依頼内容は、長年姫に仕えていた騎士が、隣国の王子と婚儀が決まった姫を強奪したので、騎士の邪悪な望みから姫を奪還して欲しいということ、だった。 だが。 「妙な感じですね?」 牧師姿、ノンフレーム眼鏡の三日月 灰人は首を傾げる。 「うーむ」 苔色コートにふさふさした白い尻尾を振りながら、シィーロ・ブランカも眉を寄せる。 「ほんとに王さまの言ってる通りか?」 狼の尻尾と耳付き、今回は騎士らしさをアピールするために兜を被った女の子、アルウィン・ランズウィックはあからさまに鼻に皺を寄せて不審がり、 「いずれにせよ、情報を集めておく必要はあるだろう」 翼を持った青緑色のドラゴン、サイネリアが促した。体の一部が水状で、澄ましたように見える半眼は幾重にも輪が重なったような瞳孔、ヴォロスでは目をひくはずの姿がそれほど騒がれないのは旅人の外套効果か。 「何だか、事情が違うような気がする」 シィーロがぼそりと付け加えた。 まず、一行を迎えた王の振舞いが不愉快だった。 「おお、お前達か」 手段は問わない、とにかく、姫を連れ帰れ。 「褒美は……そうだな、連れ帰ったら何とでも考えてやる」 ここまで手をかけ金をかけて育てた親を裏切るとは何たる情けない娘だ。それを諌めるのではなく、一緒に逃げるとは、全く何たる不義理、騎士道も地に堕ちたものだ。 「ギルはその辺りにでも切り捨てておいて構わぬ。獣の餌にしてくれる」 呼びつけた非礼を詫びるでもなく、金さえ払えば何とかするのだろうと言わんばかりの傲岸さ、騎士をののしり、姫まで愚か者扱いする言動には親心らしいものは感じられない。 それでも依頼は依頼だと騎士と姫の足取りを追い出した一行に、次々伝わってくる情報は、どれもこれも依頼内容を疑わせるものばかりで。 「ああ、あのギルのことか? そりゃあもう、姫さま想いでなあ。ほんの小さな頃からずっとお側にお仕えして、姫さまを庇って片目を傷つけたことがあるぐらいだよ」 「フラウ姫さまも、ギルのことを頼りにしてなあ……ほら、今度の王子のことも」 「あ、ああ」 城下の者が口を濁して顔を見合わせる。 「あれだろ、十数人の奥囲いがいるとか…」 「おくがこい?」 アルウィンが首を傾げる。 「…妻以外の女性がいる、ということですね」 灰人が複雑な表情になる。 「自分が食べたいからと近隣の獣を狩り尽くしたとか」 「……そんなに食べれるか?」 「いや、だからさ、ほとんどは捨てたとか何とか」 シィーロがくっきりと眉を寄せる。 「何よりあれだよな……」 フラウ姫を手に入れたら、嬲り尽くして楽しんでやると公言してるってよ。 「………」 一行の沈黙は否応なく重くなる。 「あの…」 灰人がおずおずと十字架を握りしめつつ、問いかけた。 「親として、そのような男を娘の夫に望む、どんな理由があるのでしょうか」 「え…そりゃ…」 これは絶対内緒だぞ、と相手が声を潜めて応じる。 「何でも、フラウ姫さまが隣国に嫁いだら、隣国の鉱山採掘の許可が得られるらしい」 「……神よ」 予想していた返答に、灰人が天を仰いだ。 フラウ姫は何といっても深窓育ち、ギルが必死に庇って逃げていっても、すぐに足跡は知れ、居場所は見る見る絞られてくる。 それは一行にだけではなく、王が放った追手達にとってもそうだろうと思えた。 「この街道をまっすぐ、ですね?」 「おそらくはその先にある教会に向かっているのだろう」 国の古い伝説だ。 初代の王と姫が式を挙げた森の教会。そこには巨大な竜刻の十字架があり、その前で愛を誓った恋人たちは家柄も身分も関係なく、永遠に結ばれる。 非道で残虐な夫に縛りつけられる前に、自分を長年守り愛してくれた騎士と、その教会で愛を誓いたい、そう願う気持ちは切ないほどにわかる。 「…シィーロさん?」 いざ、その森近くまで来た時に、先に立っていたシィーロが突然くるりと振り向いた。軽く逆立った白い髪、厳しく輝く青い瞳、気づけば右腕が白い毛に覆われた太く頑丈なものへと部分獣化し、鉤爪が剥き出されている。 「ここを通りたくば、私の屍を越えていけ」 「はい?」 思わず灰人が瞬きして立ち止まる。 「人間とは不可解だな」 意味を察したサイネリアが体をゆったりとうねらせて対峙した。 シィーロ同様、灰色の髪を振り、くるっと身を翻したアルウィンが子ども用の槍、『真月』を構えて言い放つ。 「アルウィンは騎士だ! 姫さんを守る!」 「ーって、どうしてそうなるんですか!」 思わず灰人は問い返した。 「依頼は姫の奪還でしょう」 「納得できるのか」 シィーロが冷ややかに言い返した。 「どうみたって理不尽だ」 「で、でも」 「安心しろ」 貴方達を甘く見たりしていない。 「全力で相手をしてやる」 シィーロの指先でアルコイリスが紫に煌めいて空中を切り、灰人はあわやで飛び退った。 「何たる悲劇! おお神よ、信じ合った仲間同士が争うなど世も末です!」 「大仰だな」 サイネリアが突進してきたアルウィンを軽く身を捻って避けた。 「退け! 逃げ帰るなら深くは追わない!」 飛び退った灰人を、シィーロはなおも追ってくる。 「待って下さい!」 「問答無用」 シィーロはかなり本気だ。対する灰人は突然始まったロストナンバー同士のやり合いをどうおさめればいいものか、考えあぐねて隙が出る。 「くっ」 アルコイリスに眼鏡を跳ね飛ばされかけて必死に純銀のロザリオを握る。攻撃を無効化、治癒と防御効果の発動、だがこの場合何よりも重要なその力は。 「私には貴方と戦う理由などない!」 「うっ!」 悲痛な叫びとともに、シィーロの影を灰人が放った光の矢が地面に縫い止めた。動きを封じられたシィーロが唸りを上げる横で、サイネリアはひらりひらりとアルウィンの攻撃をかわし続ける。 「こらああ、順序に勝負しろ!」 「それは尋常に勝負しろ、ではないのか?」 「そうだっ、順調に勝負しろだ! お姫さまがかわいそうじゃないかあ、このいれものが!」 「……痴れ者、かな」 紫の瞳を楽しそうに光らせながら、口から青い炎を軽く吐いて、アルウィンの足止めをする。 「火、吐いたって負けないぞ、アルウィンは姫のため戦う栄養ある騎士だ!」 「…栄誉、だろうな」 くくくっ、とサイネリアは笑ったが、傷つけたくないと思う者と我が身を捨てても貫くと決めている者では、どうにも分が悪すぎる。アルウィンが大事に集めていたはずのビー玉や「絵が描ける」石などを落としてもなお踏み込んでくるのに、飛び退った灰人と背中合わせに尋ねる。 「どうしたものかな」 「こうしている間に、王の追手も迫るでしょう」 灰人は苦しそうに十字架を握る。アルウィンもつなぎ止めたいが、動きが唐突過ぎて狙いが定め切れない。シィーロが歯噛みをして今にも拘束から抜けそうだ。獣化をすると疲れ切るはず、無理をさせてへたらせたくない。 「なるほど、そちらを気にしているのか」 「似合わないでしょうか」 ちらりと唇の端で笑った灰人は、王の追手より先に二人を確保し、それからの算段をするつもりだったが、こうなってはどちらも危うくなってきた。 「いい方法がある」 「え」 「シィーロ! アルウィン!」 「何だ…っ」 「止めても蓋だ、アルウィンは」 「無駄なのはわかっている、だが」 あれを見ろ。 サイネリアが指し示したのは、おそらくは姫と騎士が入っていっただろう森に、次々と走り込んでいく荒くれた気配の男達だ。王が向けた追手だろうが、ならず者同然の風体もあり、どうにもまともな輩ではない。 「くそっ!」 「姫さん!」 「ありがとうございます」 「経験値の差だ」 ついに自力で外した拘束を振り切ってシィーロが、顔色を変えたアルウィンが次々と森を目指して走り出すのに、灰人はサイネリアと微笑み合う。 教会の前は既に激しい剣戟の場となっていた。 「ギル…っ!」 「く、っそおっっ!」 純白の豪奢な衣装はもうぼろぼろだ。だが、フラウ姫は破れた衣を引き裂きながら、一人追手に立ち向かう騎士に走り寄る。 「止めてっっ!」 「危ないっ、姫っ!」 「ははははっっ!」 追手の側から時ならぬ馬鹿笑いが起こった。圧倒的優位に立つ者の嘲笑、大声で、姫を庇いつつ傷ついていく騎士を詰る。 「そんな女など放っておけ、すぐに王の慰みものだ!」 「いやいや、もっと立ち向かえ? 俺達のいい遊び相手だ!」 「……不快だな」 サイネリアが静かに呟いた。 「つまりあそこには、隣国の王の配下もいるわけですね?」 部下の下劣さを見れば、主の愚かしさがよくわかる。灰人がすうっと表情をなくす。 「いい加減にしろおおおおっ!」 「姫さあああん!」 シィーロはまっすぐに駆け寄っていく。アルウィンも槍を振りかざし、飛び込んでいく。 「なんだお前ら!」 「構わねえ、やっちまえ!」 今怒鳴ったのは確か、依頼を聞かされた時に王とともに広間に居た男ではないのか。 「姫ばかりか、こちらもただの道具扱いか」 サイネリアがゆるやかに頭を振り上げた。リングとなった『ガブネイル』の嵌まった尾を揺らめかせる。 「…神よ」 灰人が眉を潜め、悲しげに呟く。 「人の本性を汚す欲望の浅ましさをお許し下さい、彼らは己が何を望んでいるのかわかっていないのです」 「…フラウ…っ」 騎士が大きく肩を切られ、よろめきながら姫を押しやる。 「あなただけでもここから無事に」 「いやよ、嫌です、ギル! それぐらいならあなたとここで!」 「貴方たちはそれでいいのか!」 くわっと灰人が目を見開いた。 「姫さんの事好きなんだろ! 諦めるな!」 シィーロの叫びが呼応する。 そうだ、諦めるな。まだ全部終わったわけじゃない。 命はまだ、生きようともがいているんだ。 「神よ、私もまた浅ましき欲望の輩、彼らと同じ未熟さをお許し下さい!」 灰人の十字架からの光が男達の背中を打った。 「汚れた手を伸ばすなっ!」 シィーロの爪が姫を捕まえかけた男を削ぐ。 「姫の御飯だぞ! 騎士がくじけんな!」 アルウィンが槍から満月型の小さな光の刃を散らせながら、崩れかけたギルを叱咤すれば、 「確かに聖なるものの御前だな」 サイネリアは巨大な竜刻を見上げて緩やかに体を翻し、一気に追手を蹴散らす。 「我は守るべきものを背に退いたことなど、ない」 青い微笑は、破滅の光を撒く。 「うわああああああっっ!」 「ひいいっっ!!」 男達はあっという間に怯え惑い悲鳴を上げて、倒れた仲間を振り向くことさえなく遁走していった。 「あなた達は父の…?」 「諸事情あってな、だが」 もういいのだ。 サイネリアが寄り添う二人に静かに応じる。 「我は我が望む道を歩いたまで」 「大切なんだろう?」 シィーロが頬にかすり傷を作ったまま、まっすぐに見つめる。 「そんな相手を離しちゃ、いけない」 「姫さん、しわ寄せ?」 「え?」 「幸せか、と尋ねたんですよ」 灰人がアルウィンのことばを補足する。 「愛しい人の側に寄り添うのは、幸せだろう、と」 微かに眼鏡の奥で目が細められて潤む。 「…ええ……はい!」 フラウ姫が突然笑顔になる。吹き零れる涙、それをまるで宝石のように飾って、光り輝く至上の微笑み。 「もちろん!」 「フラウ…」 全てが実はその笑顔のためにあった、と思ったのは、ギルだけではなかっただろう。 「これから二人で世界を見て回ります」 そう言って、ギルとフラウは旅人に身をやつして国を離れていった。 楽な旅ではないと、誰もが知っている。 だが、あの笑顔さえあれば、ギルはいつでもどこでも頑張り続けられるだろう。 そして。 「……いい笑顔でしたね」 帰る道すがら、やった、やった、とはしゃぐシィーロとアルウィンに、灰人がぽつりと呟く。 「依頼は失敗したことになるがな」 姫の幸福を守ってほしい、そう口先だけでもあの強欲な王は言っていたのだから、あながち間違ってもいるまい、と笑う。 「……ずっと、笑っていてほしい、そう思うでしょう、ギルは」 灰人が微かに俯いた。 「ずっと変わらず、笑っていてほしいと」 ただそれだけを願って生きるはずです。 「……姫もまた、そう思うだろう」 サイネリアが優しく応じた。 「ずっと変わらず笑っていよう、と」 そして、それは姫の心も支え、強くしていくだろう。 「人とは、そういうものだ」 「…っ」 灰人は一瞬何かを言いたげに顔を上げ、それから、ゆっくり背後を振り返った。 森の中の巨大な竜刻。 その形は十字架だった。 命の絆を守るもの。 同じ形が、灰人の胸にもまた、静かに光り輝いている。
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