ロストレイルのコンバートメントに席を取り、先に口を開いたのは優だった。 「シュマイトさんと依頼で出かけるの、初めてだよな」 「ん、そうだったか?」 「遊びに行った事は何度かあったけどさ、普通の依頼で一緒に行った事はなかったよ」 「言われてみれば、そうか」 シュマイトは懐かしむように目を細めた。 「キミとは共にいる時間が多かったからな。そんな感覚はなかった」 「そうかもな」 最近はなんとなしに疎遠になってしまっているが、以前は毎週のように顔を合わせていた仲だ。 「今回も遊びには入るのかも知れんが」 パンフレットをちらりと見てシュマイトはため息をついた。 「凶宅(シォンザイ)」劇場に現れる暴霊を倒す事が今回の依頼である。凶宅とは過去に殺人や自殺が起きた家の意で、そうした劇を専門に興行しているらしい。今の演目は、別れ話がこじれて相手の女を殺してしまった男の話。殺された女は暴霊と化して男を取り殺すという陰惨な展開だ。趣味の悪い事にこの演目は、インヤンガイで過去実際にあった事件を元にしているという。現れる暴霊は、死後も争い続けるかつての恋人同士らしい。 二人にはロストレイルのチケットと一緒に劇場の入場券も渡されていた。 「趣味の悪い見世物だ」 「俺もあんまり好きなジャンルじゃないよ」 優は苦笑した。それでもこの依頼を受けたのは、恋人との別れという状況に心をかき乱されるものがあったからか。 同じパンフレットで屋内の地図と展示の内容に目を通しておく。それとは別に頭の中で考えを反芻する。 優は一つ、この依頼のうちにシュマイトに聞こうと思っている事があった。
毒々しい絵柄の大看板に何本も立つのぼり。切符売場にも入場口にも長い列。屋台も出ており、凶宅劇場の周りは人であふれ返っていた。優たちの好みと違って随分と人気があるらしい。それは暴霊が現れれば多くの被害が出うる事も意味する。 まだ暴霊は出ていないらしい事を確認してから二人は入場口の最後尾へと並んだ。シュマイトがふとつぶやく。 「この人出――、遊園地を思い出すな」 今までおそらく意図的に避けていたのだろう話題。優は身を固くしながら「うん」とだけ短く答えた。 昔、優とシュマイトは数人の友人と共に壱番世界の遊園地ヘ行った。「昔」という単語を使うのがふさわしいほど、あの日遊園地へ行ったメンバーの現状は様変わりしている。居場所が変わり、立場が変わった。 「すまん。やはり適切な話題ではなかった」 「いいよ」 「よくはなかろう」 「本当に平気だから」 「……キミは強いな。わたしは平気ではない」 「シュマイトさん?」 低く吐き出された声は、どこか弱々しいように優には感じられた。 「『あの頃は良かった』などというのは老人の物言いと思っていたが、今は時おり、そう感じてしまう。キミといればなおさらだ」 「シュマイトさんの作ったチェンバーってさ」 聞くのなら、この話題が出た今しかない。 「学校の形にしたんだよな? それってやっぱり、あそこがイメージなのか?」 二人で、それ以上の人数で共に過ごした学校型チェンバーを優は思い出す。 「ああ。だが、なかなかうまくはいかんものだよ。やはり彼女でなくてはできない事のようだ」 「シュマイトさんはシュマイトさんなんだから、同じようにする必要なんてないよ」 「そういう問題ではない」 シュマイトの声がひどく苦そうに変わった。 「彼女と違うわたしの方法で効果が出るならそれでも良かろう。だが、わたしの方法では効果は出なかった。だからわたしは、あの頃は良かったなどと思ってしまう」 「ごめん、適当なこと言っちゃって」 「ああ、いや、キミには責のない事だ。わたしこそ、当り散らしてしまって申し訳ない」 互いに言葉を続けられず、二人は押し黙る。遊園地に行った時は待ち時間さえも楽しいおしゃべりの時間だったと言うのに。 行列はなかなか進まなかった。シュマイトが手持ち無沙汰そうに懐中時計を取り出して眺めた。 「開場の時刻はもう過ぎているはずだがな」 優は嫌な予感を覚えた。 「これって、もしかしてさ。中が開場できない状態だからじゃないか?」 シュマイトもはっとした顔になる。 「行こう!」 優は行列から抜けた。車内で見た屋内見取り図を思い出しながら職員用の裏口に向かって走る。 裏口のドアノブを引く。動かない。鍵がかかっているようだ。 優はギアの剣で一撃し屋内に飛び込む。 スタッフらしい数人の男が一斉に振り向き優を見てきた。 「なんだお前ら!」 良かった。まだ生きている。 かすかに安堵を覚えた優は、しかしその奥の光景を目にして凍りつく。 全身に怪我を負って床に倒れ伏す一組の男女とその上に浮かぶ二つの灰色の影。影同士は激しくぶつかり合い、耳障りな音を立てている。 「あれか」 背後からシュマイトの声がした。 「シュマイトさん、援護頼む」 言い置いて優は剣を構え直した。そこから一気に斬り込む。防御はデフォルトフォームのタイムに任せの捨て身。今回は敵が2体いるがセクタンの護りは1回しか使えない。彼らがこちらに気づく前に倒すのが最適解だろう。 剣を振り挙げたタイミングで二つの影が優を目がけて飛んできた。一つは優の横をすり抜けたが、もう一つの影は優の胸に直撃する。 痛みはなかった。代わりに足元にタイムがぐったりとした様子で寝転がる。 ここまでは計算通り。だがもう一つは? 振り向いた優にシュマイトが拳銃を向けていた。その身の周りを影が漂っている。 『もう戻れない』 小さな唇から聞こえたのはシュマイトのものとは違う甲高い声。 足元から冷たい感触が這い上がってきた。タイムから影が流れ出している。 優は迷わず右足ごと影を剣で突き刺した。 屈んだ優の頭上を発砲音が通りすぎてゆく。 「シュマイトさん!」 左足だけを使って優はシュマイトに飛びかかった。シュマイトの身体能力では反応が追いつかなかったのか、銃口は今の位置の優を捉えていない。 シュマイトの体にまとわりついていた影に紙一重の差で剣を突き出す。影が飛び散り、シュマイトががくりと床に崩折れた。 右足の激痛をこらえながら左足で立ち上がる。剣はまだ手放さない。 「……ありがとう」 小柄な体躯に似合わない低めの声はシュマイトのものだった。
影の下にいた男女は、お互いに大怪我を負ってはいるが命は取り留めていたようだった。スタッフによると二人は芝居の主役だったらしい。 公演の中止を確認した優とシュマイトは、足の応急手当を済ませてインヤンガイを後にした。 「キミは暴霊の声を聞いたか?」 コンバートメントに座り、今度はシュマイトが先に口を開く。 「俺はタイムが護ってくれたから。でもシュマイトさんが言ってた言葉は聞こえたぜ。『もう戻れない』って聞こえた」 死後に他人の体を奪ってまで争う仲になってしまった彼らは、確かにもう戻れない状態にあった。 戻れないのは自分たちも同じだ。覚醒前にも、チェンバーで共に過ごした頃にも、どれほど望んでももう戻れない。その間には多くの事が起こりすぎた。 だから進めばいい、と彼女なら言うかもしれない。 「彼女なら、戻れなければ進めばいい、とでも言うだろうな」 シュマイトも同じように考えていたらしい。 「戻れなければ止まるか進むしかない。止まる事さえ許されなければ進むしかない。実に論理的だ」 普段「論理的」という言葉を口にする時のシュマイトは誇らしげな表情をしていた。しかし今はひどく暗い目をしている。 「なぜわたしは論理的になれないのか」 「俺も、論理的にはなれてないかもな」 本当は「なぜ」じゃないんだろうな、と思いながら、優は別の言葉を返した。 「難しいものだ」 「うん」 にぎやかにしゃべっていた頃とは違う会話だった。それでも、言葉を交わせるだけの絆は、まだ二人の間に残っていた。 俺たちは暴霊じゃない。戻れないなら進もう。 優は先ほどの思いをもう一度、心に据えた。 |