オープニング

「やぁ、腕の調子はどう?」
 パイプ椅子に座ったヌマブチが肩当てを外すと、かさぶたが散った赤紫の傷痕が露わになる。
 その傷痕に消毒薬をたらした綿球を押しあてると、びりっと神経を逆なでするような痛みが走った。
 うめきそうになる所、奥歯を噛みしめることで耐えたヌマブチは「まぁまぁであります」と小さく答える。

「ヌマブチさん、すっかり医務室の常連ですね」
 と、居合わせた看護師に言われ、曖昧に笑ってごまかす。
 ターミナルに来てから隻腕になるまでと、その後。
 数々の事情があったとはいえ戦闘の回数は同数、あるいはやや減っている。
 だが、それに比べての負傷率は格段に上昇しており、戦闘力の劣化はヌマブチ自身がひしひしと感じていた。
「うん。あまり褒められた事ではないよ」
「面目ない」
 クゥの軽い叱責に、ヌマブチの方もごく軽く応じる。
 負傷が増えたのは事実であり、それが勝利のためのやむを得ない負傷ではない事情がある以上、これは兵士として恥じるべきことだ。

「それと、ヌマブチさんの血液検査の結果です。ええと、結果は……あれ?」
「ありがとう。内容は私から説明しておくよ」
「え? そうですか?」
 ではここに置きます、と書類をデスクに置き、ヌマブチに一礼した看護師はドアをあけて部屋を出て行く。
 お大事に、の声が深刻な色を帯びていたのは事実だ。
 程なく、ぱたり、と扉が閉じた。

 閉じたと同時に医務室内の体感温度がすぅっと下がる。
 書類に目を通しているクゥの瞳が細くなり、時折、ヌマブチに向けられる眼差しが見るから睨むへと変わっていく。
 ごまかすための笑顔が貼りついたままで、ヌマブチの頬に汗が伝った。

「食生活について何か意見は?」
「腹が減れば食う」
「減らなければ?」
「二日くらいは食わんこともある」
「どのくらい?」
「週に二度ほど」
 ぴきっとクゥの額に青筋が浮かんだのをヌマブチの優れた観察力は見逃さなかった。

「参考までに、ターミナルで一週間の定義は?」
「七日だ」
 指折り数える。
 次に指が二本立った。
「そのうち、「二日食べない」が二回あったら、食べる日は?」
「三日ほど、か。いや、全く食べないわけではない。酒のつまみをいれれば食わない日はない」
「酒は控えろ、と言ったのは覚えているか?」
「ああ。強い酒を飲む機会は以前の半分ほどにした」

 ばんっ! と音がした。
 クゥが力をこめてバインダーを机に叩きつけたのだ。
「どあほうっ!」
「怒鳴るな、聞こえてる」
「聞こえてるなら理解しろ! ちょっとくらい健康に悪くても人ってのは中々体調崩さない。ちょっとくらいだ、ちょっとくらい! どう見ても悪化してる。どこが? どこもかしこもだ。数値には出てないが、脳味噌も悪化してるだろ!?」
「おい、あまり騒ぐと……」

 かちゃり、とドアがあいた。
 駆け込んできた看護師に二人の視線が向かう。
 思わぬ視線を浴び「あ、あの、すみません。ガーゼを取りに」としどろもどりに言い訳している。
 机を横に向かい合う二人が看護師を見つめていた。
「あの、御内密でしたか? すみません、すぐ出て行きますので」
 インフォームドコンセントはプライバシーの上位にあたることもある。
 看護師にとはいえ、あまり聞かれたくないこともあるだろうと勝手に推察したようだ。

「いいや、ただの栄養指導だよ。……そういうわけで、ヌマブチ。食事は一日三回、睡眠時間は節度を守って、飲酒量は適度に、今はかなり控えめを意識してくれ」
「そうでありますな、ただ某、最近は飲まないと良く眠れないものでありまして」
「飲酒が? そういえば飲酒量はここ最近増えたんだっけ」
「最近でもないであります。ナラゴニアに入った頃、任務の合間に飲む機会が増えて……」

 ヌマブチは、元々酒好きではあった。だがへべれけになる事はおろか、己の意識ひとつでほろ酔いから覚醒できる程度の酔い方で留める飲み方だった。
 例えば、Barでマスター相手に一日飲み明かした事もあったといえばあったが、それでも自身を破壊するほどの無茶はあまりやっていない。
 酒類の代謝は運動量にも深く関係しており、訓練を欠かさぬヌマブチにとって、深酒は翌日の鍛錬をやや厳しくするもの以上の脅威にはなりえなかった。
 だが、ここで転機が訪れる
 世界樹旅団の元、非常な高ストレス環境下におかれた彼は旅団生活で飲酒量を急上昇させていた。
 馴染みの店があるでもなく、かといって飲むことでストレスからの一時的解放を身に付けたヌマブチは、ナラゴニアにおいて「特にする事も無いから酒場で飲む」という状態に陥っていた。
 そんな生活が月単位で続く。

「そうだな、ナラゴニアでは任務以外の私生活では大体適当な酒場に入り浸っていたであります」
「そう。それは内臓への負担が大きいね、継続的ダメージがかかるから、治療に――」

 看護師がきょとんとした表情から我に帰り、失礼しますと小声で挨拶して部屋を後にする。

「――影響が出るんだろうがっ! しかもわざわざ腕一本吹っ飛ばしてただでさえ心も体もいっぱいいっぱいな時期だろうが!? 自分が一番見えるだろうが、それとも分からないか!? そこまで役に立たない目玉ならくり抜いて後に銀紙でも貼っつけておけ、そもそも誰にそんな腐りきった飲み方を教わったんだ!? 駄菓子を欲しがる子供でももう少し自制するくらいの事がわからないか、このたわけっ!」
「……ここ、防音設備整っているのか?」
「その程度の配慮はしたさ。コロッセオがナラゴニアに壊された時より、復旧してからのほうが幾分マシだ! それよりも!」
 何度か惨めな扱いをされた書類が、再び物理的打撃を受ける。
「見ろ、この検査結果を! 私はここまで生活習慣爛れさせた相手に、外傷の治癒が遅いと心配をしていたのか!? あたりまえだ! 火を見るより明らかというやつだ! 治りが遅い? それ以前に、よくその傷口から化膿して死ななかったな! それとも自分の傷口ぐじゅぐじゅに膿ませて蛆虫でも飼うつもりか!?」
「やかましいと言っている! 仕方ないだろう、飲まねば眠れんのだから!」
「自分が思いきりダメ人間の台詞を吐いていると分かっているのか!?」
「断酒しろと言う方は簡単だろうが、やれと言われている方の身にもなってみろ! だいたい――」

 ドアが開く。
 覗きこんだ少女が不満気な顔を浮かべている。
 うるさい、と言いに来たらしい。
「クゥ、お下品」
「ああ、すまない」
「――失礼したであります。防音設備が整っていると聞いたものでありまして」
「扉をしめてしまえばコンダクターには聞こえないよ。でも耳のいいツーリストなら感知するかもね」
「ええと、話をもどして。大体でありますな。某はそもそも節度を守っているわけでありますからして。ううむ。やめようと思えばいつだって――」

 ドアが閉じる。

「――いつだってやめられるんだっ!! そこまで怒鳴らなくてもいいだろうが!」
「やめられると言ったな、よし、断酒しろ。今すぐ断酒しろ!」
「いつでもやめられるとは言ったが、今、辞める理由などどこにもない!!」

 思わず立ち上がったヌマブチの鳩尾に、クゥの拳が突き刺さった。
 女性のひ弱な腕である。
 鍛えた腹筋の前に何の効果もない。はずだった。

 常態化した過量の飲酒、積み重なる食生活の不摂生、訓練量の低下、それに伴う筋力の劣化。
 さらに腕を失ったことによる神経過敏、バランスの崩れ、避けきれぬ多少の化膿。

「ぐッ……!?」
 分厚い腹筋は衝撃をものともしないが、その内側の内臓は顕著に悲鳴をあげた。
 こみあげる吐き気をこらえ、ヌマブチの背が丸まり、呼吸に高音が混じる。

「私の腕程度でそうなるほど弱ってるんだろうが、どこに理由がないという!?」
「くっ。……このままではアルコール依存症にもなりかねない、と言う事か……」
「なってるに決まってるだろうが! ここまで来て、なりそうとかヤバいとかこのままではとか、万一のこともあるような言い草にするな、なったんだ。現実だ。それともアレか、酒で身を持ち崩して路地裏で腐りはて雑草の養分になる計画でも立ててるのか、だったら酒より水にしておけ、中途半端な殺菌力が雑草に迷惑だ。このくそたわけがっ!」
「ええい、これほど近い距離できゃんきゃん叫ぶな! 様子を見ねばなんともわからんだろう!」
「分からんほど薮だという気か。わかった、理屈はやめる。命令だ、断酒しろ、一カ月だ」
「某に死ねと!?」
「そもそも腕の治療ができていないだろう。治るまで飲むな。度数の強い弱いじゃない。味醂や栄養ドリンクにいたるまで禁止だ。わかったな」
「しかし、何の権限があって」
「一等兵が医官に歯向かう気か! 見張りもつけてやる、ここには毎日通え。分かったな!」
「だが!」
「返事は「はい」か「イエス」だ!!」

 ターミナルは軍隊ではない。
 勿論、医務室も軍隊ではないし、クゥは医官ではない。
 だが、戦時には医術の心得がある者が徴発されて医官となることはよくある事であり、医官の位は大抵、一等兵が足元にも及ばない程に高い。
 両者とも、この場で軍隊式の命令系統が効力をなさないことはよくわかった上で。
 長年に渡る軍属経験がヌマブチの口を噤ませた。
 頭を冷やすより先に体が反応する。

 やがて、数十秒の長い長い沈黙の後、ヌマブチは渋々、応。と了承する。

「だから、魔法で何とか」
「なるか、ド阿呆!!!」

=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ヌマブチ(cwem1401)

品目企画シナリオ 管理番号2426
クリエイター近江(wrbx5113)
クリエイターコメントこんにちは、近江です。
クゥの御指名ありがとうございます。
そして、昨年からのオファー、重ねてありがとうございます。
ようやく昏睡から目覚めましたので、用意していたOPを放出できました。
「昏睡から目覚めた後に来なかったら無駄になるかなぁ」とか考えていたのはナイショです。

ところでヌマブチさんの中で、クゥってこういう印象なのでしょうか。
ああ、でも、何度かこんな空気だったような、なんだったような。
普段は「どあほう」とか言わないので、仲良くなったら言うんだろうな、とか、
「あれ、じゃあ、ドリフみたいに」みたいなネタでOPにしたためてみました。
勝手にかなりの仲良し設定にしてます。ゴメンナサイ。
ついでにアル中ということで、かなりダメな発言までさせてしまっています。スミマセン。
怒鳴りあえる仲の上、勢いの上の言葉だということで、カンベンしたってくださいませ。

さて、OPの中の小ネタを自分で解説するという寒い事をしてみます。
腕の悪い医者のことをヤブというのは有名ですが、
ただ、もっと腕が悪くなると、雀医者、たけのこ医者とか土手医者、挙句の果てに紐医者とか言うそうです。
紐医者はひっかかたら助からないという意味で、他人に規制する人間を「ヒモ」とか言う語源です。
言葉って面白いもんですねぇ。そういわれないよう、クゥも近江もがんばります。
と、いうことで、参考資料を用意してアルコール依存症の理解はばっちりです。さあ、来い。


普段はプレイングの想定をしていますが、今回は想定をしていません。
近江節全開で楽しんで書けそうですので、えにしんぐ、好き勝手絶頂にかかってきやがれーぃ!


※「見張り」のNPCはOPで出ているクゥをはじめ、近江が頭下げて借りてこられる範囲であればご自由にご指定ください。
近江の頭を下げた程度ではダメな事もありそうですので、そこらへんはご注意願います。

参加者
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

ノベル

ーーー開始三日目。
 ヌマブチが異変に気付いたのは、クゥの厳命がくだってから三日目だった。
 無名の司書に道端で声をかけられたのだ。
「はっ! そこを行く軍人さんは! ……ヌマブチさーん!? きゃー! お会いしたかったわここで会ったが百年目、じゃなくてこれも何かのご縁。ってことで、そこのおでん屋さんで一杯いかがかしら~? おごっちゃいますよー?」
 さすがにクゥとやりあった後、2、3日でいきなり飲酒というのも気が咎める。
 と、いうことで、一応、抵抗はしてみた。

「せっかくだが、某は今は禁酒中でありまして」
「今なんて?」
「禁酒中でありまして」
「あらそ、うんうん。そうよね大事よねー禁酒も休肝日も。でもね、たまには息抜きも必要ですよねー? もちろん毎日じゃなくて明日も明後日もその次もあるんだから、それを乗り越えるために今日は息抜きってことで~♪ 最初は三日禁酒しましょう? 次は五日、そして一週間。そしたらすぐにずっと飲んでないのと一緒になりますよ! 何て完璧なスケジュール!」
「む、たしかに三日も呑んでいない。そうでありますな。少しずつ禁酒期間を長くしていくのは現実的であります」
「そうそう。それに、たまには魔法少女以外との積極的交流も大切よ。ヌマブチさんて、あんまり世界司書とお酒飲む機会ってないでしょ? ってコトでそこのおでん屋さんでレッツコミュニケーショ~ン」
「うむ」
 無名の司書に先導され、都合良くそこにあった屋台の暖簾をめくり、木製の椅子に腰掛けて。
「わあたくさんある。何飲みますかー? やっぱりここは純米の熱燗かしら?」
「そうだな。では熱燗を……」
「おちょこだと小さいから、コップでくださ~い」
「ではコップで」
 と、相槌を打った所までは覚えている。
 おぼろげな記憶では、その後、コップに並々と注がれた透明の液体を口に運び。
 次の記憶は荒縄で縛られ、床に転がった状態になり、椅子の上からクゥが冷ややかに自分を見下ろしている光景だった。
「三日か……。予想よりは持った方なんだが」
「いや、これはだ。いきなり禁酒をすると心に悪い。心に悪ければ体に毒だ。今後とも禁酒をするために……」
「いい加減コリないか?」
「だから、俺もこの先禁酒をするために少しでも良い方法を取ろうといっているのだっ!」
「少しでも良い方法は一滴たりとも呑まんことだと何度言えばわかる!」
 恫喝の響きあう医務室で、無名の司書はにこにこと笑顔を浮かべていた。

「ごめんなさ~いヌマブチさん! あたしだってホントはこんなことしたくなかったんですけど、クゥたんがどうしてもヌマブチさんにお酒をって言うから」
「私はどうしてもこいつに酒を飲ませるな、と依頼したんだ!」
「んま、クゥたんてばそういう気取ってない方がワイルドで素敵ー♪ もー、クールビューティなんだからくぬくぬっ」
 無名の司書の朗らかな笑顔にクゥは小さくため息をついた。


ーーー開始五日目
 黒服に縛られ、相変わらず床に転がされる。
「しばらく通えと言った矢先にモフトピアへの出張の予定を組んだのはどういう事だ?」
「いや、モフトピアにディラックの落とし子が紛れているという重要な情報を掴んで」
 ヌマブチの掴んだ情報は深刻なものであった。
 ロストナンバーが依頼を受けるに相応しいものである。
 戦闘能力のあるヌマブチの参戦は大いに歓迎されるべきだった。
 彼が治療中でなければ、だ。
「ヒーホーちゃんが見つけて黒服に通報してくれなければ、今頃は車内販売のビールでも飲んでるつもりだったか? 出張帰りのサラリーマンじゃあるまいし」
「ヒーホーちゃん?」
 話題にあがった緋ー穂ーちゃんこと紫上緋穂(シノカミ・ヒスイ)は、かつて昏睡状態に陥った時、ヌマブチにお見舞いと看病――彼女はそう思っている――してもらった経緯があるため、ヌマブチの体を案じ、トラベラーズカフェで依頼の相談をしているヌマブチを発見していち早く通報するという処置に至った。
 ドクターストップがかかる程、体が悪いのにも関わらず依頼を引き受けようとする熱心さはとても嬉しいが、ご自身の体を案じるよう、との言伝も残している。
 彼女の迅速かつ正しい対処のおかげで、ヌマブチは集まったメンバーを前にアニモフファージの脅威について語っている所を強制的に"回収"され、二日ぶりにここで転がっている。
「くっ、昏睡の時など恩に着る必要もないものを」
「もしかして看病しなければ良かったとか思ってないだろうな?」
「何を言う。そこまで落ちてはおらん」
「うん。友達がそれを言い出す程のクズになったかと心配した。さすがに失礼だったな、ごめん」
 いやいや無理も無いと薄く笑った後、ヌマブチはそっと視線をそらした。


ーーー開始七日目
 告解室の扉が開く。
 重々しい足取りでヌマブチは木製の椅子に腰掛けた。
「いらっしゃい」
 余計な言葉を紡がぬ案内に、ヌマブチは小さく「指先が痛い」と呟いた。
「治療は専門外だ。医務室へどうぞ」
「む、それが、事情がありまして」
 ヌマブチの片腕は戦の果てに今はもう存在しない。
 それ自身に悔いはなく、心の痛みは受け入れる覚悟をしていた。
 だが、襲ってきたものは心理的なものとは桁違いに生々しい物理的な肉体の悲鳴だった。
 始めは微小。
 真夜中にふと目を覚ますと、指先がチリチリと痺れていた。
 もう一方の手で揉もうとして、そこに指はないことを思い出す。
 そのくすぐったいような焦熱感は徐々に熱を帯び始めた。
 日に二度ほど「ないはずの腕」を炎で炙られるような痛みが走る。
 食事中であろうと、睡眠中であろうと、主人の都合などおかまいなしにかつての腕が悲鳴を上げるのだ。
「語ることで何かが変わるならばここで話すといい。尤も、効果の程だけは保証出来かねるけれど」
 淡々とした導きに、ヌマブチは皮肉に笑い「そうだな」と返答した。


――開始九日目
「……なあ、せめて煮物を食いたいのだが、味醂と料理酒は許可してくれんか?」
 カウンセリングの最中にヌマブチがぽつりと口にした。
 カルテに走らせるペンを止め、クゥが視線を向ける。
「君、煮物好きだったか?」
「ダメと言われると食いたくなる」
「私の料理で良ければ」
「いや! さすがに手を煩わせるのは悪い! 医官の仕事ではないだろう! 自分で作るから現物を……」
「……」
 ジトっとした目。
 静寂の中、ヌマブチの頭にひょいと飛び乗った黒猫にゃんこ司書がにゃあと鳴いた。


――開始二十五日目
 定期的に訪れると言ったヌマブチが三日来なかった段階で気付くべきだった。
 どうやったかは分からないが、異世界への依頼を受け出発した。報告があってももう遅い。
「連れて帰らせる。どこへ行った?」
「壱番世界の……」
「……連れ戻す戦力があるなら、それも投入したいほどの事態、か」
 戦局は医師の都合を待ってはくれない。


――開始二十六日目
 人の足音が錯綜する。
 ロストレイルがホームにつくと、開いた扉からタンカが運び出された。
 医務室へ直行し、タンカの上からベッドへと移ったヌマブチは静かに目を開く。
 見慣れたクゥが自身を覗き込んでいる。
「や、気分はどう?」
「問題ない。……しくじった」
「君はドクターストップの意味を分かっていないのか?」
「そういうわけではない。衝動的というと叱られるか? 飲酒はしてないから勘弁してくれ」
「分かってる。血液検査に酒精反応があったら、ここまで丁寧にはしていない」
 ヌマブチの体に幾重にも巻きつけられた包帯が傷の深さを物語る。


 ――どくん


 心臓が一際大きな拍動を打った。
 送り出された血流が動脈から全身へと流れ出す。
 赤い奔流は無いはずの血管を溢れさせ、無いはずの末端へと流れ込み、無いはずの痛みを引き起こした。
 ぎりっ、と奥歯を噛み締める。
 歯にあたった頬の裏から舌へ鉄錆の味が広がった。
「おい」
 知らず、苦痛に呻いていた。
 肉体への痛みなら多少ではなくとも精神力で抑えきる自身はあった。
 だが存在しない腕の末端は痩せ我慢を易々と貫いて苦痛を脳へ訴えかける。
 それに抗う術も、苦痛を表に出さすにいる手段も、ヌマブチはまだ知らない。
 喉を絞って捻り出される呻き声、その喉の震動が頭痛をも引き起こす。
「聞こえているか! おい!」
 燃えるように熱くなった存在しない腕が、ヌマブチの意識を焼き尽くし、幾万の針の如き痛みで真っ白に塗りつぶした。


――開始二十八日目
「どこが痛い?」
「腕だ。ない方の」
 回診に来たクゥはその答えを聞いてため息を漏らした。
「おかしいと思った。普通に痛いくらいであそこまで取り乱すはずがない。幻肢痛か」

 幻肢痛。
 それは腕あるいは足、その他、体の一部を消失したものがないはずの器官の痛みを訴える現象。
 物理的には神経節が圧迫されて痛みを引き起こす。
 精神的には不安、ストレスといったものが心身症と言う形で顕現する。
 どちらにしろ、ない所が痛いという症状をどうにかする事はできない。
 痛覚を麻痺させる薬物が効くならばともかく、そうではないパターンが圧倒的に多いのだ。
「しかし今更か? あれから何日どころではない月日が経過してるだろう。普通ならばもっと早く症状を訴えていてもおかしくはないはずだ。何らかの対処をしているならともかく――そうか対処か」
 無意識に飲酒量が増えていた。
 アルコールで予兆を麻痺させたか、あるいは麻痺させていたから予兆に気付かなかったか。
 どちらにせよ、それは無き腕からの悲鳴に耳を塞ぎ、目を逸らし続ける結果となった。
 放っておかれた鳴き声はやがて大きくなる。放置される程に大きな声で。
 やがて、その悲鳴は耳を覆う手のひらを突きぬけ逸らした目を強引に自分へと向けさせる。
 どれほどの屈強な存在であっても、それをいつまでも無視し続けるわけにはいかない。
 敵は再現なく強くなる己自身からの心の悲鳴だからだ。
「君は死にたいのか」
「解らない」
 激痛をこらえるヌマブチだが、乱れる息の下から淡々と言葉が紡がれる。

 死にたい訳ではない
 生きなければならないとは思う
 だが生きたいと願っているのかは解らない
 前は思っていた筈なのに

 語り終えたヌマブチは口を噤み、場に静寂が訪れる。
「君は何故人を救おうとする? ――人が生きる意味は、何だ」
「前者については覚えてない、機会があったらチャイ=ブレに聞いてくれ。後者については勝手に見つけろ」
「冷たいな、いいのか医者」
「人を選んでるよ。君に建前を話す意味はない。どうしても意味をよこせというなら私のために生きろとでも言ってやるが」
「ほう、その場合、指示は?」
「寝てろ」
「だろうな。が、痛みを取ってくれんと、寝てるコトもできん」
 しっかりした言葉の裏で、額に出る汗の大粒は留まらない。

 あくまでも可能性だが、と前置きしてクゥがカルテに目を落とす。
「CSR---戦闘ストレス反応と言う症状がある。簡単に言えば命を奪う罪悪感、命を奪われる緊張、行軍に伴う疲労、厳しい上下関係、次々に失われる仲間。勝利という最大目的を追いかける過程で、どうしても出てくるのが個人の耐久限界だ。体にしろ、心にしろ、な」
 そうか、と頷く。
「治るのか」
「完治は難しい」
「そうか」
 常人なら絶望が先に来るが、ヌマブチはその弊害と対策について頭を巡らせた。
 なったものは仕方ない。悔やんでも仕方が無いのなら、その耐久限界をどう騙すか考える方が良い。
「が、治療法もなくはない。この症状は人が人で在る故の反応だ。人の世に生き、人の輪にその身を置け。どんな詭弁でもいいから自分の本心を騙せ」
「……努めよう」
「素直だな」
「それが最善と言うならそうなんだろう。0世界なら時間はある」

 ヌマブチは小さく息をついた。
「痛み止めの用意ができたらすぐに打つ。消毒を先にしよう」
 プラスチックの瓶から消毒液を綿球に取り、皮膚に押し当てるとヒヤリとした冷たさが走る。
 同時に、アルコールの匂いが鼻をついた。
 チクリとした痛みがあり、それからすぐに消えた腕の悲鳴は混濁していく。
「痛みは消えてもごまかしているだけだ。それを忘れるな」
「了解した。ところで」
「うん?」
「明後日で一ヶ月だ。世話になった魔法少女大隊への礼で慰労会として某の禁酒も解禁したいと――」

 最後まで言うより早く、ヌマブチの腹に一撃が入った。

クリエイターコメントこんばんは、0世界のハズレクジこと近江です。
このたびはオファーありがとうございました。
クゥが指名もらえるのはなかなかないので、喜んでおります。わーい。

世界司書の方々の見張りにつきましては、各WR様から快くお貸しいただき、
ヌマブチさんの人望が底知れないなーなんて思いました。
それはもう「ヌマブチさんが世界司書の協力を必要としてるのならー」の勢いで!

と、言う事で、前半コメディ、後半シリアス。
字数と格闘し、ぎりぎりに詰め込んでみました。
少しでもお楽しみいただければ幸いでございます。

(医務室的にこういうのもどうなのかなぁと思いつつ)
またのお来しをお待ちしております(ぺこり)
公開日時2013-02-26(火) 23:40

 

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