あなたは、ひとをゆるせるだろうか。 憎い相手を抱きしめてあげられるだろうか。 それにはまず、あなた自身を抱きよせることだ。 ――レオ・バスカリア + + ターミナルは喧噪に包まれている。 もう何度、経験したのだかわからないほどの、背筋が泡立つような落ち着かなさと、交差する感情。 相沢優は、図書館ホールを行き交う人々に視線を向ける。 彼の選択は、もう決まっていた。 チャイ=ブレの体内へ。 一があの場所にいる。 ミルカもゼロもいる。 迷う理由なんてない。 ……ふと。 ホールの壁に背を持たれさせ、ロストナンバーたちを透徹したまなざしで眺めている青年のすがたが目に入る。 「ロバート……!?」 彼を探検隊のメンバーに加えて出発した、ヴォロスでの冒険からさして日にちは立っていない。容貌なり服装なりも、赤の王事件ののち、井の頭公園で会って以降さほど変わっているわけでもない。 にも関わらず、それがロバート・エルトダウンであると認識するまで少しかかった。 彼の内的変容をわかっているはずの優でさえ、今のロバートがまとう空気をひどく遠く感じたのだ。 理事であったころの、心情を明かさぬ得体の知れない雰囲気はとうに払拭されて久しい。しかし、優が認識するところの「不器用で手のかかる友人」ともかけ離れている。 今、彼がロストナンバーたちを見つめる目には、不信による絶望はない。しかしやみくもな盲信もまた、ない。 流転する世界がもたらすものを、有るがままに見つめる、旅の俳聖のような佇まいだ。 自警団の調査のことを、その結果を、思い出す。 優は、ロバートの「個人的なお願い」が、自警団にもたらされたことを知っていた。 知ってはいたが、しかし、何も言わなかった。 自警団のメンバーには虎部隆やヘルウェンディ・ブルックリンがいる。彼らの気性を、優は信頼していた。 彼らが考え悩んで、自警団として選んだ結論を信頼していた。 そして、たとえロバートの願いを拒否するという選択を取ったとしても、エイドリアン・エルトダウンとその妻に配慮してくれると信じてもいた。 優に気づいていないのか、ロバートは何も応えない。 それどころか、その場を離れようとする。「ロバート」 駆け寄って、もう一度、呼びかける。 こうやって呼び捨てにすることに、違和感を覚えながら。 ロバートはようやく、目線だけを優に移した。「私に何か、御用でしょうか?」 距離を置いた、いわば公的な言い回しに、優ははっとする。 調査が終わってから気付いたが、結果として自警団が、そして間接的に優が選びとったことは、エルトダウン家のひとびとを傷つけることになったのかも知れない。 そしてそれは、ロバートとの友情を崩すことであるのかも知れない。 優もまた、言葉を改める。「俺は、自警団を信頼することを選びました。彼らが行う調査が良い方向に繋がると信じていました」「……『良い方向に繋がり』ましたか?」 哀しいほどに穏やかに、いらえがあった。「《ネモの湖畔》を調査することにより、どんな情報、どんな成果を得られたというのです。家族が伏せて来た事情を明るみにするのが『成果』でしょうか?」 しん、と、響く声。「私のことが信じられないのはかまいません。あれは筋違いのお願いでしたので、拒絶されるのも道理でしょう。ですが、調査対象は、私や父のみならず、レディ・カリスを、ヴァネッサ卿を、あまつさえヘンリーをも含んでいたのですよ。ただ『ファミリー』関係者であるというだけで。彼らがいったい、何をしたというのです」 その語調に、しかし、詰問のきびしさはない。流れゆく水を見やるような諦観だけがある。「必ずしも、疑惑を持ってのことではないと思います」「では、なんのための調査――いや、『捜査』ですか。あなたは『友人を信じている』から捜査方針を支持したと仰ったが、属人的な信頼と捜査方針の決定はまったく別の問題です。属人的な信頼ということであれば、私もまた、虎部隆くんのこともヘルウェンディ・ブルックリン嬢のことも、他のメンバーについても、その正義と気性を信じています。でなければ最初から、自警団成立に一票を投じたりなどしない。実際、彼らは礼節に則った対応をしてくれました」「エイドリアンさんは、快くマリーさんに会わせてくれたと聞いています」 ――あれは私の罪だから。あれをずっと隠し続けていることは重荷でもあった。それをきみたちといくばくかでも共有できることが、むしろ嬉しいのだよ。 ――だが私は、これは私の使命だと考えている。使命であり、罰でもあるのかもしれない。ロバートや、他のファミリーの面々は、こんな私を心底軽蔑していることだろう。「そのようですね。……ただ、父がいったいどんな想いでそういったか、わかりますか? あのことばは、私たちが長年伏せてきた『家族の事情』を、意図せず暴くことになってしまった彼らへの配慮であり、できることなら触れないでほしいと筋違いのお願いをした私へのメッセージでもありました」 ――いいんだ。もういいんだよ、ロバート。 今まで、距離を置いて、護ってくれてありがとう。……すまなかったね。 もうおまえだけが、矢面に立つことはない。「調査結果は、あなたもご存知のとおりです。そのうえで、彼らは失敗を失敗として謙虚に受け止め、きちんと謝罪をしてくださった。だからこそ、父もそれを受け入れました。それが《成果》といえるかも知れませんね」 ロバートは静かに言った。「あなたが私を呼び止めた理由は、それだけですか?」「それだけ――」 ではないような気がする。 だが、うまく言葉が出てこない。「誤解しないでほしいのですが、今回のことについて、私は自警団にもあなたにも、何の憤りも感じていません。私が護るべきものがまたひとつ減っただけのことで、それはあくまでも『家族の問題』に過ぎません。あなたが気にするようなものではないし、また、あなたの友人への信頼を否定するものでもない」「だけど」「この話はこれで終わりにしましょう。あなたもお忙しいでしょうから、私と雑談をしている暇はないはずです」「ロバ……」 それを絶縁のことばと解釈し、優は青ざめる。 何かが、すれ違っている。 最初は、エルトダウン親子に齟齬と不理解が生じているのではないかと思った。表層としては、そう見えた。 しかし、すれ違っていたのは……。「やれやれ」 優の顔色の変化に、ロバートは表情を和らげる。「きみの美点はその真っ直ぐさだが、ときとして、少々、短絡的だ。事象のなにもかもを真正面から捉えるべきではないし、性急に結論を求めるものでもないよ」「俺は、ただ」「この程度のことで僕が感情を害して、きみと距離を置くかもしれないと思われていたとしたら、きみは少しも僕を信じていないことになる。願わくば年若い友人とは、終わったことではなく未来について話したいものだね。……一たちを助けに行くのだろう?」 優は、無言で頷く。「……きみにひとつ、お願いがある」「なん……でしょう」「首尾よく彼女らを助け出せたとして、どうか、お説教などはしないであげてくれないか」「どうしてですか」「僕がなぜこんなことを言うのか、その理由を、少し考えてみてほしい」 自警団とも、きみの友人とも、ファミリーとも、もちろん僕や父とも関係のない――、 ごくシンプルな、一般論としての話だよ。 そういうロバートは、今は、「無茶をする友人」をさとすように、優を見ている。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢 優(ctcn6216)ロバート・エルトダウン(crpw7774)=========
>>>>葛藤 引っ切りなしにひとびとが行き交うホールで、優とロバートの周りだけが、まるで結界でも張られているかのように、しんとした緊張に包まれている。 深海の奥底での対峙のごとく、優はロバートを見つめた。その表情は諦観を感じるほどの静けさで、感情のゆらぎなどは浮かんでいない。 何を、話せばいいのか。 何から、話せばいいのか。 適切なことばを探すのは、つねに難しい。 選びかたひとつで、相手のこころをえぐる凶器にもなれば、傷をつつみこむ包帯にもなる。 「説教はするな、というのは――」 思考の海に、優は潜っていく。深く、より深く。 ことばを選び取る作業は、深い海の底にしゃがみ込んで、真珠を探すようなものかもしれない。 「俺も、ひとのことは言えないから?」 選んだことばは、非常にシンプルな、小さなひと粒。 幻の真珠を受け取り、ロバートは微笑む。 「そのとおりだ」 優はほっと、息を吸い込む。 「一にとってルイスさんは特別で、だから無茶をしました。きっとおれが一の立場でも、同じようなことをするでしょう」 「そうだね。目に見えるようだ」 蒼い双眸に映るのは、いったいどんな情景なのだろう。 そのひとに逢いたい、そのひとの人生、そのひとの想いに、ほんの僅かでも関わりたいと思うあまり、危険を省みずに災渦に飛び込む、まっすぐで純な旅人のすがたか。 「きみや一だけじゃない。そういった局面で、無茶をするな、周囲に心配や迷惑をかけるな、という制止を素直に受け入れ、踏みとどまってくれるロストナンバーが、ひとりでもいるだろうかね? ……皆、誰かのために無茶をしたいんだよ」 「俺は一たちを助けたい。一がしたいことを全力で手伝いたい。そのためなら、チャイ=ブレの中へ行きます」 ――そしてすべてが終わったら、一たちに説教します。 「……なるほど」 ロバートは頷く。きみはそういうだろうと思った、と、さして意外でもなさそうに。 「俺は一たちが大切です。傷ついたら悲しい。無茶をするってことは自分を傷つけるだけじゃなく、自分を思ってくれるひとたちを傷つけることでもあると思います。第一、ロバート……、さんも」 呼び捨てはそぐわないように感じて、優は言い改める。 「ひとのことは言えないじゃないですか」 「まったくだ。返す言葉もない」 「ですから俺は、自戒の意味も込めて、『心配した』と、説教をします」 >>>>相対 過去は、変えることが出来ない。 いちど起きてしまったことは、もう取り返しがつかない。 俺に出来るのは事実を受け止め、未来と向き合うこと。 ――ロバートと向き合い、話すこと。 赤の王事件。トレインジャック。そして、ロストナンバーを信じなかったがゆえの、あの顛末。 このひとはもう、二度とあんな「愚行」をおかさない。 自分が友人として殴るようなことも、もう二度とないだろう――そんな気がする。 ロバートは、友だ。 おそらくは、傷つけてしまったけれど。 それでも、今までの経緯もすべて含めて、俺にとっては、大事な友だ。 そう思って今、声を掛けた。 あのとき、俺はロバートを信じていなかったのか、自分自身に問いながら。 ぱし、ん! と、優は自分の両頬を打つ。 「あなたが自警団にした『お願い』の意味は、ネモの湖畔に触れないでほしい、エイドリアンさんとマリーさんをそっとしておいてほしい、ご自身がずっとそうしてきたように――そういうことだったんですね」 「ストレートに伝えることができたなら、これもシンプルなお願いのはずだったのだが」 「だけどいろんな要素が、誤解をまねいてしまった」 「何度もいうが、それは僕の不徳からくるものなので」 ロバートの言葉をすっと手のひらで押しとどめ、優は深く、頭を下げる。 「申し訳ありませんでした。謝罪します」 「きみが謝るいわれはまったく」 「いいえ」 全身のちからをふり絞り、優はことばを放つ。 「俺は、言うべきだったんです。たったひとことでいい、言うべきでした。自警団に『ロバートを信じてみてはどうか』と。たとえ、受け入れられなかったとしても、結局は、ネモの湖畔への捜査が行われたとしても、それでも――友として」 「優」 ゆ、う、と、区切りながら呼びかける、その声のひびき。 雨上がりのお茶会で、きみたちの恋はもう終わっているのだと、告げられたときと同じ、いたわりがこもる。 「あの結果に、一番傷ついているのは、誰だと思う?」 「……誰、って、それは」 「父でもマリーでもない。もちろん、僕でもない。自警団の面々だ。もっというなら、ヘルウェンディ・ブルックリン嬢だ」 「ヘルが……」 「ひとは『誰かを傷つけてしまった』と感じたとき、とてもいたたまれない気持ちになる。認めたくなくて、無理に強気にふるまったりもする。ただ、これだけは言える。あの時点で、自警団を含めたターミナルのすべての住人のなかで、誰よりも彼女が一番、捜査に熱心に取り組んでくれた。経緯の把握ひとつにしても、他のメンバーは理解しづらそうにしていて、それは無理もないことなのだが、彼女は、彼女なりの解釈のもと、仮説を打ち立てて捜査方針を構築した」 「……そうなんです。ヘルは、本当に、一生懸命に……」 「結果を見て、批判することは簡単だ。だが、『何も行動せず、何の発言もしなかった』ものに、自警団とその協力者を批判する権利などないと、僕は思う」 と、そんなことを僕がいうのも、おかしな話なのだけれどね、と、ロバートは肩をすくめた。 「ところで、よもや、そんな誤解はしないと思うが、きみのことを言っているわけではないよ? きみはこうして、『行動』しているのでね」 ――謝罪は、受け入れよう。 ロバートは声のトーンを落とす。 それは、エイドリアンを知るものが聞いたなら、彼の声音と同じであったことに気づくだろう。 >>>>受容 誰かと縁を紡ぎ続けるのは、決して簡単なことではない。 優はそれを、身に沁みてわかっている。 たとえば、幼馴染の楓と奏。 たとえば、日和坂綾。 「幼馴染たちとは、向かい合うことができたと思っています。でも、綾ときちんと向き合えていたかどうかは、何とも言えません。それは、綾の責任でもなく、あのとき俺がこうしていれば、ということでもないので」 ――だから俺は、未だに自信がないんです。 せっかく生じた縁を、育み続けることができるのかどうか、不安で仕方がない。 「こうしていても、どこか怖さを感じる。それは否定できません」 「優」 しばらく腕組みをしていたロバートは、やがてそれを解いた。 「きみは、僕を友人だと言ってくれる。赤の王のときも、あの顛末に傷ついただろうに、僕を心配し、友人として怒り、諌めてもくれた。また、弟に愛想を尽かされて絶縁された僕が、もう一度会いに行けるよう、尽力してもくれた。その友誼を疑ったことはないし、きみが僕を信じていないとは思わない」 きみが感じてくれているであろう友情を、否定するつもりもない。 だが、これは僕が前々から感じていたことだが……、と、ロバートもまた慎重に、ことばを選ぶ。 「しかし、優。僕ときみは、本当の意味で『向かい合って』はいないと思う。少なくとも、隆ときみの間にあるような、対等な友人関係は成立していない」 「でも、間違いなく友達だと、思ってます」 「そうだね。けれども、僕にとってきみは『保護すべき未来ある若い友人』だし、おそらく、きみにとっての僕は『つかみどころのない、本音を見せない、年かさの友人』なのだろう」 ――さきほど、きみは「怖い」と言った。 それこそが、僕たちの関係を象徴している。 「きみはこころの奥底で、僕を恐れているのだと思う。それは、ドバイツアーの後、館長公邸の庭園を案内したときのことに由来するんじゃないかな」 「……!」 何か、根源的なものを指摘された気がして、優は息を吸い込む。 「あのとき、僕はこう言ったはずだ」 ――ただただ、明らかになっていないことを知れば良いというものではないんだよ。そのことを知って、きみはどうする? そうかも、知れない。 彼のことをわかっているようで、たぶん、わかってはいないのだろう。 ロバートに感じるこの畏怖は、友となったあともぬぐい去れない怖さは、「わからない」からなのだ。 ひとは「わからない」ことに対し、おそれ、おびえる。安心感を得たいがために、せっかちに光をあてようとする。 もしかしたら、そこにある「もの」はとても繊細で、つよい光に耐えられず、小さな悲鳴とともに消え失せてしまうかも知れないのに。 >>>>未来 「おっと、ずいぶん引き止めてしまったね」 たしかに、立ち話にしては長い時間が経過していた。 「気をつけて行って来たまえ。一によろしく」 ふつうの冒険旅行にでも送り出されるような調子に、優は面食らう。それを感じ取ったか、ロバートは苦笑する。 「なんだかんだで、きみは堅実なのでね。無茶はしても無謀なことはしないだろうから」 「あ、はい。……ええと、未来の話とか?」 「聞いておこう」 「チャイ=ブレから壱番世界を護ります」 「チャイ=ブレは眠りについたのだから、いいかげん、もう壱番世界は護られてると判断してくれてもいいと思うのだがねぇ……。それはきみたちが勝ち取ったことなのだし」 「そのためにも、フランさんのイグシストの研究に協力して、他世界で情報収集を」 「それはきみの自由だが、赤の王に関わった身として、イグシストを増やすことはリスクでしかないと、僕は思う」 「冬はスキーをしたいです」 「若者らしい前向きさでたいへんよろしい」 「そろそろ就職っていうか、進路を決めないとなんですよ。大学三年だし」 「就職戦線は毎年変動しているからね。去年の就活スキルは今年は通用しないそうだ。とりあえず、パンゲア・ペトロリアムの入社案内をあとで送っておこう。……ああ、僕は人事にはノータッチなので、試験は実力で突破してくれたまえ」 まあ、そのへんは冗談だ。 今は、対等な関係ではないのは事実だが、たとえばこの先、きみが壱番世界に帰属したとする。 きみのことだから、どんな道を選ぼうと、着実にキャリアを重ねて行くだろう。 いつかの未来に、もう一度話をしよう。 きみが、僕くらいの年代になったときに。 そのときこそ、対等な友人として、忌憚のないやりとりができるに違いない。 ――Fin.
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