公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「この間来た時より、随分狭いんだね?」 「この間? ……そうか、君はいつぞやの」 ユーウォンはいつも肩に提げている鞄をソファにぽすりと置き、久しぶりに足を踏み入れたこの部屋の小ささに首を傾げた。 「あの時おれの鞄に入れた荷物をぜんぶ並べるだけでいっぱいになりそうなくらい狭いや、ふしぎなところだなぁ」 ナラゴニア来襲における戦火の折、避難場所として扉を長く開ける状態にあったこの部屋を覚えているユーウォンは街中から運ばれた荷物や集まった避難民でいっぱいの光景を瞼の裏に思い浮かべ、やはり不思議そうな仕草でソファの空いたスペースに腰掛ける。 「ふしぎ……そうだなぁ、ふしぎなところ」 「何が不思議なんだね?」 「全部、かなぁ。おれにはどうしてこの部屋があるのか、よくわからなかったんだ」 この部屋が普段どのような役割を果たしているかについてぼんやりとは知っていたが、『何故』その役割が必要だったのかは、ユーウォンには分からなかった。 自らの内側に留めておけない秘密を吐き出し、ある者は向き合い、ある者は置き去り、ある者はその姿を認め再び飲み込む。ニンゲンが何故そのような行為を必要とするのか不思議でならなかったし、勿論自分がそういう部屋に再び足を向けようとするなんて思わなかった。 「でも、今は少しわかる。確かめたいのかな、みんな」 「……そうか、それもまた一つの秘密に対する真摯な回答だ」 「うん」 ある一つの……一つというより、もやもやと形を成しかけている曖昧な大きさの考えが、ずっとユーウォンの中に在った。それはニンゲンの価値観に照らし合わせればあまり好ましいものではないかもしれない、だから誰かに話すことははばかられる。この考えをこれ以上黙っていることそれ自体が、ユーウォン自身にとってストレスになっているような気さえしていた。 「しんどくはないんだ、でも」 ただ、少し哀しくなることがある。 小さな呟きに込められた思いは、迷いながら言葉を選びはじめた。 ◆ ニンゲンの不幸せって、何が原因なんだろうね? おれは今まで、生きるのに厳しい環境が不幸せをつくってると思ってた。思ってたっていうか……おれの居た世界ではだいたいそうだったから。昨日までなんともなかった地面が急に割れたり、安全に食べられるはずの作物が毒を持ち始めたりさ。 そういうのって、ニンゲン一人じゃどうしようもないんだ。みんな得意なこと不得意なことが違ってて……家を直せるけど作物の育ち方は知らないとかさ。だからヒトが大勢集まって、それぞれ出来ることをやって、みんなでみんなを守るように暮らす。それが出来ていれば、ニンゲンは幸せだと思ってたんだ。 だけど、覚醒してロストナンバーになって、いろんな世界を見て……いろんなヒトに会ったら、そんな簡単な話じゃないぞって思うようになったんだ。 ヒトは生きるとき、どこかで必ず誰かの不幸せを生むんじゃないかなぁ。生き物が生きるとき、食べるために必ず何かの命を奪っているのと同じで。 ヒトが大勢集まる大きな街ほど、そうやって生み出された不幸せがたくさんあるよね? 自分が生み出したのと同じだけの不幸せを受け取らなくちゃいけないならそれでもいい、それが自然だって思えるんだけど、おれが見てきた街は、ヒトは、そうじゃなかった。 一人が生み出す不幸せは小さいかもしれない。一人分だけなら笑って許せたり、すぐに解決出来るかもしれない。でも、大きな街で、同じような不幸せを生み出すヒトが集まったら、それは大きな、毒みたいな不幸せになって、その街の弱いヒトたちに向かっていくんだよ。運が悪いのもあるかもしれない、でもそれだけじゃなく、なんていうか。 おれがおかしいなって思うのは、そんなヒトたちを見てみぬふりするヒトがどこにでも居るってことなんだ。まるで、不幸せを引き受けちゃったヒトと関わったら自分にも不幸せがやってくるに違いない、そう思ってるみたいに。 自分が生み出した不幸せがどこの誰に向かっていったかなんてちっとも気にしないのに、自分の幸せは自分のものだから手放さない。それってすごく哀しくて寂しいことだとおれは思うんだ。 ニンゲンはきっと、ほんとならみんななるべく幸せに暮らせたらいいなって思ってると思う……思いたいのかな。だけど生きてる以上、自分の都合ばかり考えることなんか出来やしないんだ。だから他のヒトから不幸せを受け取ることにちょっとだけ優しくなって、自分が生み出した不幸せはなるべく他のヒトに向かわないように……そんな風に暮らしていくことは、出来ないのかなぁ? 不幸せは嫌だよ。それはおれにもすごくわかる。 不幸せを押し付けられるのも押し付けるのも、嫌なことだよね? なのに、誰もそれをやめることが出来ないんだ。 いいニンゲンも居るけど、どうしてか全員が変わることは出来ない。まるでおれの居た世界の変化みたいに、一人だけじゃどうしようもない大きな力が働いてるみたいだ。 おれは……ニンゲンじゃなくて良かったなぁ。 ◆ 「……ニンゲンじゃなくて良かったなぁ」 最後にぽつりと漏らしたユーウォンの呟きには、ニンゲンを見下し蔑んだようなものではなく……ただ違う種族への驚き、何故という純粋な疑問、そしてその周りには少しの哀しみ、そんな雰囲気を纏っていた。 「ついつい、そんな風に考えちゃうんだ。えらそうで嫌だなぁ」 「君は、優しいね」 「……そうかなぁ」 ヒトを憂うユーウォンの眼差し。純粋な好奇心や疑問を持つ心のありようを表したようなそれを格子窓越しに感じたのか、告解を受ける者のかけた言葉はどこか親しげであった。
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