オープニング

『ジャンクヘヴンからの要請だ。ガルタンロックの動きを暫く封じられる様、接触してきてくれ。手段は任せる』
 ブルーインブルー行きのチケット四枚と資料を並べると、何時も通りアドは看板の上に立ち簡素に依頼内容を告げる。
 列強海賊の一人、<血の富豪>ガルタンロック。
 彼に直接会える機会が、訪れた。
『ブルーインブルーでは近々、「海神祭」と呼ばれる大きな祭りがある。ジャンクヘヴンにも観光客が大勢集まり、その中には、海上都市の有力者や富豪たちも多い。その機会に合わせて大商人様は〝オキャクサマ〟と会談を設ける為、ジャンクヘヴンに所有している城に滞在する。城の場所まではつきとめているので、その城に乗り込むんだ。ガルタンロックと直接話しても良いし、ちょっとした騒ぎを――多少ハデに暴れてきても良い』
 看板の文字と手元の資料を見比べ一人の旅人が言う。
「……城の場所がわかっていて、ジャンクヘヴンは何もしなかったのか?」
『うんにゃ、ジャンクヘヴンもそこまで無能じゃねぇさ。裏取引や奴隷売買、あの恐ろしい見せ物の情報だってちゃんと手に入れて何度か踏み込んでるんだが、決定打になる「証拠」が無くてどうしようもできなかった』
「手堅いねぇ、何度か踏み込まれてもその城を使っているって事は」
「自信があるんだろうよ。やれるもんならやってみろ、ってな」
「ジェロームと全面的にぶつかりそうな今、ガルタンロックには大人しくしていて欲しい、ってのはわかる。二面戦争は厳しいもんな。でもこの、話し合いでも良いし闘っても良いってのは随分と両極端だけど、これが時間稼ぎになるのか?」
『ガルタンロックは〝世界図書館〟の存在をうっすらと認識してるが、まだ確信が持てていない。ここで俺たちが手を出せば、ガルタンロックは警戒して暫く大人しくなる……筈だ』
「不確定要素がはっきりとして、様子を見るようになるって事ね。商売人故の堅実さってやつ?」
「売り上げ優先の<血の富豪>ってコンビニ店長みたい」
「確実にガルタンロックとだけ接触できる時は?」
『二回だけチャンスがある。〝一日の中で尤も多く柱時計の音が響く時間に、天井から太陽光が真っ直ぐに落ちる書庫〟もう1つは〝窓から三体の大石像と海の見える部屋でのティータイム〟。詳しい場所や時間は……』
「直接捜せ、ってんだろ。ヒントがあるだけ今回は優しいな」
「あ、あのアンドレィ・ロゥって男はいるのか?」
『そりゃいるさ。暴れたらコイツとやり合うのもあるだろうよ』
「って事は、へたに暴れればチャンスを無くす場合もある……か」
 話し合いできる時間があるのなら穏便に話し合うべきだ。約束を守るとは思えない。多少力任せでも警戒させないと時間は稼げないんじゃ? それじゃぁ海賊と同じじゃないか。
 多種多様な旅人達の意見は混ざり合い、時にぶつかりあう。
『ぅおーい。わかってるとおもうが、一応言っておくぞ。何が正しいのかなんて誰にもわからねぇよ。今のように、みんな違う意見がある』
 この場にいる誰一人<血の富豪>ガルタンロック本人に会った事はなく、良く知らないのだ。今までの依頼や話に聞いたイメージだけでは、話し合いで解り合えるか、ちょいと脅せばいいのかも意見が分かれる程に。
『だから、行く事になったヤツがどう接触しようと誰も文句は言わねぇよ。自分が言いたい事を、したい事をしてきていいんだ』
 旅人達はまた資料に目を落し、各々思いつく事を話し合う。
『さ、誰が行く?』


品目長編シナリオ 管理番号1236
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメントこんにちは、桐原です。
ブルーインブルーへのお誘いに参りました。

長編ノベルとなっております。チケットをご確認ください。
プレイング日数が5日になっております。


今回の旅は列強海賊<血の富豪>ガルタンロックと接触できます。OPにあるように力押しでも会話でも、お好きなようになさってください。
ただし、今回は注意事項がございます。

ガルタンロックは会話の中から相手の望む事をくみ取り、惑わしてきます。アナタがもし、心の片隅に不安や叶わないかも……という淡い望みがあるのなら、彼はそれを敏感に読み取り、誘惑してくるでしょう。
最悪の場合、アナタの心は支配されアナタは彼に従う事を選ぶでしょう。それは、世界図書館の元を離れ、然るべき時まで海賊と共に行動をする、という事です。
どうぞ、お気をつけ下さい。

アンドレイ・ロゥは大小問わず騒ぎを起こした場合と、ガルタンロックに襲いかかった場合でてきます。アンドレイや城にいる海賊達はそれなりの強さを持っています。あまりに無謀な行動を取った場合は彼らに取り押さえられ、捕虜となってしまいます。
今回戦えるのは部下とアンドレイ・ロゥだけで〝ガルタンロックとは戦えません〟ご注意ください。



それでは。
いってらっしゃい!

参加者
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
三雲 文乃(cdcs1292)コンダクター 女 33歳 贋作師/しょぷスト古美術商
ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127)ツーリスト 男 27歳 精霊術師
ドアマン(cvyu5216)ツーリスト 男 53歳 ドアマン

ノベル

 漆黒の衣服に身を包む女性が机の前で足を止めると、彼女とは対照的な真っ白い獣がふわりと尻尾を揺らした。顔の半分を覆い隠す黒いレースのせいでと彼女の表情を伺うことは出来ないが、ゆっくりと動く唇や俯きがちなその姿勢から彼女が机の上にいる世界司書アドへと話しかけている事はわかる。唇の動きが止まるとアドは顔を上げ小さな紅い瞳に彼女――三雲文乃を映した。
『……あの〝モデル制作〟の依頼を受けたのは他でもないお前じゃねぇか。全てを見て、知っている筈だぜ? 今更何が知りたいってんだ?』
「確かにわたくしは〝モデル制作〟の依頼を受け、イライザ様ともお話しさせていただきましたわ。あの出来事も大方の予想は付いております。ですが、はっきりと誰かの口から答えを聞きたい。自分の考えに間違いがないのだと確認したい。そう思うのはおかしな事ですの?」
『いや、おかしくはねぇけど……』
 ぽりぽりと頬を掻き、どこか困ったように首を傾げるアドを三雲は口元に微笑みを浮かべたまま見続ける。何かしらの答えを貰わない限り帰りそうもない様子にアドは小さな溜め息を漏らした後、辺りを見渡してから話始めた。
『……〝モデル制作〟の依頼にて海軍に捕獲させるつもりだった絵師イライザは調査の結果ロストナンバーだと確認された。イライザを保護すべきかどうかもあったが、依頼内容を優先しまずは海軍にイライザを捕縛させる道を選んだ。そして、海軍が乗り込んできた時、イライザは忽然と姿を消した』
「わたくしを含め四人のロストナンバーが見ていた中で、何の行動も気配もなく姿を消しましたわ。そして、その場にいた観客や乗り込んできた海軍すら絵師の存在を忘れてしまった。まるで、最初から絵師など居なかったかのように全ては終わり、報告書が制作された……」
『なんだ、やっぱりわかってるんじゃねぇか。ロストナンバーであれば誰でも、いつかは訪れるだろう消失の運命……絵師イライザが忽然と姿を消したのは出身世界からその存在が抹消され、丁度その瞬間が海軍が乗り込んだ時だったんだろうよ』
「ですが、まだわたくしは彼女を覚えておりますわ」
『そりゃ、ロストナンバーだからな。消失の運命ってのは誰かが……あぁ、お前がイライザを覚えてるかどうかじゃない。イライザが生まれ育った世界で覚えてて貰わないと、ダメなんだ』
 ぞわっ、と三雲は言いようの無い寒気を感じる。パスホルダーを所持している限り、三雲や0世界のロストナンバー達が消失の運命に見舞われることはない。消失の運命の事を知ってはいたし理解もしていたが、それが目の前で、実にあっさりと消えてしまった事実に、説明しようのない感情が心の奥底に燻り出す。
「わたくし達以外でイライザ様を覚えている人はおりませんの?」
「どう、だろうなぁ。もしかするとガルタンロックは覚えているかもしれねぇな。イライザの存在は消えても、居た記録は残ってんだ。あの絵や、ショウをした記録と取引目録。あのガルタンロックなら不思議に思って調べてるかも、しれねぇな』
「絵が……残っている……」
 そう呟くと三雲は深く考え込みだした。三雲の考えが纏まるまでアドはゆらゆらと尻尾を揺らし、待ち続けていた。



 肩で風を切るように廊下を歩くドアマンに気が付くと、掃除をしていたメイド達は手を止めドアマンに向かって一礼する。大柄な体躯で姿勢良く歩くその姿は少しばかりの威圧感を、着こなした制服と堂々とした存在感が彼を上司だと思わせ、殆どの使用人は勘違いした。お陰でドアマンは堂々と廊下を歩くことができ、使用人一人一人の記憶の扉を開いて情報を集めるのも滞りなく行えている。
ドアマンはその名の通り、ホテルのドアマンの仕事をしていた。宿泊客が一番最初に訪れる玄関口に時間を問わず立ち、送迎や案内、出入り口周辺の警備等をするのが主な仕事内容だ。
彼の務めていたホテルでは人や亜人の他にも生者死者を問わず多くの宿泊客が訪れる為、必然的にホテルに務める従業員も大勢となり、部署も多く、細かく別けられていた。
種族や部署の違いからくるすれ違いもあるが、同じ職場に務める者同士であっても気の合わない人物はいるものだ。仕事上、どうしても一緒の時間帯に仕事をせねばならない場合、いかにしてその場を離れるか――仕事をさぼるかを考えるようになる。
ここ、ブルーインブルーにあるガルタンロックの城とホテルはとてもよく似ていた。
来賓客を出迎えもてなす執事。厨房で働く料理人と料理を運ぶ給仕、その間を繋げるデシャップと、方々に指示を出すマネージャー。城内を掃除するメイドに荷物の搬入出をするボーイと、庭を手入れする庭師、警備員や傭兵と、他にも多くの人達が働いている。
城の全体を把握する為に何人かの記憶の扉を開いて行くにつれ、気が付いたことがある。ドアマンが働いていた職場と似ているこの城で、いや、似ていたからこそ気が付いた驚きと憧れ。城の従業員が誰一人として、仕事をさぼらないのだ。自分の仕事に誇りを持ち、休みを貰うくらいなら働いていたいと思っている人が多く、主人であるガルタンロックへの信頼も尊敬の念も抱いている。
理想的な職場と環境にドアマンは楽しくなり、本来の目的を忘れ仕事に没頭しかけた事が度々あった為、比較的重要な事は知ったら直ぐにすませるようにしている。ドアマンは使われる予定のない部屋へと入り、共にロストレイルに乗ってきた三人の同行者を思い浮かべながらトラベラーズノートにペンを走らせる。
三雲文乃とヴィヴァーシュ・ソレイユは来賓客として城内に滞在し、ドアマンとは別の方向から情報を集めている。ロストレイルを降りてからリーリス・キャロンの姿はみかけていないが、彼女にも城内の地図は必要だろう。少なくとも、今回依頼に参加した人達は荒事を起こさず、事を済ませるつもりらしい。
城内の地図に加え部屋毎の情報も細かく記入したドアマンは記入内容を指差し確認した後ノートをしまい楽しそうに呟いた。
「さぁ、時間まで仕事といこうか」



「此処にアンドレイ・ロゥって人居るよね。呼んできてくれる?」
 金髪の少女がにっこりと笑いそう言う。
 砂浜と岩場両方の海辺があるその島はガルタンロックの所有物だと、誰もが知っていた。大人であれば数時間で端から端まで移動できそうな大きさの島は、周囲を高い城壁にぐるりと囲まれている。砂浜側に設置された港は来客用として綺麗に整備され、行き交う船も豪奢なものばかりだ。今も来客を出迎えたり見送ったりと使用人達が何人も動き回っている。
岩場の奥、城の背面にあたる岸壁には城へと続く港が設置された洞窟がある。主に商品や使用人達が使う港なのだが、緊急時の脱出ルート警護も兼ねガルタンロックに長く仕え信頼されている傭兵達が常駐する小屋もある。間違っても進入しようと考えるような輩はいないし、道を間違えたとしてもたどり着けないだろう場所にその少女は一人でやってきたのだ。
強面の男達が間の抜けた顔で呆け、可愛らしい笑顔を向ける少女をまじまじと見下ろすが、少女は恐れる事もなくお目当ての人が呼び出されるのを待っている。
呼び出されたアンドレイ・ロゥもまた、まだ幼さの残る可憐な少女の姿を見て、目を丸くした。
「初めまして、アンドレイおじちゃん? 私はリーリスって言うの」
「……せめておにいさんって言わない?」
 少女と視線を合わせるよう、地面に膝をついたアンドレイは苦笑しながらそう言い、少女の肩に手を置こうと腕を伸ばしたのだが、その手は空を切った。かくん、と行き場を無くした力の反動がアンドレイの身体を揺らす。アンドレイは少女の肩に触れるはずだった手を見て、そのまま視線を少女へと向けた。
 少女の肩に手を置こうとしたのはあまり意識していない行動だった。だからといって、目の前にいる少女との距離を間違えたりしない。しかし、少女が動いたような気配も無い。
 この島に来ている以上、たとえ年端もいかない少女であろうとも、主人の招いた客人だ。失礼の無いようにせねばとは思うのだが、こんな場所に来ている事も、一傭兵でしかないアンドレイの名を、顔を知らず名前だけを知っていて、わざわざ会いに来ているという事が、不思議でしょうが無いのも、事実だ。
「ね、私と遊んで? 遊んでくれるなら必要な情報を幾つかあげる。例えば…ジェロームはもう終わった、とかね?」 
「ははっ、お嬢ちゃんと遊んでジェロームの事を教えて貰えるのか? そいつは良い事三昧だ」
 明るい笑顔を向け楽しそうに言うと同時に、アンドレイは手を少女に向けて突き出した。先程とは違い、確実に少女を捕らえるつもりで伸ばしたその手はやはり、何も掴まなかった。アンドレイの腕が少女の真横に伸ばされたままでいると、後ろに居た傭兵達が音を立てて武器を構えだす。
「おじちゃん達じゃ私は捕まえられないし殺せないなぁ。遊んで情報を貰うか無視するか。選択肢は2つだけよ?」
 首を傾げる仕草すら可愛らしい少女がその容姿や仕草とは裏腹に不穏なことを口走る。武器を構えられた時点で、少女は自分が敵と見なされた事を理解しているだろう。その上で少女は言っているのだ。自分の方が強い、と。
 アンドレイも含め、その場にいる傭兵達は多く戦いをこなしてきた猛者だ。人とも、海魔とも闘ってきた彼等は外見で相手を侮ったりはしないが、何故か、少女に襲いかかることができないでいる。強さとも恐怖とも違う、例えようのない意思が彼等の動きを、思考を惑わせる。
「じゃあオマケ。一日の中で尤も多く柱時計の音が響く時間とティータイム……飼い主さんに予定外のお客様があるよ? だからその時間は遠慮してあげる」
 アンドレイ達の戸惑いを察した少女はそう言い、どうするの?問うように首を傾げた。
 未だ多くの疑問や戸惑いがある中、アンドレイは立ち上がると、仲間達に武器を仕舞うよう手で合図を向ける。
「お嬢ちゃんのご指名は俺だけ、だな?」
 アンドレイの言葉に少女は輝くような微笑みを向け、手を伸ばす。
「手、繋いで? ピクニックしよ?」 
 仲間達の戸惑う気配がする中、アンドレイは少女の手を取り、洞窟の外へと歩き出した。
リーリスはアンドレイと手を繋いだまま、でこぼこと突き出た岩の上を飛び歩く。彼女が跳び上がる度、金色の髪はさらさらと舞い、スカートの裾が揺れる。洋服に関して明るくないアンドレイでも、リーリスの装いがブルーインブルーでも滅多に見かけない物であり、それなりに高価な物だろうと察しは付く。
「世界に海魔がいるように、世界には異能者が居て、幾つかの傭兵団を作って依頼を受けて生活してる」
 アンドレイが握る少女の手は小さく年相応だ。柔らかく、キズ1つないすべすべとした手は裕福なイメージを与える。
「うちの顧客はジャンクヘヴンよ。ジェロームはね、ウチのトップと海軍にケンカを売ったの。彼はもう終わりよ」
少なくとも、生きていく事に不自由はないだろう少女が、先程から恐ろしい事ばかり言うギャップにアンドレイは居心地の悪さを感じていた。茶化す事も、手を離して逃げ出す事もできないままアンドレイは静かに少女の言葉に耳を傾ける。
「うちの顧客はジャンクヘヴンよ。ジェロームはね、ウチのトップと海軍にケンカを売ったの。彼はもう終わりよ」
<鉄の皇帝>の異名をもつ彼の名を躊躇いなく少女は言う。このブルーインブルーにその名を轟かせる男を、微塵の畏怖も恐怖もなく呼び捨てる少女がいるなど、アンドレイは想像したこともない。
「うちは依頼がなきゃ動かない。でも臓物絵師とガルタンロックは殺したがってる仲間が居る。だからもし、依頼が入ったら……」
鐘の音が聞こえ、リーリスが空を見上げるとアンドレイもつられた。眩しいほどに輝く太陽と青い空が広がり、鐘の音が海風と共に流れていく。ふと、気が付けばアンドレイの手が軽くなり、リーリスの姿が消えていた。
 何が起こったのかと考えるアンドレイの耳に鐘の音が届く。
――その時間は遠慮してあげる――
 少女の言葉を思い出しアンドレイは砂を蹴って走りだす。
 十二回目の鐘の音が、空へと吸い込まれるように消えた。



 ガルタンロックの城は全てが石材で出来ており、風通しや日当たりを良くする為に殆どの部屋と廊下を遮る物は基本的に設けない。今回の様に多くの客人が滞在する時のみ、入口に布を付けて扉変りにする。賑やかな話し声を背に、ヴィヴァーシュが部屋を後にしようと出入り口へ向かうと、その両脇に控えていた使用人は暖簾のように垂れ下がる布を手に取り客人が通りやすい様にし、頭を下げた。ヴィヴァーシュが廊下へと出るとすぐに布は元通りにされ、廊下から室内は見えなくなる。
今ヴィヴァーシュが出てきた部屋の様に使用中の部屋では扉代わりに天井から布が下ろされている。布きれでも意外と防音効果はあるようだ。数人が話している音は聞こえるものの、ヴィヴァーシュ以外誰もいない廊下は静かなものでヴィヴァーシュの小さな溜め息もハッキリと聞こえた。
 客人は城内を全て、どこでも自由に出入りして良い事になっている。ドアマンが城内のハッキリとした地図や、部屋毎に滞在している客人の特徴、購入予定の商品等の情報を手際よく手に入れてくれたおかげで時間に余裕ができた。ヴィヴァーシュは、とりあえず客人から話しを聞いていたのだが一癖も二癖もある人々の話に少々疲れ、逃げ出してきた所だ。自慢話を聞く事を予想はしていたが、 ひたすら同じ内容を繰り返され、ウンチクを自慢げに語るので質問するが見事にスルーされ、聞き覚えの無い単語を聞き返しても「え、知らないの? ふぅん」で会話が終わってしまう。そして、大変残念な事にどう転んでも有益な情報はなさそうだ。それなら、とヴィヴァーシュは少し早めにガルタンロックと接触できる書庫へと向かう事にした。地図によれば、目的の書庫は地下にあり、ティータイムに使う部屋から見える石像のある中庭からも目的の書庫へと続く道があるらしい。石像と部屋を確認でき、ついでに興味のあった蔵書も見られるという、とても有意義な時間がすごせそうだ。
中庭に向かう廊下もまた、ヴィヴァーシュの知識欲を刺激した。壁から天井へと続く左右対称の彫り物や、寸分違わぬ柱と見るからに手触りの良さそうなアーチ。時折視界に入る絵画やタペストリーは無色の石材にとてもよく映え、美術館を見学しているような気分を味わえた。日の光が差し込む角を曲がり中庭へと足を踏み入れたヴィヴァーシュは驚き、その歩みを止める。
「そういえば、ブルーインブルーでは植物が貴重でしたね。ふむ、流石の大商人も海辺の庭に植物は育てられなかった、と考えるべきでしょうか」
普通に花壇のある庭を想像していたのだが、目の前には石像と噴水、そして見事なモザイクタイルが広がっていた。この世にある全ての石を集めたと錯覚するような、多種多様の石で創られたそれは、絵画と同じ美しさがある。同じ石でありながらも、石は断面によって単色とグラデーションのかかった物とがある。また、大きさによって輝きが変わる為色合いに更なる変化を産み出す。踏みつけるのを躊躇う程のモザイクタイルはいくつもの石像と噴水、そして水槽を囲んでいた。縦横無尽に張り巡らされた水路は足下だけでなく噴水や水槽を経由し、小さな滝もある。水は庭中を巡回しているようだ。
人や生物の石像の他、水槽の中に泳ぐ魚や小さな海魔を模した石像も設置され、説明書きもされていた。機械で整えたかの様な精密さだが、ブルーインブルーの文明レベルを考えれば、これらは全て手作業の筈だ。ヴィヴァーシュが1つ1つをゆっくりと鑑賞しながら庭を歩き回っていると、りん、と鈴の音が聞こえた。辺りを見渡し、音の聞こえた方へと足を進めると、数人の庭師が驚いた顔でヴィヴァーシュを見ている。庭師達はハッとし、急ぎ姿勢を正してヴィヴァーシュに頭を下げる。
「あぁ、どうぞ気にせず、お仕事を続けてください」
 ヴィヴァーシュの言葉に庭師達はまた驚き顔を見合わせる。手短に小声で相談した後、リーダーなのだろう女性が一歩前に出た。
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて、続けさせていただきます」
 改めて頭を深々と下げた後、庭師達はりんりん、からんからんと鈴や鐘の音をさせ始める。
「鈴、ですか」
「はい。明日は海神祭ですので」
――海神祭
むかしむかし、世界にまだ陸地が多かった頃。
ある国の空から太陽が消え、月が消え、星が消えてしまった。
人々が困っていると、海から神様の使いがやってきて、神の力が宿った鈴をくれた。
その鈴を鳴らすと、空が晴れ渡って、星が輝き始めた。
 ブルーインブルーに古くから伝わるおとぎ話の1つでもあるこの祭には諸説あるが、海神祭の時は誰もが必ず鈴を持っている。一般的には鈴は土鈴である言われ続けているが、最近では色々な物が出回りだしており、今日の客人達も殆どが、自分だけの新しい鈴を買いに来るほど、海神祭は大事な祭りなのだ。
「石像にも鈴を?」
「はい。いつもこの城内にある人を模している物には全て持たせる様にしております」
 促されて女性の指し示す方を見上げると、城壁一面に祭壇の様な場が設けられていた。建物の内側へと削り進め、中央に佇む大きな石像は男性とも女性とも見受けられる。空を見上げるほど大きな石像は二つ並び、そのどちらの手にも鈴が置かれていた。
「大きいですね」
「えぇ、あれと、あちらの噴水の石像がこの城内でも大きな石像です」
 そう言われ今度は噴水の石像へと視線を向けるが、この石像も性別が曖昧な石像だ。広げられた両手から流れ出る水はゆっくりと流れ、円形の受け皿へと注がれている。噴水という程の激しい水の噴き出しは無いが、これも噴水の仲間なのだろう。
ぱっと見た感じではそれ程大きな石像ではないのだが、この石像は裏から見て本当の大きさが解る。石像の裏側には長い階段が、石像を中心にして螺旋階段が書庫へと続いてる。一体の大きな石像としてきちんと創られているものの、中庭で見られるのは石像の上半身部分だけなのだ。
 ヴィヴァーシュは庭を眺める様に辺りをぐるりと見渡し、三体の石像と海が見える部屋を捜すが、ざっと見ても該当する部屋は1つだけだ。ティータイムの部屋を確認できたヴィヴァーシュは一人、階段を下りて書庫へと向かう。あまり見られる機会のないだろう背後や足下、階段の細工もしっかりと創られていた。書庫の入口には格子扉が付いていたが、ヴィヴァーシュが軽く押すとあっさりと開かれる。客人はどこでも自由に出入りして良いという言葉通り鍵はかけていないようだ。
地下にあたる書庫は少々薄暗く、視界や行動に不自由がない程度の明かりは設置されているが読書には不向きの場所だ。一番明るい場所は天井から差し込む光の傍なのだが、この光が当る場所は先程の噴水の真下――すなわち水を通した光であり、屈折した光の為これも読書には向かないだろう。1つだけある机も本を選別する為の作業机の様に見える所から、書庫内では読書をせず、本を持ち出すのだろう。
ドアマンの地図と照らし合わせ城内へと続く出入り口と本物の暖炉、そして隠し通路のある暖炉を確認する。もし、何らかの理由で奇襲を受けるならば、あるいはガルタンロックが逃げ出すとすれば使われるのは偽装された暖炉の筈だ。
進入にせよ脱出にせよ、経路を確認したヴィヴァーシュは城主ガルタンロックが来るまでの間、ゆっくりと書籍に目を通す。経済学を初めとする多くの学問から政治関連、絵画や陶芸、装飾品等の美術関連から音楽関係は勿論、関連の歴史や諸々の制作方法、果ては子供向けの絵本からゴシップに近いものまで揃えられ、まるで国立図書館の様だ。
本の原材料も少し変わっている。紙が高値であるブルーインブルーでは昔ながらに石を彫った物や版画、布に直接絵筆で記入し纏めた物等が書籍として出回っている。植物が貴重なブルーインブルーならではだろう。
 ヴィヴァーシュが様々な本と、本の創りそのものも楽しんでいると時を告げる鐘の音が十二回鳴り、足音が聞こえだす。消えてゆく鐘の音と反対に次第に大きくなる足音がかつん、と書庫内に響いて止まると、ヴィヴァーシュは顔を上げそちらを見る。
 城主、ガルタンロックは驚いた顔でヴィヴァーシュを見たが、直ぐに笑顔を向けた。
「これは失礼致しました。先客がいらっしゃるとは思わなかったものですから」
「お気になさらず。庭の石像や彫刻、ここの蔵書も素晴らしいのに、勿体ない事です」
その言葉にガルタンロックは隠す様子もなくほう、と驚いた声を漏らした。この城に来る客人の中で自分以外の物事に関心を向ける人がいるとは思わなかったのだろう。
「さて、少しお話しを……正確にはお願い事があるのですが、お時間を頂けますでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
「ありがとうございます。では、端的に。暫くの間、商人としての活動を少し、控えていただけないでしょうか」
「おやおや、それはまた……」
 人の訪れる事が無い場所でお願い事と聞き、秘密裏に欲しい商品でもあると思っていたガルタンロックだが、予想もしなかったお願い事に驚きと疑いを隠せないで居る。ふぅむ、と口髭を指で挟みヴィヴァーシュの様子を伺っていると、ふいに、彼は暖炉の方を――隠し通路のある暖炉を見た。まさか、とガルタンロックが驚く間もなく、偽造暖炉からごりごりと音が聞こえ、アンドレイが飛び出してきた。
「……部屋への出入りは出入り口から、と教えた筈ですよ、アンドレイ」
「勘弁してくれ旦那。急用だ」
 軽い口調でそう言うが、アンドレイはじっとヴィヴァーシュから視線を外さない。次から次へと驚く事ばかりが続いているガルタンロックに客人は言う。
「お返事は後程、お伺いにまいります」
 庭へと向かう客人を、ガルタンロックは引き留めなかった。

 リーリスは一人、砂浜にいる。十二時の鐘の音が聞こえ、アンドレイが城へと走り去るのを見届けてからずっと同じ場所に立っている。
砂浜の上に裸足で立ち、足の甲まで海水につけていると足の周りの砂が微妙に浮いている。波が寄れば海水は足首まで届き、ふわふわと浮いていた砂が巻き上がる。何度も波に攫われ、リーリスは次第に砂に埋もれていく自分の足を見下ろしていた。
「戻ってこないとおもったのに」
「そんな薄情じゃねぇよ。ピクニックにゃぁランチバスケットが必要だろ?」
 返事が聞こえリーリスが顔をあげると、言葉通りランチバスケットを掲げて笑うアンドレイがいた。リーリスが無言で手を差し出すと、アンドレイは少し戸惑った顔をした後、その手を繋いだ。
「ねぇ、こわいんでしょ? リーリスの事」
「あぁ、怖い」
リーリスの問いかけにアンドレイはへらっとした笑いを向けて答える。
「じゃぁどうして? 手、繋いでてくれるの?」
「そりゃ、お嬢ちゃんが旦那の客だからさ」
「リーリスお客じゃないよ?」
「お嬢ちゃんがそう思ってなくても、旦那がそう言ったんだ。お嬢ちゃんも客さ」
「……そんなに、ガルタンロックを信頼しているの?」
 人好きのする笑顔を向けるアンドレイの言葉は、真っ直ぐな物だ。元々そういった男なのか、リーリスの魅了にかかっているからなのかは解らないが、アンドレイの言葉に嘘偽りは無い。
「旦那を死なせる事の方が、俺には怖い」
 はらはらと涙を零しだしたリーリスの頭をアンドレイは困った笑いを浮かべながら撫でる。少女の唇が動き何かを言っているのだが、その言葉は波に攫われてしまう。男に届いたかどうかは、わからなかった





 ガルタンロックが部屋に入ると、数人の使用人がティータイムの準備をしていた。真っ白なクロスを敷いたテーブルの上には軽食と色とりどりの菓子が並ぶ。どれも主の手を汚さないよう、一口サイズに切り分けられてスプーンの上に置かれている。大人2~3人が座れそうな大きさのソファに主が座ると、一人の男が近寄り耳打ちをする。
「ご婦人がお話ししたいことがある、と仰っております。なんでも美術商を商っているとか」
「おかしいですね。用向きがある方はいらっしゃらない筈ですが?」
「お断りいたしますか? なんでも一目絵を見て貰えれば必ず話をしてくれる、とも仰っておりますが」
 少し前に書庫で不思議な客人にあったばかりのせいか、城主が不思議そうにしていたのだが、使用人の言葉に目の奥を光らせる。
「よろしい、絵を拝見するとしましょう」
 <血の富豪>が一目見て気に入る程の物を持って来たとは、大きくでたものだ。普段なら一掃するか、他の者に任せる所だが、そこまで自信があるのならとガルタンロックは絵を持ってこさせる。ガルタンロックが菓子スプーンを1つ口に入れた時、使用人がキャンバスを包む薄紺色の布を取り除いた。
 ちゃりん、とスプーンの落ちる音がし、その場にいた使用人達は何事かと動きを止め主を見ると、座っていた筈の主が椅子から立ち上がり、困惑と怒りの混ざった表情でキャンバスを睨付けていた。キャンバスを持っている使用人は微塵も狼狽えず絵を掲げている。
「……ご婦人をこちらへ。あぁ、貴方はこのまま給仕をなさい。他の者は、下がって宜しい」
 そう言ってガルタンロックはゆっくりと椅子に腰掛け、美術商の婦人が訪れるのを待った。


 美術商の婦人、三雲文乃は部屋の入り口でスカートを持ち上げて挨拶をすると、ガルタンロックに促されるまま椅子に座る。
「はじめまして、でよろしいのですかな?」
「えぇ、お会いするのは初めてですわ」
 テーブルを挟み向かい合うように座る二人の前には二人分にしては多すぎる程の軽食と菓子、そして給仕を命じられたドアマンが入れたお茶が二つ置いてある。
 ガルタンロックはドアマンも客人なのだからと席を勧めたが、ドアマンは給仕をしている方が落ち着くので、とやんわりと断わり、三雲の傍に控えている。
「どうしてわたくしの同行者だと気が付きましたのかしら?」
「わたくしが絵に驚いても、彼は驚かなかったからです。そう、それはわたくしが絵に驚くと知っていなければ、できない事」
「言われてみればそうですわね。海軍に没収された絵とそっくりな物が出てくるなんて、持ち主も知らなかったのですから」
「えぇ、大変驚きました。どうやって、手に入れたのですか?」
「手に入れるも何も、この絵はわたくしの絵ですわ」
 口元に柔らかい微笑みを浮かべ三雲がそう言うと、ガルタンロックは短く、楽しそうに笑う。
「今日は不思議な客人に加え、不思議な物まで出てくるようですな。さて、わたくしの勘違いでなければ、その絵は海軍が所持したままの筈です。……表向きは」
「あら、そうですの?」
「えぇ、没収された絵はきちんと回収し、わたくしが所持しています。ですが、この絵はわたくしの所有物だと公表されていません」
「……所有者不明のまま海軍が所持しているはずの絵は、あっさりと本当の持ち主が取り返していたなんて……。手際のよろしい事ですわ」
「さて、ここで疑問が三つ。どうしてこの絵がここに有るのか、どうしてこの絵を貴方が持ってきたのか……どうして、わたくしの物だと知っていたのか」
 ガルタンロックがそう問いかけると、三雲はお茶を一口飲み、カップを両手で包み込むように持った。カップの中に映る三雲の口元が水紋によって揺れる。
「簡単な事ですわ。わたくしは貴方の主催したショウが行われた船に乗船し、その絵を見た。その絵は、わたくしの絵。最初からそう言ってますでしょう?」 
「……この絵は貴方が描かれた、貴方の絵。そういう事ですかな?」
 ガルタンロックの言葉に三雲は無言で微笑み、答えを返す。ふぅむ、と考え込むガルタンロックが口髭を弄び、カップのお茶を飲み干すと、ドアマンはそっとお茶を継ぎ足す。
「仕草も給仕も手慣れ、大変美しい。どうです、このままここで働きませんか」
「お褒めいただき光栄でございます。ですが、わたくしもまだまだ未熟者でございますので」
「それは残念」
 新しくお茶の注がれたカップを見つめながら、ガルタンロックは菓子の乗ったスプーンを口に頬張った。もぐもぐと口を動かし、食べ終わってから三雲へと顔を向ける。彼女の後ろで揺れる薄いカーテンの奥、ベランダに先程書庫で出会った青年の姿を見つけガルタンロックは小さく溜め息を付いた。
「貴方のお話しも、わたくしに暫く商売をするのを控えろ、というお話しですか」
 微笑んだまま返答が無いのは三雲が肯定する時の姿勢だと、短い会話の中でガルタンロックが見つけた彼女の癖だ。
態度を変えず、要求を飲むどうか考えているのは事実だが、正直なところ、ガルタンロックは窮地に立たされている。ガルタンロックは会話相手の事を知り尽くしてから、対等に話すようにしている。相手の外見や癖をはじめ、趣味趣向や興味、娯楽、ありとあらゆる物を調べ、覚え、理解してから、会話に望む。自分が興味を持っている物事の話を聞いてくれる人や、それに対する情熱を理解してくれる人を嫌ったり邪険にする人は滅多に居ないからだ。加えて、相手の名前や以前の会話も記録補完し、次に出会った時の話題にもする。貴方の事を忘れていませんよ、覚えていますよ、大事なお客様ですから、というアピールにもなるからだ。
しかし、目の前の婦人やベランダに立つ青年、使用人に紛れ込み給仕をする男についての情報は全くない。見覚えどころか名前すら思い当たらない。そんな、不思議な客人は自分の事や商品の事、この城の秘密すらも把握している状態では両手を挙げて降参する方が早そうなのだが、幸いにして彼等は――今の所かもしれないが――自分を殺す気が無い事も、解っている。
「そういえば、後で返事を聞きに来る、と仰ってましたか」
 しんと静まりかえった部屋にガルタンロックの声が響く。身体を少し起こし、椅子に座り直すと真っ直ぐに三雲に向き直った。手も口も余所に向けず、全てを真っ直ぐに向けた姿勢はガルタンロックが三雲達を対等な立場の人と認めた様に思わせる。
「あなた方の要求は〝わたくしに暫く商いをするな〟というものですが、勿論、お断りいたします」
しん、とした部屋にガルタンロックの声が続く。
「わたくしは商人です。日々商品を手配し、それを求めるお客様の元へ届けています。それをするな、と言うのならば、それなりの対価が必要となりましょう?」
「私達に、金品を出せ、と?」
「金品に限りません。わたくしにとって、それが利益となるモノであるならば、何でも良いのです」
「此処で手を出せば貴方は理を得る以上の損をするかもしれない。それでも手をだされますの? 貴方は商人かと思っていましたけれど、ギャンブラーの間違いでしたかしら。慣れない事に手を出しますと大損いたしますわよ」
「これは手厳しい。ですが商人たるもの、新しい利益を得るためならば、時には大きな決断をせねばなりません。長い目で見て利益となるのなら、わたくしはそれを手に取りましょう」
「なるほど、それでですか」
 ぼそり、と今まで沈黙を守っていたヴィヴァーシュが呟く。
「不思議に思っていたのです。手を抜かない使用人。教育の行き届いた庭師。そして、主に対する絶対の信頼と忠誠……。貴方は彼等を一から……子供の頃から育てたのですね」
「全員ではありませんよ」
「……否定はなさらないのね」
 三雲の言葉にガルタンロックは顔を緩めてこう答える。
「才ある者を無駄にしてはいけません。年齢や性別に拘らず、尤も適した物事をさせるのが一番でしょう? わたくしの使用人は皆、帰るべき場所も家族もありません。ですから住む場所と仕事を与え、一人でも生きていけるようにしました。結果、彼等はわたくしに心から、使えてくれるようになった。それだけですよ」
 小さく右手を上げ、ドアマンが発言の許可を求めると、ガルタンロックはどうぞ、とすんなりと了承する。
「同じように、ジェロームも利益になるから手を組んでいる、ということでございましょうか? 彼が何を求めているのか、ご存知の上で?」
「あぁ、彼とは別段、手を組んでいるわけではありません。彼にとってはわたくしも都合の良い駒でしょう。わたくしも、彼はただの上客です。利害が一致し、お互いに不満がない、というところでしょうか。彼の求める、ブルーインブルー全土の覇権もについても、わたくしは特に何も思いません」
「では、ジェローム様との交易を止めて欲しい、とお願いしたら、どうなさいますの?」
「それも、お断り致しますな。ジェロームは大変金払いの良い御仁です。稀に無茶な要求を言ってはきますが、その分を上乗せして請求しても、文句を言わずきちんと払ってくれます」
「……ブルーインブルー全土を相手にする商人にとっては、誰がこの世を支配しようとも関係ない、という事ですか」
「その通りです。頂点に立つのがジャンクヘヴンであろうとジェロームであろうと関係ありませんが、あえて言うならば、ジェロームが覇権を握った後も商売がしやすい様にしておきたいので、ジェロームとの交易は止められないのです」
 至極真っ当な返答が返され、三雲達は考え込む。商人の彼を信じ言葉通り受け取るべきか、それとも海賊としての彼を疑い、裏を読むべきか。思案する三雲達に、今度はガルタンロックが声を掛ける。
「他にもまだ、疑問や質問はございますかな?」
「えぇ。……1つ、確認したいことがございますわ」
 そう言い三雲はドアマンに顔を向けるが、ドアマンは微笑みを浮かべ小さく首を横に振る。
「わたくしより、ヴィー様が適任かと」
「……そうですわね」
「わたくしはどなたでもかまいませんよ」
ガルタンロックが綺麗に整えられた髭を持て遊びながら言うが、彼等は――この場には居ないが会話は聞いているだろうリーリスも――気になっている事がある。そして、ソレを質問するのに適任なのがヴィヴァーシュである事に、誰もが気が付いている。
 ガルタンロックは秀でた才を持っている人を無碍にはしない。それがどのようなものであっても、ガルタンロックにとって利益を出すものでだからだ。
三雲はガルタンロックと同じく商をしている事に加え、絵画の腕も見せている。ガルタンロックが本物と見間違う程の腕前は、できれば手に入れたいものだろう。ドアマンは先程仕事ぶりを褒め称えられ、ここで働かないかとスカウトもされている。二人はガルタンロックにとって〝利益になりそうな人物〟だと、認められている。
 そんな中で、ヴィーだけがまだガルタンロックの利益になるかどうかをはっきりと示していない。
 だからこそ、この質問は意味成す。
「何故、我々の質問に答えるのですか」
「あなた方と、信頼を築きたいからです」
 思いがけない答えに一同が息を飲む。間を置かず答えた時点で、ガルタンロックはどのような質問がくるのかを理解していた。
その上で、彼は、その答えを言ったのだ。
「おかしいですか? 商売をする上で一番大事なのはお互いの信頼です。今現在、わたくしはあなた達の事を何もしりませんが、あなた達とも商売をしたいと思っています。新しい人と商売をするには、まず、わたくしを信じていただかねばなりませんが、これがいつも大変です」
 ガルタンロックはひょいと肩をすくめるが、まるまるとした身体ではその戯けた仕草もいまいち伝わりにくい。
「特に、あなた達のような〝善人〟が相手だと<血の富豪>は信じて貰うのにとても時間がかかるものです。ですから、わたくしはあなた方の質問に、答えました。まずは、多少なりとも信頼を築けるように」
 言葉だけ聞いていると<血の富豪>ガルタンロックも善人なのではと錯覚しそうだが、彼は三雲達ロストナンバーと商売をする事が利益になると踏んだのだ。だから、間違ってはいけない。我々が彼に何かを頼む場合、コチラも相応のモノを支払う。その支払ったものが、どうなるのか、誰の手に渡るのかまで、きちんと考えなければいけないのだ。
「今すぐ、お返事はできませんわ」
「そうでしょうな。そう長くは待てませんが、色よいお返事が頂けるよう期待いたします。そうそう、宜しければ1つ、提案が」
 返事を保留にしてもガルタンロックはあっさりと了承し、三雲に人差し指を立てて見せつける。
「なんでしょう?」
「この絵を、置いていっていただけませんか。変りに、少しの間ジェロームとの交易を、控えさせていただきます」
 むにと音がしそうな首を傾げ、ガルタンロックはどうです?と問いかける。ガルタンロックの言う〝控える〟がどれほどのものかは解らないが、三雲の描いたイライザの絵を担保に、多少でも抑えられるのなら、悪い話では無いはずだ。
「売り払わず、返していただけるのならよろしいですわ」
「勿論。お返事が貰える、貰えないに関わらず、然るべき時に、お返しいたしましょう」
 少々下手に出すぎている感じを受け、逆に不安にもなるのだが、三雲は同じ商いをする身として――絵画に関する事だけは、信頼を築きたいといった商人を信じる事にした。
 三雲が席を立つと同時にドアマンが扉を出す。順風満帆にとは言えないが本来の目的は達成された今、これ以上ここに長居する必要もない。
 突如として部屋の中に見た事もない扉が現れ、ガルタンロックがほう、と感嘆の声を漏らす。開かれた扉の向こうに中庭が見えると、腰を浮かせ気味に扉を凝視するその表情は恐ろしさより興味や探求心の方が勝っている。そうだ、と声を上げ、扉の向こう側でドアマンが振り返る。
「失礼ながら、少々城内に悪戯を仕掛けてございます。使用人の皆様に落ち度はございませんので、どうか……」
「善処いたしましょう」
 ドアマンが深く頭を下げ、扉は閉まると同時に無くなっていた。



 ガルタンロックは一人部屋に残り、不思議な客人達の事を思い返している。テーブルの上にあった軽食や菓子は片付けられ、変りに三雲の絵画と城内の至る所で見つかった糸を編んだ人形――あみぐるみが並んでいる。どれも隠し部屋や隠し通路、秘密裏の商品を仕舞う倉庫や屋根の上、防壁の上と、人気の無い場所に置かれていた物だ。ドアマンの言う悪戯なのだろう。
 ガルタンロックが絵とあみぐるみを眺めていると、テラスにアンドレイが飛び降りてきた。
「出入りは扉出入り口からと教えたはずですよ、アンドレイ」
「素敵なお嬢ちゃんと空中散歩してたんでね、てっきりここが出入り口だと思ったんだ」
「空中散歩ですか。それはさぞ、素敵でしょうね」
「あぁ、すごかった。旦那ももう少し痩せたら、連れてってくれるかもしれないぜ?」
「考えておきましょう」
 他愛もない会話を交えた後、アンドレイはどっかりと床に座り込む。何時も通りの軽口で誤魔化そうとしているが、顔色の悪さは隠せない。
「アンドレイ」
 ガルタンロックに名を呼ばれ、アンドレイの言葉が止まる。
「今は無理をする時ではないでしょう。少し休みなさい。もうすぐ海神祭です。楽しまなければ、勿体ないでしょう」
「……元気になったら、お仕事かい?」
 えぇ、と頷き、ガルタンロックはあみぐるみ五つ持ち上げる。
「虹色の貝殻を、徹底的に集めなさい」
「了解。っても、いんですかい?」
「個人的に集めるのです。問題はないでしょう。彼等と良い関係が築けなかった時もですが、ジェロームに付くにしてもジャンクヘヴンにつくにしても、必ず役に立ちます」
 そう言って、ガルタンロックはあみぐるみを二つ机に並べる。その二つより少し遠くに1つずつ置くと
「はてさて、囚われの王子様を救出するべきか、それとも赤毛の魔女を舞台上に引っ張り出すべきか……」
 最後の1つはどこにも置かず、掌で弄んでいた。
「海神祭の鈴は伝承通りの奇跡を起こすのでしょうかね」



 海が鐘の音に包まれる日が近づいている


クリエイターコメントこんにちは、桐原です。この度は長編シナリオへのご参加、ありがとうございました。

皆様のプレイングを元にしつつ、色々と追加してのお届けとなっておりますが、いかがでしょうか。


本来の目的通り、暫くの間はガルタンロックは大人しくしてくれそうです。今後も暫く海は荒れそうですが、ひとまずは、お祭りをお楽しみください。

それでは、ご参加、ありがとうございました。
公開日時2011-04-30(土) 22:00

 

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