その店を訪ねるには、世界図書館から向かうのが恐らく一番判り易い。 不案内な者なども、いい加減な地図を頼りに右往左往と彷徨って、何処を歩いたとも知れぬうち、いつの間にやら着くという。 そんな胡乱な道の果てにある、これまた胡散臭い古びた日本家屋。 よくも名付けし『白騙』の屋号、その看板を認め、がらがらと木戸を開けた途端――薄明かりに照らされた怪しげな調度や人形、楽器に掛け軸、反物、面、梟の置物、武器と、仕舞いには使途さえ判然としない、得体の知れぬ古今東西種種雑多――床、壁、天井、果ては戸口の境すら曖昧に仕立て上げる骨董品の数々が、客の視界を一編に埋め尽くすことだろう。 その異様の所為なのか、人気も音もない店内が、なんだか騒々落ち着かない。かと思えば、市松人形を乗せた黒壇箪笥の陰から――あろうことか、面の割れた白髪の黒鬼がこちらの方を覗き込んでいるではないか。「――ああ、いらっしゃい」 果たして穏やかに客を出迎えたそれは、よく見れば凶相の黒鬼などではなく、割れた鬼面で半ば顔を覆った、着流し姿の優男だった。 彼の名は、槐。知る人ぞ知る骨董品屋『白騙』の主である。「何かお探しなら――見ての通り足の踏み場にも困る店です――どうぞお申し付け下さい。その他、鑑定や引取り、修復なども承っていますから、こちらもお気軽に」 軒も構えも屋号も品も、全て怪しいこの店を態々訪ねる怪しい客は、器物に纏わる怪しい逸話を、怪しい店主と語り合う。 自ら望んで曰く有り気な品を買い求めたり、あるいはひょんなことから手にした珍品を持ち込んだり、はたまた壊れてしまった愛用品を思い出と共に蘇らせるべく訪れる傍ら、それらに纏わる物語を槐から聞いたり、逆に語り聞かせたりするのである。 商談として、あまり効率は宜しくないが、当の槐も興が乗ると饒舌になる辺り、満更でもないのかも知れない。「さて、本日は如何いったご用向きでしょうか」 ご期待に添えるか如何かは、判りませんけれど――商売気があるのかないのか、槐は決まってそう結ぶ。鬼と人、其々の眼を細めて。●ご案内このソロシナリオは、骨董品屋『白騙』を訪れた参加PCさんが、売買などの取引を通して「物品の由来について槐と語り合う」場面が描写されます。店内にある曰く付きの骨董品か、PCさんの持ち込んだ品が対象となります。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・購入・鑑定(売却)・修復の中から目的をひとつ・取引する物品の形状・物品にまつわる逸話、または思い出を必ず書いて下さい。!注意!実用的な特殊効果が主体となる物品は扱えません。トラベルギアや過去に【朱妖白語】で回収された付喪神もこれに含みます。
その日、薄暗く雑然とした店内をそろそろと見て廻るのは、如何やら洒落者であるらしい。彼女は和装の着こなしも粋で実に小慣れたものであり、また視線の先や足を留める品々は、何れ劣らぬ胡乱な逸話の類いこそ付き纏いはしたものの、同時に通ならば紛う方無き逸品ばかりだった。 「中々のお目利きのようで」 「幼い頃から学ばされたから」 鬼面の男の問いとも呟きともつかぬ言に、偶の若い女性客は何処か翳のある聲音で応えた。其の理由は語らぬ侭、続く台詞により複雑な背景を窺わせる。 「遊郭で過ごしていた時も、良いものばかり目にしていたから……」 だから物を見る目には自信があるの――そう結ぶ娘の瞳は鮮やかな紫色をして居るのに、とても儚い。槐は只「成る程」と短くも穏やかに相槌を打つと、邪魔をしたとでも云わんばかりに一先ず沈黙する。娘――華月もそれきり口を噤み、暫しの間白騙に静寂が訪れた。 華月はやはりと云うべきか、簪や櫛、反物等に良く気が付き、世辞にも整頓されて居るとは云い難い数多の骨董古着の中からそうした物ばかり目聡く見つけ、また見抜く。一方で其れは、彼女の造詣の向きが特に装飾や衣類に対してより顕著である事を示しても居る。 「素敵……」 ほう、と溜息混じりに見上げるのは、此方に背を向けて飾られた黒地に月と花、番いの蝶が戯れる様を描いた図柄の着物。襟元にも蝶紋があしらわれている。色味に反し華やかで、とても派手な印象。吸い込まれそうな程美しく。 「其方は平家由来とも、織田家縁の物とも謂われて居ます」 「……複雑なのね」 「ええ。でも、実際は単純なのかも識れません」 店主の何やら怪しげな注釈に頷き、華月は其の更に上を見た。視界の隅に梟の置物が留まるのは仏壇に似た化粧箪笥。鏡を経て台に視線を移せば、ぽつんとお供えの様に薄紅色の乙女椿が鎮座していた。 「どうぞ、手に取ってみて下さい」 鬼面は九十九の向うより此方が見得て居るかの如く、度々聲を掛けて来る。細工物であることは触れる迄も無く識れたが、精緻にして優美、千重咲の愛らしい存在感を見事に象った其れは、今しがた落椿したばかりの花そのもの。 「綺麗ね」 華月は赤子を抱く様に乙女椿を両手で持ち上げ、そうっと胸元へ寄せる。見れば見るほど愛おしく、笑顔を齎した。人の身に咲かせるのは惜しくさえ想う。 其処へ何時の間にやら席を立った槐が歩み寄り、「ハイカラですね」と微かに口元を緩めて語り掛けた。鬼面とひとつところに在り乍ら、素顔は凶相と常に懸離れて居て、其れがこの店主の胸中を掴み難くしている様な気がした。 「西洋では椿を象ったブロオチを特にカメリアと呼んで、女性の礼装に用いる事が多いようです――尤もこれは正真正銘日本製の、しかも髪飾りですけれど」 「私も今度……髪飾りか耳飾りでも作ってみようかしら」 客の呟きに、ほう、と店主は小さく感嘆の聲をあげる。 「細工物をされるんですね。是非拝見したいものです」 「そんな……只の手慰みよ。骨董品屋さんになんて見せられたものじゃ……」 俯いて「恥ずかしいわ」と頬を染める華月に、槐は笑い乍ら茶を勧めた。 乙女椿を据えた帳場の台を挟み、客と主は軽く喉を潤す。好く冷えた煎茶だ。 「失礼乍ら、其方の髪飾りは――」 ひと心地ついた華月に訊ねられたのは、細やかな黒髪を飾る、可憐な揚羽蝶の事。客が見初めたのが髪飾りであれば興味を抱くは必然だろうか。 「相当見事な物とお見受けしますが……華月さん御自身の作でしょうか」 「私が……? ふふ……まさか」 華月は儚い微笑を浮かべ、「未だ無理よ」と小さな聲で付け加えた。謙遜の様な事を云って居るのに、面はなんだか強がった泣き虫の笑顔の様で傷ましい。 「これは…………大切な人から、貰ったものなの」 ぽつりぽつりと涙の如く、華月は記憶の雫を落としてなぞる。 去りし日にたなびく黒髪。黄昏を映す淡い澄んだ蒼い眼。 身を鬻いで尚純粋さを失くさなかった、健やかに強く美しい、友の事を。 揚羽――華月にとって唯一無二の親友。 髪飾りをくれた時、無邪気に笑って居た。 ――お揃いよ。 綺麗な横顔。華月と対いの蝶を何度も向けてはしゃいだ。 彼女との結びつきが深くなった気がして、嬉しくて。華月も一緒にはしゃいだ。 「今想えば……如何してこんな高価なものを買えたのか、解らないけれど……」 買ったので無いのなら、熱を上げた客が貢いだ物。彼女の様に人気を集めた花魁となれば、良くある話ではあるのだけれど――そんな風に考えても居た。 だが――何も映らぬ瞳。身売り。気狂い。見初めた豪商。絶望。その後――私が識らない。息子。身請け。壊れた。髪飾り。私まで。揚羽の――変わり果てた姿。護り手。望み。麗蒼楼一の。指。いのち。心は失くなった――――。 「お気を確かに」 「っ」 此処は骨董品屋白騙の帳場。静かな騒めき。湯飲みは――未だ持った侭だ。取り敢えず零して居ない事を識り、華月はほっと息を吐いた。 「……大丈夫ですか」 「え? え……!?」 槐の聲が真横から響いて、今度ははっとなる。店主は客の様子を慮って有事に備えたのだろう。だが、間近に殿方が在る事を一度意識してしまった華月は瞬く間に耳まで熱くなるのを感じ、ぎくしゃくと身を引くので精一杯だった。 「あ……あ、あの、その」 「ご気分が優れないのでしたら、図書館迄お送りしますよ」 槐も察したのか、やや退いてゆっくりと云った。お陰で少し頭が冷える。何処迄話したのか、話して無いのかも覚えて居ない。只、揚羽を想い出して居て。其の事が痛くて堪らなくて、それで。 「……ありがとう。大丈夫、です」 「差し出がましい事を」 伏目がちに己を省みる店主に、華月は頭を振って無事を伝えた。 「お詫びに僕からも少し話をしましょう」 再び向き合い居住いを正した槐は、徐に語り出した。 「ご存知かも識れませんが、蝶と云うのは古くから魂の化身、或いは仏の御使いと謂われて親しみと共に尊ばれ、畏れられて来ました。同時に紋様や意匠として使われる事も非常に多く――更には番いの象徴とされることも屡です」 華月はきょとんとし乍ら、取り敢えず黙って耳を傾けた。物静かな店主の饒舌振りに些か面食らったのかも識れない。 「では、魂とは何でしょうか。数多の世界において、其れは人の心の具現化に他ならない――ならばこうも考えられる筈です。蝶の番いをふたつに別って所持すると云う事は、即ち互いの心を傍に置く事……と」 「――、」 華月は目を見開き、ゆっくりと撫でる様に髪飾りに触れた。彼女の輝きも痛みも過去のものでは無く、未だ鮮烈で。其の心にいつも触れて居るから、 「……そうよ」 だから、忘れられない。忘れてはならない。 「私にとって何よりも大切で……掛け替えの無いものなの」 華月の笑顔はやはり儚く、けれど嬉しそうで、歳相応の輝きを宿して居る。槐は只「そうですか」と、鬼面の下で温かく応えた。 「買うのは、また今度にするわ」 引き戸の前でふわりと振り向き、華月は「御免なさい」と頭を下げる。 「いえ、構いません。またいつでもお越し下さい。……年月を経た椿は妖になるとも謂われて居ます。其れを象った髪飾りも、あまり間を置いてしまうと如何なるか判りません。くれぐれも、お気をつけて」 「まあ…………ふふ」 店主の奇怪なる見送りが可笑しくて、華月はつい笑ってしまった。
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