公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
告解室。 そこには時折、秘密を抱えることとはよほど縁のなさそうな者が訪れることがある。この日そこを訪れた古城蒔也はどちらかといえばそういうタイプに見えた。 「おまえ、人を好きになったことはある?」 開口一番、蒔也は十五かそこらの少年が口にしそうな言葉を投げかける。告解を受ける者は少しだけ躊躇いを見せたのち、『ないこともない』とだけ返した。 「ふーん。俺は、駄目なんだよなァ……」 声の調子で判断するしかないが、今日蒔也の告解を受ける者は恐らくは蒔也と同じくらいの年嵩の青年のようだ。 「人を愛せないということ?」 「いーや、逆。すぐ好きになっちまうんだ」 蒔也よりはやや落ち着いて大人びた雰囲気の声が、蒔也がここに持ち込んだ秘密を明かそうと問いを投げかける。蒔也はゆるく首を横に振り、ベルベットのソファに深く背を預けた。 「女、男、子供、年寄り。犬に猫、絵画、城……」 「……さっき、人って言わなかったかい?」 黒い手袋を嵌めた蒔也の右手がソファの肘掛けを撫でる。左手は好きな『モノ』を指折り挙げ、それが片手の指で足りなくなりそうになったあたりで尤もなツッコミが入る。 「俺にとっては全部同じなんだよ、好きで好きでたまらなくなる」 「……へえ」 蒔也が本当にいとおしそうに笑うのを、告解を受ける青年は見ることが出来ない。それゆえか半信半疑のような、受け流すような曖昧な返事でその場は濁された。 「信じてねェな、まあいいけど。……でさ、気がつくと俺がそうやって好きで好きでたまらなかったモノってなみんな、いつのまにか俺の手の中で消し炭になってんだ」 黒い手袋で隠されたのは、狂気と紙一重の愛情表現。うっとりするような表情の中に一抹の寂しさを見せ、蒔也は少しずつ饒舌になっていく。 「好きになったら、壊したい?」 「ああ、そうさ。例えばおまえ、好きなヤツは抱きしめたりキスしたくなるだろ?」 「確かに、触れたくなるね。自然なことだと思うよ」 「だろ? 俺だってそうしたくなる、だけどそれだけじゃ駄目なんだ。……どうしても」 __この、手で 「俺が愛したモノが、綺麗な爆炎に包まれて形を失っていく姿をさ、見たいんだよ」 人は死に、いつか忘れ去られる。美術品は色褪せ価値を失う。建造物は朽ちてただの歴史になる。全てのモノは、生まれ落ちたその瞬間からゆっくりと終わり続ける。そうとしか在れないのなら、せめて。 「俺の手で、轟音と爆風と炎で、フツーに死んじまうより美しく彩ってやりたい。それが俺の愛。おまえも一度見ればきっと分かるぜ? あれ以上に美しい光景なんざこの世には存在しないってよ」 「……ふむ」 それは愛しいと思った瞬間の愛しさを留めておきたいからだろうか、それとも他の誰にも触れさせたくないという独占欲からだろうか……そんなことを考え、告解を受ける青年はしばしのあいだ口ごもり言葉を選んでいた。蒔也にはもう少し、何か言いたいことがあるのではなかろうかと。 しかし。 「……なーんてな! 冗談だっつの!」 「?」 格子窓の向こうから聞こえる軽妙な笑い声。さっきまで蒔也が纏っていた思慕の感情は鳴りを潜め、そこにいるのは秘密とは縁のなさそうな、態度の軽い青年がひとり。 「本気にしたか? 姿の見えねーヤツをからかうのもたまには面白いもんだよなァ」 ひとしきり、けらけらとからかうように笑って見せて満足したのか、蒔也がソファを立ち上がる素振りを見せる。それを音で察し、告解を受ける青年は思わず蒔也を呼び止めた。 「君、もう帰るのかい?」 「ああ、話すことなんざこれぐらいだしなァ」 「じゃあどうしてわざわざ此処へ?」 「……」 此処がどんな場所か知らずに来たのではないだろう、そう思って出た言葉が蒔也をそこへ留めた。 「折角だからもう少し話しておいでよ、僕は君に興味がある」 「ははッ、変なヤツ。俺に好かれたらパァン! だぜ?」 「それもいいかもね」 「……変なヤツ」 立ち上がった身体をもう一度ソファに落とし、蒔也は格子窓の向こうに目線をやった。黒い手袋は勿論外すことなく。 ◆ __それを最初に感じたのはいつ? 「親父が死んだ時だ。俺の親父は俺と同じ能力を持っててさ」 __その時、何を考えてた? 「……美しい、って」 __成る程。お父さんのことはよく覚えている? 「ああ、当然だろ。大好きな親父だったんだ」 __……じゃあ、お母さんのことは? 「さァな。お袋は親父に俺を押し付けてそれっきりだ、顔も覚えちゃいねェ」 __お母さんを壊したいと思うことはあるかい? 「無いんだなァ、それが。ま、顔も名前も覚えてねェ女のことだ、興味も湧かねェさ。……もしどっかで会って、好きになったなら話は違うんだろうけどな」 __ところで君、花火って知ってる? 「は? あァそりゃ知ってるさ、俺の故郷にもあったよ。壱番世界にもあるンだろ? 火薬だの金属の粉だのをこう巧く詰めて、打ち上げてすげェ綺麗な火花にするってヤツ。綺麗だよな」 __うん、花火は綺麗だ。どうして綺麗なんだと思う? 「……そりゃァ、あの一瞬しか見れねェからだろ? ちょっとでも目を離しゃ、一番綺麗な瞬間は終わっちまう」 __僕もそう思う。こう言うと君みたいだけど、壊れる為に生まれてきたようなものだよね、花火って 「そうかもな。どんなモノでも壊れる瞬間が一生のうちで一番に美しいのは当然だけどな、むしろその為に生まれてきたモノってところは嫌いじゃないぜ」 __あはは、君って花火師に向いてるのかな? 「さァな。けど俺は花火なんかより、もっと他に。生きるために生まれたモノをこそ好きになって壊したいのさ。死も、崩壊も、どんなものにも平等に訪れる定めだ。そんなのつまんねェだろ」 __だから、君の手で? 「あァそうさ。好きなモノが俺の手の届かないところでひっそり死んでいくなんざ、考えたくもねェ」 __……いいなあ 「おいおい、分かったフリか? よせよ」 __いいや、本当だよ。君がすごく羨ましい 「何でだよ」 ◆ 「好きなものがたくさんあって、きっと君はそれを何一つ忘れていないんだろうね。それがひどく羨ましいんだ」 告解を受ける青年はそれまでの言葉を一つ一つ思い返し、蒔也にゆっくりと語りかける。 「生きていても忘れ去られる人はいるし、誰に何の価値も見出されない美術品や建物だってたくさんある。だけど君が好きになったものはそうじゃない。消えてなくなっても、君がずっと覚えている。もしそうだったとしたら、それってすごく素敵なことじゃないかな?」 蒔也は少しだけ目を閉じ、これまで壊してきたモノたちの姿を一つずつ思い返してみる。すぐさま浮かぶのは、自分が壊したわけではない父親の、最後の姿。そしてその記憶を追随するように彫っては壊す父の姿。瞼の裏をいくつも通り過ぎる、愛したモノたち。そのどれもがありありと像を紡ぎ、まるで今にもこの手でもう一度壊せそうなほどの精緻さで蒔也の記憶の中に在った。 「おまえやっぱり、変なヤツだな」 「褒め言葉として覚えておくよ」 捨て台詞のような、照れ臭さのような、よく分からない感情を含んだ言葉を残し、蒔也はそっとソファから立ち上がった。今度は、告解を受ける青年は引き止めなかった。 告解室は今日も、誰の何もを否定しない者が誰かの秘密を待っている。
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