――ドラグレットの一族の巫女の預言による。 ――神たる慧龍と異世界の神の徒の語らい。 ――後の世を語りて曰く…・・・ 黒衣の牧師は木製の縁側で膝を抱えてぼんやりと空を見上げていた。 静かに光が頬にふる。 そよ風が髪をなで、傍らの花が小さく揺れた。 灰人が少ししゃがんで手を伸ばすと、そっと花弁が指先に寄りそう。 その風景に、彼はわずかに微笑する。 「灰人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」 彼に駆け寄る少年の姿。 どたどたどたと縁側を走りよる足音と言葉遣いと表情が荒々しい。 少年の顔はどこかで見覚えがある。 ともすればぼやけて消えそうな記憶の中に彼の姿を探し出しながら、灰人はこんにちはと挨拶を口にした。 目の前の少年、小竹もそれに呼応して手を掲げ――。 ぐーぱんちにして、灰人の鳩尾に振り下ろす。 「がっ!?」 「こんにちはーじゃねぇぇだろぉぉがっ!?」 ぎゅりっ、と捻りをいれると、灰人の肺から強制的に搾り出された空気が「おおおお」と低く喉を震わせた。 「な……、に、を、するんですかっ! ぐっ」 「うっせぇぇ! 話し合いに来たんだ、話し合い! 物理的な意味で! まず、これはマンファージになったフォンスさんの分!」 有無を言おうが言うまいが、と小竹は拳をふるった。 灰人の首筋にまともに衝撃が走る。 「これはてめぇの腐った根性の分!」 続いて二発目。 これは灰人の脇腹にめりこんだ。 「そしてこれはこの俺の怒りだああ!!」 小竹が大振りに腕を振り回すと、しゃがみこんだ灰人の、ついさっきまで喉があったあたりの空を切って通過した。 「てめぇ、こら、俺の怒りだけ避けるな!」 「そんな無茶な……。一体何が」 「な・に・が、だぁぁぁ!? おう、こら灰人さん! こっち側来てから色々と事情調べましたよ! ええ見ました、理解しました。何であんな状況で勝手に絶望して堕ちてんすか?」 「……ああ。はい、……あの、非常に申し訳なく思っています」 表情も暗く沈む灰人の胸倉を小竹の手ががっしりと掴み上げ強制的に上を向かせた。 「申し訳なく思ってますで事情説明が済んだら俺だって、こんなのこのこ出てきたりしませんよ! 事情はあるってのはわかってますが、あいにく俺は真実が知りたいとかそういう殊勝な心がけできたわけじゃなく、 気に入らねぇから一発ブン殴りてぇとその一念でここにこうしているんっす!!」」 「あ、あの、小竹、さん……? す、すみませ……」 「だから話し合いに来たんです! スキンシップです。全力で! っていうか、あんた。そもそもアクアーリオのために旅団行ったんじゃないんすか? それがいつの間にか神――カッコワライ――ってなモンに絶望して世界滅ぼすとか何言ってんすか? 馬鹿っしょ。 俺そういう馬鹿は許せないもんの一つなんすわ、おぉ? 他に、言い返せねぇとこでバカにされるとか、むかでべーとか、ぬるいラーメンとか、ドラケモを売りにしたジャンルのくせにページめくったらいきなりフツーの萌え美少女で女体化して耳角シッポだけしか痕跡がねぇとか、むかでべーとか、猫耳だけつけてる状態でケモナー向け! って堂々と書いてある同人誌だとか、そういうのを真に受けて「あ、ねぇねぇ、オタケンってばこんなの好きでしょ?」ってバニーガールの写真見せてくるニワカだとか、むかでべーとか、とにかく、許せねぇもんはたくさんあっけど、そのうちの一つなんすわ!!」 「……なんとなく許して貰えそうですが」 「こんだけ許せねぇレベルマックス振り切ったモンと同列で何言ってんすか! 特にフツーの女体化! 許されざるもんでしょう。それにだ、あんたはなに自分を想った人まで置き去りにして! その人達の想いも全て無駄にしやがってんだよ! 思いだせなかったのかよ! てめぇがいた孤児院のことも! 一緒に過ごした人達も! アクアーリオもそうだ! どうしてそれらを忘れちまって勝手に絶望してんだよ! ふざけんじゃねえ!! そもそも、あんた! 何で最愛の娘までを死んだと勝手に思って娘と出会った時に攻撃したんですか? 心閉ざし過ぎでしょう? おお? 何いきなり黙ってんですか、なんか言いたいコトあるんならハッキリ言ってくださいよ!」 ふつっ、と。 灰人の中で記憶が蘇る。 なぜか呆けていた記憶。 和らいでいた心の痛みが、生々しく肺腑をえぐる。 「私のことは何を言っても構いませんが、娘のことは看過できませ……」 「あんたのことだ!!! 第一、何、勝手に神様あがめてて勝手に絶望してんですか!」 「神などいない!」 「俺 が 神 だ !!!」 自信満々に言い切った小竹に、ある意味で灰人は絶句する。 こほん、と咳払いをひとつ。今度は灰人が口を開いた。 「あなたのような疫病神が何を言うんですか、地方の神? つまり八百万分の一くらいですか。一切衆生悉有仏性ですか。ご利益いただけるなら欠けたコップに水くらいはお供えしてさしあげますよ」 「あ、何いきなり多神教に鞍替えしてんですか。しかも難しい仏教用語つかって、でも八百万って神道っすか!? 神仏習合にあんたの神は関係ねぇでしょう!」 「ええ関係ありません。では言わせていただきますが、そもそも最初の一撃? フォンスさんの分? はい、確かに私は罪深い事をしました。彼がお怒りであるならばいかようにも裁きを受け入れましょう。しかし私怨ならば話は別です。っていうかそもそも貴方、特命派遣隊に参加してないしフォンスさんと面識ありませんよね?」 「それがどうした!」 「同じ開き直るならアジのほうが食べられるだけマシです」 「魚食ってんじゃねぇぞ、生臭坊主!」 「私は坊主ではなく牧師です。肉食妻帯を神は許したもう!」 「仏教用語持ちだしてさっき否定した神をいきなり肯定してんじゃねぇですよ! それも神父の職業病っすか!?」 「神父と牧師は、ドン[ぴー]エとサッポ[ぴー]一番の塩ラーメンくらい違います!」」 「伏字でなきゃ出せねぇよーな例えを使わねーでくれませんかねー!?」 怒りは言葉を呼び。 言葉は拳をふるわせる。 小竹の拳をバックステップでかわし、灰人は人差し指を小竹の眼前へ突きつけた。 「第一、そんな二次元に今さら許せない怒りを抱かずとも小竹さんはヴォロスの神になって思う存分犬猫や竜人愛でられるんだからいいじゃないですか。私だって愛する妻や娘とささやかに生きるだけでよかった! 知っていますか? 生まれたての娘の顔は皺皺ですが、それが日がたつにつれぷにぷに肌になるんです。それを眺めていたかった! ほっぺぷにぷにしたかった! 夜中に怖い夢見て泣き出す娘を抱っこしてあやしたかった。アレルギーを恐れながら小さなスプーンでひとくちひとくち「あーんっ!」って食べさせてあげたかった、最初の寝返りに拍手で喜び、ハイハイで足元にすりよってくる姿に心うたれ、テーブルに捕まり立ちしてこちらを向いてにこりと微笑む姿を一目でいいから見たかった! 娘が望むなら馬にでもなりましょう! 高い高いしてくれとせがまれて腰と膝の限界を感じつつも応えてみせましょう! 翌日の筋肉痛など娘の笑顔のためならば些末も些末です! 私だってどこかの曲がり道を別の方向に歩けば今頃は妻の残したわずかな灯を大切にいつくしみ、その娘の手をひいて妻の好きだった白百合を手に墓参りするような日常を求められたかも知れない! ええ、そうです。娘は天使です。妻も天使です! 天使と天使でダブル天使に囲まれながら、貧しくとも幸せで暖かな教会で日々を過ごし、神の試練を受けてつらくとも哀しくとも未来へ向けて家族とともに成長し、嫁ぐ娘のドレス姿に涙しつつも祝福しやがては孫に囲まれて幸せに神の御許に召されるまでが人生だと思っていましたとも。家に帰るまでが遠足であるように、そこまでが人生です。もちろん、たしかに幸せばかりではないことは覚悟の上でしたよ。反抗期に「お父さんくさーい」って言われても「私の服、パパのパンツと一緒に洗濯機で洗わないで」と言われても涙を飲んでこれも成長の証と耐えてみせましょう! で・す・が! 何もここまでヒドい仕打ちをしなくてもよかったでしょう! それが神の試練だというなら、私は神とて容赦はしません! 私は娘と一緒にお風呂も入れないんですよ!? お風呂の壁にひらがな表とか貼って「ほーら、これは「あ」だよー。あひるさんのあ」とか言いたかった! だが私はそれすら奪われた! これが神の試練だというのならば、私にそんな運命を与えた神など許せるわけがない! そこまできたら普通、絶望するでしょう! 神がいるなら文句のひとつもふたつも百ほども口にして、頬をはたいてやりたくなるのが人間でしょう! ああ、そういえば神とか名乗ってる人がいましたね!」 腰を落とし、拳を握り締め、半歩引いた軸足を基点に、全身のバネを使って拳を小竹の腹へと打ち込む。 「ごぉぉっ!? な、なんかいい話をしてると思って聞いてやってりゃぁ、何をいきな……」 抗議の声をあげようと息を吸い込んだタイミングでもう一発。 小竹の腹から液体がこみあげ、喉の奥で強い酸味を感じる。 うつむいた所で、小竹の腰にまっすぐ突き出した灰人の足先が深々とめりこむと、彼の体が木貼りの廊下に崩れ落ちた。 「……っくぁー! 何なんすか、この牧師さんー! 話の途中で殴られるとかー! やだーーーー!!!! これがホントの話の腰を折る……ってやかましいわ! 折られてねぇ!! ええい、そっちがそのつもりならこっちだって考えありますからね!」 「考えがあってもなくても殴る気だったんでしょう! 絶望しました! 愚かな暴力主義! 神よ、この少年の心に救いを!」 「否定した神に助けもとめてんじゃねーですよー!! そもそも、俺、確かにあんたの言うとーり犬猫ドラゴンたちに囲まれていますよ。なんなら慕われてたりもしますよ、うひゃっほう! でも見るだけですしそれ灰人さんと同じ状況ですしー! もふもふぺろぺろしたいんです!! 俺煩悩に塗れてるんです!!! ああ、もうこの際だから言っちゃいますけども、色んな種類のドラケモひん剥いて一列に並べて (すみません、聞き取ってはいけない気がしました)[by ドラグレットの巫女] なコトまで妄想の山です、山河ですよ! 十八禁、何ソレ!? あーあ言っちゃった言っちゃった。でも本音! 愛してるから手は出さねぇとかYESドラケモ NOタッチとか意味わかんないです! ヘンな液体とか出ます出しますじゃんじゃんばりばり! そんな俺が、実際にそこにあるのに手が出せねぇって拷問もいいとこじゃないですか、手を出すに出せないったって夜食テロどころじゃねーですよ!? っていうか何だかんだで最後に娘と話せて良かったじゃないですか! 俺最後に話したくても話せなかった人めちゃんこいるんですよ! 別れ告げられなかったんですよ!?」 「小竹さん。自分の方が悪い、相手はまだまし。その考え方は誰を幸せにしてくれるでしょう? 慰められるのは自分への言い訳がたつだけです。それが一時の慰めになるならばそうすればいい。しかし、それを論拠にして他人へ持ち出してしまうとイザコザの元となります。自分の苦労を他人が理解してくれない? それはそうです。自分が他人を理解していないのですから。しかし、どんな人だって遍く精一杯生きているんだと、それを分かれば。いいえ、そうだという前提で生きるのです」 「説教くせぇとか勘弁ですー! 自分のことをスゲーっておもってくれるドラケモの皆さん目の当たりして手も足も舌も尻尾も前の尻尾も出せねぇとか生殺しの拷問なんですよー! 今こうなっててもドラケモへの愛は消えん。いつまでも燃え盛ります! 手を出したいのに出せない哀しみがブルー系の炎となって俺の体を焼き尽くすんですよー、げっちゅとか言ってる場合じゃねーですよー! 第一、あんた。まだ理性ぶってるでしょ。ほら、かかってくりゃいーじゃねーですか」 「いいえ、暴力は何も産み出しません」 「娘への愛があの程度で何が「何も産み出しません」ですかー! やだー……げふっ」 小竹の腹にもう一発。 「へへっ、そうですよ。そう!」 「娘や妻への侮辱だけは許しません」 「そんなお題目とか、もーどーでもいーじゃないですかー! ほら、こいよ牧師! キャラなんて捨ててかかってこい! あんたがその気になるんならあんたへの娘への愛をなんぼでも否定してやります! ほら、あんたの娘らぶ度と俺のドラケモ愛! どっちが上か勝負してやりますよ!」 返事を待たずに小竹が左足を振り上げる。 ひょろひょろとした体躯の灰人にはそれだけで体を揺さ振る大きな衝撃となった。 思わず倒れたところで踏み込んできた小竹の拳が頬を打つ。 灰人の口中にじわりと鉄錆の味が広がった。 唾と共に吐き出すと木の床に赤いシミができる。 拳の甲で口元をぬぐい、灰人は小竹を睨みつけた。 「暴力は、何も生みません。しかし」 メガネの位置を中指で直し、灰人は静かに立ちあがる。 「……神は、言いました。右の頬をぶたれたら」 「おぉ?」 「左の拳で、鉄拳制裁!!!」 「嘘ぉー!?」 灰人の左フックが小竹の頬を真正面から捕らえた。 二人。 仰向けになり、天井の木目を見つめる。 顔と言わず、体と言わず、打ち身、捻挫にあざだらけである。 「最後のクロスカウンターは伝説に残したいっすねー」 小竹の言う最後の一撃はボロボロの状態で放ったお互いの拳が同時に顔面にヒットした。 クロスカウンターというよりは防御も取れず、お互いに打ち合っただけだ。 双方が同時にお互いの拳を受けて床に倒れ、綺麗に気絶することもできずに「ぬおおお」と地獄の苦しみを味わってから数分。 ようやく深呼吸できる程度にダメージが回復してきた。 「つーか、あんた。なんでそんな強いんすかー。ひょろひょろのくせにー。ずーっとずーっと前はインヤンガイに出かけただけでぶったおれて医務室運び込まれるほどもやしっ子だったじゃねーですかー」 「娘への愛を問われては少々若いくらいの相手に負けるわけにはいきません」 ぜぇぜぇ、と呼気が漏れる。 灰人の全身は慣れぬ運動のせいで酸素を渇望し、心肺はその欲求を全く満たせていなかった。 ごろり。 ごろりと。 縁側を転がり、ゆっくりと体に蓄積したダメージを抜いていく。 呼吸が穏やかになるまで、さらに数分を擁して小竹が先に口を開いた。 「あー、まあ、アレですよ。牧師さんとはちょっと話がしたかったのは事実なんでー」 「物理的手段でですか」 「そうそう。あと、他にもブン殴りてぇやつがいるんすけど。一緒にいきません?」 「お断りします」 「あ、そーっすかー」 「私は娘の幸せを願っていこうと思います。 あと、彼氏ができたらしばらく夢枕に立ってやらねば気が済みません。 それに、……ロストナンバーの皆さんにも謝罪してまわりましょうかね」 「あー。やめたほうがいいんじゃね? 複雑なヤツもいるし」 「そうでしょうか」 縁側の端まで寝返りで移動し、頭半分だけ外に出して遥か下を覗く。 ナラゴニアが接岸し、見慣れたチェスボードは一面の大森林へと変貌した。 その中で、破壊痕生々しいターミナルにも、ナラゴニアにも、傷痕を癒そうと早速、建築物が立ち並び始めている。 「おー、復興してるしてる」 「まったく。ヒトはたくましい、頼もしいものですねぇ」 「で、どいつが娘さんの彼氏になるんすかねー?」 「……もう一度、"お話合い"しましょうか?」 「えー、やだーーー。やだーーー。もっぺん言います。やだーーー!!!」 傷だらけの顔のまま、二人はほがらかに笑いあった。 ――これが慧龍様の臥所で見た神託の夢でございます。長よ、皆に伝えるかどうかの御判断を。 ――ええと……巫女ちゃん? これ、一部切り取って、ええ感じのトコだけ託宣にできんかの。 ――長よ長よ、賢にして明なる二股尻尾の長よ! お忘れですか、神託の夢の改竄は禁じられております。 ――えー、じゃ、やめとこ? なんかミもフタも威厳もない所あったし。図書館には一応、報告しておくことにして。 ――ああ、長よ! 託宣を一族へ秘匿せよと! 神の夢をヨソモノに伝え、鉤爪を誓った村の戦友に秘せよと!? ――おまいさん、ちょっとカタブツすぎんかのー? ま、そーゆーコトで。うん。 ~とあるドラグレットの少数部族に伝わる伝承の一節より~
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