クリエイター櫻井文規(wogu2578)
管理番号1156-23514 オファー日2013-04-25(木) 22:04

オファーPC 華月(cade5246)ツーリスト 女 16歳 土御門の華

<ノベル>

 無遠慮に伸ばされた指の先。その指がわし掴むのは、他ならぬ華月を包む万象に及ぶものだったはずだ。金で買えぬモノなどひとつもない。ごく当たり前な、一般的な常識を口にするかのような語調でさらりと言ってのけた男の顔が浮かぶ。華月の名を呼ぶ唇が鮮やかに浮かぶ。その声が、耳の奥にこびりついて離れようとしない。
 指が伸びてくる。華月が逃げても逃げても、男の指はどこまででも伸びて来て華月の身を捉えようとうねるのだ。そうして何よりも、
 ――そう、何よりも、その指の向こう、童女のような笑みをたたえた女がひとり、華月を呼び招くような手取りで謳うように声を弾ませて、華月の名を口ずさんでいるのが見える。
 ねえ、此方へ来て。もっと聴かせて。――かづき。おそろいだもの、ねえ
 手鞠が転がる音がする。華月を追い立てるように軽やかな音をたてながら、手鞠は手鞠唄を伴って弾む。色とりどりの花の柄が縫い付けられた上質なそれが弾むたび、華月の視界は増えていく蝶の翅によって塞がれていくのだ。
 幾度となくまろび、身をすくませ、祈るように――呪うように、華月は長い長い、果ての見えない廊下の上を走り続ける。声など嗄れてしまっていた。しぼり出す息はひどく荒れて、まるで喘ぎ声のような、かすかなものと化している。
 廊下の両端に続く朱塗りの格子戸の向こうから漏れてくるのは、男女の睦声。矯正。怒声、罵声、――けれどもその大半は、忙しなく弾む喘ぎ声と、肉と肉とがぶつかりあう湿った水音だ。知っている。この格子戸の奥で繰り広げられている情景がどんなものであるのか、華月は知っている。金品で身を売り、春をひさぐ。それも勤めのひとつなのだと理解もしている。決して蔑視などしてはいない。
 ――けれど、華月は今、己の身にも降りかかろうとしているその事態を、万全たるものとして受け入れることなど出来ずにいた。
 好きでもない男に貫かれ純潔を喪う。好ましく思えもしない男の舌が己の身の隅々までをも這い回り、意思を得た生物のように口中にまで分け入り、吸い上げ、絡めとる。そうしてあの指が華月の秘所に沈み、快楽をもたらそうとして蠢くのだ。
 蔑視などしているわけではなかった。けれどそれが己にも順番がまわってきたのだと把握した瞬間に、華月を包んだのは恐怖や憎悪、――深い深い絶望だった。
 此方へ来て、カヅキ
 童女が無邪気に笑う。玩具と化した、もはや自己の意思さえ手放してしまった童女が招く。その髪にひらめいているのは髪飾りだ。――カヅキ、ねえ、

 全身を濡らす汗と共に身を起こす。怖気が背筋を這い、夢の残滓は鮮やかに深く、華月の脳裏にこびりついていた。
 顔にはりつく髪を両手でかきまぜながら、華月は喉をついて漏れ出る呼気の音を聞く。
 身を横たえていたのは質素なベッド。花楼の部屋に敷かれていたような華美な色柄のものとは違い、真白なばかりの寝具で揃えられていた。
 覚醒を迎え、ロストナンバーとなって旅客名簿に登録を済ませ、0世界の一郭に用意された部屋のひとつを与えられてからは、ただただその部屋の中で身を潜めるようにしながら過ごしていた。 周りを見れば、そこがまるで見知らぬ土地であることなど容易に知れた。ただ、それを理解したところで、心はすぐに順応することなどあろうはずもなく。
 あの男がどこかにいるかもしれない。
 春をひさぐのを拒絶する生娘を痛めつけるための無慈悲な暴力が隠れているかもしれない。それがないという保障はどこにもない。幾度となく繰り返し見る夢の――記憶の続きが、再び華月を追い立ててこないとも限らないのだ。
 
 それでも、時間の流れは心に安寧をもたらしもする。移ろう時の理をはずれた0世界に住まう身となり、齢を重ねることからはずれても、心の成長までもが止まるわけではない。
 華月を金で買ったと笑った豪商の息子も、心を病み生ける玩具と化した揚羽も、0世界のどこにもいなかった。華月はあの場所からただひとりだけで放逐されたのだ。それを確認し、把握する。男への恐怖は薄らいだが、揚羽への心は――揚羽をひとりだけ残してきてしまったことへの罪悪感や後ろめたさ、会いたいと思う感情。そういったあらゆるものがない交ぜとなった心だけは、いつまで経っても薄らぎはしなかった。
 揚羽がくれた髪飾りを指先で撫でる。今となっては唯一残る、揚羽とのつながりだ。鮮やかに浮かぶのは揚羽と過ごした楽しい追想ばかり。その声も眼差しも、何一つとして忘れてなどいない。追想の中の彼女は今も変わらず、華月の一番の友だちなのだ。
 けれど、その髪飾りを髪につけようとすると、なぜかどうしても指が震えた。幾度となく繰り返し見続けている夢の風景を思い出してしまう。怖気が背筋を這い上がり、首を伝い、耳元でささやくのだ。――決して逃れることなど出来るはずもないのに、と。

 初めのうちは与えられた部屋から出ることも出来ずにいたが、それでも少しずつ行動範囲は広がっていく。部屋のドアを開け、一歩を踏み出す。吐き気すらもよおしていたほどの恐怖心は次第に薄れ、部屋を後にし、路地に出て、走行するトラムに乗ることも出来るようになった。買い物に赴くことも出来るようになり、その頃には見も知らないたくさんのロストナンバーたちが往来するのをぼんやりと眺めることも出来るようになっていた。カフェの隅でお茶を飲み、他のロストナンバーたちがこなす依頼の報告書を手にとって目を通し、他の、あらゆる世界の存在を知り、情報に触れる機会を得てもいた。

 それでもやはり、髪飾りはつけることが出来ないまま。
 それでいて大切に、決して手放すこともなく、ずっと握り締めたまま。

 ある日、走り去っていったトラムを送った後、華月はふと、視界の端に、一軒の小さな屋台があるのを見とめた。路地の隅、ぽつんとたたずむその屋台の奥にはひとりの老いた男が座っている。幾度か通りかかったことのある通りだ。軒をかまえる店舗は大概把握できている。が、老人が座るそれは屋台だ。0世界のいろいろな場所を転々と移り歩いているのかもしれない。
 いずれにせよ、心を惹かれた。足を寄せて屋台の前で止まる。
 銀細工を並べている屋台だった。身を飾るためのものや部屋に飾るためのものはむろんのこと、色とりどりのガラス球を使ったデザインやセンスの良さは、決して華やかではないけれども充分な魅力をそなえている。
 興味深げに品々に見入っていた華月は、ふいに老人に声をかけられて大きく肩を震わせた。おどおどと視線を持ち上げ、長く伸ばした前髪の隙間から窺うようにしながら老人の顔を見る。
 老人は、華月が見せるあからさまな怯えに気付きながら、言及してはこなかった。ただ穏やかに微笑みながら、どんな細工が好きなのか、こんな飾りならあんたに合うんじゃないか。そんなことをぽつりぽつりと述べてくるだけだった。華月は消え入りそうな声で応えを返し、小さくうなずきを見せながら、老人との対話をこなした。
 
 帰り際、老人は、また遊びにおいでと言ってやわらかな笑みを浮かべた。顔に刻まれた皺はもう増えることも減ることもないのだろう。けれどそれは彼が送ってきた歳月の長さを物語っているものだ。きっと華月よりもずっと長く生きてきたのだろう。きっと華月よりもずっといろいろなものを見てきたのだろう。たくさんのものを抱え、それでも彼はこうして、こんなにも穏やかな笑みをもって華月に向き合ってくれている。
 小さな会釈をひとつ残し、華月は屋台を後にした。トラムに乗り、部屋までの帰途を辿っている間、窓の向こうに見える風景をぼんやりと見つめる。
 きっとたくさんの人が、たくさんのものを抱えてここにいるのだろう。
 静かな音をたてながら揺れる車体の中、華月は静かに目を閉じた。

 翌日も屋台の前に立っていた。
 老人はやはり穏やかな笑みを浮かべて華月を歓迎してくれた。
 名前を告げ合うわけでもなく、ただぼうやりと、並ぶ品々を見やっていく。
 顔も名前も知らないロストナンバーたちが屋台に寄って品を手に取り、華月に品の詳細を訊いてきた。屋台の前に立っている華月は、他の者たちからすれば屋台の主を手伝う者のようにも見えるのだろう。慌てる華月を、老人は穏やかに、さりげなくフォローする。客人たちは満足し、品を買って屋台を後にしていった。
 間違われてしまったねぇ。老人はそう言って微笑む。つられてぎこちない笑みを返しつつも、華月の心はふうわりとした温かなものを感じていた。
 それが機となったのかどうかはさておき。
 それからもたびたび老人のもとを訪れるようになった華月に、老人は銀細工の作り方を教えてくれるようになっていた。
 むろん、ちゃんとした工房での作業を要する彫金に関する技術を習得するまでには至らない。老人が教えてくれたのは粘土を用いたものだった。
 思いのままに形状を変える粘土を転がし、指に巻きつけた付箋紙の上から張り付けて広げる。大まかな形状が決まったら乾燥させてやすりで形を整え、火鉢の上で焼成する。それを磨いて仕上げるという、工程的には難しくはないが、それだけに作り手のセンスが問われるものではあった。
 老人は、華月が覚醒する以前に経験してきたものを聞こうとはしてこなかった。代わりに銀細工の作り方や0世界のあちらこちらに関する話や、ロストレイル号で行くことのできる世界群に関する話を聞かせてくれた。初めのうちこそ老人に対しても警戒を向けることしかできずにいた華月も、それでも幾度も足を寄せるうち、いつしか知らず警戒を解き、笑顔を返すこともできるようになっていた。
 笑顔を向ければ笑顔が返される。それが当たり前のことなんだと知るに至ったころには、屋台の老人を手伝う店員なのだと誤解して話しかけてくる客人たちに対しても、笑顔を見せることができるようになっていた。
 商品の説明もある程度こなせるようになったころ、華月は老人に問われる。
 大事そうにしているその髪飾りは宝物なのか。
 それは老人が口にした初めての疑問符だった。老人はさらに続ける。
 華月の黒髪にきっとよく映えるだろうに、どうしてつけないのか。
 華月の手から髪飾りを借りた老人は、しばしそれをしげしげと見やった後、とても良い物だと褒めながら華月の手に戻した。
 手の中のそれに視線を落とし、華月は沈黙する。
 
 揚羽の髪に揺れる飾りと、揚羽の笑顔と声音が浮かぶ。――もう触れることさえないのであろう、遠い遠い郷里に、ただひとり残してきてしまった友との追想が鮮やかに浮かんだ。

「これは……」

 大切なひとがくれた、何よりも大切な――
 
 老人の温かな手が華月の髪を撫でる。
 頬を幾筋もの雫が濡らす。雫は雨のようにぱたぱたと流れ落ち、路面に染み込んでいく。

「これは、揚羽がくれたものです」
 
 しぼり出した声は嗚咽にのまれ、形となり伝わったかどうかは分からない。けれど老人はやわらかな笑みを浮かべたまま、そうかと応えてうなずいた。
「それじゃあ、大切に持っているだけじゃあダメだよ。大切に使ってやらなきゃな」
 老人の声が耳を撫でる。
 幾度も幾度もうなずきながら嗚咽する華月を、街の賑やかさが包み込む。
 老人の手が頭を撫でる。

 深い絶望の底に沈み続けていた心が、ようやく救済を見たような気がした。
 願う心は、結果的に捨て置いてきてしまった友に対しての罪悪をも伴うものだ。それでも、願わくば、いつかまた、

「揚羽……」
 
 浮かぶ笑顔を抱きしめるように、髪飾りを胸に抱く。
 いつかまた、きっと必ず逢えるように。
 

クリエイターコメントこのたびはプラノベオファー、まことにありがとうございました。気長にお待ちいただけましたこと、感謝いたします。

好き放題歓迎というお言葉に甘えさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
覚醒直後の描写という旨で判断させていただきましたので、覚醒以前のプラノベ等いくつか拝読させていただきました。
遊郭の守り手でいらっしゃるという設定をお持ちですが、それよりはむしろ揚羽様の身を案じ、後悔や後ろ暗さや、そういうネガティブなものをこそ強くお持ちなのかなと判断させていただきました上での描写とさせていただいております。
華と蝶は対であればこそ互いの美を高めあうことも出来ましょう。
いずれおふたりともに光がありますようにと願いつつ。

少しでもお気に召しましたらさいわいです。
またのご縁、心よりお待ちしております。
公開日時2013-07-29(月) 21:30

 

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