公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「いやはや、眠くてたまらんでござる」 2mはあろうかという大蛇・チャルネジェロネ・ヴェルデネーロはのったりと欠伸混じりに呟いて、告解室……格子窓の手前側に用意された一人がけのソファ、その足元にぐるりととぐろを巻いた。頭は肘掛けにちょんと乗せ、ひとりごとのように呟きを続ける今も眠りに落ちそうなとろりとした表情を見せる。 「ここはなかなかどうして昼寝に向いてそうな場所でござるな、狭い場所も侮れんでござる」 しゅるりと舌を出し入れし、心地良い室温に納得したのかうとうとと目を閉じ夢見心地のチャルネジェロネ。 「……そういえば、使い魔のスィルとヤフは買い物に出かけてござった。此処には拙者一匹のみでござるな」 いつもチャルネジェロネの周りをちょろちょろちょこまかとついて回る二匹の使い魔は今、居ない。この部屋はあくまで、チャルネジェロネ一匹のために今開かれている。 「ちょうどいいでござる。二匹がいないのをいいことに拙者、いらぬ寝言を言ってしまうやもしれぬでござるが……他言は無用にござる」 ◆ 拙者、先日フライジングなる異世界に行ってきたでござる。 迷宮に足を踏み入れた者に幸福な夢を見せ、生命力を奪い取るといういやらしい迷鳥の居るところでござった。 勿論、拙者も夢を見たでござるよ。 拙者がまだこの身体になる前……そう、拙者が『ジェロネ・ヴェルデ』と名乗っていた頃の夢でござった。 拙者、今でこそチャルネジェロネ・ヴェルデネーロという名でござるが、それはかつての相方『チャルネ・ネーロ』が亡くなった際、名を継いだゆえでござる。その相方が夢に出るとは思いもしなかったでござるよ。 あれはまこと不愉快な夢でござった。チャルネが生きていたことを知っているのは、神話が書き換えられたことを知っているのは拙者だけでござるからな。チャルネにとって辱めもいいところでござる。 ……神話は、神が死んだらはいさようならと消えてなくなるものではござらぬ。二つは一つに統べられるのでござる。そうして拙者はこの緑色と黒色の身体となったのでござる。 しかしそれも無理な話にござる。元々は二柱の神が担っていたものを、無理に拙者が、一柱だけが担うのは難しいのでござる。チャルネの名を継いだとはいえ、所詮は一柱ぶんの働きしか出来ぬでござる。……まぁ、だからこそ拙者はしょっちゅうこうして寝ているでござるが。魔力の根源である蛇神とはいえ、一切合切が無条件に底なしということは決してないのでござるよ。二柱だからこそ魔力の根源として無事に在ることが出来たのでござる。 チャルネがあの世界に居たことを知っているのは拙者だけにござる。 蛇神の神話が元は二つあったのを知っているのも拙者だけにござる。 だから拙者は果たすべき責があるのでござる。 ……いつか、スィルとヤフに、拙者が百年背負ってきたものを引き継がせる時が来るでござる。二つであったものが一つに統べられ、また元の二つに戻るだけのことにござる。ごく当たり前の、自然なことでござる。 黒の蛇神と、緑の蛇神。 その二柱に、戻るでござるよ。 ◆ 「……ふむ、どうも寝言を言いすぎてしまったようでござる。眠りが浅いのも困ったものでござるな」 チャルネジェロネは閉じるにまかせていた瞼をゆっくりゆっくりとこじ開け、伸びをするようにぐいと頭をもたげた。 「わけの分からぬ寝言に付き合ってくれてすまんでござる、何処のの何方かは存ぜぬが感謝するでござる」 「寂しいかな?」 それまでただ黙ってチャルネジェロネの話を聞いていた告解を受ける者が、見送りの言葉のようにそっとチャルネジェロネへ問いかけた。チャルネジェロネはとろりと眠そうな瞳を格子窓に向けると、喜怒哀楽のよく読み取れぬ表情でぽつりと呟く。 「……どうでござろう? スィルとヤフが蛇神として一人前になることは手放しに喜ばしいことでござるが」 おっと拙者は手が無いのでござった、などと軽口をたたき、チャルネジェロネはまたしゅるりと舌を出す。 __拙者の寝床に落ちて来るようなうっかり者が、蛇神になるでござるか 過ぎる月日、振り返って初めてその道程の長さを感じることが出来る。 チャルネと一柱になって過ごした百年と、スィルとヤフがまた二柱に分かたれる百年は、果たしてどう違うのだろう。 神話の秘密は、誰も知ることなくまた書き換えられる。
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