妹は恋をしたことはありませんが、大切な人達とお別れしたことはあります。お二人にあの気持ちを味わわせたくありません)
 なんとか会ってもらわねば困る、それは桜妹もサクラも同じ気持だった。沙汰を待つ間がとても長く感じられて、自然、ふたりは手を握りあわせていた。
「お待たせいたしました。お会いになるそうです、こちらへ」
「「!!」」
 歓喜の表情で顔を見合わせあって、ふたりは女房の後をゆるりとついて廊下を歩いた。走り出したい気持ちを抑えて。


「綱良さま、主人より預かってまいりました文にございます」
「それと不躾かとは思いますが、お願いがあって参りました……人払いをお願いします」
 桜妹の差し出した文、そして頭を下げるサクラ。この二つが揃えば綱良とてこれが露姫関連の話であると気づかぬわけがない。
「わかった」
 背の高い、生真面目そうな男――綱良は先ほど二人を案内してくれた女房に声を掛け、下がらせる。ゆっくりと表紙(おもてがみ)を開いて中の文を取り出すその指は武具を構える手をしていた。
「……、……」
 彼の瞳がすっと文字の上を走るのを確認して、サクラは口を開いた。
「露姫様が貴方への恋煩いでお倒れになりました。このまま東宮妃になっては本当にお隠れになるかもしれませんっ! どうか露姫様を一緒に東国までお連れ下さいっ!」
「それは無理だ。私には姫を乞える身分がない」
「大丈夫です! 鬼に浚われたように見せかけて、お連れしますから」
「……なに?」
 サクラの言葉に綱良が表情をこわばらせる。それに怯まずサクラは続けた。
「誰にも疑いがかからず、影響を最小限に留める方法です。近く催される中務卿宮邸の宴の最中に――」
「影響が最小限? 私への影響は多大なように感じるが」
 言葉を遮った綱良の表情は固い。桜妹の嫌な予感があたってしまった。このままでは、計画に乗ってくれないような気がしていたのだ。
 たしかに彼の言うとおり、家も名も失った姫を連れての赴任は大変だろう。妻について訊ねられた時に、うまく答えられるように使用人達の認識もひとつにしなければならない。壱番世界の現代とくらべて女性の露出が極端に低いからこそなんとかなるかもしれないが、綱良側の負担は計り知れない。新しい任地へ赴くだけで大変だというのに、それ以上の苦労を背負わなければならないのだ。
 サクラは、露姫と結ばれれば幸せになれると信じているから、露姫の想いに感情移入しているからこそ、綱良の事情や気持ちを理解するには足らないのだった。
 だが桜妹は、綱良が渋ることを予想して、言葉を用意してきていた。
「露姫さまのお歌も読んで頂けましたよね。露姫さまは綱良さまのことが本当に大好きで、離れがたく思っていらっしゃるのです。綱良さまはいかがですか?」
「私は……彼女はいくら望んでも手の届かない高嶺の花だと思っている。きっと、この数ヶ月に渡る文のやり取りも夢なのだ」
「それが夢でなかったとしたら。露姫さまのお顔を拝して、お手を取って、直に言葉をかわして、そうやって共に時間を過ごしていけるのだとしたら」
「それは……」
 桜妹は綱良の露姫への気持ちをかきたてるようにしながら、順をおって言葉を重ねていく。
「……本当にそうなるならばどんなに御仏に感謝してもし足りないだろう」
 想像したのだろう、手の届かない夢だと思っていたものを。それが、手を伸ばせば近くにあると言われれば、手を伸ばさない理由はなくて。
 零されたのは、綱良の本心に違いない。
「露姫さまと一緒になれたら、大変なことはあるかもしれないけれど、それ以上に幸せな暮らしができると思いませんか?」

「――、――、――………」


 *-*-*


 数日の後、中務卿宮はごくごく内輪ながらも親しい貴族や受領達を呼び寄せての宴を開催した。
 露姫が元気になった姿を見せ、そしてその姫たっての頼みだ。叶えてやりたい、叶えてやらねばまた寝付いてしまうかもしれないといった思いもあったのだろう。
 急に決まった宴とは思えぬほどしっかりと揃えられた酒肴は、中務卿宮家の名に恥じぬものであった。娘が気がかりで少し元気のなかった中務卿宮も機嫌よさそうに酒をあおっている。長男の砌は若い公達の中に加わって、楽を奏でて披露していた。御簾の内では北の方があれこれと女房達に指図をして、裏方を取り仕切っている。
 今宵鬼が出ることを、その鬼が何をするのかを知っているのは、ロストナンバーの他には露姫とその妹の柚姫、そして露姫とともにさらわれることを了承した忠義の篤い女房二人。どこから漏れるともわからないため、他の露姫づきの女房達には内緒にしてある。露姫の快癒を喜び合うその姿に、すこしばかり後ろめたさを感じた。
 9歳の柚姫は露姫が恋煩いであることを知っている。その上でそれが他の者に知れぬように口をつぐんでいた。姉想いの妹だからこそ、何も知らずに姉が攫われたらその衝撃は計り知れないだろう、できれば事情を伝えてあげたいというニワトコの心遣いによって柚姫にも事情は伝えられた。
 今日が姉妹で過ごす最後の日――御簾の内で柚姫は、露姫に隣り合って座りその手をきゅっと握っていた。少し離れて夢幻の宮が座し、その後ろに桜妹が控えている。露姫の後ろには、攫われる予定の女房が二人、世話役としてついた。ニワトコは露姫達のいる御簾の表に、警護役を装って待機している。彼のいる場所からは綱良がよく見えた。
 そっと彼の様子をうかがうニワトコ。酒を勧められるままに飲んでいる綱良は、本当に露姫を連れて行ってくれるのだろうか。最初に説得を試みた日から数日掛けて桜妹が辛抱強く説得を重ねた。最終的に覚悟は決めたという話だったが。
(あんなに飲んで、よっぱらっちゃったりしないのかなぁ?)
 確かにいつもたくさんお酒を飲むのに今日だけ飲まないのもおかしい。いつもと違う行動をとって下手に顔に出てしまうようなら尚更だ。覚悟が揺らがないために酒を飲んでいるのかもしれない。ニワトコにはよくわからない気持ちだ。ヒトって難しいなぁと思った。


 酒や料理がだいぶ進んだ宴も半ば。宴の雰囲気にどっぷり浸かった客達や、ひと通り料理を出し終えて最初の緊張が薄れてきた女房達。咄嗟の動作に遅れが出やすいこの頃に作戦を行うべきだとヴィヴァーシュは提案した。その提案通り、事は宴の半ばに行われることになっていた。刻一刻と近づくその時を前に、事情を知っている者は緊張を隠せなくなる。
 ヴィヴァーシュとサクラが待機していた塀付近の茂みは、宴の場は見えるが明かりは届かない場所だった。サクラはオウルフォームのセクタンゆりりんを飛ばし、ミネルヴァの瞳で宴の様子をうかがっていた。
「そろそろいいんじゃないかと思います」
「わかりました」
 ヴィヴァーシュが鬼に見える変装をする。サクラはトラベルギアを握りしめて念じ、念の為にヴィヴァーシュの上に鬼の姿の幻影をかぶせた。そして用意してきたICレコーダーからおどろおどろしい音を流した。
「なんだ?」
「なにか聞こえるぞ?」
 耳聡い者達が騒ぎ始めた。盃を手に、きょろきょろとあたりを見廻している。
 始まった――御簾内で彼女達は感じた。


 ヒュンッ!


 鋭い風音が篝火を吹き消す。ぶわぁっと巻き起こった風が、篝火や燈台だけでなく列席者達を強く凪いでいく。
「うわぁ!」
「誰か、明かりを持て!」
 突然闇に覆われて混乱の始まった場に、風の力で舞い上がった鬼の姿が浮かび上がる。この場唯一の明かりである月の光が照らし出すその姿は不気味でたいそう恐ろしくて。

「鬼だ!」

 叫んだのはニワトコだ。混乱のさなかだ、誰が叫んだかなどわかるまい。だがその一言で人々は浮かび上がったその姿を鬼であると思い込んだ。
「きゃあああああ!」
「わぁぁぁぁっ!?」
 混乱に拍車がかかる。膳を蹴り飛ばして逃げようとするも、暗闇の中、更に酔いが回った状態では他の者とぶつかるのが関の山だ。女房達は逃げ惑い、もしくは怯えて動けずに居る。この騒ぎの中で悠然としているのは鬼だけだ。


 ごうっ! メリメリッ!


 鋭い風が姫達のいる部屋の御簾を切り裂き、または折り曲げる。
「姫、姫達は無事か!?」
 中務卿宮の叫び声は聞こえるも、暗闇の中で身動きが取れない様子。
 ヴィヴァーシュはゆっくりと露姫の側に降り、小さく頷いた。姉様、柚姫の小さな声に笑顔を向けて露姫は妹の頭を撫でる。姉妹が会うのはこれが最後だろう。
 唐衣を脱ぎ捨てた露姫。ヴィヴァーシュはそれを部屋の後方へと放った。暗闇の中、突然何かが飛んできたことに女房達は甲高い悲鳴を上げた。その間に彼は露姫を担ぐ。そして共に連れ去る女房二人を風で浮かせて自身もまた、宙に浮かぶ。
「美しい女に酌をさせる酒は旨い。この女ども、頂いていくぞ!」
 鬼を演じて言葉を吐く。だがすぐには立ち去らない。「鬼に攫われた」という事実を大勢の人に認識させねば意味が無いのだ。
「何!? 誰か明かりを、明かりを持て!」
「は、はいっ!」
 怒声に近い中務卿宮の声にニワトコが反応する。家人達が明かりを用意するにはまだ掛かりそうだった。ニワトコはギアであるカンテラに明かりを灯し、鬼とさらわれる彼女達の姿を映しだした。
「お姉様!」
 柚姫が涙ながらに声を上げる。演技などではない。心から姉との別離を嘆いているのだ。
「ああっ、露姫さまがっ!!」
 桜妹も嘆くような声色で叫び、鬼に担がれているのが誰であるかと周知するのに一役買う。
「何!? 露姫だと!? 誰か、あの鬼を射るのだ! 我が娘を取り返せ!!」
 主の声を聞いて、随身達が駆けつけてきたのだろうか、足音が近づいてくる。ヴィヴァーシュは注目が自分に向いているのを確認し、滑るように宴の場から遠のいていく。
「まて、待つんだ! 姫は鬼などにくれてやるわけには――」
 遠くに中務卿宮の声が聞こえる。
「お父様……ごめんなさい」
 気絶した風を装っていた露姫の小さな声が、遠のく騒がしさに消えていった。


 *-*-*


 中務卿宮邸からだいぶ離れた裏路地に到着すると、ヴィヴァーシュは二人の女房と露姫をおろした。そこには一台の牛車が留まっており、先回りしたサクラが出迎えてくれた。
「この牛車に乗ってください。打ち合わせ通り、花橘殿のお客様としてお迎えする準備は整っています」
 こんな時間に綱良の自宅へ向かっては色々と問題があるため、一時、露姫と女房達は花橘殿へ滞在するのが良いだろうということになっていた。宴で起こった騒ぎが少し落ち着いた頃、綱良の出立前にしかるべき形で嫁入りする事になっている。
 花橘殿はロストナンバーという特殊な客が多い。その中になら混じっても不審に思われ難いだろう。
 牛車に揺られている間、露姫は物珍しそうに内部を見ていたものの、しばらくして視線を落としてしまった。ぽつり、零されるのは弱気な言葉。
「私……親不孝者ですね」
「そう思うなら、絶対に幸せにならなきゃだめです!」
 弾かれたようにサクラが告げる。何かを選ぶということは選ばれなかったものも存在するということ。もう片方を選ばなかったことを後悔するよりも、より幸せになる方法を考えた方がいい。
「……そうですね。お前たちにも苦労をかけます」
 露姫は同乗している女房達にも深く頭を下げた。


 *-*-*


 ニワトコや桜妹、夢幻の宮が花橘殿へと帰ってきたのは数刻後の事だった。いわゆる事情聴取やショックを受けている中務卿宮邸の者達を慰めるのに時間がかかったという。
「あの、お父様たちは……」
 露姫の問に、あえて誰も答えない。娘を失った心を癒やすのには、時間が必要だろうから。
「私……」
 はらはらと溢れる涙を誰も止めはしない。起こしてしまったことの重大さを、露姫は知っておくべきだと思うから。その上で幸せになってほしいと思うから。
「姫!」
 どたどたと回廊を渡る騒々しい足音が聞こえてきた。程なくして顔をあらわしたのは、息せき切った綱良だった。
「綱良様!」
 顔を上げた露姫と立ったままの綱良はしばし、時が止まったかのように見つめ合って。まるでこれが夢か現実かと確認しているようだ。
 一歩一歩歩み寄って膝をついた綱良は、その無骨な手で露姫の涙を拭った。
「まるで、夢のようだ」
 目の前の彼女を確かめるように上から下まで見て、彼は姿勢を正して座り直す。その表情は何かを決意した者の表情だった。
「私と一緒に東国まで来てくださいますか」
 その言葉を向けられた露姫は、ほろほろと再び涙を零しながら、笑んで。
「どこまでも添い遂げる覚悟でおりますわ」
 そのやりとりを見ていた女房二人は露姫が苦しんできた事を知っているから、恋の成就に涙せずにはいられない。

 恋の成就はすべての終わりではない。
 これからこの二人には様々な苦労が待っているだろう。
 それでも二人で乗り越えて、幸せになってほしいと願わずにはいられなかった。


   【了】

クリエイターコメントこのたびはたいへんおまたせしてしまい申し訳ありませんでした。
如何だったでしょうか。
実はとある一点に関しまして大変悩みまして、何度か書きなおしをさせていただきました。
最終的にプレイングを好意的に解釈させていただいた結果が、この結末になっております。
二人はこの後苦労することでしょう。
娘を、姉妹を失った中務卿宮家の皆さんの心痛が言えるのはだいぶ先かもしれません。
それでも、共犯者となってくださった皆様には感謝を致します。
ご参加、ありがとうございました。

余談ですがオープニング時点で、露姫の妹の名前と年齢を間違えてしまいました。
大筋には関係ない部分ではありますが……混乱させてしまったら申し訳ありませんでした。
公開日時2013-09-20(金) 22:20

 

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