«前へ
次へ»
[40] |
【探偵名鑑】メアリベルー解答編ー
|
| メアリベル(ctbv7210) 2012-12-12(水) 11:39 |
重く軋りながら巨大な鉄扉が開かれていく。 アンダーザローズ……女の子だけの学び舎に付随する白亜の礼拝堂は、秘め事の暗喩となる薔薇の木暗闇の如きしめやかさに充たされていた。 昼は神に祈りをささげる子羊たちで埋め尽くされる聖域も、消灯時間を過ぎていたいけな子供たちが寝静まった夜ともなれば、規則を破ってまで徘徊するものは誰もいない。
否。 一人いた。 あどけなく愛らしい少女だ。
扉を開け放ち恐れ気なく踏み込んだ少女の声が、神聖不可侵の領域に闇を湛えた穹窿に殷々とこだまする。
「犯人は貴女ね、ミズ」
おちゃめにおしゃまにおしとやかに、レディの嗜みを忘れずに。 教本通りにダンスのステップを踏み、左右対称に並ぶ信徒席の中央の廊下を歩いて行く。
「ミス・ポージィとミス・ボーデンを殺したのは貴女ね、ミズ。可哀想なミス・ポージィとミス・ボーデン、閉じ込められて永遠になっちゃった!」
膝まで垂らした赤い髪、右側にちょこんと結んだベルベッドのリボン。 嵐の前の空を思わせる灰色の瞳が、まるでこれから舞台に上がるバレリーナの如く、興奮と恍惚に潤んでいる。
少女の声は甲高く楽しげで、まるで歌を唄っているようなのに、場違いに躁的な調律の狂い故に滲み出る不吉さを拭いきれない。
礼拝堂に整然と並ぶ信徒席。 その中央に何者かが座っている。 ぎりぎり近付くまで判らなかったのはその人物が黒衣を着ていた為。 頭から踝までを覆う尼僧のお仕着せが、殊更視認を難しくしていたのだ。
「ミス・マフェットは無事だったよ。メアリとメアリの頼もしい助手が駆け付けたからね」
メアリの助手はとっても強くてかっこいいの。 まるで王子様みたい!
冷えきった礼拝堂にスタッカートの如く軽快な靴音が響き渡る。
「犯人は最初から『いた』。いたけど見えなかった、そういう立場のニンゲンなの。哀しいね。どんなに愛しても気付いてくれない、その他大勢の一人としてしか扱われない。学校を出たら尚更だよ。お友達の事は覚えてたって……」
「どんなに愛しても気付いてくれない」
中央の人影が虚ろに繰り返す。
「私は……寂しかったのです」 「メアリもわかるよ、その気持ち」
少女ーメアリベルがにっこり微笑む。 胸に手をあて一回ターン、濃紺のワンピースの裾をくるりと回す。
「メアリもずっとそうだから。ずっとひとりぼっち。ねえ、なんでメアリがお休みの間ずっとずっとここにいるかわかる?待っててくれる人なんていないからよ。メアリにはおうちがないの。ううん、ここがおうちなの」
「?どういうこと、ですか」
「ミズはメアリを知ってる?」
「あたりまえです。貴女は3年生のミス・メアリベル……」
「それだけ?」
「え?」
「メアリがいつからここにいるかご存じ?」
絶句するような沈黙。 暗闇を通し手に取るように伝わってくる困惑に喉転がすチェシャ猫の笑みを真似て、メアリベルは軽やかに続ける。
「メアリのおうちの事、家族の事……ほらなんにも答えられない、おかしいわよね生徒の事はなんでも知ってる筈なのに」
ねえ、シスター・ヘカテ?
一拍の沈黙の後。 白磁の聖母像に似た繊手がたおやかにフードを払い、ステンドグラスを嵌めた天窓から斜めに射す月光が、無個性に整った顔を暴きだす。 「………貴女は、誰なのです」 「おかしなこと訊くのね。メアリはメアリ、それ以外の誰でもないわ。ねえミスタ・ハンプ?」
どこからかとりだしたハンプティ・ダンプティのぬいぐるみに頬ずりし、暗く淀んだ瞳で、長椅子から腰を浮かせかけたその人物をひたと見据える。
その人物…… シスター・ヘカテは暫く固唾を呑んで立ち竦んでいたが、諦観の微笑みを薄く唇に上らせ、淑女の規範の如く粛とした動作でメアリベルの前へ歩み出る。
「貴女のおっしゃる通りです、ミス・メアリベル。犯人は私。私があの子たちを……穢れない子羊のようだった、ミス・ポージィとミス・ボーデンを手にかけたのです」
胸の前で綺麗に十字を切る。 無垢なる魂の冥福を祈って。
「……ここは私のホーム。生徒たちは家族。私の愛するまっしろい子羊たち。名前だって全部言えます。ミス・ポージィ、ミス・ボーデン、ミス・マフェット……でも彼女達はどうでしょう?彼女達は私をシスターと呼び慕ってくれます。ああ、けがれない可愛い子たち。とても素直ないい子たち。ミス・ポージィにはお菓子作りを教えてあげました。彼女はとても呑み込みがよくて……ここを出たらケーキ屋さんになりたいと……」
『ここを出たら』 『大人になったら』
「それが引き金になったのね」 「今度の学校はお菓子職人を養成しているところだと、有名なパティシエを何人も輩出してると、それは楽しそうに語っていました」 「それはやきもちという奴ね?」 「大人になどならなくていいのです」 「立派なレディになるための教育を受けてるのに?」 「私の子羊たち、可愛い娘たち。どうして大人になってしまうの?ここにいれば安全なのに、永遠に守られるのに、守ってあげるのに」 「どうしてメアリが貴女のお話にお返事しなかったかわかる?茶番だったからよ。だって他のみんなはともかく……ミズだけはあのふたりがどこにいるかわかってたでしょ」
メアリベルはくるりと回る。
「ヘカテはギリシャ神話の女神の名前。意味は遠くへ矢を射る者……月光の比喩とも言われるわ。別名暗い夜の女王。月と狩猟の女神アルテミスの従妹で、豊穣と浄めと贖罪、そして子育てを司ると言われるわ」 「私は月の光のように皆を優しく包み込みたかった」 「ダンスホールでは月の満ち欠けの順にシャンデリアを追っていった」 「なのに月は日が照れば隠れてしまう、忘れられてしまう」 「ギリシャ神話の月の女神《セレーネ》、アルテミスと同一視されるローマ神話の《ルーナ》、《カリストー》はアルテミスの分身的なニンフ。この学校の場所名はいずれも月と関連深い女神からとったもの。お茶会の主催者はシスター・ヘカテ、お呼ばれされたのは可愛い生徒達。最初から絞り込まれていたの……天動説の世界のように広くて狭いこの箱庭を自由に動ける人は限られてるから」 「ミス・メアリベル」 「なあに、シスター・ヘカテ」 「貴女は悪い子ですね」 「よく言われるわ。それがなに?」
メアリベルが回るのをやめる。 長椅子の背凭れから滑るように手を離したシスター・ヘカテが、自己催眠に入った者特有の不安定な足取りでやってくる。
「この事を皆に言うの」 「どうして?そんな事したって意味ないわ!」 「私は寂しかった。寂しかったの」
こんなにこんなに愛しても どんなにどんなに愛しても
「どうして行ってしまうの?大人になってしまうの?ずっとここにいればいいじゃない」
愛してあげる、守ってあげる、ずっとずっとずっと……
メアリベルが唇に人さし指をあてる。
「シスター・ヘカテ、終わらないお茶会は楽しくないよ」 「何故?」 「お腹が紅茶でたぷたぷになっちゃう。クッキーもぱさぱさになっちゃう。お茶会はたまにやるから楽しいの!特別な事は特別な時だけにしとかなきゃどっきりが薄れちゃうでしょ?」 「貴女も、なのね」
ミスタ・ハンプを抱いて無邪気に笑うメアリベル、その直前まで迫った尼僧の柳眉が引き攣り唇が戦慄き泣き笑いに似て滑稽に顔が歪む、絶望と悲哀と眼前の少女に対する得体の知れぬ恐怖とが混じり合った戦慄の形相で手に隠し持ったナイフを振り上げる。
「おばかさんね」
メアリベルは大事に大事に抱いてたミスタ・ハンプを前に掲げ盾にする。一瞬の躊躇もなく。 ナイフの切っ先はミスタ・ハンプに吸い込まれ横一直線に切り裂いて盛大に綿をばら撒く。 露出した綿のむこうでメアリが笑う、笑いながら踏み込んでミスタ・ハンプの腹の裂け目に手を突っ込み鋭く光る何かを取り出す。
果物ナイフ。
「メアリの助手は林檎の皮剥きがとっても上手。こないだ教えてもらったの」
交差する二刃の軌跡、大と小一対の影絵。 大人と子供の身長差故シスターの切っ先はメアリベルを仕留めそこない宙に一束赤毛を散らせるが、既に踏み込んでいたメアリベルはミスタ・ハンプを放り出し、両手を柄に添え無防備な急所に狙い定める。 腹部にナイフを突き立てられシスターがぐらつく。 傷口から溢れた血が尼僧の黒衣をどす黒く染めていく。
腹部を庇い蹲るシスター・ヘカテ。 急速に視力を失いつつある目が捉えたのは血塗れの果物ナイフをさげてたたずむ、少女のカタチをしたナニカ。
「メアリはミスタ・ハンプの敵討ちにきたの」
シスター・ヘカテの傍らに片膝つきしゃがみこみ、耳元で囁く。
「いつだったかしら、ミスタ・ハンプが血まみれにされたことがあったの。でもあれは血じゃなくて、舐めてみたら甘くて美味しい……ラズベリーソースだったの。シスター・ヘカテ、貴女はミス・ポージィにお菓子作りを教えてあげてた。急いで廊下を走ってて、ミスタ・ハンプに躓いて転んじゃったとしたら……瓶の中身をぶちまけて……」
どんどん意識が遠ざかっていく。 メアリベルの声も遠ざかっていく。
「復讐、なの……?」 「どうかしら?」
かわいらしく小首を傾げるしぐさにつられ赤毛がさらりと揺れる。
「でもそのおかげでお友達ができたんだもの、シスター・ヘカテには感謝しなくちゃね」
おやすみなさいシスター・ヘカテ。 良い夢を。
かすかにラズベリー香る唇が、死神の手招きに抗えず垂れ下がる瞼に触れ、鼻歌まじりに気配が遠ざかっていく。立ち去っていく。
楽しげに歩み去る少女の背を仰ぎ、震える唇で最後にして最大の疑問を紡ぐ。
「貴女は誰……?」 「メアリはメアリだよ。ずぅっとここにいるの。ここは虚構の箱庭、マザーグースガーデン。他の子たちが卒業して大人になってもメアリはずっとずーっとここにいる。大人になれないお嬢さん、レディになれないリトル・レディ。ミズがミセスになっても、メアリだけはずっとずーっと……」
そういえば、とシスター・ヘカテは薄れゆく意識の彼方で回想する。 彼女はここの卒業生だった。 ここを卒業し、そのままシスターとなった。 在学中、図書室で見付けた一冊の本……マザーグースの歌集。 その中の一項だけがどうしても開けなくて……真っ赤な血で糊付けされていて……
「忘れられるのは怖いよね」
その気持ち、よくわかるよ。
「でもね、シスター・ヘカテだって……メアリの事忘れてたじゃない」
だからおあいこだよ。
扉の前で立ち止まり、後ろ手組んで振り返った少女は相変わらず笑っていたが、その顔は奇妙に無表情で、虚ろで、空白で。
シスター・ヘカテがゆっくりと目を瞑る。 床に頼りなく伏せた横顔は、何故だか安らかな微笑みを浮かべていて。
礼拝堂で息絶えたシスターを曇り空を映す硝子めいた灰色の瞳で一瞥、メアリベルは呟く。
「きっと終わらないお茶会の夢を見てるのね」
END |
[41] |
あとがき
|
| メアリベル(ctbv7210) 2012-12-13(木) 22:48 |
【探偵名鑑メアリベル】(高槻ひかるWR)の謎解き編を書いてみました。
あくまで解釈の一つということで。 |
[54] |
備考
|
| メアリベル(ctbv7210) 2013-01-04(金) 20:56 |
メアリベルの名前はナイトメア(悪夢)+ベル(鐘)の造語。 Nightmareの「mare」は雌馬と同じスペル。 一説によると黄泉の国の女王ヘカテの頭は雌馬だとも言われる。 それがクリコメあとがきの「メアリベル様は何故、この犯人の法則を知り得ていたのでしょうか?」の答えなのかな、と妄想しました。
面白い接点を発見したので追記。 |
«前へ
次へ»