その日、彼は私に小さな指輪をくれた。緑色の小さな石の嵌った指輪。「君の瞳の色みたいだと思ったから。」 彼の言葉は恥ずかしかったけれど、顔を赤くする私を見て笑う姿を見たらなんだか自分もおかしくてたまらなくなった。 しばらく二人でくすくすと笑いあってから、彼はまた街へ行くと言った。「これはね……すごい力をもっている魔法の指輪だ」「魔法の指輪?」「俺がいない間、君を守る守り石だ。だからいい子でまっていて」「待ってる。私はいつまでだって待ってるけど、貴方を守る魔法もいるわ」「え?」 首を傾げた彼の顔を勢いよく引き寄せて、額めがけて魔法をかけた。 幸運のキス。母はいつも父にそれをやっていた。「……ありがとう」「いってらっしゃい! 早く帰ってきてね!」 最高の笑顔で笑ってあげた。彼が街に行っている間も思い出すのが私の笑顔であるように。 彼も最高の笑顔を私に見せた。彼が帰ってくるまでこの笑顔を毎日私は思い出すだろう。● 「来てくれてありがとう。ヴォロスで大変なことが起こりそうなの」 旅人達が集まるとすぐに世界司書の少女は話を始めた。その表情は硬い。「そう、竜刻が暴走しようとしている。このまま放っていたら大きな犠牲を生むことになるわ」 一度暴れ出した力を抑える術は今のところない。なんとしてでも暴走する前に竜刻を回収する必要がある。暴走を始める前であればそれを抑えられる封印のタグがあるからだ。「これを貼れば暴走は防げるわ。なくさないでくださいね」 タグを旅人に渡すと少女は話を続ける。「その竜刻は今、一人の女性が手にしています」 その女性の名はミラ。大きな都市から離れた小さな村のはずれに住んでいるらしい。 村には目立つ施設は、酒場兼宿屋と一軒の雑貨屋があるのみ。村人達はだいたい家畜を飼っているか畑を持っていて、物々交換などをしながらのんびりと暮らしている。 ミラは家で仕立て屋の仕事をしながら、数頭の家畜の世話をして静かに暮らしている。「そして、問題の竜刻なのですが……」 そこで少女の声が詰まる。「指輪の石になっています。竜刻は綺麗な緑色の小さな石です。彼女の恋人が自分の留守の御守りにと贈ったものらしいわ」 彼はそれが何なのかを知っていたのか知らないのか。どちらにせよ、守りの石は彼女を危険に曝そうとしている。 彼女の為、彼の為、そして村の人々の為にも竜刻を回収してきてくださいと少女は頭を下げる。 指輪は常に彼女の手に嵌められており、はずすのは朝晩の家畜の世話の時と就寝時くらい。それ以外の時は指輪をしたまま家で裁縫をしている。ただ、家は村のはずれな為、侵入するのはそう苦じゃないはずだ。「今日明日にも暴走は始まろうとしています。回収の手段は問いません」 でも、出来れば。そう言うと彼女は言い淀む。「本当はこんな事言わない方がいいのかもしれないけど……ミラさんの恋人、レノさんというそうなんだけど。どうやら帰りが遅いらしいの」 彼は仕事の都合で定期的に街と村を行き来していたらしい。だが、今回に限っていつもより帰りが遅い。 ミラは毎日指輪に祈り、健気にレノを待ち続けているというが、不安そうにしているらしい。「だから、話し合いなどでは指輪をなかなか手放そうとしないかもしれないわ」 でも、交渉に役立つかもしれない事がある。少女は暗い顔で話を続ける。「一つ、まだミラさん達が知らない情報があるの。街道には難所、切り立った崖に出来た細い道が続く場所があるの」 まさかと一同が息をのむ。少女は小さく頷いた。「道がわずかに崩れた痕跡をそこを通った行商人が発見したわ」 だが、彼はレノの事など知らないので、道の補強を依頼しなくては駄目かなとは思うものの、さして気にもとめずにそのまま村へ行ってしまう。「貴方達が村へ到着するのは早朝。商人も昼には村につくんじゃないかしら」 行商人は村につけばすぐに商売を始める。忙しさで話どころではなくなり、道のことも忘れているだろう。それでも、夜には街の話を聞きたい村人と酒場で談笑するはずなので、レノの話が出れば彼は道のことも思い出すに違いない。 だが、その頃には竜刻は暴走をはじめているかもしれない。 ちなみに問題の現場までは、荷物などのない身軽なものが行くなら行商人よりもずっと早く往復できる。 そこに行くことで何かを得られるかどうかはわからないけどもと少女は続ける。「どうするかはみなさんに任せます。だけど時間もないわ。無理だと思ったら強引にでも回収してきて」 彼女は無理に微笑んだ。「このままじゃ、ミラさんも村も滅茶苦茶になっちゃうから。それは、きっと誰も望んでいないこと」 無事に帰ってきてください。少女はそう言ってもう一度ぺこりと頭を下げた。● 大失敗だった。大きな力を持つ事はわかっていたから彼女を守ってくれると思っていたのだが。どうやらそれは勘違いだったらしい。何かある前にあんな指輪投げ捨ててくれと言わなくちゃ。「ミラ怒るだろうなぁ……」 彼女のふくれっ面を想像してレノは思わず笑う。でも大丈夫、次の瞬間にはあの最高の笑顔をみせてくれるはずだ。 懐にそっと手を伸ばす。大事にしまわれたそれは小さなでもちゃんとした貴石の嵌った指輪。これを渡して、そして結婚を申し込むのだ。「早く帰らなくちゃ。早く、早く……」 一刻も早く村に帰りたかった。彼女に謝って、指輪は投げ捨てて、そしてこの指輪を渡して…… 彼は考え事をしながら、しかも駆け足で進んでいた。それがどんなに危険な事かに気づいたのは、彼が崖を滑り落ちた時だった。「……まだ一応生きてる」 決して低くない崖から落ちてよく生きていたものだと我ながら感心する。 だけど、無傷とはいかない。さっきから身体中が痛みを訴えているが、特に左足から嫌な感覚がある。あまり直視したくないが折れているだろう。嫌な汗が出る。汗だけじゃない。頭にそっと手を伸ばすと指先が赤く染まった。「どうしたもんだろう」 辺りを見回すが、どうにもならない。近くの岩に這いずって近寄る。背中を石に預けて空を仰ぐ。「おーい!!」 大声で叫んでみるが、返ってくるのはこだまのみ。人が通るような気配は今のところない。叫び続けたいところでもあったが、ボロボロの身体で体力を消耗させるのも躊躇われた。誰かが気づいてくれることを祈り続けるしかない。「……」 なんとか無事だった背負っていた荷物から、なんとか傷の手当てなどを試みる。止血くらいはしなくては。「ミラ……」 絶対に帰ると心に誓いながらも、彼は荷物から手帳を取り出すと、最愛の者への想いを綴り始めた。
●小さな村 ロストレイルが停車したのは小さな村のある大きな森の奥だった。ヴォロスの中でも田舎と笑う者も多い土地だ。 空気は澄んでおり、木漏れ日は旅人達を暖かく迎えてくれた。 その場で昼寝でも出来たら気分の良さそうな日ではあったが、のんびりもしていられないと思う気持ちが彼らにはあった。 「私はレノを探す。他に探しに行く者は居るか」 既に列車の中で準備を整えていたハーデ・ビラールが仲間達に声をかける。彼女の荷物からはおんぶ紐などの道具がのぞいていた。 助けるつもりなのだ、レノを。 「俺も行く。レノって男が生きてるんなら、そいつに自ら指輪を破棄させるのが一番合理的で手っ取り早いだろ」 「だろうな。では行こうか?」 「ちょっと待て。今、精霊にお伺い立ててみる……」 サクラが意識を周りに溶け込ませるようにスッと集中する。彼の世界のそれと全く同じ存在がいるかどうかは彼にもわからなかったが、すぐに呼びかけに答える声があった。 ―― ガケ ―― それはそう伝えた。ガケ、ガケ、とそれしか声は伝えなかったが、焦りや危機感の様なものだけが何となく伝わってきた。 「崖の下なのはわかってるんだよ……生きてるような感じはするが。そいつが死んでるってぇんなら、俺が無理やりにでもミラから指輪を奪ってやってもいい。この際だ、憎まれ役でもなんでもなってやる」 「聞きにいくのが一番? ミラさんとこに匂いあれば、わかる」 モルティ・ゼグレインがそういうと、理星も遠慮しがちに口を開く。 「あの……俺も、ミラんとこ、行きたい。無理にじゃなくって、レノの事とか、指輪の事とか話して、わかってもらいたい」 その瞳に強い意志を見て、サクラがおやと驚く。人とのふれあいが得意とは言えない弟分が自分からそんなことを言い出すとは思わなかったらしい。けれど、彼なら大丈夫だとも思う。 「……それじゃ、まずは村に行くか。いざとなれば飛んでけばいいだろう」 「それならば急ごう」 村にはすぐに入れた。森との境目は曖昧に岩がぽつんぽつんと置いてあるのでなんとかわかる程度。申し訳程度の境界を踏み越えると、そこはのどかな田舎の朝だった。 畑仕事をしている大人の姿や、朝食を食べ終えて早速遊びに出てきた子ども達の姿がちらほらと見える。 「なんかでっけーお兄ちゃん達がいるぞ!」 「何しにきたのー!」 「お姉ちゃんの荷物、それ何?」 「なーなー遊ばね?」 子ども達が余所者がいることに気づくとわらわらと集まってくる。 純粋な好奇心ではあるのだが、理星にとってはちょっとした試練だ。 「……っ!」 大丈夫、そうは思っても。人が自分に集まってくると少しだけ身が竦むような想いに捕らわれる。思わず隠れるように後ずさる。 恐れられてはいないか、その手から石が飛んでくるのではないか。故郷での苦い記憶が彼の心を脅かす。 けれど、今ここは故郷ではない。そして、何よりの違いは仲間達がいることだ。サクラが黙って彼を見つめていた。 「遊ばなーい。今はダメ」 「これからな、助けにいかねばならない人がいるんだよ」 子ども達に答えるモルティやハーデの横に理星は勇気を出して踏み出す。 「あのっ!」 「なに?」 「あの、ミラっ、ミラさん家どこ?」 「ミラ姉ちゃんの友達? 姉ちゃんとこでお菓子でも食いにいくの?」 「それはあんた達でしょ! いつもいつもお姉ちゃんとこで!」 「……この人達はお洋服作ってもらうんじゃないの?」 「姉ちゃんなら家にいるでしょ? あっち!」 子ども達は次々と村はずれの家を指さす。 「じゃ、いこ!」 モルティが理星に行くんだよね? というような視線を向ける。こくりと理星が頷いた。そんな二人をサクラ達は送り出す。 「俺らはすぐに行けるように準備しておく」 「手がかりは任せた」 「任せて!」 「い、いってきます!」 駆けだしたモルティに慌てて理星はついていく。 「兄ちゃん達は用事ないの?遊ばない?」 「大事な用事があるんだよ」 「遊べないのは悪いが、ひとつ聞きたい」 「何?」 「この村に医者はいるか?」 「シグ先生? やべーよ。な?」 「うん! シグ先生はすっげー痛い! この前怪我した時も嫌だって叫んでもグリグリあのくっさい薬を……」 「あんた達が馬鹿な怪我するから悪いんじゃない」 「うっせ!」 いかにもわんぱくそうな男の子と気の強そうな女の子が口論を始めるが、ハーデは医者の場所を確認して少し安心する。 なるべく早く戻ってきてくれればいいのだが。二人はそう思いながらも今できる事を始めた。 「ここ……?」 そして、こちらはミラの家。 小さな村の中でも小さな家だ。それに古い。けれど、壁は綺麗に白に塗られていたし、緑色の三角屋根は可愛らしかった。 脇の花壇では色とりどりの花が咲き誇り、窓には清潔に洗濯をされているであろうカーテンがひらひらと揺れている。 「すみませーん!!」 木製の扉をモルティがどんどんと叩いた。 「はーい!」 すぐに若い女性の声が返ってくる。 「ミラさんいますかー!」 「いるわよって……あら?」 きぃっと小さな音をたてて扉が開く。小柄な女性がモルティを見て少しだけ驚いたような顔をする。 「レジーかと思ったら……貴方達、見ない顔ね? 何か売りにでも来たの?」 「えっ! あ、いや、そのちがいます!」 いぶかしげな表情のミラに理星が狼狽える。だが、モルティが笑顔で言い放つ。 「お腹減った!」 「え?」 「お姉さんの住んでるお家って聞いてきた。お菓子ない?」 「たかり?」 「ち、ちが……」 「冗談よ。まあこの村、店とかろくにないしね。大方レジー達から聞いたのね」 「たぶん!」 あの子達の中にレジーがいたならとモルティは答える。その屈託のない様子にミラは苦笑すると、扉を大きく開いた。 「いいわよ、入って」 「ありがと!」 「貴方は?」 この子の保護者じゃないのかしらとミラは言う。その間にもモルティはひょいっとミラの家に入っていく。 「えっと……」 「早く入らないとしめるわよ? 今日は仕事もそんなにないし、お店が開く時間くらいまでおしゃべりに付き合ってくれてもいいんじゃない?」 「あ、はい。お邪魔します……」 ようやく理星がそう答えて家に入るとミラは笑顔で扉を閉めた。 ●救いたい命 「昨日焼いたお菓子でいいなら食べていいわよ」 差し出された小さな籐の籠には木の実やドライフルーツをふんだんに使った焼き菓子が詰まっている。 モルティは目を輝かせてありがとうと叫ぶとぱくぱくとお菓子を口に放り込む。 「おいしい! ありがふぉふ……」 「ありがとうございます……」 「しかし珍しいわね。この村では久々に新顔を見たわ。どこに行くの?」 どこかへ行く途中なのでしょ? ミラの問いかけはそういう意味だった。けれど、二人は思わず顔を見合わせる。 どこに行くか。行きたいのはレノの元。 「……ミラお姉さん、彼氏は?」 「ちょっ! 急に何よもうっ!」 ミラが頬を赤らめて自分の手をぎゅっと握りしめた。その指には小さな指輪がはめられている。きらりと煌めくその石こそが竜刻。 「綺麗な、指輪だ」 危険を孕んだその石に対してでなく、指輪に込められた想いに対して理星は呟く。 「ありがと。レノが、うん、その彼氏がくれたわけよ!」 その呟きを拾って頬を染めながら話すミラの目は指輪の竜刻に負けないくらい輝いていた。だが、でも……という言葉と共に彼女の表情が曇る。 指輪を撫でながら視線が窓の外へと移る。見ているのは村を出ていく道の方だ。 「レノ、帰りが遅いの。しょっちゅう出かけてるんだけど、こんなに遅かったことってないのよ……」 「探してくるよ?」 「え?」 「お菓子おいしかったし。レノ探しに行くよ」 「こんなお菓子くらいでいいわよ。それに大体レノの事しらないじゃない」 「んーでも、匂いあれば。俺、この星の人間じゃないし……」 「ホシ?」 「あ、えっと、村! 村のこと! モルティの村、すごく変わったとこだから見た目よりすごいんだ!」 何よそれ?と首を傾げるミラに理星がなんとかフォローをいれる。モルティは構わず部屋の隅にあった大きな火鉢のような物を片手で持ち上げる。 「ほら、力持ち!」 「ちょっと危ないわよ! っていうかそれどれだけ重さあるとっ……!」 「ね、だから大丈夫。ねぇレノの持ち物なんかないの?」 「レノの持ち物ってそんなの腐るほどあるけど……そこのハンカチだって……」 「これ、貸して!」 「え? いやハンカチくらいいいけど……」 どうするのよとミラが言う前に、モルティはニコッと笑顔を見せるとバッと扉を開けて外へ駆け出す。 「いってきまーす! 二人でまってて!」 「えっ……ちょっとまちなさいよっ!」 ミラがそう叫んだときには、扉はバタンと音を立てて閉まっていた。 「元気な子……でも、貴方は追いかけなくていいの?」 保護者とかじゃないのかとミラが理星に問いかける。慣れない人間と二人きりな事に緊張しつつも理星は答えた。 「いいんだ。俺は、ミラに話があるから……」 真剣な様子にミラが首を傾げた。 そして、家の外。モルティが外へ飛び出してきた事に気づいた二人は即座にモルティへと駆け寄る。 「匂い、わかったよ!」 「よし、崖の入り口あたりまでは飛んでいこう。それより先はうまく降りられるかもわからんだろうし……」 「そこからは匂いでさがす!」 「跳躍用にマーキングはした。レノを見つければ、戻ってこれる」 「そうと決まればさっさと村を出るぞ」 サクラがその身を竜へと変えればミラの家に寄った時間など容易く挽回出来る。 が、流石に色々と影響があるのでとりあえず三人は村の外へと走り出す。 それぞれ、特殊な力を発揮するまでもなく体力はある面々はあっという間に村を出る。そこでモルティは姿を狼へと変えて更にスピードを上げる。 そのまま街道を進むと、荒野の続く場所へと出た。ロストレイルから見えた景色から察するに崖まではまだ距離がある。 「俺が竜へと身を変えよう」 あっという間に巨大な竜がその場へと現れる。信心深い者ならそれを不吉と称するかもしれないくらい深い黒の竜。それがサクラのもう一つの姿だった。その瞳に宿る光は間違いなく彼のものだ。 二人をその背に乗せると飛び立つ。その尾が当たった岩が砕けた他は大きな被害もなくあっという間に荒野を飛んで渡る。すぐに三人の視界の先には崖が見えた。 降り立つ場所を見極めるべく、サクラの目が細められる。ギリギリまで崖に近いところにふわりと降り立つと同時にサクラの姿は元の姿へと戻る。 「あっという間だったな」 「ありがと!」 「礼には及ばないが……」 ここからは任せたぞと視線を向けられてモルティはこくりと頷いた。手にはミラの家から持ちだしたレノのハンカチが握られている。綺麗に洗濯されて折り畳まれていたが、しっかりと彼の匂いは残っていた。 ここからは細い道を進まなくてはいけない。レノの行方を探しつつも足下に注意を払わなくてはならないという神経を使う仕事だ。 それでも彼らは素晴らしい早さで道を進む。 「あれ?」 「どうした?」 「匂いがなんだか新しくなってきた」 「新しく? わかった。道をよく見ながら戻ろう」 「匂いがするけど戻るの?」 「あぁ、そういう事か」 彼らは村から崖へと来ている。だが、レノは村と街を往復していた。今までは街へ行くレノの匂いを掴んでいたのが、ここにきて村へと戻るレノの匂いを掴んだと言うことだろう。 ここまで来ればレノはもう目前だった。 「ここ、分かりづらいが崩れてるな」 「降りよう」 「うん!」 モルティは今までの子どものような姿から青年の姿へと身体を変化させる。その間にもハーデはしっかりと岩壁に杭を打ち込むとロープを結んだ。 「おい、生きているか!?」 「レノ!」 「生きてたら返事をしてくれ!」 慎重に、でも急いで崖を降りる。ぱっと見は人影はない。だが、降りたった地面に血の跡がある事に気づく。 そして、それは点々と先へと続いていた。よく見ると地面を擦ったような跡もある。 「こっちか!」 「おーい!」 ――誰か、きてくれたのか?―― 弱々しいが確かな声が岩陰から聞こえた。 ●人と人、心と心 「話って何かしら?」 「えっと……」 ミラは決してキツイ口調ではなかったが、会って間もない人間から話があると言われて意味がわからないという顔をしている。 理星は何とかしなきゃと思いつつも泣きそうな気分になっていた。 「もう、いい大人がどうしたっていうのよ? 話があるっていうなら聞くから、ちゃんと話して」 ミラは少し怒ったように言ったが、理星の態度に何か感じるものがあったらしい。困惑しながらも話を聞こうという態度で彼を見つめている。 「あの、その指輪、大変なものなんだ。竜刻、暴走しそうなんだ。暴走したら、村は滅茶苦茶になってしまう」 「暴走? レノはお守りって言ってたわよ?」 「レノ、気づいてなかったみたい。帰ってきたら、教えてくれる。はず。だけど、レノは今、崖から落ちてしまってる」 「はっ?」 ミラの顔から血の気が引いていく。何を馬鹿なことを言っているのとその口は言うが、帰りの遅い事が事実だと示しているのではないかと 「今、みんな助けにいってる! だから、大丈夫、大丈夫なんだけど!」 「そんな、そんな馬鹿な……そんな事っ!」 狼狽えるミラに理星は一生懸命に落ち着いて聞いてと頼む。 「俺、誰にも死んでほしくない。みんな幸せになってほしい」 だから、お願いだから信じてくれ、指輪を渡してくれと必死に理星は言い募る。 詐欺師か何かか。そんな目でミラは理星を見つめる。その視線に少し挫けそうになるが、理星は更に続けた。 「俺、レノとミラにちゃんと再会してほしいんだ」 真摯に訴える。 「俺のとーさんとかーさん、敵同士だったけど、誰にも負けねーくらい愛し合ってたし、いつも幸せそうだったから。レノとミラにもそんな風になってほしいから、だから……あの、その、ちょっとだけ俺たちのこと、信じてほしい、な……って……」 ミラはじっと理星を見つめた。目をそらしたくなるが、ぐっと堪えてミラの目を見つめ返す。 「………」 「……わかったわ」 「え?」 「貴方、悪い人ではないみたい。レノや指輪の話が本当かは正直言うと信じられない。だけど、貴方が本気でそう思ってるってのは伝わったわ」 だから、レノがこれ以上、私を待たせると言うのならこんな指輪ぶん投げてあげるとミラは笑った。 「でも、もう少しだけこのままでいいかしら? 夜が来る前まで、貴方の仲間がレノを見つけてきてくれるくらいまで」 すぐに助けてくれるんでしょうとミラは指輪をぎゅっと握りしめて言った。 「うん、間に合う。きっと全部間に合うから……」 ありがとう。そう言って理星はミラに心から微笑んだ。 ●帰るべき場所へ 皆が急いで岩陰に駆け寄ると、岩にもたれかかって息も絶え絶えの青年がいた。 「お前がレノか? 私は旅の薬師だ」 「はい……たすけですね……」 レノは崖から落ちたにしては運の良い状態ではあったが、骨折や頭部に近い部分での怪我のせいか出血も多く、ひどく体力を消耗している様子だった。 ハーデの呼びかけにも答えるが、呼吸は荒く苦しそうだ。 「傷は……裂傷と骨折か? 血止めは出来るが……医者が要るな」 てきぱきと傷の具合を彼女は見てみるが、状況はやはり芳しくないと判断したようだ。傷口を消毒し包帯を巻いていく。しかし、このままだと移動させるにも心許ない。 「俺に出来るのは、大地の力集める」 モルティがトラベルギアのナックルを利用して治癒の光をレノへとかざす。わずかにレノの呼吸が整う。ハーデはその様子に少しホッとして応急処置を進める。せめて村へと帰るまでの生命力が欲しかった。 その様子を見つめていたサクラも続く。 「人間として生きるって決めたのは俺だが……まア、今日くらいは竜の力を大盤振る舞いしてやるよ、人間の幸せがかかってるわけだからな」 普段なら決して使わなかったであろう自分の竜の力。だが、それを使うことを今は躊躇わなかった。竜の魔力は速やかにレノに作用する。 じくじくと滲み出ていた血の流れが止まっていき、規則正しく彼の鼓動は波打った。 「俺らはお前さんの竜刻を回収しにきたんだ」 「竜刻……ミラの……」 「あぁ、わかってるなら話は早い」 「帰ろう。待ってるよ」 「それでは、目隠しをさせてもらう」 用意してきた布を彼に巻き付けながらハーデは話し続ける。 「不安だろうが、今から崖を上る。お前が恐怖で暴れると私達毎落ちる。だから崖を上りきるまで我慢しろ」 淡々と話すその様子に、レノは返って安心したらしい。わかりましたと頷く。 「任せて」 大人の姿のモルティがそっと、でも軽々とレノを担ぎ上げる。ゆっくりと揺らさないよう気をつけながら崖を登る。 「あとは、村まではあっと言う間だ」 「もう少しだけ頑張れ」 サクラもモルティも口々に彼を励ます。ありがとうと答えるレノにそっとハーデが治療用の催眠スプレーを彼に吹きかける。 すぐに帰るためだ。彼が眠ったことを確認すると、ハーデはテレポートをしようと言う。 「村のはずれ、草の茂みの辺りにマーキングをしておいた」 「何かごそごそしてると思ってたら、この準備だったわけか」 「びゅんって帰れるならそれが一番!」 ハーデは頷くとそのESP能力を最大限に発揮する。他の二人が何が起こったかもわからぬ内に、一同は村まで舞い戻っていた。 「さて、大急ぎで走って帰ってきたようなフリだな」 「怪我ももっとちゃんと治さなくちゃ!」 「医者はこの村にいると言っていた、シグ先生とかいうらしい」 それじゃ俺が呼んでくるから任せたとモルティはレノを二人に渡すと、村の中へ走っていく。 残された二人もミラの家へと急ぐ。 「ミラはお前か? レノだ!」 家に着くなりノックをすると、返事は聞かずに扉を開け放った。 家の中にいたミラと理星はびっくりして座っていた椅子から飛び上がる。 そして、ハーデの後ろに立っている者の姿を見てまた驚く。 「レノっ!!」 「医者を呼びには行かせてるが、大事な彼氏はどこに運べばいい?」 「こっち! ベッド……」 ミラは理星と話していたおかげで、驚きはしたがすぐに対応を始めた。奥の寝室へとサクラを導く。 サクラはそっとレノを横たわらせると、看病は任せたと寝室を出る。 「清闇さん……」 サクラの姿を見て理星がへたりとしゃがみ込む。 「……よく頑張ったな」 サクラが優しく彼を労うが、理星はホッとしてすっかり気が抜けてしまっていた。安心したあまり目から涙があふれ出す。 いつも自己評価の低い弟分の奮闘がどんなものだったかサクラには判らなかったが、懸命に頑張ったのだろうということだけはわかり、微笑ましい気分で彼の涙が止まるのを待った。 ●とかれぬ魔法 それから、すぐにモルティが呼んだ村唯一の、でも確かな腕を持つ医者の治療をレノは受けられた。 四人は居間の小さなテーブルの前で経過を待つ。やがて出てきた医者は穏やかに言った。 「命の心配はない」 全員それは信じていたが、医者からその言葉を聞いて微笑み合った。 医者を見送るとミラはありがとうと一同に頭を下げる。 「ううん、よかったね」 「レノは…ミラに不幸の指輪を渡してしまった、捨てなければとそれだけを気にしていた。私が捨ててくるから、お前はレノの傍に」 「あ、それをしにきたのよね、貴方達。理星さんとも約束だったし、さっきレノにも言われたわ」 まったく、そんな危ないものをほいほいプレゼントにしちゃうなんてとんでもない男よね。とミラは笑って竜刻の指輪を差し出す。 その手には別の新たな指輪がはめられていることに全員が気づく。 「うん、こっちもらったから大丈夫。何も気にすることなんてないの……」 頬を染めながら笑うミラは本当に綺麗に見えた。 「あのね、レノが治ったら……貴方達、結婚式に来てくれる?」 ミラの家を出ると、すぐに指輪にタグを貼り付ける。これで任務完了だ。 「結婚式だって! ごちそうとか食べられるかな?」 「ごちそうはあるだろうが、結婚式はロストレイルを動かす口実になるのだろうか?」 「わからない……」 「まあ……行けたらいいな」 結婚式の招待を受けた一同はどうなるかわからないが、どこにいようと二人の幸せを願おうとだけ思った。 せっかく助けることが出来たのだから、出来るなら幸せになってほしい。 「おまえたちの行く末に精霊の加護があるように」 その声に答えるかのように、どこからか白い花びらがひらひらと二人の家へと舞い落ちていった。
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