どこまでも広がる青空の下、海上都市ブルーインブルーは常らしからぬ賑わいを見せている。 何せ今日は一年に一度の祭り、海神祭が催される日だ。 まだ日も高いうちから動き出す人々が木材を組み立てて骨組みを作り、天幕を張り、作り上げた屋台がひしめき合っている。思い思いに着飾った男女は楽しげに談笑を交わし、頭に手拭いを巻いて意気込む店主が呼び込みに精を出す。 そして――止まぬ喧噪の間に時折混じる、涼やかな鈴の音。 「風流って奴だな」 行き交う人の隙間を縫いながら、ファルファレロ・ロッソは呟いた。ジャンクヘブン中を取り巻くお祭りムードを感じては居るが、まだそこに溶け込むには至らないのんびりとした独白。傍らを女性が過ぎるたび、レンズの下の瞳をスッと細めて値踏みの眼差しを注ぐ。が、すぐに脱力したように眼力を弛め、 「あぁ畜生いまいちだぜ!」 馬鹿正直に喚いて黒髪を掻き回す。挙句、踵を踏み鳴らして喚く始末だ。 「Cacchio! Che palle!! どっかに居ねえのか、俺のお眼鏡に適ういい女は!」 浮き足だった人々は恐れをなして肩を窄め、さながら蜘蛛の子を散らすようにサーッと退いた。怜悧な表情を不機嫌に歪めた男の周囲にだけ、余りにも不自然な空間が出来上がる。 しかし、当の本人はそれを意に介した風も無く毅然とした闊歩を続け、不躾な視線も留まるところを知らない。 「ちょっといい感じだと思えば野郎付きか」 凶悪な眼光と唸るような怨恨を真っ向から受けたカップルが、ギョッとしてまた一組逃げて行く。 ファルファレロは短く舌を打ち、嘆くように天を仰いで、 「こんな事なら昨日の女をキープしとくべきだったか。っと」 ごちた瞬間、ふと何かに気付いたように足を止めた。 目端を掠めた白い色――白髪。頭頂からぴょこんと生えた狼耳に尻尾。ゆるやかに移動する人々の狭間で、何をするでも無く突っ立つ少女の姿には見覚えがあった。佇まいもさることながら、開放的な薄着と化した周囲の男女とは裏腹の厚着が、その存在感を際立たせている。 あからさまな凝視の後で、ファルファレロはおもむろに身を翻して少女に対峙した。大股でずんずんと進んで行く。 先行きを決定した男の行動は素早く、且つ大胆である。 「――ようレディ」 過ぎし日の夜を思わせる挨拶を投げ掛けると、シィーロ・ブランカの両耳がピクリと震え、弾かれたように男へ向いた。賑わう通りを茫洋と眺めていた青い瞳が焦点を結ぶなり大きく瞠られ、静かに細められて行く。その表情からはたちまち感情が失われる。 「セクハラ眼鏡」 素っ気ない一声に、セクハラ眼鏡は肩を竦める。 「ご挨拶だな。……てめぇな、もっとマシなモン着とけよ。今日はせっかくの祭りなんだぜ」 「余計なお世話だ」 しれっと返したシィーロが明後日の方向を向いた。だが数秒後、ちろりと横目で男を窺う。唇が迷うように開いては閉じ、白い耳の先がしんなりと萎れて行く。 「……この格好は変か?」 「は」 ファルファレロの口から笑息が漏れた。 「変じゃねえよ。ただまあ、もったい無えなとな」 まだそう長い付き合いでは無いが、シィーロのファルファレロに対する感情は確かに変化しているようだ。少なくとも剥製マニアの領主の屋敷の依頼を受けた日の、あの強烈な敵意が向けられる事は二度と無いだろう。寧ろ好かれ始めている気配がする。いや確実に好かれている。 「これだからモテる男は辛えったら」 「え?」 「おおっと」 珍しくも目尻を下げ、妄想の世界に没頭しかけていた男の表情筋が締まる。何事も無かったように頬を撫でながら首を振り、 「なんでもねえ、こっちの話。……で、とりあえず行くか」 「?」 怪訝を乗せていたシィーロの目元が、更にその色を増す。 「行く? どこにだ」 「どこも何もどうせ暇だろ。一日付き合え」 「……」 互いの間に沈黙が流れた。しかしファルファレロの悠々とした佇まいは変わらない。断られる筈が無いという謎の自信に満ちている。一抹の悔しさを覚えつつも、シィーロは目を伏せて溜息を吐いた。横暴な誘いを、なぜか拒絶する事が出来ない。 「……どうせも暇も余計だ」 「決まりだな」 応じるなり、少女の細い手首に指が絡んだ。有無を言わさぬ力で引かれ、シィーロはつんのめるように歩き出す。 「っどこに行く?」 「そうだな、まずはやっぱりその服をどうにかしてえ。てめぇが格好一つで見違える事を俺は知ってる」 思い掛けぬ言葉に息を呑み、目尻を染める。ファルファレロに見えぬ事をよしとしてそのままぶっきらぼうに続ける。 「何を着ればいいのか分からない」 「選んでやるよお姫様」 「……誰が姫だ」 「悪い気はしねえだろう」 シィーロが鼻を鳴らし、掌をそろそろと握り返す。素直じゃない辺りも愛らしく思えちまうな。ファルファレロは自嘲の笑いを浮かべ、1秒後には少女に似合いの格好を思い浮かべながら、ゆっくりと腕を引いて雑踏に紛れた。 「変じゃないか」 「ああ」 同じ問い掛けに、ファルファレロは深く頷いて見下ろす。 「いい感じだ」
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